磐梯山

10/27(日)はどこにするか最後まで迷った。

4月に東吾妻山には登ったが、登っていない西吾妻山に行って吾妻山両山クリアということにするか、はたまた有名な磐梯山にするか。

磐梯山はあまりにも有名なのでこれまではさほど興味が湧かなかったのだが、ちょっと調べてみると実は火山で、私好みの火山地形が味わえそうで、それに惹かれて磐梯山に行くことにした。

4月にも車で通った八方台登山口の駐車場は、7時半ですでにほぼ満杯状態だった。

7時50分に駐車場を出発した。登山口は駐車場のすぐ向かい。

好天の日曜日なのでハイカーが多い。20分ほど登ると磐梯山の頂上部が望めた。

中ノ湯跡。硫黄の匂いが漂っていた。

後ろに西吾妻山から東吾妻山にかけての全景が見えてきた。

出発して1時間20分ほどで弘法清水へ。清水には帰路に立ち寄ることにする。

さらに登ると背後に噴火口壁と、後ろには吾妻山連峰。

山頂は混雑していた。

9時半に山頂(1816.2m)に到着した。

山頂からのパノラマ。猪苗代湖は半分雲海に覆われていた。

山頂直下に小屋があったが、営業していなかった。

写真を撮ったら早々に下山。

弘法清水で湧水を一杯。定期的に水質検査をしているので安全とのこと。

すぐそばには営業小屋が二つある。

湧水の前に岡部小屋。

斜め向かいあたりに弘法清水小屋。

どちらもメニューが出ているが価格は書かれていない。いずれにしても飲む気はないけど。

下山はまずは北側の旧噴火口の方に向かう。

期待通りの光景。

振り返るとあれが天狗岩?

これから辿る尾根。右は櫛ヶ峰だがここには登らない。

右手に火口壁を眺めながら樹林帯を急激に下る。

弘法清水から1時間弱で火口原まで下りてきた。

今度は左手に火口壁を眺めながらしばらく樹林帯を行く。

スキー場への広い道に合流した。

ほどなくスキー場のトップへ。桧原湖が見下ろせる。

スキー場から15分ほどで銅沼(あかぬま)へ。

出発して4時間ほどになったのでここでおにぎり休憩にした。

ここから標高差で200mほどの登り返しだが、30分ほどで往路の道に合流した。

そして午後1時前に登山口に戻ってきた。

早朝に来てさくっと登って下りる人が多いようで、駐車場の車は半分くらいに減っていた。

さて、明日以降どうするか?

