今日は久しぶりに競技場での練習会だった。
スピード練習らしいことをしばらくやっていなかったので、篠山からまだ1週間しか経っていないが、楽しみにしていた。
うまく集団に入れなかったせいで、一人でスタートすることになってしまい、少し速すぎるかなという感じで走り出した。1周はなんとかペースをキープしたが、2周目になると早くも脚が重くなり、さらに心肺機能もかなりいっぱいいっぱいの状態に陥って、800mで我慢しきれずにコースアウトした。
ちょうど年末のカメの子駅伝の時と同じような状態で、ペースを落としても走ること自体がきつくて、駅伝では止めるに止められずに何とか完走はしたが、今日はあっさりとあきらめた。
600mジョグして1本目を抑えめにスタートしたが、今度はわずか200mでコースアウト。
そのあと何周かジョグで回ったが、早めに切り上げて帰ってきた。
後からストップウォッチのデータを見てみると、確かに最初はキロ3分台のペースだが、そんなに無茶なペースではなかったように思う。どうもスピードに対する耐性が一段と落ちているようで、悲しくなってしまう。
もうロードでタイムにこだわるようなことはやめようと思ってはいるが、そうは言っても自分なりのベストは尽くしたい。
メンタルのコントロールが非常に難しい状態に陥っている。
投稿者: まつだ
ランニングと四季
朝起きてすぐに走りに出るようにしたのは昨年末で、日の出が最も遅くなる時期だった。7時過ぎに家を出ると、東の空にちょうど顔を出したばかりの太陽を輪郭もくっきりと眺めることができた。しかし今は太陽はもうかなり高くまで上がっていて、まぶしくて直接見ることはできない。空気の冷たさもずいぶん和らいできて、春の兆しをはっきりと感じることができる。
ランニングに向いた季節が近づいてきたと言えるだろう。ほとんどの人は春が好きだ。暖かくなることをみんな嬉しく思うようである。しかし私はそうではない。決して寒いのが好きというわけではないが、とにかく暑いのが苦手なのだ。春の兆しを感じると、気持ちは一足飛びに夏の蒸し暑さに向かってしまう。またあの季節がやってくるのかと思うと、憂鬱な気分になってしまうのだ。
桜の時期もうっとうしい。満開の桜を美しいと思わない訳ではないが、普段走るコースには桜の木が随所にあって、至る所人だかりで昼間から宴会である。私は人混みも嫌いなのだ。目的も無く繁華街へ出かけるようなことは絶対に無い。
そうは言っても桜の時期は1週間から2週間程度なのであっと言う間に過ぎ去るが、昨今の長い残暑には本当に苦しめられる。
そういう意味では今頃の季節が一番好きではある。厳寒の時期は過ぎたが、春の暖かさにはまだ少し間があるという時期で、走っても軽く汗をかく程度でちょうど心地よい。
5月に入ると、走ると汗がしたたるほどの暑い日が現れるようになる。しかし里山のトレイルには絶好の季節だ。冬場は寒かった山もこの季節になると空気が穏やかで、樹々の間のそよ風が爽やかで気持ち良い。唯一の難点はイネ科の花粉症の症状が出ること。スギやヒノキは何ともないのだが・・・。
梅雨は嫌いではない。この頃の気温だと雨の中を走るのも悪くないし、土砂降りの中を走っていると、妙に気持ち良さを感じることさえある。
梅雨が明けるといよいよ本格的な夏となる。私の一番嫌いな季節の到来だ。特に蒸し暑いのが苦手で、トレイルに行ってもすぐにバテてしまう。最近はアルプスの3000m近くまで行っても、8月前半くらいなら『下界よりはマシ』という程度でしかない。昨年の8月初旬、七倉から水晶岳を目指して裏銀座の稜線に上がった時も、予想外の暑さに体力を消耗させられて、結局真砂で断念することになってしまった。その前に比良に行った時も、目標の3分の1くらいで早々に敗退してしまった。
9月は下界ではまだまだ残暑が厳しいが、2000mを越える山々は快適になる。しかし天気が荒れると危険な季節だ。好天をつかまえればアルプスランには最高のシーズンである。この時期になると残雪に出会うこともまず無いし、登山者もぐっと減って、人気ルートでも快適に走れるようになる。
10月に入ると3000m近い稜線ではそろそろ雪の便りがやってくるので、それなりの準備をして行かないとメディアを賑わせることになりかねない。しかし里山はまた絶好の季節だ。六甲や京都の北山、比良などは快適である。
