能郷白山

岐阜の能郷白山は関西の山ヤには人気のある山だが、私はこれまで行ったことが無い。

場所が中途半端で、前泊するほど遠くはないけれど日帰りにはちょっと遠いと感じていたのだが、高速も延びて十分日帰りできるということがわかった。

北の温見峠(ぬくみとうげ)からだと2時間もあれば登れるらしいが、これではあまりに物足らない。

南の能郷谷ルートだと標高差が 1200m ほどあって、通常登り4時間くらいらしいので、ここを往復することにした。

10/11 の日曜日、途中でカップ麺とおにぎり、コーヒーの朝食を取って、2時間半ほどで能郷根尾まで来たのだが、またもや google のナビで変な所に追い込まれて、とんでもない狭い荒れた林道をウロウロさせられてしまった。

何とか正しい場所に着いて、駐車スペースを出発したのは8時5分だった。すでに1台停まっていた。

しばらく舗装された林道を歩く。横の沢から水が流れ出している場所が出てくるが、最初の関門は沢側を飛び石伝いに越えた。ポールがあって助かった。

道端にツリフネソウ。

舗装道路が終わった。

と思ったら、舗装道路の残骸が現れた。

出発して1時間足らずで登山口に到着。

すぐに橋を渡る。

尾根に取り付いて急登を上がる。ロープが垂れている場所もいくつか出てきた。

20分ほどヒイコラ上がると少しなだらかになってきた。まだまだ先は長い。

標高 1000m あたりに突然ガードレールの残骸が。

最初歩いた林道は昔はここよりもっと先まであったようだが、もはやどこが道路だったのかまったくわからない。おそらく林業ではなくて、堰堤を作るための作業路だったのだろうと思う。

それにしても地形図の道は山間部ではまったくあてにならない。記載されている山道が現地に行くとまったく消滅していたなんてことはこれまでに何度もあった。

こういうのは遭難事故につながることなので、もう少し責任を持って管理してほしいと思う。すべて国土地理院で調査するのは不可能だと思うので、各種山岳団体などに情報を求めればいいのではないだろうか。

また急登が出てくる。短時間で標高がかせげるので効率がいい。「お迎えブナ」。

そのすぐ上に「ももすり石」。腿のこと? いずれにしても何か歴史的な謂れのあるようなものには見えない。

1/6 から 30 分近くかかってようやく 2/6。まだあと 3.5km もある。意外と時間がかかりそう。

山頂につながる東側の稜線が近づいてきた。

振り返ると左に能郷谷、右は徳山湖。能郷谷のずっと向こうには岐阜の平野が見えていた。

頂上稜線に上がって 4/6。3/6 は見落としたよう。

頂上稜線はなだらかで、しばらく緩い下りが続く。あまり下りたくないのだが・・・。

山頂はガスがかかって見えない。

山頂まであと 500m 少々。

最後の登りを越えて、たぶんあれが山頂への分岐。

まずは山頂へ。

11時21分、能郷白山の山頂(1617.4m)に到着した。出発してから3時間16分だった。

やはり山頂エリアはハイカーが多い。ほとんどは温見峠からの人たちだろう。展望も無いので早々に引き返して奥の院へ向かう。

ここにも休憩している人たちが何人かいた。それにしても味気ない祠。

ここの貼り紙を読むと、山頂の看板と自分を撮影した写真を見せると、麓のうすずみ温泉が割引料金(850 円-> 500 円)になるとのこと。

ということで、山頂におられた方にシャッターを押していただきました。ワキにぶら下げているのは熊除けスプレー。

残念ながら展望は無し。

上部にはリンドウがたくさんあったが、まだほとんどが蕾。一輪だけちょっとだけ開いていた。

山頂から少し下った所で腰を下ろしておにぎり休憩にして、上から2時間少々で登山口まで下りてきた。

下の林道は舗装部分は走った。

午後2時4分、駐車スペースに戻ってきた。出発からほぼ6時間だった。

後片付けをしたら「うすずみ温泉」へ。この近くに「うすずみ桜」という桜の名所がある。

露天はもちろん、ジャグジーや水風呂もあって良かったけれど、コロナ対策で元々それほど多くない洗い場が一つおきに制限されていて、少し待たなければならなかった。仕方のないことだけれど、コロナ後に行った温泉でこういうのは初めて出会った。休憩室のソファなどはどこでもそういう制限をしているけれど。

そろそろ 1000m 超だと寒いかもと思って暖かい用意をして行ったが、この日はかなり暑くなって、急登もあって汗かきまくりだった。

予想外に帰り道は渋滞も無く、6時過ぎには家に帰り着くことができた。

箕作山

10/5 は講座で滋賀県の箕作山(みつくりやま)へ行ってきた。ここは三年前にも別の講座で歩いた。

近江鉄道の太郎坊宮前駅に集合したが、JRが人身事故で大きく乱れて、予定の電車に乗れない人が出た。

間に合った人たちだけで先発してもらう。これは駅から見た太郎坊。

私は遅れた人たちと後から追いかける。長い石段の始まり。

本殿手前の夫婦岩。

展望台から南の方を望む。なだらかな山並みは二月に行った十二坊

すぐそばに本殿。

少し戻ってハイキング道に入る。

まずは太郎坊山へ。山頂から琵琶湖方面を望む。遠方は比叡山。

その後、箕作山(372m)に到着して、ここで昼食にした。

東南の尾根を下って車道に下りる。

そして延命公園へ。古墳があります。

展望台から鈴鹿方面。遠方は見えない。

街まで下りてきて太郎坊を振り返る。

新八日市駅にゴールした。歴史のある古い駅舎らしい。

この講座は半年ぶりの再開だったが、新しい方も何名かおられて楽しいスタートを切れた。

吉野山散歩

※吉野郡は奈良県の面積の半分以上を占める広大な地域なので、桜で有名な吉野地区のことをここでは「吉野山」と表します。

吉野山の街は何度も歩いている。

しかしいつも山の行きか帰りなので、時間をかけてゆっくり見て回ったことは無い。

いちど街歩きを主目的にして訪れてみたいと思っていたが、なかなかいいタイミングが無かった。

翌日に講座の仕事が入っている 10/4 の日曜日、あまり疲れが残るような山行きは躊躇する日で、しかも天候もちょっと不安定な感じだったので、これは格好のチャンスだと思った。

