登山講座で、今月から6回かけて六甲全山縦走路を行くという企画が始まった。
全山縦走は 20 回くらいやっているけれど、すべて1日で行っているので、途中で下りたり途中から登ったりというのはやったことがない。それに全山縦走路を忠実に辿るということにはこだわらず、ショートカットできる場所はほとんどショートカットしているので、本来の全山縦走路で歩いたことの無い場所も少なくない。
そんなわけで、私自身も楽しみの企画が始まった。
今は六甲全山を歩く人はほとんど須磨浦公園からスタートするけれど、元来は塩屋がスタート地点になっている。私も個人的にやる時はだいたい塩屋を起点もしくは終点にしてきた。地形的にもそれが正しいはずだ。
私の場合は塩屋の方が JR の都合がいいという理由なのだけれど、全山縦走の大会がたくさん開催されるようになって、集合場所の都合で須磨浦公園がスタート地点として選ばれるようになったようだ。
今回の企画では元来のルートを辿ろうということで、塩屋駅からスタートした。
天気予報では未明まで雨で、その後は雨は治まるということだったのだけれど、生憎小雨の中のスタートとなった。
古い商店街を抜けて毘沙門天を目指す。
住宅街の急坂を上がって、全山縦走路に入る。
少し登って毘沙門天。
ここから山道に入る。
私は塩屋駅を出てすぐ右(東)に行って山道に入るルートを辿るのだけれど、その道との合流点。
1時間弱で旗振茶屋に到着。展望はあまり無い。
鉄拐山(234m)の山頂はたぶん初めてだと思う。いつもトラバースルートを行っている。
高倉山(212.2m)の三角点は縦走路のわずか右にあった。
おらが茶屋もいつもスロープを行くので通らない。ただしここは 25 年くらい前に参加したタイムトライアルの大会の時は通過した記憶が残っている。
高倉台の住宅街を越えて、400 段階段を上がって、栂尾山(274m)で昼食にした。ここもトラバースルートを行くことが多い。
横尾山頂(342m)はいつも通る。
ここからは須磨アルプスのエリアなのだけれど、幸い雨はほぼ上がっている。
馬の背を慎重に通過。
そして東山(253m)。
妙法寺の住宅街を歩く。ここもいつもショートカットルートを行くのだけれど、今日は正規ルートを辿る。昔の大会の時は正規ルートを行ったはずだけれど、もはや記憶がまったく無い。
高取山への山道に入る手前の公園で一服。
ここから須磨アルプスを見ることができた。
50 分ほどで高取山の展望テラスに到着した。天候が回復してきて素晴らしい眺めだ。
7月に随行で高取山へ登ったときのルートを下る。
1時間足らずで長田神社に到着して、ここで解散となった。
いつもは駆け抜けるところをじっくりと楽しみながら歩けるので、これはこれで楽しいと思った。
黒部五郎岳復路
寝た感じがほとんどしないまま、3時頃にシュラフを出た。温度計を見たら0度と5度の間くらいだった。
棒ラーメンとコーヒーで朝食を済ませて、中綿ジャケットとダウンパンツの上に雨具の上下を羽織ってテントの外に出た。さすがにこれだけ着込むと寒くない。歩き出して暖まってきてから脱ごうと思う。
ヘッドランプを着けて4時半頃にテント場を出発した。満天の星空で、目がいい人なら天の川が見えるのではないかと思えるほど。オリオン座がはっきりわかる。カールの道ははっきりしていて迷う心配は無い。
30 分もしたら空がかなり白んできた。
東がほぼ後ろにならるので、ご来光を気にしながら振り返り振り返り進む。
身体がかなり暖まったところで中綿ジャケットとダウンパンツを脱いだ。
かなり明るくなってきたけれど、ご来光はまだ。黒部五郎カールはやはり太古氷河だったのだなと思わせる。
水たまりは凍っていて、道には霜柱。
6時過ぎ、三俣蓮華の山頂あたりからようやくご来光が現れた。
今頃は残雪が一番少ない季節だけれど、まだ雪の残っているところがある。
稜線に上がると西側が見える。雲海の向こうには白山。1ヶ月前に歩いた別山から御前峰、大汝峰の稜線が望める。
北ノ俣の手前では久しぶりに雷鳥に出会った。
写真を撮っていたら横の方から別の雷鳥の鳴き声が。笹藪に2羽いて、つがいだろうか。
北ノ俣に到着したら、もう絶景とはお別れだ。真ん中、やや右の奥にある山は大天井のよう。
飛越トンネルへの道に下ると、足元には有峰湖。
うんざりする下りを4時間ほど歩いて、ようやく駐車場が見えた。
午後1時 10 分、ようやく飛越トンネルに戻ってきた。
