京都北山の大悲山(だいひさん)は中学生の頃からの憧れの山だった。
その頃に憧れたのは廃村八丁、八丁平、そして大悲山。京都人と言えどもその頃の中学生にとってはこのあたりは最果ての地で、一日2便程度のバスはあるものの、強い意欲が無ければ近づきがたいエリアだった。
八丁平だけは中学3年生の時に仲間とテント泊で行ったものの、その後しばらくは北山は自分にとって登山の対象エリアではなくなってしまって、ようやく廃村八丁に訪れたのはわずか2年前だった。
残された最後の課題は大悲山。
廃村八丁や八丁平は往時から登山道があるけれど、大悲山だけはいまだに登山地図には道が無い。しかし登られた記録はたくさんあるので、踏み跡程度はあるのではないかと思った。
麓の峰定寺(ぶじょうじ)までは車で入れるし、峰定寺の裏山なので、ここだけを目標に行くのはちょっともったいない。
そこで最近一段と有名になった三本杉から稜線を辿って峰床山。そこからさらに寺谷峠、桑谷山、そして大悲山に登って峰定寺に戻るという周回ルートを設定した。
距離的には 20km 程度だけれど、今回のルートの半分くらいは登山地図には道が記載されていない。はたして実際はどんな様子なのだろう。
4/1 の日曜日、家から1時間 45 分くらいで峰定寺に到着した。すでに駐車場には結構車が停まっている。
8時 15 分くらいに駐車場を出発して、まずは林道を三本杉の方へ向かう。
15 分ほどで三本杉に到着。ここは4年前、講座で峰床山へ行った時に訪れた。
この3本のうちの1本は高さが 62.3m で、昨年正確に計測した際に高さ日本一ということが判明した。そのせいか今回は周りにロープが張られていて、根を踏まないようにという注意書きが立っていた。
このあと、踏み跡程度の急登で稜線に這い上がる。
しばらく上がると林道に出た。
さらに広い林道に合流して、八丁平への道標が立っていた。しかしこの道標通りに進むとずっと林道を行ってしまうので、適当に南側の稜線に這い上がった。そこは「こもれびの森」という立派な散策路になっていた。
タムシバ。
こもれびの森の山頂(871m)。出発してちょうど1時間。
この道標に従って八丁平方面に下ったら、またもや林道に出てしまった。尾越方面に向かうべきだった。
致し方なくしばらく林道を走る。そして予定していた道に出会った。
このあとも少し林道を行って、わかりにくい分岐から山道に入る。
しばらく不明瞭な道だったけれど次第にはっきりしてきて、俵坂峠。随行で来た時はここから大悲山口に向けて下りた。
イワカガミ。
10 時 15 分、出発して2時間で峰床山(970m)の山頂に到着した。京都府の最高峰は皆子山(971m)ということになっているけれど、皆子山は滋賀県との県境に位置しているので、完全に京都府に属している山では峰床山が最高峰。
ここで腰を下ろしてどら焼き休憩にした。杉峠の鉄塔はわかるけれど、山々の山名はまったくわからない。
そしてこれから北に向かうのだけれど、その方向には道らしきものは見あたらない。しかしやや西に向かってきわめて整備された道が下りていたのでこれを下ってみたところ、電波施設のための道だった。
行きたい方向からはずいぶん違っているのだけれど、このまま行くと林道に出会って、その林道を戻ると目的の方向に向かえるので、そのまま下った。
林道はすぐに足元に見えてきたのだけれど、側壁が急峻に削られていて、道に下りることができない。
ウロウロして、ようやく何とかずり落ちられそうな場所を発見して、そこから林道に下りた。
北側にはまだわずかに雪が残っている。
さて、この林道をしばらく行って、寺谷峠に向けてまた登山道に入るのだけれど、これがまたわからない。
ちょうどそれらしい位置に白テープが下がっていたので、ここがその印ではないかと判断して斜面に下りた。
しかしこの先は踏み跡すら見つけることができず、方向としては斜面をトラバースぎみに進みたいのだけれど、ヤブ斜面のトラバースはあまりにもアルバイトが多くて進めないので、ここの沢を強引に下ることにした。
地図を見るとこの沢を下ると林道があって、その林道から寺谷峠方向に登り返す道がある。
北山なので沢を下りても何とかなるだろうと思っていたけれど、それでもなかなか大変だった。荒れている部分は右岸の斜面をへつって、何とか朽ちた林道に出会った時にはもう寺谷峠に登り返す気力は無くなっていた。
