山ノ神ノ頭、馬ノ鞍峰

コロナ感染が拡大していて、大阪では外出自粛要請が出ている。

後ろめたい気持ちも多少はあったが、人の少ない山間部ならあまり迷惑をかけることはないだろうということにして、12/13(日)に奈良の台高山脈に出かけた。

昨年の夏に三之公(さんのこ)からカクシ平を経由して馬ノ鞍峰を往復した。

この時には心残りが一つあって、もう一度はどうしても行かなければならないと思っていた。

しかしまた同じルートで単純な往復ではあまりにも芸が無い。かと言って稜線をさらに進むにしてもそれほど魅力的なピークがあるわけでもなく、いずれにしても往復ルートしか取れない。

何かいいルートがないだろうかと調べていたら、三之公からその東にある山ノ神ノ頭に登れる踏み跡があるということがわかった。

これならそのまま稜線を北上して馬ノ鞍峰まで行って、前回のルートで下りてくることができる。絶好の周回ルートだ。

となれば善は急げで、さっそく行ってみることにした。

7時半に三之公の駐車スペースに着いて、7時45分に出発した。

まずは山の神様に今日の無事をお祈りする。

そしてこのすぐ横の立入禁止のところに入っていく。このあたりは水源地として管理されていて、水を汚さないために人の立ち入りを禁じているのだが、私は川を渡ったらすぐに山の斜面に入っていくので、お許しいただきたいと思う。

すぐに橋で対岸に渡る。

取り付きがよくわからず、明神谷の左岸を少し北に行ってから横の斜面を適当に這い上がった。なかなかの急斜面で、踏み跡などもちろん無いのだが、古いテープがあった。

しかしこのまま上に上がるのは厳しいのでトラバースぎみに進んだら、古い矢印が現れた。どうも沢を渡ったところにあった休憩所の裏あたりが取り付きだったようだ。

ここからは踏み跡が少しはっきりしてきた。しかし結構な急斜面で、ジグザグにはなっているが落ち葉が道を覆っていて滑りやすい。

たまには階段の痕跡もあって、かつてはしっかりした道だったのだろう。

だいたいのルートは gps に入れてきているが、地形はかなり複雑で、しかも踏み跡も出たり消えたり。いつの間にやらロストしていた。

あわてて戻るが、戻っている道が来た道なのかどうかすらもよくわからない。

少し戻ったら印があった。ここはルートが屈曲しているところなのだが、来た時にここを通ったのかどうかよくわからない。

その後はロストすることもなく、9時48分、無事山ノ神ノ頭(1099m)に到着した。たかだか標高差 600m 程度で、ほとんどがしっかりした登り斜面だったのに、2時間もかかってしまった。

稜線に出れば道ももう少しはっきりするだろうと思っていたが、期待に反して進む方向がわからない。道標も無い。

おおむねの方向を定めて少し下ったら銘板があったので、そちらに進んだ。

狭い稜線を慎重に下る。しばらくしてふと gps を見たら、またまたロストしていた。

山ノ神ノ頭で稜線が直角に近い角度で折れ曲がっているのだが、大台ヶ原へ向かう方向に下ってしまっていた。あわてて戻って、北に向かう。

しばらく下って、父ヶ越。そういう銘板が地面にあったが、登山地図のカコウギ越のこと?

気持ちのいい稜線だが、西からの風がかなり冷たい。

高見山が見えると思っていたが、帰ってから確認したら白鬚岳だった。

台高ではヒメシャラをよく見かける。気持ちのいい稜線で、こういうところを独り占めして歩けるのは単独行ならではの快感。

そんな気分で歩いていたら、またもやロスト。どうも少し手前で斜面を下らなければならないようだ。

少し戻ったら古い道標が目に入った。来た時には気づかなかった。

しかしこの斜面、目印のようなものは何も無い。広い斜面をただただ下に向かって下っていく。

最低鞍部に下りたら地池越(読み方不明)だった。風が冷たくて寒いが、ジャケットを着るのが面倒なのでそのまま進む。

ここから先は小さなピークの連続でうんざりした。一つ一つは標高差 50m もあるかないか程度のものだが、これだけ続くと体力的にも気力の面でも疲れてくる。馬ノ鞍峰までがこんなに遠いとは思っていなかった。