帰りは例のナビで出たルートを辿ってみようと思う。スマホのナビ機能を使うのは初めてだ。
しばらく走って、分岐で行きと違う方向に向かった。神岡より東に出る道なのだけれど、2車線の立派な道が続く。国土地理院の地図も google map も行きの道よりもこの道の方が細く表記されているのだけれど、実態はまったく反対だ。
スマホのナビも親切で、こんなサービスがタダで使えるならカーナビを買う人はいなくなるんじゃないだろうか。私は今の車にはカーナビは付けていないのだけれど。ただ、圏外になるとどうなるのかはわからない。
県道で峠を越えてからしばらく道が細くてつづら折れになっている部分があったけれど、行きに2時間かかったところを 20 以上早く帰ることができた。
唯一の欠点は、途中に温泉がまったく無かったこと。なので、高山で高速に乗る少し手前で以前から標識の立っている温泉に向かうことにした。
ここは広い道に「次の信号を右折して1分」という大きな看板が立っていて、これまでも何度か寄ろうとしたことがあるのだけれど、何故か道路沿いに見あたらなくて高速に入ってしまうということが何度かあった。今日はもう二日フロに入っていないので、高速に入る直前に車を停めて、またスマホで調べてみたところ、実際はここから数百メートルくらい離れた場所にあった。
あの看板は一体何なのだろうと思いながら駐車場に車を停めたところ、「玄関近道」という矢印が見えたのでそちらへ行ったら結果的には余計な大回りをさせられるはめになってしまった。
玄関を入ると受付が2階にあって、フロは別の階段でまた1階に下りるという変な造り。びっくりしたのは入浴料 1050 円!! 私にとっては日帰り入浴の史上最高値だ。
そのフロはと言うと、露天はあり得ないぬるさ、浴槽の低い部分に滑り止めのようなブツブツがあるのだけれど、これが所々尖っていて足が痛い。そのくせ他の部分では滑りやすいところがあったりする。
お腹が空いているので何か食べるつもりだったのだけれど、ここでこれ以上お金を使いたくないという気分になって、自動販売機でジュースを買っただけで出た。ひらゆの森の倍以上の値段で中身の質は半分以下だ。
次にこのルートを走る時は高山市内に銭湯を探してこようと思う。
帰りの道は、行楽シーズンの好天だったので車が多いのではないかと思っていたのだけれど、日曜日の夕方にこれだけスムーズに走れるのはめずらしいというくらいスイスイ走れて、8時過ぎには家に帰り着くことができた。
歩いた距離と時間の割には身体は疲れていた。荷物が重かったせいかも知れない。アルプスのテント泊は小辺路のようなハイキングルートとは随分違うということを体感した。
昔はもっと重い荷物でアルプスの縦走を何度もやったけれど、その頃はそんなに長い距離は歩いていない。飛越トンネルから避難小屋までもテント泊装備にスキーを担いで兼用靴で登ったけれど、1日でそれだけしか歩いていない。
このところアルプスは軽装での日帰りしかやっていなかったので、地図を見た時の感覚がそういう風になってしまっているのだろう。
アルプスでのファストパッキングスタイルは今の自分の体力ではもう難しいと感じた。今回のは結果的には「普通の登山」だ。別にスタイルの名称にこだわる必要はないのだけれど。
次からは今回の経験を基準にしてルート設定しようと思う。
黒部五郎岳
予定通り5時半に駐車場を出発した。しばらくは樹林帯でまだ薄暗いので、ヘッドランプを着けて出た。
登山口は駐車場のすぐそばで、いきなりの急登が始まる。急登は嫌いではないけれど、朝イチというのはちょっとこたえる。
今回の足元はトレッキングシューズ。北ノ俣避難小屋までは道がドロ沼状態になっている箇所が続くので、トレランシューズだと悲惨なことになる。
30 分も歩くと水たまりが出てきたので早々にスパッツを着けて、ポールも出した。
1時間 20 分ほどで打保からの神岡新道に合流した。神岡新道は昔は本道だったのだけれど、飛越トンネルからの道ができてから歩く人が激減して整備もほとんどされていないらしい。
ドロ沼のところには所々テープが張られている。おそらくミズバショウの保護のための通行禁止措置だと思う。
昔、ゴールデンウィークに山スキーのためにここを歩いた時は、踏まずには進めないほどミズバショウが群生していた。
水たまりは思ったほどはひどくなくて、中に染み込むほど濡れることはなく、2時間 10 分ほどで寺地山(1996m)に到着した。
