山田池ジョグ

朝、何となくいつもの時間に起きる気がしなかったので少し寝過ごして、9時半くらいから山田池へ。
キロ6分くらいから入って自然なペースアップで最後は5分前半くらいで約25km。
山田池は木がかなり茂っているので、蒸し暑さはかなりマシだが、それでも徐々に暑くなった。そんな中、クラブの実力派ランナーの人が30km走をやっていた。
右脚のハムストリングの違和感はまだ少しある。ムリしてロングトレイルへ行かなくて良かった。ただ、明日は山田池で練習会なので、どのくらい追い込むか、難しいところ。
給水無しに2時間半ほど走り続けたので、帰ってからはずいぶんノドが乾いた。今日はきっとビールがおいしいだろう。

倦怠感

わかさあじさいマラソンが終わって、少し倦怠感を感じている。身体も少し疲れがたまっているように感じる。
大きな目標だった六甲キャノンボールと鯖街道が終わってしまって、はっきりした目標が無くなってしまった状態だ。
今月末にはマラニックにエントリーしているが、これはタイムを競うようなレースではないし、自分自身は精一杯頑張るつもりだが、そうは言ってもキャノンボールや鯖街道のような気持ちになることはできないと思う。
10月に氷ノ山で約70kmのトレイルレースが開催される予定だが、まだ最終決定していない。
そんなわけで、11月3日の淀川市民マラソンに今年もエントリーした。
明日も天気は良さそうなので、本当ならロングトレイルに行きたいところなのだが、どうも身体が休息を求めているようだ。近場でリフレッシュする程度にしておこうかと思っている。

山田池ジョグ

まるで梅雨明けのような天候!!
本当ならレースの後はフラットな淀川でのんびりジョグといきたいところだが、この天気では日陰の無い淀川へはとても行く気にならない。
と言うことで、今日は山田池の木陰周回コース。アップダウンはあるが、木が生い茂った公園なので、空気が爽やかで気分が良い。
今朝は久しぶりに起床時心拍数が49だった。ただ、日曜日のレースの疲れはまだ少し残っている感じ。
しばらく天気が良さそうで、土曜日はどこに行くか、迷っている。
『ここに行きたい!』という気持ちが湧いてこない時は、近場でのんびりするのもいいかなと思ったりしている。

わかさあじさいマラソン

フルより短いロードレースを本気モードで走るのは、ちょうど1年前のこの大会以来、1年ぶりだった。
結果は1時間34分07秒。昨年より3分遅くなった。
ロングトレイルに力を入れるとロードのスピードが落ちるというのはよく言われることだが、まさにその通りの結果だった。
心拍数は最後までおおむね165くらいだったので、目一杯の走りができたと思う。このところ若干違和感のある右脚ハムストリングが、今日も終盤で少し痛みが出てきたが、タイムに大きな影響は無かったと思う。
これが今の実力なのだ。
徐々にペースダウンはしたが、ラストの1kmは少しだけペースアップできたし、内容的には及第点を与えても良いと思う。
ロードに専念すればもう少しは盛り返せるかも知れないが、それにしたところで自己ベストが更新できる訳でも無いし、一時的に少し盛り返してもそれを継続することはもはや不可能なので、これまで通り、ロングトレイルをメインにしてやっていこうと思う。

『火の鳥』

私は基本的に、フィクションには興味が無い。映画(ドキュメントは除く)やドラマはまったく見ないし、小説も読まない。現実こそがいちばんドラマチックだと思っている。
先日もふとしたきっかけで村上春樹の本を何冊か読んだが、いずれもエッセイのようなもので、結局小説を読むまでには至らなかった。
ところが今、マンガを読んでいる!! それもかなりワクワクしながら・・・。
手塚治虫の『火の鳥』である。
私はちょうど『鉄腕アトム』世代だ。小学生の頃がちょうどブームの最中だった。当然のことながら、アトムのマンガにはまった。
もう少し大きくなってからは『ブラックジャック』。『アドルフに告ぐ』も印象に残っている。もちろん、『巨人の星』や『あしたのジョー』、『タイガーマスク』などにも熱中したが、手塚治虫は他とはちょっと(と言うか、かなり)違う読後感が残る作品だった。
ただ、それほどの手塚ファンという訳では無かったので、超大作の『火の鳥』を紐解くことは無かった。あまりにもイメージが大きすぎて、とても読み切れないだろうと感じていたのだ。
ひょんなことで手塚作品を非常に高く評価している文章に出会って、それなら一度図書館で借りて読んでみようと思った。ちょうどうまい具合に『火の鳥』はほとんどがすぐに借りられる状態だった。
まだ『黎明編』を読み終えたばかりだが、あまりのスケールの大きさに圧倒されている。何と表現したら良いのか、言葉が見つからないくらいだ。
実は昨年の夏に有馬温泉へ行った帰りに、宝塚で手塚治虫記念館に立ち寄った。そこでは手塚治虫の偉大さを再認識させられたのだが、改めてその作品に触れてみると、子供の頃に感じたのとはまったく異なる世界観が感じられて、そのスケールの大きさにはただただ感服するばかりである。
とにかく感心しているだけでは時間のムダである。ぜひ続きを開いてみたいと思う。

