国境高原スノーパーク

ここ2年ほどまた雪のある山に出かけるようになって、もうやることは無いだろうと思っていた山スキーへの郷愁が蘇ってきた。
正月に釈迦岳を敗退した時、新雪の斜面を見て、スキーなら快適に登れるのに、と感じた。と同時に、こんなところをツボ足でラッセルするなんてあまりにもバカバカしいと思った。
しかしいざ再開するとなると不安は大きい。体力もさることながら、脚力の衰えも著しい。スキーはジョギングよりも脚力が必要と感じるし、山スキーとなるとさらに厳しい。4年前の取立山の山スキーでの失望感も脳裏に深く焼き付いている。
しかし再開するのなら一日も早い方がいいし、本当にもうダメかどうかはやってみないとわからない。道具は揃っているので、あとは出かける決心をするだけだ。やってみてやはりダメということになれば諦めもつくだろう。
と言うことで、日曜日(2/3)は天気予報も午後からは雨模様とのことだったので、午前の半日で国境(くにざかい)高原スノーパークへ久しぶりにスキーに出かけることにした。
8時のリフト運行開始に合わせて5時半に家を出て、予定通り2時間で到着。車の中でカップ麺とおにぎりの朝食をとって、8時過ぎにゲレンデに出た。
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車の中に置きっぱなしになっていたリフト券ホルダーを見ると、2010年のここのナイターリフト券が入っていた。つまり9年ぶりということ。以前は土曜の夜はナイター営業をしていたのだけれど、いつの間にか無くなってしまっている。
まずは下のリフト横の緩斜面で試してみる。
スキーで雪の斜面を滑るという感触をすっかり失ってしまっているので、最初は怖々プルークボーゲンで制動しながらゆっくり下る。途中で一度休まなければならないくらい脚に力が入った。
それでも3本くらい滑ると多少は感覚も戻ってきて、最初の緊張感はほぐれて横ずれの感触が味わえるようになってきた。
予め YouTube の動画で見つけた、横ずれで制動する練習を繰り返した。昔からターンの直後が暴走気味になるクセがあるので、それを矯正するための練習。
2時間ほど滑って、一旦車に戻ってコーヒーブレークにした。
スマホで練習動画を再確認してまたゲレンデに戻ったところ、下のリフトの待ち行列が少し延びていた。と言ってもほんの2〜3分程度の行列なのだけれど、それまではスイスイ状態だったのでわずらわしい。
で、後半戦は上のリフト横の斜面に行くことにした。ここは上部は若干傾斜がきつい印象があったので、今日の練習にはどうかだろうかと思っていたのだけれど、いざ行ってみるとそれほどではなかった。
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今度はこの斜面でひたすら同じ練習を時間ギリギリの午後1時直前まで繰り返した。
わずか半日の練習だったけれど、あせって昔の残像を追い求めようとせずに基礎練習に集中したせいで、いい感覚で終わることができた。こういう練習を何度か繰り返せば、ゴールデンウィークあたりにはアルプスのロングルートにも行けるのではないかと感じた。
問題はあと何日練習に行けるかということで、近場のスキー場はおおむねあと1ヶ月少々くらいしか滑れない。3月後半になると日帰りエリアはまずムリなので、時間も金もかかる。
中辺路の後半部分も早いうちに行ってしまいたいところだけれど、こちらはスキーほどはシーズンの制約が無いので、スキーシーズンが終わってからでもいいかも知れない。

大文字山、如意ヶ嶽、長等山

以前に登山講座の受講生だった方から、どこかに案内してほしいと以前から頼まれていて、昨日(1/30)、このコースを歩いてきた。
このコースはほぼ同じルートを講座でも2回歩いているが、大文字山山頂を除いては人通りの少ない静かなコースだ。

銀閣寺近くで落ち合って、まずは大文字山の火床コースへの道を行く。さすがに平日の朝方は銀閣寺でも観光客は少ない。
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未舗装路に入ってわずかで道標の無い踏み跡を左側に入るのだけれど、昨年の台風の影響か随分荒れていてわかりにくい。
取り付いたあたりは倒木だらけで、大きなものはノコギリで切られているけれど、小さなものはまたいで越えて行く。
少し急登を上がると道の倒木は減ったけれど、中尾城跡のあたりは随分様子が違っていた。
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脇道がたくさんあってわかりにくい。中尾の滝に寄るのは初めてかな?
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このあと沢をずっと詰める予定だったのが、右岸の稜線に上がる明瞭な踏み跡に引き寄せられて、まぼろしの滝には寄ることができなかった。
標高が 400m くらいになると日陰斜面には結構雪が残っていた。
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火床からの道に合流して、11時半に山頂(465.3m)に到着した。天気は良いけれど、遠方は霞んでいる。正面はポンポン山や小塩山などの西山。
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ここでのんびりとお湯を沸かして味噌汁を飲んだりして小一時間の昼食休憩にした。
如意ヶ嶽への道も部分的には大変な倒木で、整備されていなかったらとても歩けない。
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雨社にお参り。
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如意ヶ嶽には航空機のレーダー施設があって、山頂(472m)には立ち入れない。
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ここからしばらく車道で(と言ってもレーダー施設に行く車しか走らないので、これまで車に出会ったことは無い)、車道の展望場所から音羽山。
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ガードレールの下をくぐってまた登山道に入ってしばらく行って、今日は本当の長等山(354m)まで足を延ばした。
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琵琶湖方面が絶景。雪を被った伊吹山の上部が見えていたのだけれど、写真ではわからない。
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少し戻って北に向かって、ゴルフ場のそばを行く。正面に比叡山。
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無事、早尾神社に下りてきた。
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最後に、皇子が丘公園でお湯を沸かしてコーヒータイムにした。
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守山のお二人は京阪線で石山へ、私は湖西線の大津京駅に向かって別れた。

