帯広、平取、苫小牧

10/21(火)はいよいよ最終日。夜のフェリーで敦賀に向かう。

まずは帯広へ。

幸福駅は以前に一度訪れたが、今回は愛国駅に行ってみる。

幸福駅と違って閑散としている。

このあたりは愛国町という地名なのだが、どうしてこんな町名になっているのかと言うと、

幸福駅にはディーゼルの車両が置かれていたが、ここはSL.

そして、帯広と言えばモール泉が有名。丸美ケ丘温泉ホテルにやってきました。

泉質そのものはアルカリ性単純温泉なのだが、植物性の有機物を多く含んでおり、薄黒く濁っている。とてもやさしい肌触り。

低温の源泉浴槽もあって、気持ちよくゆったりできた。たったの500円。

その後、近くのそば屋で天ぷらそばをいただいたが、とてもおいしかった。

そして日高の二風谷コタンに向かう。

ここに立ち寄った目的はお土産。アイヌ文化博物館は二度来ているし、4時半閉館ですでに4時なので、コタンの入り口あたりからざっと眺めるだけ。

それよりもぜひ再訪したかったのは義経神社。

前回来た時はナビで上の駐車場に停めたので、表参道は歩いていない。

今回もナビで走っていたのだが、たまたま表参道の正面を通りかかったので、すぐそばの駐車場に停めた。

駐車場にはイザベラ・バードの碑が立っていた。

石段を上がって義経資料館へ。前回来た時は休館日で入れなかった。

ネットでは午後5時までとなっていたが、来てみたら玄関に3時までと書かれていた。が、玄関は開いていた。入館料200円を箱に入れる。

なかなかきれいに整理されている。

義経の伝説の残る場所は東北、北海道に100箇所くらいあるが、ここもその一つ。

津軽半島にも義経寺(ぎけいじ)があった。

本殿は立派。

御神体は義経像のはずだが、祭壇には鏡が置かれている。

塩狩峠に碑のあった近藤重蔵がここにも登場してきた。

結構いい時間になってきたのでフェリーに乗る前の定番の苫小牧の「なごみの湯」に向かった。

今日は平日なので迷わず食事の付いたセット1680円なり。来るたびに値上がりしているような気がする。

9時過ぎまで休憩室でのんびりして、マックスバリュでビールと翌朝のパンなどを買ってからフェリーターミナルに行った。

フェリーには小さなシアターが設置されていて、いつも翌日午後に90分程度の映画を2本上映しているのだが、たいがいアニメやアクションものなど興味のないものばかりなので、一応プログラムはチェックするものの見たことはなかった。