実際に格闘していたのはほんの 20 分くらいなのだけれど、もともとオマケ程度の位置づけだった桑谷山はあきらめることにして、そのかわりに大悲山だけは何が何でも登るということに気持ちを切り替えた。
この林道は朝、駐車場からしばらく歩いた道で、大悲山から下りてくる予定だった場所に出会う。
それらしい場所に近づくと北側斜面を注視して、何かテープでも無いかと探した。
ちょうどそのあたりに朽ちた道が上がっていて、そばの木に赤テープが巻いてあった。しかしこういうテープは道の印ではなくて林業の人が巻いたテープということがしばしばある。この道を少し上がってみたのだけれど、ほどなく途切れてしまっていた。
しかしこのあたりを強引に上がるしかないので、ちょっとした沢を強引に上がることにした。
写真ではわからないのだけれど、実は手を使わなければ上がれないくらいの急傾斜で、正直なところ下りが不安だった。
しばらく登って、沢から横の斜面に逃れた。
この斜面もかなりの急斜面だったけれど、強引に上がって行くと赤テープが出てきた。そして傾斜が緩くなってきた。
大きな杉や奇妙な木が現れて、朽木の山のような雰囲気。
テープマークはわりと短い間隔で現れたけれど、踏み跡はまったく無し。
gps を頼りに登り続けて、そろそろ頂上ではないかと思った頃、急にヤブが濃くなってよくわからない地形に入り込んだ。
gps の画面を拡大して確認したところ、何とすでに山頂を越えてしまっていた。しかしここから戻るのが一苦労だった。
ヤブの濃い部分を避けて、何とか元に戻ることができた。大悲山の山頂(741m)は 12 時 52 分だった。
山頂を示す標識はこの赤い板しか無く、登ってきた方向からは背面の死角になっていて気が付かなかったようだ。
下りはテープマークを見落とさないように慎重に下った。
最後の急斜面は強引に登った沢の横の尾根を下っていた。沢を下るよりはマシだったけれど、それでも最後の方はかなりの急斜面だった。
北山のすべての山を登ったわけではないけれど、ある程度の知名度のある山では大悲山がいちばん登りにくい山なのではないかと感じた。まぁそこまでして登るほどの値打ちのある山かどうかと言えば微妙なところだけれど。
峰定寺は 12 世紀の創建とか。昔ほど社寺が辺鄙な所や山の上にたくさんあったりする。今よりはるかに人口の少ない時代、その頃の人達の宗教心はどんなものだったのだろう。
駐車場に戻ったのは午後1時 50 分だった。時間的にはまだまだ早かったけれど、大悲山の上部の様子から想定すると、桑谷山へは行かなくて良かったと感じた。翌日は講座が控えている。
北山へ車で行くのは帰りの渋滞が憂鬱だ。今日はまだ少し時間が早かったので少しはマシなのではないかと期待していたのだけれど、その期待はあっさりと裏切られて、1号線の渋滞を避けて桂川沿いの道へ逃げたものの、何と八幡の背割りのサクラのおかげで御幸橋でまたもや大渋滞。行きよりも1時間以上余分にかかった。
気分的には若干消化不良感が残ったのだけれど、フロの後にいつも通り体重計に乗ったら、久しぶりに 50kg を割っていた。
私が足腰の疲労のバロメーターにしているのは、夜中にふと目覚めた時の下半身の疲れ具合で、結構重かった。
競技場練習会
今日の練習会は競技場。普段以上の力が出せる場はもう練習会しかないので、都合がつく限りは参加することにしている。
朝方は少し空気が冷たかったけれど、走るには絶好のコンディションだ。
基本メニューはインターバル 1000m x 5 だったのだけれど、どうしようかと迷っていたところ、10000m のペース走をやるという人達がいたので、そこに入れてもらうことにした。
キロ 5’30” の設定とのことだけれど、このところ一人ではキロ6分以上のペースでしか走れないので、今の自分にとっては決して余裕のあるペースではない。しかしそこは練習会。こういう時しかできないことをやるしかない。
出だしは設定よりも速めのペースだったけれど、以外と余裕があった。
2000m を越えたあたりからペースが安定してきて、5’35” くらいで落ち着いた。
以外と余裕がある。飛び出したい気分だけれど、そこはぐっと抑えて、10000m が終わってからあと 2000m をペースアップしようと思った。
9000m から 10000m までを 5’20” くらいで行って、そのあとギアチェンジした。
せめてキロ4分台という気持ちだったけれど、この 1000m は 4’31” だった。体感よりはいいタイム。
