オシンコシンの滝、アトサヌプリ、阿寒湖コタン、幌舞駅

6/24(月)は予報通りで朝から雨。

当面、好天は望めないので初めての場所へ行くよりも馴染みのあるところへ行った方が安心できるのではないかと思って、観光しながら富良野へ向かうことにした。

まずは知床でオシンコシンの滝へ。

ここは道路から見えるのでこれまでにも何度か車窓から眺めているのだが、今回は車を停めてじっくり眺めてみたいと思う。

幸い、雨は止んでいた。

オシンコシンというのはアイヌ語で「そこにエゾマツの群生するところ」という意味。

私は那智の滝のような豪快な滝よりもこの滝や白糸の滝などの方が美しくて好みだ。

次は屈斜路湖の方に向かう。

天気が悪くなければ藻琴山に行こうと思ってやってきたのだが、

小雨程度だが霧でほとんど何も見えない状態なので、これでは歩く気にもなれず、アトサヌプリ(硫黄山)に向かう。

駐車場に向かったら前の車がUターンして戻ってきた。500円かかるらしい。後から来た数台のバイクも戻って行った。

私も一旦戻ってどこかちょっとだけ停めておけるような場所がないだろうかとウロウロしたところ、どうも同じように考える人がいるようで、少し歩くとアトサヌプリに入れそうな踏み跡が目に入った。

そんなに長時間停めるわけではないし、交通量もそんなに多い道ではないので、ここに置いて向かうことにした。

予想以上の壮大な光景だった。

少し標高が上がると霧がすごいが、下の方はそれほどでもない。雨も止んでいた。

黄色いのは硫黄の結晶。かつては採掘されていたらしい。

歩ける場所でも地面からお湯がボコボコと湧いているところがあって、ちょっと触ってみたら非常に熱かった。

ちょっと摩周湖の方に寄ってみたが、こちらはガスガスで止まる気にもならず、昼食のために阿寒湖のコタンに向かった。

2年前に来た時にもそうだったのだが、この界隈の店は店頭のメニューに値段が書かれていない。結局、前回と同じ店に入って豚丼を食べたのだが、後になって鹿肉を食べておけば良かったと後悔した。

