青葉山

6/18(日)は講座で舞鶴の青葉山へ行ってきた。青葉山は今年の1月に個人で行った。しかしながら今回は私は山頂に行くことができなかった。

1月に行った時と同じ経路で、米原まで新幹線を利用して小浜線の青郷(あおのごう)駅に9時半に到着した。

駅前から見た青葉山。

しばらく住宅街を歩いて中山寺に向かう。ホタルブクロ。

駅から30分ほどで中山寺に到着。

このあと登山道に入って、車道を渡って参道に入る。

このあと参道をしばらく登ったところでアクシデント発生。参加者のお一人が体調不良で、熱中症の疑いがあるために下山されることになった。

私はこの方について青郷駅に引き返した。

すでに12時過ぎで、再度登り返して本隊を追いかけるのは時間的に厳しすぎるので、下山予定の松尾寺に向かうことにした。

1月の下山で歩いた車道で松尾寺に向かう。

GPSで現在地は把握しているのだが地図の道の具合がよくわからなくて、ショートカットできるのではないかと思って脇道に入った。おそらく廃校になっているであろう小学校の分校。

この脇の朽ちた土道を進んだところ、ほどなく道が途切れてヤブの中に動物の捕獲網が放置されていた。

これは道ではないと思ったが今さら引き返す気にはなれず、強引にヤブに突入した。

部分的にうるさい竹藪などもあったがGPSで方向を確認しながら進んで、20分ほどで車道に戻った。

後から軌跡を確認したらとんでもない無駄骨だった。とは言ってもロスタイムは10分くらいだろうか。

そのあとは車道をおとなしく20分ほど歩いたら松尾寺の駐車場に到着した。すぐそばには登山道という案内板。

ここを少し進むと青葉山への登山道に出会ったのでここで食事を取ることにした。

いつもの食後のコーヒーはやめておいてすぐに出発して、20分くらい登ったところで下山してきた本隊に出会った。

その後はみなさんと一緒に下山。

松尾寺の本堂は工事中。

元はこんな姿だそうです。

あとは車道で松尾寺駅に向かう。

R27に出たところから青葉山を振り返る。

午後3時半に松尾寺駅に到着して解散した。

横高山、水井山

6/14(水)は講座で比叡山北の横高山、水井山を歩いてきた。

横川のバス停に集合して、10時半に出発した。

30分ほどでせりあい地蔵へ。

急登を這い上がる。

10分少々の登りで横高山の山頂(767m)に到着した。

一旦コルに下ってから今度は水井山への急登。

横高山から30分足らずで水井山(793.9m)に到着して、ここで昼食にした。

昼食後はひたすら下って仰木峠へ。

すっきりしない天気ではあったけれど展望場所から琵琶湖方面を眺めることはできた。

東海自然歩道と同じ道を少し下ってからボーイスカウト道に入る。

急な下りを30分足らずで沢筋に出た。

このあと戸寺のバス停で解散した。

日出ヶ岳、斎宮歴史博物館、松浦武四郎記念館

松浦武四郎のことを知ったのはほんの2年前くらいだったと思う。北海道へ行くようになってからのことだ。

松浦武四郎は幕末から明治にかけて活躍した人で、その当時まだ細部が知られていなかった北海道(その当時は蝦夷)を何度も訪れて、樺太や千島列島にも足跡を残して、アイヌと交流しながら詳細な地図を作り上げた。

明治政府からの依頼を受けて蝦夷と呼ばれていた地に「北海道」という名称を付けた。ただし武四郎が候補に挙げたときは「北加伊道」という字をあてていた。

関連本を読んだり、YouTube にアップされている映像をいくつか見たりして、松阪市にある記念館には一度訪れてみたいと思っていた。

武四郎は晩年に何度か大台ヶ原へ行っている。大台ヶ原に武四郎の碑があることを知ったので、まず大台ヶ原へ行ってこの碑を訪ねて、それから松阪の記念館に行こうと思った。ついでに記念館からさほど遠くないところにある斎宮歴史博物館にも行ってみよう。

6/10(土)の朝5時半に家を出た。天気予報では午前中はまぁまぁだが午後からの降水確率が高くなっている。雨の多い大台ヶ原だが午前中はもってくれることを期待しよう。

