日曜日(5/27)は夕方から出かけなければならないので近場の半日コースということにして、2年前に一度だけトレースした交野三山を再訪することにした。
穂谷川からの交野三山。真ん中が交野山、その右が旗振山、さらにその右が竜王山。
快晴なので早く木陰に入りたかったので、第2京阪側道から国見山への登山道に入る。
登山道に入るやいなやハイカーグループに次々と追いついてしまって、いつものサイエンスヒルズからの道にしておけば良かったと思った。
今日は久しぶりに国見山を目指す。
国見山(284m)から天王山方面を望む。遠くは霞んでよく見えない。
そして交野山(341m)から大阪方面。
ゴルフ場を出て、今日は旗振山方面へ。
交野山から 15 分ほどで旗振山(344.9m)。実は交野市最高峰だけれど展望も無く、訪れる人は少ない。山名から考えるとかつては下界から山頂が見えたはず。
竹林で道がわかりにくいけれど、赤ペンキが先導してくれる。
前回は何の問題も無く竜王山まで行けたので今日はルートを入れた gps は持ってきていない。ところが突然、赤ペンキが無くなってしまった。
適当に方向を定めて進んだところ、また赤ペンキが出てきた。が、これは確かさっき歩いた道だ。何と交野の山でリングワンデリングしている。
もう一度進んだら、赤ペンキが T 字状態になっている箇所があった。ここでさっきは上る方向に進んだのだけれど、実は下る方向が正解だった。
ほどなく登り返しで、無事竜王山(321m)に到着した。
山頂の竜王石。弘法大師が雨乞いをしたという言い伝えがある。
前回は北尾根を下ったけれど、今日は南の方向に向かう。この道は初めて。
しばらく下ると下から声が聞こえてきて、しっかりした道に出会った。ちょうど出会った場所に古い鳥居があった。
この道は「かいがけの道」。古代には大和と河内を結ぶ道として賑わったらしい。
南西方向に下るとかいがけ地蔵。
石仏。
下道に下りてきた。
すぐそばには住吉神社。
車道を下ると河内磐船へ向かう車道に出た。右手に竜王山。
確かに気温は高かったけれど、これはどこで計っているのか?
第2京阪の側道に出て少し行ってからは住宅街を適当に進んで、津田のアルプラからいつもの穂谷川沿いの道で帰ってきた。
約 23km、3時間半ほどのちょっとしたお楽しみでした。
競技場練習会
今月はいろいろと用事が重なって、個人山行は先月末の乗鞍岳敗退以降どこへも行けていない。
この週末は天気が良ければ泊まりでどこかへと考えていたのだけれど、日曜日の夕方から出かけなくてはならない用事が入ってしまった。天気も良さそうなので残念だけれど、時間を気にして楽しめないくらいならまたの機会にした方がいいと思って、今日は陸上クラブの練習会に行くことにした。
このところ練習会への参加頻度はおおむね月2回くらい。うまい具合に競技場での練習会の日が続いている。
インターバルやレペティションなどのスピード練習はもはやあまり意味が無いと思って、個人的にペース走をやっている。1000m を 5’15” から 5’20” くらいで 10000m 行って、そこからペースアップして 2000m をキロ4分台のペースで終えることにしている。
普段のジョグではキロ6分より速いペースになることはほとんど無いので、キロ5分台前半のペースというのはいつも不安を感じながらスタートするのだけれど、練習会ではアップをしっかりやるせいか、時計を見なくてもだいたい予定のペースになる。
今日も最初の 1000m が 5’23” くらいだったので気持ちペースアップしたところ、その後はほぼ 5’15” くらいになって、ラストは 4’45” + 4’26” で終えることができた。
キロ5分以上だと「ただのジョグ」という感じしかしないけれど(とは言ってもそれほど余裕があるわけではないのだけれど)、キロ4分台になると体感的に「走っている」という気分になれる。
いつもトレイルでのんびり歩いたりスロージョグだったりばかりでは筋力が衰える一方なので、たまには身体にこういう刺激を与えることも必要なのではないかと感じている。
天ヶ岳
昨日(5/20)は登山講座で京都北山の天ヶ岳へ行ってきた。
天ヶ岳は私にとっては忘れることのできない山である。
中学二年生になった時、ワンダーフォーゲル部に入部した。その当時、ワンダーフォーゲル部には私の学年は一人しか部員がおらず、顧問だった理科の先生が授業でもしばしば「ワンダーフォーゲル部へ」と勧誘されていた。
スポーツ音痴だった私は野球やサッカー、テニスなどにはまったく興味が無かったけれど、山歩きならできるかもと思ったのかも知れない。初めてのトレーニングで腹筋運動をやって、翌日大変な筋肉痛に襲われたことを今でもはっきり覚えている。
そして初めてテント山行に行くことになった。上級生をリーダーにして、いつの間にか増えた同学年の二人と共に、四人で北山に向かった。
テント、まだシュラフを持っていなかったので毛布、そしてガソリンコンロ(往年の名器のホエーブス)を担いで、雲ヶ畑から直谷(すぐだに)をつめて、その後、芹生(せりょう)を越えて雲取山。そして百井から天ヶ岳を経由して大原に下った二泊三日の山旅だった。
体力の無かった私はバテバテで、腰を下ろすと睡魔に襲われてウトウトしてしまうという有様だったけれど、私の登山キャリアの第一歩だった。
今なら軽装で一日で行ってしまえるくらいのコースだけれど、その当時の中学生としてはなかなかの冒険だった。
その後、天ヶ岳には何度か登っているけれど、今日の予定のしゃくなげ尾根は初めてだ。
バスで小出石まで行って、しばらく車道を歩く。
いよいよしゃくなげ尾根へ。
なかなかの急登が続く。
稜線に上がると気持ちのいい道が続く。1ヶ月前ならシャクナゲ満開という感じ。
どういうわけかたった一輪だけ、まだ開ききる前?
