神威岬、小樽、朝里川温泉

1/29(水)はニセコに別れを告げて小樽近くの朝里川のホテルに向かう。時間に余裕はあるけれど何となくスキーはもういいかなという感じで、おまけに天気予報もかなり悪かったので、のんびりの移動日にすることにした。

昨年の6月に北見神威岬を訪れたが、北海道で神威岬と言えば本家は積丹半島の方にある。

朝方は予想外に晴れていた。ロッジの前からニセコアンヌプリ。

神威岬に向かって車を走らせているうちに天気が崩れてきて、2時間ほど走って神威岬に着いた時には完全に雪になっていた。

駐車場には店があって、車が1台停まっているが、とても営業しているようには見えない。

オーバーシューズを履いて、スパイクを着用して外に出た。

案内板があったが、写真を撮っただけで実はしっかり見ていなかった。

目の前の階段を上がる。踏み跡は皆無。

上がるにつれて風が強くなってきたが、数分で展望場所に出た。

この映像の最初と最後に映っているのが神威岬。

風雪で厳しい天候なのだが、先日の三段山の風に比べたらはるかにマシ。

ところがこのタイミングでフェリー会社から電話がかかっていた。明日の夜のフェリーで帰る予定をしていたのだが、その便が欠航になるとのこと。

その翌日も欠航で、代替便として今日の深夜(翌早朝)に苫小牧から舞鶴への便を運行するとのこと。

今日は朝里川温泉のホテルを予約しているので、それだと深夜にチェックアウトしなければならないのだが、深夜のチェクアウトが可能であればそうするしかない。

ホテルに確認したら出られるようにしてくれるとのことだったので、その代替便で帰ることにした。

そんなことを風雪の中でやりとりしてから少し進むと何やらよくわからない構造物があった。

説明板の雪を払って読んでみると、戦争前に設置された電波探知塔とのこと。

さらに進むと神威岬の先端部に向かうゲートに来たが、冬はここは閉鎖されている。

覗き込んでみると、

ここはぜひ無雪期に再訪したいと思う。

その後、余市に向かった。道の駅があるのでそこで昼食でもと思ったのだが、残念ながら食事のできるところは開いていなかった。

小樽に向かう途中でラーメンを食べて、時間潰しに小樽市総合博物館へ。

ところがこちらの入り口は冬場は閉まっており、開いている方へ行くにはとんでもなく大回りしなければならないので、入るのを諦めた。

そして早めに朝里川温泉ホテルにチェックインした。

すぐそばには朝里川温泉スキー場のゲレンデが見える。

チェックイン後に温泉に入って、ホテルのレストランで夕食をとってからまた遅くに温泉に入って、夜中の12時前にチェックアウトした。チェックインしてから数時間の間に10cm以上の雪が積もっていた。