小野アルプス

先の日曜日(1/20)は講座で兵庫県小野市の小野アルプスへ行ってきた。
小野アルプスとは、
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ということです。

集合は加古川線の市場駅。加古川線に乗ったのはたぶん初めて。天気予報通り、小雨模様。
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まずは「白雲谷温泉ゆぴか」へ。
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登りだして 10 分少々で高山(たかやま。127.1m)。
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展望は今ひとつ。
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お次は前山(まえやま。135.8m)。
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いつの間にやら愛宕山(あたごやま。154.2m)を越えて、安場山(やすばやま。156.6m)。
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ケヤキ本来の樹形を保っている(周りの木に邪魔されてきれいな放射状にはならない)「奇跡のケヤキ」。
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車道に出た。
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そして総山(そうやま。168.8m)。ここで昼食にした。幸い、雨は止んだ。
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アンテナ山(171.6m)。近くにアンテナが立っている。
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ここも惣山(そうやま。198.9m)。小野アルプスの最高峰で、小野富士と呼ばれている。
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展望台から次に登る紅山(べにやま)の稜線を眺める。登っている人が見える。
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いよいよ取り付きへ。
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結構傾斜がある。雨が止んで良かった。足を滑らせたらタダでは済まない。
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紅山(182.8m)の山頂から足元を見下ろす。すぐそばに山陽自動車道。
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最後に福甸山(ふくでんやま。標高不明)。
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少し下るとすぐに車道に出た。あとは車道で小野町駅まで。
小さくてよく見えないけれど、女池にはコハクチョウ。
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鴨池。
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歩いた稜線を振り返る。
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4時前に小野町駅に到着した。
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このあたりの山は火山でできた山々で、播磨アルプスなども標高は低いけれど小さなアップダウンがたくさんあって、しかも岩場が結構あるのでそれなりのアルペンムードは味わえる。