雨が降ったり止んだりの中を富良野に向かう。

小雨の狩勝峠。

峠を下って、かの有名な幌舞駅へ。

本来の駅名は「幾寅駅」だが、映画「鉄道員」の舞台になった「幌舞駅」の方が有名。

2016年の台風による被害で鉄道は止まった状態だったが、本年(2024年)の3月いっぱいをもって完全に廃線になってしまった。

鉄道ファンには人気の駅。

古い気動車も置かれている。

富良野では定番のフロンティアフラヌイ温泉へ。ここの低温の源泉がお気に入り。

そしてスーパーで買い物をして美瑛の道の駅に入った。

宗谷岬白い道、北見神威岬、サロマ湖、ウトロ

昨夜は寒かった。

6/22(土)も天気は良くない。昨夜から朝まで本降りの雨だった。

取りあえず宗谷岬に向かう。

当初は宗谷岬の突端を出発して宗谷丘陵フットパスを歩くつもりだったのだが、この天気ではそんな長い距離を歩く気分にはならない。

せっかくなのでせめて「白い道」だけでもということで、海に近いゴール地点からスタート地点までを往復しようと思った。

ゴール地点の近くの宗谷公園のそばにお寺があって、車が停められそうだったのでそこに置いた。

薄い中綿ジャケットに雨具を羽織って、小雨の中、傘を持って6時40分に出発した。

宗谷公園なんて立派な名前がついているけれど、実態はこぢんまりしたただの公園。神社とトイレはあるけれど。

少し歩いてゴール地点へ。実は「白い道」は車でも走れる。

最初は普通のアスファルトだが5分ほど行くと白い道になる。

これはホタテの貝殻を砕いたものを道に敷き詰めてある。

道端には巨大なフキの葉っぱ。

丘陵部にさしかかるとそれなりの展望は得られた。しかし風があってかなり寒い。

バイクが1台、通り過ぎて行った。

やや上りの道を30分少々進むと白い道が途切れてアスファルトになった。

何の標識も無いがここがスタート地点なんだろう。

先を見てみるとどうもフットパスというのはほとんどアスファルトの道のよう。

ここで引き返すことにする。

しばらく戻るとオホーツク海が望めた。

のんびり歩いて1時間半足らずの散歩だった。

この先、オホーツク海沿いを走って知床まで行く予定。

宗谷岬はこの2月にも来たばかりだが、通過するのももったいない気がして、一応立ち寄っておく。

ここから先は初めて通るところ。

左にオホーツク海を眺めながら1時間半ほど走って北見神威岬に立ち寄った。

かすかな踏み跡があるのでシューズに履き替えて岩のところまで降りて行った。

なかなか険しい岩場で、先端の岩まで行くのは断念した。

その後、延々3時間ほど走ってサロマ湖へ。

サロマ湖と言えば我々マラソンランナーにとっては何と言っても「サロマ湖ウルトラマラソン」。第1回はおそらく30年以上前だと思う。今年の大会は翌週の日曜日(6/30)の看板が出ていた。

国内で初の本格的な100kmマラソン大会で、ウルトラマラソンブームのきっかけになった大会。

このワッカ原生花園も確かコースの一部になっているはずで、風景の素晴らしさが評判だった。と言うか、今もそうなのだが。

私はその頃は42.195kmのマラソンしか興味が無かったので100kmを走りたいとは思わなかったし、その後100kmの大会は3回ほど走ったけれどこの大会に参加することは無かった。

ワッカ原生花園には長い散策路が整備されていて、レンタサイクルで廻ることもできるのだが、歩ける範囲で歩いてみる。

ハマナス。

エゾスカシユリでしょうか?

「龍宮街道」というのは湖とオホーツク海の境目の岬のような場所に延びた道。

これはオホーツク海。

土曜日だけれど天候が今ひとつのせいか観光客は少なかった。

そして網走で給油。網走はそれなりの大きな街なので郊外よりは安いのではないかと期待したが、期待に反してむしろ高いくらいだった。これなら紋別で入れておけば良かった。

またまた延々走って知床のウトロまで来て、昨年も利用した夕陽台の湯へ。

すぐ前の駐車スペースがいっぱいで、ちょっと離れた駐車場に停めた。土曜日なので混んでいるのではないかと思ったが、風呂は空いていた。

そしてセブンイレブンで買い物をして定番のウトロの道の駅へ。

神居古潭、朱鞠内湖、北海道命名之地、豊富温泉

6/21(金)は天気が悪いのでいろんな場所を辿って稚内へ向かうことにした。

まずは旭川の神居古潭へ。

神居古潭は以前から一度訪れてみたいと思っていたところなのだが、最近世間を震撼させる事件があったばかりで、ひょっとしたらたくさん人が来ているかもと懸念したが、早朝だったせいか来ている人はわずかだった。

殺害された(?)女子高生は留萌から車で連れてこられたそうなので、おそらく私が走った道で連れて来られたのだろうと思う。

この橋から落とされたそうだが、容疑者は落としてはいないと言っているとか。

2〜3日前のニュースでは橋に花束が供えられていると言っていたが、すでに撤去されている模様。

このあたりをアイヌ語で「パラ・モイ(広い湾)」と呼ぶらしい。

橋を渡った先には函館本線の旧神居古潭駅の駅舎が復元されている。今は山をトンネルで抜けている。

ホームはおそらくその当時のまま。

古いSL.

次は朱鞠内湖(しゅまりないこ)へ。

朱鞠内湖ではイトウを釣ることができるそうだが、昨年、ベテランの釣り人がクマに襲われて亡くなった。

小雨の中、他にもう一台、車が停まっていたのだが、何と大阪からの旅行者。私の車のナンバープレートを見て「こんなところで大阪からの人に出会うとは・・・」とお互いに驚き合った。

そして音威子府(おといねっぷ)そばを食べるべく音威子府に向かう。

殻のついた状態の籾をそのまま挽いた黒っぽい音威子府そばは一時消滅したのだが、ごく限られた店では食べることができる。東京にも食べられる店があるらしい。

音威子府駅前の店に行ったところ、何と臨時休業!!