下界のランニングが快適になるのはやはり11月になってからだろう。長い距離を走っても疲労感が少なくなってくる。マラソンのレースも11月の声を聞くと一気に増えてくる。
山スキーによく行っていた頃は雪の便りにわくわくしたものだが、陸上クラブに入ってからはとんと行かなくなってしまった。行きたい気持ちが無くなった訳ではないのだが、末端冷え性の症状がつらい。パウダースノーで絶好のコンディションというのは気温が冷え込んだ時なので、滑りには良いが手足は冷えて痛いのだ。
よく行っていた頃は暖冬で雪不足のシーズンが続いていたのに、行かなくなったら雪の多いシーズンが続いているというのは何とも皮肉なものだ。
日本ではマラソンシーズンは冬だ。昔はいつも四国や九州など、関西より西の方のレースばかりだったので、冬と言ってもさほど寒い思いをしたことは無かったのだが、最近は遠出するのがもったいないので近場のレースばかりである。おかげで非常に寒い日に出会うこともしばしばで、昔はレースではランパン、ランシャツと決まっていたのに、最近はロングTシャツとロングタイツなんてこともめずらしくない。まぁ、ムリして寒い格好をすると、体温を維持するために余分なエネルギーを消費するようなので、適度に暖かくした方が理にかなっているとは思うが。
今週末はまた六甲へ行こうと思っている。先月は寒くて、雪がしっかり残っている所もあったが、今週末はそういうことはないだろう。雪は少しは残っているかも知れないが。2週間後はいよいよ六甲縦走キャノンボールなので、今度は何とか8時間くらいで余裕をもって走り終えたいところだ。
淀川ジョグ
今日は久しぶりに淀川を枚方大橋まで往復した。
また山田池へ行くつもりで家を出たが、走り出したら急に気が変わって淀川に方向転換した。
河川敷公園ではわずかながら芝生の上を走れる。このところ硬いロードに対する耐性が衰えているようで、久しぶりの芝生ランは気分転換にもなって非常に快適だった。
このところの暖かさで少し虫が湧いてきていたが、まだわずらわしいというほどではなかった。
週末の練習会はトラックでインターバルの予定だが、やってやろうという気持ちになってきた。
山田池ジョグ
今日は山田池でジョグ。
ずいぶん暖かくなってきたが、山田池の梅は先週より多少花が大きくなった程度で、まだまだ満開には遠い感じだった。
最近はマラソンを走った後のダメージが昔ほどは残らない。特に最近は長い距離の練習をよくやっているので、そのせいもあるように思うが、一番の原因はレースでうまく全力を出し切れていないということだと思う。昔もオーバーペースでつぶれたレースの時は、その場の疲労感は大きくても以外と回復は早く、むしろきっちりと走り切れた時の方が後まで疲れが残っていた。
本当に力を出し切ったと感じられる走りがもうしばらくできていないのが寂しい。
ランニングと音楽
音楽を聴きながらランニングをする人は多い。
公園や河川敷のような場所だけではなく、街中を走っている人がイヤホンを着けているのを見ると危ないなと思うが、そういう人はわりとよく見かける。レースでもフルマラソンなどの長い距離になるとイヤホンを着けている人をしばしば見かける。
音楽は曲を適切に選ぶと気持ちを落ち着かせる効果や、逆にテンションを上げる効果もあったりして、スポーツのパフォーマンスにプラスになる場合は確かにあるようだ。試合前の選手がアップの時にイヤホンを着けている光景は、ランニングに限らずスポーツ全般において良く見かける。
中でも有名なのは、高橋尚子選手がシドニー・オリンピックの本番前に、イヤホンを着けて踊って、歌っている光景。日本人のトップアスリートにこんな選手がいるのかと、多くの人たちが驚いた
私は子供の頃から音楽が好きだが、ランニング中にイヤホンを着けたことはほとんど無かった。20年以上前に、ランナーのための音楽というようなタイトルのカセットテープが売り出されて、それをウォークマン(その頃はiPodのようなものはまだ無かった)に入れて聞きながら走った事が何度かあったが(もちろんレースではなくて練習)、ランに集中できないような気がしてほんの数回だけでやらなくなった。