しかし今回はボブ・マーリーの映画だったので、初めて鑑賞した。ただし時々居眠りしていた。

釧路湿原2日目

10/20(月)は釧路湿原の展望台めぐり。

道の駅の前には太平洋が広がっていた。

まずは昨日2回ほど通った道を引き返してコッタロ展望台へ。

この建物の中を通り抜けて階段を上がる。

意外と長い階段。

5分ほどで展望台へ。

釧路湿原北部のコッタロ湿原を見下ろす。

この展望台から先の笹藪に踏み跡があったので行ってみたが、木が繁っていてあまり展望は得られなかった。

月曜日の朝早くだが数人の人がやってきた。

次は林道を走ってシラルトロ湖に向かう。

途中、釧路川に接するところにカヌーの入水場所があった。

シラルトロ自然情報館へ。

ビデオを見て時間潰し。

シラルトロ湖畔ではあるけれど、湖はあまりいい感じには見えないので、車で少し戻ったところにある展望場所から眺めた。

釧路湿原には湖や沼がたくさんある。釧路湿原のあたりは大昔は海だったのだが、だんだんと水が退いていって湿原になった。その時に水の残ったところが湖や沼になっている。

次はサルボ展望台とサルルン展望台へ。

車道脇の駐車スペースに車を停めてサルボ遊歩道を行く。

10分足らずでサルボ展望台へ。

雌阿寒岳。

お次はサルルン展望台へ。

足元にサルルントー(手前)と塘路湖(奥)。

次は塘路湖エコミュージアムセンターへ。

ここへ来るのは2回目だが、前回は雨だった。

ビデオを見て時間潰ししたが、どこか他の施設で見たのと同じプログラムだった。

今回は好天なので散策路を歩いてみる。

縄文時代の遺跡(マサコヤノシマ遺跡)がある。

そばにある標茶町博物館は休館日だった。

そして前回は雨で何も見えなかった細岡展望台に向かう。

途中の道でこんなシーンに出会った。

キタキツネはこれまで道路に出てきているのを何度も見ているが、こんなにのんびりしているのに出会ったのは初めて。バックの音はラジオ。

駐車場に車を置いて、まずはビジターズラウンジで時間潰し。

ここの前から少し下ったとこに釧路湿原駅がある。

以前に電車旅で停まったはずだが駅舎の記憶は無い。

細岡展望台からのパノラマ。

雌阿寒岳(正面)と雄阿寒岳(右)。

今日は釧路湿原をぐるっと回って展望台めぐりをしたが、いずれの展望台も見える景色が異なっていて飽きることはなかった。

今日は実質、北海道最後の夜なので、グルメを楽しもうと思って釧路のビジネスホテルに泊まることにした。

暗くなってから街に出かけたが、ある程度下調べはしてきたものの、なかなかここならと思える店に出会えず、入ったのは実はチェーン店のような店だった。

釧路湿原1日目

天気予報では 10/19(日)は悪くなさそうなので、西別岳に向かうことにした。

真ん中のどれかが西別岳で、右がカムイヌプリ(摩周岳)だと思う。

西別小屋に行く林道に入ると、ニセイカウシュッペの時のような未舗装の細い道で、しばらく進むとロープが張られてそれ以上進めなくなっていた。

落ちていたフダを見ると、林道決壊の恐れがあるので通行止めとのこと。

仕方なく諦めて、明日の予定だった釧路湿原へ向かうことにした。

1時間半ほど走って、鶴居村のタンチョウサンクチュアリへ行った。

もっと立派な施設を想定していたのだが、思いの外小さな建物で、展示室は一部屋だけ。それもあまり細かな解説などはなく、土産物がいくつか並んでいる程度。

他には誰もいないので職員の方がいろいろと説明して下さった。

タンチョウというのは冬場にどこかから飛んでくるのかと思っていたのだが、そうではなくて、おおむねこのあたりのエリアで一生を過ごすらしい。

冬場はエサが取れないので給餌していて、それに寄ってくるシーンが有名なのだが、それ以外の季節は畑の雑穀や川魚などを自身で食べている。

運が良ければ今でもこのあたりで見ることができるらしい。

釧路湿原のパンフレットをいただいたのでそれを見て、キラコタン岬に行ってみようと思った。

農道のような道をしばらく走っていたら、広大な畑のようなところにタンチョウの群れがいた。

のんびり道路を渡ったりして、いたって平和な感じ。

さらに先に進んだところではこんな光景も。

キラコタン岬の入り口はわかりにくかったのだが、ようやく見つけたところ、

許可を取らないと中には入れないとのこと。

おそらく勝手に入っても見つからないだろう。しかしこんな歳になって恥ずかしいことはしたくない。大きな山の山頂の手前で引き返すわけではないので、あっさり諦める。

タンチョウサンクチュアリで教えていただいた、湿原を散策できるという「温根内(おんねない)ビジターセンター」に向かう。

その途中で音羽橋に立ち寄り。

今、釧路湿原のメガソーラー開発の事案が問題になっている。鶴居村では新規開発を阻止するために、このあたりの土地を村で買収しようとして基金を募っている。私もわずかながら募金した。