致し方なく近くの道の駅へ行ったが、メニューが限られていて二日連続のラーメンとなってしまった。昨日のラーメンに比べたらかなり貧弱だった。

お次はこの近くの「北海道命名之地」へ。

「北海道」という地名は明治の初期に松浦武四郎によって付けられたのだが、どうしてこういうことに関して特定の場所が決められているのか不思議だったのだが、その理由がここの案内板の説明で初めてわかった。

そしてぜひまた行きたいと思っていた豊富温泉へ向かう。

最初に行った「ふれあいセンター」が何と故障で入れないとのことで、その近くにあったホテルで日帰り入浴した。

お湯はやはりあの懐かしの石油の香りのするお湯で、私はこういうちょっと変わったものが好きなので良かったが、こういうのをあまり好まない人もいるだろうとは思う。

そして稚内の道の駅に入った。稚内に来るのは3回目だが、車で来るのは初めて。

稚内にはマックスバリュが無いのでセイコーマートで食材を買い込んで、車中で一人宴会にした。

さすがに稚内は寒くて、駅前の温度計では11度くらいだった。

北海道へ

昨年まで3年続けて7月後半に北海道を訪れてきたが、その印象は「北海道でも7月後半はとても暑い!!」ということだった。

実は昨年は6月にしようと思っていたのだけれど、想定外の十二指腸内視鏡手術が6月末にあって、結局7月になってしまった。

今年はそういうハプニングも無く、無事6月に行くことができた。7月になるとフェリー料金も少し上るので、6月末に帰ってくることにした。

6/17(月)の夜に敦賀を出港するフェリーで苫小牧に向かった。

翌日の夕方に津軽海峡を通過するのをいつも楽しみにしているのだが、今回は霧がかかって見通しはあまり良くなかった。

遠方に何やら煙を上げている大きな船?

今回は恵山もしっかり眺めることができた。

苫小牧ではいつものウトナイ湖の道の駅に車を停めた。

浄土平、猪苗代湖

4/24(水)は予報どおりの雨。ただし本降りというほどではない。

とりあえず東吾妻山への登山口になる浄土平へ行ってみる。磐梯吾妻スカイラインは前日開通したばかりで、8時から17時までしか通行できない。

ゲートが開くのを少し待ってスカイラインに入る。浄土平に近づくといかにも火山という地質になって、硫黄の臭いが漂ってきた。

道路脇には「駐停車禁止」、「窓を閉めて」という標識が出ていた。写真を撮りたいところなのだが停められるような場所も無い。

8時過ぎに浄土平に到着した。駐車料金500円なり。

今日もガスガス。もう少し視界があれば小雨でも出かけてみようと思っていたのだが、これでは歩く気にならない。

ビジターセンターに入って時間潰し。

どこか時間潰しできそうなところがないだろうかと地図を眺めていたら、猪苗代湖が見つかった。そばに道の駅もあるのでそこへ向かうことにした。

広大な駐車場のある道の駅だがこの天気では閑散としている。背景は上部が雲に隠れた磐梯山。

傘をさして猪苗代湖湖畔まで行ってみた。

ほんのわずかな滞在で車に戻って、今度は磐梯山ゴールドラインを走ってみることにした。

展望場所からは猪苗代湖が見下ろせるようだが、今日の天気では何も見えない。

磐梯山の登山口を通過して、裏磐梯の桧原湖へ。

遊覧船があるが今日は休業だろうか?

