リトル比良

昨日(5/21)は随行でリトル比良へ行ってきた。とにかく暑い日だった。

リトル比良は何度か歩いているけれど、直近でももう 10 年以上前。はっきりした記憶は無い。
出発時に思いがけないハプニングが発生!!。参加者のチェックを済ませたはずなのに、いざ出ようとすると一人足らない。
この日、初めて参加された方がおられて、同じ方向に向かう別のグループに付いて行かれてしまったようで、幸い連絡がついたので途中で待っていただいて、無事合流できた。
目指す岳山(だけやま)を望む。
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登山口の長谷寺。すでに気温が高い。
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少し登って、賽の河原。まったく記憶に無い。
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白坂に寄り道。
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「弁慶の切石」。この後もこのコースは随所に巨岩があった。
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岳観音堂跡。瓦がたくさん落ちていたけれど、わりと新しい感じがした。
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暑さのせいか、熱中症ぎみの方が出てきた。休憩を取りながらゆっくり登る。
岳山山頂そばの石造観音三尊。
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そして岳山山頂(565m)。
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もっと開けて展望のある場所だったような印象があるのだけれど、まったく違っていた。
少し下ったコルのような場所で昼食にした。
昼食後はオウム岩で展望を楽しむ。一番高い山は武奈ガ岳。
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これは琵琶湖方面。まだ黄砂の影響が残っているのか、遠方はすっきりしない。
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ヒメシャガ。随分めずらしいらしい。
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主稜線から分かれて見張山方面へ向かう。
鳥越峰(702m)は何の標識も無かった。
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この稜線は歩く人が少ないようで、倒木がたくさんあって道がわかりにくい。数年前までは明瞭なしっかりした道だったそうだけれど。
「鉄砲岩」。
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「ろくは石」。
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見張山(517.3m)は三角点がある。
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少し道をそれて長法寺跡に寄り道。随分大きな寺だったらしい。平安時代から室町時代に栄えたとか。
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展望場所からは2月に訪れた沖島
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「馬の足」。
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ちょうど下りた所にタニウツギ。
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4時前に日吉神社に下山した。
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近年は5月にこういう夏日になることがしばしばあるように感じる。
山で暑さにやられるようなことはほとんど無いけれど、基本的に暑い季節は苦手なので、いやな季節がやってきたという感じ。
涼しい所へ脱出したい。

橿原、明日香村、遺跡めぐり

日曜日(5/14)は好天で絶好の外出日和だった。
まるまる一日出られるのは今月はこの日が最後で、本来なら山へ行きたいところだったのだけれど、その前が1日おきに3回随行が続いて、前日の土曜日は久しぶりに本降りの雨だったので、行き先に迷ったあげく、土曜日の夕方になってようやく奈良の遺跡めぐりということにした。
このところガラにもなく、何故か古代史に興味を感じている。
きっかけは今年の1月に花の講座の下見で明日香村に行った時で、飛鳥坐神社や飛鳥寺などを歩いている時、なぜか心がざわめくのを感じた。
ヤマト民族の血が騒ぎ出したのかも知れない。
その後、大和三山御破裂山、竜門岳、音羽三山に行ったけれど、遺跡が主目的ではなかった。
一度、明日香村をじっくりと歩いてみたいと思っていたので、ちょうどそのタイミングかなと思った。