2時前に苫小牧のフェリーターミナルに到着。

無事、3時頃に出港した。

北の方では海はさほど荒れていなかったが、南下するにつれて揺れが激しくなってきて、めずらしく船酔いした。

ほぼ24時間かかって、舞鶴には翌日の午前3時に到着した。

藻岩山スキー場

1/26(日)は富良野に別れを告げてニセコに向かう。

下道をのんびりゆっくり走ろうかと思ったりもしたが、やはり貧乏性のせいで何かやらずにはいられない気持ちの方が勝って、藻岩山スキー場で少し滑っていくことにした。

雪が少なくてすいすい走れて、一部高速を走って11時前にはスキー場に到着した。

ここはスキーヤーオンリーといううれしいスキー場で、リフト券もシニア5時間で2800円なり。日曜日だが小学生のスクールの団体がたくさんいた。

リフトは数基。こんな時期なのに雪不足でいくつかのコースは閉鎖されている。

一番上まで上がると上部に展望台が見える。ここは4年前の夏に訪れた。

札幌市内も望める。

真ん中は恵庭岳。

日曜日だがリフト待ち時間はほぼゼロ。昼食休憩をはさんで3時前まで滑ってからニセコに向かった。

倶知安のマックスバリュで食料を購入してから定番のニセコ駅前の綺羅乃湯へ。

地元の人がほとんどという感じだった富良野の温泉とは違って、ここの客は大半が欧米系の外国人だった。

ニセコ駅は電飾されていた。

そして今日から3泊する「ルート66ニセコ」へ。

✳︎翌朝に撮ったもの

一棟借りのコテージで、自炊設備が整っている。ホテルよりも安かった。

三段山

1/25(土)は三段山に向かうことにした。ここは5年前の3月に初めての北海道での山スキーデビューをした思い出の山。

9時過ぎに登山口の吹上温泉白銀荘に到着した時にはすでに駐車スペースはほぼ満杯状態だった。

準備を整えて9時半過ぎに出発した。この風景は記憶がある。

前回来た時はコロナの時期で人が少なくて、特に外国観光客は入国できない時だったのだが、今回は北海道ブームで外国人パーティがたくさんいた。ほとんど欧米系の人たち。

晴れてはいないもののこのあたりでは穏やかな天気だったが、樹林帯を越えると冷たい強風が吹き荒れてきた。昨日の旭岳もこんな感じだったのだろう。

バラクラバで口や鼻も覆っているが、ヘルメットの内側にかぶる薄い生地なので顔面凍傷になりそう。

はるか前方には先に進んでいるパーティが少し見えたが、それまで近くにいたたくさんのパーティはぜんぜん見かけなくなった。

2時間ほど登って、標高1500mあたりで地形の関係で少し風が避けられる場所があったが、少し進むとまた強風に襲われた。この先はずっと拭き晒しになりそう。

下るにはシールを外したりブーツとビンディングをセッティングし直したりしなければならないので、今日はこのあたりが潮時かなと思った。

下りでは、強風エリアでは誰も出会わなかった。後続のパーティはみんな下りてしまったのだろうか。

樹林帯まで下りると雰囲気も和らいで余裕が出てきた。

さらに下ると、登ってくるいくつかのパーティとすれ違った。

12時20分、白銀荘まで下りてきた。

車の中で行動食を食べたりしてゆっくりしたが、まだまだ時間があるので、昨年の6月に訪れた美瑛の「青い池」の冬景色を見に行ってみようと思った。

この季節でもそれなりの観光客だった。大半は中国や東南アジア系の人たち。なぜかこういう場所では欧米系の観光客はあまり見かけない。

青い池ではなくて「白い池」でした。

宿の前からは十勝の山々が眺められた。どれがどの山かはよくわからず。

南ふらのスキー場、幌舞駅

1/23(木)から3日間、富良野の宿に泊まる。

今冬はまだ一度もスキーで滑っていないので、まずはスキー場で足慣らしをすることにした。

富良野スキー場のようなリフト券高額のところへは行く気がしないので、ローカルスキー場の南ふらのスキー場へ行くことにした。

リフトはシングルとダブルの2基が並行して設置されており、シングルの方が少し上まで伸びている。さらに上に1基あるのだが運行されていなかった。

上部はまあまあの中級斜面。足元に南富良野町の市街地が見下ろせる。

10時過ぎに到着して、2500円の8時間券を購入して、1時間弱の昼休憩をはさんで午後3時頃まで滑ったが、どうも今ひとつ気持ちが盛り上がらなかった。

その後、すぐ近くなので昨年6月に訪れた幌舞駅を再訪することした。冬の雪景色が見てみたかった。

駅舎の跡には映画「鉄道員」ゆかりのものがたくさん展示してある。

駅のそばにはロケで使われた建物も残されている。

ホームからは南ふらのスキー場が見える。

そして今宵の宿は富良野の「フロンティアフラヌイ温泉」。

ここの日帰り温泉はこれまでに何度も利用しているが、泊まるのは初めて。一度ゆっくり泊まってみたいと思っていた。

北海道へ

昨年のこの時期に北海道行きを計画していたのだが、出発当日の朝にフェリー欠航の連絡があって、翌日もおそらく欠航とのことで、ずいぶん前から宿の予約をしていて、突然の予約変更もできないので、やむなく計画を諦めた。

冬場の日本海はだいたい荒れているようで、昨年のことがあったのでフェリーの運行状況をずっとチェックしていたが、前の週も毎日のように運行が乱れていた。

しかしこのところは天気が安定して、何とか予定通りに行けそうだった。

定刻より少し遅れたが、1/21(火)の深夜12時過ぎに無事、敦賀港を出港できた。

翌日の午後3時半過ぎには龍飛崎を通過したが、思ったより雪が少ない。

ほぼ定刻の午後8時半少し前に苫小牧東港に到着して、まずはガソリンスタンドで軽油を満タンにして(軽油は冬は凍るので売っている地域によって成分が異なる。寒冷地ではその地で入れなければならない。ただし価格は全国と同レベル)、マックスバリュでビールと翌日の朝食と軽食を買って、予約しておいた佐竹旅館に行った。

