阿武山古墳

この三連休の自由時間は土曜日の午後しかなかった。
幸い、天気は良さそうだったので、先月の古墳めぐりで到達できなかった高槻の阿武山古墳を目指すことにした。

家を出たのは午後1時 36 分。今回は枚方の古墳は省略して淀川へ。
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枚方大橋を渡って高槻に入って、芥川を遡る。
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先月は JR の線路を越えるために摂津富田まで行かされたけれど、地図を細かく見たら川の左岸は線路をくぐれそうだったのでそちらへ行ってみたところ、期待通りに線路を越えられた。
今城塚古墳はパスするつもりだったけれど、このあたりではここしか無いトイレを借用するために立ち寄った。
1時間くらいで来られると思っていたけれど、もう3時だ。13km くらいあったので仕方無い。
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このすぐ先の闘鶏山古墳(つげやまこふん)に向かうが、入り口がわからない。
地図では南と東に入り口があるようで、まずは東側に行ってみる。
ため池越しに古墳らしい地形が望めるが、北端まで行っても入り口が無い。
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仕方無く南側に回ってみたが、ちょうど名神高速が走っている。だいぶ西へ行ってからようやく北側に出ることができて、そこからまた東へ向かった。
古墳のすぐそばに闘鶏野神社があった。
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古墳はすぐそばに見えるけれど、フェンスで囲ってあって立ち入り禁止の看板が出ている。
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阿武山古墳に向かいつつ闘鶏山古墳の西側に沿うように進んだが、結局入り口らしきものは見つけることができなかった。
あきらめて住宅街を阿武山古墳に向かう。なかなかの登り坂だ。新興住宅街という感じだけれど、こんな所に住んだら歳をとったら大変だと思う。
地図で見た階段でショートカットする。
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部分的に登山道でショートカットして、京大の地震観測所のそばでようやく道標に出会った。
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このあと阿武山への登山道を少し上がると、阿武山古墳があった。
闘鶏山古墳でうろうろさせられたせいもあって、今城塚古墳から1時間近くもかかってしまった。
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この古墳は盛土が無く、標高約 220m の尾根に溝を掘って墓域にしている。
この下には藤原鎌足かも知れないミイラが今も眠っている。
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時間があれば阿武山山頂まで行こうと思っていたけれど、すでにもう4時近い。今日は山が目的ではないので、ここで下りることにする。
木が無ければ絶景なのだけれど・・・。
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これから今日最後の目的の継体天皇陵を目指す。
考古学的には今城塚古墳が継体天皇の墓という説が有力だけれど、宮内庁は太田茶臼山古墳を継体天皇陵と治定している。
宮内庁が管理しているので中には入れない。
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あとはしばらく車道を走って川に出て、来た道を引き返す。
枚方大橋を渡って河川敷に下り立ったあたりから何故か調子が上がってきて、自然とキロ5分半くらのペースになっていた。
ここで偶然、陸上クラブの会長さんに出会った。
堤防からはちょうど阿武山古墳のあたりを望むことができた。
ズームアップしているので汚いけれど、左の方にある鉄塔の向こう側の山の稜線あたりが阿武山古墳。
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家に帰り着いたのはちょうど午後6時だった。約 36.4km でした。

山上ヶ岳

日曜日は雪の大峰シリーズ第三弾で、山上ヶ岳へ行ってきた。大峰三度目にしてようやく好天が期待できる条件だった。
正月に敗退した経験から、今回はトレッキングシューズ、そして新たにアマゾンで購入した中国製の 10 本爪アイゼンで出動した。
しかし気温は思ったより高めに感じたので、前日に用意しておいた山スキー用のジャケットはやめていつもの雨具にして、ピッケルもやめて山スキー用の折りたたみ式ピックの付いたストックを右手に持って、左は普通の山スキー用ストックにした。
これまで通り、途中のコンビニで朝食とコーヒーをとって、またしても道を間違えたりして(毎回、違う所で間違える)、洞川温泉を越えて奥に向かった。
母公堂(ははこどう)から先は冬は通行止めということになっているらしいが、実際には轍があって、結構車が入っている。
この奥にも駐車場があるのだけれど、ムリに入って面倒なことになっても困るので、母公堂の前の駐車場に停めることにした。ここからなら歩いてもそれほど大した距離ではない。