橿原考古学研究所付属博物館の開館9時に合わせて、9時ちょっと過ぎに到着した。
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日曜日でもこの時間なら人は少ないだろうと思っていたら、何と日曜日だというのに小学生の団体にかち合わせてしまった。
ただ、わりとマナーのいい集団だったので、あまり不快な感じになることは無かった。
たまたま特別展を開催している期間だったので、通常なら 500 円の入場料が 800 円取られてしまった。特別展のテーマは「弥生絵画」で、ここまで古くなると私の興味の対象ではないのだけれど、いらないというわけにはいかない。
キトラ古墳の発掘のビデオなどはなかなか見応えがあった。
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小学生の団体は 50 分くらいで出て行って、私は1時間半ほどここで過ごした。
外に出て、走れるウエアにして、ジョグで丸山古墳を目指す。何故か突然雨粒が落ちてきたけれど、すぐに収まった。
右手に畝傍山。
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古墳でいつもとまどうのは、だいたいにおいて正面がどこかという標識がほとんど無く、大きな古墳のまわりをぐるっと廻らされるはめになることがしばしばあるということだ。
地図と gps で場所を確認しながら進んだけれど、行き過ぎたかと思って、少し戻って細い道を上がって、「史跡 丸山古墳」という古い標識で土道を上がったところ、ただの雑草原に出てしまった。
どうも前方後円墳の前方部の先端に上がったようで、後円部はかなり先に見えている。何せ全長 318m という巨大な古墳なのだ。
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踏み跡の無い草むらを強引に後円部まで行った。下りた場所には案内板が立っていて、ツアーか何かで来ている人たちが何人かいた。
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石棺が二つあったことが確認されており、考古学的には欽明天皇と妃の堅塩媛(きたしひめ)の可能性があるとの説。
次はすぐ西にある植山古墳。ここもどこから近づけばいいのかよくわからなかったけれど、そばにある春日神社の境内が石段を上がった所にあるので、そこへ上がってみたところ、期待通り、植山古墳の上に出ることができた。
古墳の形状はよくわからないが、整備されていて墳頂部からの畝傍山の眺めは美しい。さらに向こうには二上山。
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ここも石室が二つあることが確認されており、考古学的には推古天皇と子息の竹田皇子の合葬墓という説がある。その後、科長の大陵に改葬されたとか。
このあとは住宅街の道をできるだけショートカットしながら欽明天皇陵を目指す。
正面がどこかわからず、またもや通り過ぎそうに思ったので適当に細い道に入ったら、さらに細い道が上がっていて、吉備姫皇女王墓に出た。
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ここには猿石がある(全部で4体ある)。もともとは田んぼから掘り出されたものがここに置かれているらしい。
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この横を通って、欽明天皇陵(梅山古墳)。
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正面の石段を下ったら、何とさっき通った道ではないか。
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こんなものを見落とすなんて、いったいどこに目をつけているんだ!!
次は近鉄吉野線の西側にある牽牛子塚古墳(けんごしつかこふん)を目指す。
変なところに迷い込んだりしながら走っていたら、「岩屋山古墳」という標識を発見。
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石段を上がると石室がまる出し。
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さらに横から墳頂に上がれる。
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牽牛子塚古墳への標識に導かれて、ようやく見えてきた。
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墳丘はシートがかぶされているが、石室を眺めることはできる。
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巨石をくりぬいて造られたツインベッドの石室で、斉明天皇(皇極天皇)と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)の合葬墓という説がある。
牽牛子塚古墳は思ったよりも遠かった。さて、次なる目標はマルコ山古墳。
何とか線路まで戻らずに近道しようと南へ向かって、うまくすぐそばまで来ていながらわからなくなって線路に出てしまって、結局また戻るということを繰り返して、30 分以上かかってようやくマルコ山古墳に到着した。
古墳のすぐそばまで、まったく標識が無かった。ずいぶん有名な古墳だというのに。
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古墳のそばにトイレと休憩場所があったので、そこで腰を下ろしておにぎり休憩にした。
時間はすでに 12 時半を過ぎている。
当初は明日香村だけでは時間を持て余すのではないかと思って、桜井まで足を延ばすことを考えていたのだけれど、この様子ではそれはムリそうだ。それよりも明日香村をじっくり歩いた方が良さそうに思った。
次なる目標は天武・持統天皇陵。飛鳥駅前を通って、しばらく車道を行く。
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国営飛鳥歴史公園というのがあって、入場無料だったので入ってみたが、花の写真が展示されているくらいで、見るべきものは見あたらなかった。