展望も何も無いので通過して、しばらく進むと前方に北ノ俣が見えてきた。
避難小屋は昔は道の横に見えていたのだけれど、今は木が茂って見えない。一瞬、先に進みかけたのだけれど、この先、水が補給できるのは黒部五郎小屋まで無いので、小屋の水場に寄って行くことにした。
来し方を振り返る。手前の出っぱりが寺地山。奥の左の方が白山。
出発から4時間 20 分ほどで稜線に出た。正面の奥が水晶岳。その手前に雲ノ平。紅葉はまだという感じだ。
出発から4時間半で北ノ俣岳(2661.3m)に到着した。右の方に槍ガ岳。
北の方には薬師岳。薬師の左肩に剱が見える。
正面が黒部五郎岳。右に笠ガ岳。
のんびりしている訳にはいかないので、先に進む。
赤木岳はピーク下を通過。
中俣乗越まで来たけれど、黒部五郎はなかなか近づいてくれない。
ここでロキソニンを投入して、ようやく黒部五郎の肩に到着した。
ほとんどの人たちはここにザックを置いてピストンするのだけれど、私は稜線ルートを行くつもりなのでザックは担いだままで登る。
12 時 45 分、出発から7時間 15 分かかってようやく黒部五郎岳(2839.7m)の山頂に到着した。
カールを見下ろして、正面真ん中が鷲羽岳。黒部源流と雲ノ平が見渡せる。
こちらは奥が槍穂高連峰で、その手前は左から三俣蓮華と双六。さらに手前はこれから辿る稜線ルート。
稜線ルートは登山地図では破線ルートになっている(一般路ではないという意味)。展望がいいはずのルートがどうしてそういう設定になっているのか不思議だったのだけれど、歩き出してその理由がわかった。
岩がゴロゴロしていて非常に歩きにくい部分が多いのだ。まったくペースが上がらない。まるで北八ツの大岳のよう。
展望を楽しむ余裕は無い。登山地図には「濃霧時は稜線ルートがいい」と書かれているけれど、少なくとも下山に関しては違うと思う。
天候が良かったのでルートをはずすことはなかったけれど、先がわかりにくい部分はしばしばあった。ペンキマークが見えていたので問題無かったけれど、濃霧であればルートを見失う可能性が高いだろう。
カールを見下ろすと適当に下れそうに見える箇所が何度かあって、そこを下ってしまおうかという誘惑にかられたけれど、ラインがすべて見えているわけではないし、斜面を上から見下ろすと崖が見えないので、結局登り返すなんてことにもなりかねない。
仮にうまく下りられたとしても時間的には 10 分か 15 分程度の違いにしかならないと思うので、ぐっと我慢して正規ルートを歩き続けた。
下り出して1時間 15 分ほどで、ようやく足元に黒部五郎小屋が見えた。
ここから小屋まで 10 分ほどで、早々に三俣山荘に向かった。
ここから三俣山荘まではさらっと行けると思っていたのだが、いきなり結構な登りになった。どうもしばらく続きそうで、立ち止まって地図を開けてみたところ、何とこれから標高差 300m の登り!!
コースタイムでは三俣山荘まで2時間で、目的の雲ノ平まではまだ5時間以上かかる。
今、2時半。これから先、コースタイムをそれほど短縮できるとは思えない。三俣山荘のテン場までなら行けそうだけれど、そうすると翌日は雲ノ平をさらっと通過しなければならない。
と言うか、そんなことをして翌日飛越トンネルまで戻れるだろうか。
今回の最大の目的は雲ノ平でのテント泊なので、それができないのであれば考え直した方がいいと思った。
今回はここで引き返すことにした。ここでテント泊して、明日はカール経由で戻る。
北アルプスでのテント泊は本当に久しぶり。20 年ぶりくらいだろうか。
キャンプ料金 1000 円にはびっくりした。世の中の全体的な物価はそれほど上がっていないのだけれど、学費とマラソン大会参加費の高騰に近いレベルに感じる。
テントを張って、まだまだ明るいけれど早々に夕食にした。身体は結構疲れているけれど、目標を断念したせいか、ビールは期待したほどにはおいしくなかった。
明るさが残っているうちはテントの中は結構暖かかったけれど、日が陰ってくると一気に気温が下がってきた。昨夜もあまり寝ていないので、寒さしのぎに早めにシュラフに入った。
中綿ジャケットとダウンパンツのおかげで身体は寒くないのだけれど、末端冷え症の足の指先の冷えがひどくなってきた。
ビールと日本酒のおかげでちょうどいいくらいのほろ酔い状態なのだけれど、足先の冷えのせいでなかなか寝付けない。
