水曜日(12/13)は京都一周トレイルの講座で伏見桃山から伏見稲荷まで歩いてきた。
この講座は京都一周トレイルを深草からぐるっと反時計回りに廻って西芳寺までを 16 回に分けてゆっくり歩くというもので、コースとしてはこの日が初日ということになる。
最初に京都一周トレイルが設定された頃は伏見稲荷がスタート地点だったのだけれど、何年か前から深草ルートが追加された。しかしここは大半が住宅街で、トレイルという風情はほとんど無い。
元々、地元でハイキングコースとして設定されたいたものを流用したようである。
私が担当している講座ではこの日がもっとも楽チンな日で、家を出たのは9時だった。
※出発時に GPS の電源を入れるのを忘れたために途中から。
深草ルートの起点の標柱が京阪の伏見桃山駅のそばにあるので、そこからスタートした。
まずは御香宮へ。ただし中までは入らず。
それから乃木神社のそばを通って伏見桃山城へ。
ここには昔、遊園地があって、私も子供の頃に来た記憶がある。天守閣はその時に造られたもので、秀吉・家康の伏見城とはまったく関係の無い近代のもの。
外堀のあとは公園になっている。
車の多い、歩道の無い狭い道路を通って、八科峠。
住宅街を抜けてようやく土道へ入る。
しかしこの道は土木関係の会社の私有地(?)で、大きなダンプがひっきりなしに通る。これまで2回ほど来た時はそれほどでは無かったのだけれど。
いつも通り、大岩山の展望台で昼食にした。
この日は空気が澄んでいて、遠くまで見通せた。アベノハルカスが見えているのだけれど。
ど真ん中、愛宕山の左やや下のあたりに一昨日登った山上ヶ峰が望めた。
昼食後、ようやく山道に入る。
大岩神社は結核に御利益があるとかで、かつては随分たくさんの人が訪れたらしい。
ここの見物は堂本印象画伯が寄進した鳥居が二つ。本殿横は小型版。
参道を下ると大型版。
このあとまた住宅街から笹藪を歩いて、ようやく伏見稲荷に近づいてきた。
伏見稲荷のエリアなのだけれど、伏見稲荷のはまったく関係の無い神寶神社。天照大神が奉られているとか。
この先で一周トレイルの東山ルートに合流する。ここまで来ると平日でも人だらけ。
千本鳥居を通って、本殿前で解散となった。
まだ2時半くらいなのだけれど、適当な寄り道先も無いので、そのまますんなり帰った。
明智越え、のち山上ヶ峰
昨日(12/11)は随行で亀岡から明智越えを歩いた。
「明智越え」は明智光秀が愛宕山へ参拝する時に辿った道だそうで、亀岡から水尾までがハイキングコースとして整備されている。ちょうど3年前に随行で途中まで歩いている。
今日は初心者向き講座のため、集合は亀岡からバスで1停留所分乗ったバス停。3年前の講座では亀岡から歩いた。私は当然、亀岡駅から歩いて行った。
保津橋のたもとは保津川下りの出発地点になっている。
保津橋から眺める愛宕山。こういうアングルで愛宕山を望むことはあまり無い。
集合して、しばらく車道を歩く。
ようやく山道に入る。
山道に入ってすぐに保津城跡。誰の築城かわかっていないらしい。
ちょっとした峠で一休み。
峯ん堂(むねんどう)。56代清和天皇を祀ると伝わっている塚。
こんなハイキングコースも台風の影響で道はかなり荒れている。杉の木が根こそぎ倒れるとこんな土塀が現れる。
至る所に倒木。
ハイキングコースからちょっとはずれて眺めのいい鉄塔で昼食。正面に山上ヶ峰。
本来のコースに戻ってしばらく下ると水尾の集落が見えてくる。
ほどなく車道脇の林道に合流した。
このあと車道を歩いて、午後2時 20 分に保津峡駅で解散となった。
私はここから一人で、昼食時に真ん前に眺めた山上ヶ峰に向かう。嵐山から保津峡への道はもう何度も歩いているのだけれど、山上ヶ峰はこの道からちょっとはずれていて、おまけにはっきりとした道が無いので、まだ一度しか登ったことが無い。