熊野古道中辺路2日目

朝5時前に起きて、6時15分にヘッドランプで出発。寒かったので雨具の上下を羽織って歩き出した。

歩き出してほんの少しの所に水場があった。明るかったら見えていただろう。そして、ほどなく石畳の道になった。
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不気味な池は高原池。写真ではよく見えない。ずっと登り基調で早くも暑くなってきたので雨具を脱いだ。
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大門王子。
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稜線の向こうに陽が昇ってきた。私が山で一番好きな時間帯。
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十丈王子。平安・鎌倉時代は重點(じゅうてん)王子と呼ばれていた。
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小判をくわえたまま、飢えと疲労のためにここで倒れたという巡礼を弔ってまつられた小判地蔵。
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悪四郎屋敷跡、上多和茶屋跡を越えて、大坂本王子。
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R311 がすぐそばに迫ってきて、道路の反対側に道の駅・熊野古道中辺路が見えた。先を急ぎたいのでパス。
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そしてようやく牛馬童子像に到着した。実は明治時代に造られたものらしい。
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時間は9時ちょっと過ぎ。思ったよりも順調に進んでいる。トレイル区間の方が標準コースタイムがゆるい感じがする。ひょっとしたら継桜王子10時の関門に間に合うかも・・・。ほとんど諦め気分だったのが、ちょっと希望が蘇ってきた。
展望台から近露の集落を見下ろす。
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近露王子には9時15分に到着した。
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しばらく車道を行って、比曽原王子。
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そして関門の継桜王子に10時7分に到着した。
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ここで茶屋の前のベンチに座って補給しながら、これからどうするか思案した。リタイアするのならここが最終ポイントになる。
ここから熊野本宮大社までの標準コースタイムと最終バスの時刻までの時間はまったく同じ6時間30分。トレイル区間ではわりと短縮できていて、滝尻王子からここまでの標準コースタイム6時間50分のところを5時間半ほどで来ている。アクシデントさえ無ければ間に合いそうだけれど、余裕があるとは言えない。
もしここでリタイアしたら再挑戦するかどうかは微妙なところだ。紀伊田辺から滝尻王子までの車道区間はもう歩きたくない。しかし滝尻王子スタートの再挑戦ではやはり満足感に欠けるだろう。熊野速玉大社まで行くのであれば話も別だけれど。
もうあと30分早く出発していれば迷うことは無かったのだけれど、今となっては後の祭りだ。
やはり覚悟を決めて行くしかないだろう。まるで関門に追われるトレランレースのようだけれど、久しぶりにそういう気分を味わうのも悪くは無い。そういう状態だからこそ 100% の力が発揮できるということもある。それに正月早々、連続敗退というのは何としても避けたい。
10時20分、熊野本宮大社に向かって出発した。
しばらく車道を行く。まずは中川王子。しかし本当の王子跡は山道を少し登っていかなければならないのでパスした。
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お次は小広王子。ここも同様、山道には上がらず。すでに肩の裏側がかなり痛い。
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このあと山道に入って、しばらく登って熊瀬川王子。このあたりで反対向きに歩いているパーティに出会った。山道で他のバーティに出会ったのは今回初めて。
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どんどん下ると車道に出た。ところがここから先が通行止め。実は 2011 年の台風での被害とのこと。
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そう言えば案内に一部迂回路があることが記載されていた。本道との合流地点まで1時間半と書かれている。案内の標準コースタイムは本来の道で書かれているので、実際には迂回分をプラスして考えなければならない。さて、どれくらい余計にかかるのだろうか。こんなに長い間通行止めになっているのであれば、ネットで公開している案内は最近のコースで記載しておいてほしい。
いずれにしてもここまで来たら先に行くしかないので車道を進む。このまま車道で行くのかと思ったら、トレイルに入る道標があった。以外としっかりした道で、ずっと以前からあった道ではないかと思う。それにしても登りがずっと続く。
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関門時間が気になってきたけれど、ここはあせらずにじっくり歩く。ロングトレイルを最短時間で歩くコツは、体力を消耗するような登りはあまり頑張らずに、平坦や緩い下り道、そして林道でペースを上げること。登りで頑張っても実はそれほどの時間短縮にはならない。
と思ってじっくり構えて登って、峠を越えて下りになったところで一息ついて大福休憩にした。そこでコースタイムを確認したところ、この先、本道に出会うまでどのくらいかかるのかがわからないのだけれど、ざっくり関門時刻から 30 分くらいは遅れている感じだ。
ギアチェンジして急いで下って、その後の林道部分は小走り。またトレイルに入って、迂回路に入ってから約1時間で本道合流地点手前の蛇形(じゃがた)地蔵に着いた。
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ほどなく本道に合流。
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少し行って湯川王子。おおむね標準コースタイムくらいまで戻っていた。ちょっと安心した。
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この後、三越峠(みこしとうげ)までの登りは九十九折れで苦しかった。
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次の目標は船玉神社なのだけれど、ここに向かう古道がまたもや通行止めになっていた。これは昨秋の台風の影響のようだ。林道をそのまま進む。重荷がこたえるので時々腕を後ろに回してこぶしでザックを支える。
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迂回路ということになっているけれど、時間的にはショートカット。三越峠から1時間、2時前に発心門(ほっしんもん)王子に到着した。
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標準コースタイムであと2時間くらいのところ、最終バスまで2時間 40 分あるので、もう大丈夫だ。一気に気が楽になった。
ここからはずっと車道で猪鼻(いのはな)王子。王子跡には多くの場所でこのような水飲み場や水道がある。
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トレイルになったかと思ったらまた車道になって、思い出の果無山脈(遠方の山脈)。
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そして伏拝(ふしおがみ)王子。
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3時7分、小辺路との合流点の三軒茶屋跡に到着した。ここははっきり覚えている。時間があるのでベンチでパウンドケーキを食べた。
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小辺路で来た時はここから先は観光客風情の人たちがたくさんいたけれど、今日は真冬のせいか誰にも会わない。
車道に下りて、最後の祓殿(はらいど)王子。
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3時48分、熊野本宮大社の裏門に到着した。
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中は撮影禁止なので写真は無し。無事到着したお礼に本殿でお参りした。もっと感激するかと思っていたけれど、それほどでもなかった。小辺路の時の方が満足感が大きかったように思う。
石段を下りて正面の山門に到着したのは3時55分だった。
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ここの前にあるバス停を見ると、誰もいない。本当に便があるのか心配になったけれど、時刻表を見ると間違い無い。
時間があるのでバス停に荷物を置いて大鳥居まで行ってみた。日本一の高さ(33.9m)で、大神神社の大鳥居(32.2m)よりも大きい。ただし平成12年完成の鉄筋コンクリート製で、大神神社の大鳥居も昭和61年。歴史的価値は現時点ではまだ無いと言ってもいいでしょう。
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明治22年の水害まではここの先の大斎原(おおゆのはら)に社殿があった。
バスは定刻(4時40分)をちょっと過ぎてやってきた。乗客は私以外は出発直前にやってきた中国人らしき女性二人連れだけ。この二人も少し行った温泉で下りて、その近くの温泉で男性客が一人乗ってきて、田辺の市街地に近づくまではずっと乗客二人だけという状態だった。
2時間10分ほどかかって、前日出発した紀伊田辺駅に戻ってきた。
gps のトラックによると今日のコースは約 33km。二日で 64km ほど歩いた。古道を楽しむというよりは関門に追われるトレランレースのようになってしまったが、あまり文化的な素養のある人間ではないので、自分としてはこういうのが一番楽しい。
中辺路はこの先まだ熊野那智大社、そして熊野速玉大社まで続くけれど、これをやるかどうかはちょっと微妙。気が向いたらということにしておこうと思う。