しかし「鬼の俎・鬼の雪隠」の標識があったので、そこに寄ってみることにした。
思ったよりも遠かったが、まずは「鬼の雪隠」。
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少し上に「鬼の俎」
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元々は古墳の石室だったものらしい。序盤に訪れた欽明天皇陵はすぐ近く。
このまま進めば天武・持統天皇陵に行けるのではないかと思ったけれど、標識にはそういう表記が無かったので、いったん国営飛鳥歴史公園に戻った。
緩い登り坂をスロージョグで進んで、天武・持統天皇陵(野口王墓)に到着。
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墓が荒らされた時の様子から、実際に天武・持統天皇だったのだろうと言われており、治定が信頼できる数少ない古代の陵墓の一つである。
さらに北に向かって菖蒲池古墳。
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家形石棺が2基据えられており、いずれも非常に精巧な造りで、かなり特異な石棺とのこと。
さて、これからは明日香村の核心部へ。
まずは亀石。
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カメというよりはカエル。時期も目的も不明。このあたりから観光客が増えてきた。
いつも前を素通りしている橘寺に寄ってみたけれど、入山料がいるのでパス。
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多武峰(とうのみね)。明日香村のこういう風景が好きだ。三方を山に囲まれた京都に生まれ育ったせいもあるのかも。
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伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみや)。7世紀中頃、皇極天皇が営んだ皇居の跡と言われている。
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そして酒船石へ。
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詳細は不明だけれど、工事好きだった斉明天皇が残したものかも・・・。
亀形石造物は有料なのでパス。
せっかくなので万葉文化館に入ってみた。花の講座の時に訪れているけれど、その時は中には入っていない。
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無料なので中を見て回ったけれど、まぁこんなもののかという感じ。時間つぶしにはなるかも。
そして、花の講座の下見の時も来たはずなのだけれど、あまり記憶に残っていない大原神社へ。
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ここは藤原鎌足の誕生地。ここの奥の竹田川のほとりには「藤原鎌足産湯の井戸」。
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飛鳥坐神社方向に少し行くと藤原鎌足の母の大伴夫人の墓。
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そして飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)。
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本堂の奥にもいろいろとあった。
飛鳥寺も中には入らず。
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そして蘇我入鹿首塚。背景は蘇我蝦夷、入鹿が豪邸を構えた甘樫丘(あまかしのおか)。
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建てられたのは鎌倉か南北朝あたりとのこと。
明日香村めぐりもいよいよ終盤へ。
甘樫丘の麓でトイレ休憩。
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大和三山へ行った時に、寄りたかったけれどよくわからなくて通り過ぎてしまった豊浦寺(とゆらじ)跡の向原寺(こうげんじ)へ。
そのすぐそばに難波池。
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そして向原寺。
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うろうろしながら実は向原寺のすぐそばにあった甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)。推古天皇が祭られている。
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想定していた箇所はこれでお終いだったけれど、橿原神宮駅へ向かう途中にある孝元天皇陵に寄って行くことにする。
またもや正面がどこかわからず、すぐそばの住宅街で地元の人に陵墓を指さして「この天皇陵の正面はどこですか?」と尋ねたら、「それなに?」というお返事。家のすぐそばにある森が天皇陵であるということをご存じなかったようだ。
ぐるっと廻ってようやく入り口を発見。
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「孝元天皇」という名前は聞いたことが無いなぁと思って、帰ってから調べてみたら、いわゆる「欠史八代」の一人の第8代天皇だった。
橿原神宮前駅には午後4時前に到着した。何だかんだで 25km ほどの行程だった。
ほとんど車道の平地ばかりなのでそれほどの疲労感は感じなかったのだけれど、風呂上がりのいつものタイミングで体重を量ったら、久しぶりに 50kg を割っていた。小辺路の後でもそこまでは落ちなかったのだけれど。
それにしても期待以上に楽しい一日でした。