鉄塔のある展望台からは鈴鹿山脈が望める。
ルートからちょっとはずれた小高い場所で昼食。
もうすぐで天ヶ岳という所で突然林道が。
前回天ヶ岳に来たのはもう 10 年くらい前だろうか。所属している山岳会で亡くなられた二名の方(いずれも遭難ではなく病気)の追悼登山で訪れたのだけれど、その時はこんな道は無かった。
山頂(788m)はこの林道のすぐそばだった。
下山は大原へ。途中、木々の向こうに鈴鹿北部が望めたけれど、写真ではわからない。
モチツツジ。
林道まで下りてきた。
そして寂光院のそば。
一応ここで解散して、大原のバス停からバスで帰ってきた。
それにしても天ヶ岳そばの林道にはがっかりした。百井峠の車道からはわずかな距離なので、こういう道が出来ていても不思議ではないのだけれど、まだこのあたりは林業が活きているということなのだろうか。
廃れていく峠道もあれば新たな林道が出来る所もある。北山のような山の道は登山者の都合ではなくて生活者の都合で出来たり廃れたりするのだろう。
猪の鼻ガ岳
先の月曜日(5/14)は登山講座で滋賀県日野町の猪の鼻ガ岳へ行ってきた。
当初1週前に予定されていたのが、雨のために延期になった。実は二日前までは降水確率の高い予報で、またもや再延期かと思われたのだけれど、前日から急に好天予報に変わった。
前日の雨中のマラニックでスマホが不調になって、カメラは水が入ってボケボケになってしまったので写真は無し。
近江八幡駅からバスで1時間近く揺られて、上音羽で下車。綿向山が望める。
ここからしばらく車道を歩いて、鎌掛峠から林道に入る。
しばらく林道を上がったけれど、猪の鼻ガ岳への登山道が見つからない。猪年以外はあまり登山者の来ない山なので、道が荒れている。
それらしい場所を何度か行ったり来たりして、上に向かう林道をつめることにした。
実はこれが正しい登山路だったようで、途中で朽ちた道標が出てきた。
登山路はなかなかの急登で、前日の雨のせいで滑りやすい。
展望の無い山頂(508.1m)に昼過ぎに到着して、昼食にした。
近くにはホンシャクナゲの自生地があるのだけれど、今年は開花が早くてすでにシーズンは終わっているので行かない。
同じ道を慎重に下山して、蒲生家の音羽城跡に立ち寄って、行きと同じ上音羽のバス停に戻ってきた。
ほしだ園地、交野山マラニック
13日の日曜日は前日から悪天予報だった。
この日はクラブ恒例のマラニック大会の予定だったけれど、おそらくみんなこれでは中止やむなしと思っていただろう。
前日の夜になって、朝に最終判断するという連絡が入った。となると起きて準備をしておかなくてはならない。
決行になっても大丈夫な時間に起きて、食事を摂っていたら、決行するという連絡が入った。
まだ雨は降っていないけれど、今にも降り出しそうな雰囲気で、午後は大雨という予報が出ている。
「ホンマに行くの?」と思ったけれど、後尾のサポート役を頼まれていたので行かないわけにはいかない。
いつも通りのコースでゴールがスパバレイなので、ここまで自転車で行ってデポしておくつもり。
家を出るやいなや雨が降り出してきて、あわてて雨具を着込んでスパバレイに向かった。
雨はさほど強くはならなかったので、スパバレイで雨具を脱いで、集合地の河内森駅にジョグで向かった。
約 5km、30 分ほどで河内森駅に到着した。さすがに例年よりは随分少なかった。
ここからロング約23kmのAコース、ミドル約15kmのBコース、ショート約10kmのCコースに分かれるのだけれど、Cコースは希望者が一人だけだったので無理矢理Bコースに引きずり込んだ。私はBコース。