熊野古道中辺路1日目

せっかくの3連休。特に日曜日と月曜日は天気も良さそうなので、久しぶりにテント泊で出かけたいと思った。しかしさすがにこの時期に積雪のあるようなまともな山は気が向かない。さりとて街中歩きでは芸がなさ過ぎる。
そこで思いついたのが熊野古道の中辺路(なかへち)。
2年前に小辺路を歩いた時から中辺路の事は知ってはいたけれど、車道部分が多そうであまり惹かれなかった。しかし今回の目的にはかなり合致しそうだ。標高も高くて 700m 未満程度なので、雪が舞うことはあっても積雪は無いだろう。
紀伊田辺から新宮までの全コースだと 130km くらいになるけれど、よく歩かれているのは滝尻王子から熊野本宮大社までの約 40km。紀伊田辺からスタートすれば 60km 少々ということで、2日行程にはちょうどいい感じだ。小辺路よりは若干短く、アップダウンも少ない。
ただ、アプローチが遠くて、しかも時期的に日照時間が短いので、実質行動時間は限られる。さすがにこういうコースで夜間ヘッドランプ歩行はやりたくない。
それと、小辺路の時は5月だったのでシェルターと薄いシュラフで何とかなったけれど、この季節は標高が高くなくてもしっかりしたテントとダウンのシュラフでないと不安だ。当然、荷物は重くなる。結果的には荷物は 11kg くらいで収まったけれど、体感的にはずっしりと重い。
早い時間は特急列車が無いので、5時3分の始発で出ても紀伊田辺に到着したのは 10 時前だった。

