昔、東海自然歩道を箕面から室生寺まで分割して走った時、印象に残ったのが柳生街道と山の辺の道だった。
今年の2月に柳生街道を再訪した時、次は山の辺の道にも再訪したいと思った。
この週末は天気が思わしくない予報で直前まで予定が立てられなかったのだけれど、土曜日に雨が降った後、日曜日は天気が回復するという予報になったので、急遽山の辺の道へ行くことにした。土曜日の雨でまともな山道はあまり条件が良くないだろうという予想もあった。
日曜日(6/24)の朝9時前に近鉄奈良駅に到着して、そのままアーケードの繁華街を歩いて猿沢の池のそばで出発の準備を整えた。
9時過ぎに出発して、まずは新薬師寺に向かう。案の定、山門のすぐそばに料金所があって、中はチラッと眺めるだけ。
すぐ横に比賣神社。十市皇女(とおちのひめみこ)が祀られている。
十市皇女は大海人皇子(天武天皇)と額田王の皇女。壬申の乱では父と夫(大友皇子)が戦火を交えるという立場にあった。大友皇子が敗れて首を取られ、その後、十市皇女は30歳くらいの頃に急死した。自殺説もある。
白毫寺に向かうが、ここも拝観料がいるので石段を眺めただけ。
ちょっと小高い所から奈良盆地が眺められた。生駒は雲がかかっている。
これまでずっと舗装路だったけれど、ここでようやくトレイルに入る。ただしちょっとだけ。
やはり足元はぐちゃぐちゃで、山に行かなくて良かった思った。
このあたりは「鹿野園」というらしい。
全国各地にある白山比咩(しろやまひめ)神社。
宗道天皇陵。こんな名前の天皇はいない。ようわからん。
山の辺の道はあちこちに万葉句碑が建っている。
額田王の「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや」。
飛鳥から近江に向かう途中で読まれた歌。
「三輪山をみられるのも、もうこれが最後だというのに、雲よ、どうして
そんなにいじわるをするの。飛鳥を離れ、遠い近江まで行かなければ
ならないんです.この辛い寂しい気持ちを、せめてお前だけでも解って
欲しいなあ.雲よ、おまえに思いやりがあるのなら、三輪山を隠さない
で、見せておくれ」
弘仁寺にも寄ってみたけれどやはり志納金がいるで山門から眺めるだけ。
しばらく車道を走って白川ダムへ。
ダムの堰堤をぐるっと廻って山道に入る。石上大塚古墳に立ち寄る。石室のあと。6世紀前半のもの。
石上(いそのかみ)神社に近づいてきたのでこのあたりでおにぎり休憩にする。この先になるとゆっくり落ち着いて食べられる場所があるかどうかわからない。
おにぎり休憩した場所のすぐそばにこんな説明板。
天理砂岩もあります。
12時過ぎに石上神社に到着。これは拝殿。
神の使いの尾長鶏。
夜都岐神社(やつぎじんじゃ)。このあたりまで来ると散策している人が増えてくる。
竹之内環濠集落の環濠の名残。
左手に龍王山。
ヒエ塚古墳。かなり大きい。箸墓古墳と同じくらいの年代。
長岳寺も入山料がいるので中には入らず。見慣れたエリアに入ってきた。
櫛山古墳。以前に噴丘まで行ったので今日は素通り。
行燈山古墳(あんどんやまこふん、崇神天皇陵)も通過。
渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん、景行天皇陵)は初めて。これも大きい。
いい眺め。背景の金剛山、大和葛城山の手前に木の盛り上がりが3つ見えるけれど、一番奥が畝傍山、その手前が耳成山。一番手前は箸墓古墳。
県道50号をしばらく東に向かって登って、また未舗装道へ。このあたりから通行人がぐっと増える。
檜原神社。天照大御神を祀っている。
狭井川(さいがわ)を渡る。と言っても川幅1メートルくらい。この辺り一帯にはかつてササユリが多数自生していたそうで、その古名「サヰ」から、地名もこの川の名も付けられたとか。
そして狭井神社。三輪山に登る場合はここが登山口。ただし午後2時が入山のタイムリミットで、今日はすでに2時を過ぎている。かつて2時1分に入山を拒否されたことがあるので、私自身は二度と行くつもりはない。
そして大神(おおみわ)神社。この輪を指定された方向に廻ると日々の穢れが清められるらしい。日々の穢れはヤマほどありそうだけれど、こういうことはご遠慮申し上げます。宗教心の無い人間がこういうことをやると逆にバチが当たりそうな気がして・・・。