ほしだ園地に入ったあたりから雨が降り出した。おかげで星のブランコは誰もいない。
展望台で集合写真。
ここからちょっと大回りして磐船神社そばに下りて、きさいちカントリークラブの取り付け道路を上る。ほとんどどしゃぶり。
くろんど園地も林道ではなくトレイルで上って、交野山へ。それにしても寒い。
寒いので国見山はパスしてスパバレイにゴールした。
約19km、3時間15分でした。私は行きの分5kmプラス。
ここで温泉に入ってもまた自転車で濡れて帰らなければならないので、このまま帰ってしまおうかと思ったりもしたのだけれど、とにかく寒くてやはり一度暖まった方がいいかもと思い直して、フロに入ってビールとあたたかいラーメンで身体を温めた。
しかしこのマラニックの代償は大きかった。
ようやく2年かけて分割払いが終わったスマホが、この雨で瀕死状態になってしまった。防水モデルで、これくらいの雨ならこれまで何度も出会っていたのだけれど、これまでに道路に落としたり、落とした直後に蹴飛ばしてしまったりと、荒っぽい扱いを何度かやってきたので、少しずつ隙間などができてきていたのだろうと思う。
翌月曜日にお知らせ LED が点灯しなくなって、あれっと思っていたら、火曜日の朝には液晶画面がひどい状態で、画面操作ほぼ不可能に陥ってしまった。通話のみ何とか。
想定外の散財にがっくり。
雲母坂
水曜日(5/9)は京都一周トレイルの講座で比叡山の雲母坂(きららざか)を登ってきた。
京福電鉄の修学院駅に集合して、まずは鷺森(さぎのもり)神社へ。
創建は千年以上前だそうだが、創建当時は別の場所だったらしい。
次は曼殊院(まんしゅいん)へ向かう。正面にこれから登る比叡山が望める。
曼殊院は外から眺めるだけ。
いよいよ雲母坂へ。今日のルートは上り一辺倒で、この講座の中では一番キツイ。
このあたりにはかつて雲母寺という寺があったそうだけれど、正確な場所などはわかっていない。
1時間20分少々かかってようやく前回終点の水飲対陣跡に到着した。
展望場所から愛宕山など。
浄刹結界跡で昼食。
午後もずっと登りで、千種忠顕の碑。この碑が建てられたのは大正で、それほど古いものではない。
今日のゴールはケーブル比叡駅なのだけれど、時間があったのでちょっと寄り道した。
昔のスキー場跡。私が初めてスキーを体験したのはたぶんここだったと思う。
それからケーブル比叡駅に着いて、展望場所に寄り道。展望場所は2カ所あって、南の方からは生駒方面が望める。
今日のゴールはここ。
皆さんはケーブルで下山されたけれど、私はいつも通り山道で下る。ただし一人だけ歩いて下りたいという方がいらっしゃったので一緒に下った。
登山地図には載っていない道で、歩く人は少ない。滑りやすい急斜面を下って、回峰行の道に合流。
この道も下の方に浄刹結界跡がある。
その後、ケーブル八瀬駅を通過して、京福の八瀬比叡山口から家に向かった。思いのほか寒い日だった。
乗鞍スカイライン復路
夜中にトイレに起きた時、きっと星空が素晴らしいだろうと思ってメガネをかけて出たところ、期待はずれで星はほんの少ししか見えない。何故かと言うと、月明かりで影ができるほどのド満月だった。
たっぷり寝て、外がちょっと白んできたと感じた5時頃に起きた。
朝は定番の棒ラーメンにサラミを入れる。
食事の用意をしていたところ、何やら奇妙な物音が耳に入った。風はほとんど吹いていない。例えてみれば動物が鼻や喉を軽く鳴らすような音。
クマ?????