三国岳

先週の金曜日(5/12)は随行で朽木の三国岳へ行ってきた。
桑原橋から登って古屋へ下りるというコースで、部分的には昨秋に歩いている

以前ならマイクロバスをチャーターして来るような不便な場所なのだけれど、昨今のバス料金高騰と、受講生の減少というダブルパンチのために、堅田からタクシーで桑原橋に乗りつけた。
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しばらく植林の急登を這い上がる。
標高が上がるとイワカガミが登場。
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休憩を入れながら、スタートして1時間半ほどで丹波越の峠に到着した。
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足元にはミヤマカタバミ。
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これはオオカメノキというらしい。
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峠から1時間ほどで三国岳への分岐に到着。
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三国岳の山頂(959m)で昼食となった。ずいぶん山深い不便な場所なのだけれど、個人的にはここ1年ほどで3回目。
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下山はまず岩谷峠へ。
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ここで実にめずらしいも瞬間に出会えた。
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何と、エゾハルゼミが蛹からふ化する瞬間に立ち会えたのだ。
最初に見た瞬間は、ふ化に失敗して死んでいるのかと思ったのだけれど、少ししたら足が動き出した。
羽が次第にしっかりと広がってきて、幹を上に登りだした。さすがに飛ぶまでは至らなかったけれど。
ここからしばらくはシャクナゲがたくさん咲いていた。
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沢筋に下り立ったらニリンソウ。
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対岸には雪が残っていた。
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ちょうど予定の3時に古屋に到着した。
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3時に迎えをお願いしていたタクシーがすぐにやってきて、堅田までスムーズに帰ることができた。

京都一周トレイル奥比叡

水曜日(5/10)は京都一周トレイル講座で奥比叡を歩いてきた。
コースは前回終了したケーブル比叡駅をスタートして横川のバス停まで。
随行区間の歩きだけではもの足らないので、朝は八瀬から歩いてケーブル比叡駅まで行って、帰りは横川からせりあい地蔵経由でバス停の登山口まで下った。

9時半にケーブル比叡駅に到着できるように、8時 20 分頃に八瀬を出発した。
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天気予報では降水確率が高めだけれど、今のところは雨は降っていない。
先日より頑張ったつもりだったけれど、先日よりも少し時間がかかって峠に到着した。
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ガスで幻想的な雰囲気。
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ゲレンデ下には前回とほぼ同じく1時間で到着した。
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予定通り9時半にケーブル比叡駅に到着して、10 時に歩き始める。小雨がぱらついている。
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道の北側にはツツジが植えられている。
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随行で来るメリットは、一人ならまず立ち寄らないような場所でゆっくりできるところ。初めて浄土院に入った。
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山道脇にクリンソウ。
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マムシグサ。
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ちょっと寄り道してみろく石仏。
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鎌倉初期のもので、破損は信長の焼き討ちのせいとか。
トイレに寄った峰道レストランで昼食にした。
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昼食後はせりあい地蔵に向かう。
玉体杉。
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回峰行者はここのそばの石に座って御所に向かって祈るのだとか。しかしこの大きな石(写真に撮ってこなかった)、一体どうやってここまで運んだのだろうか。いつごろ設置されたのだろか。表面はずいぶんきれいで、以外と近年の設置かもと感じた。
今週末(5/13)は比叡山のトレイルレースが予定されていて、大会間近ということで随所にテープマークが付けられているが、なぜかコースではないはずのこのあたりにもテープマークがある。
一周トレイルコースはせりあい地蔵から横高山へ登るのだけれど、今回はここで打ち切りで、横川のバス停に向かった。
横川のバス停には午後2時 15 分くらいに到着して、皆さんはここからバスで下山。
時間があるので私はせりあい地蔵まで戻って、ここから登山口のバス停まで下ることにした。
せりあい地蔵から下はトレイルレースのコースで、先日の試走の時に登った道。なかなか苦しかった。
普段はあまり人の歩かない道なのだけれど、下からトレランスタイルの人が上がってきた。こんな直前の平日でも試走に来るひとがいるのかと思ったのだが、近づいてみたら何と鏑木毅さん!! マーキング用のテープを持って登って来られた。
私が下りだったので道を避けたのだけれど、「どうぞどうぞ」ということで通してもらうことにした。
近づいたら「昨年、UTMF でお世話になりました」と一言ご挨拶。そして先ほどのマーキングの件を尋ねてみたところ、今回新設された 50 マイルは後半のループを2回廻るのだけれど、2回目はここの登りは無しで、トレイルコースをそのまま進むとのこと。
鏑木さんの競技に対するストイックな姿勢はつとに有名なのだけれど、おそらくコースのチェックが目的だろうと思われるこの時も、汗びっしょりで登って来られた。半分は自分のトレーニングのつもりなのだろう。
ゆっくりお話しできる状況ではなかったので「どうしてこんなコース設定なのですか?」というような質問はできなかったけれど、よく考えてみると一般ハイカーや観光客との接触を極力少なくするためにああいうアップダウンを設定されたのかなという気もする。
ちょうど今(5/13 14:45)はトレイルレース開催中で、上位選手はすでにゴールしていると思われるが、まだまだ多くの選手はコース上で苦しんでいる時間帯だ。しかも今日は朝はかなりの降雨だったので、コースのコンディションは極めて悪いと思う。
今朝の雨音を聞きながら、トレイルレースへの参加は当分無いだろうと思った。
試走の時は苦しかった登りも下りはすんなりで、横川を出て 45 分くらいでバス停に下り立った。
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次回の集合は横川のバス停なので、朝はこのコースを辿るつもりだ。