それ以降はiPodシャッフルのような小型プレーヤーが登場しても走りながら音楽を聴きたいとは思わなかったが、昨年、とある文章に出会って、速攻で耳掛け型のMP3ウォークマンを購入した。
その文章の内容を簡単に言うと、『マラソンのような時間のかかる持久型スポーツの場合はエネルギー消費の効率が重要だが、実は人間は脳で非常に多くのカロリーを消費している。余計なことを考えないようにした方が脳での無駄なカロリー消費を抑えられるが、それには音楽を聴きながら走るのが良い』というものであった。
なかでも勉強や仕事、スポーツなどに集中している時に現れる『シータ波』の波長が効果的とのことで、さっそくネットでそういうタイプの音楽を何曲かダウンロードして試してみた。
私自身の感覚では、どちらが先かはわからないが、タイムが落ちてきてからランニング中につまらない事をくよくよ考えることが多くなったように思う。そこでこのような無駄な邪念を減らしたいと考えて試してみたのだが、結果的にはあまり効果が感じられなかった。
何故かと言うと、BGMのようなサウンドはいつの間にか音楽を聴かずに、いつものように頭の中を邪念が駆け巡っている状態になってしまうのだ。音楽そのものが自分の興味のタイプではないので(嫌いというわけではないが)、外の雑音と何ら変わらない音でしかなくなってしまっている。
そこで、シータ波にはこだわらずに好きなタイプの音楽を入れて聴くことにしてみた。確かにこちらの方が音楽を聴いている感じがするが、ランニングのために曲を選んでいるわけではないのでリズムは一定しないし、曲の調子も様々に変わる。普通のアルバムCDをそのまま入れているので当然のことだ。ただ、音楽に気持ちを向けるという意味ではこちらの方が私には良さそうだ。
レースで効果があるかどうか試してみようと思って、淀川市民マラソンでは初めてウォークマンを着けて走った。しかしレースになると、いくら好きな音楽ばかり入れたとは言ってもやはりペースの事が気になって、練習ジョグの時ほどは音楽に気持ちが向かない。でも、レース中にどうでも良いような邪念が頭を駆け巡るようなことはほとんど無かったように思う。ただ、終盤になって汗のせいかしばしばずれるようになって、これがかなり煩わしかった。
結果のタイムで言うと、昨シーズンの3レースに較べると10分ほど良いタイムで走れた。終盤はやはりペースダウンしたが、昨シーズンに較べるとはるかにマシだった。これなら今シーズンはそこそこ期待できるかなと感じさせる内容だった。
終盤のイヤホンのずれが気になったので、その後の福知山と加古川では着けなかったところ、その影響かどうかわからないが期待に反してタイムは落ちた。特に加古川はひどかった。それからは練習でもウォークマンを着けることはあまりなかった。イヤホンを着けて走ることに慣れていないので、出かける時にいつも忘れるのだ。
その後、練習の目的がロングトレイルになったために長い距離、長い時間を走る練習がメインになって、またイヤホンを着けて走る機会が多くなった。淀川河川敷のような単調なところを長く走る時は、音楽を聴いていると気がまぎれて楽に走れるように感じるが、トレイルの場合は注意力が散漫になりそうで、特に下りでは危ないような気がする。また、郊外の車の通る細い道では後ろから来る車に気が付きにくかったりするので、止めた方がいいように感じた。
加古川が終わってからはスピード練習のようなものをほとんどやっていないので、篠山ではあまりペースを意識せずに、体感にまかせて走ろうと思った。とは言ってもやはり、ある程度納得のできる結果はほしい。と言うことで、淀川市民マラソンの縁起を担いでイヤホンを着けて走ることにした。
今回はイヤホンのずれもほとんど無く、違和感を感じること無く最後まで走れたが、タイム的には加古川とほどんど同じで、予想最悪タイムを下回るくらいだった。
これまでの実績から言えば、ロードの単調なコースでのLSD的な練習の場合は気分転換の効果がありそうだが、フルマラソン程度のレースではさほど効果は期待できず(100kmなら効果があるかも知れないが、私は未経験)、トレイルではやめておいた方がいいというところだろうか。
篠山マラソン
昨日は篠山マラソンだった。