以前に登った時は傘をさしながらのヤブ漕ぎを強いられたのだけれど、北西の尾根を辿るとわりとすんなり登れるという情報を得たので、そこを行ってみることにした。
しかし保津川からの急登部分はこれまでに無い荒れ方。
保津川岸から 27 分ほどで林道出合まで登り切った。そこから数分で北西稜線との出合に出た。
道らしい道は無いけれど、所々にテープマークがあって、取り付きから 12 分ほどで山頂(482.2m)に到着した。標識は何も無し。ひょっとしたらこのあたりはマツタケ山なのかも。
今日はおとなしく取り付きまで戻って、あとはひたすら嵐山を目指す。
烏ガ岳(398m)だけは寄っておく。
嵐山の山頂はカットして、足元には渡月橋。
午後4時 41 分に阪急嵐山駅にゴールした。
青根ヶ峰
青根ヶ峰(あおねがみね)は大峰奥駆道のほぼ最北部と言ってもいい位置の山。標高は比叡山よりちょっと高いくらい(858.1m)だけれど、宮滝に離宮が置かれていた頃にはこのあたりの山々を眺めて歌われた万葉唄がいくつかある。
実は何年か前に登山講座で青根ヶ峰が予定されたことがあって、ロープウェイで上まで上がったのだけれど、その日はバスが運行されていないということが現地に着いてから判明して、結局、手前の高城山(たかぎやま)までしか行けなかったということがあった。
その頃はまだ古代史にはさほど興味が無かったので、特別どうということも無かったのだけれど、飛鳥時代の歴史に興味を持つと、この山はやはり行っておかなければならない。
ただ、大峰奥駆道は地形と交通機関の関係でうまい周回ルートが非常に取りにくい。青根ヶ峰も吉野駅からピストンというのがもっとも単純なコース設定なのだけれど、それではあまりにつまらないし、大天井ヶ岳では最終目標にはちょっと役不足という感じ。山上ヶ岳までではちょっと遠すぎる。
地図を眺めて思案した結果、藤原京跡から宮滝へ行った時に走った終盤のコースを逆に辿って、宮滝を再訪して、それから五社峠を越えて西河へ。そこから青根ヶ峰に向かうというコース設定をした。
昨日(12/9)は天気予報ではかなり気温が下がると伝えられていたので、薄いダウンジャケットを羽織って、まだ暗い中、家を出た。
近鉄の吉野神宮駅で降りて、駅の狭い待合室で身なりを整えて出発したのは8時半過ぎ。家を出てからほぼ3時間かかった。
50 分ほどのジョグで宮滝に到着した。このあたりの吉野川の景観は何度見ても独特の雰囲気がある。太古、神仙境とされたのがよくわかる。
前回来たときは気が付かなかった、柿本人麻呂の歌碑。
前回来たとき、宮滝の宮跡をしっかり確認できなかったので再度来てみたのだけれど、結局、はっきりした遺跡のようなものは何も残っていないらしい。「このあたり」ということで、これが遺跡というわけではありません。
また吉野川の左岸の道に戻って、旧道から五社峠を目指す。
峠の手前まではコンクリート舗装の狭い道で、上には神社があった。
このすぐ先が五社峠。
今日の核心部はここから西河まで下り。すでに道がほとんど消えているらしい。
確かに落ち葉や枯れ枝だらけではっきりとはしないけれど、かすかながらつづら折れはわかる。ただし部分的に土砂崩れで崩壊している箇所も何カ所かある。
しかし危険というほどの箇所は無く、30 分ほどで西河まで下りてくることができた。
これで気分が楽になったので、公園で腰掛けておにぎり休憩にした。しかし止まっていると寒いのでほんの数分で先に進む。
五社峠から下り始めるとすぐに下から子供の声のようなものが聞こえてきたのだけれど、ここのグラウンドで野球をやっている少年たちの声だった。
