伊豆、三島、熱海

昨年の秋に太宰治ゆかりの地を訪ねて津軽へ行ったが、太宰の作家としての活動はほぼ東京が拠点だった。なので東京を中心としたゆかりの地もぜひ訪れてみたいと思っていた。

ちょうど梅雨の最中で山では天候が不安定なので、このタイミングで街歩きの探訪に出かけることにした。

6/20(火)の早朝の新幹線を乗り継いでまずは静岡県の三島へ。

三島の街歩きは後回しにして伊豆箱根鉄道とバスを乗り継いで三津(みと)の安田屋旅館に向かう。案内では「三津シーパラダイス」という停留所で降りると書かれていたが、手前の「シーパラダイス駐車場」で下車される方がおられて、ふと見たら安田屋旅館の駐車場という看板が目に入ったので私もそこで降りた。

安田屋旅館はここからほんの 100m くらい先のところにあった。

建物は昔のままだそうだ。

太宰は下曽我(翌日訪れる予定)で太田静子さんの日記を借りて、この宿で「斜陽」を執筆した。

「海は、かうして

お座敷に坐って

ゐると、ちやうど

私のお乳のさきに

水平線が

さわるくらゐの

髙さに見えた。」

終点まで行ったバスがちょうど戻ってきたのに乗って、わずか 15 分くらいの滞在で往路と同じ経路で三島に戻った。

太宰は若い頃、何度か三島の知り合いの家の部屋を借りていくつかの作品を執筆している。

三島は街のいたるところに富士山の伏流水が流れている。

この小川沿いには幾人かの作家の碑が並んでいる。

太宰の碑はかなり先にようやくあった。

ここから少し離れたところに、居候していた「坂部武郎酒店」があったのだが、もはや何も残っていない。

ただ、夜はしばしばすぐ近くの「松根印刷所」の二階で寝ていたそうである。

三島駅そばの立ち食いの店で昼食を済ませて、熱海に向かった。

まずは温泉街とは反対の山側に向かう。「人間失格」の執筆のために山崎富栄さんと滞在した起雲閣別館はこの上の方にあった。富栄さんの日記に「どうも、どうも、山の上だけあって全く、「登る」です。」と書かれているように、神戸の山手に勝るとも劣らないくらいの坂を上る。こんなところをショートカットする。

そんな道を 20 分近く登っただろうか、威容な建物が目の前に現れた。

起雲閣別館はもう何年も前に無くなって、「ラ・ヴィ熱海」というリゾートマンションに変身している。

このあたりに碑が置かれているということだったのだが、どこにも見当たらない。建物のそばの朽ちた階段を上がったりしてみたがやはり発見できず。

うろうろしていたらちょうど玄関先でマンションの清掃をされているような女性がおられたので尋ねてみたが、「知らない」とのつれないお返事。

マンションの清掃をされているのであれば隅々までご存知のはずなので、そういう方がご存知ないということであればもう無くなっているのかも知れない。

仕方無いのであきらめて、登ってきた坂を下って線路の反対側の温泉街の方に向かった。

熱海といえば2年ほど前に人災のような大規模土石流が発生したことを思い出した。調べてみたら発生現場はここよりはだいぶ東京寄りの場所だったようだが、こんな地形であれば土砂崩れが発生してもまったく不思議ではないと感じた。

お次は起雲閣の本館へ。ここはかつては大金持ちが別荘として所有していたもので、太宰や何人かの小説家が利用していた建物だが、今は熱海市が所有して文化財として公開している。

入館料(610円)を払って中に入る。太宰が滞在した部屋も当時のままで残っている。

ちなみに太宰は伊豆の安田屋や起雲閣など非常に高級な宿に泊まっているが、自分ではほとんど金を払っていない。たいがい出版社の負担だった。

次には歩道の無い交通量の多い車道をしばらく上って「緑風閣」へ。ここは檀一雄と滞在したところで、檀の作品に「碧魚荘」と書かれているところ。

ずいぶん駅から離れてしまったが、ここから駅の方向に戻る。

檀一雄が太宰を訪ねて行った「村上旅館」。まさか営業はしていないと思うが看板はかかっていた。

このあともう一カ所太宰が滞在していた「旅館八百松」を探してみたが、結局どこかわからず。このあたり?

今日の予定の訪問先はすべて辿ったので、今宵の宿は駅の近くの「伊東園ホテル 熱海館」。

ほぼ 9000 円の宿泊料でバイキング朝夕二食付き。おまけに夜はアルコール類も飲み放題という破格の値段で、料理の質もそんなに悪くなかった。夕方、夜、朝と温泉も3回楽しんで、とても満足できました。