歩き出したのは6時 50 分だった。
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前の二回とは違ってすでにすっかり明るくなっている。
しばらく車道を行くが、路肩に車が何台か止まっている。洞川温泉の手前でも路肩に多くの車が止まっていたけれど、どうも釣り客のようだ。
20 分少々で清浄大橋に着いた。
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ここにも大きな駐車場があった。1日 1,000 円の有料だが、誰もいなかった。車は2台ほど停まっていて、先ほど車道で横を走って行ったと思われるワゴンが深雪にスタックしていたが、お手伝いをしている時間は無いのでさっさと通り過ぎた。
さて、山上ヶ岳はおそらく日本で唯一残っていると思われる女人禁制の山。ここから先は女性は入れない。
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しばらく木の階段が続く。
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そろそろ雪が出てきた。
出発してちょうど1時間で一本松茶屋。
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この中でアイゼンを着けようと思っていたら、中で二人パーティがアイゼンを着けていたので、そのまま素通りした。
いよいよ完全に雪道になってきたので、道ばたでアイゼンを着けた。初めてのアイゼンで、バンドの締め方は練習してきたつもりだったのだけれど、いざ本番になると忘れてしまっていた。
樹林帯で展望はほとんど無いけれど、空は快晴だ。
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大きな岩につららがかかって、岩陰に小さなお地蔵さん。
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せっかくの好天で気持ちいいのだが、どうもアイゼンの具合が良くない。締め方が正しくないのか、ずれてきている感じだ。
ずれている箇所に木の枝をはさんだりしてみたけれど、すぐに取れてしまった。
冬用のプラブーツで履いていたような本格的なアイゼンではないので、あまり信用できない。チェーンスパイクよりはマシという程度だ。おそらくこの程度の山が使用できる限界だろう。2000m を越えるような山では使えない。
歩き出して2時間ちょっとで洞辻茶屋に出た。
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振り返ると、左に大天井ヶ岳、右は小天井ヶ岳。
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洞辻茶屋の建物を抜けると右側に仁王像。目つきが恐かった。
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この先の分岐で左に入ったが、少し登るとロープが張ってあった。しかしその先にもトレースがあったので、そのまま登ったのだが、急斜面の木の階段は朽ちていておまけに雪がかぶっている。トレースも消えた。
ストックのピックを使って強引に這い上がったが、どうもここは行ってはいけない箇所だったようだ。
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ここを過ぎると、またしっかりしたトレースに合流した。
いよいよ大峰山寺のエリアへ。
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お寺の建物と、おそらく山上ヶ岳のピークであろう山容が見えた。
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山門をくぐる。
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少し行くと開けた地形になっていて、山頂は右側のようだ。
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10 時ちょうどに山頂(1719.4m)に到着した。
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山頂は展望があまり無いので、少し下りた開けたプラトーで腰を下ろした。
正面は八経ヶ岳と弥山、右が稲村ヶ岳。
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単独行の方が一人、休んでおられたが、おそらく一人で静かな方がいいだろうと思って(私ならそうなので)、少し離れた場所でおにぎり休憩にした。
10 分ほどで腰を上げて、当初の予定だった大普賢岳の方へ向かおうとした。
が、まったくのノートレース。
無雪期でもそこそこの距離があるのに、まさか一人ラッセルで進む気にはならない。
と言うことで、あっさりと戻ることにした。
行きにパスした西の覗に寄ってみる。
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どれくらいの崖なのかわからないくらい落ち込んでいる。
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行きに登った間違った箇所は正しいルートを下った。しかしここも部分的には雪の不安定な箇所もあって、おもちゃのようなアイゼンではあぶない斜面だった。
そうしたら下から上がっている単独の人に出会った。一本松茶屋で出会った二人パーティと思ったのはたまたま一緒になっただけだったのだろうか。
さらに洞辻茶屋の手前でももう一人に出会った。
結果的に、この日に山上ヶ岳を登ったのは私を含めてたったの四人だったようだ。こんな快晴の日曜日にこんなに登山者が少ないとは思わなかった。
大普賢岳を止めたので、かわりに大天井ヶ岳へ向かってみようかと思った。しかしここもノートレース。
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少し進んでみたけれど、思い湿雪でスネまでもぐるので、これはムリだと思った。
登山口には 12 時 15 分に下りてきた。
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また車道を歩いて、12 時 35 分に母公堂に戻った。
山上ヶ岳なら冬でも天気が良ければかなりの登山者がいるのではないかと思っていたけれど、予想外に静かな登山が楽しめた。登山者が少ないおかげで大普賢岳へは行けなかったけれど、快適な山行だった。