山頂の標識と思われるものが目に入った時はやれやれと思った。

12時15分、ようやく馬ノ鞍峰の山頂(1177.7m)に到着した。稜線なので山ノ神ノ頭から2時間もあれば行けるだろうと思っていたが、小さなアップダウンにシゴかれて2時間20分ほどかかった。

ここを再訪するとは思っていなかった。風を避けて、今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。

寒いので10分ほどの休憩で早々に下りに入る。ここからは以前に歩いた道なので安心感はあるが、記憶はあまり無い。

稜線から折れて斜面を下るところには印がたくさんあった。

急斜面を下って沢筋に出た。山頂からここまではピンクのテープがずっと続いていたが、ここで突然目に入らなくなった。沢筋を下るだけなのだが、前回来た時に比べてかなり荒れていて、どこを歩くか慎重に判断しなければならない。

しばらく下ったら道の痕跡が出てきた。そして記憶のある道標が現れた。

南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡して退位したことで、南朝はその歴史に終わりを遂げた。しかし南朝の皇胤はこれで途絶えたわけではなく、その後、何度も反乱を起こした。

その要因は朝廷や幕府がその後、南北和解の条件であった、天皇を南北交互にするという約束を反故にしたからである。

尊義(たかよし)親王は、正史における南朝が消滅した後に即位したとされている南朝側の天皇となっているが、このあたりの歴史は正式なものが存在しておらず、正史とは見なされていない伝承でしか残っていない。

「後南朝」という用語は歴史学では公認されている言葉ではないそうだが、一般的にはこの頃の歴史のことを表している。

我々のような素人にとってはそういう「不確実さ」が興味をそそる。

前置きはさておいて、昨年来た時にこの道標の矢印に従ってあたりを探してみたが、それらしい史跡を見つけることができなかった。

それが心残りで、どうしてももう一度来て御墓を見つけたいと強く思っていた。今回の主目的はこれなのだ。

その後さらに詳しい情報を調べて、この近くの斜面にあるということがわかった。

道標の矢印の方向に向かうと沢に出てしまうのだが、後ろにある斜面を上がってみた。

何となく道の痕跡ではないかと思われるような地形だ。

ほどなく、前方に石碑が見えた。やはりここだった。

石碑の前にはまだ新しいみかんが供えてあった。

今日の最大の目的にたどり着くことができて、この時に本当の満足感を得ることができた。

何度か後ろを振り返りながら、カクシ平に向けて下っていった。

その後はまた荒れた沢筋を下っていった。しかしカクシ平を見つけることができない。

確か沢筋のそばだったと思っていたので、ひょっとしたら豪雨で流されてしまったのかもと思ったりした。

そうこうするうちに記憶のある道標が出てきた。これは前回来た時にカクシ平の手前にあったもので、いつの間にか通り過ぎていた。

もし豪雨で流されたのだとしても何らかの痕跡はあるはずと思って引き返したところ、左岸の斜面を上がる道が目に入った。

こういう地形だった記憶は無いのだが、念のために上がったところ、行宮跡の石碑が前方に現れた。

こんなに沢筋から離れているという記憶は無かったのだが、沢筋に近いと濁流で流される危険性があるので、少し小高い場所に行宮を設けるというのは理にかなっている。

これで今日の目的は完遂できた。あとは三之公に向けて下るだけ。

しかし前回来た時もそこそこ荒れていた道はさらにひどくなっていた。

先月の筏場道ほどではないが、慎重に下らなければならなかった。

おそらくもう来ることは無いと思うので、昨年に訪れた明神滝にも立ち寄っておくことにした。

午後2時35分、駐車スペースに戻ってきた。山の神様に無事のお礼をした。

戻ってきた時も車は他には一台も停まっていなかった。このあたりの山を歩いたのは今日は私一人だったかも。

今日は温泉は無しで帰ることにした。マスク無しで他人と近接することになるので、この状況ではやめておいた方が良さそうだ。

帰りに家の近くのスーパーで買い物をしたが、この日に他者とすれ違ったのはこのスーパーだけだった。

満足の一日だった。