大神神社のご神体は三輪山そのものなので、拝殿の後ろに本殿は無い。
ここを過ぎると人がぐっと減る。あと少しだけれど、平等寺の石段に腰掛けてどら焼き休憩にした。これは本堂。
磯城瑞籬宮跡伝承地(しきみずがきのみやあとでんしょうち)に立ち寄る。
こんな謂われがあるそうです。
いよいよ今回の行程も最終盤にさしかかってきた。北側の展望が開けた。左の大きな山が音羽山。右が多武峰(御破裂山)。それらの手前の低い山が鳥見山。
金谷の石仏。貞観時代から鎌倉時代あたりのもの。
住宅街に入るとこのあたりが海石榴市(つばいち)。古代は大和川水運の拠点として賑わった。ただし海石榴市が本当にこのあたりだったのかということに関してははっきりした遺跡のようなものはこれまでは出ていない。
海石榴市観音というのがあったらしいけれど、気が付かなかった・
少し下ったあたりから金剛山を望む。桜井や明日香村あたりから眺める二上山は何とも言えない。悲運の大津皇子を思い出す。
初瀬川のたもとに仏教伝来の地の石碑。欽明天皇の時代に百済から仏教の経典や仏像を携えてやってきた使者がこのあたりで上陸したということだろうと思う。
初瀬川(大和川)を渡る橋の上から、正面手前に外鎌山(とがまやま)。その右の大きな山が音羽山。
あとはつまらない車道ジョグを10分少々で、3時過ぎに桜井駅にゴールした。
ちょこちょこ横道にそれたりしたので、約 33km、6時間の行程でした。
久しぶりに個人的に奈良に来たのだけれど、やはり奈良はいい。奈良公園の界隈を除くとどこもあまり俗化されていなくて、少し小高い所に上がると田んぼや畑の田園風景が広がって、私が生まれ育った京都と同じ様にまわりを山で囲まれていて、心が落ち着く感じがする。
心身ともに癒された楽しい一日でした。
平湯尾根から乗鞍岳
乗鞍岳はこれまで無雪期の登山の対象に考えたことは無かった。上部まで車道が通っているし、天候さえ見極めればおそらく一番簡単に登れる 3000m 峰だろう。
西側や南側には渋い登山道があるけれど、登山口までのアプローチが大変だったり、距離が長かったりと、そこまでして行きたいと思えるほどの魅力は感じられない。
先日の乗鞍スカイライン歩きは突然の行き先変更で行ったもので、予め計画していたプランではなかった。装備が不十分で 2800m で敗退となってしまったのだけれど、スカイラインの桔梗が原のあたりから北側の尾根に登山道が続いているのを見て、帰ってからちょっと調べてみた。
私が持っていた古い登山地図では平湯から沢沿いの破線ルートが記載されていたのだけれど、今は尾根伝いの道があって、しっかり整備されているらしい。さっそく新しい登山地図を購入した。
このルートなら早朝発で一日で乗鞍岳を往復できそうだ。標高差 1700m くらいで、それなりの充実感も得られそう。先日はピークまで行けなかった心残りもあるので、そのモヤモヤを解消するためにも早めに実行したい。それに観光シーズンになると山頂エリアは観光客でごった返しそうだ。
昨日(6/17)の日曜日は好天予報で絶好の機会だった。前日の土曜日の昼頃に家を出て、一路平湯へ向かった。
スタートは平湯スキー場で、問題は車をどこに置くかということ。平湯のキャンプ場は駐車料金 1000 円。むかし山スキーで金山岩に行った時はスキー場の駐車場に置いたのだけれど、ここにはレストランがあって、無雪期にはこの店の駐車場という雰囲気になっている。ちょっと停めにくい。
安房トンネルの入り口のそばにちょっとした駐車スペースがあるのだけれど、ちょっと落ち着かない感じ。
スキー場の横の車道を上がって行くと、平湯の大滝公園の駐車場があった。ありがたいことに、公園は閉鎖されているけれど駐車場は使用可とのこと。
ここならスキー場までもすぐだし、駐車スペースはたっぷりあるので迷惑にはならないだろう。早めにすき焼き鍋で一人宴会して、7時過ぎにはシュラフに入った。
2時起床。おにぎりとカップ麺、コーヒーといういつもの朝食を摂って、2時55分に駐車場を出発した。
今回、新しいスマホのカメラを初めて夜間に使ったのだけれど、どういう訳か霧がかかったようなぼけた写真しか撮れなかった。