鍋尻山

3/10(金)は鈴鹿の霊仙山の南にある鍋尻山(なべしりやま)へ行ってきた。今回も名前を聞くのも初めての山だった。

古い登山地図では河内風穴のそばから登山道が出ているが、もう少し先の山女原(あけんばら)までタクシーで行った。すでに人は住んでいないらしい。
小雨の中で出発の準備。
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いきなり急斜面をぐいぐい上がる。どうも最近の登山講座はこういうパターンが多いようだ。
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途中の大きな杉の木のたもとには小さなお地蔵さん。
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いよいよ雪が多くなってきて、トレースの無い急な斜面を這いずり上がる。
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少しなだらかになった所で見えたのは鍋尻山の山頂か?
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昼過ぎに鍋尻山(838m)に到着した。
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今日のコースは下山が長い。
昼食後、南側の保月を目指して下るが、かなりの積雪(数十センチ)で足元がずぶずぶ沈んで苦労させられた。
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40 分くらいで無事、保月に下り立った。
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あとは多賀大社を目指して林道をひたすら進む。序盤は除雪されていない。
地蔵峠には立派な杉と祠。
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このあと少し林道をショートカットして、除雪された箇所に出た。
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杉峠にはご神木。
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午後4時にようやく調宮神社(ととのみやじんじゃ)まで下りてきた。
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ここからはひたすら車道で多賀大社を目指す。
途中で山の彼方に鍋尻山を望むことができた。
ちょうど鍋を逆さにしたような山容なのでそう呼ばれるようになったらしいが、まさにそういう眺めだった。
左右の山の間の遠方に見えるのだけれど、写真では雲の白さとかぶってよく見えない。
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多賀大社駅に到着したのは4時 45 分くらいだった。

山幸橋から鷹峯

昨日は京都一周トレイルの講座で山幸橋から氷室を経て鷹峯まで歩いてきた。

地下鉄北山駅から登山口の山幸橋まではタクシーに分乗して、すぐに登山道に入る。
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天気は良いけれど気温は低い。
盗人谷(ぬすっとだに)に沿って進む。
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大きな倒木。
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1時間少々登ってようやく峠に到着した。
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ここから十三石山方向に少し登った場所に展望台があるらしい。
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なかなかの急登だったけれど、行った甲斐があって展望は素晴らしかった。正面は比叡山。
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峠に戻ってほどなく氷室の集落へ。
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私が通っていた中学はここ氷室が校区で、同級生に氷室から通っている男子がいたが、どうやって通っていたのかは思い出せない。
コースから少し離れて氷室跡へ。ちらほらと雪が舞ってきた。
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このコースは個人的には何度も通っているけれど、氷室跡に来るのは初めてだ。ただの穴ぼこ・・・。
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ここで昼食をとって、あとは車道でほぼ下り。
まずは氷室神社へ。ここもこれまでは前を通過するだけで、中を訪れたことは無かった。
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かなり由緒のある神社のようだ。冷蔵庫の無い時代、氷を長期間保存しておけるというのは貴重な場所だったに違い無い。
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そこそこ車が通る車道を行く。
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京見峠を少し越えたあたりで京都市内が眺められる。
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峠の茶屋はもう営業していない。
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車道から分かれて長坂道へ入る。ここも舗装道路だけれど、あまり車は走っていないようで、そこそこの風情は残っている。
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首無し地蔵。
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千束の坂の下に出て、坂は土道で上がる。
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坂を上がったところに然林房(ねんりんぼう)。このあたりの出身の人間だけれど、もはや記憶に無い。
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この少し先の鷹峯のバス停で解散となった。
私はこのあと賀茂川に出て、出町柳まで歩いて帰った。
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播磨アルプス

