水曜日(6/14)は京都一周トレイルの講座の随行で奥比叡の横高山、水井山を歩いてきた。一周トレイルコースの中では最も標高の高いエリアだ。
先月、横川で終わってから歩いて下山した道を逆に辿って、登山口のバス停から横川に向かった。
比叡山のトレイルレースのコースを辿ってせりあい地蔵に向かう。
バス停から 45 分でせりあい地蔵に到着。なかなかの登りで、汗をかいた。
ここから 10 分少々で横川のバス停に到着した。
みなさんはバスでここまで来られて、せりあい地蔵に向かって歩き出した。
一人だと気付かないけれど、コアジサイ。
タツナミソウ。
せりあい地蔵でトレイルコースに合流して、急登を登る。
10 分ほどで横高山山頂(767m)に到着した。
一休みして、水井山に向かう。
11 時半過ぎに水井山(793.9m)に到着して、ここで昼食にした。一周トレイルコースの最高標高点。
あとは下山路で、仰木峠へ。
義経も通ったとか。
今日は空気の澄んだ快晴なのだけれど、コースはずっと樹林帯で展望の得られる箇所がまったく無い。
これではもったいないということで、時間もあるので少し北に登って展望場所に寄り道した。
ずっと向こうに見えるのはつい先日歩いた鈴鹿の御池岳から藤原岳の稜線。
東海自然歩道から分かれて戸寺へ下りる通称ボーイスカウト道に入る。
バス停に出る手前でまたちょっと寄り道して、惟喬親王の墓へ。
2時半頃、戸寺のバス停で解散となった。
大津の坂本にお住まいの講師の先生は仰木峠に登り返して自宅まで歩いて帰るとのことだったが、私は今日は早めに帰りたかったので、次のバスで真っ直ぐ帰った。
鈴北岳、御池岳、藤原岳
このところまともな山登りに行っていないという気持ちが心の底に淀んでいた。
この週末は今月で唯一、土日で出かけられる日だったのだけれど、梅雨入りしてしまって天候が不安定。
本当なら雪のある山へファストパッキングで出かけたいところなのだが、この天候では高山ではさらに不安定だろう。
仕方無く日帰りエリアでそこそこ満足感が得られそうな所ということで、最終的に鈴鹿を選んだ。
このあたりは高校生の時に友人と二人でテントを担いで歩いたことがある。しかしその頃の記憶はもうまったく無い。
覚えているのは、道がよくわからなくて1日目は水の無い場所に泊まらざるを得なくなり、わずかな水でフリーズドライのチャーハンを食べたことくらいだ。
その頃は鈴鹿にテント泊で行くというのはなかなかの大仕事だったのだけれど、今日は登り口の鞍掛橋まで家から車で1時間半足らずで着いてしまった。
堰堤に掛けられた脚立を登る。
私の持っている古い登山地図にはここから鈴北岳へ登る道は御池谷をつめるルートしか無いのだけれど、今は尾根を登って鞍掛峠からの稜線に上がる道があるようで、こちらの方が一般的になっているようだ。
御池谷をつめるルートは難路になっている。おそらく大水などで荒れているのだろう。昔来た時はこの沢ルートを上がったような気がする。
沢の横の平坦な道を少し行くと、いきなりロープのたらされた急登が始まった。
石の出っぱりや木の根をつかんだりしながらぐいぐい上がる。雨の日だったら登れない(下れない)だろう。
しばらく登ると送電線の鉄塔に出会った。
もともとは鉄塔の巡視用の道だったのではないかという気がする。
向こう側の斜面に見えている R306 は今は通行止めになっていて、三重県側には行けない。
一気に高度が稼げて、鞍掛橋の標高 425m から稜線の約 1000m まで 50 分ほどで上がることができた。
鞍掛峠からの道の合流地点はテープ印はたくさんあったけれど、標識はまったく無かった。
急に開けて、気持ちのいい山稜になった。ここまで来ると人が多い。鈴北岳はもうすぐ。
鈴北岳(1182m)には8時 20 分。出発して1時間 10 分ほどで到着した。
標識の向こうの山は伊吹山。
御池岳はすぐそこに見える。
鈴鹿最高峰の御池岳(1247m)には8時 47 分に到着した。
展望も無いので早々に先へ向かう。
しっかりした道標に導かれて、コグルミ谷からの道との合流地点。
ここから先はまた静かになって、アップダウンの少ない樹林帯の道を白瀬峠へ。