スキー場の麓の柵に入り口があることは前日に確認しておいた。
※下山時の写真
ゲレンデの斜面を上がって行く(左側の緩い斜面)。
ゲレンデの最上部に着いた時、横の方でがさごそという音が聞こえた。びっくりしてそちらを見てみたら、放牧されている羊の群れだった。向こうも夜中にライトが近づいてきたのでびっくりしたのだろう。しかし暗闇で動物の群れに出会うというのは心臓に良くない。
さらに少し上がって、約1時間で登山道の入り口に到着した。これまでに標高差で 500m ほど上がった。
※下山時の写真
この時期は4時前になると東の空が白んでくる。前方に金山岩。山スキーへ行った時はこの尾根をスキーで登った。
イワカガミがいたるところに。白い花は何かわからん。
ご来光は運悪く樹林帯だった。
5時半に乗鞍権現社に到着した。
展望が開けて剣ヶ峰が見えてきた。右端は四ッ岳。
このあたりからルート上に残雪が出てきてルートがわかりにくい。しかもここは下りで、雪面もまだ堅い。とは言ってもここでチェーンスパイクを装着するのはちょっと面倒なので、何とかポールを支えにして下る。
このあとまたルートが稜線上に出るあたりから風が強くなって、体感温度が一気に下がってきた。この先がどうなるかわからないので、風が当たらない場所で中綿ジャケットとライトジャケットを羽織った。今日持ってきた防寒具はこれがすべて。あとはペラペラのオーバーパンツのみ。
いよいよ展望の素晴らしい稜線歩きになった。振り返ると北アルプス。笠ガ岳から槍穂高連峰。風は治まっている。
スカイラインに近づいたあたりにはキバナシャクナゲ(ハクサンシャクナゲ?)が随所に。
ようやくスカイラインのすぐそばまでやってきた。しかし最後にちょっとした雪面を越えなければならない。
斜面の左側がこの下どうなっているのかわからないので、念のためにチェーンスパイクを装着した。しかしチェーンスパイクは硬い雪面には良く効くけれど、軟雪にはあまり効果が無い。トレランシューズはキックステップができないので、慎重に上がった。
7時11分、出発して4時間15分でスカイラインに出た。緩い登りはスロージョグで、汗ばみながら畳平のバスターミナルに到着した。左の赤い三角屋根が先日テントを張った建物。すでにバスは何台か到着していて、登山者がたくさん登りだしている。
ここのベンチでおはぎ休憩にして、ジャケットを2枚とも脱いだ。快晴無風の絶好のコンディション。
前回来たときにここから剣ヶ峰方面に斜めの道が上がっているのを見ていたのでそこを行こうと思ったのだけれど、実は道ではなくて、立ち入り禁止の看板が立っていた。前回ショートカットして這い上がった場所も今日は立ち入り禁止。やむなくV字に大回りすることになってしまった。
前回急な雪面をトラバースした場所は実はしっかりした道があって、今日はすっかり整備されている。ちょうど断念して引き返したあたりの斜面はなかなかの急傾斜で、ムリをしなくて良かったと思った。
何カ所か残雪の斜面があったけれど、チェーンスパイクは着けずに進んだ。あと少し。
8時48分、出発して6時間弱で剣ヶ峰(3025.7m)に到着した。山頂は 360 度の絶景。標識のバックは白山。
北アルプス。
左は八ガ岳。真ん中奥は南アルプス。その手前は中央アルプス。
御岳。
展望を楽しんだら早々に下山。雪面の下りはチェーンスパイクを装着した。しかし登りの登山者が多くて、すれ違いに時間がかかった。
時間的には余裕があるので、富士見岳(右)と大黒岳(左、だいこくだけ)にも立ち寄って行く。
富士見岳(2817m)と言うくらいなので富士山が見えるかと期待したけれど、残念ながらそれは叶わず。
富士見岳と大黒岳の間のコルは前回携帯の電波を求めて来たところ。ここのベンチで腰を下ろしておにぎり休憩にした。
大黒岳の山頂エリアにはミヤマキンバイとハクサンイチゲがいっぱい。
山頂(2772m)には御来光遙拝所がある。
イワウメ。
その後はしばしスカイラインを歩いたり走ったり。
この稜線を下る。手前の雪面の上部を越えて行く。10時35分にスカイラインを離れた。
途中、花の写真をいくつか撮ったけれど、ほとんど名前はわからず。