蜻蛉の滝には寄らずに先に進む。
ようやく山道に入ったと思ったら、また車道に出てしまった。心配なので登山地図で確認したら、実は車道をずっと行くのが本道で、山道はショートカットだったようだ。
ほどなく車道が終わって音無川沿いの山道になる。緩い登りなので足元が良ければ走れそうなくらいなのだけれど、あいにく道は落ち葉やら枯れ枝、小石などで、私には走れない。
途中から一気に登りがきつくなって、それに伴って気温がぐっと下がってきた。所々雪が残っている。
大峰の主稜線は積雪がありそう。
今日は山道では誰にも会わずに静かでいい時間だったのだけれど、そんな時間も終わりに近づいた。ついに車道に出てしまった。
また登山道に入って、12 時 40 分に青根ヶ峰に到着した。
山頂は木が茂っていて展望は無し。
反対側に下りて車道に出ると、女人結界の石柱。ただし現在のこのルートの女人結界は大天井ヶ岳を越えた五番関になっているらしい。
このあたりまで来ると人が多くなるのではないかと思っていたのだけれど、雪に残る足跡はほんのわずかで、このシーズンは吉野でも閑散期なのかも。
少し下った所に東屋があったので、そこでスィートポテト休憩にした。
このあとはもう完全に観光客モードで、金峯神社。
すぐそばには義経の隠れ塔。
少し下って、前回来た高城山へ。
展望台からの金剛山系。
さらに下って、吉野水分(みまくり)神社の本殿。
横川の覚範の首塚。
いよいよ吉野の中心街に下りてきて、本殿が焼失した勝手神社。
少し横道に入って、吉水神社。
金峯山寺まで下りてきて、蔵王堂。
そして、奥駆道の玄関のような銅の鳥居。
ロープウェイやケーブルに乗るつもりはまったく無く、車道をそのまま下った。ケーブルは故障で運休しているらしい。
午後2時半に吉野駅に到着した。
約 27km,6時間でした。
OSAKAシティランニングフェスタ2017
ロードレースからは身を引いたけれど、恒例の駅伝だけは辞めるわけにはいかない。かつて勤めていた職場の同僚と始めた年1回の駅伝も、もう 25 回目くらいだろうか。
ナンバーカードを着けてロード(と言っても公園の中だけれど)を走るのは昨年の駅伝以来だ。
今年は初参加の「OSAKAシティランニングフェスタ2017」という大会で、鶴見緑地公園内の1周約 1.62km を 13 周回るハーフの部門に参加した。
この1ヶ月ほど、久しぶりに淀川で週2回くらいの頻度でスピード練習をやってきた。スピード練習と言ってもせいぜいキロ4分半くらいで、スピードをつけるというよりは、このところ心拍数が上がるような走りをほとんどやっていないので、本番でいきなりペースを上げると心臓がびっくりすると思うので、不測の事態を避けるためというのが主たる目的。
5人で参加して、私は2周(1周を2回)だけだったけれど、2回とも淀川での練習ペースにも及ばない7分以上のタイムで終わった。
チームとしては1時間27分17秒で、参加 46 チーム中 10 位だった。
終わってからは京橋に出て、久しぶりに楽しい時間を過ごせた。
摩耶山のちマヤ遺跡
土曜日(12/2)は登山講座の六甲全山縦走シリーズ第3回で、鍋蓋山直下から摩耶山までを歩いてきた。
前回は鍋蓋山から北へ下山したので、今回は南側から鍋蓋山を目指す。
集合は地下鉄の大倉山駅。ここからしばらく車道を歩いて平野谷に向かう。
祥福寺の境内で一休み。
ようやく山道へ。
サザンカ。
紅葉もきれいです。
真新しい林道に合流した。
ほどなく登山道に戻って、ようやく鍋蓋山が見えてきた。
七三峠。このあたりは道がたくさんあってややこしい。
11 時半頃、ようやく鍋蓋山山頂すぐ東の全山縦走路に合流した。