土曜日は快晴の元、播磨アルプスを縦走してきた。
トレランでも良く行かれるコースなのでどんなところなのかはおおむね知っていたけれど、行くのは初めてだった。

「○○アルプス」と呼ばれる山域はたくさんある。日帰り圏でこれまでに行っただけでも、湖南アルプス、比叡アルプス、六甲アルプス、須磨アルプス、多紀アルプスなど。
いずれも岩場のアップダウンのあるエリアで、アルプスのミニチュア版ではある。
播磨アルプスは家からはいささか遠くて交通費がかかるわりには距離が短くて、近くに継続できる適当な山域も見あたらないので、トレランで行く機会は無かったが、この日も何人かのトレイルランナーに出会った。
JR 曽根駅を出発して、しばらく車道を東へ行って、北山神社の鳥居の横から山道に入る。
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少し登ると主峰の高御位山(299.8m、たかみくらやま)がはっきり見えてきた。山肌が禿げているのは森林火災の跡らしい。
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南方は瀬戸内海だけれど、遠くは霞んであまりはっきり見えなかった。
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岩場のなかなかの急登をぐいぐい登って、11 時過ぎに高御位山に到着した。快晴の土曜日なので、たくさんの登山者で賑わっている。
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ここで早めの昼食をとって、稜線を西に向かう。
方向が北へ向かったあたりで高御位山を振り返る。
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さらに進むと前方にこれから向かう桶居山(おけすけやま)。
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花崗岩の急登を上がって山頂(264m)に到着。
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下山の途中でちょっとした岩場に寄り道した。
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さらに下ると遠方に姫路城が見えたが(この写真ではちょっとムリ?)、姫路駅から見た真っ白い様相とは随分違った。
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車道に出て、縦走終了。
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このあと車道を御着駅まで歩いて解散となった。

猪背山

先月末の 28 日は随行で湖南の猪背山(いのせやま)へ行ってきた。
今回も山名を聞くのも初めての山。どこにあるのかなかなかわからなかった。

京阪、近鉄、JR東海道線、JR草津線、信楽高原鉄道、バスを乗り継いで、家から3時間かかってようやく登山口の宮尻に到着した。すでに 11 時を過ぎている。
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しばらく車道を歩いてから林道に入って、送電線の巡視路に入る。
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いきなりかなりの急登が続く。
30 分ほど登って鉄塔に出た所で早々と昼食。
ここはなかなか眺めのいい場所で、鷲峰山が望めたけれど、写真を撮るのを忘れた。
道はいささか不明瞭で、ヤブ斜面を適当に這い上がる。
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干支の年だけ登山者が増えるという猪背山(553m)に到着した。展望は無し。
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不明瞭な踏み跡を辿って、車道に出た。
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この後はバス停に向かってひたすら車道を歩く。
春日大社の子分の春日神社。建物にはシカの彫り物がいくつかあった。
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富川磨崖仏(耳だれ不動)。
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イワナやアマゴが放流されている信楽川。
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大滝もあります。
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午後4時半頃に大石小学校バス停に到着して、ここからバスで石山駅に出た。
交通の便が悪く、陸の孤島のようなエリアだった。

高野山黒河道から京大坂道

高野山はずっと興味の対象では無かった。
随行の仕事をするようになる前は吉野や高野山はごちゃごちゃの印象で、登山の対象として見たことが無かった。
随行の仕事のおかげで近郊の低山のおもしろさに気付いて、ここ何年かはこれらの地域へ頻繁に足を延ばすようになってきたが、めぼしい未知のロングルートがだんだんと少なくなってきた。
朽木や大峰などは致し方なく車で行くけれど、車だと元に戻ってこなければならないし、帰りは時間的にどうしても部分的には渋滞に巻き込まれてしまう。
だからできる限り公共交通機関で行きたい。
この週末はできれば大峰の山上ヶ岳へ行きたいと思っていたのだが、ヤマレコで最近行った人の記録を見ると、かなりの積雪のようだ。
雪山は好きだけれど、そうは言っても今さらラッセルはやりたくない。
そこで地図を眺めていて目に入ったのが高野山。
高野山にどんな山があるのかすら知らなかったのだけれど、調べてみると標高はせいぜい 1000m で、直近でも積雪はそれほど大したことが無さそうだった。
それに電車の駅からのロングルートが設定できそうで、もうこれしかないと思った。
設定したルートは、南海(JR)の橋本駅をスタートして黒河道(くろこみち)というルートで高野山に上がって、高野三山を周回。
その後、金剛峯寺を通って天狗岳に登って、京大坂道(きょうおおさかみち)を下る。
京大坂道は極楽橋から下はずっと車道のようだけれど、ランナーの端くれならやはりここは走って橋本駅まで戻るしかないだろう。
40km くらいにはなりそうだけれど、久しぶりにワクワクしながら始発電車で暗い中を出かけた。