小辺路の時の帰路以来の紀伊田辺駅。駅前で準備をして、出発したのは 10 時 15 分だった。
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ハナから改札口は駅の北側と思っていたので、出発早々、反対方向に歩き出してしまった。地図にははっきり南側になっているというのに、何たること。gps のおかげですぐに気が付いた。
コースガイドに記載されているように、秋津王子に寄るために会津川を渡る。
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ちなみに「王子」とは「王子社」のことで、熊野の神様の御子神(みこがみ。子にあたる神のこと)が祀られているところで、参詣者の休憩所でもあった所のこと。中辺路の道中にたくさんある。
平坦な道なのでちょっとジョグにしてみたが、すぐにやめた。とても続けられないと感じたし、ムリに続けたら後でとんでもないことになりそうだった。
実は 30 年くらい前に、テントとシュラフ、コンロを担いで3日間で琵琶湖を一周したことがある。確か年末だったように思う。琵琶湖一周は 180km くらいあるので、1日目と2日目は 60km 超を進んだはずだ。
食事は現地調達だったものの、山岳テントに今より重いシュラフ、ガスコンロだったので、荷物の重さは今日のものとほとんど変わらなかったはずだが、途中で店に入って食事をしたりしていたので、走る時はキロ6分くらいだったと思う。
キロ6分なんて今なら練習会でトラックを走る時でもそんなに楽なペースではない。フルマラソンで4時間10分くらいのペースなので、大阪マラソンなどではこれくらいのランナーが一番多いのではないだろうか。
そんなことを思い出しながら好天の車道を先を急いで歩いた。
出発して 30 分足らずで秋津王子に到着した。下調べでわかってはいたけれど、元の本当の場所がどこだったのかは今はもうわからないとのことで、わざわざ立ち寄るほどのものではないのだけれど、まぁせっかくなのでついでに・・・という程度のこと。単なる自己満足です。
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ひたすら車道で次は万呂王子。単なる道標にしか見えない。
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次に三栖王子を目指すが、ようやく古道らしき道に入った。
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三栖王子跡。
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王子跡にはだいたいこういうデザインの標識が立っている。じっくり読んでいると時間がかかるので、写真を撮ったら先に進む。ここではそばで大福休憩にした。
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しばらく古道を行く。どうもあまり歩かれていない様子で、枯れ枝などで結構道が荒れている。
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南方熊楠山中裸像撮影場所。
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不明瞭な道を辿って新岡坂トンネルの先で車道に出て、八上王子。
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ここの旧道トンネル越えで結構時間がかかったので、稲葉根トンネルは車道を行く。
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トンネルを出たら稲葉根王子。
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富田川左岸の車道から少しそれて、一瀬王子。ここでおにぎり休憩にした。そろそろ肩の裏側が痛くなってきた。
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おにぎりを食べながら地図を見ていたが、どうも期待していたほど行程が進んでいない。今回のコースは2万5千の地形図を A4 サイズで6ページ(3枚)にプリントしてきたのだけれど、何とか今日中に3ページ目の最後くらいまでは進んでおきたい。明日は帰りの最終バスの時間が決まっているので(4時40分)、何が何でもその時間までには熊野本宮大社に着かなければならない。
そんなわけでこの先、富田川右岸に渡って少し登って行くルートをやめてこのまま左岸を進んで、鮎川王子だけ橋を渡って寄ることにした。
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鮎川王子が合祀された住吉神社。
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このあとしばらく車道を進んで、藤原定家の歌碑を過ぎると古道になった。
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川の右岸には交通量の多い R311 が見えるので、ちょっと不思議な雰囲気。対岸に道の駅があるけれど、立ち寄ることはできない。
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車道に出て R311 を渡って右岸に移って、清姫の墓所。清姫がどういう人なのか、私はよく知りません。
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そのあと単調な車道を淡々と進んで、午後4時15分、6時間かかってようやく滝尻王子に到着した。ここまで 26km くらい。
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ここから本格的な古道が始まる。しかし日没までもう1時間も無い。持ってきた地図の2ページ目がようやく終わったあたりだ。3ページ目の終わりまで行くことは到底不可能なので、今日の目標を高原熊野神社にした。ここは水があるらしい。明日の行程はかなり長くなってしまうが仕方無い。
パンを食べて、4時半に出発した。念のために水を 1L ほど詰めておく。ここからは 500m 毎に標柱がある。ここが起点。
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いきなり急な石段が始まる。
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少し上がると胎内くぐり。時間があればザックを下ろしてくぐってみたいところだけれど、そんな時間は無い。
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そして乳岩。昔、奥州の豪族・藤原秀衡(ひでひら)とその妻が熊野詣でに来た時、ここで妻が産気づき、この岩屋で出産したという伝説がある。
夫妻は赤子をここに残して熊野に向かったのだが、その子は岩から滴り落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だったので、奥州へ連れ帰ったと伝えられている。
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さらに登って、不寝王子(ねずおうじ)。
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少し道がなだらかになってきたけれど、またこの先にはしっかりした登りが待っていた。そろそろ薄暗くなってきた。
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飯盛山展望台はカットして先に進む。5時半近くになって、ついにヘッドランプの登場となった。そして車道に出た。
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実は車道に出たらすぐに反対側の古道に入らなければならなかったのだけれど、暗くて気が付かずにそのまま車道を進んでしまった。地図を見るとこのまま進むと先で合流するので、もうそのまま進む。
標識に従って横道にそれると、細い急な登りの石畳の道になった。
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ひょっとしたら高原熊野神社は過ぎてしまったのではないかと思ったら、車道に合流した所に標識が立っていた。案の定、400m も行き過ぎていた。古道沿いにあったのかも知れない。
ちょうどこのそばに涸れた芝生の広いスペースがあって、絶好のテント場だ。夕食分の水はあるし、さっき登ってくる途中に送水パイプのようなものから水があふれている所があった。6時前、今日のねぐらはここにする。
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帰ってから gps のトラックを確認したら、31km ほど進んでいた。一般的にはハイキングや登山の案内表示は実際の距離よりも長めに表記されていることが多いけれど、和歌山県が提供している中辺路の案内は実際の距離より短く表記されているようだ。標準コースタイムよりは早かったけれど、それにしてもわりと厳しいタイム設定だと感じた。
夕食後に地図を眺めていたが、まだ全体の4割くらいしか進んでいない感じだ。最終バスまでに熊野本宮大社まで行くのはかなり厳しそう。地図4ページ目終盤の継桜王子(つぎざくらおうじ)は R311 のバス停が近いようなので、ここがゴールになるかも知れない。ここを過ぎると途中敗退はできなさそうだ。この先、熊野本宮大社まではまだ 22km くらいあって、標準コースタイムは6時間50分となっている。もし10時までに継桜王子に着いたら先に進もうと考えたけれど、かなり厳しそうだ。
夜中にトイレで外に出たら、素晴らしい満天の星空だった。すでに月が沈んでいるので、目のいい人なら天の川が見えたかも。

京都一周トレイル・嵐山

水曜日(1/9)は京都一周トレイルの講座で嵐山界隈を歩いてきた。

家を出る時は晴れていたのに、京都に入ると雪が舞っていて、JRの嵯峨嵐山駅に着いた時はかなりの雪が舞っていた。ほどなくおさまったけれど、愛宕山は雪景色。
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まずは前回到達地点の鳥居本まで戻る。途中で野宮神社。昔は鳥居があるだけだったらしい。京都生まれの京都育ちだけれど、観光地にはまったく縁が無かったので私は知らない。
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落柿舎。松尾芭蕉の弟子の向井去来の別荘だったとか。
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二尊院。釈迦と阿弥陀の二つの像があるからだそうです。
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ようやく鳥居本に到着。狭い道だけれど結構車が通る。
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小倉池と御髪神社。日本で唯一の「髪」の神社だそうです。
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嵐山公園の展望台で昼食にした。
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ちょっと寄り道して小倉山の展望台へ向かう。今日、初めての登山道。
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展望台からの北嵯峨方面の眺め。残念ながらこの時が一番展望が悪かった。
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嵐山公園に戻ると、早くも梅が咲いていました。
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渡月橋を渡る。水害で倒れた欄干は復旧していた。
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十三参りの法輪寺へ。
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ここの展望エリアからの愛宕山。ほぼ真っ白でした。
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ここには「電電塔」というものがあります。右がエジソン、左がヘルツ。
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その後、阪急の嵐山駅で解散した。寒い一日でした。