明日はどうするか天気予報を確認して、東吾妻山より安達太良山の方がマシそうだったので、今宵はつちゆの道の駅に向かうことにした。

道の駅を通り過ぎて奥土湯の川上温泉へ。

プールのような深い浴槽のある温泉だった。

そして道の駅に戻った。

一時、雨が強くなったが、天気予報では明日は回復するとのこと。次第に止んでいった。

稚内から札幌へ、そして帰宅

2/24(土)は日本最北端の稚内から一気に家まで帰る予定。すべての交通機関が滞りなく運行されるかどうか、少なからず不安がある。何と言っても真冬の北海道なので。

朝の6時にホテルをチェックアウトした時はまだ薄暗かった。除雪車が随所で作業していた。

20分ほどで稚内駅に到着。

ほどなく乗る予定の列車が入ってきた。まずは一安心。

わりと天気が良かったのでサロベツ原野のあたりで利尻山が見えないか目をこらしていたが、残念ながら今回もダメでした。

天塩川の川縁は霧氷がびっしり。こんな風景が電車の窓から見られるのは北海道ならでは。

音威子府からは次第に混んできた。

旭川で乗り換えるが今日はホームの反対側にすでに列車が止まっていて、乗り換え時間は10分程度。

車窓の風景はこれまでとはかなり違って人工物が多くなってくるが、増毛山地の眺めには引かれる。暑寒別岳はいつか行ってみたい。

今日も約 400km の鉄道旅で、昼前に札幌に到着した。飛行機は夕方なので時間潰しにサッポロビール博物館に向かった。

土曜日だけあってかなり混雑していたが、日本人よりも中国人(台湾人?)の方が多かった。

試飲コーナーがあって、三種飲み較べというのを試してみた。

定番の黒ラベルと北海道限定のサッポロクラシック、そして創業当時のレシピで作っているという開拓使ビール(市販はしていないがここの売店では購入できる)の三種類。

さてお味の違いは?

まずは一口ずつ味わってみる。う〜ん、違うと言えば違うような気もするが、そういう気構えで味わないと違いがわからない程度。さすがに開拓使ビールは違うんじゃないかと期待したが、これもさほどの違いは感じられなかった。まぁ、違いのわからない男なのです。

電車旅の魅力の一つはいつでも呑めることなのだが、今回はこれが最初で最後だった。

まだ時間があるのでここからさほど遠くない場所にある北海道鉄道技術館に行ってみた。午後1時15分くらいに着いた。

何も考えずに行ったのだが開館までまだ少し時間があるとのこと。案内板を見ると開いているのは第2、第4土曜日の午後1時半から4時までとのことで、運が良かった。

JRの苗穂工場の敷地内に設置されていて、二階建ての建物に北海道の鉄道の歴史や様々な歴史的資料が展示されていた。

小学生くらいの子供連れが多かった。

入場無料だが内容は充実していて、サッポロビール博物館よりも楽しかった。

苗穂駅のそばの商業施設のフードコートでラーメンを食べて、新千歳空港に向かう。

Peach はアプリでチェックインができるので便利。チェックイン可能時刻の90分前を少し過ぎたタイミングで手続きしたら窓際の席が取れた。

空港のコンビニでコーヒーを飲んでからターミナルへ。

定刻に乗り込む。

窓際だったが午後5時半過ぎで、左側だったので支笏湖や洞爺湖などは反対側。おまけに少し上がったら雲の上になってしまったのできれいな景観はほとんど見ることができなかった。

関空には定刻より少し早めに到着した。

またバスで駅のある建物まで戻ったが、何と南海とJRの両方とも人身事故でダイヤが乱れているとのこと。

JRの方が改札が近かったのでJRに乗った。うまい具合に座れたが、ほぼ満員の混みようだった。途中で待ち合わせやら何やらで30分ほど止まったりして、家に帰り着いたのは午後10時を過ぎていた。

宗谷岬、稚内港北防波堤ドーム、稚内公園

2/23(金)は冬の宗谷岬へ行ってみる。3年前の夏に稚内から自転車で往復したが、真冬の様相もぜひ見てみたかった。

ホテルを出てバスターミナルに向かう。

宗谷岬を越えて浜頓別へ向かうバスの乗客は10人くらい。市街地を過ぎると左側は宗谷湾。寒々としている。

50分くらいの乗車で宗谷岬に到着した。下車したのは10人くらい。地元の人の生活路線なので途中の停留所で乗ってきた人や、まだ先に向かう人も何人かいた。

土産物店の温度計ではマイナス8.4度。風があまりないのでさほど厳しくはない。

岬の先端の手前には間宮林蔵の像。

そして宗谷岬の最先端。

少し横に行ってぐるっと見渡してみる。

海岸はこんな感じ。

帰りのバスの都合があるのでここでの滞在時間は50分くらい。前回も行った丘に上がってみる。踏み跡はわずか。

相変わらずいろんなモニュメントが建っている。

旧海軍望楼に上がってみる。

展望場所から見下ろすと、

現地50分は物足りないんじゃないかと思っていたが、実際に行ってみるとこの季節は歩き周れるところもあまりないし、雪歩きのできるようなシューズを履いてきてまで歩きたいほどの場所もないので、これで十分だった。