途中で朝食のパンを食べて、3時間ほどで大台ヶ原に到着した。

まずは車の中でコーヒーを飲んでから軽装で出発した。武四郎の碑までは30分もあれば行けるだろう。

大台教会のそばを通って行くので教会の看板のところに入る。

すぐに大台教会があった。明かりが見えるので誰か住んでいるのだろう。

1年のうち半分くらいは閉ざされた場所なのだけれど、どういう人たちがここに来るのだろうか。教会とは言うもののキリスト教の教会ではないようで、いわゆる新興宗教の一種のようなものだろうか。

このそばを通って少し行くとゲートがあって、管理人がいた。何と、この先は保護エリアなので入るには許可が必要で、そのためにはお金を払ってレクチャーを受けなければならないとのこと。

いきなりのハプニングでがっくりきたが、そういうルールになっているのであれば仕方ない。とりあえずは戻るしかない。

とにかく今日は諦めるしかないのだが、このまま収穫無しでここを離れるわけにはいかないので、日出ヶ岳だけでも行っておくことにした。

ビジターセンターの横からハイキング道に入る。

25分くらいで展望台に出た。展望台からの熊野灘。

その後、階段を5分ほど登って山頂の展望台へ。

ビジターセンターから30分ほどで日出ヶ岳の山頂(1695.1m)に到着した。ここは3年ぶりくらい。

今度は山頂からの熊野灘。

台高山脈の山々。

西に目を向けると大峰山脈。右に山上ヶ岳。その左の突起が大普賢岳。さらにその左の小さな突起が行者還岳。さらに弥山、八経ヶ岳、そして釈迦ヶ岳。

1時間ほどで日出ヶ岳を往復して、お次は三重に向かう。経路の都合でまずは斎宮歴史博物館へ。途中で昼食を取ったので3時間以上かかった。

斎宮というのは飛鳥時代から南北朝時代くらいまであったもので、天皇の代わりに伊勢神宮に仕える斎王と呼ばれる女性が暮らした施設で、この近くの広大なエリアで様々なものが発掘された。

ちょうど15分ほどのビデオ上映があるとのことで、まずはそれを観賞。

展示室は二つあって、なかなか充実していた。

入場料360円にしては立派な展示だった。

さらにこのあと、2種類あるうちのもう一つのビデオを鑑賞した。

本当ならこのあとそばにある斎宮跡を訪ねたかったのだが、すでに午後3時でこの広大なエリアを歩いていると武四郎記念館が閉まってしまうので、斎宮跡はまたあらためて来ることにして武四郎記念館に向かった。

武四郎記念館までは30分くらいだった。

ここも入場料は360円。

展示室に入ると武四郎が晩年に自宅に作った一畳敷の原寸大模型が展示されていた。

それにしても武四郎の筆まめさには驚かされる。特にスケッチが非常に巧妙で、こんな精細な絵が短時間でよく書けるものだと感心する。武四郎の時代にはそろそろ写真機が登場していたと思うが、一般人が使えるようなものではなかったのだろうと思う。

武四郎よりは少し後の時代になるが、イザベラ・バードも精巧な絵をたくさん残していた。

このパネルは唯一残っている武四郎の写真で、首から下げている飾り物の複製品が展示されていた。

展示室は1カ所のみで、斎宮歴史博物館よりは小ぶりだった。土曜日なので混雑しているのではないかと懸念していたが、実際には見学客は入った時に他に一人おられただけで、私の後には誰も来なかった。どうも一般的な知名度はあまり高くないようだ。

この近くに武四郎が生まれた家が残っているとのことだったが、もう時間も無いのでそこには立ち寄らなかった。

大台ヶ原の武四郎の碑を見ることができなかったのが心残りではあるけれど、武四郎の碑は北海道だけでも10箇所以上あるし、いずれにしても後世の人が建てたもので、観光目的で建てられたようなものも少なくないと思うので、あまり無理してまで訪れるほどのものでもないような気もする。