まだ少し余裕があったので、ラストは目一杯という気持ちで、4’18” でフィニッシュした。
こういう息の上がる走りは本当に久しぶりだ。息の上がる走りのあとの爽快感を久しぶりに味わった。
キロ4分台前半の走りなんてもうムリと思っていたけれど、うまくペースアップしていけばまだこれくらいは走れるということがわかって、ちょっとうれしかった。
六甲縦走キャノンボール
1年ぶりにやってきたキャノンボール。これまでに2回、卒業宣言をしたのだけれど、またもや復学してしまった。
今回で8回目の参加で、7回連続参加した防府読売マラソンを越えて同一大会最多参加となった。ただしキャノンボールは春秋の年2回開催なので、7年継続したわけではない。
これまでの7回はすべて往復にエントリーしてきたのだけれど、今回は夜間の片道にした。1年前、特に故障なども無いのに復路を断念した記憶が重くのしかかっていて、今回は最初から片道でエントリーすることにした。
「六甲の縦走は夜間が最高」というのが持論なので、2年前から始まった「ナイトスピード」部門での参加となった。
キャノンボールにしては異例の好天予報で、恒例のレオちゃんマンの宣誓のあと、夜9時に須磨浦公園をスタートした。昨年は寒さにやられたので今年は暖かくしようと思っていたのだけれど、結局上はメッシュのノースリーブの上に半袖シャツとアームカバー、下はヒザ下までのタイツにカーフサポートということにした。
今回は片道なので押し気味に行くことにしているが、スタート直後の狭い階段は渋滞した。
階段をしばらく上がって、旗振山から明石海峡大橋。厚着でスタートした人たちが上着を脱いでいる。
何度来ても緊張する須磨アルプスを無事に通過した。出発してから1時間10分。
横尾の住宅街に出る手前にはいつものサシミ、日本酒エイドがあったけれど、混雑していたのでパスした。
高取山は10時50分に通過。ここの公園でジェルを補給した。
丸山の住宅街もできるだけ走るようにした。
鈴蘭台の水処理場にエイドの明かりが見えたので、暖かいものにありつけるかと期待したのだけれど、酒とビールしかないとのこと。せっかくなのでビールをいただいた。
日付が変わった0時12分に菊水山に到着。ここまで3時間12分なので、タイムとしては悪くない。ここで持参したようかんを食べた。
期待した大竜寺のエイドは、つきたて餅一切れという淋しいものだった。ここはいつも豚汁やおにぎりがあって、ほっと一息つける重要エイドなのだけれど。
キャノンボールの夜のエイドは、その時によって非常に充実している時と貧弱な時の差が大きいように思う。エイドの情報は SNS で発信されてはいるけれど、実態はそこに行ってみないとわからない。今回はまるで OSJ の大会のよう。
摩耶山の菊星台には2時15分に到着した。これでヤマを越えた感じ。
ここのカレーエイドはいつも通り、期待を裏切らない味でした。
ここで15分ほど休んで、ライトジャケットを着て出発した。
1時間15分でガーデンテラスに到着。3時45分。今回は片道なので、せめて9時間以内と思っていたのだけれど、ちょっと微妙なタイムだ。あと2時間15分でゴールしなければならない。
一軒茶屋手前で最後の南側の夜景。これは大阪方面。
一軒茶屋にもエイドは無く、今回、夜間のまともなエイドは菊星台だけだった。
東六甲縦走路の下りは苦手だ。どうも気分が乗らない。特に前半はちょっとした登り返しが多くて、なかなか高度が下がらない。掘れて歩きにくい場所も何カ所かある。
昨年はこのあたりでどんどん意欲が減退していったのだけれど、今回も同じような感じになってきた。「最低でも9時間以内」という目標達成も怪しくなってきて、それがさらに意欲減退に拍車をかけた。
今度こそ大会参加はこれを最後にしようと改めて思った。長時間のレースではゴールが見えてくるとたとえタイムが悪くてもそれなりの気分になってくるのだけれど、昨年、今年と、もうそういう気分にはなれなくなってしまった。
マラソンでも50歳を越えてからの大会ではゴールしても充実感や満足感を感じたことはほとんど無かった。
気持ちを切り替えて、残りは「大会」という雰囲気をしっかり味わっておこうと思った。
持参したスィートポテトを食べて、薄ら明るくなってきた山道をゆっくり走った。
が、塩尾寺が近づいて来た時、ここで一踏ん張りすれば9時間以内でゴールできそうだと思い直した。
車道を下って、展望台からの下りを車道を走るか階段をショートカットするか迷ったけれど、距離の短い階段を選択した。