こんな時でもなければ立ち寄らないような場所もいくつかピックアップしていたので、気楽な気分で出かけることにした。

司馬遼太郎のような文章が書けるわけはないけれど、気分は「吉野山散歩」である。

家から2時間半かかってようやく六田(むだ)駅に着いた。車ならこの時間帯であれば1時間半あれば来られるのだけれど。

8時23分に六田駅を出発した。しばらく国道を走って、まずは「柳の渡し」。奥駆道の北端で、逆峰(吉野から熊野に向かう時)の時はここで身を清めて修行に入る。元々はもう少し上流にあったらしい。

美吉野橋を渡って吉野川の左岸へ。役行者の像がある。奥駆道75靡の75番目。

この先を左に曲がってわずかで行者堂があるはずなのだが、なかなか見当たらない。そこから旧道に入るので、不安になって細い道を適当に入った。

山の斜面の畑の畦道で、少し登ったら畑作業をされているご夫婦がおられたので「吉野神社へ行く古い道はどこですか?」と尋ねたら、「そういう道は知らないけれど、前の道はずっと続いている」とのことだったので、斜面の上に向かって細い踏み跡を進んで行った。

しばらく登ると少しはっきりしてきて、テープもいくつか出てきた。

左に車道が見えたので、これが吉野神宮へ行く道だと思って車道に下りたが、どうも様子がおかしい。すぐ先にゲートがあって通れなくなっている。

細い道が分かれていたのでそちらに進んだところ、まもなくヤブになった。そして強引に進むと太陽光発電の大きな場所に出た。

今回はコース全体の地図は持ってきておらず、ポイントの周辺を拡大したものしか用意していない。

gps も画面が小さくて、自分のいる場所がはっきりわからないので、スマホも使って確認したところ、何と、吉野神宮の西の左曽川のさらに西にいることがわかった。

美吉野橋を渡って左に曲がって、すぐに行者堂があると思い込んでいたが、帰ってからその本(新吉野紀行・桐井雅行著)を見直すと「すぐ」ではなくて「しばらく」と書いてあった。

左曽川を越えてから山道に入らなければならないのに、その前に斜面に入ってしまっていたのだ。何たること!!

結構進んでいるけれど、諦めて戻ることにした。先ほど出会った車道で本来の道に出会えそうなので、そこをジョグで戻った。

しかしここでまたもやミス。吉野神宮に向かう車道が2本あって、ここからだと大回りになる方に入ってしまっていた。

諦めてこのまま進むかどうか思案したが、また戻って本来の道に向かうことにした。

車道を忠実に辿ると大きなヘアピンカーブを登らなければならないのだけれど、ちょうどカーブの始まりあたりで斜面の上に向かって細い道が伸びていたので、ショートカットできるかもと期待してそこに入った。正解でした!!。

車道を進むとほどなく行者堂が現れた。私が読んできた本は 1996 年の出版で、その後ここに移設されたようだ。

本に紹介されていた旧道の「一之坂」もわからず、そのまま車道をジョグで進んだ。

9時58分、ようやく吉野神宮に到着した。

後醍醐天皇が祀られているが、明治になってから創建された神社なので、それほど長い歴史があるわけではない。

昔はこのあたりに「丈六山」という74番目の靡があった。

また車道をしばらく進んで「村上義光公の墓」。

村上義光(むらかみよしてる)は大塔宮護良親王が北条幕府とこのあたりで戦った時、護良親王の身代わりとなって壮絶な最後を遂げた様子が太平記に残されている(らしい)。

急な登り坂を上がると下千本の駐車場に出る。ここの南にあるちょっとした小山が嵐山。

実は京都の嵐山はここが元祖。亀山天皇が吉野山の桜を京都に移し植えて、名称もそのまま移された。

そして、東側に谷を隔てて眺められる尾根が「ホウヅキ尾」。ここは尾根だが、京都の「保津峡」もこれが名称の由来。

ホオヅキ尾の向こうに龍門岳(左)と烏ノ塒屋山(右)

少し進んで、芭蕉の句碑。判読不能。

このあたりは駐車場に車を置いて歩いておられる観光客がチラホラ。コロナの影響もあるだろうが、元々吉野山は桜の季節以外は観光客はあまり多くない。

「攻ヶ辻」。対幕府軍との激戦地だった。

このすぐ先に「大橋」。元々は城を守るための堀に架けられていた橋。いつもは吉野駅から、左側に見える階段を上がってここに出てくる。

ここから先はもう何度も歩いた道。まずは黒門。金峯山寺の総門。

そして「銅鳥居(かねのとりい)」。日本三鳥居の一つ。

鳥居のそばにある行者堂の役行者像。

いよいよ金峯山寺へ。仁王門は相変わらず改装中。

手前が大塔宮御陣地の四本桜で奥に蔵王堂。

今日は拝観料を払って蔵王堂の中に入った。初めて蔵王権現像を眺めたが、正直仏像の価値はよくわからない。

石段を下って、吉野朝宮跡へ。

後醍醐天皇など南朝四帝の歌が彫られた五角柱の文字碑。

また境内に戻って、村上義光が壮絶な最後をとげた場所。

吉野山ビジターセンターは閉まっていた。

奥駆道ツアーをやったり、宿坊もやっている東南院。

何度か来たことのある吉水神社にも寄っておく。ここは昔は吉水院という寺だったが、明治の廃仏毀釈で神社になった。

後醍醐天皇や源義経の過ごした部屋を見てみたい気持ちもあったけれど、拝観料が 600 円もするので躊躇した。

今日の目的の大きな目玉はこの後にある。

古事記より・・・

『尾のある人、井より出て来たりき。その井に光ありき。
ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、
「あは国つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂ふ」と答へ曰しき。
こは吉野首(よしののおびと)等の祖なり。』