大竜寺の広場で昼食。
市ヶ原の桜茶屋はめずらしく閉まっていた。
いよいよ摩耶山の登りにさしかかって、前方に黒岩尾根。
市ヶ原から1時間半ほど登ってようやく摩耶山の電波施設にたどり着いた。
掬星台から六甲アイランド、大阪方面。
ここからの北東方向の眺めはこれまで見たことが無い。
今回はここで解散となった。
私は予定通り、上野道へ向かうことにした。
神戸の「マヤ遺跡」というのがちまたで話題になっているらしい。廃墟ファンに人気で、有料のガイドツアーは毎回満員になるとか。
私は随行で青谷道を下ったことがあるのだけれど、今日は「マヤカン」を訪れるべく、上野道を下ることにした。
まずは前回も通った天上寺跡。
火災を逃れた仁王門。
この下の分岐で上野道に入る。
摩耶花壇跡。
そしてケーブルの虹の駅から摩耶観光ホテル跡(マヤカン)。
これより先は入ってはいけないことになっている。
少し下にまたボロボロの廃墟。何かわからん。
多少は興味があったけれど、わざわざそのために来ようとまでは思わない「マヤ遺跡」。ついでに訪れることができて良かった。
その後、住宅街を下って、JR の灘駅から帰路についた。
佐和山
月曜日(11/27)は先月が雨予報で中止になった講座のリターンマッチで、彦根の佐和山へ行った。
ここはテレビドラマの影響で観光客が増えているそうだけれど、私はテレビはニュースしか見ないのでよく知らない。
快晴のもと、彦根駅からしばらく車道を行く。
井伊家菩提寺の清凉寺(せいりょうじ)。
観光客がタクシーでやってくる。
石田三成の銅像。
入山許可証(個人の場合は不要)をもらって井伊神社へ。
天井の絵が素晴らしいそうだけれど、普段は非公開。
紅葉が素晴らしい。
大洞弁財天へ向かう。
ここから山道に入って、急登をひと登りして弁天山(196m)へ。
ここから稜線を南に向かって、塩硝櫓跡。
絶景の佐和山山頂(232.6m)で昼食。
伊吹山と手前にフジテックの工場。
彦根城と琵琶湖。
このあたりも紅葉がきれい。
昼食後は少し南へ下って、城跡めぐり。佐和山城は人為的にかなり激しく壊されたらしい。
石垣の残骸。
井戸の跡。
「ここから先は私有地なので戻れ」という立て札の所で引き返して、東の鳥居本方向に下山した。
佐和山城の大手口。
中仙道鳥居本の街を歩いて鳥居本駅へ。
近江鉄道の鳥居本駅で解散した。
この路線は1時間に1本しかないのだけれど、時間調整をして歩いてきたのであと数分で電車が来る。しかし彦根までは一駅。まだ2時半前で、一駅くらいなら近江鉄道には乗りたくないので、私は歩いて彦根に戻ることにした。
佐和山から下山してきた道に戻って稜線の峠を越えて、山の西側の石田三成像の所に出て、その後は JR の線路沿いの道を辿って彦根まで歩いた。45 分くらいだった。
大又から薊岳、国見山周回
昨日(11/25)は台高山脈の薊岳(あざみだけ)から国見山(くにみやま)を周回してきた。
薊岳と国見山は共に随行で行ったことがある。
11/23 に予定していたのだけれど、朝方の天候が怪しげだったので、好天予報の土曜日にした。
随行の時はマイクロバスで登山口まで送ってもらったけれど、自分の車だと駐車場所をあらかじめ確認しておかなければならない。
大又には県道から少し入った登山口のあたりに少しスペースがあるとのことで、細い林道を上がったところ、ターンできないくらいの急カーブが出てきた。少し上に民家があるようで、よくわからない分岐もある。
間違って民家の方に少し上がってしまって、道幅が車幅ギリギリくらいの坂道をバックで戻るという緊張を強いられて、結局そのままバックで登山口のスペースに停めた。