何時間も寝返りを繰り返すばかりで、次第に酔いが醒めてきて、ますます目がさえてくるという悪循環に陥ってしまった。
北アルプス最後の楽園をめざして
5月にテント泊で熊野古道小辺路に行って以来、またテント泊で行く機会を窺っていた。しかし私の都合と週末の好天がなかなかかみ合わず、計画は増える一方だけれど、実現のチャンスはなかなか訪れてくれなかった。
しかしようやく先週末、絶好の好天予報にチャンス到来となり、あたためていた計画を実行に移すことになった。
もう何十年も前から行きたいと思っていた雲ノ平。北アルプスの最奥部とも言える場所で、「北アルプス最後の楽園」と呼ばれたりもしている。
岩登りや山スキーをやっていた頃にはほとんど考えることも無かったけれど、2年前に水晶岳へ行った時に上から眺めて、いつかぜひあそこでテント泊をしたいと思った。
小辺路の後に次の行き先を考えたとき、真っ先に浮かんだのが雲ノ平だった。
一番近いのは折立から太郎平小屋を越えて薬師沢を経由するルート。しかし折立というのがなかなかの難点で、家から遠くて、さらに有峰林道が夜間通行止めというのがネックになる。
次善の案は、飛越トンネルからのルート。歩く距離は長くなるけれど、登山口までの距離は約 350km。時間は自分の都合のいいように設定できる。
まだ行ったことの無い黒部五郎岳を経由して、雲ノ平から薬師沢を周回すれば、一粒で二度おいしいコースになる。ただしかなりの歩行距離になるのだけれど。
いつもの通り、コースの詳細も登山地図のコースタイムもあまりしっかりとは調べずに、漠然としたイメージだけで実行に移した。
さて、小辺路の後に新調した装備がいくつかある。
ザックは、1泊2日以上の連泊や寒い季節で荷物が多くなっても対応できるように、「macpac AMP Race 40」という 40L のものを購入した。
少し古いモデルをかなり安く入手した。
それから「KLYMIT INERTIA-O zone」というエアマット。
小辺路のために山と道の軽量マットを購入したのだけれど、マットをザックの外にくくりつけるというのがどうも前からあまり好きではなくて、全身用サイズなので嵩が高く、小辺路のような軽い道ですら木の枝や岩角などに当たることが何度かあったので、アルプスの岩稜などではそういうことが事故につながりかねないと感じて、パンクのリスクを覚悟の上で、小さくたためるエアマットを新調した。
このマットは見ての通り、シュラフの中に入れるように造られている。実際に使った感じで言えば、上を向いて寝られる人にとっては寝心地はいいと思う。私は横を向いて寝るタイプなので、腰の骨が地面に当たるように感じることが少しあったけれど、収納サイズの小ささのメリットは非常に大きい。
前から持っている OMM のザックは背中のパッド代わりに半身サイズの樹脂マットが入っているので、これを取り出して持って行けば、パンクの時でも上半身だけはカバーできる。
山と道のマットはネットのオークションに出品したら、予想外のいい値段で売れた。
寒い季節に非常に重要なのがシュラフ。いくら何でも今頃のアルプスのテント泊にあのペラペラシュラフで行く訳にはいかない。
10 日ほど前にたまたまネットでナンガのダウンシュラフがわりと安く買えるのを見つけて、「ダウンバッグ350STD」というモデルを注文した。
取り寄せということだったので多少の日にちがかかることはわかっていたのだけれど、何と1ヶ月くらいかかるとの返事。しかしその時はまだいつ使いたいか確定的ではなかったので、値段を考えて待つことにした。
多分1ヶ月もかからずに入るだろうと思ってはいたけれど、さすがに今回には間に合わなかった。
致し方なく、30 年以上前に買った Moncler のダウンシュラフに復活してもらうことにした。重さ約 1.5kg で、注文したナンガのシュラフと比べると重さ、大きさとも倍くらいだけれど、40L ザックのおかげでこれを入れても容量的には大丈夫だった。
荷物の重さは、胸の前で持つ水分と行動食を除いて 8kg くらいだった。全部でも 10kg 弱ということで、まぁ妥当な重さに収まった。
金曜日は夕食を早めに済ませて、6時半頃に家を出た。
このところ京滋バイパスが部分的に渋滞していることが多いので出発前にチェックしておいたのだけれど、久御山淀の IC に入るといきなり「彦根ー八日市間 事故通行止」という表示!!