行動食の残りを食べながら天気予報を調べてみると、明日以降は天気が崩れる予報。

これまで予想以上にスムーズに行程をこなせてきたので、このあたりでお終いにするのが安全だろうと判断した。

ということで帰路に向かうことにする。

温泉は坂下の洲走の湯にした。

山の中でまわりは畑以外何も無いようなところで、本当にこんなところに温泉があるかと疑うような場所だったが、本当にありました。

浴槽は定員3〜4人程度の小さなもので、訪れるのは地元の人が大半かも。私が入った時に入っておられたもう一人の高齢の方はいかにもそういう雰囲気だった。

無色無臭のお湯だが、肌触りはぬるっとしていて、間違いなく温泉。何日か滞在して湯治するにはいいのではないかという感じのお湯だったが、近くには店も何もない。

コアな湯治マニアならお気に入りかも。

その後、会津坂下のインターチェンジから高速に入ってから新潟のサービスエリアで一夜を明かして、翌日の昼過ぎに無事帰宅した。

森吉山

10/22(火)は森吉山(もりよしざん)へ。

フェリーはほぼ定刻の午前5時過ぎに秋田港に到着して、登山口のこめつが山荘に向かう。

途中、コンビニで朝食のパンを買ったり、コーヒーを飲んだりして、8時頃に駐車場に到着した。

準備を整えて8時20分に出発した。山荘の前を通って登山道に入る。

出発して1時間ほどで展望の開けた一ノ腰に到着。

山頂まではあと1時間くらいだろうか。

ほどなく雲嶺峠。帰りはここから別ルート(右方向)で下山の予定。

15分ほどで森吉神社避難小屋。

奥に森吉神社。

なかなか立派です。

神社の後ろには冠岩。

少し行ったら阿仁コースと合流した。阿仁コースは標高1100mあたりまでゴンドラで上がれる。写真は合流した先から振り返って写したものなので阿仁コースは左方向。

ちょっとした湿原がある。

阿仁避難小屋。このあたりから人が多くなってきた。

平日だが快晴のせいかハイカーがたくさん。

だいぶ山頂に近づいてきた。

10時25分、森吉山山頂(1454.2m)に到着した。

360度のパノラマ。岩木山、八甲田山、八幡平、岩手山、早池峰山、月山、鳥海山、ぜんぶ見えた。

山頂は風が強かったので、写真を撮ったら早々に下山。

小一時間で雲嶺峠に戻ってきて、予定通り松倉コースに入った。

道ははっきりしているがあまり歩かれていない様子。

50分ほどで林道に降り立った。

ここから30分足らず、林道を少し登り返して、こめつが山荘に戻ってきた。

下山後の温泉は阿仁前田温泉駅に併設されているクウィンス森吉へ。

入浴後にレストランで食事を取ろうと思ったが、昼食は午後2時までとのこと。20分ほど過ぎていたので諦めて田沢湖に向かう。

途中の道の駅で食事でもと思ったが、ここも昼食は2時までだったので、結局山用の行動食の残りで小腹を満たした。

田沢湖には午後4時過ぎに到着した。

田沢湖は海面下の深さが日本で一番とのこと。

2年前の4月に来た時と同じ駐車場に車を停めた。

東北へ

東北の山はこれまでに2回行った。

いずれも4月で、山スキーが主目的だったが、近年の雪不足で途中で雪が切れて敗退となったり、時間切れで山頂まで行けなかったりした山がいくつかある。

これらの山々に対してそれほど強い執着があるわけではないのだが、何となくすっきりしない思いは残っている。

そこで今回、これらの山々に決着をつけるべく、初めて無雪期の東北に出かけてみることにした。

まずはフェリーで秋田へ。

敦賀出港で新潟、秋田経由、苫小牧行きという便は週に一便しか運行されていない。

10/21(月)の早朝に家を出て、2時間ほど走ってから途中で朝食をとって、8時過ぎに敦賀港のフェリーターミナルに到着した。

定刻の9時半に出港した。秋田到着は翌朝5時の予定。

しばらく能登半島のそばを進む。見えているのは福井県。東尋坊が見えているはずなのだがどのあたりかよくわからない。

朝が早いので早めにベッドに横になったが、なかなか寝付けなかった。

関門トンネル人道、壇ノ浦

9/28(土)は最終日。

山陰本線も完走したので最後のおまけで関門トンネルの人道に行ってみる。

下関駅からバスで御裳濯(みもすそ)川まで行く。バスターミナルは大きくて立派。

10分ちょっとで御裳濯川に到着した。

橋は高速道路の関門橋。

人道の入り口はここから見えるところにある。

エレベータに乗って地下に降りる。通行は無料。自転車は20円だが料金箱が置いてあるだけ。夜間は閉鎖されている。

ここから県境まで400mの緩い下り。県境から門司側までは380m。

ジョギングしている人もいる。自転車はもちろん押し歩き。

のんびり歩いて10分ほどで門司側に到着した。

上に上がって下関側を眺める。

そばに和布刈(めかり)神社。

ここでは散骨ができるもよう。

下関に戻って、関門橋のふもとにある壇ノ浦古戦場址へ。

源義経と平知盛の像。

壇ノ浦の戦いは、そういう名称の大きな戦いがあったということは知っていたけれど、詳細はほとんど知識がなかった。今回、ここを訪れることになったのでにわか知識で少々調べた。

数え年で8歳(満6歳4か月)だった安徳天皇が祖母にあたる二位尼(にいのあま、平時子)に抱かれて入水した場所。

母である建礼門院(高倉天皇の中宮)も入水しているが、義経側の兵に引き上げられて、晩年は大原の寂光院で隠棲した。入水はしていないという説もあるとか。

そして安徳天皇を祀った赤間神社へ。

安徳天皇の陵。

さすがに天皇を祀った神社だけあってきれいだった松陰神社よりもさらに立派。

豪華です。

そばには耳なし芳一の「芳一堂」。この物語はこのあたりにあったと言われる阿弥陀寺が舞台になっている。

その横には平家一門のお墓。

その後、バスで下関駅に戻って、さらに山陽本線で新下関駅に行った。

新幹線の新下関は各停しか止まらないのでかなり待たされて、ようやく岡山行きのこだまに乗った。見たことのない車両だった。

徳山でさくらに乗り換えて新大阪に向かって、午後の早い時間帯に帰宅することができた。

山陰本線、松蔭神社

9/27(金)は山陰本線で下関まで行く。

山陰本線の山口県エリアは本数が少なくてなかなか大変と言われている。おまけに昨年夏の大雨で路線の一部が損傷して不通になっており、不通区間は代行バスの運行になっている。