橋本駅前で準備を整えて、出発したのは7時7分くらいだった。
気温は低かったけれど、今日はわりと走れるパートが多いのではないかと思って、上は長袖クロロファイバーシャツにトレラン用長袖ジップシャツ。下はロングタイツのみにした。シューズは HOKA の Stinson ATR。
橋本橋で紀ノ川を渡る。
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南海の高野線の踏み切りを渡るといきなり細道に入るようで、ちょっと迷ったけれど、すぐに世界遺産登録ののぼりなどがたくさん出てきた。
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道は車道(と言っても細いコンクリート舗装の坂道)になったり土道になったり。
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少し登ると見晴台に出た。
昨年、何度か足をはこんだダイトレの紀見峠から岩湧山の稜線。
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登山道は杉の枯れ葉がたくさん落ちていて、登山者は少なそうな気配だ。比叡山の登山道のようなものをイメージしてきたのだけれど、ずいぶん雰囲気が違う。
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「黒河道」と言っても一本道ではなく、途中で分かれている所が何カ所かある。どちらへ行っても先では合流するのだけれど、距離や歩きやすさなどは違いがあるようだ。
今回はあらかじめ、最短距離のルートを gps に入れてきた。
よくわからなかったのが明神ヶ田和という分岐で、予定のルートはずっと下っている。ここまできてこんなに下りが続くというのは思っていなかったので(調べていればわかったことなのだが)、少し不安を感じたけれど、所々に道標はあるので、沢沿いの道を下りて行った。部分的には足を滑らせると沢に落ちてしまうような箇所もあった。
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高野山はわりとクマがよく出没するらしい。冬は大丈夫だと思うけれど、山スキーへ行っていた頃に3月の乗鞍周辺で何度もクマに遭遇しているので、注意は必要だ。
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出発して2時間半で久保小学校(廃校)に到着した。
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10 時 20 分に、ようやく今日最初のピークの雪池山(ゆきいけやま)への分岐に着いた。
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このあと、少し登って四等三角点のあった所で、今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。
樹林帯で展望がきかないので、ここが雪池山の山頂かと思っていたのだけれど、実は山頂はもう少し先だった。
ピーク(988m)へはなかなかの急登で、おまけに踏み跡もあまりはっきりせず、わずかではあったけれど息を上げて登った。
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ほとんど 1000m だと言うのに、雪はほとんど無い。緯度がほとんど同じくらいの大峰は、最近の豪雪の前でも 1000m まで上がればかなり雪が現れてきていたのに、どういうことなのだろう。おまけに北斜面だと言うのに。
予定ではこのまま南下して楊柳山(ようりゅうやま)の方へ向かうつもりだった。
実はその方向に踏み跡があったのだけれど、そちらは方向がおかしいと思い込んでいて、実は変な方向にあったテープマークに引かれてそちらへ下りてしまった。
少し下りて方向がおかしいということに気が付いたのだけれど、あの急登をまた登り返す気力が出ず、ピークを巻いて元の道に戻ることにした。
無事、黒河道に戻って、南へ向かう。平坦な道だ。
途中、雪池山への分岐の標識があったので、あの踏み跡を辿ればここに出てきたのかも知れないと思った。
楊柳山への分岐の子継峠(こつぎとうげ)に到着。
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この先で、今日初めて単独行の登山者に出会った。
楊柳山(1008.6m)には 11 時 27 分に到着した。出発して4時間 20 分。
写真を撮っただけで先を急いで、11 時 52 分に摩尼山(まにやま、1004m)。
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ここから一旦、弘法大師廊へ下る。どういうわけかこのあたりはわりと積雪がある。
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地形図ではこのあたりから左へ、転軸山(てんじくやま)へ上がる道があるのだが、その登り口がわからない。
さすがにこのあたりは観光客で混雑していて、こんな所にこんな場違いな格好でウロウロしていたくない。
この左(西側)の転軸山の斜面のあたりに古いお墓がたくさん建っている所があったので、そこに突入して行った。
ヤブはそれほど濃くなかったので、そのまま強引に gps のルートの方向に上がって行った。
ほどなく、かすかな踏み跡に合流した。
それを辿ると、無事、転軸山の山頂(915m)に出ることができた。
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さて、これで今日のメインイベントの高野三山を巡ることができた。
できれば 12 時には高野山の街に出たかったのだけれど、街に出るのは午後1時くらいになりそうだ。
金剛峯寺までの道は以外とわかりにくかった。一度は大きな公園に入ってしまって、分岐に戻るのが面倒で車道脇のヤブを這いずり上がった。まさか街中でヤブこぎをすることになるとは思わなかった。
当たり前と言えば当たり前なのだけれど、宗教色の強い街だ。
立派な建物がたくさんあって、これだけの施設を維持しようと思ったら、財テクでもやらないと資金繰りが大変なのかもと思ったりした。
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メインストリートを西に向かって大門へ。
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そして最後のピークの弁天岳へ向かう。
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ここの登りはなかなか苦しかったが、午後1時 45 分に弁天岳山頂(984.2m)に到着した。
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登山道で女人堂に下りる。女人禁制の時代の名残。
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あとは京大坂道をひたすら下るだけだが、まだ距離はたっぷりある。
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不動坂は土道の旧道と石畳の道があって、私は旧道を下ったのだが、部分的にはずいぶん荒れていた。
距離的には旧道の方が若干短いけれど、時間的には石畳の道の方が早そうだった。
極楽橋には午後2時 35 分に到着した。
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ひょっとしたら「ここから電車で」という気持ちが出るかも、と恐れていたけれど、幸いそういう気持ちはまったく湧かず、迷うことなく車道を下った。
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ここの車道は道幅が狭くて、中型車なら歩行者は思いっきり避けないとすれ違えないくらいなのだが、生活道路などでわりと車が走る。朽木の県道をもっと道幅を狭くしたような感じだ。
途中に見所は所々あって、白藤小学校(廃校)。
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結構な急坂があったりして、随分下りてきたのだが、進む方向に丘があるのが気になる。
ここは九度山で、丹生神社・日輪寺の前から登り坂が始まった。
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あとは淡々と下るだけと思っていたので、この期に及んでの登りは気分的に(体力的にも)堪える。
とは言っても登りは 10 分くらいで、峠に上がるともう登りの無い景色が広がっていた。
学文路(かむろ)では苅萱堂へ立ち寄った。
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最後の悪魔の囁きの学文路駅への誘惑も断ち切って、紀ノ川まで戻ってきた。
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橋本高野橋を渡って、橋本駅には午後4時 50 分にゴールした。
約 42km、9時間 45 分の旅でした。