畝傍山

今年最初の講座で7日(月)に奈良の畝傍山へ行ってきた。畝傍山はちょうど2年前に個人的に大和三山へ行って以来の2度目。

橿原神宮西口に集合して、橿原神宮には寄らずに畝火山口神社に向かう。
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まずは懿徳(いとく)天皇陵。第四代天皇。欠史八代の一人。
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次に安寧(あんねい)天皇陵。第三代天皇。欠史八代の一人。
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そして畝火山口神社へ。気長足姫命(おきながたらしひめのみこと。神功皇后)などが祭られている。神功皇后が応神天皇を出産した伝承により、安産の神として信仰されている。
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元々は畝傍山の西側にあったのが、いつからか畝傍山山頂に移されて、その後の橿原神宮の拡張工事の時に橿原神宮や神武天皇陵を見下ろすのは良くないということで今の場所に移された。
ここから登山道に入る。
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畝傍山山頂(198.8m)で昼食にした。
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山頂から耳成山。
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反対側には葛城金剛山系。
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畝火山口神社の跡。
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山を下りて、神武(じんむ)天皇陵。言わずと知れた初代天皇。
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北に歩いて、綏靖(すいぜい)天皇陵。第二代天皇。欠史八代の一人。
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さらに北に歩いて、今井町の街並みを散策する。環濠の跡。
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古い街並みを残そうとしているのは良くわかりけれど、整然とし過ぎていて若干違和感を感じる。
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入鹿神社に立ち寄る。古代史では悪役の蘇我家だけれど、どういう経緯で祭られるようになったのだろう。ただ個人的には日本国家の近代化の礎を築いたのは本当は蘇我氏ではないかと考えている。天智天皇、天武天皇、そして藤原氏がその成果を横取りしただけなのではないかと感じる。
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その後、近鉄の大和八木駅で解散となった。このあたりは好きなエリアで、一人なら行けなかったような場所にも立ち寄れて、楽しい一日だった。

釈迦岳敗退

新春登山は比良の武奈ヶ岳へ行こうと思った。
昨年の2月に堂満岳から武奈ヶ岳へ行ったので、今年は釈迦岳経由にしようと考えた。
ただし今は随分雪が多い。直近の情報ではイン谷口ですでにそこそこの積雪のようで、はたして釈迦岳へのトレースがあるのかどうかがちょっと不安だ。他人のトレースをあてにした雪山登山など邪道だということは十二分に承知しているけれど、もはやそんな気力も体力も無い。ワカンもスノーシューも持っていない。
もし釈迦岳に向かうトレースが無かったら早めに引き返して青ガレ経由で武奈ヶ岳へ向かおうと思った。
今回はまともな雪山登山になることは間違い無いので、昨年新調した登山靴で家を出た。登山靴で家を出るなんて一体何十年ぶりだろうか。