午後1時ちょうどに登山口に下り立った。気分的にはもう下りてきた感じだけれど、これからのゲレンデ歩きは結構長い。何せ標高差でまだ 500m 下らなければならない。最後の消化試合に備えておはぎ休憩。
朝、羊の群れに出会ったゲレンデトップ。
スキー場のコースはスキーで滑るとあっと言う間だけれど、チンタラ歩くと結構長い。ようやくゴールが見えてきた。
駐車場に戻ったのは午後1時45分だった。行動時間10時間50分。距離は約 29km でした。
このあとは当然、ひらゆの森へ。わりと空いていて、これまであまり入ったことの無かった露天の奥の方のフロも堪能しました。
好天に恵まれて、温泉も空いていて、おまけに帰りの道も渋滞も無くスイスイで、会心の一日だった。
京都一周トレイル・奥比叡
水曜日(6/13)は京都一周トレイル講座の随行で奥比叡を歩いてきた。
ほぼ1年前と同じルートを同じように歩いた。
昨年同様、前回下った道を登り返す。
出町柳から乗った叡電はたまたまこれだった。
八瀬駅を8時20分頃スタートした。
唯一の展望場所からは京都市内が見渡せたけれど、愛宕山の山頂は雲がかかっている。
約1時間でスキー場跡に出た。
予定通り9時半にケーブル駅に到着した。
ケーブル駅そばの展望場所からの眺望は素晴らしかった。六甲まで見えている。
歩き出して、つつじヶ丘からは琵琶湖が望めた。
浄土院にお参り。
そして釈迦堂。
みろく石仏に寄り道。
ついでに相輪塔。
こんな倒木が。2月に来た時は無かったような・・・。
ササユリ。シカによる食害で激減しているらしい。
昼食は峰道レストランの展望台で。
ここからの展望は素晴らしかった。琵琶湖、三上山、そして鈴鹿山系。
昼食後はまず玉体杉。
ここからの京都市内の眺めも素晴らしくて、今度は愛宕山も山頂まで見えていた。
今回は一周トレイルコースは横高山の手前で終了して横川に向かう。
2時前に横川のバスターミナルに到着して解散となった。
私は前回同様、横高山の登り口まで戻って大原側へ下山する。
最後の方で沢を渡るあたりは随分荒れていた。ちょっとびっくりしたけれど、先月トレイルレースが行われたコースなのでそれなりに整備はされていた。
横川を出て50分ほどで登山口のバス停に到着した。
運悪くちょっと前にバスが行ったばかりのようで、30分近く待たされることになってしまった。交通量の多い道なので車道を歩く気にはならなかった。
六甲・天狗岩南尾根
日曜日(6/10)は登山講座で六甲の天狗岩南尾根を登ってきた。
六甲は全山縦走路は20回以上行っているけれど、それ以外はほぼ登山講座でしか行くことが無い。今回も初めてのルートだった。
集合は渦森橋のバス停。これくらいなら歩くしかないだろう。8時15分、JRの住吉駅を出発した。
35分くらいで渦森橋に到着した。
車道を少し歩いてから登山道に入る。なかなかの急登。
天気予報では降水確率が高かったのだけれど、まだ雨は降っていない。11時15分頃、天狗岩に到着した。少し早いけれど雨が降るまでにということで昼食にした。
昼食後、少し歩くと車道に出た。ここからはしばらく車道を歩いて、全山縦走路に合流した。車道からここに出るのは初めて。
今日はこのあと六甲高山植物園に行って、ガイド解説をしていただくことになっている。時間の余裕があるので全山縦走路をガーデンテラスの方にちょっと寄り道していく。
六甲高山植物園には何度か来ているけれどいずれも講座関連で、自分の意志でこういう所に来ることはめったに無い。
このあたりから小雨が降り出してきた。
植物園なので花はたくさんあるけれど、山の花と言えばエーデルワイス。
ヒマラヤの青いケシ。
ニッコウキスゲ。
ベニバナヤマシャクヤク。
オオバオオヤマレンゲ。中国原産の花で、日本のオオヤマレンゲとは少し違うらしい。
講座はここで解散となった。幸い、雨も大したことは無いので、私は石切道を下ることにする。この道は以前に随行で登ったことがある。
高山植物園を出て30分余りで舗装道路に出たが、今日は山道の石切道を下まで下る。
かつて御影石を切り出した道だけあって、石ころがごろごろしている。
このあとは住吉道を行く。
車道に出てから往路の途中に合流。高山植物園から1時間45分くらいで住吉駅に帰り着いた。
神野山