神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこ–神武天王)が八咫烏に導かれて熊野から吉野にやってきた時の話で、井氷鹿にまつわる伝承のある井光(いひか、いかり、いひかり)神社が吉野山周辺に何箇所かある。

「役行者–修験道と海人と黄金伝説(前田良一著)」によるとそのうちの二箇所がこの近くにあるとのこと。

メインストリートから横道にそれて、行き止まりになった場所のそばに古びた祠があった。

前述の著書の写真では標柱に「井光神社」の文字が読み取れたが(出版は 2006 年)、もはや判読不可能だった。祠も手入れされているようには見えず、遠からず倒壊するのではないかという感じ。

メインストリートに戻って少し進むと勝手神社があって、その前の道から右への石段を下ると大日寺。村上義光・義隆父子の菩提寺。

勝手神社の境内には、静御前が義経の無事を祈って舞った場所といわれる舞塚。

少し進むと右側に「井光神社八幡宮」。ここは手入れはされているようだが、境内も無く、囲いの向こうに祠があるだけ。

吉野川右岸の川上村井光にも井光神社がある。ここはもう少し立派な神社のようだが、まだ行ったことが無い。

お次は喜蔵院。宿坊をやっている。中に入るのは初めて。これは本堂。このあたりの寺はみんな修験道の寺なので、本堂の前に護摩を焚くための場所が設えられている。

そして今回の大きな目的の一つが善福寺。

この本堂の裏の斜面を下ると、井氷鹿が出てきたと云われる井戸がある。

「井氷鹿の井戸」の伝承地も実は三箇所ある。詳細は後ほど。

次に桜本坊へ。

役行者の下駄に乗ってお参り。

そして竹林院へ。

さらに進んで天王橋。ここも城の堀にかけられた橋。

当初は水分神社あたりまで行くつもりだったが、序盤のミスで余計な時間と体力を浪費してしまったので、ここから如意輪寺へ向かうことにした。

山道に入って少し行って、五郎平茶屋跡。

谷の向こうに如意輪寺が見える。

谷に下ってから登り返して如意輪寺へ。

宝物殿には入らずに後醍醐天皇陵へ。

石段を引き返して、車道を吉野駅に向かう。この道はちょうど一年前に辿った

吉野駅前からケーブルの駅の横を通って幣掛(しでかけ)明神へ。ここもこれまでは前を素通りするだけだった。

「一之行場」となっているが、奥駆道からははずれている。飯貝からここを通って七曲りを上がって大橋に出る経路は昔から一般的だったもよう。

ここにも行者堂がある。

また車道に戻って飯貝へ向かう。目指すは飯貝の水分(みくまり)神社。その目的は・・・。

ここにも「井光の井戸」があります。

神社の境内まで行ってみたが、肝心の井戸がどこかわからない。

境内の奥にヤブに入っていく踏み跡があったが、すぐに消えてしまった。

仕方なく参道を戻ったところ、先ほどの看板の向かいに危なっかしい板の道が下に向かっていた。

50m ほど下るとありました。

標柱の文字はもはや読めない。「神武天皇」という文字がかすかに残っているようだが。

私は神武天皇の実在を信じているわけではないが、日本の神話は何かその起源になるような人物や出来事があったのではないかとは思っている。

井氷鹿の「尾のある人」というのも、山伏や山仕事をやる人がお尻に着けている毛皮のことではないかという説もある。

私は学者ではないので史実を探究しようという気持ちはあまり無くて、一種のロマンとしてこういう伝承を楽しんでいる。

そして今日、最後の訪問地は本善寺。

今、吉野山では「寺宝めぐり」という行事が行われているのだが、ここはそれには含まれていない。

蓮如上人が創建した真宗の寺で、真宗を普及させようとして金峯山寺とは何度も諍いを起こした歴史がある。

山肌の墓地の一番上には蓮如上人の御廟がある。

これで今日の予定はすべて完了。上市の街並みを見下ろしながら上市駅に向かう。

午後2時37分、大和上市駅にゴールした。

次の電車が数分後だったので大慌てで上だけ着替えて、ホームに入ってきた電車に飛び乗った。一人打ち上げのビールが楽しめなかったが、駅に来る途中も買えそうな所は無かった。

吉野山のお寺のほとんどは中に入るのに拝観料が必要になる。だいたい 500 円。今回は金峯山寺だけは入ったが、他には入らなかった。

仏像に興味や知識のある人には値打ちがあるのかも知れないが、寺の大きさから考えると 500 円はずいぶん高いように感じる。

「寺宝めぐり」で紹介されている寺が9箇所あって、吉水神社を含めると 10 箇所になる。全部入ったらほぼ 5000 円。いくら何でも高すぎる。

本気で集客したいのであれば割安のチケットなども考えた方がいいのではないかと思った。

個人的には満足できる一日でした。

四寸岩山、大天井ヶ岳

以前から気になっていた吉野の高原から四寸岩山(しすんいわやま)への道。高原の福源寺から稜線を辿って四寸岩山に出る。地形図には道は表記されていないが、登山地図には波線で記載されている。

記録を探るとわずかながら歩いている人もいる模様。しかしそれほどはっきりした道があるわけではなさそう。

先日の蝶・常念は登山者のマナーは予想以上に良くて、思ったよりは気持ちよく歩けたが、やはり人の多い場所は好みではない。

四寸岩山からは南へ行って林道を経由すると、周回して高原に戻ってこられる。しかしこれではちょっと物たらない感じがするので、大天井ヶ岳まで足を伸ばすことにした。ここなら人と出会うことは少ないだろう。