突然視界が開けたと思ったらまたもや送電線の鉄塔で、ここには頭陀ヶ平という三角点(1143m)があった。
振り返ると御池岳。
またもや樹林帯を淡々と進んで、分岐を少し西へ行って天狗岩(1171m)。
ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩。藤原岳ももう近い。
視界が開けて、藤原小屋が見えてきた。このあたりまで来るとまた人が多くなった。
2年前に随行で来た時は天気が悪くて藤原岳山頂へは行けずに、この小屋で昼食をとって下山した。
藤原岳(1140m)には 10 時 50 分に到着した。出発してから3時間 40 分。思ったより早かった。
あとは来た道を戻るだけの消化試合。あまり大きな登り返しが無いのが助かる。
帰りは御池岳はカットして沢筋の道を行く。
しっかりした道標が立っていたので安心して進んだのだが、どうも様子がおかしい。
案の定、沢筋はすぐに行き止まりになった。
どちら側に上がったらいいのかわからなかったので、斜面を見てみると右岸(左側)に這い上がっている痕があったので、そこを上がってみた。
しかし道は見あたらず、どうも反対側が正解のようだ。
一旦下りて、うろうろしながら這い上がれそうな場所を見つけて、今度は左岸に這い上がった。少し登ったら踏み跡が見つかった。
しっかりした道標が立っているわりにはずいぶん荒れた道だ。ほとんど人が歩いていない感じ。石もコケがびっしりとついたままで、歩かれた痕跡が無い。
想定外の不明瞭な道だったけれど、無事、行きに通った分岐に合流した。
この先は行きに確認していた不明瞭な踏み跡で少しショートカット。
鈴北岳は山頂をカットするトラバース道があったけれど、もう一度山頂に出てどら焼き休憩にした。
鈴北岳から 50 分ほどで無事下山することができた。まだ午後2時前だった。
若干もの足らない感じは無きにしもあらずだったけれど。このところ溜まっていたストレスは解消できたかなという気はしている。
矢田丘陵のち烏土塚古墳
月曜日(6/5)は登山講座で矢田丘陵へ行ってきた。矢田丘陵は昨秋に法隆寺から自宅まで走っている。
朝から快晴。近鉄郡山からバスで矢田寺前へ。
坂道を上がってアジサイで有名な矢田寺(金剛山寺)へ。ただし今日は中には入らない。
寺の北側の山道に入る。
所々に石柱がある。
歩き出して1時間くらいで矢田山(340m?)に到着。
展望デッキへ上がる。
生駒山がくっきり。
矢田峠に下りて、南へ向かう。
そして松尾山手前の国見台展望台で昼食。
ここから奈良方面の展望は素晴らしい。
昼食後は松尾山(315.4m)へ。
昨年来た時工事していた電波塔は完成していた。
今日は白石畑に下る。
ほどなく白石畑に到着。
ここから後は史跡めぐり。まずは素佐男神社。
しばらく車道を下って平等寺春日神社。
南に向かってまたまた春日神社。
このすぐそばに宮山塚古墳。5世紀後半のものらしい。
ここの少し南に椿井井戸(つばいいど)。
聖徳太子の云われがあって、今も水が湧いている。とても飲めるようなシロモノには見えなかったけれど。
最後に線刻石仏。鎌倉時代のものとか。
竜田川を渡って竜田駅に向かう。
2時半過ぎに竜田駅に到着して、ここで解散となった。
私はこのあとみなさんと分かれてすぐ近くの烏土塚古墳(うどづかこふん)に向かう。
駅から数分の所にある石段を上がって、前方部に上がる。
墳頂からの眺めは素晴らしい。これは明日香方面。
後円部を下りると石室を覗くことができる。
かなり大きくて石舞台古墳に匹敵するくらいの大きさで、その当時(6世紀後半)の平群氏の勢力の大きさを伺わせる。
好天に恵まれて楽しい一日でした。
弥十郎ヶ嶽
土曜日(6/3)は随行で北摂の弥十郎ヶ嶽へ行ってきた。山名は知っていたけれど、行くのは初めてだった。
講師の先生が「同じ講座では同じ山には行かない」というポリシーで数年続けてこられたせいで、もはや遠くて不便な場所しか残っていない。一昔前はマイクロバスをチャーターすることが多かったけれど、バス料金の高騰と受講生の減少というダブルパンチで、どうしても公共交通機関を使わざるを得なくなっている。