磐梯山

10/27(日)はどこにするか最後まで迷った。

4月に東吾妻山には登ったが、登っていない西吾妻山に行って吾妻山両山クリアということにするか、はたまた有名な磐梯山にするか。

磐梯山はあまりにも有名なのでこれまではさほど興味が湧かなかったのだが、ちょっと調べてみると実は火山で、私好みの火山地形が味わえそうで、それに惹かれて磐梯山に行くことにした。

4月にも車で通った八方台登山口の駐車場は、7時半ですでにほぼ満杯状態だった。

7時50分に駐車場を出発した。登山口は駐車場のすぐ向かい。

好天の日曜日なのでハイカーが多い。20分ほど登ると磐梯山の頂上部が望めた。

中ノ湯跡。硫黄の匂いが漂っていた。

後ろに西吾妻山から東吾妻山にかけての全景が見えてきた。

出発して1時間20分ほどで弘法清水へ。清水には帰路に立ち寄ることにする。

さらに登ると背後に噴火口壁と、後ろには吾妻山連峰。

山頂は混雑していた。

9時半に山頂(1816.2m)に到着した。

山頂からのパノラマ。猪苗代湖は半分雲海に覆われていた。

山頂直下に小屋があったが、営業していなかった。

写真を撮ったら早々に下山。

弘法清水で湧水を一杯。定期的に水質検査をしているので安全とのこと。

すぐそばには営業小屋が二つある。

湧水の前に岡部小屋。

斜め向かいあたりに弘法清水小屋。

どちらもメニューが出ているが価格は書かれていない。いずれにしても飲む気はないけど。

下山はまずは北側の旧噴火口の方に向かう。

期待通りの光景。

振り返るとあれが天狗岩?

これから辿る尾根。右は櫛ヶ峰だがここには登らない。

右手に火口壁を眺めながら樹林帯を急激に下る。

弘法清水から1時間弱で火口原まで下りてきた。

今度は左手に火口壁を眺めながらしばらく樹林帯を行く。

スキー場への広い道に合流した。

ほどなくスキー場のトップへ。桧原湖が見下ろせる。

スキー場から15分ほどで銅沼(あかぬま)へ。

出発して4時間ほどになったのでここでおにぎり休憩にした。

ここから標高差で200mほどの登り返しだが、30分ほどで往路の道に合流した。

そして午後1時前に登山口に戻ってきた。

早朝に来てさくっと登って下りる人が多いようで、駐車場の車は半分くらいに減っていた。

さて、明日以降どうするか?