家からほぼ2時間で高原の福源寺に到着した。途中で一時小雨が降ったが、天気は良くなるはず。福源寺のすぐそばにちょっとしたスペースがあったが、ここにずっと停めておくのはまずそうな感じがしたので、少し戻った広場に車を停めた。

7時半に駐車場所を出発した。まずは福源寺へ。ここは役行者の開基で、聖宝理源大師の中興とあり、南朝皇胤の二宮忠義王(河野宮)の位牌があるらしい。惟喬親王の御所だったという伝承もある。

登山口はよくわからない。とりあえず本堂の裏に上がってみたら供養塔が立っていて、その後ろの斜面にかすかな踏み跡と古いテープがあった。

倒木や枯れ枝などで道は無いに等しいが、テープマークは次が見える距離で続いている。

取り付き直後は荒れていて歩きにくかったが、主稜線に上がるとすっきりして歩きやすくなった。と言ってもそれほどはっきりした道があるわけではないのだが。

足下にはヒカゲノカズラ。

8時38分、高原山(1087.5m)に到着した。

このあとしばらく歩きやすいなだらかな道(?)が続いていたが、尾根がカーブする所が一部急な下り斜面で方向がよくわからず、gps のおかげで正しいルートに進むことができた。が、岩がごろごろしていて歩きにくい。

正面の上に空がうかがえて、あと少し。

9時41分、四寸岩山(1235.9m)に到着した。

展望はまったく無し。

ここから先は奥駆道で何度も歩いた道。しかし昨今の豪雨のせいか、道に大量の水が流れたような痕跡が何箇所かあって、滑りやすくなったり、溝の横に踏み跡が付いたりしている。

足摺宿。きれいに整備されている。

走れそうなところは走る。久しぶりのトレランモード。

下山する予定の車道は一旦見送って、二蔵宿。ここの横のベンチでおにぎり休憩にした。

さて、最後の標高差 350m の登り。ここは急登が何箇所かあるが、高度が稼げるので都合がいい。

山頂の少し下にある祠。大天井茶屋の跡?

この先は古いロープのある崖斜面が何箇所かある。

11時26分、大天井ヶ岳(1439m)に到着した。

ここでも展望は無し。

早々に引き返す。すごい色のキノコ。

二蔵宿から下の緩い下りは軽く走って車道に出た。

ちょうど車道の横に山仕事であろうご夫婦の車が停まっていた。私が高原へ下りる方向に向かったところ、「どこへ行く?」との声。

吉野駅とは反対方向なので、間違っていると思われたのではないだろうか。

「高原へ下ります」と答えて、緩い下りの車道を走った。

少し下った所で「杉の湯」という標識が未舗装の荒れた林道に立っていた。「杉の湯」は高原の国道そばにあるホテルのこと。こちらに入る。

もはや車は走れない荒れた林道を下る。地形図では林道をショートカットする道が記載されているが、気がつかずに通り過ぎてしまった。一瞬、引き返して確認しようかと思ったが、あったとしてもおそらく荒れていると思われるので、遠回りと言ってもそれほど大した距離ではないので、このまま林道を下ることにした。その後、倒木に腰掛けて野菜バーを補給した。

分岐から30分ほど下って、高原洞川林道の舗装路に合流した。

この頃から小雨がパラついてきた。天気は良くなると期待していたが、逆に悪くなってきている。

次第に雨が強くなってきて、諦めてライトジャケットとザックカバーを着けたところ、案の定すぐに雨は止んでしまった。

車道を 35 分ほどで高原の集落に戻ってきた。

今回はもう一つ大きな目的がある。そこに向かって地図を手に方向を見定めながら進む。

ありました。「南帝王の森」。

「南帝王」というのは特定の個人ではなく、後南朝皇胤全体を称しているようで、宮内庁の陵墓参考地に指定されているが個人名は表記されていない。

すぐ隣には自天親王神社。自天親王神社は近くの金剛寺にもあるのだが・・・。

福源寺までの道があるのかどうかわからなかったが、お寺の方向に向かって歩いて行ったら、参道と思われる苔むした石段が出てきた。

そのまま上がると期待通り、福源寺に戻ることができた。

午後1時43分、無事戻ってくることができた。

さて今日は、これまで何度もすぐ近くを通りながら、ほんの少し横道に入るのが面倒で訪れたことの無かった丹生川上神社上社に寄っていく。帰り道の途中にある。

天武天皇時代(675年)の建立で、御祭神は高龗大神(たかおかみのおおかみ)。龍神にて水、雨を掌られる大神様だそうです。

ただし元々は吉野川畔にあったが、大滝ダムの開発のためにダム湖に沈んでしまって、現在の建物は平成 12 年に造営されたもの。

温泉は今月、大台ヶ原へ行った時に立ち寄った「あすかの湯」に行った。

今回は期待以上に満足感が大きかった。山歩きだけではなく、かねてから訪れてみたいと思っていた高原の歴史史跡を訪ねることができたのが良かった。

それと、久しぶりに山道を走った。もちろん登りは走っていないけれど、あの快感をまた感じることができて、とても楽しかった。

やっぱり私にはこういうスタイルが一番合っているのかなと思い直した一日だった。

蝶ヶ岳、常念岳 2日目

どういうわけかなかなか寝付けなかった。

夜中には風が強くなってきて、結露のしずくが顔に降りかかってくる。便宜上「テント」と書いてはいるけれど、実際はシングルウォールのシェルター。モンベルでは「これはテントではありません」と表記している。