月曜日(6/4)は講座で奈良の神野山(こうのさん)に行ってきた。行くのはもちろん、名前を聞くのも初めての山。
近鉄奈良駅からバスでほぼ1時間揺られて、11時半頃にようやく歩き出した。しばらく車道を行く。
こんな所でも雲海が見られるらしい。背景は南山城村あたりの山々。
なべくら渓。
この横からハイキング道に入る。
少し上がったあたりで早々と昼食にした。
昼食後にまずは弁天池。
さっきとは反対の南側の眺め。遠方は大峰山脈のはず。
神野寺へ。
木の枝に隠れて見えにくいけれど、鐘門。
茶畑の横を山頂に向かう。
山頂(618.4m)に到着した。
ここの展望台からの眺めは好天に恵まれて絶景だった。
遠方の真ん中やや右のあたりは愛宕山。
これは滋賀県方向で、遠方は鈴鹿山脈。
これは奈良方面で、真ん中あたりの二つのギザギザの左側真ん中が額井岳。右側真ん中が貝ヶ平山。その間が香酔峠。
下山路の途中に八畳岩。
そしてめえめえ牧場へ。
北野のバス停に着いてから、ちょっと時間があったのですぐそばの天神社へ。
石段の上から神野山を望む。
登り口がすでに標高300m以上もあるので標高600mを越える山に登ったという感覚はまったく無いのだけれど、天候に恵まれて素晴らしい眺望を楽しむことができた。
天童山、飯森山、桟敷ヶ岳、魚谷山
好天の約束された土曜日(6/2)、予定の半分も行けずに終わってしまった城丹国境のルートを完成させるべく、京都駅6時50分のバスで周山に向かった。
天童山、飯森山もかつて憧れたエリアなのだけれど、私が中学生の頃は周山というのは地の果てくらい遠い場所だった。廃村八丁や大悲山と同様に、訪れる機会も無いまま北山からは足が遠のいてしまった。
R162もその当時とは比べものにならないくらい整備されて、京都駅との間で1日10本くらいのバスが運行されている。そうは言ってもバスに1時間半近く乗っていなければならないので、気楽に行ける場所ではない。
「ウッディー京北」という道の駅の前の停留所でバスを降りて、準備を整えて出発したのは8時22分だった。
まずは縄野坂を目指す。わざわざ足を運ぶほどの大した峠ではないのだけれど、今回は「北山の峠」に紹介されている峠道もできるだけ訪れてみようと思っている。
R162を数分行った所から未舗装道路が出ている。多分ここだろう。
ゆるい登り坂をわずか3分くらいで峠の頂へ到着。
ここから古い山道が出ている。
しかしこの道もほどなく消えてしまった。2014年版の登山地図には実線ルートで表記されているのだけれど、これまで道標のようなものはまったく無し。
右側の斜面の下に車道が見えたので、ヤブを適当に下った。
しばらく車道を行って、茶呑峠への林道に入る。
最初は前回のルートに繋げるべく、河原(こほろ)峠への山道に入るつもりだったのだけれど、その道が見あたらない。分岐のあたりに古い赤テープがあったけれど、登山道は無い。
この道も例の登山地図には実線ルートで記載されているのだけれど、ヤブこぎはもうあまりやりたくないので、このまま林道をつめて茶呑峠へ向かうことにした。
林道は分岐が何カ所かあったけれど、gps のおかげで変な方向に迷い込むことも無く、9時34分に茶呑峠に到着した。
ここからようやく登山道らしい登山道になる。城丹国境(山城と丹波の国境)の稜線に上がるまではなかなかの急登で、先日の半国高山周辺もそうだったけれど、道はほぼ真っ直ぐ直登している。と言っても踏み跡程度なので、ジグザグに登ろうと思えば行けなくも無い。
城丹国境に上がると傾斜は緩くなる。残念ながら展望はほとんど無し。
10時1分、天童山(775m)に到着した。茶呑峠からここまでは京都一周トレイルの京北コースになっている。
反射板のある場所でようやく展望が開けた。南西方向だけれどどこが見えているのかさっぱりわからない。
このあたりは自然林で気持ちいい。何よりも誰にも会わなくて静かなのがいい。
10時26分、飯森山(791m)に到着。ジェルを補給した。
飯森山から少し下った所が大谷峠。ただし道標などはまったく無し。この峠は昔は多くの通行人で賑わったらしい。
2本の送電線鉄塔を越えるといつの間にかナベクロ峠ではなく祖父谷峠の方に向かっていた。しかし祖父谷峠は最初から寄り道するつもりだったので、そのまま送電線巡視路を下って、11時22分、祖父谷峠に到着した。出発してからちょうど3時間だった。
ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。それから少し北側にある首無しのお地蔵さんへ。
送電線巡視路を登り返して桟敷ヶ岳へ向かう。ナベクロ峠はどこだったのかわからずに通過。
12時1分に桟敷ヶ岳(895.7m)に到着した。ここを訪れるのは一体何十年ぶりだろうか。中学生の時に何度か来たのは覚えているけれど、高校時代に来たかどうか、はっきりした記憶が無い。それ以降はまったく来ていない。
さすがに時間も時間なので、ここでは10人くらいのパーティがランチタイムを楽しんでいた。
さて、ここからは祖父谷への最短路で下りたいのだけれど、山頂には道標がまったく無く、どこが道なのかさっぱりわからない。この道も例の登山地図には実線ルートで記載されているのだけれど。
東向きに適当に下ったら踏み跡が出てきたのでそのまま少し下ったところ、ずいぶん南へ向かっている道のようだったので、予定の方向に向かってヤブ斜面を強引にトラバースした。
急な斜面を慎重にトラバースして、おそらくこれがその道だろうと思われる沢に出たのだけれど、とんでもなく荒れている。
しかしこれを下りるしか無いので強引に下って行ったら、杉の植林が出てきた。そして無事、祖父谷の林道に下り立った。
次は狼峠の方へ向かうのだけれど、おそらく橋があったであろう箇所が完全に崩壊している。
崩壊している斜面の上の方がおそらく道だろうと思われたので、少し上流を飛び石伝いに渡って、かつては林道だったのだろうと思われる道に出た。
狼峠はどこかわからないうちに通り過ぎて、山道に入った。
13時19分、魚谷(いおだに)峠に到着したが、峠の標識がまったく無い。
すぐそばまで林道が来ていて、そこに標識が立っていた。
13時半に魚谷(いおだに)山(816m)に到着した。ここで腰を下ろしてどら焼き休憩。
柳谷峠もそれと気付かないうちに通り過ぎてしまって、細ヶ谷の沢筋を下る。
昔、北山荘のあった場所にはこんな案内板があった。
その頃は北山荘はこのあたりでは一番立派な山小屋で(もちろん北山の山小屋は営業小屋ではなくて泊まるだけの掘っ立て小屋なのだけれど)、ここに泊まることだけを目的にして何人かで訪れたことが何度かある。
ほどなく直谷(すぐだに)の林道に出た。ここに林道が出来たのはもう随分昔のことだけれど、林道が出来てから訪れるのは初めてだ。
緩い下りなのでジョグで行く。そして今回この道を選んだ最大の目的がここ、麗杉荘(れいざんそう)。
中学、高校時代に一番思い出深い山小屋がこの麗杉荘で、ここに泊まることだけを目的にして友人と何度も来た。もはや崩壊寸前という感じで、カギがかかっていて中には入れなかった。
その当時は今西錦司氏のレリーフがすぐそばにあったのだけれど、別の場所に移されているらしい。登山地図では北山荘跡の近くに記載があるのだけれど、気が付かなかった。
※訂正
「今西錦司」氏ではなくて「森本次男」氏でした。
さらに下ると、その当時もかなり古びていた直谷山荘はすでに崩壊して残骸のみ。
このまま雲ヶ畑に出るとバス便が不便なので、樋ノ水谷をつめる。沢の合流地点あたりはかなり崩れていて道がどうなっているのか不安だったけれど、しっかり橋が設置されていた。この道は初めてだ。
右岸の斜面に大崩壊の跡。
こんな看板が現れた。
こういうのを見るとついつい行ってみたくなるのだが、実はこの方向は間違いで、結局戻ってここを右に行くのが正解だった。
14時47分に樋ノ水峠に到着した。
ここから先は何度か歩いた道。緩い下りで路面もきれいなので、当然走る。
二ノ瀬ユリに合流してからも走り続けて、途中でハイカーに何度か追いついた時以外はずっと走り続けて、15時19分に京福の線路横の富士神社に到着した。
駅まで行くと着替える場所が無いので、ここの境内の影で着替えてから二ノ瀬の駅に向かった。
直谷の林道は中学2年の時に初めてテント山行した時に雲ヶ畑から歩いた道で(もちろん当時は林道ではなく沢筋の山道だった)、決して忘れることのないルートなのだけれど、谷の様相はすっかり変わり果ててしまった。もちろん林道になっていなかったとしても当時の映像的な記憶などまったく残っていないのだけれど。写真も無いし。