天王山

6/5(月)は講座で天王山へ行ってきた。天王山はつい先日、個人的に行ったばかり。

JR長岡京駅に集合して、バスで奥海印寺まで行った。

少し住宅街を歩いて、西代里山公園。

しばらく川沿いを進むが、住宅街の近くにしては景観が楽しめる。

公園から15分ほどで西山古道に入る。

通行止めのテープが張られているのに少し進むと西山古道は通行可と表示されている。

しばらく沢沿いを歩く。左側が切れ落ちているような箇所もいくつかあった。

1時間ほど歩いて車道に出る手前で昼食にした。

先日、釈迦岳から下りてきたところに出た。

あとは先日と同じルートで少し車道を歩いてからハイキング道に入る。

一旦車道に出てから天王山へのハイキング道へ。

ササユリが一輪だけ咲いていた。

細い道で天王山の山頂に向かう。

午後1時半に天王山の山頂(270m)に到着した。

実は城跡です。

展望場所から京都の南の方を望む。

さらに下って、石清水八幡宮のあたり。

先日と同じく、稲荷大明神のところに下りてきた。

2時半にJR山崎駅に到着して解散した。

鳥取砂丘

5/16(金)は鳥取砂丘を訪れた。

鳥取駅前発9時過ぎの始発のバスに乗って、20分少々で終着の砂丘会館へ。乗客は外国人観光客が多かった。

階段を上がって砂丘を望む。

トレラン用のゲイターを着用して、馬の背に向かう。

見た目よりは近くて10分くらいで馬の背の上に着いた。日本海が目の前に広がっている。

馬の背からのパノラマ。

海岸まで行ってみようと思ったのだが、意外と傾斜があって帰りが苦労しそうだったので諦めて、馬の背の稜線を辿ってみた。

草が生えているところもあって、ハマヒルガオ。

馬の背の麓のあたりには何故か水の流れがある。

ちょっとした池ができている。

この水の流れはどこから来ているのだろうと思って上流に向かってみたら、水源地はほんの 30m くらい先でした。

これでもう戻ろうと思って歩き出したのだが、時間を見るとまだまだ余裕がある。これなら海岸まで行けるのではないかと思い直して、馬の背よりも低くなっている部分を目指して登り返してみた。

うまい具合にここからの斜面は傾斜が緩そうだった。

無事に海岸までたどり着けて、海の水を舐めてみたらやはりちょっとしょっぱかった。

ラクダ乗りがあるのでちょっと寄り道してみた。

砂丘会館に戻って土産を買った。梨ソフトクリームがおいしいと聞いていたので食べてみようと思ったら500円もしたのでさすがに腰が引けて、まだ次のバスまで少し時間があるので別の土産物屋に立ち寄ってみたら、ここでは梨ソフトが 330 円で売っていた。

500円の店のものとどれくらいの違いがあるのかわからないが、十分満足できる味でした。

さて、午後の列車で京都に向かう。実は特急一本で大阪に帰れるのだが、今回は山陰本線に乗りたいと思って、あえて城崎温泉で別の特急に乗り換えた。

余部(あまるべ)鉄橋をゆっくりと通過中。

もう30年以上も前のことだが、列車がここを通過中に突風に煽られて鉄橋から転落して下にあった水産加工工場を直撃して、電車の車掌と工場の作業員数人が亡くなるという事故があった。列車は回送列車だったので乗客はいなかった。

兄弟赤島。

丸山川の対岸に玄武洞。

京都駅には午後5時過ぎに帰ってきた。

こういう鉄道旅はほとんど初めてと言ってもいいくらいだったが、好天を狙ったおかげもあって非常に楽しめた。ぜひまたどこかへ行ってみたいと思う。

出雲大社

5/25(木)は出雲大社(いずもたいしゃ、いずもおおやしろ)に向かう。今回は人生初の島根県(のはず)で、もちろん出雲大社も初めて。

一畑電車を乗り継いで朝の8時に出雲大社前駅に到着した。

5分ほど歩いて参道入り口へ。

参道は松の木の根の保護のために両横の歩道を歩くようにとのこと。

ほどなく拝殿へ。

有名な巨大なしめ縄。

拝殿の横を回り込んで本殿のエリアへ。

本殿のエリアには入れないが、中を覗くと。

お参りする人たちがたくさん拍手するのが不思議に思っていたら、ここではそれが礼儀だそうです。

四拍手の意味は四季や東西南北の四方向を守る神への敬意というような説があるとか。他にもこういう作法を行なっている神社がいくつかあるらしい。

まだまだ時間があるのでそばにあった宝物殿に入ってみた。300円なり。

展示はそこそこ充実していた。

お次は古代歴史博物館に向かうのだが、参道の横に「ムスビの御神像」。

なんかちょっと違和感がある。

そして古代歴史博物館へ。

JAF割引で490円で入れたが、展示は非常に充実していた。

ビデオ上映なども楽しんでゆっくりしていたら、実は予定のJRの電車の時間にはギリギリということに気がついてあせった。

駅のそばで出雲そばでも食べようと思っていたのだがそんな時間はまったく無く、ライスバーガーを買って待合のベンチでほうばった。そして乗り換えのアプリで調べてみたら、万が一、予定の電車に乗り遅れたとしても、後の特急に乗れば追いつくことができるということがわかって少し安心した。余計な出費にはなるのだけれど。