おまけに雨まで降り出してきた。これは想定外。一気に意気消沈して、これでは往路を下山するしかないと諦め気分になった。

朝はうすら明るくなってから起きるつもりだったが、どうにも寝付けないので、4時前には起きて棒ラーメンとコーヒーの朝食にした。

そうこうするうちに雨は止んだようだ。ひょっとしたらそれほどの雨ではなかったのかも知れない。風も収まって、おだやかな天気になってきた模様。

少し明るくなってから出発の準備を始めた。ご来光が拝めそうな感じ。

5 時 25 分、テント場を出発した。槍穂高は昨日よりははっきり見えている。

ヒュッテのそばのピークでご来光を待ち受ける人たち。

まだ日の出まで少し時間がありそうなので先に進む。

そして 5 時 38 分、雲海の向こうから美しいご来光。

朝日を浴びる槍穂高連峰。

横尾へ下りる分岐を越えて少し登って蝶槍。

ここからはしばらく下る。標高差 200m くらい下って樹林帯に入って、ここが最低鞍部かと思ったら、このあとも標高差 100m くらいのアップダウンが3回もあった。蝶・常念ってこんなにきつい稜線だったのか・・・。中学生の集団でこんな道をよく歩いたものだと思った。

最後のジャンクションピークからの常念岳。あと1時間くらいだろうか。

ここから後は岩のゴロゴロする歩きにくい道が続く。昔の記憶は皆無だ。

アップダウンの繰り返しがボディブローのように効いてきてきついが、ここで立ち止まるとずるずると落ちてしまいそうなので何とか歩き続ける。登山地図のコースタイムが距離の割には長いと感じていたが、こういうことかと納得した。

急な斜面をぐいっと上がったら目の前に山頂が見えた。

8 時 35 分、常念岳の山頂(2857m)に到着した。山頂は写真待ちの行列。

40 年ほど前に友人と二人で登った槍ヶ岳の北鎌尾根。私の登山歴の中で5本の指に入る思い出の山行だった。

乗鞍岳(右)と御嶽(左)。

大天井岳(左)と燕岳(真ん中手前)。

南アルプスも。

富士山も見えていた(下の方)。

山頂直下にイワギキョウ。

ひとしきり展望を楽しんだら、前常念の方に下る。槍もこれが見納めかな?

少し下ったところでおにぎり休憩にした。

そしてしばらく下って前常念岳(2661.9m)。

少し下ったところに岩小屋がある。避難小屋のようにしつらえられていて、中に入ることができる。しかし水が無いので非常時のみという感じ。

ここからしばらくは大きな岩がゴロゴロした非常に歩きにくい道(?)が続く。危険ということではないが、万が一、足を踏み外して岩の間に足を落としたりしたら大怪我になりかねない。安全第一で慎重に下る。

もう 30 年以上も前に一度ここを下ったことがあるのだが、その頃はまだ一般路にはなっていなかった。それにしてもこんなに歩きにくい道だったとは・・・。

後から考えるとひどい場所はそれほど長くはなかった。次第に普通のアルプスの稜線のような道になって標高 2350m くらいで突然樹林帯に入った。

その後、一度だけ腰を下ろして数分休憩して、急斜面をジグザグに下りていった。

今回のシューズはサロモンのゴアテックストレランシューズを履いてきた。このシューズはソールが滑りやすいのだけれど、HOKA に比べると造りがしっかりしているので、荷物が重いことを考慮してこれを選択した。

やはりと言うべきか、急斜面や段差などで何度も足を滑らせて、大腿四頭筋の脚筋疲労を感じるようになってきた。

このシューズももう数年履いているので、今回でお終いにしよう。

ようやく昨日通った分岐まで下りてきた。登山指導所がすぐそこに見えている。

それにしてもこの下山ルートはなかなか厳しい道だった。標高差も 1500m くらいある。登ってくる人にもわりと出会ったが、ここを登るのは厳しいと思う。

先の分岐の道標のそばに看板があって、このルートは長くて厳しいので体力に自信のない人は行かないようにと注意書きされていた。例年、疲労による救出事故が発生しているらしい。そりゃあそうだろうと思う。ちなみに手元の登山地図のコースタイムでは登り7時間、下り5時間半となっている。

12 時 33 分、無事、駐車場に戻ってきた。駐車場にはまだかなりの車が停まっていた。

荷物を整理して、穂高温泉の「しゃくなげの湯」に向かう。ここは初めて。お湯は中房温泉から引いているらしい。

露天や水風呂はもちろん、洗い場もたくさんあって、いい温泉だった。

さすがに四連休の最終日ともなれば渋滞間違い無しだろうと覚悟はしていたが、普通の渋滞だけではなく事故渋滞にも出会って、5時間で来た道を帰るのに7時間以上かかった。

今回の目的は久しぶりのアルプス稜線でのテント泊。そしてご来光を眺めて、展望を楽しむことだった。そのすべてを味わうことができて、満足のいく山行だった。

さらに、このコースを歩いている人たちのマナーの良さはうれしかった。白山とは随分違う。このルートを選んだのは正解だったと思った。

蝶ヶ岳、常念岳 1日目

天候に恵まれた四連休だったが、残念ながら二日目の日曜日に随行の仕事が入っていたので、出かけることができるのは後半の二日間しかなかった。

7月はほぼ月末まで梅雨で、8月も週末の天候は今ひとつだった。

たまにはテント泊もやりたいと思っていたが、なかなかチャンスが無かった。

そんな中、先の連休は後半の二日間もそこそこの好天が期待できそうだったので、ぜひどこかへと思って数日前から行き先を探っていた。

人気エリアはかなり混雑しそうで、それなりに楽しめて人もあまり多くなさそうな場所というのはなかなか思いつかない。

久しぶりに比良でのテント泊というのも考えたけれど、どうも今ひとつ気持ちが盛り上がらない。

大峰や台高、鈴鹿などは適当な周回コースを見出すことができなかった。

八ヶ岳も考えてみたけれど、混雑しそうな気がする。

散々迷ったあげく、出発二日前にようやく蝶ヶ岳から常念岳の周回コースに決めた。上高地は混雑間違い無しなので、東側の三股から周回することにした。ここならそれほどの大混雑にはならないのではないかと思った。