どうしようもないので、八日市の少し手前の PA に入って、道路情報のラジオを聞きながら、八日市 IC で高速を下りて彦根 iC で乗り直したら料金はどうなるのだろうとスマホで調べて、それを覚悟でまた走り出した。
ところが今度も運良く八日市 IC に近づいたあたりで通行止めが解除されて、目的の飛騨清見までスムーズに走ることができた。
しかしまたまたハプニング。飛騨清見 IC に到着すると、ここから無料区間で高山まで行ける道が通行止めになっている!! そんな案内はどこにも無かったし、なぜ通行止めなのかもわからない。
致し方なく下道に下りて、またスマホで道路を調べたところ、ここから飛騨古川に抜ける道があるようで、そちらに入った。これは走りやすいいい道で、結果的には高山経由よりも早かったかもと思えるくらいだった。
実は出発前に高山から飛越トンネルへの道をネットのナビで調べたところ、これまでに使っていた R41、神岡経由ではないルートが表示されていた。高山の少し北から県道に入るルートなのだけれど、どんな道なのかさっぱりわからないし、行きは夜に走ることになるので、あえてこれまでに走ったことのある道で行くことにした。
神岡からの県道は狭くて急な上りヘアピンカーブが続く。夜にここを走るのは初めてだ。山之村に入ると道が広くなるのだけれど、ここを走るのは本当に疲れる。
飛越トンネルそばの駐車場には 12 時過ぎに到着した。車は 10 台くらい停まっていた。
スマホは圏外なのでバッテリー節約のために電源を切って、缶ビールを飲んでからシュラフに入った。
翌朝は明るくなってから歩き出そうと思って、起床は4時半ということにした。満天の星空で、気分は上々。
国見山
火曜日(9/26)は今月6回目の随行で、台高山脈の国見山へ行ってきた。
昨年行った薊岳の近くで、この時の下山路で国見山を往復した。
今回も貸し切りバスで京都駅から片道3時間という遠征だった。
薊岳の登山口の笹野神社でトイレ休憩。
バスでさらに林道の終点まで行って、しばらく舗装路を歩く。
ハガクレツリフネソウ。
アケボノソウ。
登山路に入るとしばらく沢沿いを行く。
飛び石伝いに沢を渡る所が何カ所かあるけれど、私はバランスが悪いのでこういうのはニガ手。
しばらく登ると明神滝。
出発から2時間ほどかかって明神平に到着した。ここで昼食。
昨年はあちらから下りてきた。
食事後は国見山に向かう。
少し登ると水無山。
国見山山頂手前には大峰方面が良く見える展望場所があった。
国見山(1418.9m)には午後2時に到着した。
山名から考えるとかつてはあたりを見渡せたのだろうけれど、今は木が茂っていて展望はまったく無し。と言うことで、先ほどの展望場所に戻ってしばらく展望を楽しんで、往路をそのまま下山した。
京都駅に帰ってきたのは7時半を過ぎていた。
額井岳、戒場山
9/24 の日曜日は台風の影響で1週間延期になった随行で、奈良の額井岳、戒場山へ行ってきた。
朝夕はかなり涼しくなってきたものの、昼間の日射しはまだまだ厳しい一日だった。
近鉄・榛原駅からバスに 10 分少々乗って、まずは住宅街からスタートする。
田園地帯に入ると正面には目指す額井岳。
しばらく車道を登って、十八神社(いそはじんじゃ)。
ここからの南方の展望はなかなか素晴らしい。右の方は音羽三山。ずっと奥は吉野から大峰か。
南西には高見山など。
ここで先着した 35 人の大集団とかち合わせる。向こうも中高年主体のパーティで、先を譲られたけれど、こちらものんびり行きたいのでしばらく展望を楽しんでゆっくり出発した。
ようやく山道へ入る。
道標はしっかりしている。
お昼前に額井岳山頂(812.8m)に到着して、ここで昼食にした。例の 35 人パーティも一緒。
午後は西に向かって戒場山を目指す。
1時間少々で戒場山(737.4m)に到着した。