全身が凍り付いた。テントを破ってくるのではないか。もし襲われたらどうしよう。ケガをしてもあの携帯エリアまでたどり着ければ何とかなるかも知れない。
そんなことが一瞬にして頭を駆け巡った。
息をひそめてしばらくじっとしていたが、幸い何事も無く時間が過ぎて行った。恐ろしくてテントの外を見る気にならない。
やはり熊よけスプレーは早く入手すべきだと思った。
すっかり明るくなってから外に出たが、今となってはあの音が何だったのかは知る由もない。
ザックに軽食と水分と雨具だけを入れて、アイゼンを装着して出発したのは6時ちょっと過ぎだった。
鶴ヶ池のそばの雪の斜面を上がると、スキーとスノーシューのトレースに出会った。わりと新しいトレースだが、スノーシューは歩きにくいんじゃないかという感じがする。
そのトレースを追ってしばらく進む。富士見岳の南側の斜面にライチョウが2羽いた。小さくて写真では見えないけれど。
剣ヶ峰への道標が現れて、ようやく剣ヶ峰にご対面。まだまだ遠い。
スキーのシュプールの残る魔利支天岳の東斜面をトラバースぎみに進むが、なかなかの傾斜で緊張する。位ヶ原を登る登山者が見える。涸沢からザイテングラードのような雰囲気。
今日の装備でこのままこの斜面を進むのは危険と感じた。まぁ足を滑らせても雪の斜面を滑り落ちるだけで、いずれ止まるような地形だけれど、あまり格好のいいものではない。
一旦位ヶ原に下ってそこから登り返しということもチラッと考えたけれど、剣ヶ峰手前のリッジには雪庇が出ている。ここが潮時だ。
元々この時期のこのレベルの山にトレッキングシューズと軽アイゼンで山頂まで行ける可能性はあまり高くないということはわかっていたので、迷いは無かった。標高 2,800m まで上がれただけでも十分という気持ちもあった。
テントには7時半くらいに戻ってきて、装備をまとめて8時前に帰路についた。二泊分の用意をしてきたので本当はもう一日山で過ごしたかったのだけれど、あまりにも時間が早すぎる。私はのんびりぼうっと時間を過ごせるタチではないのだ。今日中に帰ることにした。
車道のすぐそばにライチョウがいた。
多少は荷物は軽くなっているはずなのだけれど、下りにもかかわらずペースは上がらない。昨年、小辺路の車道歩きでつらかった時よりもひどいくらいの状態になってきた。
時たま立ち止まって腰をストレッチしないと歩き続けられなくなってきた。
軽装で上がってくるハイカーと MTB に出会った。
平湯峠からの下りはさらにつらくて、1〜2分ごとに立ち止まらなければならないほどになってきた。
最もつらかったのは平湯トンネルからの車道に合流してからキャンプ場までの数百メートルで、車が通らない道はあたりを気にせずに立ち止まることができたけれど、たくさんの車が通る道ばたであまりなさけない姿は晒したくない。それくらいのプライドはまだ残している。
こんなにつらい思いをしながら歩くのは近年には記憶が無いと思いながら、最後の気力を振り絞ってキャンプ場に戻ってきた。
12 時 36 分に到着。ザックを下ろして車のそばにあった丸太に腰を下ろして、しばし放心状態だった。
そんなせいもあって、今回は敗北感はあまり無かった。本来なら「乗鞍岳敗退」というタイトルになるはずなのだが、気持ちとしては結構満足していた。
さて、一息ついたらここへ行くしかないだろう。
初めて「ひらゆの森」に来たのはもう十数年前だけれど、その時からずっと入浴料は 500 円のまま。消費税増税でも値上げされなかった。今までいろんな温泉に行ってきたけれど、ここに来て以降、ここを上回る質の温泉には出会ったことが無い。
無事に帰宅して、翌朝起きたら足の筋肉痛がひどかった。しかも昔にトレイルレースの後に出た筋肉痛とは場所が違っていた。昔は筋肉痛が出るのは大腿四頭筋だったのだけれど、今回は股関節や下肢のあたり。こんな筋肉痛は初めてだと思う。
ここ数年はトレイルレースの後などでも筋肉痛が出ることはほとんど無かった。その要因は決して筋力がついたのではなく、自己防衛本能で余裕のあるレベルまでしか力を発揮しないようになってきているのだと考えている。
今回くらいの荷物を持って長時間歩くのは、軽装で走り歩きする時とは違う筋肉を使っているということだ。逆に言えば、短期間にこういうことを何度か繰り返せばトレーニング効果が期待できるということかも知れない。
テント泊で山歩きをするのであればせめて 15kg くらいの荷物では普通に歩けるようにしたい。
そして悩ましいのはもう少しまともな登山靴を買うかどうかということ。昨冬からまた雪山に出かけるようになって、装備の不備を感じることが何度かあった。