しかしさすがにこのポリシーもそろそろ限界という感じで、行ったことのある山を時期やコースを変えて再訪ということにもなりそうだ。
今回も京阪、JR、阪急、能勢電鉄、さらに1日に2便しかないバスで、トータル3時間ほどかけて、篠山の南部の後川(しつかわ)という所までやってきた。4時間くらいかけてやってこられた方もいらっしゃると思う。
少し車道を歩いてから林道に入る。
林道をつめて、いよいよ山道へ。
しばらく谷筋を上がる。
が、このあたりから道が不明瞭になってきた。道があるのか無いのかよくわからないような状態なのだが、所々に古いテープが残っている。
本来のルートはもう少し東の尾根に乗るはずなので、講師の先生と二人でヤブ斜面を強引に上がってルート探索へ。
尾根上も古いテープは所々にあるものの、道らしきものは見あたらない。しかしヤブはそれほど濃くないので、みなさんを誘導してここから山頂に向かう。
八上山石標を発見。
ちょうど昼前に無事、弥十郎ヶ嶽の山頂(715.1m)に到着した。
篠山盆地が眺められるが、木が茂っていて全容は見えない。右の方は多紀アルプス?
下山は篭坊温泉方向へ向かう。
少し下ってハハカベ山石標。
峠を越えて、丈山を目指す。
丈山乗越。
無事、丈山(南峰?)に到着。標高がはっきりしないけれど、多分 723m くらい。弥十郎ヶ嶽より少し高い。
丈山乗越に戻って、農文塾コースを下山する。
フタリシズカ。
ほどなく茶畑に出た。
このあとは車道を 3km ほど歩いて、スタート地点と同じ後川のバス停にゴールした。1日2便のバスの 20 分前くらいに到着した。
こんな機会でも無ければ来られない貴重な山でした。
ほしだ園地、交野山マラニック
日曜日(5/28)は好天のもと、陸上クラブ恒例のマラニック大会だった。
今回は3種類のコースが用意されて、私は一番人気の中級コースに入った。
スタートは京阪交野線の河内森駅。ゴールはみんな同じでスパバレイ枚方南なのだけれど、バスで帰るのは面倒なので、いつも朝に自転車でスパバレイまで行って、ここに自転車を置いて集合地点の河内森駅までジョグで行く。
少し早めにスパバレイに着いたら、一緒に行こうと集まっている人達が数人いて、私もその後ろから付いて行くことにした。
しばらく第二京阪の側道を行くのだけれど、どうもみんなこのままこの道を行きそうだったので、私は JR を渡る少し手前で南の方へ行く道に入った。他にも集団から分かれる人が二人いた。
スパバレイから 30 分ほどで河内森駅に到着。すでに何人か集まっている。
今回は参加者が多く、25 人くらいはいたように思う。中級コースは 16 名だった。
最初は上級、中級とも同じ道を辿って、途中で分かれて、我々は最短距離でほしだ園地に向かう。
クライミングウォールではコンペをやっていた。
20 年くらい前に何度か来たけれど、壁の形状が昔と変わっているような気がする。昔は半分くらいまでは単調な垂壁だったように思う。昨年も来たのだけれど。
きつい坂を何とか最後までジョグで上がりきって、星のブランコに到着。
星のブランコを渡って峠に上がって、展望台に寄り道。
R168 まで一気に下って、苦しくてしかもおもしろみの無いきさいちカントリークラブの取り付け道路を上がる。
先導者は最頂部でも止まらずそのままくろんど園地へ。
くろんど園地のトイレでちょっと休憩。このあたりでは別ルートを走ってきた上級コースのグループと相前後した。
ここからいつもは単調な林道登りなのだけれど、今日は山道を行く。私は初めてで、なかなか楽しい道だった。
交野カントリークラブに入る所でまたちょっと寄り道して、交野山(341m)に到着。
箕面から高槻の山々。
さらに国見山(284m)へも寄り道。
9時に出発して、12 時 10 分にスパバレイにゴールした。
暑さのせいもあって、結構疲れた。念のためにと思って飴玉を二つ持ってきておいて良かった。ガス欠一歩手前だった。
1年ぶりにスパバレイの温泉につかって、ビールと食事。
その後はこれも恒例で、近くの店で酒を買って、公園の芝生で二次会となった。
