洞川から稲村ヶ岳、山上ヶ岳、小笹の宿へ

先日の養老の泊まり山行のあと、いくつか道具を新調した。他にも買ったままでまだ試していないものもあるので、それらのデビューも兼ねてまた泊まり山行に行くことにした。

大峰の山上ヶ岳の少し南東にある小笹の宿は以前に通った時に、一度ここで夜を過ごしてみたいと思った。

そこで好天予報の4/27日(木)に、洞川までバスで行って稲村ヶ岳と山上ヶ岳を経由して小笹の宿へ。翌日は山上ヶ岳に戻ってから吉野に下山する計画を立てた。

下市口から洞川までのバスは1日3本しかない。朝の便は9時過ぎに出て10時半くらいに到着する。平日のせいもあるだろうが予想通りのガラ空きで、自分の車だったら走らない旧道を辿って洞川に到着した。

準備を整えて10時半過ぎに出発した。今回は軽量化して、OMMの32リットルのザックで来たので体感的にはずいぶん軽い。

相変わらず洞川の温泉街は閑散としている。

何年か前に嫁と泊まった「光緑園 西清」。どんな宿だったかまったく記憶に残っていない。

20分ほど車道を歩いて、登山道に入り口まで来た。ここに下りてきたことは何度かあるがここから登るのは初めて。

五代松鍾乳洞は開いているのを見たことが無い。

出発して1時間20分ほどで法力峠。

前方に大日山が見える。ここはまだ登ったことが無いので今日はぜひ登りたい。

次第に道の右側が急斜面で切れ落ちているクサリ場が出てくる。ここももう修復はされないのだろう。

法力峠から1時間ほどで山上辻に到着した。

ここでおにぎり休憩にして、ポールを出して稲村ヶ岳に向かう。まだ残雪があった。ただしここだけ。

20分ほどで大日山への分岐に到着。稲村ヶ岳へはこれまでに何度か来ているが、いずれも雪のシーズンだったので大日山へは寄ったことが無い。さすがにノートレースのクサリ場を行く根性は無い。

山頂まではほとんどずっとこんな感じ。

ポールが邪魔になるがここで仕舞うのも面倒だ。

10分ほどで大日山の山頂(1689m)に到着した。

また戻って、午後2時に稲村ヶ岳(1726.1m)に到着した。今回の山行の最高峰。

真ん中の左に山上ヶ岳、右に大普賢岳と行者還岳が望める。

反対側は金剛・葛城山系。

山頂から25分ほどで山上辻へ戻って、山上ヶ岳に向かう。今度は左側が急斜面で切れた場所が続く。5年ほど前に敗退した場所はここだろうか。

山上辻から40分ほどでレンゲ辻に下りたった。

急な階段を何度か這い上がると木の向こうに日本岩と西ノ覗岩が望める。

山頂エリアに出るとつい先ほど登ってきた稲村ヶ岳と大日山がすぐそばに見える。その向こうの左は弥山。

山頂(1719.4m)の湧出岩には3時52分に到着した。

折り畳みイスを出してスナックバーを食べながらしばし展望を楽しんでから小笹の宿に向かう。

大峰山寺も開いているのを見たことが無い。

山頂から40分ほど歩いて今宵の宿の小笹の宿に到着した。

ここは人気のテント場所なので平日とは言え誰かいるのではないかと心配したが、幸い誰もいなかった。もう5時前なのでこれから来る人はいないだろう。

今回は2年ほど前に買ってからまだ一度も使っていなかったトレイルシェルター を試してみることにした。ポール2本で立てられて、重さも200g程度という軽量シェルター。

そしてマットはエバニューの折り畳みの樹脂マットを新調した。

コンロはトランギアのアルコールバーナーを新調した。これまで使っていたトリニティワンは超軽量なのだが火力調整や消火などはまったくできないので、少し重いけれど使い勝手が良さそうなトランギア を購入した。

確かに使い勝手は格段に良かったが、アルコール消費量の多さには愕然とした。トリニティワンの時の倍くらいは消費して、こんなにはいらないだろうと思うくらい持って行ったのが危うく使い切ってしまいそうになった。

標高1600mを超えているのでシュラフはダウンにしたが、また膝が冷えてあまり眠れなかった。前回の教訓で膝のウォーマーを購入したのに、持ってくるのを忘れてしまった。