私に一番向いているのは軽装でロングロートを1日で駆け抜けるスタイルだということはもうわかっているのだけれど、やはり雪山やテント泊も諦めるわけにはいかない。
アイゼンとピッケルはまだ十分使えるものが残っているので、ワンタッチアイゼンが着用できる靴さえ入手すればすべて解決するのだけれど・・・。
乗鞍スカイライン往路
今日(4/28)はスカイラインを歩くだけなので朝はゆっくりめに8時に起きた。
駐車場は満杯で、外に出たら管理事務所の前に行列ができていた。何事かよくわからなかったけれど、キャンプ場の申し込みの列のようだった。そんなに人気があるのだろうか。30 分もしたら車はほとんど無くなっていた。
準備して出発したのは9時ちょっと過ぎだった。足元はトレッキングシューズ。右手に簡易ピッケルになるピック付きのポール、左手には普通の山スキー用ポールを持った。
それにしても荷物が重い!!。家で重さを計ったところ、水分無しで 11kg くらいだった。今回は上部で水が得られない可能性があるので、2リットルほど余分に持ってきた。最悪、雪を溶かして水を得ることはできるけれど、アルコールはそれほどたくさんは持ってきていない。最終的には 15kg 近くあったのではないかと思う。
しばらくは平湯トンネルに向かう車道の脇を歩く。
足元にはフキノトウがいっぱい。この先、森林限界くらいまでずっとフキノトウが出ていた。上部では食べられそうなものもあったけれど、荷物になるので採らなかった。
平湯峠への旧道に入る。車はまだ入れない。
10 時 12 分に平湯峠に到着した。標高 1,684m。
若山牧水の歌碑があった。
ようやく乗鞍スカイラインに入る。道路整備の人達に何度か出会った。
山スキーで来た時は大崩山の第一尾根や第三尾根を登るので、スカイラインは時折交差するだけなのだが、今回はひたすら車道を歩く。最初からこういう予定だったら MTB で来たのだけれど・・・。
白山の全貌が眺められる。
11 時ちょうどに夫婦松に着いた。標高 1,900m くらい。ここでおにぎり休憩。ポールが邪魔なのでザックにくくりつけた。
少し上の展望台からは北アルプスの素晴らしい眺め。左から笠ガ岳、弓折岳。真ん中あたりに槍ガ岳。そしてその右に奥穂高、前穂高。一番右は霞沢岳。
何と、トレイルランナーが走って下りてきた。
それにしても荷物が重い。こっちに転戦して本当に良かったと思った。飛越新道に行っていたらおそらく1時間くらいで敗退しただろうと思う。白山でも同じようなものだ。登りとは言え車道なので何とか歩けるけれど、まともな登山道の急登ならとても歩けないと思った。
正面に山スキーで何度も行った猫岳(2,581m)が見えてきた。こういうアングルで眺めるのは初めてだ。
お次はこれも山スキーで何度も行った四ッ岳(2,744.6m)。
四ッ岳を眺めていたらイヤなことを思い出してしまった。実はこのあたりはクマが多いのだ。
これまで山でクマを見かけたことは何度もあるけれど、半分以上はこのあたりで、特に四ッ岳での山スキーの時が際だって多い。乗鞍では何年か前に夏の観光シーズンに土産物店にクマが乱入したことがある。何せクマ牧場があるような地域なのだ。
出会わないことを祈るしかない。
ところで、以前に山スキーで四ッ岳に来た時に頂上から携帯で電話したことがあって、さすがに乗鞍はスカイラインがあるのでこんな場所でも携帯が繋がるのかと感心したのだけれど、いつの間にか圏外になっていた。
ようやく畳平の手前までやってきた。鶴ヶ池。
宇宙線観測所が見える。
2時 38 分、畳平のバスターミナルに到着した。標高約 2,700m。5時間半、19km、標高差 1,400m のアルバイトは楽では無かった。
夜に風が当たらないように、森林管理署のベランダのテラスにテントを張らせてもらった。
このテントは昨年末に新調した「ビッグアグネス フライクリーク 1LX」というモデル。シェルターでは寒い季節は厳しいので、ダブルウォールのものがほしかった。それと、通常のドーム型は一人で入るとどうしても頭が上部に当たってしまう。冬場で結露していたりすると非常に不快なので、そうならないような形状のモデルを探したところ、ちょうどこれが安く売られているのを見つけて、勢いで買ってしまった。
重量は全部で 1.5kg くらいで、それほど軽量ではないのだけれど、軽量をウリにしたダブルウォールテントはたいていインナーの大部分がメッシュになっている。それでは保温性がちょっと心配ということで、このモデルを選択した。
さて、バスターミナルなら携帯は通じるのではと思ったが、残念ながらここも圏外だった。ひょっとしたら再起動したら繋がるかもと試してみたが、やはりダメだった。