中学三年生の時、初めて登った北アルプスの山が常念岳と蝶ヶ岳だった。

学校のワンダーフォーゲルクラブの夏山で、東側の一ノ沢から登って常念小屋に泊まって、翌日、常念岳から蝶ヶ岳、そして徳沢に下山して宿泊した。前年の白山はずっと雨だったけれど、この時は好天だった。ご来光を見たのを覚えている。確か雲海もこの時に初めて見たような気がする。

そんな懐かしい記憶を思い出しながら出発の準備をした。

21 日の早朝に家を出て、途中で朝食を取りながら三股の駐車場に向かった。

林道に入ってしばらく進むと、駐車場まではまだかなり距離がある場所から路肩駐車の車が出てきた。まさかこれ、駐車場からはみ出した車? まだ駐車場までは 4km くらいある。

路肩駐車はよくこれほどきっちりと停めたものだと感心するくらいずらっと並んでいた。

下山する人もいるはずなのでどこかに空きスペースがあるはずと期待して進んだが、最終の三股駐車場まで見事に車がびっしりと停められていた。

一瞬、行き先を変えるべきか悩んだ。まさかここまで人が多いとは思ってもみなかった。とにかくまずは少し戻って再度スペースを探すしかない。

1km 以上戻ったいちばん下の駐車スペースで周囲をうかがっていたところ、一台の車が出て行った。ここから登山口まで車道を歩くのはたまらないが、もはやここしか停める場所が無い。

覚悟を決めてここに車を停めて出発の準備をしていたところ、3台ほどの車が上から降りてきた。空きスペースができたことは間違いない。しかしそれがどこかはわからない。

もう一度戻ってみるかどうか迷った。一度はもうここから歩いて行こう思ったが、はやり諦めきれずに上に行ってみることにした。

先ほどは無かった路肩のスペースが見つかったが、念のために登山口の駐車場まで行ってみた。そして中を回ったところ、空きスペースを発見!! 歓喜した。もし下の駐車スペースから歩いて上がってきてここに空きスペースがあったらひどく落胆して登る気力が失せてしまうと懸念していた。

もう 11 時前なので、次々と登山者が下りてきている。ほどなく目の前に2台のスペースができた。戻ってきて本当に良かった。

10 時 55 分に出発した。駐車場の奥から登山道に入る。

未舗装の林道を 10 分ほど歩いて登山指導所へ。ここで計画書を記入して提出する。

降りてくる予定の常念岳からの道を見送って、力水で気合を入れる。冷たくておいしい。

斜面は結構急で、木の階段が次から次から出てくる。

もう昼なので下山者が多い。昨今は「登山道では登り優先」というルールはもはや有名無実化していて、街中の自転車ルールと同じような状態になっているのだが、ここで出会う登山者は大半がこのルールを守ってくれている。

中には私が登るのを止まって待ってくれている人の横をすり抜けて下りてくるような不届き者もいなかったわけではないが、多くの下山者とのすれ違いがそれほどストレスを感じずにやり過ごすことができた。

「ゴジラみたいな木」。

出発して1時間半ほどで「まめうち平」。

ここを過ぎたあたりから先行者に追いつくようになってきた。抜いたり抜かれたりはわずらわしいので、ここでおにぎり休憩にした。

このところ脚力の低下を痛感していて、昨年 11 月の中辺路以来のテント泊なのでしっかり登りきれるかどうか不安があったのだが、ここまでは何とかおにぎり休憩以外はノンストップで歩き続けている。

ようやく大滝山への稜線に出た。

午後 2 時 17 分、出発して 3 時間 20 分ほどで蝶ヶ岳ヒュッテのテント場に到着した。

下での車の多さから登山者の混雑ぶりは覚悟していたとは言うものの、それにしてもここまで混んでいるとは・・・。下での路肩駐車並みにテントがびっしりと建てられていて、苦労してようやくギリギリのスペースを確保した。

その後もテント客が何人もやってきて、「よくこんな場所に張れるなぁ」と感心するような場所にもテントが張られていった。

最近はテントも軽量化が進んでいて、昔よくあったような大きなテントはまったく見かけなくて、パーティーで来てもテントは一人ずつ。複数人で同一テントというのは夫婦かカップルくらいのようだ。

おかげで夜遅くまでべちゃくちゃしゃべっているようなテントはまったく無くて、夜の8時にもなれば聞こえてくるのは寝息だけという状態だった。

テントを張り終えたらそばの 2677m 地点まで行った。

地形図では「蝶ヶ岳」という単独のピークは無くて、このあたりのいくつかのピークの総称になっている。ここがその中の最高峰。

槍穂高は上部がガスに覆われている。

テント場では携帯は圏外だったけれど、ここまで来ると通話可能になった。

大船山

9/20 は講座で北摂の大船山(おおふなやま)へ行ってきた。

JR三田からバスで波豆川口(はずかわぐち)で降りて、しばらく車道を歩く。正面のピークの左の方が大船山。

まずは大舟寺(だいしゅうじ)に参拝。

天然記念物のカヤ。

そして登山道に入る。

昔はここの上の方に舟寺(大舟寺)があったので、町石が残っている。

舟寺の跡地。

少し登ると稜線に出る。最初の写真にあった二つのピークの間の峠。

峠から 15 分ほど急登を登って、大船山の山頂(653.1m)に到着した。

正面は六甲山系。

木の間の突起が有馬富士

ゆっくり昼食をとって、十倉に向けて下山。

集落に降りてきた。

十倉のバス停に到着。

このあたりではわりと有名な山で、好天の日曜日にもかかわらず、出会った人は単独行の男性一人だけだった。

清滝から嵐山

9/9(水)は久しぶりの講座で、京都一周トレイルコースを清滝から嵐山まで歩いてきた。

今日の集合は清滝バス停。だいたいいつもは JR 保津峡駅から歩いて行くのだけれど、今日は JR 嵯峨嵐山駅から車道で行くことにした。

途中からパラパラと小雨。40 分ほどで試峠(こころみとうげ)。

ここはミラーが道路の上に設置されている。道路の傾斜が急なので普通の設置方法では反対側の道が見えない。しかし今は本道はトンネルでこの下を抜けるので、車は滅多に通らない。