他には車は無かったけれど、もし後から車が来たら、ヘタをすると下りられなくなってしまうんじゃないかと心配だったけれど、ここに置いておくしか無さそう。
随行の時は県道脇の笹野神社から登山道に入って、ちょうどここに出てきた。
しばらく緩い登りで、ちょっと厚着し過ぎだったかもと思った。と言っても上は登山用の長袖下着と薄いフリースだけなのだけれど。
ほどなく急登になるのは記憶していた。おかげで1時間足らずで標高差数百メートル上がって 1000m くらいになると雪景色になってきた。
気温はぐっと下がってきて、風が当たると寒いくらい。好天を期待していたのだけれど、樹林帯のせいもあって日射しはまったく届かない。
出発して1時間少々で大鏡池(1183m)まで来た。池の水面はよくわからない。このあたりまで来ると登り傾斜は緩やかにになる。
いよいよ山頂エリアの岩稜帯へ。雪がうっすらとかぶってなかなかデリケートだ。木が茂っているとは言うもののこのあたりは両側ともわりと切れていて、滑って落ちるとタダでは済まない。
出発して1時間 50 分で薊岳(1406m)に到着した。遠景中央の鋭峰は大峰の大普賢岳。その右に山上ヶ岳。
上部は雪はあるだろうとは思っていたけれど、こんなきれいな霧氷に出会えるとは思わなかった。
さすがに寒いのでライトジャケットと、耳を覆えるヴィーニーを着用した。
下りになると足元が滑りやすくて緊張する。ポールを持ってくれば良かったと思ったけれどもはや後の祭り。
しばらく登ったり下ったりで、薊岳から 50 分ほどで明神平を望める場所まで来た。
今日は穂高明神まで足を延ばすので、明神平へは下りずに稜線をそのまま進む。
これまで誰にも会わず、足跡すら動物(ウサギ?)のものしか無かったのだけれど、明神平からの道と合流すると突然たくさんの足跡が出てきた。
穂高明神(1432m)には 10 時 43 分に到着した。出発してから2時間 53 分。今日の最高標高点。ここはこれまで2回の随行で予定していながら時間切れで届かなかった山だ。
明神平のエリアは思いがけず混雑していた。薊岳やこの先の国見山方面ではほとんど人に出会わなかったので、みんな大又の県道終点の駐車場から登ってくるのだろう。
そろそろエネルギー補給したかったのだけれど、人のたくさんいる明神平では落ち着けないので、ひと登りして水無山を少し越えた所で今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。
国見山(1418.9m)には 11 時 34 分に到着。
ここから先は落ち葉で道が不明瞭で、アップダウンはあまり無いものの気分が疲れる。
しばらく行くと幻想的な池。硯池と言うらしい。
池から5分で赤ゾレ山(1300m)。
振り返ると国見山。その向こうが穂高明神?。
南には薊岳。ずっと奥が大峰。
西の方には金剛葛城山系が望める。
ここから先はさらに踏み跡が不明瞭になって、沢が狭まったデリケートな地形の所に入り込んでしまった。
どう見てもルートをはずしているとしか思えないのだけれど、gps や地図のルートからははずれていない。
落ち葉にうっすらと雪が被って滑りやすくて、持てる木もほとんど無い急な斜面で、ポールがほしいところだけれどどうしようも無い。少しだけ露出した木の根や岩角などを気安めにして、何とか危険地帯を通過した。
稜線に上がったらうっすらとした踏み跡に出会った。きっともう少しマシな道があるのだろう。
悪戦苦闘していたのはおそらく 15 分程度だと思うけれど、汗ばんできたのでジャケットとヴィーニーを脱いで、ジェルを補給した。
伊勢辻山(1290m)には 12 時 43 分に到着した。
このあたりまで来ると道はかなり明瞭になってきた。