橋の上から雪裡川を見下ろす。

メガソーラーの件は業者と北海道庁に何らかのつながりがあるのではないかと疑われていて、鈴木知事やめろデモが連日のように行われている。

ビジターセンターに到着した。

こちらは立派な建物で、中の展示なども充実していた。

暖かい建屋の中でビデオを見たりしてのんびりしてから散策路に出た。

ほとんど木道になっているが、一部土道の大回りコースを歩いた。

この土道の部分は鶴居村営軌道というもので、大正時代から1968年まで運行されていた簡易軌道の跡。

ガマの穂。

その後、鶴居村の HOTEL TAITO へ。

ここは pH 9.19 という強アルカリ性の、いわゆる「美人の湯」。いいお湯でした。入浴料700円なり。

道の駅で検索したらこの近くに一箇所ヒットしたのだが、行ってみたら土産物とレストランのような施設で、夜にトイレが使えるような場所ではない。

結局、釧路から少し西に行った「道の駅しらぬか恋問館(読み方不明)」に行った。わりと新しい施設のようで、トイレも立派できれいだった。

野付半島

週末は天気が崩れるという予報だったので観光で過ごすことにする。

10/18(土)はまずはこれも今回の大きな目的地の一つだった相泊温泉に向かう。

相泊の末端までは以前に一度行っているが、その頃は温泉のことは知らなかった。

ここも昨日と同じく地元の漁師さん御用達の温泉なのだが、それらしい建物が見当たらない。

たまたま近くにおられた地元の方に尋ねてみたら、相泊温泉はシケでなくなっているとのこと。

仕方ないので引き返す。

少し戻ったところに瀬石温泉というのがあったが、ここも今は使えなくなっていた。

近くの浜辺にカモメがたくさんいた。

羅臼へ戻って、羅臼国後展望塔へ。

ここは北方領土返還を啓発するための施設。ヒカリゴケが展示されているという情報を見てやってきたのだが、それは見当たらなかった。

屋上の展望台に上がってみたが、今回は国後島は見られなかった。

が、反対側に雲の切れ間から羅臼岳がチラッと見えた。

お次はこれも今回の目的地の一つの野付半島に向かう。

ここは全長20数キロメートルにわたる日本最大の砂嘴で、一帯がラムサール条約に登録されている。

「野付」の名はアイヌ語の「ノッケウ」(下顎)に由来している。砂州の形状をクジラの下顎になぞらえて付けられたものとか。

道の左右両方が海という風景がしばらく続く。

車道の終点からは砂利道を歩く。

野付崎灯台。

野鳥の観察小屋があった。

カモ。

20分ほど歩いたが、先端はまだまだはるか先なので、このあたりで引き返す。

駐車場から少し戻ったところにあるネイチャーセンターで時間潰し。

展示物が充実していた。

野付半島は雪の季節に再訪してスノーシューで歩いてみたいと思った。

そして今日の温泉は「尾岱沼(おだいとう)温泉シーサイドホテル」へ。入浴料600円。

セイコーマートで買い物をして、「道の駅おだいとう」に車を停めた。

阿寒湖、川湯温泉

10/16(木)は移動のみで阿寒湖に向かう。

温泉は、宿に泊まった時のいつものパターンで夕食前、夕食後、朝と3回楽しんだ。

山奥の温泉宿にしてはめずらしく一人用の部屋がいくつか用意されていた。

まずは携帯の通じる場所まで行って、今回の大きな目的の一つであるシマフクロウの見られる羅臼の民宿に電話を入れた。

運良く明日の夜の予約が取れたのでほっとして阿寒湖に向かう。

いつもの上の駐車スペースに停めることができた。すぐそばに劇場のアイヌシアターイコロがあるが、料金が高いのでトイレしか入ったことがない。

ここに来た目的はお土産の購入。手工芸品の店がたくさん並んでいるのでひとまず一通り眺めてみる。

一旦、坂の下まで。

手頃な値段のものをいくつか購入してから阿寒湖畔へ行った。

それにしても今日も寒い。

このあたりの食べ物屋はなぜかどこも店頭のメニューに価格が書かれていない。

以前に二度入った店に行ってみたら営業していなかった。

その後、弟子屈の道の駅に行った。ここもこれまでに何度か来たことがある。

道の駅なら食べるところくらいあるだろうと思って入ったが、レストランのような店は無し。売店のぶたまんで昼食にした。普通のぶたまんよりは少し高かったが(400円?)、おいしい具がたっぷりで満足できた。