一畑電車からJRの出雲市駅までは少し離れているのだが猛ダッシュで駆け込んで、何とか予定の電車に乗ることができた。

今日は鳥取のホテルに泊まる予定なのだが、ひとまず米子まで普通電車で行って、ここからは特急に乗る。

海側の席に座って、これは穴道湖。

松江市を過ぎると中海が見えた。

米子で乗り換え時間が30分ほどあるので一度改札を出て、そばにあったコンビニでコーヒーを買って時間潰しした。

ホームで列車を待っていたら派手なラッピング列車が停まっていた。

海側の席に座ったので大山を見ることはできなかった。

午後4時頃に鳥取駅に到着した。

鳥取駅で驚いたのは地方の中核都市の駅なのにICカードが使えない(?)ということ。改札も二つくらいしかなくて、通勤や通学の時間帯はかなり混雑するのではないかと思った。

駅から5分くらいのホテルにチェックイン。旅行支援のサービスが受けられるとのことで、ホテル代の割り引きとともに2000円分のクーポンがもらえた。

夕食にはネットで見つけた駅前食堂というところへ行ってみた。ホテルからも近かった。

残念ながらここは失敗だった。料理の問題ではなく、やや高齢の男性がたった一人で切り盛りされているので、なかなか注文もやりにくいし、注文が重なると時間がかかる。また、メニューの品数も少ない。

小さなカウンターだけの飲み屋でママさんが一人で切り盛りされているような店はいくらでもあるけれど、ここはカウンターではなくてテーブル席なので、注文しようと思ったら声をかけにいかなければならない。

勝手知った地元の人が気楽に来るような店で、旅行客が行く店ではありません。

木次線スイッチバック

登山や山スキー、トレランなどは体力的にかなり厳しくなってきていて、自分で納得できる山行きなどができるのはもうあとせいぜい2〜3年くらいだろうと思っている。

もちろんハイキング程度の軽登山は続けると思うが、事故の危険性のあるような山はもう辞めた方がいいだろうと思っている。もちろん低山でも事故の危険性はあるのだが。

そこでその次に何をやりたいかと言うと、鉄道を使った旅をやりたいと思っている。

鉄道旅に対するあこがれは何年も前からあって、昨年はJRのジパング倶楽部という高齢者対象の割引プログラムに入った。

今月いっぱいで有効期限が終わりになってしまうのだが、これまでにはまだ2回使っただけで、それも利用できる最低距離に近いくらいの旅程なのでまだ会費の元も取れていない。

実はすでに更新されて新しい会員手帳が届いているのだが、以前のものもまだ今月いっぱいは使えるので、何とかこれを活用したいと思っていた。

何ヶ月か前にネットの番組でJR木次(きすき)線のスイッチバックというのを見た。鉄道で標高差の大きい斜面を通過するためにZ字状に線路を敷いて、一旦一方にたどり着いたら運転手が反対側へ移って逆方向に進むということを何度か繰り返す。箱根登山鉄道が有名だが、JRではここくらいだろうか。

箱根のような超観光地には足は向かないので、今や廃線の危機に瀕しているというこの木次線に乗ってみたいと思って、鉄道旅を計画してみた。

5/24(水)の朝に家を出て、まずは新幹線で岡山へ。そして伯備線で新見(にいみ)へ向かう。ギリギリのスケジュールは避けて一本早い便に乗った。

1時間半ほどで新見に到着。

ちょうど昼時だったので駅前の店でランチを食べた。意外と混雑していた。

そして芸備線で備後落合に向かう。

しかしこの路線、今年3月に落石事故があって、東城駅から先は代行バスでの運行になっている。このバスに乗ったのは私を含めて4人。そのうち一人は途中で下車された。

40分ほどの乗車で備後落合駅に到着した。

この駅、最盛期には100人以上の職員がいたそうで、駅のそばには宿が並んでいて、パチンコ店すらあったとのこと。それが今ではJR西日本でも屈指の赤字路線で、廃線の危機に瀕している。

広島方面から来た列車が停まっている。

この列車からはわりと多くの人が降りてきたが、そのほとんどは木次線に乗るのではなくそのまま引き返すようだった。

さて、しばらくして木次線の電車(実際はこの路線は電化されていないので気動車)がやってきた。もっとレトロな車両がやってくるのかと思っていたが、意外とハイカラだった。