気が楽になってルンルンで下っていたら、いつの間にやらルートをはずしていた。分岐を見落としたようなのだけれど、そんな分岐は無かったような・・・。
gps を見ながら戻って、分岐のあたりにさしかかったら、テープマークがあった。gps を見ながら正しい方向に少し進んだところ、見落とした原因がわかった。
ちょうど分岐で道標が立っている場所が倒木で通れなくなっていたのだ。
しばらく下ると道は沢筋になった。明瞭ではあるけれど、土砂崩れの跡が何カ所かあった。
単調な緩い下りを淡々と足を運ぶ。歩きやすいと言えば歩きやすいのだけれど、傾斜が緩いのでなかなか標高が下がってくれない。
和佐羅滝に近づいたあたりで、gps のルートからはずれてきた。しかし道はこれしか無かったと思う。
しばらく下ると和佐羅滝への分岐の道標が現れた。ずいぶん沢から離れてしまっているように思えるけれど、おそらくもうここへ来ることは無いと思うので、滝の方へ向かってみた。
しかしやはり遠そうだったので、諦めて戻ることにした。
さらにしばらく下ると、また分岐の標識があった。
おそらく和佐羅滝まで行けばここに下りて来られたのだろう。
ほどなく県道に出た。
ここはちょうど駐車スペースへの林道の分岐の場所で、そちらに向かった。
この林道に入って橋を渡ってすぐの所にちょっとした駐車スペースがあった。朝は気が付かなかったのだけれど、ガイドブックに記載されている駐車スペースというのはここのことだったのかも知れないと思った。
車の所に戻ったのは午後2時半くらいだった。
楽しかったのかどうか、なかなか評価の難しい山行だった。ただ、久しぶりにちょっと手応えのあるコースだったとは思う。個人的に来ることはおそらくもう無いと思うけれど。
太郎坊山
先の日曜日(11/19)は随行で湖東の太郎坊山へ行ってきた。
このところ朝晩は冷え込むけれど昼間はそこそこ気温が上がるという日が続いていたけれど、この日は昼間も結構寒かった。
集合は近江鉄道の市辺駅。近江八幡で JR から乗り換えるのだけれど、近江鉄道というのはいまだに IC カードが使えず、そのくせ自動販売機は 1000 円までしか使えない古いものが1台だけ。
この会社はバスも同様で、車内では両替もしてくれないし、1日数本しか無い沖島との船便ともほとんど接続を考えていないような運行で、こんなことでもなければ絶対に乗りたくない鉄道会社だ。今回もたったの4駅、ほんの 10 分程度の乗車で 310 円という超高価路線。沿線住民はよくこれで我慢していると感心する。
少し車道を歩いて船岡山に向かう。
船岡山ふもとの阿賀神社。
このあたりは万葉集でよく歌われている蒲生野。何か来たことがあるような・・・と思ったら、1年半ほど前に花の講座の下見で来ていた。けれど花がほとんど咲いていなかったので、本番では来なかった。
少しだけ山道を歩いて船岡山を越えて、またしばらく車道を行く。
そして岩戸山に向かう。
少し登ると紅葉が美しい。
摩崖仏。
正面真ん中は比叡山。比良山系は上部が冠雪していた。
この紅葉も素晴らしい。
このあたりは小脇山城遺跡というらしい。
これが旗振り場。
小脇山(373.4m)。標識がいくつかあって、いずれも標高が微妙に異なる。373.4m は国土地理院の地形図の表記。
そして箕作山(みつくりやま、372m)で昼食にした。
北の方に観音寺山。
太郎坊山の山頂からの鈴鹿山脈。比良も鈴鹿も上部は雲におおわれていた。
ここから太郎坊宮へ下る道では登ってくる観光客とたくさんすれ違った。
太郎坊宮のエリアまではすぐ。
延命公園に向かう途中で振り返ると太郎坊山(右側の突起)。
延命公園は紅葉の名所とのこと。
古墳がいくつか残っていた。
その後、近江鉄道の八日市駅に向かった。