私の登山の原点になったルート、そして懐かしの麗杉荘と桟敷ヶ岳、今回ようやく訪れることができた天童山と飯森山。新鮮さと郷愁の入り交じった何とも言えない印象深い山行だった。
交野三山
日曜日(5/27)は夕方から出かけなければならないので近場の半日コースということにして、2年前に一度だけトレースした交野三山を再訪することにした。
穂谷川からの交野三山。真ん中が交野山、その右が旗振山、さらにその右が竜王山。
快晴なので早く木陰に入りたかったので、第2京阪側道から国見山への登山道に入る。
登山道に入るやいなやハイカーグループに次々と追いついてしまって、いつものサイエンスヒルズからの道にしておけば良かったと思った。
今日は久しぶりに国見山を目指す。
国見山(284m)から天王山方面を望む。遠くは霞んでよく見えない。
そして交野山(341m)から大阪方面。
ゴルフ場を出て、今日は旗振山方面へ。
交野山から 15 分ほどで旗振山(344.9m)。実は交野市最高峰だけれど展望も無く、訪れる人は少ない。山名から考えるとかつては下界から山頂が見えたはず。
竹林で道がわかりにくいけれど、赤ペンキが先導してくれる。
前回は何の問題も無く竜王山まで行けたので今日はルートを入れた gps は持ってきていない。ところが突然、赤ペンキが無くなってしまった。
適当に方向を定めて進んだところ、また赤ペンキが出てきた。が、これは確かさっき歩いた道だ。何と交野の山でリングワンデリングしている。
もう一度進んだら、赤ペンキが T 字状態になっている箇所があった。ここでさっきは上る方向に進んだのだけれど、実は下る方向が正解だった。
ほどなく登り返しで、無事竜王山(321m)に到着した。
山頂の竜王石。弘法大師が雨乞いをしたという言い伝えがある。
前回は北尾根を下ったけれど、今日は南の方向に向かう。この道は初めて。
しばらく下ると下から声が聞こえてきて、しっかりした道に出会った。ちょうど出会った場所に古い鳥居があった。
この道は「かいがけの道」。古代には大和と河内を結ぶ道として賑わったらしい。
南西方向に下るとかいがけ地蔵。
石仏。
下道に下りてきた。
すぐそばには住吉神社。
車道を下ると河内磐船へ向かう車道に出た。右手に竜王山。
確かに気温は高かったけれど、これはどこで計っているのか?
第2京阪の側道に出て少し行ってからは住宅街を適当に進んで、津田のアルプラからいつもの穂谷川沿いの道で帰ってきた。
約 23km、3時間半ほどのちょっとしたお楽しみでした。
競技場練習会
今月はいろいろと用事が重なって、個人山行は先月末の乗鞍岳敗退以降どこへも行けていない。
この週末は天気が良ければ泊まりでどこかへと考えていたのだけれど、日曜日の夕方から出かけなくてはならない用事が入ってしまった。天気も良さそうなので残念だけれど、時間を気にして楽しめないくらいならまたの機会にした方がいいと思って、今日は陸上クラブの練習会に行くことにした。
このところ練習会への参加頻度はおおむね月2回くらい。うまい具合に競技場での練習会の日が続いている。
インターバルやレペティションなどのスピード練習はもはやあまり意味が無いと思って、個人的にペース走をやっている。1000m を 5’15” から 5’20” くらいで 10000m 行って、そこからペースアップして 2000m をキロ4分台のペースで終えることにしている。
普段のジョグではキロ6分より速いペースになることはほとんど無いので、キロ5分台前半のペースというのはいつも不安を感じながらスタートするのだけれど、練習会ではアップをしっかりやるせいか、時計を見なくてもだいたい予定のペースになる。
今日も最初の 1000m が 5’23” くらいだったので気持ちペースアップしたところ、その後はほぼ 5’15” くらいになって、ラストは 4’45” + 4’26” で終えることができた。
キロ5分以上だと「ただのジョグ」という感じしかしないけれど(とは言ってもそれほど余裕があるわけではないのだけれど)、キロ4分台になると体感的に「走っている」という気分になれる。