半休養日

鯖街道の後、あまり休まずにスピード練習をやったせいか、身体が重く、アキレス腱やハムストリングなどに若干の違和感がある。大したことは無いのだが、日曜日にハーフのレースを控えているので、今日は朝のジョグだけで、夕方は30分ほどの散歩にした。
梅雨入りしてからどんよりして湿度の高い日が続いて、気分も落ち気味になってしまう。
こんな時は思い切って休んで、リフレッシュした方がいいだろう。

シューグー

シューグーは20年以上前に一度使った記憶があるのだが、なぜかそれ以降は使ったことが無かった。特に悪い印象があった訳では無かったと思うのだが。
まだ少し履けそうだが、アウトソールがかなり減ってしまっているシューズを捨てるのがもったいなくて、久しぶりにシューグーを使ってみた。鯖街道やマラニックで使ったアシックスのランニングシューズで、もう2年以上履いている。
もっぱらゆっくりジョグの時に使ってきたが、このところはトレイルシューズを履くほどではないトレイルで出番が多い。ミッドソールがわりとソフトで、トレイルシューズでは走りにくいロード部分でも違和感があまり無い。ただしあくまでもジョギングペースで、スピードに乗った走りにはソールが厚すぎる。
結果的にはなかなか快適である。これならまたしばらく履けそうだ。
ついでに、あっという間にソールが減ってしまった安物のサンダルも修理してみたが、これもなかなかうまくいった。
結構お勧めですよ!

枚方春季総体観戦

今日は競技場で開催された、春季総体を見に行ってきた。クラブの仲間が出場する 3000m と 5000m を観戦してきたが、暑くて走るのは大変だったと思う。
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ここ2年は私も 5000m に出場してきたが、ローカルな大会にしてはレベルが高くて、競技時間が20分しか割り当てられていない。多少は遅くても最後まで走らせてもらえるが、先頭に2周ほど抜かれて最後尾をよろよろ走るのはなさけないので、今年は止めておいた。たぶんもう走ることは無いだろう。
トラックのレースは自分で走るよりも見るに限る!

競技場レペティション

今日は競技場での練習会で、久しぶりに 3000m + 2000m + 1000m のレペティションをやった。個人的には一番キツいメニュー。とても一人ではできない練習だ。
最初の 1000m が 4’06” で、そんなものかなという感じ。後は 4’02″、3’59” で、徐々にペースアップできたのが良かった。ラストはギリギリの3分台だったが、体感よりは良かった感じ。
次は入りが 3’56” で、さすがにこれはペースが速すぎて、次は 4’04” にペースダウン。
ラストは舌がしびれながら 3’46” で、これは満足。
鯖街道からまだ1週間という時期としてはよく走れていると思う。水曜日のナイターでインターバルをやったせいで、速いスピードに少し身体が慣れてきたように感じる。
さて、来週の若狭あじさいのハーフはどうなることか?

三浦雄一郎さん、エベレスト登頂

三浦雄一郎さんが80歳でエベレストに登頂された。
素晴らしいことだと思うと同時に、無事の下山を祈らざるを得ない。山は登ることよりも下ることの方がはるかに難しいのだ。山岳事故の大半は登りよりも下りで起こっている。
日本人として初めて植村直己さんがエベレスト登頂に成功されたのは1970年。私が15歳の時だ。中学校のクラブ活動でワンダーフォーゲル部にいたので、こういう出来事には非常に関心があった。
しかしその時に私がもっと興味を抱いたのは、同じ時期に同じエベレストで、サウスコルの8000mからスキーで滑降した三浦雄一郎さんの方だった。
誰も歩いたことの無いウェスタンクウムの斜面を双眼鏡で確認しただけでスキー滑降。パラシュートを開いてブレーキにするも、転倒して何百メートルも滑落した。急斜面をゴムまりが落ちていくような映像は、今もかすかに記憶に残っている。
世界的に注目されたのは日本隊の登頂よりも、むしろ三浦さんのスキー滑降の方だった。転倒したことなどまったく問題にならず、三浦さんのアドベンチャースピリットは最大限の賛辞で評価されたと思う。
転倒して滑落しながら、三浦さんは『人生は夢だった』と思ったと著書に書かれている。この時、三浦さんは37歳だった。
そして80歳になられた今、まだ夢を追い続けられている。
私の部屋には『夢 いつまでも』と書かれた、三浦さんにいただいた色紙が飾ってある。私の大切な宝物だ。
私は私なりのレベルでまだ『夢』を追っている。しかしその『夢』は必死になって探したものではなく、自然に湧いて出てきたものだ。『夢』が自然に湧いて出てくる間は、前向きな気持ちで走り続けていられるだろうと思っている。
願わくば人生を終える時も『夢』を持ち続けていたいと思う。人生に満足して終わるよりも、やりたい事を残して終われる方が実は幸せなのではないかと感じている。