蓬莱山尾山

日曜日は登山講座で琵琶湖の有人島、沖島の蓬莱山尾山へ行ってきた。
蓬莱山尾山はもちろん行くのも名前を聞くのも初めてで、沖島へ渡るのも初めてだった。

近江八幡からバスで堀切港まで行って、そこから舟で島へ渡る。
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舟に乗っているのはほんの 10 分程度。
淡水湖にある有人島というのは世界的にもめずらしいそうで、この島には車が無い。それどころか、車が走れるほどの道はほんのわずかしかなく、港から少し離れると家の軒先のような道になってくる。
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島内の主たる移動手段は後輪が二輪の自転車。
島民の方々は舟と車を所有しておられて、車は対岸の堀切港のそばの駐車場に置かれているらしい。
島内には小学校もある。一体、何人の生徒がいるのだろうか。
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まずは厳島神社へ。
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石段を上がるとお堂がある。
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少し戻って、山道に入る。
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急登を上がると雪が出てきた。
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奇妙な形の杉の木が。
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ちょうど昼頃に蓬莱山尾山(220.2m)に到着して、昼食にした。
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伊吹や鈴鹿方面の雪景色が素晴らしい。
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食後は稜線を辿ってケンケン山(210m)へ。
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ここからは比良方面の眺めがすばらしい。
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急登を下るとお墓に出た。
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次の舟便まで少し時間があるので自由行動ということで、私は島の西端にある頭山というでっぱりに向かうことにした。
麓に神社があって、そこの石段を上がって行く。
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道があったのはここまでで、頭山の頂上に向かう道は無さそうだ。
しかし頂上はもうほんのすぐそこ。
ヤブをかきわけて進もうとするが、なかなかの急傾斜で、真っ直ぐ上には上がれない。
適当に当たりをつけて上がってみたが、大変なヤブに阻まれてここで断念。何となく頂上のように思えた。
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しかしここからの下りはさらに難渋した。
急なヤブ斜面を強引に上がってきたので、元通りにすんなりとは下れない。
下れそうな斜面を探りながら下りるしかない。
登ってきたルートからはずれていることはわかっていたけれど、もはや戻ることもできない。
滑落だけはしないように、慎重に下りる。
舟の時間が心配だ。
何とか小さな畑の裏に下り立った。出港まであと 15 分。しかしここはどこ?
gps があったおかげで、実は登ってきたのとは反対の北側に下りたということがわかった。
家の間の細い道を辿って、数分で港に戻ることができた。
あとから gps のトラックを見たら、頭山の山頂までは行っていなかった。
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無事、堀切港に戻ってきたが、何と次のバス便まで1時間以上あるらしい。
船便もバスも一日にほんの数便しか無いというのに、この接続の悪さは何なのだろう。
このバス(近江鉄道バス)はいまだに IC カードも使えず、それにも拘わらず車内では 1000 円札以外の両替ができないなど、サービス最悪である。
時間つぶしに、伊崎の散策路を少し歩くことになった。
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お地蔵さん、それとも古いお墓?
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1時間ほどの散策だったが、なかなか気持ちのいい林だった。
沖島はまるで 100 年ほどタイムスリップしたかのような世界で、山も自然な感じが残っていて非常に良かったし、おまけの伊崎もいい雰囲気だった。
なかなか味わい深い、いい一日だった。