ゴールの塩尾寺下の広場に到着したのは5時57分。8時間57分だった。
片道ではゴールしても満足感や充実感というものはまったく無く、最低限度のタイムは何とかクリアできたという安堵感だけだった。50歳を過ぎてからのマラソンのゴールの時と同じ気持ち。
行く前には、ゴールしたらひょっとして往復したいという気持ちが出てくるのではないかと思っていたのだけれど、そんな気持ちは微塵も起こらなかった。
家に帰り着いたのは朝の9時前。素晴らしい好天の日曜日だ。こんなに素晴らしい天気の週末を、六甲の夜間走のためだけに潰してしまったのがもったいないという気持ちになった。
大会にエントリーすることでその大会に向けて多少の準備はするし、それによって少しでも体力低下が抑えられれば、それが登山の体力維持にもつながるという面はあるので、大会参加を辞めることによるマイナス面も考えないわけにはいかない。
ただ、昨今は大会参加費が高騰しており(キャノンボールは除く)、今さら荒天のレースを致し方なく走るというようなことまでしたくは無いので、ひとまず大会参加はこれで終わりにしようと思う。
国見山
昨日(3/19)は随行で国見山へ行ってきた。「国見山」という山名の山はたくさんあるけれど、今回は奈良の春日山の近くにある国見山。
この講座は登山講座の中で最も初心者クラスで、前日昼前の気象庁の天気予報で行き先方面の降水確率が 50% を越えると延期になる。当初は 3/5 に予定されていたのだけれどそのせいで延期になってしまった。実は2日ほど前にはまたもや延期になりそうな雰囲気だったのだけれど、前日の予報では 30% になってくれて、かろうじて決行となった。
しかし午後の降水確率は高くて、今日は間違い無く雨という覚悟で集合の近鉄奈良駅に向かった。家を出る時はすでに雨が降っていた。
奈良は雨が多いという印象があるが、近鉄奈良駅に着いた時は雨は降っていなかった。路面も濡れていない。
しかし日程が変更になったり、今日も雨予報ということで欠席者が多くて、わずか5名のご参加となってしまったのだけれど、参加者の顔ぶれを見るとスムーズに行動できそうな感じ。
当初、バスで登山口まで行く予定だったけれど、何と二日前にバスがダイヤが変わっていて、予定の便が無くなっていた。致し方なくタクシーに分乗して行ったのだけれど、4人乗車ならバス代より少し高いくらいの費用で済んだ。郊外のバスは割高だ。
バス停から南に見えるのが国見山。標高 680m の山なのだが、ここはすでに 400m くらい。
しばらく車道を行く。
春日宮神社。志貴皇子(しきのみこ)が奉られている。壬申の乱では大海人皇子(天武天皇)についたけれど、天智天皇の皇子だったので出世とは無縁で、政治よりも和歌など文化の世界に生きた。
写真右下の歌碑は万葉集にある「石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」。
ようやく登山道に入る。
路面がコンクリートの急坂を登る。もし雨だったら滑って登れないかも・・・と思えるくらいの急坂だった。
急登が一段落すると西側の展望が開けた。奥は生駒山。その手前にはほんの2日前に駆け抜けた矢田丘陵。右の方には交野山も見えていた。
最後のひと登り。
11時過ぎに国見山(680m)に到着した。
ここからの葛城金剛や市街地の眺めも素晴らしく、ちょっと早いけれど昼食タイムにした。
昼食後は稜線を東に向かう。15分ほど歩いて三角点(666.2m)。
さらに10分ほどで塔の森の六角六重石塔(奈良時代の創建当時は十三重だったらしい)。
ここは稲荷神社で、参道を下ると日吉神社。そばにはフキノトウがあった。
少し下ると車道に出た。
車道を北に向かってしばらく行くと南田原磨崖仏。鎌倉時代と室町時代に彫られたもの。
このころからついに雨がポツリポツリと落ちてきたけれど、幸い小雨程度。
少人数で足が揃っていたので帰りのバス停には乗る便の1時間以上前に着いたので、ちょっと足を延ばして太安万侶の墓に向かった。
ちょっと遅い感じがするけれど、ロウバイ。
20分ほど歩いて、今度も急なコンクリート急坂を上がった所にあった。
昭和54年に茶畑の改植中に発見されたらしい。銅製の墓誌が出土して、奈良時代の遺構にしてはめずらしく出土状況がはっきりとわかった。
バス停には3時過ぎに戻ってきた。