乗客は10人程度だった。ここでも乗ってきてそのまま引き返す人が何人かおられた。

定刻の14時43分に備後落合駅を出発した。

JR西日本の駅の中で最も標高の高い三井野原駅(727m)を過ぎると下りにさしかかり、奥出雲おろちループの手前の高架橋が目に入ってきた。

このあたりはゆっくりと走ってくれる。これは奥出雲おろちループ。

そして3回スイッチバックを繰り返す。

3回目の場所は出雲坂根駅。ここで何人かの方が下車された。

こんな立て看板が。

宍道に近づくにつれてそれなりに乗客も増えて、17時38分の定刻に宍道駅に到着した。木次線3時間の旅だった。

そして今宵の宿の出雲市に向かった。

本場ののどぐろを味わった。まぁこんなもんかなという感じ。

そしてホテルにチェックインした。

堂満岳

5/21(日)は講座で比良の堂満岳へ行ってきた。講座での堂満岳は7年ぶり

湖西線の比良駅に集合して、バスでイン谷口まで行った。

正面谷を詰める。大山口を通過。

いよいよ青ガレへ。

青ガレの取り付きから 40 分ほどで金糞峠に到着した。

時間があるので少し八雲ヶ原方面に下って芦生杉を眺めに行く。

そしてこのそばで早めの昼食にした。

昼食後は縦走路に戻って堂満岳に向かう。そして縦走路から分かれて堂満岳への道へ入る。

ドウダンツツジ。

シロヤシオ。

イワカガミも残っていた。

振り返るとコヤマノ岳。

12時過ぎに堂満岳の山頂(1057m)に到着した。

山頂から琵琶湖方面。気温が高いせいか遠方は霞んでいる。

日曜日のせいか山頂は大変な混雑だった。

展望を楽しんだらイン谷口に向かって下る。

だいぶ下りてきたところでヒトリシズカ。

ノタノホリでゆっくりした。

3時前にイン谷口のバス停に戻って、バスで比良駅に向かった。

比良駅のホームからは堂満岳が正面に聳えていた。

御山谷、雄山西面

5/18(木)も朝から快晴だった。

当初は雷鳥沢を上がって、できれば剣沢へ滑り込みたいと思っていたのだが、室堂山荘から雷鳥沢キャンプ場へのルートがよくわからない。上から眺めてみたところでは部分的に雪が切れているんじゃないかという感じもする。

そこでまた一ノ越に上がってから黒部側へ滑り込んで、また一ノ越に戻ってから雄山の西面を雷鳥沢キャンプ場の方に滑ってみることにした。


✳︎赤が登り、青が滑り

山荘から1時間程度の登りで一ノ越へ。黒部側の斜面(御山谷)は緩傾斜で楽しめそう。

ほんの5分程度の滑りで大斜面の最下部まで来た。雪の斜面はここから狭くなっている。まだしばらく下れそうな感じもするが、あまり下ると登り返しがつらいのでここでお終いにする。

一ノ越はそれほど遠くない。

30分もかからないくらいの登り返しで一ノ越へ戻って、カロリーメイトをかじってしばらくのんびりした。

後半戦は雷鳥沢キャンプ場方面の広大な斜面を行くことにする。

あとで面倒な登り返しが無いようにルート取りを慎重に下る。うまく下ってキャンプ場が近づいてきた。

このあたりまで下ると雪面の縦溝がひどく、キャンプ場まで行ってもただ短調な道を戻るだけなので、このあたりで横の沢に下りることにした。

シールを着けてブルドーザーのトレースを辿る。室堂山荘へのルートはブルドーザーが動いているので、みくりが池を回る方向に向かった。これは血の池。

雷鳥荘と地獄谷の噴煙。

散策路に入ったので板をかついで、みくりが池をそばを歩く。

12時過ぎに室堂山荘に戻って、山荘の前の休憩場所でビールを飲んでのんびりした。

荷物をまとめたりして1時間ほどのんびりしてから帰路についた。室堂ターミナルから立山連峰を振り返る。

バスはすんなりとは乗れないのではないかと思っていたのだが、予想外にすぐに乗れた。雪の大谷は散策路ができている。

弥陀ヶ原の雄大な景色を眺めながらバスが下っていく。いつかここを散策してみたい。

立山駅で軽く腹ごしらえしてから風呂に向かったが、ネットで検索したところが2件続けて営業していなくて、ようやく立山国際ホテルで入ることができた。たぶんここは5年前に随行で来たときに入った温泉だと思う。