昼前に稚内に戻ってきたので、午後は初めての場所を訪ねてみる。

駅舎を出て少し北へ行ったところにこういうものがあるのは前回はまったく気がつかなかった。

2011年までは線路の終端がここだった。

実は終戦まではさらに北に線路が伸びていて、海岸の港に駅があった。その線路の跡が残っているのだが、今は雪に埋もれて見えない。

その頃の名残がこの北防波堤ドーム。

戦前はここから樺太(今のサハリン)まで稚泊(ちはく)連絡船が運行されていた。その頃は樺太の南部は日本の領土だったので、そこの大泊(おおどまり、今はコルサコフ)まで定期便が運行されていた。

ここに電車の駅があって、下車したらすぐに船に乗れるようになっていた。

遺構として残すために戦後も何度か補修工事がなされている。コンクリートはきれいだった。

ここは地元の人のイヌの散歩コースになっているもよう。

向こうには利尻島へ渡った時に乗ったハートランドフェリー。

実は2015年まではハートランドフェリーはサハリンへの定期航路を運行していた。その頃に来てみたかった。

ドームの内側に海上保安庁の巡視船「りしり」が停泊していた。

背後の丘に何かタワーが見える。

段の上に上がったところから宗谷岬方面を望む。

駅に戻ってお昼を食べて、さてこれからどうするか。樺太記念館に行ってみようとは思っているのだが、それだけでは時間が余り過ぎる。

冬なのでどこまで行けるかわからないが、先ほど北防波堤ドームから見上げた稚内公園の方に向かってみることにする。

散策路の案内に従って石段を上がる。

石段を上がると北門神社。

ここが今日の終点かと思ったが、左の斜面に踏み跡が見えたのでそれを辿ってみた。

数分上がると夏なら車道と思われる道に出て、何人かが歩いている踏み跡が上に続いていた。ストックの跡があるのでハイカーだろう。

そのまま上がると「氷雪の門 樺太島民慰霊碑」があった。

下から見えたタワーはあれ。あそこまで行けるのだろうか。

タワーに向かって進むと「南極観測樺太犬訓練記念碑」。

下から50分ほどでタワーに到着した。「開基百年記念塔」だそうです。

サハリン展望台からサハリンは見えなかった。これは宗谷岬方向。

ここは標高150mくらい。

さて、来た道を戻ることにする。

先ほど見上げた場所を見下ろす。

3年前に来た時も気付いていたが、稚内市内の道路標識は英語(ローマ字)表記の下にロシア語表記がある。

前回来た時にお土産の海産物を買った店の横の建物に樺太記念館がある。この建物の二階。

入館は無料なのだが、入り口で住所氏名を書かされるのが嫌で入らなかった。こういうことはわりとある。どちらかと言うと入館者の少ない、さほど人気のありそうにない施設にその傾向が強いような気がする。

一旦ホテルに戻って一息ついてから夕食に南稚内の方に向かった。

前回、良かった店を再訪したのだが、6時過ぎだというのにすでに満席だった。

結局、チェーン店風の居酒屋に入ったが、十分満足でした。

網走から旭川、稚内へ

2/22(木)は網走を出て旭川で乗り換えて稚内まで行く。約 500km の行程で、ほぼ終日電車。

8時過ぎの特急で旭川に向かう。3時間半ほどの行程。

網走を出発して間もなく網走湖。

留辺蘂(るべしべ)まではかなりの部分が国道(R39)と並行して走っており、この国道は昨夏に車で走った。

留辺蘂を出ると線路は北に向かう。

しばらく走ると常紋トンネルにさしかかる。常紋トンネルは明治から大正にかけて3年ほどかけて掘られたのだが、本州から集められた労働者は極めて過酷な労働環境で働かされて、開通までに 100 人以上の死者が出た。