完全に雨の一日を覚悟してきたのだけれど予想外の天気で、晴れ間こそ無かったものの山頂からの展望は素晴らしく、太安万侶の墓まで訪れることができて、充実した一日だった。
矢田丘陵
来週末はキャノンボール。何だかんだ言ってもやはり大会を控えると「準備をしなければ」という気持ちが自然と湧いてくる。
そんなこともあって先週は磐船神社まで往復したのだけれど、今週も走れるコースということで矢田丘陵に行くことにした。
矢田丘陵は一昨年の秋に法隆寺から家に向かって走ったのだけれど、今回は逆コースで行くことにした。
その心は、生駒市の総合公園の先でロストした部分をクリアしたいと思ったから。
気温はやや低めだけれど天気は快晴で、7時25分に家を出た。
穂谷川の河津桜はこの1週間でほぼ葉桜になっていた。
8時48分に交野山(341m)に到着。実は今日の最高標高地点。観音岩の上から愛宕山を眺める。
今日はほしだ園地に入って、久しぶりの飯盛霊園。
むろいけ園地への道を見送って、田原の住宅街を越え、R168 を渡って前回ヤブ漕ぎして下りてきた道に入った。
ほとんど人が入っていない感じだけれど、一部不明瞭な所を強引に進んで、見覚えのある鉄塔に出た。
ここまで来ればもう大丈夫。無事、運動公園のグラウンドに出た。
しばらく車道を走って、ようやく矢田丘陵の入り口に到着した。10時52分。出発してから約3時間半。距離的には半分を少し超えている。
静かな山道を走って、どんでん池へ。
阪奈道路を橋で渡る。
ムノ峯上池のベンチでおにぎり休憩。
県道702に下りる。
この道を反対側に渡るのだけれど、本来は信号のある所まで行かなければならない。しかしそれが非常に遠い。往復で1kmくらいあるのではないかという感じ。
前回来た時はわりとあっさりと車道を渡れたのだけれど、今日はどちらの方向も車が多い。片方が空いたら反対側が混むという状態がしばらく続いたのだけれど、信号のある場所まで行く気にはならない。
数分くらい様子を見ていただろうか。ようやく車間が少し開いているタイミングがあったので、そこで強引に渡った。ここは何とかしてほしいというのが正直な気持ち。
帝塚山大学のそばを通って、気持ちのいいトレイルを進む。
12時10分、榁木(むろのき)峠に到着。
矢田山(340m)には12時半に到着した。展望やぐらの上からは生駒山がすぐそこに見える。
矢田峠を越えて、まほろば展望休憩所からの桜井、明日香村方面。ここでぼたもち休憩。
午後1時すぎに松尾山(315.1m)に到着した。
前回来た時はここまで車道を上がってきたのだけれど、随行で来た時に、ここから松尾寺に出られるのではないかと思える道に出会ったので、そこへ行ってみることにした。
期待通り、松尾寺の上に出ることができた。
前回来た時、松尾寺の上から松尾山に行く道があるのではないかと思って上に上がってみたのだけれど、結局見つけることができずに戻って車道を行った。今日、下りてきた所はその時に上がったはずの場所なのだけれど、どうして気が付かなかったのだろうか。
あとは法隆寺まで淡々と下るだけだったのだけれど、途中で「古道七曲道(ななまがりみち)」という標識に出会った。看板を見て、何となくゴルフ場の方に下りられるような気がして、吸い込まれるようにそちらに行ってしまった。
どうも下る方向があまりうれしくない方向だと思っていたら、車道に飛び出した。松尾寺に上がる車道だった。
下りたのは数分程度だったので登り返そうかと思ったのだけれど、前回と同じ道を行くよりは知らない道を行った方が楽しいかも思って、ここまま車道を下ることにした。
ちゃんと抜けられるのだろうかと不安を感じながらゴルフ場の取り付け道路に入ったのだけれど、うまく抜けることができた。
そして前回通った道に戻って、斑鳩神社。
せっかくなので法隆寺にも立ち寄った。ただし中には入らず。
JR法隆寺駅に着いたのは午後2時15分だった。
前回は藤ノ木古墳に寄ったり、何度か道迷いがあったりして、43km で8時間だったのだけれど、今回はおおむねスムーズに行けたので、40km で6時間50分だった。
走るにはちょうどいい気候で、気持ちのいい日だった。
大文字山
水曜日(3/14)は京都一周トレイルの講座で大文字山に登ってきた。
このところ朝方はまだ冷えるけれど、昼間は 20 度くらいまで気温が上がるという日が続いている。どんな服装で出かけたらいいのか悩ましい。
快晴の元、蹴上駅に集合した。
まずは蹴上発電所を橋の上から見下ろす。まだ現役?