私は自転車で帰るので自分ではカップ酒一つだけにしておいたのだけれど、いつの間にやら追加分が出てきて、帰りの自転車はかなりヤバかった。
数年前に自転車酔っぱらい運転で自爆して、鎖骨骨折、入院手術になった時の再現になるのではないかとハラハラしながらの帰宅でした。
鳩ヶ峰、樟葉宮跡
翌日に陸上クラブのマラニック大会を控えた土曜の午後、疲れをあまり残さないようにということで、近場でまだ訪れたことの無い場所を訪ねてみることにした。
男山から石清水八幡宮への丘陵地は、マラソン全盛期の頃は淀川と並んで練習のメインコースだった。その頃は今よりも男山に近い場所のマンションに住んでいたので、ちょうど丘陵地の稜線にあたる道路で片道約 5km のコースを設定して、週末にはそこを3往復やるのが定番メニューだった。何カ所か信号があるけれど、その当時はそんなこともそれほど気にならなかった。
結婚前の一時期、門真の方に職場があったので、このあたりには2年半ほど住んでいたことがある。その頃は山は細々とはやっていたけれど、ランニングはまだやっていなかった。
石清水八幡宮に西側から上がる道は、急な登りになっている。ここを息を切らせて上がるのがポイントだったのだけれど、今はロードの練習に急な登り坂はあまり意味が無いんじゃないかと思っている。
この丘陵で一番標高が高いのが鳩ヶ峰という山なのだけれど、実はこれまで山頂に行ったことが無い。そもそも最近まで、どこに山頂があるのかということすら知らなかった。
何となく石清水八幡宮のエリアの中にあるんじゃないかと思っていたのだけれど、実は少し西に離れた場所にあった。
急坂を上がりきると北側(左側)にグラウンドがあるのだけれど(ここは昔からあった)、この横からハイキング道路が出ている。
このエリアに入ってすぐのところに左側に標識が立っていたのだけれど、それに気付かずに駐車場の奥まで行ってしまった。
向こうの方に標識が見えたので、それが案内標識だろうと思って近づいたら・・・
この左に斜面を上がっている踏み跡があったので、それを辿ってみたら、しっかりした道に出会った。
この階段を上がった所が鳩ヶ峰の山頂(142.5m)だった。三角点がある。
山頂には祠とお寺の跡(鳩峰国分寺跡)があった。
下山は正しい道で。
実は立派な標識が立っていました。
昔はこのあたりは鬱蒼とした竹林だったのだけれど、宅地開発されて、随分眺めが良くなっている。交野の山や生駒が望める。明日のマラニックは交野山へ。
次なる目的地は樟葉宮跡だったのだけれど、思いのほか近くに和気神社という神社があった。
そばには足立寺(そくりゅうじ)史跡公園。
奈良時代に瓦や土器を焼いた窯の跡。
実はこの時、ここが樟葉宮跡と錯覚していたのだけれど、どうも様子が違う。スマホの地図で確認してみたら、やはり樟葉宮跡はもう少し南だった。
住宅街を適当に行って、木が茂っているエリアに近づくと、ようやくありました。
鳥居をくぐって中に入ります。
交野天神社(かたのてんじんじゃ)。
一瞬、これで帰りそうになってしまったのだけれど、入り口の案内板をもう一度読むと、樟葉宮跡はこの本殿の向こうにあるということがわかって、あわてて戻った。
貴船神社。
継体天皇が 507 年に即位したのはこのあたりと伝えられている。
ここの杜はわりと大きくて、こんな住宅街の中にこんな閑静な林が残っているというのは不思議な感じ。何か異次元の世界に迷い込んだかのような不思議な感覚を覚える場所だった。
そして少し南に鏡伝池(きょうでんいけ)。
これで今日の目的地はすべて終了。
好日山荘の 500 円割引券があったので樟葉駅の店に寄ってみたけれど、3000 円以上買わないと使えないので、結局何も買わずに出た。
最後のおまけは家の近くの片埜神社(かたのじんじゃ)。
いつもただ境内を通り抜けるだけなのだけれど、実は本殿は重要文化財で(この写真の向こう側にある)、かなり歴史のある神社らしい。写真を撮ったのはたぶん初めて。
このあたりにはもう 30 年以上住んでいるけれど、私にとって新鮮な場所はまだまだ残っていると感じた日でした。
リトル比良