いつもトレイルでのんびり歩いたりスロージョグだったりばかりでは筋力が衰える一方なので、たまには身体にこういう刺激を与えることも必要なのではないかと感じている。
天ヶ岳
昨日(5/20)は登山講座で京都北山の天ヶ岳へ行ってきた。
天ヶ岳は私にとっては忘れることのできない山である。
中学二年生になった時、ワンダーフォーゲル部に入部した。その当時、ワンダーフォーゲル部には私の学年は一人しか部員がおらず、顧問だった理科の先生が授業でもしばしば「ワンダーフォーゲル部へ」と勧誘されていた。
スポーツ音痴だった私は野球やサッカー、テニスなどにはまったく興味が無かったけれど、山歩きならできるかもと思ったのかも知れない。初めてのトレーニングで腹筋運動をやって、翌日大変な筋肉痛に襲われたことを今でもはっきり覚えている。
そして初めてテント山行に行くことになった。上級生をリーダーにして、いつの間にか増えた同学年の二人と共に、四人で北山に向かった。
テント、まだシュラフを持っていなかったので毛布、そしてガソリンコンロ(往年の名器のホエーブス)を担いで、雲ヶ畑から直谷(すぐだに)をつめて、その後、芹生(せりょう)を越えて雲取山。そして百井から天ヶ岳を経由して大原に下った二泊三日の山旅だった。
体力の無かった私はバテバテで、腰を下ろすと睡魔に襲われてウトウトしてしまうという有様だったけれど、私の登山キャリアの第一歩だった。
今なら軽装で一日で行ってしまえるくらいのコースだけれど、その当時の中学生としてはなかなかの冒険だった。
その後、天ヶ岳には何度か登っているけれど、今日の予定のしゃくなげ尾根は初めてだ。
バスで小出石まで行って、しばらく車道を歩く。
いよいよしゃくなげ尾根へ。
なかなかの急登が続く。
稜線に上がると気持ちのいい道が続く。1ヶ月前ならシャクナゲ満開という感じ。
どういうわけかたった一輪だけ、まだ開ききる前?
鉄塔のある展望台からは鈴鹿山脈が望める。
ルートからちょっとはずれた小高い場所で昼食。
もうすぐで天ヶ岳という所で突然林道が。
前回天ヶ岳に来たのはもう 10 年くらい前だろうか。所属している山岳会で亡くなられた二名の方(いずれも遭難ではなく病気)の追悼登山で訪れたのだけれど、その時はこんな道は無かった。
山頂(788m)はこの林道のすぐそばだった。
下山は大原へ。途中、木々の向こうに鈴鹿北部が望めたけれど、写真ではわからない。
モチツツジ。
林道まで下りてきた。
そして寂光院のそば。
一応ここで解散して、大原のバス停からバスで帰ってきた。
それにしても天ヶ岳そばの林道にはがっかりした。百井峠の車道からはわずかな距離なので、こういう道が出来ていても不思議ではないのだけれど、まだこのあたりは林業が活きているということなのだろうか。
廃れていく峠道もあれば新たな林道が出来る所もある。北山のような山の道は登山者の都合ではなくて生活者の都合で出来たり廃れたりするのだろう。
猪の鼻ガ岳
先の月曜日(5/14)は登山講座で滋賀県日野町の猪の鼻ガ岳へ行ってきた。
当初1週前に予定されていたのが、雨のために延期になった。実は二日前までは降水確率の高い予報で、またもや再延期かと思われたのだけれど、前日から急に好天予報に変わった。
前日の雨中のマラニックでスマホが不調になって、カメラは水が入ってボケボケになってしまったので写真は無し。
近江八幡駅からバスで1時間近く揺られて、上音羽で下車。綿向山が望める。
ここからしばらく車道を歩いて、鎌掛峠から林道に入る。
しばらく林道を上がったけれど、猪の鼻ガ岳への登山道が見つからない。猪年以外はあまり登山者の来ない山なので、道が荒れている。
それらしい場所を何度か行ったり来たりして、上に向かう林道をつめることにした。
実はこれが正しい登山路だったようで、途中で朽ちた道標が出てきた。
登山路はなかなかの急登で、前日の雨のせいで滑りやすい。
展望の無い山頂(508.1m)に昼過ぎに到着して、昼食にした。
近くにはホンシャクナゲの自生地があるのだけれど、今年は開花が早くてすでにシーズンは終わっているので行かない。
同じ道を慎重に下山して、蒲生家の音羽城跡に立ち寄って、行きと同じ上音羽のバス停に戻ってきた。