今日はここに泊まる予定だがまだまだ時間があるので、行ってみたかった川湯温泉に向かう。

温泉では有名な川湯温泉ホテルに入った。入浴料1000円なり。

PHが約1.8という強酸性の湯で、ぬるぬるしていかにも濃い温泉という感じ。ぬるい浴槽もあって、たっぷり堪能できた。

セイコーマートで買い物をしてから弟子屈の道の駅に戻った。

夕方から雨になった。

塩狩峠、川村カ子ト記念館

今朝は一段と寒かった。気温0度。

10/13(月)は月曜日だけれど祝日。一息入れて観光で過ごすことにした。

まずは塩狩峠へ。昨年の2月に特急列車で通過したが、ぜひゆっくりと再訪したいと思っていた。

もちろん無人駅。

ちょうど旭川行きの列車が停まっていったが、乗降客はゼロ。

そばには列車事故で亡くなった長野政雄氏の碑がある。

すぐそばにはユースホステルがある。

少し丘を上がったところに塩狩峠記念館があるが、月曜日は休館日(後から調べると祝日の場合は開いているようだが、この時は閉まっていた)。

三浦綾子夫妻はしばらくここに住んでいたもよう。

そばには公園がある。昔は塩狩温泉という施設があって、それなりに繁盛していたらしい。

江戸時代に近藤重蔵が蝦夷地探査の際にこのあたりを通過した。

車道沿いに小さな店があるが、たぶん営業していない。

今回は温泉旅なので午前中から「遊湯ぴっぷ」へ。入浴料700円。午前中だったがそれなりの客がいた。

光明石の湯とのことで「塩化カルシウムや塩化カリウムなどの成分により、 さまざまな効能を発揮します」とある。昨日と同じく、本当の温泉ではないもよう。

お昼はラーメンを食べて、川村カ子ト(かわむらかねと)アイヌ記念館に向かった。

川村カ子トは旧国鉄の測量技手を勤めながら、アイヌ文化の啓発・普及に寄与した。

父の開いたアイヌ博物館を「川村カ子トアイヌ記念館」として拡充させた。

二階建てで展示内容は立派だったが、入館料800円はこういう施設にしてはなかなかの値段。ちょっとしたアクセサリーなども売っていたがわりと高そうに感じた。

クリアファイルを買ったが、だいたいこういうのは300円くらいなのだが、ここのは600円もした。

私の他には入場者は誰もいなかった。

その後、久しぶりにコインランドリーへ行った。

祝日のせいか混んでいて、最初に行ったところは満杯だったので別のところへ行ったらかろうじて1台だけ空きがあった。小型機だったが乾燥込みで1300円もした。

コインランドリーで時間がかかったので夕方の温泉はやめて、またスーパー経由で道の駅に帰った。

途中、昨日見つけた安いガソリンスタンドで給油した。

北海道へ

例年10月後半には北海道か東北に出かけている。

今年の10月は毎月第3日曜日の講座が第4日曜日になったせいで中旬に長い空きができたので、これを利用して北海道へ行くことにした。

10/8(火)夜のフェリーで敦賀から苫小牧に向かう。

翌日の夕刻に津軽海峡を通過するのが楽しみで、今回も竜飛崎を望むことができた。

いつか雪の季節に竜飛崎を再訪してみたい。

しばらく進んで大間崎。

恵山岬は日が暮れて見ることができなかった。

定宿のウトナイ湖の道の駅に車を停めた。

思いの外、寒い。

高校野球女子選抜 vs KOBE CHIBEN

昨年はチケットが取れなかったこの試合、今年は何とか自由席券(2000円)が入手できたので、8/31(日)の朝に新幹線で名古屋に向かった。

野球観戦は本当に久しぶりで、前回は息子が大阪桐蔭高校に通っている時に高校野球観戦で甲子園に行った時で、十数年前だろうか。

名古屋で中央本線に乗り換えて名古屋ドームの最寄駅の大曽根駅で下車。

酷暑の中、15分ほど歩いて名古屋ドームに到着した。

試合開始は午後1時半だが開場は11時。10時半頃に到着したがすでに大行列で、本当にこんなに入れるのだろうかと心配になるくらいだった。

昔、甲子園に行った時は確かアルプス席はベンチシートに番号のシールが貼ってあるだけだったように思うのだが(改装前)、名古屋ドームは個別の椅子になっていた。

昨年の試合もそうだったが、なぜか外野席は客を入れていない。

外野席は応援のブラスバンドだけで、レフト側は松井秀喜出身校の星稜高校のバンド。

そしてライト側はイチロー出身校の愛知工業大学名電高校のバンド。

試合前のフリーバッティングは元メジャーリーガーの4人だけ。

イチローは何本がスタンドに放り込んでいたが、松井秀喜と松井稼頭央はフェンス手前まで。本職がピッチャーだった松坂大輔は外野フライ程度で、日頃の練習量の違いが如実に現れていた感じ。