実はこの再起動は大失敗だった。スマホの地形図アプリは圏外になってからも地図を表示してくれていたのだけれど、これは地図データをキャッシュしていたようで、再起動でそのデータが消えてしまったのだ。
gps の地図は正規の有料の登山地図ではないので、等高線や主要な道路は表示されるけれど、地形図ほどは詳しくない。私は乗鞍は初めてなので、地図が無いとどういうルートで進めばいいのかわからない。
もう山頂は手の届く所まで来ているので、このままおいそれと帰るわけにはいかない。
何とか解決策が無いかと頭をひねったところ、鶴ヶ池の向こうが大きく開けているのが目に入った。さっきそのすぐそばを工事車両が走っていたので、そこまでは除雪されているということだ。その向こう側まで行けば電波が通じるのではないかと考えて、そちらに向かった。
5分ほど歩いたら「長野県」の看板が現れた。
ここで長野県側に出たところ、大正解!!。携帯が繋がった。さっそく地形図アプリで地図を読み込ませた。ほんのわずか岐阜県側に戻ったらもう圏外だった。
お次の課題で、どこかに水が流れていないか探してみたところ、車道の下の小さな溝にちょろちょろと水が流れているのを発見した。カップに少しずつ貯めれば利用できそうだ。沸かして飲むものはこれを利用することにしよう。
ビールと日本酒でリッチなディナーを堪能して、まだかすかに明るさが残っているうちにシュラフにもぐった。
3連休
3連休くらいなら年間に何度もあるような気がするけれど、3日間好天続きという予報で迎えられるチャンスはそうそうは無いだろう。
4/28 から 4/30 までの3連休は、天気が良さそうだったらぜひ3日間の行程でどこかの山へ行こうと思っていたけれど、まさかこんな好天予報になるとは思わず、直前になってあわてて行き先を考えた。
せっかくなので雪山に行きたいと思ったけれど、それほど重厚な登山を目指すつもりは無い。何せ本格的な雪山を歩ける靴が無い。できれば急斜面のあまり無い広々とした山域を、まったりと散策してみたいと思った。例えてみればスノーシューハイク向きの山域のようなものだろうか。
ところがそんな都合のいい山域は近場では皆無で、まともに雪が残っている場所を求めるとどうしてもアルプス方面になってしまう。東北や北海道に行けばいくらでもありそうだけれど、いくら何でもそこまでは行けない。
立山は自然条件は絶好なのだけれど、ゴールデンウィークのアルペンルートなんてとても近づく気にならない。
白馬方面まで行けば八方尾根や栂池あたりでそれに近いことが楽しめそうな気もするけれど、いささか遠い。一昔前なら平気だったけれど、もう片道 400km の運転はしんどい。
そんなわけで、そういう山域を選ぶのは諦めて、ルート的には普通の登山ルートを余裕を持った日程で歩いてみようと考えた。
まったく様子を知らない場所というのは不安なので、白山方面を考えた。昨年、白山四峰を登ったので、三ノ峰を含めて白山五峰を3日かけて歩いてみようと思った。
金曜日(4/27)の夜に出る予定で、ふと思って朝に道路状況を調べたところ、何と市ノ瀬までの林道がまだ開いていない!!。帰ってから調べたら 28 日に冬期閉鎖解除された模様。
夜に出発したいので、あわてて次なる行き先を考えた。そして思いついたのはこれも昨年歩いた飛越新道。10 年以上前のちょうどこの時期に山スキー目的で行ったのだけれど、雪が少なくて、薬師岳を歩きで往復しただけで帰ってきたルート。これを再訪してみようと考えた。
出発する前にナビでルートを検索したところ、どういう訳か昨年走りやすかったルートが出てこずに、あの狭いクネクネ道しか出てこない。何か理由があるのだろうか。走りやすかったルートはナビに従って走ったので、はっきりした記憶が無い。
どうも意欲が減退気味で、それでも予定通り出発した。しかし走っているうちに昨年運転で疲れたことが頭に大きくのしかかってきて、またあんな道を深夜に走りたくないという気持ちが強くなった。
そこでふと思いついたのが乗鞍岳。平湯からスカイラインを歩いて山頂直下の適当な所まで行って、その後、山頂を目指すというルートが頭に浮かんだ。地図を持ってきていないけれどスカイラインは迷うことなどあり得ないし、gps にはちょっとした地図が入っている。それにスマホには地形図を見られるアプリを入れている。おそらく乗鞍なら携帯の電波は入るだろうと思った。
深夜の1時半頃、平湯のキャンプ場の駐車場に入った。ここはかつて山スキーで四ッ岳へ行く時に何度も利用させてもらった駐車場なのだけれど、どうもすでにキャップ場は営業している様子。勝手に停めておいて大丈夫だろうか?