ねじりマンボ。南禅寺側から見るとねじれているのがよくわかる。
インクライン跡。
日向大神宮へ。
天の岩戸に入る。
七福思案処。7つの道が交差しているけれど、今は荒れて途中で途切れている道もある。
山科方面を望む。気温が高くて、遠方は霞んでいる。
今度は西側の京都市内方面。
鹿ヶ谷へ下る分岐の四ツ辻。
おそらく何らかの事情があったのだろうと思うけれど、京都一周トレイルコースは大文字山には登らずにここから鹿ヶ谷へ下りている。
しかし山頂はすぐ近くなので、山頂に寄って昼食にした。
山頂(466m)からの京都市内方面。
昼食後は四ツ辻に戻って鹿ヶ谷へ下りる。
俊寛僧都忠誠之碑。
そして桜門の滝。なかなか立派です。
ほどなく車道に出て、急な舗装道路を下る。
途中、法然院などに立ち寄りながら、銀閣寺道で解散となった。
まだ2時半くらいで時間はたっぷりあったのだけれど、翌日も講座がひかえていたのですんなり帰ることにした。
友ヶ島
友ヶ島というのは関西エリアでは有数の観光地だそうだけれど、私はこれまでまったく知らなかった。
おそらく仕事でもなければ来ることは無いだろうと思えるその友ヶ島に、随行で行ってきた。
南海の加太駅から 15 分ほど歩いて、港から船に乗る。
ちょうど観光シーズンだそうで、船の予約の都合でもともと 3/18 の予定だったのが 3/11 になった。
港に着いた時はほとんど客がいなかったのだけれど、乗船時間が近づくとたくさんの人がやってきた。
定員 100 人少々という船がほぼ満員で出港。沖ノ島に近づいてきた。
20 分ほどで野奈浦桟橋に到着した。
まずは西の方に向かう。
この島は明治時代に日本軍が、大阪湾に侵入する外国船を防ぐために砲台を造った。その後も第二次大戦までは要塞施設として使用されて、一般人は立ち入ることができなかったらしい。
ただ、これらの砲台は実際に使用されることは無かったとのこと。
まずは第二砲台跡。
まだ現役の友ヶ島灯台。
淡路島はすぐそこだけれど、行こうとすると明石海峡大橋経由でないと行けない。
旧海軍聴音所跡。
第五砲台跡。
小展望台からは北に六甲。
大展望台で昼食にした。
すぐそばにはコウノ巣山三角点(119.7m)があります。
お次は第三砲台跡。ここはヘッドランプ必携。
当初は東端の虎島まで行く予定だったのだけれど時間切れのため、深蛇池に向かった。
すぐそばの浜辺からは加太が望める。
日曜日とあって観光客も多く、午後は船が 30 分毎に運行されていたので、スムーズに帰ることができた。
廃墟マニアには人気のエリアだそうだけれど、こんな機会でもなければ来ることも無いだろうという感じ。
ただ、快晴無風の絶好の天候だったので、気持ちのいい一日を過ごすことができました。
磐船神社
交野の磐船神社はずいぶん昔に車で寄った記憶があるのだけれど、どんなところだったのかはまったく覚えていない。
古代の歴史の本を読んでいると、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」が天の磐船に乗って降臨されたという神話があって、神話はさておき、また一度じっくりと訪れてみたいと思っていた。
実はつい先日から家のリフォーム工事が始まっていて、工事の音がうるさくて家にいていられない状況になっている。
そんな訳で、朝に生協に買い物に行った後、絶好のチャンスと思って磐船神社に向かった。
家を出たのは 11 時過ぎ。交野の山に向かうのはずいぶん久しぶりだ。一時期は毎週のように通っていたのだけれど。
穂谷川の河津桜。
国見の坂を登ってスパバレイ。
登山道に入ると昨秋の台風のツメ痕?
そして白旗池。なぜかなつかしい気分。
交野山の直下は何年か前から丸裸状態。
交野山の山頂(341m)からはアベノハルカスも見えた。出発してから1時間 20 分。
くろんど園地の未舗装車道を下って、休憩所でおにぎり休憩にした。
ゴルフ場の取り付け道路からは生駒山。
R168 を渡っていよいよ磐船神社に向かう。
ほしだ園地への道を見送る。
その後ほんのわずかで磐船神社に到着した。出発してから2時間 20 分だった。
ご神体の「天の磐船」。先代旧事本紀によると饒速日命は天の磐船に乗って降臨されたという。
岩窟の拝観は有料(500円)だけれど、ここまで来てケチるわけにはいかない。万が一のために持ってきた千円札1枚が役に立った。
一人では入れないとのことで、神社の方が付き添ってくれるとのこと。無料の専用ガイドだ。
若い男性に付き添われて中に入る。荷物は預けて、カメラも禁止。確かにこれでは荷物があったら通過できないと感じる箇所があった。白ペンキで矢印は書かれているものの、暗い場所ではどこを指しているのかよくわからない。
岩窟めぐりは数分程度で終わって、天の岩戸に立ち寄ってコース終了となった。ほんの 10 分程度。
平安時代から修行の場だったとかで、終わったら修了証書をいただきました。