女子チームの練習での守備のうまさには驚いた。男子チームの平均レベルくらいにはあるのではないだろうか。

内野ゴロのショートバウンドの処理やファーストへの送球の素早さなど、ビデオで見るのと生で見るのとでは全然違った。

いよいよ試合開始。

始球式では女子中学生のピッチャーが投げたのだが、これも驚きのスピードボールだった。タレントの始球式とは次元が違う。

女子チームの先攻で、イチローの初球がいきなりのデッドボール。それほどひどい当たり方ではなかったのでイチローもほっとしたと思う。

次のバッターは三振に打ち取ったものの、その次のバッターにまたもやデッドボール。これはユニフォームにかすったくらいで、バッターが球審にアピールして認められた。

これはおもしろくなってきた。イチローは「ボコボコにする」と意気込んでいたが、個人的にはイチローがボコボコにされるのを期待していた。

そして4番バッター。

いい当たりだったがサード正面でダブルプレー。あっけなく初回が終了した。

1回裏、イチローの第1打席。

セカンドゴロでした。

松井稼頭央がレフト前ヒットで出塁したが松坂大輔はフライアウト。

そして4番の松井秀喜。

何と、空振りの三振でした。場内大歓声。

3回裏の KOBE CHIBEN はイチローと松坂を塁に置いて松井秀喜がまさかの2年連続のホームラン!!

試合前のバッティング練習ではさほどいい当たりが出ていなかったのだが、さすがと言うか。試合後のインタビューでイチローが「こういう人っているんですよね〜」とあきれていた。

試合は 8-0 で KOBE CHIBEN の一方的な勝利。イチローは6回までノーヒットノーランだったが、それを意識した(本人の弁)7回にヒットを打たれてがっくりしていた。

女子チームの打撃に期待していた私としては物足りない内容だったが、久しぶりの野球観戦を楽しむことができた。

ただ KOBE CHIBEN は若い元プロ野球選手もいたりして、もう少しチーム力のバランスを考えないと試合としてはおもしろくならないと感じた。

イチローはピッチャーで 130km 台のストレートを投げるのだが、女子選手はせいぜい 120km くらいで、彼女らは普段の試合でこんな速球に出会ったことがないはず。並の男子チームと対戦しているようなものだろう。

引退した元メジャーリーガーを並べるのも集客という意味では楽しいが、もう少し試合そのものが楽しくなるようなメンバー編成を考えた方がいいのではないかというのが正直な感想でした。

灘温泉

神戸市の灘区に天然温泉があるということを最近知った。

ここは街中の普通の銭湯なのだが、温度の低い源泉そのまま(30度くらい?)という浴槽もあるらしい。私はこういう低温の源泉が好きで、富良野のフラヌイ温泉や木曽の桟温泉などが気に入っている。

8/6に大阪に用事があったついでに足を伸ばして、灘まで行ってきた。

阪神電車の新在家駅とJRの六甲道駅の間にある。

こちらは六甲道店で、一駅ほど西に水道橋店がある。

入浴料490円なり。

平日の午後だがそれなりの入浴客だった。

期待の源泉そのままの浴槽は小さくて二人しか入れない。こういうところは長い時間浸かっているうちにじわっと汗ばんでくるというのが快感なのだが、これではそういうわけにはいかない。