いずれにしても1本ですんなり下関まで行くことはできないので、萩で時間潰しをしながらのんびりと向かうことにした。

9時半頃の普通列車で東萩まで行く。益田から先は普通列車しかない。

2両編成になっている。私が乗った車両は私一人で、もう一方の車両も誰も乗ってきた気配がなかった。

海岸沿いを走る。このあたりは海岸のゴミがなくてすっきりしている。

最終的に数人くらいの乗客で、益田から1時間15分くらいで終着の東萩駅に到着した。

萩は萩焼で有名だが、実は明治維新にゆかりのある人物の関連地がたくさんある。

もうちょっと観光地っぽい街かと思っていたが、そういう雰囲気はまったくなかった。もう一つ先の萩駅はどうなのだろうか。

15分ほど歩いて吉田松陰を祀った松陰神社に到着した。

吉田松陰は名前こそ知っているもののどういう人物だったのかはあまり知識がない。ただ、松浦武四郎と付き合いがあったようで、武四郎のことを書いた本で何度か見かけた。

松下村塾は有名なので知っている。

ただし松下村塾は松蔭が開いたものではなく、別の人物が始めたものを引き継いだ。指導していた期間もわずかだが、その中からは明治維新に大きな影響を及ぼした人物が何人か出ている。

幕府にはむかって捕らえられて、幽閉されていた建物。

松蔭神社の本殿。

個人、しかも幕府に逆らって殺された人間を祀っているにしてはずいぶん立派な造り。このあたりの人々にとっては英雄なのだろうと思う。

歴史館に入ってみる。500円なり。

幕末の時代なので写真はほとんど(まったく?)無かったが、解説のパネルだけではなくリアルな造りの人形がたくさん並んでいた。

こういうのが10箇所以上(約70体)あった。

なかなか手間がかかっている感じ。

相当頭のいい人間だったようだが、かなり過激な人物でもあったもよう。安政の大獄で処刑されて30歳で人生を終えたが、こういう人物にはふさわしい人生だったのかも知れない。

当初は午後2時台の電車に乗る予定だったのだが、ここで昼食をとって、一本手前の1時台の電車に乗ることにした。

先ほどと同じような車両で長門市に向かう。今度は数人の乗客があった。

また海岸沿いを行く。

50分ほどで長門市に到着した。

今回の旅に来るまで、長門市というのは福岡県あたりの九州の都市だと思っていた。

ここから先の一部で不通区間があるため、長門市駅から小串駅までは代行バスに乗る。小串駅まで1時間半くらい。

乗客は数人程度だったが、ほとんどみんな地元の人たちで、観光客風情の人は一人も見当たらなかった。

またまた海岸沿いを行く。

とんでもなく不便な地域なのだが、どこかに高校があるようで、高校生が何人か途中で乗ってきたり降りたりしていた。一日に数本くらいしか便のないような場所で学校に通うのは本当に大変だと思う。