小冨士山、仁寿山
月曜日(11/13)は随行で播磨の小冨士山、仁寿山へ行ってきた。
朝はかなり冷え込んだけれど、昼間はぐっと気温が上がって暑いくらいだった。
山陽本線の御着駅からしばらく車道を歩く。前に見える尖った山が小冨士山(麻生山ーあさおやまーとも呼ぶ)。
大歳神社でちょっと休憩。
いよいよ山道へ入る。
このあたりの山々は標高は低くても道は結構険しい。
しばらく登ると背後には以前に歩いた播磨アルプスの全景。
山頂のすぐ手前には華厳寺。
11 時過ぎに小冨士山(173m)の山頂に到着して、ちょっと早めの昼食にした。
なかなかの眺望で、大阪方面と瀬戸内海。
昼食後は仁寿山に向かう。
わずかではあるけれど急に下って急に登る。
山頂の手前で車道に出た。
みなさんは登山道で山頂に向かわれたけれど、少し疲れた方がおられたので私はその方に付いて車道を上がった。
仁寿山(174.8m)山頂には NHK の電波塔がある。
この先の登山道は少し歩きにくそうなので、安全のために車道で下山する。
住宅街に出て小冨士山を振り返る。
銀杏並木が美しい。
ちょうど2時頃、山陽電鉄の白浜の宮駅に到着して解散となった。
ポカポカ陽気で気楽な一日でした。
小原から御破裂山、栢森から高取山猿石
次の月曜日は随行の仕事なので、出かけるのは土曜日(11/11)にした。
高野山と唐櫃越えでそこそこの満足感があったので、軽いコースにしようと思った。
たまたま以前の写真を眺めていて、談山神社への表参道は大原(今の小原)からの道ということを知って、この道を辿ってみたいと思った。
そして1ヶ月前に音羽三山から高取山へ行った時、体力切れでやり残した部分を逆コースで辿ってみようと思った。
朝はゆっくりめで、9時過ぎに橿原神宮前駅をスタートした。
住宅街を適当に進んで、まずは剣池。地形図には「石川池」と表記されているのだけれど。
遺跡めぐりへ行った時のかすかな記憶で甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)へ。
ここでは古にオソロシイ裁判が行われていたとか。
立石。
産直店のすぐそばに「明日香村埋蔵文化財展示室」という無料の施設があるのを初めて知って、入ってみることにした。
それほど大きな部屋ではないのだけれど、遺跡からの出土品の実物がわりとたくさん並べられていて、無料にしては質が高いと感じた。
男性の説明員の方が一人だけおられて、ヒマなのかしゃべりたいのか(失礼m(_._)m)、ずっと付ききりでいろいろ説明して下さいました。おかげでかなり時間を消費してしまった。でも良かったです。
その後、飛鳥坐神社の横を通って大原神社へ。
これが表参道の記載のある説明板。
大きな神社の表参道は下の方に必ず大きな鳥居があるのだけれど、このあたりには鳥居は見あたらない。
何の案内板も無い舗装路をしばらく上ると、万葉展望台という標識。
ここからの登りはなかなかの傾斜で、早朝の雨のせいでいささか滑りやすい。表参道にしては階段などもまったく整備されておらず、今は歩く人はかなり少ない感じ。
大原神社から 30 分少々で展望台に到着。すっきりしない曇天の下の大和葛城山と二上山。
ここからは道がわりとフラットになって多少は走れる。少し行くと車道に出て、しばらく車道を走ると「増賀(そうが)上人墓」という案内板が出たので、寄り道する。
石段を上がる。
上がりきると奇妙な形のお墓。多武峰中興の祖とか。
このあたりから普通は車道を辿って V 字に御破裂山に向かうのが普通なのだけれど、地形図を見るとこのあたりから V 字をショートカットするような道が書かれている。