戒長寺に向けて急な下りを行く。雨だったらいやらしそうだ。
戒長寺は歴史の古い(平安時代後期にかなり栄えていたらしい)お寺だそうだが、今は訪れる人も少ない感じ。
ここにも大きなお葉つきイチョウがある。
ここからは車道でスタート地点に戻る。
山部赤人の墓(という伝承があるとか)。
あちこちにヒガンバナ。白花もあります。
おおむね予定通りの3時半過ぎにバス停に帰り着いて、往路とまったく同じ経路で帰ってきた。
藤原京跡から吉野宮滝 〜 持統天皇吉野行幸の道
三連休は台風 18 号が日本列島を縦断した。しかし関西エリアは日曜日の夜中に通過して、月曜日(祝日)は好天が期待できそうだった。
そこで、かねてから構想していたけれど、暑さのために回避していたコースに行ってみることにした。台風で山道は荒れていることが予想されるので、ほぼ下道というコース。
飛鳥時代の歴史を眺めていると、斉明天皇が宮滝に離宮を造営して以降、代々の天皇がここを訪れている。
特筆されるのは持統天皇で、夫の天武天皇が崩御してから孫の文武天皇に譲位するまでの 11 年間に 31 回もここを訪れている。通算では 33 〜 34 回に及ぶらしい。
その理由はいろんな人が様々な意見を述べられているけれど、共通しているのは持統天皇の吉野宮に対する愛着の強さという点。
死期の迫っている実父・天智天皇を近江京に残して、夫の大海人皇子(のちの天武天皇)と吉野に逃れて、壬申の乱に立ち上がるまでの数ヶ月間をここで過ごしたことへの思い入れが強く残っていたからだろうと言われている。
持統天皇は在位中に藤原京遷都を果たした。そこで、持統天皇の吉野行幸の道と言えば藤原京跡をスタートとするのが一般的だろう。
奈良盆地から吉野へ行くにはいくつかの道があって、いずれも峠を越えなければならない。それらの峠は西に行くほど標高が低くなるけれど、その分、距離は長くなる。
おそらくこの道を通っていたのだろうと思われているのが、飛鳥川を遡って芋ヶ峠(芋峠)を越えて、千股川沿いに吉野川に降り立つというルート。
今は県道が通っているけれど、車なら西や東にもっと走りやすい道があるので、交通量はあまり多くない。そこに、県道から少し離れた位置に古道が残っていて、道標が整備されている。
奈良県がコースガイドの情報をホームページに掲載しているので、これを参考にしてコース設定をした。
スタートは交通の便と藤原京跡への近さを考えて、近鉄の大和八木駅。駅前で準備して、ちょうど午前 8 時に出発した。
適当に間の道に入って、下ツ道を南へ向かう。
東に折れておふさ観音。
20 分ほどで藤原京跡の中心部に到着。向こうの山は天香具山(手前の丘)。
台風が通過したばかりなので足元の芝生は水たまりだらけ。
次は天香具山に向かう。ただし山には登らず、麓をなめるだけ。
前を通ったので天岩戸神社。
大官大寺跡を通って明日香村中心部へ向かう。いい風景だ。
明日香村のいいところは、飛鳥時代の風景もそれほど大きくは違わなかったのではないかと感じられること(本当はそんなことはないのだろうけれど)。
奈良県は観光客は京都に取られ、宿泊客は大阪に取られで、観光客誘致に必死になっているらしいけれど、個人的には今くらいで推移していってほしいと思う。あまり廃れるのは困るので。
飛鳥寺は何度も訪れているけれど、実は飛鳥大仏は眺めたことが無かった。9時開門のちょうどだったので、空いていてチャンスだと思って 350 円を払って中に入った。
「写真撮ってもいいですよ」ということで、飛鳥大仏。
仏像ファンという人たちがたくさんおられるそうだけれど、私には価値はわからない。
5月に遺跡めぐりで来た時の伝飛鳥板蓋宮跡からさらに南へ行った所にまたもや「伝飛鳥板蓋宮跡」。たぶん広い敷地だったのだろう。
石舞台には寄らずに祝戸へ。
しばらく車道を行くと、ちょっと横に入った場所にマラ石。何てリアルな!!