ポンポン山

月曜日(5/8)は随行で高槻・京都県境のポンポン山へ行ってきた。
ポンポン山はこれまで何度も登っていて、特にマラソンに集中していた頃は家から山麓の神峯山寺まで自転車で行って、ポンポン山2往復なんてこともやっていた。
今日は京都側の善峯寺から周回するコースだったけれど、東海自然歩道は何度か歩いたことがある。

JR の向日市駅からバスで善峯寺へ。善峯寺は花の講座で昨秋に訪れた。
少し車道を上がって、善峯寺の駐車場に入るカーブの所で山道に入る。
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善峯寺を望む展望台。以前は木がもっと少なくていい眺めだったらしい。
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このあと道が少し不明瞭になって、ヤブの急斜面を這い上がる。
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いくつかある登山講座の中では一番の初級クラスなので、ちょっと厳しかったかも。
ほどなく正しい道に合流して、稜線に上がって釈迦岳の東にある展望台で一休み。
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天気はいいのだけれど、黄砂のせいで展望はあまりよろしくない。
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釈迦岳山頂(630.8m)で昼食。
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昼食後、30 分ほどでポンポン山の山頂(678.8m)に到着した。
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枚方方面もかすんであまり見えない。
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少し戻って、杉谷の方向に下る。
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30 分足らずで杉谷へ。
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あとは車道で善峯寺に戻る。
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シャガ?
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25 分ほどの車道歩きで善峯寺のバス停に戻って、無事解散となった。
のんびりした一日でした。

八瀬からケーブル比叡へ

水曜日は京都一周トレイル講座の随行なのだけれど、集合がケーブル比叡駅になっている。先月がここで終了したからで、普通なら八瀬からケーブルで上がってくる。
しかしせっかくの山をケーブルで上がるのはもったいないし、この講座は行動時間も短くて余裕があるので、八瀬から歩いて登りたいと思った。
前回は八瀬まで歩いて下りたのだけれど、その道はちょっと遠回りで、地形図だともっと近い道があるはずなので(前回、下山で見つけられなかった道)、その道を確認したいと思って出かけた。

今日の行動は3時間くらいで終わる予定なので、ゆっくり出かけて叡電の八瀬駅に 10 時少し前に到着した。
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精華学園のグラウンド横を通って山道に入る。
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前回下った時は結構登りがきつそうと思ったけれど、それほどでもない。
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このあたりにお地蔵さんは前回は見なかったように思うのだけれど、どうもこのあたり、道が二股に分かれているようだ。
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10 時 42 分に峠に到着。30 分くらいで来られると思っていたのだけれど・・・。
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ここからケーブル比叡に向かう道に入る。
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何か構造物の跡?
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以外と傾斜がきつい。
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突然、展望が開けて京都市内方面。
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石段が出てきたと思ったら、ゲレンデ跡に飛び出した。ちょうど 11 時。八瀬から1時間だった。
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前回、下り口がよくわからなくて、実はここのすぐ横も歩いていたのだけれど、この道にはまったく気が付かなかった。急に石段で下っているので上からだと道が見えない。
このあとはしっかりした道を 10 分足らずでケーブル比叡駅へ到着。
ケーブル比叡駅そばの展望台からの眺めは黄砂のせいかぼんやり。
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せっかくなのでこれまで歩いたことの無いトレイルコースの旧道を下る。それに今日は本道は人が多いだろう。
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ちょうど千種忠顕卿戦死之地への分岐の所で合流したけれど、この後も通ったことの無い道を下る。
本道の西側で、浄刹結界跡の少し上の展望エリアの所で本道に合流した。
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ここからは一周トレイルコースを下る。やはり登ってくる人は多い。
例の鳥居の場所へ。
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今日はあまり走るつもりはなかったのだけれど、こういう道になると自然と走りたくなる。
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明らかに比叡山トレイルの試走と思われるグループが分岐の所で休憩していた。
瓜生山の手前はずいぶん道が荒れていた。
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何度も来た瓜生山山頂(301m)。
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バプテスト病院。昔、キリマンジャロへ行く前に、コレラの予防接種のためにここに来たのを覚えている。
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あとは車道で出町柳まで。まずは志賀越道。
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無事、1時前に出町柳の到着して、Tシャツを着替えて改札に向かったのだけれど、想定外のことに出会って、結局また鴨川を三条まで走ることになってしまった。
10 枚分の値段で 14 枚購入できる休日用の回数券を買おうとしたところ、私にとって一番便利な 350 円区間の券が出町柳駅では買うことができなかった。出町柳駅からは 350 円という区間が無いようだ。
3時間で約 15km。それなりに楽しかった。