旅行支援で 2000 円のクーポンをもらったので、久しぶりに鱒寿司を買って帰った。

立山・雄山、浄土山

実は今週は月山、鳥海山を計画していたのだが、ポイントになる先週末の天気がかなり悪くなりそうだったので断念して、好天予報の週の半ばに立山へ行くことにした。

立山での春スキーはずっと以前から一度行きたいと思っていたのだが、アルペンルートの混雑と宿泊が難点で、これまで実行する機会が無かった。

先週末に週間予報を見てからアルペンルートと室堂山荘の予約状況を見ると、好天予報の水木でも山荘の個室が取れるようだったので、そのタイミングで朝一番のケーブルと山荘の予約を入れた。

5/16(火)の午後に家を出て、高速のパーキングエリアで夜を過ごしてから5/17(水)の朝6時にケーブル立山駅の駐車場に車を止めた。

始発の7時のケーブルで美女平に上がって、バスで室堂に向かう。バスの車内では観光案内の録音がずっと流されている。

窓越しに見えている滝は左が称名滝で右がハンノキ滝。

称名滝は落差 300m を超える日本最大の滝なのだが、ハンノキ滝は称名滝よりも大きいのに水量の多い時だけしか現れないので正規の滝としては認められていない。こんなにはっきりとハンノキ滝を見たのは初めてだった。

そんなせいもあるのだろうが、バスの案内ではハンノキ滝のことはまったく触れられていない。知らない人が見たら右のハンノキ滝のことを称名滝と思ってしまうのではないだろうか。

なかなか雪が出てこなくて不安になっていたが、2000m に近づいてくるとようやく雪が現れてきた。左手には大日岳。

さらに上がると剣岳の勇姿が望めるようになってきた。

8時過ぎに室堂に到着した。

まずは不要な荷物を預かってもらうために室堂山荘へ向かう。


✳︎赤が歩き、青が滑り

準備を整えて9時過ぎに出発した。好天のせいもあって平日でも登山者は多い。

私はだいたいは春でも山スキーの時はオーバーパンツとジャケットは羽織るようにしているのだが、さすがに今日はそれでは暑そうなのでフリースパンツと長袖のアンダーシャツ、フルジップ長袖シャツだけで歩き出した。

一ノ越が近づいてきた。

10時過ぎ、室堂山荘から1時間弱で一ノ越に到着した。ここの小屋は5年前の夏に講座で来て泊まった。

ここに板を置いて雄山をピストンする。できれば最高峰の大汝まで行きたいのだが。

この登りは岩がゴロゴロしていて歩きにくいことはわかっていたが、そこをスキーブーツで登るのは苦行以外の何物でもなかった。兼用靴とは言っても足首はほとんど曲がらないし、ソールは完全にフラットになっている。

普通の登山靴で軽快に登っていく人を何人も見送って、ようやく神社が見えてきた。

11時10分、一ノ越から1時間かかってようやく雄山神社(2991.8m)に到着した。

神社はまだ閉まっている。

神社が閉まっているおかげで無雪期にはお金を取られる山頂も開放されていた。

11時19分、雄山の山頂(3003m)に到着した。

山頂からは北アルプスのほぼ全山が望める大パノラマの光景だった。

神社の建物のそばの板に腰掛けておにぎり休憩にした。その後、一度は大汝に向かおうとしたのだが、最初の下りでのあまりの歩きにくさで断念することにした。

下りも大変だったが、運良く雷鳥に出会えた。

一ノ越からの滑りはほんの10分ほどで室堂山荘に戻った。

まだ午後1時過ぎなので山荘前のベンチでのんびりしてから二回戦に出かけることにした。

山荘の前に浄土山の斜面が広がっている。ここは傾斜もなだらかで距離も適当なのでここへ行くことにしよう。

1時間ほどかけて稜線まで上がった。またもや絶景で、正面に薬師岳。その左に黒部五郎岳。その向こうには笠ヶ岳が聳えている。写真からははずれているが槍ヶ岳もはっきりと見えていた。

東の方に目を向けると鍬崎山。

ほんの数分の滑りで山荘に戻ってチェックインした。

私が自分の意思で山小屋に泊まるのは二十数年前のヨーロッパアルプス以来のこと。日本の山小屋に随行以外で泊まったのは前回はいつだったのか思い出せない。

山小屋泊というのにあまりいい印象が無かったというのがその要因なのだが、ここはいい山荘だった。温泉も広くてゆったりできて、働いている人たちも非常に感じが良かった。これなら機会があればまた訪れてみたいと思った。