白尾山

4/16(日)は講座で京都の美山の白尾山へ行ってきた。

JR日吉駅からバスで美山のかやぶきの里へ。

集落の中を少し歩く。

何とシャクナゲが咲いていた。

山道に入ったが荒れていてなかなか厳しい。

沢筋で、おまけに前日が雨で濡れているのでヒルがいる。しばしば足元などを注意しながら登って、12時頃に稜線に出た。

稜線に出るとイワカガミがたくさん。ただし花はまだ一部。

12時45分に白尾山の山頂(748.6m)に到着して、ここで昼食にした。

山頂から長老ヶ岳を望む。

こちらは愛宕山方面。

下山は青谷川の方へ向かう。ミツバツツジがたくさん咲き誇っていた。

沢筋に入るとまたまた大荒れ。

倒木で荒れた道に時間がかかって、大内の集落に出たのは午後3時だった。

無事、大内のバス停にゴールしたが、予定していたバスはすでに行ってしまっていて、1時間後のバスで帰路についた。

雲母坂

4/12(水)は京都一周トレイルの講座で比叡山の雲母坂を登ってきた。

叡電の修学院駅に集合して、しばらく住宅街を行く。生憎の雨。

鷺森神社でお参り。

そして雲母坂の登山道に入る。

登り始めてしばらくしたら体調不良の方が出て、私はその方に付き添ってこの登山口まで一旦下りて、再度登り返して本隊を追いかけた。

何とか水飲対陣跡の手前で追いついた。

このすぐ上の展望場所から岩倉方面を見下ろす。

いつも通り、この少し上の浄刹結界跡で昼食にした。

さらにこの上の展望場所から京都市街を望む。

千種忠顕の碑に寄り道。

ケーブル駅の手前の展望場所から京都市街を望む。京都タワーが見えていたが写真ではわからない。

午後2時前にケーブル駅に到着して、ここで解散した。

養老山地2日目

ほとんど眠れないうちに5時に起きて、定番の棒ラーメンとコーヒーで朝食を済ませて6時半に出発した。

ありがたいことにゴミ箱があったので遠慮なく利用させていただいた。

公園の入り口のすぐ前に登山口がある。

今日はやっと登山道と思ったのも束の間で、ほどなく林道に出た。養老山頂まで 410 分という表記。4時間くらいで行けると思うのだが。

舗装路でないのがせめてもの救い。

30分ほどでようやく林道歩きから解放された。

さすがにこの時間にこの場所には誰もいない。

登山道に入って1時間半ほどで川原越まで来た。

ここは東海自然歩道と交差しているのだが、東の海津方向は廃道になっている。

少し進んだところに東屋があったので腰を下ろして大福休憩にした。

木の間から名古屋の方向。

津屋避難小屋の前で腰を下ろして休憩した。重荷なのでしばしば肩を休めるようにしている。

高い木が減って標高が上がってきた雰囲気になってきた。とは言ってもたかだか 800m 程度だけれど。

それにしても山頂に近づいてからも細かいアップダウンが次から次から出てきてうんざりする。

ようやく山頂への分岐。

分岐からはほんのわずかで、10時半に養老山の山頂(858.9m)に到着した。予想通りのテント地から4時間だった。

山頂に着いた時に単独の男性が一人おられたが、入れ違いのように下っていかれた。

展望が無いので山頂の少し下の木陰でカロリーメイトを補給した。

あとは養老の滝を目指して下るだけ。小倉山の展望台でしばし展望を楽しむ。

右の方は名古屋市街。

好天のせいか月曜日にもかかわらず登ってくる人とたくさん出会う。

三方山はどこかわからないうちに通り過ぎて、12時前に登山口まで下りてきた。

登山口の沢に人工物のような小滝。

予定通り、養老の滝のそばでしばしのんびりした。

あとは淡々と舗装路を歩いて、午後1時に養老駅にゴールした。6時間半、約 17km でした。

帰りも米原から新幹線を奮発して、5時頃には家に帰り着いた。

養老山地1日目

テント泊願望はずっとあるのだけれど、やるたびに重荷に苦しめられた印象ばかりが残って、なかなか思い切ることができないでいた。

しかし昔のような長距離トレラン がもはや満足できるレベルではできなくなってしまっているので、新たな満足感を得ようとするとテント泊くらいしか思いつかない。

と言ってもいきなり高島トレイルや大峰奥駆けではレベルが高すぎるので、まずはさほど高くはない山で一泊程度からと考えていろいろ探した結果、これまで行ったことのない養老山地が目についた。

養老山から南端の多度山までなら全行程で 40km 足らずなので一昔前なら一日で行ってしまおうと考えたと思うのだが、そこはもうそういうチャレンジは避けて、一泊二日の行程でコース設定した。

とは言っても荷物は格段に重くなるので軽装のワンデイより楽になるわけではない。今回は軽量化よりも快適性を重視しようと思って、テントは軽量のシェルターではなくてダブルウォールのものにした。