昨日(5/21)は随行でリトル比良へ行ってきた。とにかく暑い日だった。
リトル比良は何度か歩いているけれど、直近でももう 10 年以上前。はっきりした記憶は無い。
出発時に思いがけないハプニングが発生!!。参加者のチェックを済ませたはずなのに、いざ出ようとすると一人足らない。
この日、初めて参加された方がおられて、同じ方向に向かう別のグループに付いて行かれてしまったようで、幸い連絡がついたので途中で待っていただいて、無事合流できた。
目指す岳山(だけやま)を望む。
登山口の長谷寺。すでに気温が高い。
少し登って、賽の河原。まったく記憶に無い。
白坂に寄り道。
「弁慶の切石」。この後もこのコースは随所に巨岩があった。
岳観音堂跡。瓦がたくさん落ちていたけれど、わりと新しい感じがした。
暑さのせいか、熱中症ぎみの方が出てきた。休憩を取りながらゆっくり登る。
岳山山頂そばの石造観音三尊。
そして岳山山頂(565m)。
もっと開けて展望のある場所だったような印象があるのだけれど、まったく違っていた。
少し下ったコルのような場所で昼食にした。
昼食後はオウム岩で展望を楽しむ。一番高い山は武奈ガ岳。
これは琵琶湖方面。まだ黄砂の影響が残っているのか、遠方はすっきりしない。
ヒメシャガ。随分めずらしいらしい。
主稜線から分かれて見張山方面へ向かう。
鳥越峰(702m)は何の標識も無かった。
この稜線は歩く人が少ないようで、倒木がたくさんあって道がわかりにくい。数年前までは明瞭なしっかりした道だったそうだけれど。
「鉄砲岩」。
「ろくは石」。
見張山(517.3m)は三角点がある。
少し道をそれて長法寺跡に寄り道。随分大きな寺だったらしい。平安時代から室町時代に栄えたとか。
展望場所からは2月に訪れた沖島。
「馬の足」。
ちょうど下りた所にタニウツギ。
4時前に日吉神社に下山した。
近年は5月にこういう夏日になることがしばしばあるように感じる。
山で暑さにやられるようなことはほとんど無いけれど、基本的に暑い季節は苦手なので、いやな季節がやってきたという感じ。
涼しい所へ脱出したい。
橿原、明日香村、遺跡めぐり
日曜日(5/14)は好天で絶好の外出日和だった。
まるまる一日出られるのは今月はこの日が最後で、本来なら山へ行きたいところだったのだけれど、その前が1日おきに3回随行が続いて、前日の土曜日は久しぶりに本降りの雨だったので、行き先に迷ったあげく、土曜日の夕方になってようやく奈良の遺跡めぐりということにした。
このところガラにもなく、何故か古代史に興味を感じている。
きっかけは今年の1月に花の講座の下見で明日香村に行った時で、飛鳥坐神社や飛鳥寺などを歩いている時、なぜか心がざわめくのを感じた。
ヤマト民族の血が騒ぎ出したのかも知れない。
その後、大和三山や御破裂山、竜門岳、音羽三山に行ったけれど、遺跡が主目的ではなかった。
一度、明日香村をじっくりと歩いてみたいと思っていたので、ちょうどそのタイミングかなと思った。
橿原考古学研究所付属博物館の開館9時に合わせて、9時ちょっと過ぎに到着した。
日曜日でもこの時間なら人は少ないだろうと思っていたら、何と日曜日だというのに小学生の団体にかち合わせてしまった。
ただ、わりとマナーのいい集団だったので、あまり不快な感じになることは無かった。
たまたま特別展を開催している期間だったので、通常なら 500 円の入場料が 800 円取られてしまった。特別展のテーマは「弥生絵画」で、ここまで古くなると私の興味の対象ではないのだけれど、いらないというわけにはいかない。
キトラ古墳の発掘のビデオなどはなかなか見応えがあった。
小学生の団体は 50 分くらいで出て行って、私は1時間半ほどここで過ごした。
外に出て、走れるウエアにして、ジョグで丸山古墳を目指す。何故か突然雨粒が落ちてきたけれど、すぐに収まった。
右手に畝傍山。
古墳でいつもとまどうのは、だいたいにおいて正面がどこかという標識がほとんど無く、大きな古墳のまわりをぐるっと廻らされるはめになることがしばしばあるということだ。