稲淵の棚田の風景は美しい。車がたくさん停まっていた。
稲淵の綱掛神事の男綱(おづな)。
栢森(かやのもり)には女綱(めづな)。
このすぐそばには高取山の猿石への道が分かれている。
栢森の家並み。
入谷(にゅうたに)へ少し向かったあたりから古道に入る。
今日、初めての山道。
小峠の手前あたりは結構な急坂だった。この坂を篭を担いで登るのは大変だっただろうと思う。もちろん飛鳥時代も同じ道だったかどうかはわからないけれど、篭に乗せられていても中でバランスを維持するのは非常に疲れただろうと思われる。
壬申の乱で吉野から美濃へ向かう時、桑名のあたりで持統天皇(その時は鸕野讃良皇女)が疲れ果ててそこに留まったという話がある。さもありなんという感じ。
小峠(466m)に到着。
ここからしばらくは走れそうな下りなのだけれど、台風の影響か、小さな枯れ枝がたくさん落ちていて、これが絡まって走れない。しばらく下って、車道に合流した場所に役行者像。
またすぐに山道に入って、三軒茶屋跡。
登り切ったと思われる場所に道標。
竜在峠は今年1月に御破裂山から竜門岳へ向かった時に通った。
峠の頂点はまだ上にあるのかと思って急登を少し上ってみたけれど、ずっと登りが続く感じ。はたと「ここが芋峠の頂上という意味だ」と思って、下りてきた。まぎらわしい表記だ。
ここから少し下ると県道に出た。11 時 20 分。
先の道標は、県道の芋ヶ峠は本当の峠の頂では無いという意味なのだろう。
ちょうど車道と出会う場所にあった案内板。
詩歌を愛でるような高尚な感性は持ち合わせていないけれど、古道を歩く楽しさはそれなりに感じている。
ここからも高取山への道が分かれているけれど、随分人通りが少ない感じだ。
このあとはずっと車道になりそうなので、山道に少し入った所で大福休憩にした。
ここからは車道を南へ下る。少し下った場所にこんな道標が。
芋峠から下ってきたのに下る方向を向いて道標が立っている。それはないだろうと思って、そのまま車道を下った。
少しして gps を見てみると、何とルートからはずれてきている。
今日は例の奈良県のホームページにあったガイド図と共に、ヤマレコで見つけたこのルートを歩いた人のトラックデータを gps に入れてきている。
ガイド図ではここは車道を下ることになっていたのだけれど、ヤマレコの人は古道を歩いていた。そうか、あの道標は実は吉野に向かう古道だったのだ。
まだ十分に戻れる距離だったので、先ほどの道標の場所まで登り返した。
それにしてもこの道標の向きはひどい。人通りの少ない道では道標が間違って設置されているということが時々あるのだけれど(あらぬ方向を向いてしまっている?)、この道標はわりと新しく設置されたもののように思える。
この道も荒れていた。道路が舗装された場所でも一面コケに覆われて、人が歩いている様子がほとんど無い。
峠から 30 分ほどで県道に合流して、千股川せせらぎ公園。峠からの下りで吉野川が見える場所があるのではないかと期待していたけれど、残念ながらそれは見あたらなかった。
それから約 20 分、標高が下がって暑くなってきた車道をジョグで下って、吉野川に降り立った。
ここから宮滝へは吉野川の右岸を行くのだけれど、その道は R169(R370)で交通量が多いので、妹背大橋を渡って左岸の道を行く。
20 分少々のジョグで、また右岸に渡る柴橋まで来た。暑い!!。
下流の景観。
上流。
橋を渡って、宮滝遺跡。ただしこの遺跡は縄文、弥生時代の遺跡。
実は今年の7月に大普賢岳へ行った時に、ここを車で通っている。下山が早かったので、帰りに立ち寄る時間は十分にあった。
その時はすでに今日のコースの事を思いついていた後だったのだけれど、「宮滝を訪れる時はぜひとも芋ヶ峠を越えて自分の足で」という思いが強かったので、あえて立ち寄ることをしなかったのだ。
R169 を渡って、吉野歴史資料館へ。
せっかくなので 200 円を払って中に入ったけれど、ショボイ。休日の昼過ぎだというのに誰もいなかった。
やや右の奥に見えるのが青根ヶ峰だろうか。
柴橋のそばの自動販売機でジュースを買って休憩して、来た道を戻って、さらに近鉄の吉野神宮駅に向かった。
駅前がちょうど吉野神宮への登り口になる。
駅に着いたのは午後2時ちょっと過ぎ。幸か不幸かあと3分くらいで電車が来る。
本当は着替えて、ビールでも飲んでゆっくりしたかったのだけれど、電車は1時間に2本しかない。まぁ「2本もある」とも言えるかも知れないけれど。
どうもこういう時にのんびり構えられない性格なので、着替えもせずにやってきた電車に乗り込んだ。着替えは阿部野橋駅までお預けとなってしまった。
やはり奈良の歴史街道歩きは楽しいと改めて思った。途中でお寺や資料館などに立ち寄ってゆっくりしながら、約 33km、6時間ちょっとの旅でした。
清滝から鳥居本のち米買い道