熊野古道小辺路エピローグ

熊野本宮大社からの帰りは、ビールでも飲みながらのんびり余韻に浸ろうと思っていたのだけれど、乗り物の時刻の都合で、結局ビールは家までお預けとなってしまった。
初めてのファストパッキングは、おおむね期待通りの成果が得られたと思う。
天気さえ荒れなければ今回の装備で無雪期の山ならおおむね行けそうに思えたし、食べた感のある炭水化物系のほとんど無い行動食でも2日間なら特に空腹感を覚えることも無く歩き続けることができた。
二日連続ほぼ 10 時間行動だったけれど、それも特に問題は感じなかった。ただしボッカ力がかなり落ちているので、これは改めてトレーニングの必要がある。
そうは言っても今さら砂袋を担いでのトレーニングなどできるはずもないので、テント泊山行をあまり間を空けずに繰り返すしかないだろう。20kg を担ぐ必要は無い。12〜13kg で長時間歩ければそれでいいのだ。
今回のザックは OMM の Classic 32。容量32Lで、重さ数百グラムの軽量モデル。
そしてサロモンのカスタムフロントポケットを胸の前に装着した(私のものは旧モデル)。行動中は極力ザックを下ろさずに済むようにと思っての装備だったのだけれど、結果的には腰の疲れのためにしばしばザックを下ろさなければならないはめに陥ってしまった。
昔クライミングをやっていた頃、クライミング時に首からモノをぶら下げるというのは禁忌だったので(何かの拍子に首が絞まる!!)、サコッシュは生理的に抵抗感がある。
今回は1泊だったので容量的にはこれでちょうどだったけれど、長期山行になるともう少し大きいサイズのザックが必要だ。
かつては 80L なんて大きさのザックに登攀用具を詰め込んでヨーロッパアルプスに出かけたけれど(その当時は航空会社も余裕があったのか、荷物の超過料金は取られたことがなかった)、もう何年も前に処分してしまった。それに残していたとしてももはや使い道が無い。
40L くらいの大きさの軽量ザックがほしいところだけれど、「山と道」のザックのようなペラペラタイプは最初は避けた方が無難かなと思っている。
ファストパッキングのデビュー戦としては熊野古道小辺路はいい選択だったと思うけれど、正直言って山歩きとしてはあまり魅力のあるコースではなかった。一度歩けばもう十分という感じ。
それほど用事は無いように思うのだけれど、いざ泊まりで出かけようとするとなかなか日程が取れない。次回は来月になるだろう。
さて来月はどこへ行くか、地図を眺めながらコースを決めるのも山行きの大きな楽しみの一つだ。

熊野古道小辺路2日目

2日目は夜明けとともに歩き出すために4時に起きた。
夜は中綿ジャケットとダウンパンツ、そして全身マットのおかげで思ったより快適に寝られた。ただ、朝方は足元が少し寒かったけれど。
朝のメニューはかつて愛用した懐かしの棒ラーメン。しかし大きなミスを犯してしまった。
棒ラーメンは2食分が一袋に入っていて、1食分だけをラップに包んだ時、粉末スープを取り分けるのを忘れてしまっていた。仕方無いので少しでも塩味の足しにと思ってサラミを二つ入れて煮込んだ。
かすかな塩味は悪くなかった。お湯が少なめだったので、粉末スープだったら辛すぎたかも知れない。
コーヒーを飲み終えてテントの外に出た頃には薄ら明るくなっていた。

荷物をまとめて5時過ぎに出発した。もうヘッドランプはいらない。
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歩き出して 30 分足らずで三浦峠(1080m)に到着した。一人でシェルターを張っている人がいた。
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ここからはまたしばらくなだらかな下り基調が続く。木々の間から朝日が差し込んで、とても気持ちがいい。
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しかし早くも腰に鈍痛が出てきた。そうだ、ロキソニンを持ってきているのをすっかり忘れていた。昨日も、終盤で厳しくなってきたら服用しようと思っていたのに、完全に失念していた。
と言うことでおまじない代わりにロキソニンを投入。私はこういう薬はほとんど効かないのだけれど(ヘルニアの時のボルタレンやリリカもまったく効かなかった)、ヘルニア手術で退院した時に持たされたものがまだたくさん残っている。こんな時にでも使わないともったいない。
単調でなかなか標高の下がらない道をうんざりしながら1時間半くらい歩いて、矢倉観音堂まで来た。
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このあと下りが急になって、小康状態だった腰にこたえる下りだった。
三浦峠から2時間半かかってようやく車道に下り立った。
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ここから十津川温泉手前まで、延々と車道歩きになる。
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腰がつらくなってきたので公衆トイレの前の川合神社でザックを下ろして休憩した。
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朝から私と同じ方向の人は一人も出会わないけれど、反対方向から来る人には二人ほどすれ違った。
また腰がつらくなってきたので、バス停の待合ベンチに腰をかけて少し休んだ。
あの遙か彼方に見えるのが果無峠(はてなしとうげ)だろうか。
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車道に出てから延々2時間、8km ほど歩いて、ようやく温浴施設の昴の里に到着した。
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トンネルを抜けて、吊り橋を渡る。5人以上同時に渡るなという警告が書かれているが、結構揺れて恐ろしかった。一人なので自分が歩くリズムで渡れたけれど、複数で渡ると揺れるリズムが複雑になって一段と恐そうだ。
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いよいよ今回のコースで最後、そして最大の標高差約 900m の果無峠への登りにさしかかった。
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展望場所にベンチがあったので、そこでザックを下ろして休憩にした。今日二度目のロキソニンを投入。
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石畳の道を上がると果無集落。こんな所に突然、と思うけれど、実は車道があって少ないながらもバス便がある。「にほんの里 100 選」というものに選ばれているらしい。
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シャクナゲ(たぶん)。
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登りにさしかかってから1時間半くらい歩いて、ようやく観音堂に到着した。
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果無峠だけ歩くという人がわりといるようで、このあたりではたくさんの人に出会った。ここにも数人が休憩していたが、水場があるので素通りというわけにはいかない。
ザックを下ろして一休みして、最後の登りに向かう。今回の登りはこれが最後だ。おそらく 30 分あれば登れるだろう。
20 分ちょいの登りで果無峠(1114m)に到着した。少し小雨。
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12 時にここまで来られればと思っていたけれど、まだ 11 時半ちょっと前。これなら3時過ぎのバスに乗れそうだ。
二十丁石、そして三十丁石と下って行く。
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いよいよ今回の行程もトレイルは最終章にさしかかってきた。久しぶりに、終わってしまうのがちょっと寂しいという気持ちになった。
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午後1時過ぎに八木尾のバス停に下り立った。
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ここからはまた車道。
少し時間がありそうなので「道の駅ほんぐう」でまたいそべ餅を楽しんだ。
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あとは淡々と車道を行くだけと思っていたら、実はまだトレイルが残っていた。
三軒茶屋跡のそばの門。
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このあたりは観光客の世界。
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いよいよ熊野本宮大社へ。
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中のエリアは撮影禁止とのことで、参道の石段を下りて午後2時 45 分に山門にゴールした。
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本当ならここでとびきりおいしいビールをぐっといきたかったのだが、バスが3時 10 分に迫っているので、早々にバス停に並んだ。まだ屋根のかかっている部分に入れたのだけれど、このあと一気に列が延びて、それと同時に雨が本降りになってきた。
バスに2時間揺られて紀伊田辺駅に出て、特急を奮発して8時半過ぎには家に帰ってくることができた。
2日目は行動9時間半、約 32km だった。