修行が終わったら早々に帰路に向かう。ゴルフ場の取り付け道路の登りは何とか最後までジョグで上がった。
おにぎり休憩した休憩所で今度はようかん休憩。
そしてくろんど園地の未舗装車道の登りも何とかジョグで上がりきった。
復路の消化試合は気持ちを保つのが難しいけれど、キャノンボールのことを考えてたとえペースは遅くても極力ジョグで行くようにした。
津田サイエンスヒルズに戻ると、正面に愛宕山が望めた。
家に帰り着いたのは午後4時過ぎ。約 34km、5時間のトレランでした。
東六甲縦走路
昨日(3/3)は登山講座の六甲全山縦走最終回で、有馬温泉から出発して東六甲縦走路を宝塚まで歩いてきた。
集合は神戸電鉄の有馬温泉駅。
金の湯の前を通過します。
車道を 20 分ほど歩いて魚屋道(ととやみち)の登山口へ。
しっかりした広い道を歩いて、茶屋跡で休憩。
それから 50 分ほど歩いて一軒茶屋前の広場に出た。ちょっと早いけれどここで昼食。
ここから前回の続きで宝塚を目指す。
このあとも忠実に縦走路を辿ります。
例のトンネルも登山路で上を越える。崩壊箇所有り。
その後はしばらく車道を行って、縦走路に入る。
船坂峠。
その後も順調に進んで、2時 45 分頃に塩尾寺(えんぺいじ)に到着した。
塩尾寺下のカーブから眺める大阪方面。奥にうっすらと見えているのは生駒山系。
3時半過ぎに無事、宝塚にゴールした。
昨年 10 月から6回に渡って歩いてきた講座がこれで終了した。
個人的には大会などで六甲全山縦走は 20 回くらいはやっていると思うけれど、一軒茶屋から東の部分など、これまで一度も歩いたことの無かった部分が歩けたのは楽しかった。
私にとっては六甲イコール全山縦走という感じで、稜線の途中に出る道はあまり歩いたことが無かったので、そこを歩けたことも良かった。
これまでいつも駆け抜けていた所で、実は見所がいくつもあったというのも新たな発見で、楽しい半年間でした。
堂満岳、武奈ガ岳
この冬は雪が多いのでぜひ比良に行ってみたいと思っていたのだけれど、天候がうまく合わなくて、まだ一度も行けないでいた。
昨日の土曜日(2/24)は好天予報で、いよいよチャンス到来ということで、久しぶりに雪の比良に向かった。
8時過ぎに比良駅に到着した。気温は低めだったけれど穏やかな好天で、ライトジャケットも脱いで長袖アンダーと長袖シャツで8時20分に出発した。
比良駅で下車した登山者は 10 人足らず。私以外はみんな冬山装備で、私も若い頃はこの時期の比良と言えばそれなりの気合いと覚悟で入山していた。
今日は果無山脈敗退の教訓でポールとチェーンスパイクは持ってきたものの、シューズはゴアテックスのトレランシューズだった。
駅前からは正面に今日の最初の目標の堂満岳が見える。
しばらく車道を走る。
目の前にびわ湖バレイの打見山(左)から堂満岳(右)へのスカイラインが望める。
未舗装と舗装路が交互に現れて、出発して 23 分で堂満岳への分岐に出た。
この道は2年前に随行で堂満岳へ行った時に降りてきた。
まさかこんな所で道を間違うはずは無いと油断していたら、いつの間にやらずいぶんルートからはずれていた。本当はすぐに左の沢を渡らなければならないのだけれど、沢沿いの踏み跡をそのまま進んでいた。
実際はほんの数分程度だったと思うのだけれど、なぜかすぐに引き返すという判断ができず、地図を見て、このままこの沢をつめていけば正しいルートに合流できると考えて、強引に突き進んだ。
すぐに古い堰堤が現れて、左岸から乗り越えた。上部ではちょっと緊張した。
また沢に下りて、ポールを出して少し進んだら、ちょっとした滝が出てきた。
強引に越えようとすれば越えられないことはなさそうだったけれど、両側が迫ってきているのが不気味で、このまま進むと行き詰まってしまうと思った。比良の沢は甘くは無い。
諦めて戻ることにした。失望感で一杯だった。まだ序盤で時間はたっぷりあったけれど、そういう冷静な気持ちになれなかった。
堰堤は今度は右岸から越えようとした。しかし上に上がると、沢に下りる斜面がかなりの急傾斜で、ちょっと躊躇した。
しかし逆に斜面の上の方はそれほどの急傾斜ではなく、ヤブも大したことが無さそうで、地図を見るとこの斜面を上がれば正しいルートに出られそうだ。
木の根をつかんで強引に這い上がったら、踏み跡のような地形に出会った。赤テープもある。
こういう植林のテープはルートの目印ではなくて林業者が仕事のために付けたようなものがよくあるので、安易に追っていくととんでもない所に行ってしまうことがしばしばあるので、gps で現在地を確認しながらこの踏み跡を追った。
うまい具合に本来のルートに近づいてきて、いつの間にやら正しいルートに合流していた。
ほどなくノタノホリに出た。
ここまで出発してから1時間5分だったので、おそらくロスタイムはほんの10分くらいだっただろう。これで気分がすっかり回復した。
本来のルートに出ると路面が踏み固められているので、チェーンスパイクを着用した。