枚方高槻古墳めぐり

先週の週末は自由時間が土曜日の午後しかなかったので、久しぶりに淀川のロングジョグかなと思ったりしたのだけれど、そういう単調な走りにはもはや意欲が湧かない。
このところちょっと興味を持っている飛鳥の歴史にしばしば登場する藤原鎌足(中臣鎌足)が埋葬されている可能性が高いと言われている古墳が高槻にあるということを知って、その「阿武山古墳」へ行ってみようと思った。
先月、御破裂山へ行った時に、御破裂山の山頂にあった「藤原鎌足の墓」というのは何なのかという気もするけれど。
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ずいぶん新しいお墓だった。
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今日はせっかくなので、枚方の古墳も経由していくことにした。

午後2時に家を出て、まずは家から歩いても 10 分足らずのところにある牧野車塚古墳。もう何度も来ている。
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以前は案内板が立っていたように思うのだが、見あたらなかった。
次は初めて訪れる禁野(きんや)車塚古墳。
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公園になっている。
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しばらく車道を行って、淀川の枚方大橋に向かう。
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高槻のゴルフ場横を通って、芥川へ。
堤防からは阿武山古墳方面が望める。ただし途中で今城塚古墳と闘鶏山古墳に寄って行くつもり。
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新幹線を越えて芥川から別れた細い川を遡って、阪急や JR などを越えていかなければならないのだが、JR の踏み切りになかなか出会えず、結局、摂津富田駅の地下道まで遠回りさせられてしまった。
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次の目標の今城塚古墳は駅前から車道を北上すれば出られるので、そのまま車道を行く。片側1車線の細い道だが、バスも通って交通量が多い。しかも歩道が無いという最悪の道だ。
今城塚古墳に着いた時はほとんど4時になっていた。
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ここは大きな古墳で、考古学的には継体天皇の墓という説が有力なのだが、宮内庁はここから少し南西にある古墳を継体天皇稜に治定している。
おかげでこの古墳は公園として整備されていて、墳丘も立ち入り自由になっている。
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埴輪がたくさん出土したらしい。
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これらはもちろんレプリカ。
時間的に、このまま予定のコースを行くと、帰るのは確実に暗くなる。
となると、古墳をゆっくりと見る余裕も無く、あわただしく駆け抜けることになってしまいそうだ。
せっかくここまで来たけれど、阿武山古墳は時間を取ってゆっくりしたいので、この先はまた日を改めて来ることにしようと思った。
あの交通量の多い道は摂津富田駅に向かって車が渋滞していた。止まっている車の横ギリギリをすり抜けながら(もちろん歩きで)、遠回りにならないような道を選んで芥川に向かった。
5時過ぎにようやく枚方の河川敷公園まで戻ってきた。
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家に帰り着いたのは5時 40 分。何とか暗くなる前に帰ることができた。
30km 少々、3時間 45 分の古墳めぐりでした。
次回は枚方の古墳は割愛して、継体天皇陵にも立ち寄って回ってみたいと思う。

巻向山、龍王山

今日はかなりの荒天予報だったので、コース設定に苦心した。
本当は大峰に行きたかったけれど、遠路はるばる行くのであればもう少しいいコンディションの日にしたかったので、あまり欲張らずにショートコースで設定した。