毎年、枚方の他のランニングクラブのチャーターするバスに便乗させてもらって、会場近くの料理旅館で準備をして、レース後は風呂に入って猪鍋を堪能するという楽しいツアーになっている。私は昨年に続いて2回目。
現地へ向かうバスの窓から見える風景は、山は白く雪がかぶっており、畑や家の屋根にはうっすらと雪が残っている。天気は良さそうだが、気温はかなり低そう。ウェアの選択に困るパターンだ。
日射しがあるとそれほど寒くないので、だんだん気温が上がると予想してランパン、ランシャツにアームウォーマーで準備したが、確認のため外の様子を見てみたら空気がかなり冷たく感じられたので、上はロングTシャツを下に着ることにした。
今回はさほどタイムにはこだわっていないとは言え、今シーズン最後のマラソンなので、何とか気持ち良く終えたいとは思っていた。今シーズンで最もタイムの良かった淀川市民マラソンの縁起を担いで、ウォークマンをつけて走ることにした。
まぁこんなくらいかなと思って走り出したペースは、キロ4分40秒くらいだった。体感温度は高くなったり低くなったりという感じで、結果的にはTシャツを着て良かったと思う。
中盤は結構アップダウンが多くて体力を消耗する。できれば3時間20分以内と思っていたが、中間地点で1時間39分台で、終盤やや下り気味のコースとは言え、目標タイムクリアは無理と思った。
30kmの折り返し手前はずっと登り基調で、おまけに冷たい向かい風でキツかった。ここまでは少しのペースダウンくらいで持ちこたえてきたが、コースが楽になってペースを持ち直そうと思ったのが良くなかったのか、いつものように脚が重い状態に陥ってきた。
今回はパワーバージェルと、アミノバイタルのタブレットをウェストバックにしのばせて、これまで予定通りに補給してきたが、その効果もあまり感じられない。
35kmを過ぎるとさらに脚が重くなって、空腹感も感じてきたが、この大会はエイドでバナナやパンのようなものが無い。2カ所で猪汁のサービスがあるが、さすがに走っている途中に猪汁を食べる気にはならない。それにすでに通過してしまっている。
途中でトイレに行って少し脚を休めたおかげでその直後は少し持ち直せたが、それも長くは続かなかった。『あと5km』の標識のところで3時間を少し越えていたので、3時間30分は切れないだろうと思った。
40kmあたりでは沿道の私設エイドのような人からアメとチョコレートをもらって口に入れるが、チョコレートはなかなかうまく食べられない。
41kmあたりで応援に来てくれていたチームメートの声援を受けるが、力なく反応するだけ。
最後の1kmは本当に長く感じたが、結局3時間32分台で何とかゴールした。加古川とほぼ同タイムだった。
今シーズン最初の淀川市民マラソンでは1週間前に40km走をやったりして、あまり調整を考えずに走って3時間22分台だったので、これなら今シーズンは3時間20分を切れるだろうと思っていたが、結果的にはこの後はタイムが落ちる一方で、結局昨シーズンと変わらない結果でしかなかった。
昨シーズンは夏に鎖骨骨折のアクシデントがあったりしたので、今シーズンにはかなり大きな期待をかけて臨んだのだが、結果は期待を大きく裏切るものでしかなかった。
昨シーズンから全部で7レース。50歳を過ぎてからは10レース少々走ったが、どれもこれも納得のいかない結果しか得られなかった。50歳を過ぎてから内容が悪くなったのは練習不足のせいだと思っていたが、今シーズンの結果を見るともはやそういうものではなく、もっと本質的な体力低下が原因だと考えざるを得ない。
これだけやってもダメならもう諦めるしかない。ここまでやれば現実を受け入れざるを得ないという心境だ。
どうせどれだけ頑張ってもベストを更新するなんてことはあり得ないので、残されたランニング生活を充実したものにするためには、これまでできなかったことにチャレンジした方が良いだろう。
幸い、昨秋のクロスマウンテンマラソンでは終盤、久しぶりに気持ち良く走り切れたし、マラニックの大会では最後まで登りも走れて、望む結果に徐々に近づいてきている。
もう迷ってはいけない。
山田池ペース走
今日は山田池での練習会だったが、翌日に篠山を控えているのでペース走2周だけで終えた。