沢筋に出ると登りが急になって、ぐいぐい高度が稼げる。おかげで汗が滴ってきた。
斜面を上がると気持ちのいい稜線に出た。
そして最後の登りにさしかかる。
この斜面は無雪期にはロープが張られている箇所で、かなりの急傾斜が続く。
チェーンスパイクはツァッケが小さいので、堅い雪面なら良く効いてくれるのだけれど、軟雪だとほとんど役に立たない。おまけに手に持っているのはピッケルではなくて超軽量トレランポールなので、もし足を滑らせたらどこまで落ちていくことやら・・・。今日の装備ではここを下ることはできない。
一歩一歩雪面にシューズを蹴り込んで急斜面を這い上がって、10時45分に堂満岳の山頂(1057m)に到着した。出発して2時間25分だった。山頂の標識は完全に雪に埋もれている。
比良は高い山でも 1000m 少々なのだけれど、琵琶湖側から登ると出発地点が標高 100m くらいしかないので、登る標高差はなかなかのものだ。京阪神から日帰りエリアでこれだけの標高差が登れるのは比良くらいしか無いのではないだろうか。
山頂から武奈ガ岳を望む。
ジェルを補給して写真を撮ったら早々に金糞峠に向かう。
20分ほどで金糞峠に到着。
沢に下りて、中峠に向かう。
今日はできるだけ同じ道を通らなくて済むようにルート設定してきた。中峠からコヤマノ岳を経て武奈ガ岳に向かうつもり。
沢を渡ったらすぐ前の斜面にはっきりしたトレースが上がっていた。中峠へのルートとはちょっと違うような気はするのだけれど、あまりにもはっきりしたトレースで、方向としては悪い方向ではないので、このトレースを追うことにした。
どうも中峠を経ずにコヤマノ岳に直接上がるルートのようだ。ただ、このルートは手元の登山地図にも地形図にも載っていない。テープマークもしっかりしているので、積雪期限定のルートということもなさそう。
日が陰ってきて気温が下がってきていて、山頂に上がると風が吹いているかも知れないので、山頂のちょっと手前の樹林帯でおにぎり休憩にした。
そして沢筋から 50 分ほどでコヤマノ岳(1181m)に到着した。
鞍部に下りると、武奈ガ岳の山頂が指呼の距離に望める。山頂の人混みがはっきり見える。
上部は寒そうなのでここでライトジャケットを羽織った。
武奈ガ岳で雪庇を見るのは初めて。
12時22分、混雑する武奈ガ岳山頂(1214.2m)に到着した。比良駅からほぼ4時間だった。
遠方は霞んでいて、展望は今ひとつ。これは北方で、手前が釣瓶岳(ツルベ)、後方は蛇谷ヶ峰。
写真を撮ったら早々に下山。ここの下山路は無雪期は歩きにくいのだけれど、今日は雪で舗装されていて快適に下れる。
樹林帯に入ると一気に暑くなってきたのでライトジャケットを脱いだ。
イブルキのコバを通過。
スキー場のゲレンデ跡。
八雲が原でちょっと休憩しようと思っていたのだけれど、やはり何人か人がいたので、北比良峠へ少し向かった所でいちご大福休憩にした。
武奈ガ岳からほぼ1時間で北比良峠まで下りてきた。
このあとはダケ道を下りる予定なのだけれど、実はこの先に不安ポイントがある。左側に崩れた急斜面があって、滑りやすい道をトラバースしなければならない。はたしてそこの雪がどんな状態になっているだろうか。
写真では見えないけれど、ここの左下は無木立の急斜面が下の沢まで落ちている。ここで滑ったらまず生きては帰れない。
登山靴にアイゼン、ピッケルであればそれほど困難な斜面ではないのだけれど、いかんせんチェーンスパイクにトレランポール。
考えても仕方無いので足を踏み出した。一歩一歩足元をしっかり確認してトラバースをやり過ごし、軟雪の急斜面を這い上がって上に出た。何と、上に出たらこのトラバースを避けているトレースがあった。どこから始まっているのだろう。
ここが過ぎればあとは淡々と下るだけ。
途中、木の間から堂満岳を東から眺めることができた。登った斜面はやはりなかなかの急傾斜。40度くらいはありそう。まぁ40度ならスキーでも滑れる斜度ではあるけれど(今はムリ)。
北比良峠から50分ほどで大山口に降り立った。
チェーンスパイクを洗って、ポールをしまって、舗装車道は走った。
イン谷口の出合小屋は土台のみ。
このあとも舗装車道は走って、比良駅が見えてきた。
比良駅には午後2時50分に戻った。出発してから6時間半だった。
やはりと言うべきか、冬の比良は甘くは無かった。正直なところ、今日の装備で行ける限界を超えていたと思う。先日の果無山脈や昨年の大峰など、やはり 1000m を越える山域ではまともなアイゼンとピッケルは必須だと思った。
ただ、シューズに関してはこのくらいの山域で好天、日帰りならトレランシューズ(ただし防水機能があること)の方が軽くて楽だ。車道や林道で走れるというメリットもある。
昨年3月の山上ヶ岳ではトレッキングシューズと、amazon で買った安いアイゼンで十分だったので、今度はトレランシューズにこのアイゼンを試してみようと思う。