行程は一般的には養老からスタートして南下して多度山に向かう人が多そうだが、私は最後に養老の滝を眺めてのんびりしたいと思ったので、多度から北上することにした。

好天が二日続くタイミングを見計らって、4/9(日)に出発することにした。米原までは新幹線を奮発して、それから大垣に向かう。何と伊吹山は雪を被っていた。

大垣で養老鉄道に乗り換える。この鉄道は自転車で乗れるらしい。

大垣から小一時間かかってようやく出発地の多度駅に到着した。この駅で下車したのは私一人だった。

駅のそばで準備をして9時半過ぎに出発した。

しばらく車道を行く。目の前に多度山が望める。

ハイキング道入り口の宇賀神社。

山上まで舗装道路が続いている。自転車で登っているひともチラホラ。

土道が分かれているのが目に入ったので、こちらへ入ってみることにした。

展望場所から手前に揖斐川、向こうは長良川。

山道に入ってから30分ほどで多度山山頂(402.8m)に到着した。

快晴の日曜日なので人でいっぱい。

さて、これから縦走路を目指すのだが、道がいっぱいあってどこに進めば良いのかよくわからない。

案内板はあるのだがここに記載されている地名が手元の地形図には載っていないので、どこに向かうのが正解なのか確信が持てない。

とにかく北の方に向かう道に入る。

平坦なハイキング道を進む。出会うのは大半がトレイルランナー。近々トレイルレースが行われるという案内板が麓に立っていたので、下見に来ているランナーがたくさんいるのかも知れない。

昼前になったのでそろそろおにぎり休憩でもと思ってちょっと横道に入って美濃松山(612.7m)へ立ち寄ってみたら、すでに満員御礼だった。

眺めは良かった。

もう少し先の分岐の道標のある場所で横に入って、おにぎり休憩にした。

石津御嶽というのがどこなのかよくわからず、来た道を直進してしまった。あとから写真を見たら行止まりと表示されていたが、その時はまったく目に入らなかった。

gps でルートからはずれているのに気がついて戻ったが、荒れた林道があったのでそちらに入ってみた。

この道は正規の道から少し離れたところのほぼ廃道だったようで、ロストしたりしながら斜面を這い上がったら正規の道に合流した。その時はこの道がどこから来ているのかわからなかったのだが、先ほどの分岐で正しい方向に向かっていればこの道で来られたようだ。分岐でほぼ直角に曲がっていたのでこちらでは無いと思い込んでいた。

しばらく進んだら展望場所に出た。足元に揖斐川と長良川。ハンググライダーの発射場だったようだ。

さらに進んだら石津御嶽(629.1m)に着いた。

その先には奥の院。

しばらく下ると開けた場所の林道に出た。ここで腰を下ろして小さな大福を食べた。

田代越のあたりでまた山道に入ったが、次第にルートがわからなくなってきた。どうも正しいルートから外れてきているようで、gps を頼りにヤブ斜面を強引に下った。

道に出会ったら立派な林道で、遠くに車が停まっているのが見えた。

まさかずっと林道ではないだろうと思ったので脇道に入ったりしてみたが、いずれも無駄なロストだった。

桜番所という標識が現れた。

これのこと?

それにしても延々と林道でうんざりする。

肩が痛いので何度か休憩を入れながら、延々2時間半くらいの林道歩きの末、二之瀬越の県道に出た。

今日のテント予定地の庭田山頂公園まではほんのひと歩きだった。午後4時40分。

入ってすぐのところにトイレがあって、水道もあった。事前の情報では水が得られると書いてあったが、この水は「飲用不適」とのことだった。浄水器を持ってきているので大丈夫だろう。

適当なテント地を探すべく目の前の広いエリアに進んだ。

あまり奥まで行くとトイレと水道が遠くなるので、トイレそばの駐車場から影になるスペースにテントを張った。

7時間少々、23km ほどの行動だった。

標高 350m くらいだが夜はやはり冷えて、ファイントラックのペラペラシュラフとシュラフカバーでは安眠できなかった。特に膝が冷えて仕方なかった。

国城山

4/3(月)は講座で高野山の北の国城(くにぎ)山へ行ってきた。

集合は南海電車高野線の紀伊清水駅。

ここから高野参詣道の黒河(くろこ)道に入る。黒河道は数年前に歩いた。

まずは定福寺(じょうふくじ)に参拝。

この先で一旦、山道に入る。

岩掛観音の展望所から金剛山を望む。

しばらく登って鉢状弘法井戸。

このあとしばらく車道を歩いて明神ヶ田和へ。ここで国城山への道は黒河道から分かれる。

国城山頂の少し下に大きな桜の木。

昼前に国城山頂(552m)に到着した。

少し下りて国城神社の境内で昼食にした。

拝殿の下にも桜がたくさん。

和泉山脈を眺めながら山道を下る。真正面は南葛城山のあたり。

また車道に出て、和泉葛城山方面を望む。川は紀ノ川。

道端に大きなハナモモの木。

学文路(かむろ)駅の手前で人魚のミイラの苅萱堂(かるかやどう)へ寄り道。

前回来た時は中に入って人魚のミイラの写真を見ることができたのだが、今回は入れなかった。

このお寺の話ではありませんが、こんなニュースを見かけました。

2時半頃に学文路駅に到着して解散した。