遺体がそこらじゅうに埋められて、後年になっていろんな場所から骨が発掘されている。

トンネルに入る手前で慰霊目的に設置された歓和地蔵尊がちらっと見えた。

網走から2時間弱で遠軽に到着した。

この駅は一種のスィッチバックで、ここから進行方向が反対向きになって南へ向かう。シートを反対向きに変えた。

12時前に旭川に到着した。旭川駅に来るのは3年ぶり

乗り継ぎ時間が1時間半ほどあるので時間潰しに旭川市博物館に行ってみる。駅のそばの忠別川沿いにはクロカンコースが設置されている。

クリスタル橋から忠別川を見下ろす。

駅から10分ほどで博物館へ。

入館料350円の小ぢんまりした博物館だが、内容は充実していた。アイヌ関連の資料が豊富で、パンフレットをたくさんもらってきた。

駅のそばのイオンのフードコートで昼食を取って、午後の特急で稚内に向かう。この路線は3年前の夏に利尻島へ向かった時に乗ったが、その頃は車窓にはさほど興味が無くて、サロベツ原野を眺めたくらいだった。それよりも主目的の利尻山のことで頭がいっぱいだった。

しばらく走ると塩狩峠にさしかかる。

塩狩峠は明治42年に起こった鉄道事故を元にした三浦綾子の小説「塩狩峠」で有名。

名寄駅から札幌に向かった列車の最後尾の客車が塩狩峠への上りで連結がはずれて坂を下ってしまって、たまたまこの客車に乗り合わせた鉄道会社の職員の長野政雄氏がブレーキを操作して止めようとしたが、列車から転落して下敷きになって、その後に列車が止まって乗客は無事だった。

長野氏の転落が事故だったのか故意だったのか真実はわからないが、自らの命をかけて乗客を守ったという美談が小説の筋になっている。

転落事故は史実だが小説の恋話は三浦綾子の創作。

音威子府(おといねっぷ)を過ぎてしばらく進むと左側に天塩川が望める。

お次はサロベツ原野。残念ながら今回も利尻山は見えず。

そして3年前の夏にサロベツ原野を自転車で走った時に下車した豊富駅。

ほぼ4時間かかってようやく稚内駅に到着した。本当は一つ手前の南稚内駅の方が飲食店は多いしホテルにも近いのだが、翌日のバスの情報収集などのために終着の稚内駅まで乗った。何となく終着まで乗りたかったという気持ちもあった。

バスの乗り場を確認して外に出ると、さすがに寒い。

海に近い道をしばらく南へ歩いて、海鮮料理の店で海鮮丼とビールで夕食。北海道へきたら一度は海鮮丼を食べたい。

さらに南へ10分ほど歩いて今宵のホテルに到着した。ここは3年前の夏にも二泊したホテルで、その時の印象が良かったので今回も選択した。値段も安い。

厚岸から釧路湿原、網走へ

2/21(水)は厚岸から早朝の電車で釧路へ戻って、釧路から網走に向かう。

網走は一度訪れてみたいとずっと思っていて、近くまでは何度も来ているのだけれど、これまではいつも斜里町から知床の方へ向かっていたので網走に立ち寄る時間が無かった。

釧路湿原を走る電車に乗ってみたいというのもずっと思っていた。それも冬なら言うことはない。SLの観光列車がたまに運行されるそうだがそういうものには興味が無いし、それに混雑は避けたい。

朝6時頃にホテルを出て駅に向かった。

街は閑散としていたが、列車の時刻が近づくと通学の高校生のような人たちが集まってきた。全部で10人少々くらい。

釧路への通勤、通学客で混雑しているのではないかと思ったが、到着した列車はガラ空きだった。

✳︎これは釧路駅に到着した時

こういう枯れ草のダンゴのようなものをしばしば見かけるがこれは何?