着いた時は停まっている車は数台程度だったけれど、夜中のうちにどんどん増えて、朝にはほぼ満杯になっていた。
半国高山
私と同年代で若い頃に京都の北山に足を運んだ人達は、おそらくそのほとんどが「京都周辺の山々」(金久昌業著)を参考にしたことと思う。
その金久昌業(かねひさまさなり)さんが昭和 50 年代前半に書かれた著書で「北山の峠(上中下)」という3冊の本がある。
もう何十年も前に絶版になっていて今では入手困難で、ちなみにアマゾンでは古本が1冊2万円くらいで出品されている。
私は中学、高校では北山へは何度も足を運んだものの、二十歳を過ぎてからは登山の対象として興味を持つ山域では無くなっていた。30 台の頃は金毘羅の岩場へは何度も行ったけれど、山歩きの対象としてまた行くようになったのはここ数年のことだ。
そんなわけで私がこの本のことを知ったのはごく最近で、興味は持ったもののさすがに万単位のお金を払ってまで手に入れたいとは思わなかった。しかし図書館にあるということがわかって、借りて読んでみた。
わずか2週間の貸出期間で読み終えられるような軽い内容ではなく、ガイドブックという範疇をはるかに凌駕する峠の文化論だった。
何とか手元に置いてゆっくり読んでみたいと思ったけれど、ネットの中古書店でもなかなか見つからない。
そんな時、オークションで3冊 6,000 円で出品されているのを見つけた。販売時の定価は 1,900 円で若干の上乗せはあるけれど、アマゾンに比べれば極めて良心的な値段である。
入札が競合して値段が’上がっていくのを恐れたけれど、何と競合無しで 6,000 円プラス送料 510 円で落札することができた。
品質は極めて良好で、外側は若干の劣化があるのもの、中身はほとんど読まれた形跡が見あたらないくらいきれいなものだった。
京都市内から見える北山エリアから始まって、若狭湾に出るまでの約 100 の峠が取り上げられて、ルートガイドと共にそれぞれの峠の歴史が綴られている。
もはやガイドブックとしての価値はほとんど無いと思われるけれど、これらの峠たちが今どのようになっているのか、ぜひこの目で見てみたいという気持ちにかられた。
まずはその第1回として周山あたりの峠をいくつかつないで、それから懐かしの桟敷ヶ岳まで足を延ばそうと思った。
4/22 の日曜日、京都駅から周山行きのバスに乗って、杉坂口で下車した。下車したのはもちろん私一人。
橋を渡って車道の脇で準備を整えて、出発したのはすでに9時5分だった。gps のルートでは 27km くらいだったので、そんなにあわてなくても大丈夫だろうと思っていた。
すぐに未舗装の林道に入って、緩い登りをスロージョグで進む。
そして最初の目標の供御飯峠(くぐいとうげ、くごいとうげ)に向かう。この分岐に車が1台停まっていた。
次第に傾斜が急になってきて、足元も次第に荒れてきた。ほとんど歩かれていない感じ。
ところが、上から女性の声が聞こえてきた。結構な歳のお二人で、山仕事に来られているのだろうか。あの車はこの人達のものだったのか?
「供御飯峠へ行くんか?」と聞かれたので「そうです」と返事したら、「こんなとこよう知ってるなぁ」と感心された。たぶん登山者は少ないのだろう。
教えてもらった方向に登っていくが、踏み跡は不明瞭。急傾斜をジグザグに登ったら、供御飯峠に到着した。ちょうど9時半。
少し上にはお地蔵さん。きれいに整備されている。小野郷からの道の方がしっかりしているのかも。
天皇が召し上がる食べ物のことを「供御(くご)」と呼ぶらしい。貢納米を運んだ道だったのかも・・・は「北山の峠」から。
清滝川は名前に似合わず荒々しい川で、河床のすぐそばの両岸がガケになっている部分がたくさんある。道路工事技術が未熟だった時代はそういう場所に道を造ることができず、そのかわりに峠を越えて反対側に出る道が随所に造られた。そういう生活のための峠がこのあたりにはたくさんある。と言うか、峠というのはそのほとんどが生活道路として利用されてきたもので、登山者はそれを借用しているに過ぎないのだ。
しかし陸上交通が発達してからは多くの峠が忘れ去られてしまって、今や利用者のほとんどが登山者やハイカーになっている。
さて、これで稜線に上がったので、これから北の半国高山(はんごくたかやま)を目指す。
道は不明瞭な部分もあるけれど、テープマークが所々にあり、稜線を忠実に辿れば迷うことは無い。
急登をしばらく上がって、供御飯峠から40分で半国高山(670m)に到着した。
写真を撮ったら早々に出発。テープマークを追っていたら急な下りになってきて、古いロープが出てきた。北山でもこんな厳しい山があるのかとびっくりしながら下った。
標高差で 100m くらい下った頃、ふと左腕に着けた gps の画面が目に入った。何と、とんでもない方向に下っていた!! 山頂から北に向かわないといけないのに、東に下っていた。