出発して 45 分くらいで清滝のバス停に到着した。

集合してから駐車場横のトイレに寄って、愛宕山表参道の鳥居に立ち寄ってから清滝川沿いに下りる。

昨今の大雨のためであろう、ところどころ道が荒れている。

落合の広場で早めの昼食にした。ここを過ぎるとずっと車道になる。

ちょうど 12 時くらいから小雨が降り出した。

車道に上がってから、まずは保津峡の展望場所に立ち寄る。

車道をしばらく登って六丁(ろくちょう)峠。

反対側に下って鳥居本。これが愛宕山参道の一の鳥居。

ここからは嵐山の観光エリアに入る。二尊院。


向井去来(芭蕉の弟子)のお墓。

平日とは言え、このあたりがこれほど観光客が少ないのは初めて。

小倉池にハスの花。この季節にここに来るのは初めて。

亀山公園に入って展望台へ。保津川の右岸の建物は「星のや」。チョー高い。山腹の建物は大悲閣。

渡月橋のあたりも観光客は少ない。人力車が必死で集客していた。

午後3時前に阪急嵐山駅で解散した。

これまではいつも個人的に二回戦を楽しんでから帰ったのだけれど、そういう意欲も減退してきた。天気もすっきりしないので、すんなり帰宅した。

大台ヶ原 筏場道

大台ヶ原は観光客だらけであまり近寄りたくない場所だけれど、台高山脈はなかなか魅力的な山域である。

ただ、台高山脈も大峰山脈と同様に、一部山域以外は山脈の東西の道が少なく、道路事情も悪くて日帰り周回コースが取りにくい。公共交通機関は北端の高見山と南の大台ヶ原以外は無いに等しい。

おかげでこの二箇所以外の山域は歩く人が少なくて、豊かな自然がたっぷり残っている魅力的なエリアだ。

大台ヶ原の少し北にある大台辻という峠がどんな所なのか、一度訪れてみたいと思っていた。

川上村の筏場(いかだば)から大台ヶ原に至る道で、ドライブウェイができる前まではかなり歩かれていたらしいが、昨今は随所で崩壊も進んでいてあまり整備されていない。奈良県では通行禁止にしている。ちょうど筏場から上がった稜線の峠が大台辻である。

谷崎潤一郎の「吉野葛」によると氏は明治の末か大正の始め頃にこの辺りを歩いたように思われるが、白洲正子の「かくれ里」には氏は実際にはここまでは行っていないはずという、考古学者の末永雅雄博士の話も書かれている。

いずれにしても昔はそれくらい一般的な道だったということだろう。

基本的には通行禁止なのであくまでも自己責任ということで、大台ヶ原から大台辻を訪ねてみることにした。

9/5 の土曜日、途中でパンとジュース、コーヒーの朝食をとって、家から3時間ほどで大台ヶ原の駐車場に着いた。ここは休日は早朝から一杯になるという話も聞いていたのでちょっと心配だったけれど、コロナの影響かどうかはわからないがまだまだ余裕たっぷりだった。

ビジターセンターのそばの日陰に車を停めた。

ついでなのでまずは日出ヶ岳に向かう。7時40分にビジターセンター横の登山道に入った。

この時間だとまだハイカーはあまりおらず、駐車場でもすでに標高が 1500m を越えているので、気持ち良く歩ける。

展望台からの熊野灘の方は雲がかかっていて海は見えない。

駐車場から 30 分少々で日出ヶ岳の山頂(1695.1m)に到着した。三重県の最高峰。

展望台からの大峰山脈。主要な山々がほぼ全部見える。

さて、ここからは良い子は入ってはいけません。

当然ながら踏み跡はあるような無いような・・・。トリカブト。

ネットに阻まれて、下に向かう踏み跡があったので少し下ってみたが、どうも来た道に出てしまいそうだったので上に戻った。

ほどなく巴岳。標高不明。

川上辻に向かって下る。ササに覆われていて地面が見えないので非常に歩きにくい。

9時過ぎに川上辻。ドライブウエイはすぐそば。

ここから先は多少は踏み跡が明瞭になった。少し進むと筏場道への分岐。右へ進む。道標は無し。

道は明瞭。しかしずっと山腹をトラバースする道で、沢と交差する所がことごとく崩れている。

安心橋というらしい。確かに丈夫そうでした。

たぶんこれが金明水。冷たくておいしかった。

所々に道標は残っている。

まるで古寺の庭のよう。

10時36分、大台辻に到着した。標高約 1200m。目的地の標高がコース上で最も低いという奇妙なルート。

ここで腰をおろしておにぎり休憩にした。

筏場道はここから北西に川上村に下っていく。そちらの道も私が歩いてきた道も、いずれもロープが張られて立ち入り禁止になっている。通行が許されているのは台高山脈主稜線の北側のみという場所。