地図と gps で場所を確認しながら進んだけれど、行き過ぎたかと思って、少し戻って細い道を上がって、「史跡 丸山古墳」という古い標識で土道を上がったところ、ただの雑草原に出てしまった。
どうも前方後円墳の前方部の先端に上がったようで、後円部はかなり先に見えている。何せ全長 318m という巨大な古墳なのだ。
踏み跡の無い草むらを強引に後円部まで行った。下りた場所には案内板が立っていて、ツアーか何かで来ている人たちが何人かいた。
石棺が二つあったことが確認されており、考古学的には欽明天皇と妃の堅塩媛(きたしひめ)の可能性があるとの説。
次はすぐ西にある植山古墳。ここもどこから近づけばいいのかよくわからなかったけれど、そばにある春日神社の境内が石段を上がった所にあるので、そこへ上がってみたところ、期待通り、植山古墳の上に出ることができた。
古墳の形状はよくわからないが、整備されていて墳頂部からの畝傍山の眺めは美しい。さらに向こうには二上山。
ここも石室が二つあることが確認されており、考古学的には推古天皇と子息の竹田皇子の合葬墓という説がある。その後、科長の大陵に改葬されたとか。
このあとは住宅街の道をできるだけショートカットしながら欽明天皇陵を目指す。
正面がどこかわからず、またもや通り過ぎそうに思ったので適当に細い道に入ったら、さらに細い道が上がっていて、吉備姫皇女王墓に出た。
ここには猿石がある(全部で4体ある)。もともとは田んぼから掘り出されたものがここに置かれているらしい。
この横を通って、欽明天皇陵(梅山古墳)。
正面の石段を下ったら、何とさっき通った道ではないか。
こんなものを見落とすなんて、いったいどこに目をつけているんだ!!
次は近鉄吉野線の西側にある牽牛子塚古墳(けんごしつかこふん)を目指す。
変なところに迷い込んだりしながら走っていたら、「岩屋山古墳」という標識を発見。
石段を上がると石室がまる出し。
さらに横から墳頂に上がれる。
牽牛子塚古墳への標識に導かれて、ようやく見えてきた。
墳丘はシートがかぶされているが、石室を眺めることはできる。
巨石をくりぬいて造られたツインベッドの石室で、斉明天皇(皇極天皇)と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)の合葬墓という説がある。
牽牛子塚古墳は思ったよりも遠かった。さて、次なる目標はマルコ山古墳。
何とか線路まで戻らずに近道しようと南へ向かって、うまくすぐそばまで来ていながらわからなくなって線路に出てしまって、結局また戻るということを繰り返して、30 分以上かかってようやくマルコ山古墳に到着した。
古墳のすぐそばまで、まったく標識が無かった。ずいぶん有名な古墳だというのに。
古墳のそばにトイレと休憩場所があったので、そこで腰を下ろしておにぎり休憩にした。
時間はすでに 12 時半を過ぎている。
当初は明日香村だけでは時間を持て余すのではないかと思って、桜井まで足を延ばすことを考えていたのだけれど、この様子ではそれはムリそうだ。それよりも明日香村をじっくり歩いた方が良さそうに思った。
次なる目標は天武・持統天皇陵。飛鳥駅前を通って、しばらく車道を行く。
国営飛鳥歴史公園というのがあって、入場無料だったので入ってみたが、花の写真が展示されているくらいで、見るべきものは見あたらなかった。
しかし「鬼の俎・鬼の雪隠」の標識があったので、そこに寄ってみることにした。
思ったよりも遠かったが、まずは「鬼の雪隠」。
少し上に「鬼の俎」
元々は古墳の石室だったものらしい。序盤に訪れた欽明天皇陵はすぐ近く。
このまま進めば天武・持統天皇陵に行けるのではないかと思ったけれど、標識にはそういう表記が無かったので、いったん国営飛鳥歴史公園に戻った。
緩い登り坂をスロージョグで進んで、天武・持統天皇陵(野口王墓)に到着。
墓が荒らされた時の様子から、実際に天武・持統天皇だったのだろうと言われており、治定が信頼できる数少ない古代の陵墓の一つである。
さらに北に向かって菖蒲池古墳。
家形石棺が2基据えられており、いずれも非常に精巧な造りで、かなり特異な石棺とのこと。