水曜日(9/13)は京都一周トレイル講座の随行で、清滝から鳥居本を歩いてきた。
講座修了後は個人的に米買道を水尾まで。
集合は前回解散した清滝のバス停。私はいつも通り、保津峡駅から歩いて行った。この日の行程の前半の道を逆に歩いたことになる。
愛宕山の表参道の鳥居に寄って行く。
清滝川に下りると与謝野晶子の歌碑。
前回は台風の後で清滝川の水もかなり濁っていたけれど、今日はきれい。しかし前日に雨が降ったので水量は多い。
清滝川を渡る橋の手前の広場で昼食となった。米買道はここから入って行くことを初めて知った。
昼食後はちょっと寄り道して保津川の展望場所へ。
芭蕉の歌碑にも寄り道。
ここからは車道を登って六丁峠に到着。
峠を下ると鳥居本。ここが元々の愛宕山参拝口。
今日は行程の都合で嵐山へは向かわずに試峠(こころみとうげ)から清滝に戻る。
車道を少し登って愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)。
メインの車道から分かれて試峠に到着。愛宕山に登れるかどうかを試すという意味で付けられた名前だそうだ。
車も通れるので、峠には道の上にバックミラーが設置されている。
2時頃に清滝のバス停に戻って解散となったので、私は同じ道をこの日3回目で、昼食をとった場所に向かった。米買道はここから始まっている。
すぐにこんな張り紙が。
そのまま進むとさっそく障害物。
倒木と蜘蛛の巣の波状攻撃を受ける。往時を偲ぶ余裕などまったく無い。
お地蔵さんも苔むしている。
さすがにこれはたまらんと思って、荒神峠からは水尾へは向かわずに保津峡駅に下りようと思った。
峠に近づいて沢筋から離れて山肌を行くようになると、障害物もほとんど無くなった。
清滝からほぼ1時間で荒神峠に到着。
一息ついて地図を眺めてみたら水尾までの道は沢筋ではなくて山肌に付けられているようなので、ここまでほどひどいことは無いだろうと思って、予定通り水尾に向かうことにした。
予想通り、所々に倒木はあるものの、前半に比べたらほとんどハイウェイのような道。
東の田んぼ跡。
お米を担いだ人が歩いていた時代をイメージしながら歩いて(たぶん反対向きだっと思うけど)、峠から 25 分くらいで水尾に下りてきた。
あとは車道を保津峡駅に向かって下るだけ。途中で遊歩道に入った。
4時ちょっと過ぎに保津峡駅に到着した。
終わってみれば楽しい一日でした。
神津嶽から暗峠
月曜日(9/11)は随行で生駒の神津嶽(かみつだけ)から暗峠(くらがりとうげ)へ行ってきた。
スタートは枚岡神社。河内国一之宮だけあって大きい。
生駒には道がたくさんある。特に西側の○○園地には舗装道路もたくさんあるが、できるだけ土道で登る。
展望台から大阪方面を望む。正面奥は六甲。
枚岡神社創祀の地が神津嶽(約310m)。
結構な登りがあって、しばしば通るなるかわ休憩所に出た。
また坂を上がってぼくらの広場を目指す。途中に万葉植物展示園があるのでちょっと寄り道。
ぼくらの広場(524m)からの大阪方面。淡路島の山並みも見えていた。ここで昼食。
奈良方面も見える。
わずかで暗峠。
ここからは車道を奈良側に下る。棚田がきれい。
矢田丘陵がくっきりと見える。
ちょっと寄り道して石造阿弥陀如来立像。
何とか天気は持ちこたえていたのだけれど、このあとついに雨が降ってきた。
また寄り道して、応願寺の十三重石塔。
南生駒駅近くからの矢田丘陵。雨は止んでいる。
近鉄・南生駒駅で解散となった。
朝夕は涼しくなってきたものの、昼間はまだまだ暑い日でした。
経ヶ峰
9/8 はこの週3回目の随行で布引山地の経ヶ峰へ行ってきた。
今回も家から集合地の近鉄・津新町駅まで3時間。そこからさらにバスを2本乗り継ぐという遠征だった。
家を出たのは6時過ぎ。4時間かかって 10 時過ぎにようやく経ヶ峰登山口バス停に到着した。
しばらく舗装された林道を行くと、お地蔵さん。
1時間少々歩いてようやく登山道に入る。
植林帯を登って、別の登山道に合流。
ここからは稜線になる。とは言っても樹林帯。
地元では人気の山のようで、平日にも関わらずすでに下りてくる人にたくさん出会った。
もうすぐで山頂。
12 時 40 分頃、山頂エリアに到着して昼食となった。山頂(818.8m)は 360 度の絶景だけれど、強風にさらされている。
北の鈴鹿方面。
南西の大台ヶ原方面。
南東は伊勢湾。
絶景を楽しんだら南側に下山する。
40 分くらいで林道に出た。
舗装道路を歩いてバス停に向かう。
バスの時間に合わせるためにちょっと寄り道をしたりして、3時 40 分にバス停に到着した。
帰りはバスは1本で、私は往路と同じ経路で同じくらいの時間で帰ってきたけれど、他のみなさんは津駅まで行かれた。
帰りの電車も乗り継ぎはスムーズで、大阪までは座って帰ってくることができたけれど、それにしても遠かった。お尻が痛くなった。