今はネット通販があるのでたいがいのものは通販で買えるが、日常生活用品の調達は不便だろうと思う。

小串駅までの途中でスーパーのような店はまったく見かけなかった。

午後5時過ぎに小串駅に到着した。

ここから下関駅までは45分くらいで、電車の本数もそこそこある。

午後6時過ぎに下関駅に到着した。久しぶりに都会に来た感じ。

無事、山陰本線完走を果たした。

まずは駅の近くのホテルにチェックイン。

明日は最終日で、関門トンネルを歩いて九州に上陸するつもり。一息ついたら駅に戻って明日のバスの時刻をチェックした。

そして、下関と言えばやはり「ふぐ」でしょう。シーズンではないかも知れないけれど、それほどのグルメではないので気にしないことにしよう。

駅のそばの店にお手頃価格のセットがあったので迷わずそこに入った。

このあたりでは「ふく」と呼ぶらしい。「ふく」というのが正しい表現という説もあるとか。

ふぐを食べるのは何年振りがわからないくらい久しぶり。なのでどんな味がおいしいのかどうかよくわからないが、とにかく満足できました。

稲佐の浜、出雲大社

9/26(木)はまずは一畑電車に乗って出雲大社に向かう。

松江しんじ湖駅はホテルのすぐそば。

この路線は一度乗ってみたいと思っていた。この駅に到着する便は通勤や通学客で混雑していたが、反対方向は空いている。

左手には穴道湖。昨年は南側を走る山陰本線に乗って、出雲市から松江に向かった

一畑口駅ではなぜかスイッチバック。

戦前はここから北に向かって一畑薬師まで線路が伸びていたのだが、戦争のための鉄の供出で廃線になってしまった名残り。京都の愛宕山鉄道やケーブルと同じ運命だった。

川跡駅で大社線に乗り換え。

左手に粟津稲生神社の鳥居。

松江しんじ湖温泉駅を出て1時間10分くらいで出雲大社前駅に到着した。

この駅舎は国の登録有形文化財として登録されている。

今回は主として昨年行かなかった場所を辿る予定。

まずは出雲大社と反対方向に行って、宇迦橋大鳥居へ。大きな工事をやっていた。

出雲大社の方向に戻って、中には入らずに海岸の方に向かう。

大鳥居から30分ほど歩いてようやく「稲佐の浜」に到着した。

ここは国譲り神話の舞台。弁天島は今はそばまで歩いていけるが、かつては海の中だった。

そしてここから数分歩いて屏風岩へ。

こんないわれ。

近くで見ると、

実はここ、写真をよく見るとわかるように、住宅街の家と家の間のわずかなスペースにある。ほんの3メートルくらい左には民家の玄関があるという場所。

さて、戻って出雲大社に向かう。

が、途中で奉納山という展望場所の案内が目に入った。

時間があるので立ち寄ってみることにする。

あまり歩かれていない石段を数分上がると展望台があった。

上から国引き神話の風景を眺める。

国引き神話とは、

展望台の上からは稲佐の浜は見えなかったが、下に下りて端の方に行くとわずかに見えた。

そして出雲大社に向かう。

西側から入ったらすぐに拝殿に出た。

何かちょっと違うような?

これは本殿の西側にある神楽殿でした。

さらに進むと本殿の拝殿の前に出た。

そして本殿にお参り。

昨年は本殿のまわりをぐるっとまわったが、今日はもうだいぶと歩いて疲れてきたのでこれは省略して休憩所のベンチでしばらく休んだ。

ムスビの御神像。

そして正面の鳥居に出た。

今、11時半。電車はほぼ1時間に1本しかないので、午後1時台の便に乗る予定をしていたのだが、1本手前の電車に乗って出雲市へ行って、そこで昨年食べなかった出雲そばを食べることにしよう。

昨年ライスバーガーを買った店で松江のクラフトビールを買って、駅のベンチで昼ビールにした。

昼ビールは電車旅ならではで、いつも楽しみにしているのだが、実際に出かけると意外と飲む機会がない。今日は暑い中をたくさん歩いたのでちょうどいい機会だった。

20分ほどで出雲市に到着した。

駅のそばにある店で出雲そばをいただいた。正直なところごくごく普通のそばだった。

いよいよこれから山陰本線完走に向かう。出雲市から京都までは昨年乗っているので、ことしは反対方向に出雲市から下関に向かう。

今日の目的地は益田。ここまでは特急が走っているのだが、あえて普通列車に乗る。

まずは浜田まで。

右側には日本海が望める。

海岸線が見えるところではいたることろにゴミが打ち上げられていてがっかりした。

2時間少々で浜田駅に到着して、ここで益田行きに乗り換える。

1時間ほどで益田駅に到着した。

そして歩いて10分くらいのホテルにチェックインした。

ホテルから数分の居酒屋に行ったら今日は予約で満員御礼とのこと。別の店に入ったらテーブルに灰皿が並んでいるのが目に入ったのであわてて退散。さらに次の店では入り口に喫煙可という表示。