さすがにこの急斜面の登り返しは気持ちが折れた。何とかトラバースでごまかせないかと進んでみたが斜面の傾斜がかなり急で、どうしても登ってしまう。結局元の道に戻ってしまって、山頂まで登り返すことになってしまった。約20分のタイムロス。
次なる峠の岩谷峠には10時43分に到着した。目立たない峠だった。
ここからの登り返しもなかなか厳しかった。この稜線のデコボコは標高差こそ大したことが無いけれど、結構傾斜がきつい。おかげで思ったほどペースが上がらない。
この次のピークでまたもやロストしかかったけれど、様子がおかしいと気付いて大きなロスにはならなかった。戻ってきたら古い道標が目に入ったけれど、来た時は気が付かなかった。
「北山の峠」には登場しない青谷峠。
シャクナゲ。
ようやく縁坂峠(えんざかとうげ)が見えてきた。
しかし足元は石垣があって真っ直ぐには下りられない。少し西側に回り込んで、11時半にようやく縁坂峠に到着した。
この稜線は予想以上に厳しかった。予定のルートを踏破するのはムリではないかと思い始めた。
とにかく大森の集落に向けて下る。つづら折れを10分ほど下ったら林道に出た。
集落手前に首無し地蔵。ずいぶん古いものらしい。
集落の中をジョグで進みながら、これからの行程を考えた。あまり北へ行ってしまうと雲ヶ畑に下りなければならない。ここのバス便は1日2便しかないので、何とかそれは避けたい。周山なら1日10本以上あるので、断念するなら早い方がいい。
とは言うものの、いくら何でもまだ戻るには早すぎる。茶呑峠へ直行しようかと迷ったけれど、思い直して当初の予定の伏見坂に向かった。
このあたりは京都一周トレイルの京北コースの一部になっているらしい。おかげで整備されている。とは言っても峠はこんな感じ。
このあとも一周トレイルコースを下ったけれど、コースはずっと南下していく。しかし私は北へ向かいたいのですぐそばの車道に下りたいのだけれど、ちょっとした溝があって水が流れている。濡れずに渡れそうな場所を探して、何とか車道に下り立った。
このまま車道を北上して、地図だとこのあたりが河原峠(こほろとうげ)。車道はまだ登っているのでここが峠とは思えないのだが・・・。
東俣へはここを入って行くと思うのだけれど、少し先にゲートが。
横から勝手に入って進むが、東俣への分岐がよくわからない。林道が上がっているのでそこに行ってみたらほどなく行き止まりだった。
戻ってきて少し進んだら小さな標識がころがっていた。
しかしこの先はかなりの急登で、しかも踏み跡も不明瞭。せめて茶呑峠までと思ったりもしたけれど、もう気持ちが萎えた。
ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にして、周山からのバス停に向けて戻ることにした。
しばらく車道を行く。緩い下りという好条件なのだけれど、気持ちが切れて走る気分になれない。おまけに暑い。ちょっと走ってはしばらく歩いてを繰り返して、伏見坂の南にある雲月坂に向かった。
伏見坂は一周トレイルコースなので整備されていたけれど、こちらはもはや廃道状態。2014年の登山地図には実線で書かれているけれど、ホンマかいなという感じ。
このあと踏み跡がわからなくなって適当に進んでいたら、下ってくる踏み跡に遭遇した。本当の峠は通らずに来てしまった。
さらにこの下では道が完全崩壊。横の斜面を適当に下った。
午後2時前に車道に出た。
スマホでバスの時刻を調べてみると、2時10分に周山を出るらしい。小野郷は2時20分くらいだろう。バス停までは 2km くらいなので、走れば間に合いそう。
こういう目標ができるとまた走れるもので、バス停に向かってひたすら走った。
バス停の手前に岩戸落葉神社。源氏物語のモデルになった落葉姫と関連があるとか。
2時15分に小野郷のバス停に到着した。時刻表を見たら次のバスは2時23分だった。
それにしても北山の風情は昔とは激変した。数年前から北山に再訪しだした頃から感じていた事だけれど、昔は北山と言えばササ藪だったのだけれど、そういう藪はほとんど見かけなくなってしまった。ササというのは数十年のサイクルで繁栄を繰り返すという話を聞いたこともあるので、いつの間にか枯れるサイクルに入っているのかも知れない。
「北山の峠」の写真を見ても、道の両側はほとんどササが茂っている。
実は私が北山に行かなくなった主たる要因はササ藪で、ヤブ漕ぎがいやで北山に行かなくなってしまったのだ。
その当時と比べると本当に歩きやすくなった。その代わりに木が成長して展望が遮られるようになってしまった。滝谷峠や仰木峠など、昔は眺望の名所だったのに今はその面影も無い。
おそらく私が現役で山へ行ける間にまたササ藪が復活するようなことは無いだろう。せっかくなのでまた北山にもまた目を向けたいと思っているのだけれど、交通機関が難点である。