もうロードレースは主目的では無いとは言っても、やはりマラソンとなるとどうしても構える気持ちがある。こういう気持ちがまだ残っているということは良いことなのかも知れないし、このあたりがマラニックとは明らかに違うところだ。
このところしばらくキロ4分台の走りをほとんどやっていなかったので、今日は久しぶりにペースを上げて走ってみた。とは言っても平均でキロ4分40秒くらい。ただ、アップダウンの厳しいコースなので、体感的にはキロ4分30秒を切っているくらいの感覚だ。
ようやく身体が慣れてきた頃でお終いという感じだったが、先週のマラニックの疲労はほとんど感じなかった。
明日のペースは身体にまかせようと思ってはいるが、できればキロ4分40秒くらいでは行きたい。篠山のコースはおおむねフラットで、終盤微妙に下り気味なので、気象条件さえ良ければ記録が狙えるコースだ。
昨年は序盤から雨が降り出して、終盤になるにしたがって冷たい本降りになって身体が硬直したが、今年はそういうことはなさそうだ。ただ、気温は低くなりそうなので、下はタイツがいいかなと思っている。
今シーズンは満を持して臨んだのだが、結局初戦の淀川市民マラソンからタイムは落ちる一方なので、できれば今シーズンのベストを出して気持ち良く終わりにしたい。
ランニングと文学
山西哲郎氏(立正大学 社会福祉学部 子ども教育福祉学科 教授)は変わった人である。東京教育大学(現、筑波大学)で箱根駅伝を走り、指導者としても箱根駅伝に出場されたが、その後は陸上競技のメインストリームではなく、市民ランナーのカリスマのような存在としての活動を今も続けておられる。ランニングの『文化』としての質を高めようという氏のスタンスは、『陸上競技』をかなりのレベルまで実践された人としては珍しい部類に入ると思う。
氏はその著書『山西哲郎の走る世界』で、『登山の世界では文学として質の高い著作品がたくさん生まれているが、ランニングの世界では技術書、大会説明書、啓蒙書の領域を出ていない』と書かれている。この本が出版されたのは1991年だが、20年以上たった現在でもその状況はあまり変わっていないように思える。
登山家にして名文筆家という人はこれまでに何人も登場している。『山岳文学』という言葉もあるくらいで、文学のジャンルの一つとして世間一般に認知されていると言っても良いだろう。イタリアの登山家、ラインホルト・メスナーはその象徴のような人物で、超一流の登山家にして、文筆家としてのクオリティも一流である。彼の書いた著書は文学賞も得ている。記録としての価値だけではなく文章としても味わい深く、何度も読み返したくなるような緊張感のあふれる表現力は、ただただ素晴らしいとしか言いようが無い。
フランスのガストン・レビュファは、アルプスでのクライミングを主体とした『星と嵐』をはじめとして名著を何冊も残しているし、日本人でも松永敏郎さんや佐伯邦夫さんの文章は、その登山スタイルと同様に格調が高くて素晴らしいと思う。
1988年のカルガリー・オリンピックで、8000m峰14座登頂を果たしたメスナーとククチカに対して特別メダルの授与が決定されたが、メスナーは『登山はスポーツではない』という理由で受賞を拒否した(ククチカが受け取ったのは銀メダルだったそうだが、メスナーやククチカが銀メダルなら一体誰が金メダルに値するのか? メスナーはマラソンに例えてみればザトペックやアベベのような存在だろう)。
登山がスポーツか否かは各人それぞれの考え方や感性があり、用語の定義も人それぞれだと思うので、一般論として定義づけることはムリがあると思う。個人的には『スポーツ的な面もあれば、スポーツでない面もある』という曖昧な表現にならざるを得ない。ただ、時代の変遷から考えると、冒険から始まって、次第にスポーツ的要素のウェイトが高くなってきているようには思う(ただし日本では山は冒険というよりは信仰の対象だった)。
さてそのスポーツだが、残念ながら私は『一流スポーツ選手にして名文筆家』という人を、寡聞にして知らない。もちろんここで言う『一流スポーツ選手』というのはオリンピックでメダルを取るくらいのレベル、もしくは国内ではトップレベルの選手のことであって、趣味でスポーツを楽しんでいる人のことではない。