結局、近くにあった大阪王将での定食となった。

黄泉比良坂、松江城

以前にネットの映像で古事記の伝承地である島根県東部にある「黄泉比良坂(よもつひらさか)」を見て、いつかぜひ訪れてみたいと思っていた。

いよいよ訪れるタイミングかなという気分になって、9/25(水)に出発して、その後、山陰本線で下関まで辿ってみようと思った。

最近、電車の人身事故が頻発している。何かあったら困るので少し早めに出て、京阪電車は無事だったものの、JRは不安が的中して事故で遅れていて、当初予定していた新幹線の便には間に合わず、ギリギリのタイミングでのぞみの自由席に飛び乗った。

岡山から伯備線の特急に乗り換えて米子へ向かう。この特急「やくも」は全席指定席なので乗り遅れると指定券の再発行が非常に面倒なのだが、何とか数分の乗り換え時間で間に合った。

この列車は今年の4月にデビューした新型車両で、以前の「やくも」は揺れがひどいことで有名だったのだが、新しく「車上型の制御付自然振り子方式」を採用して、かなり改善されたそうである。

私は以前の車両には乗ったことがないので違いはわからないのだが、それでもこれまでに私が乗った様々な特急車両の中ではかなり揺れるほうだったと思う。

新見(にいみ)に停車。

昨年、木次線に乗りに行った時は岡山から普通列車で来て、ここで芸備線に乗り換えた。

岡山から2時間少々で米子に着いて、ここで山陰本線の普通列車に乗り換える。

米子から3つめの駅の揖屋(いや)で下車した。

ネットの映像では若い人が駅からレンタサイクルで来たと言っていたが、レンタサイクルをやっている「東出雲町まちの駅」は水曜日は休業日だった。私はもともと歩いて行くつもり。

大きな歩道橋を渡って駅の南側に行く。

ちょうど昼過ぎで昼食時ではあるのだが、電車の本数が少ないので後のことを考えてまずは目的地に向かう。

しばらく国道9号線を歩く。

駅から15分ほど歩いて、あらかじめ調べておいたショートカットできる道に向かった。案内板がありました。

ちょっとした登り坂。木陰の山道に入ったので気分は爽快。

峠には「塞(さえ)の神」。

坂を下ったら「伊賦夜(いふや)坂」という古びた案内板があった。

すぐ横には映像で見た池があった。見覚えのある場所に出てきた。

ちょっと変わった鳥居をくぐっていよいよ核心部へ。

ここが黄泉の国と現世の境界地。

こんな場所です。

黄泉の国にちょっと足を踏み入れてみたが、無事戻って来られた。

神話では伊奘諾(いざなぎ)命が桃の実を黄泉の軍に投げつけたら軍が引き返したということになっている。

さて、次は伊弉冉(いざなみ)尊を祀った揖屋神社へ向かう。

先ほどの池のそばには彼岸花が咲いていたが、ここにはヒマワリが満開。夏と秋が混在している。

10分ほど歩いて揖屋神社へ。前の道は出雲街道。

平安朝以前からある古い神社。出雲国造との関係が深い。

このあと駅に戻ったが、店で食べられるほどの時間がないので近くのスーパーでパックのちらし寿司を買ってホームの待合室で急いで食べた。

松江駅で下車。

松江城の方に向かう。橋の上から穴道湖方面を眺める。

まずは松江歴史館へ。正直、それほど松江に興味があるわけではないのだが、せっかくここまで来たので立ち寄ってみようという感じ。

510円払って有料展示に入ってみた。

そして松江城へ。

600円払って天守閣に入る。

予想以上に立派な城だった。5階ほどあって、急な木の階段で上がっていく。姫路城に匹敵するくらいの規模だった。

最上階から穴道湖。

その後、松江しんじ湖温泉の「ホテル一畑」にチェックインした。

今日は結構歩いたので疲れを癒すべくひと風呂浴びてから夕食に出かけた。

ホテルから数分のところの居酒屋へ。

今日も晴れで暑い一日だったが、おいしいという評判のおでんなどをいただいた。

上階にある風呂からは穴道湖が見下ろせるのだが、夜は何も見えず、ただのんびりと湯船でゆったりして過ごした。

徳舜瞥山、ホロホロ山、支笏湖

6/29(土)はいよいよ最終日。早く帰ってしまおうと考えたりしたこともあったが、結局、最初の予定通りの行程になった。最後の方で天気が回復したのが幸いだった。

フェリーの出港は夜なのでほぼ丸一日の時間がある。しかし山へ行って万が一何かトラブルがあると大変なので、以前は最終日は山へは行かないようにしていたのだが、どうしても時間を持て余してしまうので、このところは半日コースへ行くようになった。