JR 巻向駅をスタートしたのは8時 45 分。
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せっかくなので箸墓古墳に寄っておくことにした。
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ここは「卑弥呼の墓」という説もあるらしいが、否定的な説の方が多そうだ。
県道を笠地区の方にしばらく行って、林道に入る。
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地図で山奥にお寺の記号があったので、どんな寺なのか興味があって目指したのだけれど、結構しっかりした林道で、車が走った新しい轍が残っている。
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10 時前に巻向山奥不動寺に到着。
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ここから三輪山を目指すが、少し登った分岐に「進入禁止」の表示が・・・。
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ということで、このあとは割愛します。
奥不動寺に戻って、巻向山に向かう。
ここは車の通らない林道で、足跡はウサギだけ。
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昨秋に来た時にはもう巻向山に来ることは無いだろうと思っていたのに、4ヶ月も経たないうちに再訪することになった。
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昨秋はここから三輪山を目指すつもりが道がわからなくて北の県道の方に降りたのだけれど、実はこの林道をそのまま下れば良かったのだ。
ここからしばらくは昨秋に歩いた道を辿る。しかし今日は雪がかぶっているので、昨秋以上にわかりにくい。
頻繁に出てくるテープマークを確認しながら進む。
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何度かルートをはずしたけれど、そのたびにテープマークまで戻って、正しいコースをたどった。
昨秋に下った沢を見送って、おだやかな下りになって、このまますんなりと県道にでられるだろうと安心していたのだが、突然テープマークが無くなった。
テープマークまで戻って何度かうろうろしてみたけれど、どうにも見あたらない。しかも下は沢筋ですんなりとは下れなさそうだ。
gps のルートははずしていないので、地図で地形を確認して、横の尾根に上がってから沢筋に降りることにした。
しかしここはかなりの急斜面で、足を滑らせると谷底まで落ちてしまいそう。チェーンスパイクを着けたいところだが、こんな場所でそんなことをしていたら荷物を落としてしまう。
微妙な間隔で生えている木を頼りに、慎重に下る。
大物主大神のたたりか?。
所々踏み跡のようなものが出てくるけれど、それもすぐに消えてしまう。
ルートはそれほどはずしていないので、沢筋を下ったところ、前方に車道が見えた。
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やれやれと安堵したけれど、道に上がるには巻向川を渡らないといけない。もちろんこんなところに橋など無い。
あたりを見渡してみたところ、ちょっとした堰堤があって、そこに大きな岩があって道路に這い上がれそうだった。
堰堤を渡る時に片足を水たまりに落としてしまったけれど、ゴアテックスのシューズにスパッツを着けていたので、足は濡れなくてすんだ。
車道に上がってみると、ちょうど私が渡った場所のすぐそばに赤いテープがあるのを見つけた。やはりここは山道の取り付きなのだろう。
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車道を少し西に下って、また林道に入る。
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この道も本当に龍王山までつながっているのかどうかわからないけれど、ダメなら戻ればいいという気分で行くことにした。
ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。12 時 18 分。
つまらない朽ちた林道をしばらく登ると、ヘアピンカーブになった所で沢筋を上がれそうに見えた。
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しばらくは踏み跡があったけれど、やっぱりそれも消えてしまった。あとは登れそうな斜面を上に向かって上がるだけ。
倒木をまたぎながら登ったら、赤テープが出てきた。
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ここからはしばらく笹藪で、全身雪まみれになった。
予想通りの場所に出て、ちょうど午後1時に龍王山(585m)に到着した。
このところ奈良の山によく来ていて、大和三山も訪ねたので、ここからの眺めはこれまでとは随分印象が違った。
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少し前までは奈良の山から眺める景色は葛城金剛や生駒山しか念頭になかったけれど、今日は今朝訪ねた箸墓古墳や大和三山などの方に見とれて、寒い中、しばし眺望を楽しんだ。
とは言っても山頂にいたのはほんの数分で、下山は柳本龍王社を通っていく。
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随行で来た時には寄らなかった長岳寺奥の院にも寄り道した。
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何か建物でもあるのかと思ったが、おそらく修行場だろう。
時間があるので櫛山古墳にも立ち寄った。
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崇神天皇陵も。
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そして最後は黒塚古墳。
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柳本駅には午後2時半過ぎに到着した。
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悪天を予想して軽めのコース設定にしたつもりだったけれど、巻向山からの下山は想定外の事態だった。
天気が荒れなかったおかげで無事終えることができたけれど、事前の軽い気持ちとは裏腹に、なかなか手応えのある一日になった。
帰りは近鉄奈良駅から大阪線に乗ったおかげで、あの平城京旧跡を横切る光景を眺めることもできた。
最近は古代史にも興味を感じてきていて、奈良は山と歴史の両方が楽しめるので、何度でも再訪したいと思っている。