メスナーの味わい深い文章に較べると、スポーツ選手の著した回想録のようなものはおしなべて平板な感じで、すでにわかっている事実の表面的な再録でしかないようなものがほとんどだ。もちろん、君原選手がメキシコ・オリンピックのマラソンで、終盤便意に苦しんでいたというようなことは後になってから初めてわかることだが、だからと言ってその文章をわくわくしながら読めるかと言えばそうではない(『マラソンの青春』の文章を書いたのはおそらくゴーストライターだと思うが)。
ソウル・オリンピックの代表権がかかった1988年3月のびわ湖毎日マラソンで、すでに全盛期を過ぎていた瀬古利彦選手が、レースの終盤でかつては見せたことが無かったような苦悶の表情で走っていたことを、テレビカメラははっきりと捉えていた。この時の瀬古選手の気持ちはおそらく言葉でうまく表現することはできないだろう。
もっと昔で言えば、東京オリンピックで円谷選手が競技場でヒートリー選手に抜かれたシーン。父親からの言いつけを守って、後ろを振り返らなかったから抜かれたというような論評もあるが、あの表情を見る限りは振り返っていたら逃げ切れていたとは到底思えない。もしそれだけの余裕があったのであれば、抜かれた後に抜き返したはずだ。
その後、円谷選手は、史上最も崇高な遺書と言われる文章を残して自殺したが、東京オリンピックでの走りを素晴らしい文章で表現できたかというと、それは疑わしい(この遺書に匹敵するレベルの文章を残したのは、北鎌尾根で遭難死した松濤明氏のそれであろう)。
やはり生の映像に勝る興奮は無いのだ。少なくとも競技スポーツの世界に於いては。
今でこそエベレストの頂上までテレビカメラが上がる時代になっているが、メスナーの全盛期の頃はテレビカメラはベースキャンプかせいぜい前進キャンプの途中までで、登頂の瞬間を映像で捉えるということはできなかった。登山者自身がハンディカメラで撮影するということはあったが、それもおおおむねわずか数分程度で、頂上からぐるっと周りを映したようなもので、とても映像作品と言えるクオリティのものではなかった。
それにメスナー自身も単独行が多かったので、テレビクルーの同行などは好まなかっただろう。
となると、やはり文章を読んで、そこから自分のイマジネーションを膨らませるという作業が必要になって、おかげで、陳腐な映像よりも楽しめるということになるのかも知れない。
スポーツ選手の著作で言えば、カール・ルイスの著書は出色の出来映えだと思うが、これらはジャーナリストのジェフリー・マークスの力が大きいだろう。選手自身が書いた作品よりも、スポーツジャーナリストのような人が選手のことを記した作品の方に良いものが多いように思う。ただ、メスナーの著書のような『文学作品』と呼べる内容かと言うと、ちょっと違う気はする。どちらかと言うと『伝記』というジャンルに近いように思える。
ブログが普及するようになってから、自分の文章をインターネットに公開する人が飛躍的に増えた。何らかの趣味を持っている人はたいがいそれがテーマになっている。もちろん、ランニングや登山をテーマにしているサイトも数え切れないくらいある。
さほど多くのサイトを見たわけではないのだが、漠然とした印象としては、ランナーよりも登山者の方に内容の質の高いサイトが多いように思える。ランナーのサイトはそのほとんどが単なる練習日誌とレースの結果報告で、それ以外は仲間との宴会や家族の話題などにとどまっている。残念ながら読ませる内容のあるサイトにはあまり出会わない(自分の事は棚に挙げておいて・・・)。
それに較べると登山者のサイトは単にコースの紹介だけでなく、季節の事やその山にまつわる話題などのプラスアルファがある。もちろんすべてという訳ではないけれど。私自身、多少の登山経験があるので、感情移入しやすいという面はあると思うが、スポーツ志向の人と登山を好む人のメンタリティの違いのようなものが何かあるのかも知れない。
私自身は29歳で初マラソンを走って市民ランナーデビューをしてから、かれこれ28年ほど走り続けている。本格的な陸上競技の経験は無く、55歳で地元のクラブに入るまではずっと一人で走ってきたので、ただのジョガーである。でも参加したレースの記録はずっと残しており、タイムや順位などの数字だけではなくて、簡単なコメントも残してきた。