熊野古道小辺路1日目

5月3日は5時過ぎの始発に乗るため、携帯のアラームで3時半に起きた。ところがここで思わぬハプニング。
アラームを止めた瞬間、携帯の画面が消えてしまったのだ!! その後、何度か電源のオンオフを繰り返してみたけれど復旧せず。
画面表示が壊れているだけで通話はできそうだけれど、メールの送受信はできない。
中途半端な状態だとかえって面倒で、幸いデータ通信専用のスマホは別に持っているので、連絡はスマホのメールでやるというメモを残して、携帯は電源を切って置いて出た。
行きの電車はたっぷり時間があったので、地図とガイドブックのコピーを見ながら今日の行程を考えた。
その結果、今日は最低でも三浦口まで。できればここから三浦峠へ向けて登って、三十丁の水のあたりまで行ければ翌日が少し楽になると思った。おおむね 35km くらいだろう。

電車、ケーブル、バスを順調に乗り継いで、8時過ぎには金剛峯寺に到着した。
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山門のそばのベンチで準備を整えて、8時 23 分に出発した。
電車の中でさんざんガイドブックを読んでいたのに、金剛三昧院のところでいきなりロスト!!。
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右へ曲がらなければならないところを直進してしまった。標識が立っていたのに・・・・。
小辺路を歩く人はやはりそれなりに多そうで、先行した人達を抜いて行く。
まずはろくろ峠。
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そして薄峠。
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ここまで緩い登りの林道のような道。ここから下りになって、御殿川(おどがわ)の橋を渡る。
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この先にトイレがあるようなので、そこでちょっと休憩していこうと思っていたら、ちょうど数人のパーティが休憩していて、おまけにタバコを吸っている。止まらずにスルーする。
今回の行程ではスタート直後の序盤を除いてはハイカーと出会うことはあまり多くなかったのだけれど、なぜか休憩ポイントのような場所に来ると誰かいるということが多くて、写真を撮りたい場所には誰かがいるというケースにしばしば出くわした。
緩い登りのトレイル。天気は曇りで、歩くにはちょうどいい天候だ。
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このあと高野龍神スカイラインに合流して、しばらく車道を行く。バイクがぶっ飛ばして行くので恐ろしい。
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水ヶ峰の分岐には 10 時半ちょっと過ぎに到着した。
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トレイルを少し進むと舗装された林道に出る。このあたりはわりと展望が開けている。西の奥の方は大峰だろうか。
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ところどころカーブをショートカットする旧道が残っている。
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大股には 12 時5分に到着した。おおむね予定通りのペースだが、重荷のせいか右肩の裏あたりが凝ってきた。
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ここから今日のメインイベントの伯母子岳(おばこだけ)への登りになるので、腰を下ろしてエネルギー補給にした。
急登を上がる。一気に高度がかせげるので急登は嫌いではない。
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急登が一段落して萱小屋跡。少し一息つこうかと思ったらまた人がいた。
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変わり映えのしない単調な道を進んで、ようやく伯母子岳と伯母子峠への分岐に来た。ここまで来て山頂に行かない手はない。
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伯母子岳山頂(1344m)にはちょうど午後2時に到着した。今回のコースの最高標高点で、数少ない展望の開けた場所。
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しかし写真を撮ったら早々に下山に移る。
10 分ほどで伯母子峠。ここには避難小屋があって、誰か中にいるようだった。
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ここからの下りもうんざりするような単調な道が続く。左側が谷になった斜面をトラバースして下って行くのだが、所々崩れている箇所があって、谷側はあまり木が生えていないので、もし落ちたらタダでは済まない。
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このあたりから腰に疲労感を感じるようになってきた。慣れない重荷のせいだと思うけれど、ヘルニア前科者としては腰痛の再発がおそろしい。
昭和の初期まで旅籠があったという上西家跡。
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腰を休ませるためにここで腰を下ろして取っておきのいそべ餅を味わうことにした。
コッフェルの蓋に小さな乾燥餅を4つ並べて、水に1分ほど浸す。そして水を切って粉末醤油をふりかけて、味付けのりで食べる。
思った以上においしかった。食べたあとは粉末の麦茶。これでフラスクの水が無くなってしまった。残る水分はスポーツドリンクの 200ml くらい。
次第に下りが急になって、午後4時 40 分にようやく車道に出た。急な下りで腰が痛い。
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10 分少々車道を歩いて三浦口のバス停を過ぎて、神納川(かんのがわ)を渡る橋の所まで来た。ありがたいことにここには湧き水が引かれていて、そばにベンチが置いてあった。
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ここのベンチに腰掛けて、ひととき思案した。
時間的にはおおむね予定通りのペースで来ている。あと1時間歩けば三十丁の水場まで行けるだろう。
しかし腰の調子は良くない。あと1時間の登りに耐えられるかどうか・・・。
ここから河原に下りたらテントが張れるだろうし、水の心配も無い。ここで早めにゆっくりして身体を休めた方がいいのではないか・・・。
しかし今日の行程をここで終えてしまうと翌日は標高差の大きい登りを二カ所残すことになる。熊野本宮大社から紀伊田辺に出る最終バスは午後4時 45 分だし、翌日の体調がどうなるかも翌日になってみないとわからない。
そんなことを考えていたらトレランスタイルの4人パーティが橋を渡らずに河原の方に下りて行った。どこへ行くのだろう。
悩んだ末に、何とかあと1時間登ることにした。しばらく休んだせいか、腰は少しマシになっていた。
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時々立ち止まって腰を伸ばしたりしながらゆっくり登っていたら、後ろから声が聞こえてきた。どうもさっき河原に下りて行ったパーティのようだが、3人しかいない。
わずらわしいので避けて先へ行ってもらう。ヘッドランプを着けている人がいたので暗くなっても進むつもりなのだろうが、それにしては荷物が大きい。どういう予定なのだろうか。
まさかこんな時間に登ってくるパーティと出くわすとは思っていなかったのだが、またしても三十丁の水場でこのパーティとかち合わせることになってしまった。
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彼らが水を補給するのを待って、私はこの先のテント泊用に 500ml のプラスティックパック2つとフラスク2つに水を入れる。
そうしていたら後ろからまた一人やってきた。一人だけ少し遅れていたようだ。
彼らが行ってくれるのを待ってから歩き出した。あたりは薄暗くなってきているので、とにかく早くテントが張れるような場所を見つけなければならない。
これまではずっとつづら折れのような道で、テントが張れるようなスペースはどこにも見あたらなかったのだが、運良くこの水場のすぐ上のカーブの所に「ここにテントを張って下さい!!」と言わんばかりのスペースが見つかった。
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迷うことなくここに張ることにした。ここなら水場までもさほど遠くない。
時間は午後6時半。テントを張っているうちに日が暮れて、ちょうどいい時間になった。
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アルファ米用のお湯を沸かしながらレトルトの鯖の味噌煮を温める。そしてアルファ米が蒸れるのを待ちながら鯖の味噌煮でビールを飲む。まさに至福の時である。
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今日の行程は約 10 時間、36km だった。