行動食の残りを食べながら天気予報を調べてみると、明日以降は天気が崩れる予報。

これまで予想以上にスムーズに行程をこなせてきたので、このあたりでお終いにするのが安全だろうと判断した。

ということで帰路に向かうことにする。

温泉は坂下の洲走の湯にした。

山の中でまわりは畑以外何も無いようなところで、本当にこんなところに温泉があるかと疑うような場所だったが、本当にありました。

浴槽は定員3〜4人程度の小さなもので、訪れるのは地元の人が大半かも。私が入った時に入っておられたもう一人の高齢の方はいかにもそういう雰囲気だった。

無色無臭のお湯だが、肌触りはぬるっとしていて、間違いなく温泉。何日か滞在して湯治するにはいいのではないかという感じのお湯だったが、近くには店も何もない。

コアな湯治マニアならお気に入りかも。

その後、会津坂下のインターチェンジから高速に入ってから新潟のサービスエリアで一夜を明かして、翌日の昼過ぎに無事帰宅した。

森吉山

10/22(火)は森吉山(もりよしざん)へ。

フェリーはほぼ定刻の午前5時過ぎに秋田港に到着して、登山口のこめつが山荘に向かう。

途中、コンビニで朝食のパンを買ったり、コーヒーを飲んだりして、8時頃に駐車場に到着した。

準備を整えて8時20分に出発した。山荘の前を通って登山道に入る。

出発して1時間ほどで展望の開けた一ノ腰に到着。

山頂まではあと1時間くらいだろうか。

ほどなく雲嶺峠。帰りはここから別ルート(右方向)で下山の予定。

15分ほどで森吉神社避難小屋。

奥に森吉神社。

なかなか立派です。

神社の後ろには冠岩。

少し行ったら阿仁コースと合流した。阿仁コースは標高1100mあたりまでゴンドラで上がれる。写真は合流した先から振り返って写したものなので阿仁コースは左方向。

ちょっとした湿原がある。

阿仁避難小屋。このあたりから人が多くなってきた。

平日だが快晴のせいかハイカーがたくさん。

だいぶ山頂に近づいてきた。

10時25分、森吉山山頂(1454.2m)に到着した。

360度のパノラマ。岩木山、八甲田山、八幡平、岩手山、早池峰山、月山、鳥海山、ぜんぶ見えた。

山頂は風が強かったので、写真を撮ったら早々に下山。

小一時間で雲嶺峠に戻ってきて、予定通り松倉コースに入った。

道ははっきりしているがあまり歩かれていない様子。

50分ほどで林道に降り立った。

ここから30分足らず、林道を少し登り返して、こめつが山荘に戻ってきた。

下山後の温泉は阿仁前田温泉駅に併設されているクウィンス森吉へ。

入浴後にレストランで食事を取ろうと思ったが、昼食は午後2時までとのこと。20分ほど過ぎていたので諦めて田沢湖に向かう。

途中の道の駅で食事でもと思ったが、ここも昼食は2時までだったので、結局山用の行動食の残りで小腹を満たした。

田沢湖には午後4時過ぎに到着した。

田沢湖は海面下の深さが日本で一番とのこと。

2年前の4月に来た時と同じ駐車場に車を停めた。

東北へ

東北の山はこれまでに2回行った。

いずれも4月で、山スキーが主目的だったが、近年の雪不足で途中で雪が切れて敗退となったり、時間切れで山頂まで行けなかったりした山がいくつかある。

これらの山々に対してそれほど強い執着があるわけではないのだが、何となくすっきりしない思いは残っている。

そこで今回、これらの山々に決着をつけるべく、初めて無雪期の東北に出かけてみることにした。

まずはフェリーで秋田へ。

敦賀出港で新潟、秋田経由、苫小牧行きという便は週に一便しか運行されていない。

10/21(月)の早朝に家を出て、2時間ほど走ってから途中で朝食をとって、8時過ぎに敦賀港のフェリーターミナルに到着した。

定刻の9時半に出港した。秋田到着は翌朝5時の予定。

しばらく能登半島のそばを進む。見えているのは福井県。東尋坊が見えているはずなのだがどのあたりかよくわからない。

朝が早いので早めにベッドに横になったが、なかなか寝付けなかった。

関門トンネル人道、壇ノ浦

9/28(土)は最終日。

山陰本線も完走したので最後のおまけで関門トンネルの人道に行ってみる。

下関駅からバスで御裳濯(みもすそ)川まで行く。バスターミナルは大きくて立派。

10分ちょっとで御裳濯川に到着した。

橋は高速道路の関門橋。

人道の入り口はここから見えるところにある。

エレベータに乗って地下に降りる。通行は無料。自転車は20円だが料金箱が置いてあるだけ。夜間は閉鎖されている。

ここから県境まで400mの緩い下り。県境から門司側までは380m。

ジョギングしている人もいる。自転車はもちろん押し歩き。

のんびり歩いて10分ほどで門司側に到着した。

上に上がって下関側を眺める。

そばに和布刈(めかり)神社。

ここでは散骨ができるもよう。

下関に戻って、関門橋のふもとにある壇ノ浦古戦場址へ。

源義経と平知盛の像。

壇ノ浦の戦いは、そういう名称の大きな戦いがあったということは知っていたけれど、詳細はほとんど知識がなかった。今回、ここを訪れることになったのでにわか知識で少々調べた。

数え年で8歳(満6歳4か月)だった安徳天皇が祖母にあたる二位尼(にいのあま、平時子)に抱かれて入水した場所。

母である建礼門院(高倉天皇の中宮)も入水しているが、義経側の兵に引き上げられて、晩年は大原の寂光院で隠棲した。入水はしていないという説もあるとか。

そして安徳天皇を祀った赤間神社へ。

安徳天皇の陵。

さすがに天皇を祀った神社だけあってきれいだった松陰神社よりもさらに立派。

豪華です。

そばには耳なし芳一の「芳一堂」。この物語はこのあたりにあったと言われる阿弥陀寺が舞台になっている。

その横には平家一門のお墓。

その後、バスで下関駅に戻って、さらに山陽本線で新下関駅に行った。

新幹線の新下関は各停しか止まらないのでかなり待たされて、ようやく岡山行きのこだまに乗った。見たことのない車両だった。

徳山でさくらに乗り換えて新大阪に向かって、午後の早い時間帯に帰宅することができた。

山陰本線、松蔭神社

9/27(金)は山陰本線で下関まで行く。

山陰本線の山口県エリアは本数が少なくてなかなか大変と言われている。おまけに昨年夏の大雨で路線の一部が損傷して不通になっており、不通区間は代行バスの運行になっている。