地形図のこういう細い道はほとんどあてにならないのだけれど、ショートカット好きの私はそこに向かうことにした。
一旦は車道に戻ったのだけれど、gps を見て再度先ほどの階段の所に戻って、階段の下の舗装路を進んでみた。
お墓の参拝路のよう(とは言ってももうほとんど誰も参拝にきていない感じ)。一番奥まで来たらやはり道が消えてしまった。
しかしここまで来てまた下るのはしゃくなので、ヤブをかき分けて少し進んだところ、どうもかすかに道の跡のような雰囲気になってきた。とは言っても・・・。
白のジップシャツが枝にすれてずいぶん汚れてしまった。このジップシャツはわりとお気に入りなのだけれど、どういう訳かこのシャツを着ると思いがけず汚れてしまうということがしばしばある。
10 分ほどで本来の道に出て、それから5分ほどで御破裂山(607.4m)に到着した。
「大和さくらい 100 選」の展望場所は木が茂ってこの程度。
異様に新しい藤原家の墓に再会。
またあのヤブはたまらないので、V 字の舗装路で万葉展望台に戻って、ベンチでおにぎり休憩にした。
その後、石舞台方向に下山。県道手前のちょっとした丘から石舞台古墳を見下ろす。
県道からちょっと寄り道して都塚古墳。
次に目指すのはミハ山(ミワ山とか、フグリ山とか)。
麓には飛鳥稲淵宮殿跡。中大江皇子らが一時期営んだ飛鳥川辺行宮の有力候補地。
そばの階段を上がって展望台へ。展望台からの明日香村、耳成山、天の香具山。
戻って、「マラ石」。
県道に戻って稲淵の男綱を越えて、飛鳥川の飛び石。前回ここを通った時は場所を間違えて見ることができなかった。
夜半の雨で水量が多いのか、渡ってみたらシューズが少し濡れた。
ここまで来たら何となくもういいじゃないかという気分になってきた。それと、展示室のおじさんがさかんに「キトラ古墳の展示はタダでいいものが見られる」と言われたが気になって、キトラ古墳に行ってみたい気持ちが出てきた。
キトラ古墳は以前に随行で高取山へ行った帰りに立ち寄ったことがあるのだけれど、その時はまだ公園の整備中だった。
車道にはキトラ古墳方面の案内が出ているのだけれど、地図を見るとかなりぐるっと大回りしている。歩きでショートカットできるような適当な道が見あたらない。
キトラ古墳に行くか、当初の予定通り高取山方面を目指すか、なかなか気持ちが定まらなくて行ったり来たりしたのだけれど、迷ったときはやはり初心に戻るべきだろうと思いなおして、高取山方向に行くことにした。ずいぶんムダな時間を使ってしまった。
しばらく車道を走って、栢森の女綱のそばからまた登山道に入る。
そこそこの登りを 15 分ほど上がると稜線に出て、キトラ古墳への標識に出会った。
地図を見ると確かにキトラ古墳方向への道が記されているけれど、今日は休日なので観光客も多い可能性があるし、目的地をコロコロ変えるのは良くないと思い直して、猿石に向かった。
このあたりから道はわりとフラットになって、早くも高取城の石垣跡が出てきた。
それにしても高取城の大きさには驚かされる。最盛期はいったいどれくらいの規模だったのだろう。造ることもさることながら、それだけの城を維持するには相当な人手が必要だったと思われる。
山寺の跡も規模の大きかったものがしばしば見受けられるし、そういう時代の文化というのは現代とはまったく異なる価値観で営まれていたのだろう。
猿石まで行くと人に出会う可能性があるので、そのちょっと手前で腰を下ろして栗饅頭休憩にした。
2時 22 分に猿石に到着した。栢森から 35 分ほど。
ここからは1ヶ月前の同じ道を下る。こんな道にも台風のツメ痕。
先日と違って、土佐の街は閑散としていた。
おかげでずっと走れて、3時ちょうどに壷阪山駅にゴールした。
ほぼ6時間、約 26km でした。