しかも今日は土曜日なのでヘタに観光地に行くと混雑に巻き込まれる可能性があるので、ウポポイなどは避けたかった。

選んだのは徳舜瞥(とくしゅんべつ)山とホロホロ山。地元ではポピュラーな山のようで、おそらく登山道も整備されているだろう。

ニセコから2時間くらいかかって登山口に到着した。好天の土曜日とあって駐車場はすでにかなりの車で埋まっていた。

徳舜瞥という山名の由来はアイヌ語で「トックシュンペツ」(アメマスの居る川)を意味する。

8時15分に駐車場を出発した。登山口が五合目。

いきなり岩のゴロゴロする道でがっかりしたが、ほんの数分で普通の登山道になった。

道はほどよくジグザグにつけられていて、9時40分にあっさり徳舜瞥山の山頂(1309m)に到着した。実は今回登ったニセコ周辺の山の中では一番高い。

羊蹄山。

恵庭岳と右に支笏湖。

東にはこれから向かうホロホロ山。

もっと人が多いかと思っていたが、それほどでもなかった。

アズマギク。

イワギキョウ。

タカネシオガマ。

なんかのスミレ?

徳舜瞥山からのしばらくの道はザレた急な下りで、本当ならポールを出したいところだったのだが、わずかな間だけなので何とかそのまま下った。

上りにさしかかると右側が切れ落ちたナイフリッジになった。右側は灌木が生えているので恐怖感はそれほどでもないが、もし足を滑らせたらこの灌木ではまず止まらないだろう。

最後はお決まりの岩岩。

10時15分、ホロホロ山の山頂(1322.3m)に到着した。徳舜瞥山より少しだけ高い。山名はアイヌ語の「ポロポロ・ペッ」(甚だ大きい川)に由来するとの説もあるが「甚だ大きい川」がどの川を指すのかは不明。

山頂からのパノラマ。

写真を撮ったら早々に引き返す。ナイフリッジを慎重に下って、最後の上り。

時間があるので徳舜瞥山で腰を下ろしてフルーツケーキを食べた。今日はおにぎりは持ってきていない。

一息ついたらあとは往路を淡々と下るだけ。

六合目に湧き水があるのは行きには気がつかなかった。冷たくておいしかった。

12時20分に駐車場に戻ってきた。

さて、片付けを済ませたら昨秋と同じく支笏湖へ。やはり好天の土曜日なので駐車場はかなり混んでいた。

まずは腹ごしらえ。ヒメマスの丼とソバのセットで1100円なり。ヒメマス丼はなかなか美味だったが、ヒメマスが4切れしかなくて物足りなかった。この値段ならこんなものかも。

いつものビジターセンターへ入って休憩所でWiFiサービスを利用して時間潰し。

支笏湖はこれまでにも何度か来ているのだが、こういうものがあるのはこれまで気がつかなかった。

明治から戦後あたりまで、苫小牧に工場のあった王子製紙が木材の搬出のためにこのあたりから苫小牧までの専用軽便鉄道(山線)を設置していて、一般客も乗ることができたらしい。ただし一般客は「事故が起こっても責任は取らない」という条件だったとか。