さて、これからは明日香村の核心部へ。
まずは亀石。
カメというよりはカエル。時期も目的も不明。このあたりから観光客が増えてきた。
いつも前を素通りしている橘寺に寄ってみたけれど、入山料がいるのでパス。
多武峰(とうのみね)。明日香村のこういう風景が好きだ。三方を山に囲まれた京都に生まれ育ったせいもあるのかも。
伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみや)。7世紀中頃、皇極天皇が営んだ皇居の跡と言われている。
そして酒船石へ。
詳細は不明だけれど、工事好きだった斉明天皇が残したものかも・・・。
亀形石造物は有料なのでパス。
せっかくなので万葉文化館に入ってみた。花の講座の時に訪れているけれど、その時は中には入っていない。
無料なので中を見て回ったけれど、まぁこんなもののかという感じ。時間つぶしにはなるかも。
そして、花の講座の下見の時も来たはずなのだけれど、あまり記憶に残っていない大原神社へ。
ここは藤原鎌足の誕生地。ここの奥の竹田川のほとりには「藤原鎌足産湯の井戸」。
飛鳥坐神社方向に少し行くと藤原鎌足の母の大伴夫人の墓。
そして飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)。
本堂の奥にもいろいろとあった。
飛鳥寺も中には入らず。
そして蘇我入鹿首塚。背景は蘇我蝦夷、入鹿が豪邸を構えた甘樫丘(あまかしのおか)。
建てられたのは鎌倉か南北朝あたりとのこと。
明日香村めぐりもいよいよ終盤へ。
甘樫丘の麓でトイレ休憩。
大和三山へ行った時に、寄りたかったけれどよくわからなくて通り過ぎてしまった豊浦寺(とゆらじ)跡の向原寺(こうげんじ)へ。
そのすぐそばに難波池。
そして向原寺。
うろうろしながら実は向原寺のすぐそばにあった甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)。推古天皇が祭られている。
想定していた箇所はこれでお終いだったけれど、橿原神宮駅へ向かう途中にある孝元天皇陵に寄って行くことにする。
またもや正面がどこかわからず、すぐそばの住宅街で地元の人に陵墓を指さして「この天皇陵の正面はどこですか?」と尋ねたら、「それなに?」というお返事。家のすぐそばにある森が天皇陵であるということをご存じなかったようだ。
ぐるっと廻ってようやく入り口を発見。
「孝元天皇」という名前は聞いたことが無いなぁと思って、帰ってから調べてみたら、いわゆる「欠史八代」の一人の第8代天皇だった。
橿原神宮前駅には午後4時前に到着した。何だかんだで 25km ほどの行程だった。
ほとんど車道の平地ばかりなのでそれほどの疲労感は感じなかったのだけれど、風呂上がりのいつものタイミングで体重を量ったら、久しぶりに 50kg を割っていた。小辺路の後でもそこまでは落ちなかったのだけれど。
それにしても期待以上に楽しい一日でした。
三国岳
先週の金曜日(5/12)は随行で朽木の三国岳へ行ってきた。
桑原橋から登って古屋へ下りるというコースで、部分的には昨秋に歩いている。
以前ならマイクロバスをチャーターして来るような不便な場所なのだけれど、昨今のバス料金高騰と、受講生の減少というダブルパンチのために、堅田からタクシーで桑原橋に乗りつけた。
しばらく植林の急登を這い上がる。
標高が上がるとイワカガミが登場。
休憩を入れながら、スタートして1時間半ほどで丹波越の峠に到着した。
足元にはミヤマカタバミ。
これはオオカメノキというらしい。
峠から1時間ほどで三国岳への分岐に到着。
三国岳の山頂(959m)で昼食となった。ずいぶん山深い不便な場所なのだけれど、個人的にはここ1年ほどで3回目。
下山はまず岩谷峠へ。
ここで実にめずらしいも瞬間に出会えた。
何と、エゾハルゼミが蛹からふ化する瞬間に立ち会えたのだ。
最初に見た瞬間は、ふ化に失敗して死んでいるのかと思ったのだけれど、少ししたら足が動き出した。
羽が次第にしっかりと広がってきて、幹を上に登りだした。さすがに飛ぶまでは至らなかったけれど。