さて、これで目的の大台辻を訪れることができたので、大台ヶ原に向けて引き返す。ただし西側にあるいくつかのマイナーピークを踏むために、コブシ峠から稜線に上がる。

ここは道はまったく無し。しかし所々に古いテープが残っている。稜線は明瞭なのでルートファインディングに苦労は無い。

標高が 1600m あたりになると周囲が開けてササ原になってきた。稜線に向けて薄い踏み跡が見えるが、ずいぶん疲れてきた。大して登ったわけでもないのに・・・。

12時過ぎ、大台辻から1時間15分くらいでようやく稜線に出た。ここで腰を下ろしてフルーツゼリーを食べた。凍らせてきたけれどすでにとけてた。

左手に次なる目標の大和岳。実はここより低い。

何かと思ったらロボット雨量計。

12時20分、大和岳(1597m)に到着した。

真ん中右が山上ヶ岳。真ん中左が大普賢岳。左端に釈迦ヶ岳。

あとは大台ヶ原へ戻るだけだが、しばらく登り返しになる。一箇所だけトリカブトの群生。

一登りで三津河落山(さんづこうおちやま)。

少し進んで如来月(1654m、読み方不明)。


あとは下るのみと思っていたら、想定外の登りが。帰ってから地図をしっかり見たらナゴヤ岳というのがありました。この登りはわずかだったけれど苦しかった。

何とか登りきって下りになったが、これがまた道が不明瞭で、しかもあの地面の見えないササ原の下りで、非常に歩きにくかった。

午後1時13分、川上辻の車道に出た。

ドライブウェイは登りだったので走る気にはなれず、15分ほどの歩きで駐車場に戻ってきた。

車に戻ったのは午後1時半だった。歩行距離も標高差も大したことのないコースだったのに、思いのほか疲労感が大きかった。

で、初めて行ったのが「あすかの湯」。明日香村からはずいぶん離れていて、実は橿原市。

駐車場も大きくて、風呂もいろいろあって、もちろん露天も。水風呂もあって、洗い場もたくさんある。お湯は無色透明であまり温泉ぽくないけれど、全体的に非常に良かった。週末は 750 円。最近行った銭湯の中では一番良かった。

坂本から比叡山

比叡山は何度も歩いているけれど、これまで歩いたのはほとんどが京都側からの道で、滋賀県側の道はあまり歩いたことが無い。

京都人の感覚では比叡山は京都の山なのだけれど、最高峰の大比叡(おおひえ)は京都滋賀の県境で、延暦寺は滋賀県である。

延暦寺の僧侶たちはだいたい大津市の坂本あたりに住んでいるので、比叡山は滋賀県の山と言ったほうが適切なように思われる。

比叡山で修行した最澄は坂本の生まれで、延暦寺の主要エリアもすべて滋賀県側なので、滋賀県側の道も歩いておかなければならないという気持ちは以前からあった。

まだまだ下界は酷暑なのでできれば標高の高い山へ行きたいところだけれど、週末の予定などの関係で近場の比叡山に向かうことにした。

8/30 の土曜日、電車で JR 比叡山坂本駅に向かった。

駅のそばの木陰のベンチで準備して8時過ぎに出発した。日吉大社の参道を西に向かう。鳥居の右側に見えるのが八王子山。禿げている部分が金大巌(こがねのおおいわ)のある所。

道がよくわからず、案内板を見てまずは東本宮へ。

ここから急な林道を 20 分ほど上がって、右が牛尾宮、左が三宮。

この二つの建物の間の奥に金大巌。

琵琶湖がきれいに見下ろせる。

ここのすぐ下までは林道で、ちょうど作業の軽トラが停まっていたが、ここからは神宮寺道の山道に入る。少し進むと右の斜面に踏み跡があったので辿ってみたところ、八王子山の山頂(381m)に出ることができた。

道に戻って数分で神宮寺跡に建つ奥総社。

しばらく登山道を行くと、朽ちた林道に出た。

左側にある三石岳(みついしだけ)へ登れる道がないか探しながら進んだが、左側はずっと壁のような状態で踏み跡らしきものは見当たらない。

三石岳を越えて少し進むと左に朽ちた林道の分岐があったので、そちらに向かったところ、最後はヤブ斜面を少し登って三石岳の三角点(675.6m)に出ることができた。

また林道に戻ってしばらく行くと恵心僧都御墓。恵心僧都(えしんそうず)は良源(りょうげん。元三大師)の弟子で、『往生要集(おうじょうようしゅう)』を撰述した。仏教僧のお墓なのに鳥居が立っている。

さらに進むと恵心院。

お次は秘宝館(重要文化財)。これって何?

10時27分、元三大師堂に到着。元三大師(がんざんだいし)は平安時代の天台宗の僧侶で、「延暦寺中興の祖」と呼ばれている。

中からお経が聞こえていた。靴を脱ぐのが面倒なので中には入らず。山門前のベンチでちょっと休憩。

横道に入って、元三大師御廟。ここも前に鳥居が。

横川中堂。

11時ちょっと前に横川のバスターミナルに出た。ここからはしばらく馴染みのルートになる。

せりあい地蔵から一周トレイルコースに入って、玉体杉。

この前で御所を遥拝します。

この道は 20 回くらいは歩いていると思うけれど、南へ向かうのはおそらく初めて。おかげでトレイルランナーと頻繁にすれ違う。

青龍寺への道に少し入った木陰でおにぎり休憩にした。

そして西塔の釈迦堂。

浄土院。

トレイルコースから分かれて根本中堂方向に向かう。坂本に下りるのでタダで入れてもらう。

大講堂まで来ると観光客がいっぱい。

根本中堂は改装中。参拝料を払っていないので中には入らず。

坂本に向かって、途中で法然上人得度の跡地。法然上人は浄土宗の開祖で、比叡山で修行した。

しばらくコンクリートの坂道を下る。

ほどなく未舗装路になって、午後1時12分、本坂を日吉大社まで下りてきた。

日吉大社は入山料がいるので中には入らず。

すぐそばにあった走井元三大師堂。

朝に来た道を下って行くと、「女人牛馬結界石」を発見。

さらに下ると最澄生誕の寺と言われる生源寺(しょうげんじ)。

最後は着替えとビールのために平和堂に向かって、午後1時36分にゴールした。

本坂は昼過ぎでも登ってくるハイカーに何人か出会ったけれど、横川への道は一人も出会わなかった。朝だったので下ってくる人はいない時間帯だったと思うけれど、歩く人は少なそうな感じだった。

しかし稜線のトレイルコースはやはり人が多くて、仕事でもなければもういいという感じ。比叡山を歩くのならトレイルコースをはずした回峰行の道が良さそうに思う。