釧路駅の手前の東釧路駅で乗り換えられるのだが、時間の余裕があるので始発駅の釧路駅まで行く。

2年前の夏に泊まった釧路駅のそばのホテル。

釧路駅での乗り換えが1時間近くあるので一旦改札を出て、コンビニコーヒーを飲んで、みどりの窓口で翌日の指定券を取った。

網走への列車も混むのではないかと心配だったが、昨日の花咲線と同じくらいで窓際席がほぼ埋まる程度だった。

釧路を出て30分ほどすると釧路湿原のエリアに入ってきた。線路脇の川は釧路川。

停車した駅のそばの広場にタンチョウヅルがいた。電車が来ても逃げない。

遠くに見えている山は雌阿寒岳だろうか。

何度か流氷船の情報をネットでチェックしているが、早い時間帯の船は流氷は見えないとのこと。海が荒れていて流氷のエリアまで行けないと書かれている。

摩周駅ではかなりの人が乗り込んできて車内が混んできた。

知床斜里駅を過ぎると右側にオホーツク海が広がって、何と窓越しに流氷がびっしり。

これならお金を払って船に乗る必要はないんじゃないかと思ったりした。

しばらく行くと今度は反対側に濤沸湖。

列車は座れない人が出るくらい混んできた。

このあたりは先ほどの流氷ほどの迫力はないけれど、

12時前に網走駅に到着した。

駅前にモヨロ人の像。縄文時代の貝塚が発見されている。

流氷船は夕方なのでまずはバスで網走監獄へ。

網走監獄というのは以前の網走刑務所の施設が博物館として公開されているもので、現在、犯罪者が収監されている網走刑務所はここから少し離れた場所にある。バスの右側に見える。

網走監獄に到着した。入り口のそばに監獄食堂がある。

ここの監獄食というのを食べようと思っていた。

麦飯(麦3:白米7)、焼き魚(さんま又はホッケ-これはさんま)、小皿、中皿、みそ汁。 現在の網走刑務所の昼食として出された食事メニューを再現したもの。本来は、みそ汁ではなく番茶が出されているとか。監獄でホッケなんて贅沢だと感じるが、ホッケは売り切れだった。900円なり。

お腹が満たされたらいよいよ中に入る。これは博物館の入り口。

元の正門はこの先にある。

網走監獄は1890年に、ロシアの南下政策に備えるための北海道開拓の労働力として1200人の囚人が集められて開設された。過酷な労働で命を落とした囚人も少なくなかったらしい。

とにかく広い施設で(東京ドーム3.5個分)、じっくり見ていたら2〜3時間はかかるだろう。

私が一番印象に残ったのは設備ではなくてこの人たち。

信じられないような狭い隙間から脱出したり、鉄格子に味噌汁をかけて腐食させて破って出たなど、にわかには信じがたいがこれらははすべて事実である。

さて、期待の流氷船はやはり流氷は見られないとのこと。出航はするので乗ることはできるが、網走に向かう車窓から眺めることができたので船はキャンセルした。

バスで駅に戻って、駅のそばのホテルに早めにチェックインした。

ホテルのそばにすき家とファミレスがあるが、網走まで来てそれではあまりに味気ないので、できたら居酒屋のような店に行きたいと思ったが、駅の近くにはそういう店が見当たらない。

寒いのであまり遠方には行きたくないし、そういうことにタクシーを使うような人種ではないので、ホテルから10分くらいの中華料理店に入った。

具だくさんの五目焼きそばと小籠包とビール。ご主人が一人で切り盛りされていて、先客は観光客のようなカップルと一人の男性だったのに焼きそばが出てくるまで30分くらいかかった。のんびりできて良かったけれど。