ここからしばらくはシャクナゲがたくさん咲いていた。
沢筋に下り立ったらニリンソウ。
対岸には雪が残っていた。
ちょうど予定の3時に古屋に到着した。
3時に迎えをお願いしていたタクシーがすぐにやってきて、堅田までスムーズに帰ることができた。
京都一周トレイル奥比叡
水曜日(5/10)は京都一周トレイル講座で奥比叡を歩いてきた。
コースは前回終了したケーブル比叡駅をスタートして横川のバス停まで。
随行区間の歩きだけではもの足らないので、朝は八瀬から歩いてケーブル比叡駅まで行って、帰りは横川からせりあい地蔵経由でバス停の登山口まで下った。
9時半にケーブル比叡駅に到着できるように、8時 20 分頃に八瀬を出発した。
天気予報では降水確率が高めだけれど、今のところは雨は降っていない。
先日より頑張ったつもりだったけれど、先日よりも少し時間がかかって峠に到着した。
ガスで幻想的な雰囲気。
ゲレンデ下には前回とほぼ同じく1時間で到着した。
予定通り9時半にケーブル比叡駅に到着して、10 時に歩き始める。小雨がぱらついている。
道の北側にはツツジが植えられている。
随行で来るメリットは、一人ならまず立ち寄らないような場所でゆっくりできるところ。初めて浄土院に入った。
山道脇にクリンソウ。
マムシグサ。
ちょっと寄り道してみろく石仏。
鎌倉初期のもので、破損は信長の焼き討ちのせいとか。
トイレに寄った峰道レストランで昼食にした。
昼食後はせりあい地蔵に向かう。
玉体杉。
回峰行者はここのそばの石に座って御所に向かって祈るのだとか。しかしこの大きな石(写真に撮ってこなかった)、一体どうやってここまで運んだのだろうか。いつごろ設置されたのだろか。表面はずいぶんきれいで、以外と近年の設置かもと感じた。
今週末(5/13)は比叡山のトレイルレースが予定されていて、大会間近ということで随所にテープマークが付けられているが、なぜかコースではないはずのこのあたりにもテープマークがある。
一周トレイルコースはせりあい地蔵から横高山へ登るのだけれど、今回はここで打ち切りで、横川のバス停に向かった。
横川のバス停には午後2時 15 分くらいに到着して、皆さんはここからバスで下山。
時間があるので私はせりあい地蔵まで戻って、ここから登山口のバス停まで下ることにした。
せりあい地蔵から下はトレイルレースのコースで、先日の試走の時に登った道。なかなか苦しかった。
普段はあまり人の歩かない道なのだけれど、下からトレランスタイルの人が上がってきた。こんな直前の平日でも試走に来るひとがいるのかと思ったのだが、近づいてみたら何と鏑木毅さん!! マーキング用のテープを持って登って来られた。
私が下りだったので道を避けたのだけれど、「どうぞどうぞ」ということで通してもらうことにした。
近づいたら「昨年、UTMF でお世話になりました」と一言ご挨拶。そして先ほどのマーキングの件を尋ねてみたところ、今回新設された 50 マイルは後半のループを2回廻るのだけれど、2回目はここの登りは無しで、トレイルコースをそのまま進むとのこと。
鏑木さんの競技に対するストイックな姿勢はつとに有名なのだけれど、おそらくコースのチェックが目的だろうと思われるこの時も、汗びっしょりで登って来られた。半分は自分のトレーニングのつもりなのだろう。
ゆっくりお話しできる状況ではなかったので「どうしてこんなコース設定なのですか?」というような質問はできなかったけれど、よく考えてみると一般ハイカーや観光客との接触を極力少なくするためにああいうアップダウンを設定されたのかなという気もする。
ちょうど今(5/13 14:45)はトレイルレース開催中で、上位選手はすでにゴールしていると思われるが、まだまだ多くの選手はコース上で苦しんでいる時間帯だ。しかも今日は朝はかなりの降雨だったので、コースのコンディションは極めて悪いと思う。
今朝の雨音を聞きながら、トレイルレースへの参加は当分無いだろうと思った。
試走の時は苦しかった登りも下りはすんなりで、横川を出て 45 分くらいでバス停に下り立った。
次回の集合は横川のバス停なので、朝はこのコースを辿るつもりだ。