五所川原、小泊、龍飛崎、蟹田、青森

今回も車で来ているのだが、津軽鉄道にはぜひ乗りたいと思っていた。

10/19(水)は朝から津軽鉄道に乗って五所川原まで往復してから龍飛崎に向かう。

芦野公園駅のそばの駐車場に車を置いた。駅舎は今までに見たどの駅舎よりも鄙びた感じ。芦野公園はそれなりに大きい立派な公園なのだが。

横にある旧駅舎はカフェが営業されているのだが、生憎水曜日は定休日。どちらが旧なのかよくわからない感じ。

津軽鉄道の駅にはすべてこのような手書き風のおしゃれな看板が設置されている。

電車を待っているうちに雨が降り出してきた。そして高校生が二人やってきた。

津軽鉄道は冬場はストーブ列車が有名だが、今の季節はまだストーブは置かれていない。通学の高校生が何人か乗っていた。

その後、高校生がどんどん乗ってきて、いつの間にやらほぼ満員状態になった。

五所川原の少し手前に農業高校があって、ここで多くの生徒が下車していったが、最後の五所川原駅まで乗っている高校生もたくさんいた。

五所川原は元陸上選手の福士加代子の出身地でもある。

外は本降りの雨。しかも風も強くなってきた。傘をさして閑散とした駅前の通りを西に向かう。目指すは岩木川にかかる乾橋。

乾橋は「津軽」で、太宰が五所川原を訪れた時に知人の娘さんに案内されて訪れた場所。

駅から 15 分くらい歩いただろうか。もう足元はびしょびしょ。

河川敷に下りてのんびりできるような天候ではないので、写真を撮ったら早々に引き返す。

駅前通りもシャッター街。まだ午前9時前という時間のせいもあるのだろうが。

次の電車まではまだ1時間以上あるのだが、とてもこの雨のなか外を出歩く気にはならない。コンビニでコーヒーでもと思ったが、あいにく駅の近くにはコンビニが無い。仕方なくまた雨の中を数分歩いてコンビニへ行って、コーヒーを買って傘をさしながら寒い外で飲んだ。

帰路の電車の乗客はほんの数人程度。バスガイドならぬ電車ガイドの女性がおられて、沿線の案内をしてくれた。これはなかなか楽しかった。意図的か少し津軽弁を交えた口調で。ただし昨日の風呂で聞いた言葉とはずいぶん違った。

中では津軽鉄道グッズの販売も行われて、必死の営業努力が感じられた。

あれがぼんじゅ山脈?

今時珍しい硬い紙の切符を記念にもらって芦野公園駅で下車した。ようやく雨が止んだ。

次は今回のハイライトの一つの小泊(こどまり)へ向かう。時間に余裕が無いので十三湖は通過した。

左から太宰治、幼少の頃の津島修治(太宰治の本名)、修治を世話していた頃のタケ。

そして写真で何度も見た二人の再会の場面の銅像。

「津軽」のラストシーン。太宰の長女の津島園子さんが書かれたもの。

200円払って記念館に入る。ショートムービーや15分程度のビデオを楽しんだ。タケさんご本人がしゃべっておられる音声を聞くことができたが、やはり昨日の銭湯で聞いた会話は地元の津軽弁だったのかもと思った。字幕無しにはとても理解できない言葉だった。

充実した内容で、これなら500円くらいでも納得できる施設だった。

お次は龍飛崎へ向かうが、途中の眺瞰台に立ち寄った。

展望台の上からは北海道が間近に見える。

午後1時前にようやく龍飛崎に到着した。

まずは灯台のある岬の先端へ行った。雨は止んでいたが風が強い。

そばには灯台。

そろそろ昼食にしておきたいところだが、駐車場にあった食堂はどうも入る気がしない。夏に襟裳岬で食べた食堂がよろしくなかったのが頭に残っていて、この先にどこか店があることを期待して素通りした。

海岸線に下りてまた太宰の文学碑へ。

「津軽」で龍飛崎を訪れた時の文章が記されている。

そばには太宰たちが泊まった旅館跡。ここにもいくつかの展示物があり、無料で見学できた。

その後、車で行ける終点まで行った。「鶏小屋に頭を突っ込んだ。」と書かれていたのはこのあたりのことだろうか。

車道の終点。

次に向かったのは義経(ぎけい)寺。太宰たちも訪れている。

義経は実は平泉では死んでおらず、北上してモンゴルまで行ったという寓話があるのは昔から知っていたが、実際にそのいわれのある社寺がいくつか存在しているということはわりと最近まで知らなかった。実は北海道の日高にも義経(よしつね)神社があって、二風谷のアイヌコタンへ行った時にすぐそばを通っていた。義経がアイヌにいろいろなことを教えたという伝説があって、ずいぶん昔からアイヌから敬われていた。イザベラ・バードが明治初期に訪れた時にもアイヌに案内されて訪れている。

ただし学術的にはこの説はほぼ否定されている。

こちらの義経寺は今もしっかり管理されているようで、私が訪れた時も本堂の中から何人かの女性の話し声が聞こえてきた。

どこか適当なところで食事を思っていたがコンビニすらまったく現れず、すでに2時を過ぎている。

たまたま海岸沿いの広い道に出たところにコンビニがあったので、ここで巻きずしを買って食べた。

次は蟹田の観覧山へ。ここにも太宰の文学碑がある。

「正義と微笑」に書かれている「かれは人を喜ばせるのが何よりも好きであった」という文章で、井伏鱒二氏が選んで佐藤春夫氏が筆をとったもの。

蟹田港を見下ろす。

さて、このあとどうするか。青森市内でも行きたい場所が何カ所かあるが時間的にかなりタイト。青森近代文学館は5時までで、ナビによると到着予定は4時過ぎ。とにかく向かってみる。

何とか4時15分くらいに到着できたが建物の正面が工事をしていて入口の場所がわからず、建物の反対側まで行ってまた戻ってくることになった。

太宰のコーナーは一部だったが自筆の手紙などが展示されており、行った価値はあった。

次に太宰の学生時代の下宿跡にも行きたかったが、近くにタダで駐車できそうな場所が無い。碑が建っているだけのようなので今回はあきらめて、学生時代にしばしば訪れていた合浦公園に向かった。

すでに薄暗くなった公園を少しだけ散歩して、浅虫温泉に向かう。ここも太宰がしばしば訪れたところ。今宵の予定の浅虫の道の駅に温泉が併設されているので、そこに行った。

道の駅にある温泉とは思えない貧弱な施設で、せっけんシャンプーは無し。ひどいのは洗い場が狭い上に内向きにカーブしていて、並ぶと隣の人と触れてしまうくらい。平日なので空いていたので何とかなったが、休日ならとても利用できない。安かった(360円)けれど二度と行きたくない。

近くのコンビニで買い物をしてから道の駅の駐車場に戻った。