千歳から根室、そして厚岸へ

2/20(火)は朝6時半頃にホテルを出て、千歳駅から南千歳駅まで一駅乗って、ここで特急に乗り継ぐ。

所々で川面が凍っている。2年前の1月に北海道へ来た時もこんな光景があったはずだが、この時は車だったので外を眺める余裕がなかった。

2時間ほどで帯広。2年前の夏に駅のそばのホテルで一泊した。多くの乗客が降りてガラ空きになった。

線路が太平洋岸に近づいた。荒波がすごい。

釧路で根室行きの快速ノサップに乗り継ぐ。窓際の席は全部埋まるほどの乗客はいた。ここから先の花咲線はそれなりの人気路線とか。

厚岸(あっけし)を過ぎると左側に別寒辺牛(べかんべうし)湿原が広がる。

茶内駅。漫画家のモンキーパンチ氏はこのあたりの出身だそうで、隣の浜中駅にも同じようなパネルがあった。

それにしてもこの花咲線は一部を除いて線路脇に人工物がほとんど無い。しょっちゅう線路にシカが出てきていて、しばしば警笛とともに減速している。

北海道の鉄道から眺める風景は本州とはかなり異なる自然なので、車窓を何時間も眺めているだけでも飽きることがない。

日本最東端の駅は根室駅の一つ手前の東根室駅。

午後1時半頃に根室駅に到着した。さすがに寒い。

根室は昨夏に車でノサップ岬へ行った時に通ったが、街中は走っていない。

根室に来た目的は名物の「エスカロップ」を食べるため。名物とは言っても伝統料理ではなくて一見どこにでもありそうな洋食。

駅の近くにある喫茶「ニューモンブラン」の前身の「モンブラン」で数十年前に提供されたのが始まりとか。

しかし今日はもう少し離れた場所にある喫茶「どりあん」に向かう。

電車旅の利点は昼間から酒が呑めるということで、ネットの情報ではニューモンブランはアルコールが無いがどりあんはビールがあることがわかっていたので、そちらに向かったのだ。

「どりあん」がありましたが、

何と閉まっていた。何の表示も無いのでなぜ閉まっているのかわからないが、毎日営業しているのではないのかも知れない。

と言うことで先ほどの「ニューモンブラン」に戻った。

店内の雰囲気はまさに昭和の純喫茶という作りで、店員も極めて普通の感じの女性。

さて、その「エスカロップ」は、

カツを一口かじってからあわてて写真を撮った。

バターライスに薄い豚肉のカツが載せられていて、わりとあっさり味のデミグラスソースがかかっている。付け合わせにキャベツとポテトサラダときゅうり、ミニトマト。

バターライスは単純なライスではなくて何か小さく刻んだものが入っている。よくあるコーンではなく、タケノコだろうか。かなり小さいので何かよくわからない。

わりとボリュームがあって、バターライスの油がちょっとこってりしていたので、やはりビールがほしかった。

遅めのランチで満腹になったので散歩でもして消化しなければならない。乗る予定の列車までは1時間半くらいある。

一旦、駅の方に戻って、さらに線路の先の方へ行くと根室本線終点の標識がある。奥の方、左側の屋根が根室駅。

またさっき歩いた方に戻って、根室市役所。

それにしても街中を歩いている人はほとんどいない。トイレ拝借に入ったイオンにはそこそこのお客さんがあったが、いわゆる商店街のようなものはどこにあるのかわからい。

今日は釧路に戻る途中の厚岸(あっけし)のホテルに泊まる。なぜかこの日は根室には適当なホテルの部屋が取れなかった。

帰りの電車からの落石岬。

午後6時前に厚岸駅で下車した。

寒いので耳まであるウールの帽子をかぶって、歩いて20分くらいのホテルにチェックインした。

根室でホテルが取れなかったので代替案として探したホテルなのだが、夕食付きで8300円なり。ただし部屋には風呂がない。大きな風呂に入れる方がいいのでその方がありがたい。

夕食は「日替わり定食」と書いてあったので大したメニューは期待していなかったが、まだ昼のエスカロップが胃袋にちょっと残っているので軽い方が良かった。

厚岸は牡蠣が有名で、駅のそばに牡蠣飯の駅弁を売る店があるそうだが、私は気がつかなかった。

私は牡蠣はあまり好きではないので牡蠣フライとかが出できたらちょっとイヤだなと思っていたら、大きな殻付きの焼き牡蠣が一つだけ出てきた。

ダシと一緒に焼かれていて、身もぷりぷりの大きなもので、牡蠣があまり好きではない私でもおいしいと感じた。私の苦手な牡蠣の食感とはかなり違った。