8時18分に比良駅を出発した。寒いので中綿ジャケットは羽織ったまま。生憎の小雨模様だ。
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どんよりした曇り空で、昨年よりは随分雪が多い。
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小雨がみぞれのようになってきたので、中綿ジャケットを脱いで登山用のアウターに着替えた。
堂満岳への分岐点を通過。昨年はこのあたりはほとんど雪が無かった。
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ほどなくイン谷口へ。
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そして車道の終点。昔はここからリフトが運行されていた。
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みぞれがほとんど止んで暑くなってきたのでアウターを脱いだ。そしてショートスパッツを着けて登山道に入った。この道は2年ちょっと前に講座で登った。幸い、しっかりしたトレースがあった。かなり新しい足跡もある。これで一安心。
神璽谷(しんじたに)への分岐。
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このあたりから道が急になって、雪も増えてきた。足元が不安定になってきたのでピック付きポールを出した。
トレースが2本に分かれている所があって、本道の方は少し先がヤブになっていたのですっきりした直登のトレースを選んだ。
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ヤブは無いものの足元はさらに不安定で、ヒザまでのツボ足ラッセルになってしまった。本道の方が良かったかもと後悔したが、数分くらいで本道に合流した。
結構段差のある箇所などがあって歩きにくいので、さらにもう一本、トレランポールを出した。
どういう訳か次第にトレースが浅くなってきた。あの新しいトレースの人はどこへ行ったのだろうか。
10時37分、リフト駅の跡に到着した。展望はまったく無し。雪が強くなってきたのでまたアウターを羽織った。
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少し登ると釈迦岳へ向かう道と稜線に向かう道の分岐に出たが、ここでトレースは消えていた。釈迦岳へ向かうには右側を登って行くはずだけれど、吹き溜まり状態でトレースらしきものは皆無。
最初の急登部分を腰までのラッセルで這い上がったが、上を見てもトレースらしきものはまったく見あたらなかった。
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写真で見ると大した斜面には見えないけれど、実は40度くらいはありそうな溝になっていた。
ここで標高 800m ちょっと。まだ釈迦岳までは標高差で 200m 以上登らなければならない。ツボ足ラッセルで標高差 200m なんてあり得ない。諦めの早さには自信がある。だからこの程度の実力でもこれまで大きな事故は起こさずにやってこられたのだと思っている。
稜線に向かう道はうっすらと轍は見えるけれど、ここもスネくらいのラッセルだったので早々に引き返した。
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11時6分、ここを最終到達点にして引き返すことにした。
戻る時、神璽谷への分岐の所で単独で登ってくる男性に出会った。もう12時近いというのに、ちょっと遅すぎるんじゃないですか。無雪期ならいざ知らず。
大津ワンゲル道はトレースは無かった。
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来た道を淡々と歩いて、12時55分の電車がちょうどホームに入ってきた時に階段を駆け上がって飛び乗った。
かつて山スキーを楽しんだ者からすると、ツボ足やワカンでのラッセルは苦行以外の何物でも無い。下りで滑れないスノーシューには興味は無いし、やはり雪山はスキーに限ると改めて再認識した。
ただ、もう山スキーから離れてほぼ10年。体力の衰えもあって、再開するのがオソロシイというのが本音だ。きっとがっかりするだけだろう。道具はまだ大丈夫のはずなので、気持ちさえあればやってみることはできる。
私はあまりあちこちの山に出かけるという趣味はなくて、気に入った地域に何度も行くタイプだ。百名山などまったく興味が無い。
とは言っても死ぬまでにぜひ行っておきたい山というのはいくつかあって、それは北海道の山。まだ行ったことが無い。行くならぜひ残雪期にスキーで行きたいのだ。そのためにはそれなりの準備をしなければならない。
年齢的に考えるとここ2〜3年くらいがタイムリミットじゃないかと思うので、まずはゲレンデからでも再開した方がいいのではないかと思ったりしている。

兜岳、鎧岳、倶留尊山、古光山

今月は初旬に腰を痛めて個人山行にはまったく行っていない。予想以上に長引いたけれど随行の仕事では問題無いし、練習会でも 20km くらいは走れているので、1ヶ月ぶりに今年の締めの山行に行くことにした。
曽爾の鎧岳(よろいだけ)・兜岳(かぶとだけ)はその特異な山容で関西の山ヤで知らない人はいない。国の天然記念物にも指定されている。私ももう随分以前から興味は持っていたけれど、この二山だけのために行くというのはもったいないし、うまいルート設定が思いつかなくて、まだ未着手のエリアだった。
地図をつらつら眺めていると、青蓮寺川をはさんで対岸の古光山(こごやま)を周回するとほぼ1日コースが設定できそうだ。倶留尊山(くろそやま)まで足を延ばすと充実感がありそうだけれど、これはちょっと遠いかも。
ということでこのルートで計画したのだけれど、今月上旬の好天休日は腰痛のために諦めざるを得なかった。
腰の調子はまだ完治一歩手前という状態だけれど、何とか年内にはもう1回山へ行っておきたいと思って、30日に出かけることにした。