その時の鉄橋(山線鉄橋)がすぐそばに残されている。

橋を渡って向こう側へ行くと湖畔に下りることができる。そこからのパノラマ。

ホロホロ山も見えた。

時間を見計らっていつもの「なごみの湯」へ。今日は土曜日なのでお気に入りの平日割引セットは買えない。

2階の休憩室のソファでゆったりと時間を過ごしてからマックスバリュでビールやパンを買い込んで、フェリーターミナルに向かった。

ニセコへ

6/26(水)はまたもや朝から雨。このあたりは明日も天気が良くない予報なので、まだマシなニセコへ戻ろうと思ったが、しばらくすると雲が切れてきた。

午後には天気が回復するという予報なので取りあえず旭岳のロープウェイに向かった。

しかし標高が少し上がるとまた厚い雲がたれこめてしばしば雨。

1時間以上、車の中で様子を見ていたけれど、天気が回復しそうな気配はない。

こんな天気でもロープウェイで上がっていく人たちがいるが、こんな日に往復3000円以上も払って上がる気にはならない。

諦めてニセコへ向かうことにした。

そんなに急いでも仕方ないのでずっと下道で。

まずは馴染みの「綺羅乃湯」へ。

駐車場がずいぶん空いていたので不思議に思ったら、何と休業日。

仕方なく昨秋に行った昆布駅の幽泉閣へ。

ここは昆布駅のすぐ横にある。

一日に数本しか列車の通らない昆布駅。

時間があるので倶知安のマックスバリュまで行って買い物をして、定番のニセコの道の駅に停めた。

美瑛富士

6/25(火)は可もなく不可もなくという天気予報で、美瑛富士に向かうことにする。

十勝岳登山口の望岳台を6時半ちょっと前に出発した。

ちょっと先に標識の岩。

しばらく行くと白銀荘への分岐。

出発して40分ほどで十勝岳と美瑛岳との分岐。正面の稜線は2年前に歩いた

なんとかキンバイ?

イソツツジ。

天気が良くなってきた。

エゾノツガザクラ。

美瑛富士が見えた。このあたりは2年前に歩いた道。

エゾコザクラ。

ウコンウツギ。

ルンルン気分で歩いていたら突然、目の前に雪渓!!

結構、傾斜もあるし、滑り落ちたらタダでは済まない。もちろん、アイゼンは無し。また敗退かと一気に気分が落ち込んだ。

上部の状態はよくわからないのだが、横の斜面を眺めてみたところ、上に巻いているようなかすかな足跡が目に入った。わりと傾斜はあるけれど登れないほどの斜面ではない。ポールを出した。

灌木につかまったりしながら何とか向こう側に抜けることができた。しかし滑りやすい斜面でこれはこれでスリリングではあった。

チングルマ。

そしてシャクナゲ。

その後も何度か雪渓のトラバースがあったが、いずれも何とか渡ることができた。

そして沢を渡る。融雪期なので水量が多かったが、完全な水没までは至らずに渡ることができた。

このあとはしばらく急登。

そして美瑛岳と美瑛富士の分岐へ。2年前は美瑛岳からここに下りてきた。

美瑛富士に向かうためにはこの雪渓を渡らなければならないのだが、行くしかない。

その後も何度か雪の斜面を渡って、コルへのフラットな道になった。この頃から風が強くなってきた。

9時45分、ようやくコルに到着した。風が強かったので雨具のジャケットを羽織った。

縦走路は右の方に行くが、美瑛富士は正面を登る。

ガラガラの歩きにくい道だがジグザグにトレースがあるのでそれからはずれないようにひたすら登る。

このあたりから周囲はガスってほとんど視界が無くなってしまった。

10時12分、美瑛富士の山頂(1888m)に到着した。

展望も何も無いので早々に下山。

少し下りたら視界が開けてきて、振り返ったらチングルマのお花畑越しに山頂が見えた。

コルに戻ったら池塘が見えたのでちょっと行ってみた。

コルから少し下りて風の当たらないところで美瑛富士を眺めながらおにぎり休憩にした。腰を下ろすのは今日初めて。

例の雪渓のトラバースは安全第一で帰りも上を巻いた。

その後、天候が崩れてきて、本降りの雨になってきたので雨具の上下を羽織ったが、よくあることでほんの少ししたら止んでしまった。

十勝岳への道に合流する手前で雨具を脱いで、ポールをしまって、パンを食べた。

火山の礫の道は足元が不安定なので疲れる。ようやく登山口が見えてきた。

午後2時ちょうどに駐車場に戻ってきた。

風呂は近場の白金温泉へ。

「杖忘れの湯」という変わった名前の宿。こじんまりしたいい雰囲気ではあったけれど、露天もあるものの浴槽も洗い場も小さいので週末は避けた方が良さそう。

そして帰り道にあの「青い池」。陽がさしていないと青く見えないとのことだがうまい具合に晴れている。

ここも駐車料金500円で、アトサヌプリのようにいい場所がないか探ってみたけれどどうにも見当たらず、諦めて駐車場に入った。

平日にもかかわらずかなり混んでいた。ただし耳に入る言葉はほとんど中国語。台湾人かも知れないけれど。

なぜ青く見えるかというと、

その後、美瑛駅のそばの道の駅に行ってみたが思いのほか小さかったので、また昨日と同じビルケに停めた。