満足度80%という気分で酷暑の中を帰ってきた。

沼島

7/24(木)は今回の旅のメインイベントの沼島(ぬしま)へ。

灘漁港へ向かう途中の道から。

ターミナルに到着した。

時刻表の発着港を見間違えていて、出港が10時半になってしまった。

島まではほんの10分ほど。

上陸。

島の観光案内図。

いちばん外側のピンク色のルートが一周コースで、約7.9km、標準時間4時間とのこと。

ターミナルで準備を整えて、10時45分に出発した。

案内には標識が整備されているので迷うことはないと書かれているが、そんな標識はどこにも見当たらない。

右の坂道を上らなければならないのだが、少し行き過ぎてから戻った。標識はリゾートホテルのもの。

しばらく登るとハイキング道らしくなってきた。

それにしても暑い。日除けの薄い長袖ジャケットを羽織っているが、すでに汗でじっとり。おおむね木陰になっているのがせめてもの救い。

ところどころに捕獲用の檻。イノシシだと思う。

45分ほど歩いて初めて道標に出会ったが、倒れている。

草刈りなどの手入れはされているが、歩いている人は極めて少ない感じ。

八十八ケ所の霊場のお地蔵さんが出てきた。明治時代に整備されたらしい。

沼島灯台。

山ノ大神社への鳥居。足元は草が茂っていて、短パンで来たので神社までは行かず。

12時過ぎに上立神岩(かみたてがみいわ)の近くまで来た。いびつな交差ポイントなのだが標識は何も無し。

上立神岩は海なので下っている方に向かったが、実は反対だった。GPSでしっかり確認しないといけない。

少し登ったら展望場所に出た。

ここからは上立神岩は見えないので、海岸の方に下っている細い道を下ったら、ようやく上立神岩がお目見えした。

『伝説によると、イザナギとイザナミの2柱の神がオノゴロ島に降り立ち、イザナギが左から、イザナミが右から天の御柱(あめのみはしら)を回って婚姻を行おうとしたが、その方法を知らないことに気づいた。そのときセキレイが2羽舞い降りてきて、付近にある「ゆるぎバエ」(揺波培)という岩礁の上にとまって尾を上下に揺すってイザナギとイザナミに方法を教えたとされ、上立神岩が天の御柱のモデルであるといわれている』(Wikipediaより)

上立神岩のそばまでは行けない。道の最終地点から。

その後、30分ほど歩いたら道標が現れた。

今日のコースの最終目的地はおのころ神社で、そこに直接行ける道があるもよう。しかしそうすると一周コースの最後をカットすることになってしまう。

今日のコースはさほどハードではないけれど、半端ない暑さにはかなりやられている。

どうしようかと迷ったが、もう最後なので一周コースを完歩することにした。

その後、10分少々で海辺まで出てきた。

しばらく歩くとおのころ神社への案内板。

実は他に立派な表参道があるのではないかと思いながら細い道を上ると長い階段が現れた。

熱中症一歩手前のような状態でこの階段は厳しかった。途中で一息入れながらやっとの思いで上がった。

拝殿を回り込んで本殿へ。

すぐそばにイザナギとイザナミの像。

水分補給したかったが、立ち止まるとアブが寄ってくるので、早々に退散した。

沼島八幡宮の石段は上がる気になれず。

神宮寺も下から眺めるだけ。

ちょっと頭がぼぉっとしてきたので冷房の効いたターミナルに早く入りたいと思ってきた。

ところがそのせいか、ターミナルの真ん前を通ったのに気が付かずに先に進んでしまって、何やら見覚えのある風景。

GPSで確認したらやはり朝に歩いた道だった。

2時前に無事、ターミナルに戻ってきた。

2時40分の便で淡路島に戻る。

灘漁港に戻ったら港の近くの小さな店でお好み焼きをいただいた。地元のなじみ客だけがお客さんというような雰囲気の店で、私が入った時は他の客はゼロ。

少ししたら馴染みという感じの男性が入ってきて店の女主人と世間話を始めた。

そういう和やかな雰囲気になったせいか、デザートにコーヒーゼリーとアイスコーヒーをサービスしてくれた。

具たっぷりのミックスお好み焼き800円でした。

沼島一周で結構疲れたので、帰りはすんなり高速で帰ることにした。

淡路のサービスエリアでお土産を購入。行く前に見ていた、サービスエリアにあるという石碑はここにありました。

中国吹田ICまではスイスイだったが、それ以降は家までほぼずっと渋滞だった。