朝4時半過ぎに家を出て、途中でおにぎりとカップ麺、コーヒーの朝食をとって、7時過ぎにサンビレッジ曽爾奥香落オートキャンプ場に到着した。事前に調べたところではここの駐車場に停められるようだけれど、区画にしっかりと番号が割り振ってあって、ここに停めて大丈夫なのかどうか不安を感じたので、通行止めになっている手前の広いスペースに路上駐車した。
準備を整えて、7時18分に出発した。ウエアは上がモンベルの長袖アンダーとミズノのブレスサーモの長袖ジップシャツ。冷え込みはそれほどではなかったのでジャケットは着なかった。下は最近アマゾンで安く買ったチャイナブランドのサイクリング用パンツ。ウインドストッパー入りで内側起毛。なかなか暖かい。ただし生地がごわごわするのはやはり価格相応というところ(3600円くらい)。
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車が通行止めになっているのは道路が陥没している場所があるからで、歩行には問題無い。車道を15分足らずで登山口に到着した。
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道標が無ければここが登山口とはわからないだろう。
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沢筋の道は荒れて崩壊していて、際どい巻き道が設定されている。
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ほどなく沢を離れて山肌の急登になる。
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ぐいぐい上がって、8時3分に兜岳(920m)に到着した。出発してわずか45分だった。
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風が当たると寒いのでウィンドブレーカーを着用した。
縦走路から正面に鎧岳の雄姿が見える。あの壁を登る人はいるのだろうか。脆いかな。
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峰坂峠(むねさかとうげ)。
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登りはそれほどではなく、8時47分に鎧岳(893.6m)に到着。
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対岸に曽爾高原が広がる。
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その右には後半に行く予定の古光山。
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写真を撮ったら早々に来た道を戻る。ただし峰坂峠には戻らずにショートカット。
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山頂から40分ほどで車道に出た。
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緩い下りなのでここは走る。この道は東海自然歩道らしい。
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ショートカット道で青蓮寺川を渡って、車道で曽爾高原に向かう。
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当初の予定では曽爾高原には寄らずに後古光山(うしろこごやま)に向かうつもりだったけれど、前半戦が思いの外あっさりと終わってしまって、まだ10時前。せっかくここまで来ているので曽爾高原に寄ることにした。
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曽爾高原は30年以上前に職場の同僚と3人でテント泊で来たことがある。それ以来の再訪ということになるけれど、この光景は覚えている。
さて、ここまで来たらやはり倶留尊山まで行くしかないだろう。稜線に上がると西からの強風で寒い。東側にちょっと下りて酒饅頭休憩にした。
エネルギーを補給して、冷たい強風に立ち向かう。今度は曽爾高原側からの鎧岳。
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樹林帯に入ると強風はおさまった。標高が 1000m に近づくとようやく現れました。
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二本ボソから先は入山料がいるらしい。30年前はこんなものは無かったような・・・。でも登山道の整備は手間がかかるということはよくわかるので、払いますよ。帰りに。
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二本ボソ(980m)はすぐそこ。
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11時28分、倶留尊山(1037.3m)に到着した。標高が 1000m を越えるとやはりちょっと雰囲気が違う。
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写真を撮ったら早々に下山。入山料を払おうと思ってサイフを開いたところ、小銭が○百円しかない。おつりはもらえそうにないので、これで勘弁して下さい。
曽爾高原の全景。そして右奥はこれから行く古光山の山稜。
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またまたしばし強風にあおられて、樹林帯に下りて道標に導かれて後古光山に向かう。
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車道を渡る。道標には「ハイキングルート」と書かれている。残りの行程はほとんどおまけの気分。
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こういうのを称して「登山道が整備されている」というのかも知れないけれど、私はがっかりする。木道がハードル状態になっているよりはマシだけれど。
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いつものように今回もルート状況はあまり詳しく調べてこなかったのだけれど、後古光山に近づくと非常な急登になって、ロープが立て続けに現れてきた。
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鎧兜よりもはるかに急峻で、おまけ気分は吹っ飛んでしまった。
12時53分、ようやく後古光山(892m)に到着した。
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ここからの下り、そして古光山への登りもロープ斜面のオンパレード。私はこういう場所の古いロープは不安なので極力頼らないようにしているのだけれど、そんなことは言っていられない。ロープ無しではとても上り下りできないような箇所が何カ所もあった。
一つ一つの山はそれほどの大きさではないけれど、朝からすでにいくつかの山々を上り下りしてきているので、さすがに疲れが出てきた。
午後1時30分、古光山(952.4m)に着いた時はほっとした。
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しかしここからもいやらしいジャンクションピークがいくつかあって、南峰までは 20 分くらいかかった。
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さすがに南峰を過ぎると穏やかな山容になってきて、ようやくおにぎり休憩が取れた。鎧兜を眺める余裕も出てきた。
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午後2時8分、車道に下りてきた。そばの建物は斎場。
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あとはひたすら車道を走って車に戻るだけ。走ると暑いのでウィンドブレーカーを脱ぐ。
青蓮寺川そばの車道からの鎧兜の雄姿。
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オートキャンプ場までの登り返しはもちろん歩きで。最後で車道をショートカットするためにちょっとだけ東海自然歩道に入る。
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午後3時5分、無事車に戻ってきた。結果的には満足感の大きい一日になった。これで気分良く今年を終えられそうだ。

高代寺山、城山

先の日曜日(12/16)は今年最後の随行で北摂の高代寺山から城山を歩いてきた。このあたりは2年近く前にも別の講座で歩いている。

出発は能勢電鉄の妙見口。前回は雪景色だったけれど、今回は寒いとは言え雪は無い。
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前回はぐるっと大回りの道を歩いたけれど、今回はより初心者クラスということで距離の短い参道を行く。
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参道なのでお地蔵さんなどが随所にある。
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車道に出て、妙見山を望む。
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ほどなく高代寺に到着した。
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これが本堂。
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前回はチラッと眺めただけのクマ舎。イノシシの仕掛けにかかった小熊を飼育しているらしいけれど、寒いせいか姿は見えなかった。
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五輪塔に寄り道。
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車道をヤブでショートカット。
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11時前、高代寺山(488.5m)に到着した。
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その後は車道を下る。途中の展望場所から、真ん中奥は六甲。
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しらかば公園に下りて、ここで昼食にした。
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トイレ休憩にスポーツセンターに立ち寄って、また山道に入る。
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わかりにくい道を辿って無事 242.2m の三角点へ。
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そして最後に城山(178m)の山頂。
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このあたりは城跡で、遺跡を守るための猪鹿よけのシカケがたくさん設置されている。
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最後の展望場所から市街地を眺める。向こうの山裾には新名神道路。
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市街地に下りて山道は終了。
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その後、山下駅で解散した。DSC_0035.jpg
これで今年の講座はすべて修了した。突然の腰痛で一時はどうなることかと心配したけれど、何とか無事仕事を終えることができてほっとした。