いずれにしても1本ですんなり下関まで行くことはできないので、萩で時間潰しをしながらのんびりと向かうことにした。

9時半頃の普通列車で東萩まで行く。益田から先は普通列車しかない。

2両編成になっている。私が乗った車両は私一人で、もう一方の車両も誰も乗ってきた気配がなかった。

海岸沿いを走る。このあたりは海岸のゴミがなくてすっきりしている。

最終的に数人くらいの乗客で、益田から1時間15分くらいで終着の東萩駅に到着した。

萩は萩焼で有名だが、実は明治維新にゆかりのある人物の関連地がたくさんある。

もうちょっと観光地っぽい街かと思っていたが、そういう雰囲気はまったくなかった。もう一つ先の萩駅はどうなのだろうか。

15分ほど歩いて吉田松陰を祀った松陰神社に到着した。

吉田松陰は名前こそ知っているもののどういう人物だったのかはあまり知識がない。ただ、松浦武四郎と付き合いがあったようで、武四郎のことを書いた本で何度か見かけた。

松下村塾は有名なので知っている。

ただし松下村塾は松蔭が開いたものではなく、別の人物が始めたものを引き継いだ。指導していた期間もわずかだが、その中からは明治維新に大きな影響を及ぼした人物が何人か出ている。

幕府にはむかって捕らえられて、幽閉されていた建物。

松蔭神社の本殿。

個人、しかも幕府に逆らって殺された人間を祀っているにしてはずいぶん立派な造り。このあたりの人々にとっては英雄なのだろうと思う。

歴史館に入ってみる。500円なり。

幕末の時代なので写真はほとんど(まったく?)無かったが、解説のパネルだけではなくリアルな造りの人形がたくさん並んでいた。

こういうのが10箇所以上(約70体)あった。

なかなか手間がかかっている感じ。

相当頭のいい人間だったようだが、かなり過激な人物でもあったもよう。安政の大獄で処刑されて30歳で人生を終えたが、こういう人物にはふさわしい人生だったのかも知れない。

当初は午後2時台の電車に乗る予定だったのだが、ここで昼食をとって、一本手前の1時台の電車に乗ることにした。

先ほどと同じような車両で長門市に向かう。今度は数人の乗客があった。

また海岸沿いを行く。

50分ほどで長門市に到着した。

今回の旅に来るまで、長門市というのは福岡県あたりの九州の都市だと思っていた。

ここから先の一部で不通区間があるため、長門市駅から小串駅までは代行バスに乗る。小串駅まで1時間半くらい。

乗客は数人程度だったが、ほとんどみんな地元の人たちで、観光客風情の人は一人も見当たらなかった。

またまた海岸沿いを行く。

とんでもなく不便な地域なのだが、どこかに高校があるようで、高校生が何人か途中で乗ってきたり降りたりしていた。一日に数本くらいしか便のないような場所で学校に通うのは本当に大変だと思う。

今はネット通販があるのでたいがいのものは通販で買えるが、日常生活用品の調達は不便だろうと思う。

小串駅までの途中でスーパーのような店はまったく見かけなかった。

午後5時過ぎに小串駅に到着した。

ここから下関駅までは45分くらいで、電車の本数もそこそこある。

午後6時過ぎに下関駅に到着した。久しぶりに都会に来た感じ。

無事、山陰本線完走を果たした。

まずは駅の近くのホテルにチェックイン。

明日は最終日で、関門トンネルを歩いて九州に上陸するつもり。一息ついたら駅に戻って明日のバスの時刻をチェックした。

そして、下関と言えばやはり「ふぐ」でしょう。シーズンではないかも知れないけれど、それほどのグルメではないので気にしないことにしよう。

駅のそばの店にお手頃価格のセットがあったので迷わずそこに入った。

このあたりでは「ふく」と呼ぶらしい。「ふく」というのが正しい表現という説もあるとか。

ふぐを食べるのは何年振りがわからないくらい久しぶり。なのでどんな味がおいしいのかどうかよくわからないが、とにかく満足できました。