しかし、レースを終えるといつも『何かもう少し中身のある文章を残しておきたい』と思いながらも、いざ書こうとすると結局通り一遍の『キツかった』とか『頑張った』とかいうような陳腐な言葉しか残せていない。
しかし少し考えてみればこれは当然のことかも知れない。登山は短かくても1日。ヒマラヤ遠征などになると何ヶ月にも及び、たとえ1日でも景色や天候の変化もあれば、行動中に得られる情報量もかなり多い。
それに対してロードレースなどは、特に一流選手になるとマラソンでも2時間少々で、しかも景色を眺めている余裕などあるはずも無い。トラックレースなら競技場の中をぐるぐると何度も回るだけ。これで深みのある文章を書けという方が無理な話だろう。
むしろ4時間以上かかって走るようなファンランのランナーの方が味のある文章を書けるのかも知れないが、そういうレベルの人ではいくら文章がうまくても、トップ選手の心境とはまったく異なったものにならざるを得ない。
そういう意味ではランナーのブログの内容が、自己満足と仲間内だけでの盛り上がりのレベルからなかなか脱却できないのは致し方の無いことかも知れない。
しかし、人並みはずれて運動オンチだった私が28年間も走り続けてこられたのは、ランニングという行為にそれだけの魅力があったからで、それを言葉で表現することは不可能ではないはずだ。もちろん、本当の楽しさはやはり自分で体感してみなければわからないものだが、山岳文学を楽しんでいる人がすべて登山者という訳ではないように、自分では走らない人たちが、文章によってランニングの魅力に惹かれるというようなことがあっても良いと思うのだ。ただ残念なことに、そういう事例にはまだ出会ったことが無いのだが。
1000km越え
今年になってからの走行距離が今日で1000kmを越えた。
1月が約550km、2月が450kmだった。昨年の総走行距離が約5300kmで、このところの車での年間走行距離よりも多い。20年以上前の全盛期でおそらく年間6000kmくらいだったと思うので、歳を考えるとよく走っていると思う。
我ながら驚くのは、これだけ走っても故障らしい故障がほとんど無いこと。たまに脚に違和感が出ることはあるが、少しの間、慎重にしていれば、それ以上ひどくなることが無い。
かつては秋の走り込みの時期になるといつも右膝に痛みが出てきて、シーズン中はずっとハリに通っていた。歩くのも痛いくらいの故障に見舞われたことも何度かある。ただ、そういう状態が何ヶ月も続くようなことは無かったけれど。
以前と違うのは、整体を学んだおかげで日常的に脚のマッサージをするようになったこと。それと、ストレッチタイツを常用していることだろうか。それから、質の高い練習やレース、長い距離を走って脚筋疲労が残っている時はアンメルツ(もしくは類似の薬)を塗っていることも多少の効果はあるように感じる。
ストレッチタイツはSKINSのような高価なものではなく、女性用の締め付けタイツをネットで買っている。おおむね1足1500円くらい。暑い季節は膝から上の太腿だけを締めるタイプを使う。これは疲労軽減の効果を感じる。
アンメルツはサロメチールやサロンパスと同じように、サルチル酸グリコールやメントールで皮膚に刺激を与えて血液循環が活発になるようにするもので、筋肉の疲労回復には効果があると思う。バンテリンのようなインドメタシンを配合したものは使わない。インドメタシンは痛みを生み出すホルモンの分泌を抑制するもので、こういうものは身体に害である。
マッサージも、整体を学んだおかげでいくつかの手技を覚えて、自分で手の届く範囲ではうまく筋肉をほぐせていると思う。ただ、スピードを求められるレースの直前はあまりゆるゆるにしないようにしている。力を発揮するためには筋肉の多少のハリは必要なのだ。
風呂上がりのストレッチはまったくやらなくなった。単に面倒というだけで、本当はやった方がいいと思う。ただ、柔軟性を上げるというようなことにはあまりこだわらなくても良いと思う。
そんなこんなでクラブに入って練習の質も量も増えてからも故障無く過ごせているが、肝心のタイムは残念ながら落ちる一方である。一番結果のほしいところで結果が得られていないというのが何とも悲しい。