熊野古道小辺路プロローグ

「ファストパッキング」という言葉があるらしい。
「軽装でより速く、より遠く」を主目的とした登山スタイルで、「ライトハイク」とか「ウルトラライトハイク」というような呼称もあるとか。
こういうスタイルに興味を持ったのはもう何年も前のことで、3年ほど前には軽いシェルターやシュラフ、アルコールバーナーなどを購入して、実行への準備を進めていた。
しかしその頃はまだ日帰りトレランで行きたいルートがたくさん残っていたので、重いザック(日帰りトレランに比べれば)を担いでの歩き山行はなかなか思い切るチャンスが巡って来なかった。
日帰りトレランはもう数年続けていて、さすがに京阪神や奈良、和歌山北部くらいの日帰りエリアでは興味をそそられるコースが見いだしにくくなってきている。
登山のベテランが好む「地図に無い不明瞭なルートを地図とコンパスを駆使して踏破する」というようなスタイルは私は興味が無い。
そうなると新たな世界に進出しようとすると「ファストパッキング」しか無かった。つまり日帰りではなくて宿泊を伴う山行ということ。
「山を走る」という行為に対しても以前ほどの意欲は感じられなくなってきたし、ひょっとしたら一度限りになるかも知れない道を真夜中にヘッドランプで通過するだけというのはもったいないんじゃないかという気持ちも出てきた。
アルプスの長距離縦走なども以前からやってみたいと思っていて、体力的なことを考えると残された時間はあまり多くない。
ここ2〜3年のうちに実行に移さないと、永久にチャンスを失ってしまうかも知れない。
山をやらない人はよく「山は逃げない」などと言うけれど、山を続けているある程度以上の年齢の人であれば「日に日に山は遠ざかっていく」ということを誰しも認識しているはずだ。
「ファストパッキング」というスタイルが先か、「ロングルート」という対象が先だったのか、それは自分でもわからない。
いずれにしても「機が熟した」のだ。
せっかくのゴールデンウィークだけれど、いきなり3日も4日もというわけにはいかない。物事には順序というものがあるし、特に登山のような何某かの危険を伴う行為においては、段階を踏むということは極めて重要だ。
この冬は久しぶりに何度か雪山へ行って、雪山の楽しさを思い出したので、本音を言えばアルプスのようなたっぷり雪の残る高山へ行ってみたいところだったが、さすがにいきなりというわけにはいかない。
重い荷物を背負って雪だ岩だとやっていたのはもう 20 年以上も前のことだ。
まずは雪の無い、しかもあまり気温の下がらないエリアで、1泊2日くらいで装備のことや身体のことを確認することから始めなければならないと思った。
そこで見つけたのがこの「熊野古道小辺路(こへち)」。高野山から熊野本宮大社までの公称約 70km。
調べたところではいくつかある熊野古道の中ではいちばん距離が長くて厳しいとされている(大峰奥駆道を除けば)。
しかしこの「厳しい」というのは「参詣道としては」ということで、登山の視点で見るとほとんどハイキングコースのようなレベルだ。
しかし途中に標高差 800m から 900m の峠を3カ所越えなければならないので、一気に行こうとすると体力的にはなかなか「厳しい」とは言えるだろう。
それと、途中で何カ所か集落に出るけれど、コンビニのような便利な店はまったく無く、せいぜい自動販売機がある程度(終盤には温浴施設と道の駅がある)。公共交通機関も限られたルートのバスが1日にほんのわずか運行されているだけなので、途中敗退は非常に難しい。スタート地点とゴール地点の交通機関は安心できるので、高島トレイルよりはマシだけれど。
一般的には途中の集落で宿を取って、2泊3日か3泊4日で歩くそうだ。
そこを私はファストパッキングで1泊2日で抜けようと企てた。宿泊装備は背中に背負っているので、宿泊地を決める必要は無い。行ける所まで行くだけだ。
小辺路は他の熊野参詣道に比べると宗教的な歴史はあまり古くなく、元々物資の運搬のために利用されていた生活道路が近年になってから参詣道として利用されるようになったらしい。
しかしその路も道路の整備や集落の衰退などで次第に利用されなくなって、参詣道という位置で何とか生き残っているということかも知れない。
実際に歩いてみると、宿や茶店の跡はたくさんあるけれど、宗教的な遺物は少ない(例えば大峰の「靡(なびき)」のようなもの)。
物資を運搬するための生活道路だったせいか、平坦で単調な道が延々と続くという箇所が多く、山歩きとしての魅力には乏しい。展望もあまり無く、淡々と足を前に進めるだけだ。
特に西中から昴の里までの 7km 以上に及ぶ車道歩きはただただ忍耐のみである。
今回初登場となった装備は、まずはモンベルのシェルター
フレームとペグを入れても 1kg くらい。
猛者は「タープ」という、大きな風呂敷をロープで張っただけようなもので過ごすようだけれど、私は建てる手間を考えて自立式のドーム型がほしかった。ツエルトは建てるのが面倒だ。
シュラフはファイントラックのポリゴンネスト 2×2
この「2×2」というモデルは今は無くなっているようで、とにかく薄くて軽い。ゴアテックスのシュラフカバーに毛が生えたくらいのサイズだ。
宣伝上手なファイントラックの「濡れても保温力があまり落ちない」という文句につられてネットで買ってしまったけれど、こんなペラペラで本当に寝られるのだろうかという不安を感じるシロモノ。
しかしシュラフの快適さを大きく左右するのは中綿(もしくはダウン)の量よりも、地面に体温を奪われないようにするマットの質である。
最近、購入したのは「山と道」のU.L.Pad15L
ファストパッキングのベテランはマットはお尻の下あたりまで(120cm くらい)で十分と言うけれど、私は足先が冷えるのが心配なので、全身サイズにした。これをシュラフの中に入れる。
今回は到着後の防寒具兼就寝時の保温のために薄い中綿のジャケットと薄いダウンパンツを持参した。
アルコールバーナーは FREERIGHT のTrinity ONE
アルコールバーナーはとにかく軽いし(わずか 20g !!)、故障の心配もまず無い。燃料もコンパクトで安い。
ただしガスやガソリンのバーナーのように火力の調節や点けたり消したりはできない。入れたアルコールの分量で燃焼時間を調節するので、長時間煮込むような調理はできない。
そしてできれば使いたくない携帯用浄水器
夕食は以前も利用していたジフィーズのアルファ米と乾燥おかず。久しぶりに登山店に買いに行ったら、昔のような四角いパックに2食分が入ったアルファ米は無くなっていた。
問題は行動食で、ファストパッキングのベテラン達はドライフルーツやミックスナッツなどだけで何日も過ごすらしいが、それで十分なエネルギーが補給できるのだろうか。
日帰りトレランの時はおにぎりやパックサンドなどを持って行くけれど、ファストパッキングの試行としてはやはり乾燥系のものを試しておく必要があると思って、食べ応えのある炭水化物系は我慢して、ジェルの他にミックスドライフルーツと一口サイズのチョコケーキ、ソイジョイ、甘いものばかりでは飽きるので小さなサラミ。そして登山店で見つけた乾燥餅のいそべ餅を持った。
ザックに詰めて重さを計ってみたところ、水を入れない状態で 7〜8kg くらいだった。水を入れても 10kg 以下に収まった。
それでも日帰りトレランに比べると倍くらいの重さで、体感的には「重っ!!」。
さらに不安は、二日連続の行動にどこまで耐えられるかということ。
連続行動時間 20 時間くらいは何度も経験しているけれど、いずれも軽装で、途中で何かあっても何とかなるような環境ばかりで、睡眠時間はしっかり取れたとしても、翌日どれくらいの体調になっているかはわからない。
そんなこんなで、期待と不安の入り交じった気持ちで当日の朝を迎えた。