網走から旭川、稚内へ

2/22(木)は網走を出て旭川で乗り換えて稚内まで行く。約 500km の行程で、ほぼ終日電車。

8時過ぎの特急で旭川に向かう。3時間半ほどの行程。

網走を出発して間もなく網走湖。

留辺蘂(るべしべ)まではかなりの部分が国道(R39)と並行して走っており、この国道は昨夏に車で走った。

留辺蘂を出ると線路は北に向かう。

しばらく走ると常紋トンネルにさしかかる。常紋トンネルは明治から大正にかけて3年ほどかけて掘られたのだが、本州から集められた労働者は極めて過酷な労働環境で働かされて、開通までに 100 人以上の死者が出た。

遺体がそこらじゅうに埋められて、後年になっていろんな場所から骨が発掘されている。

トンネルに入る手前で慰霊目的に設置された歓和地蔵尊がちらっと見えた。

網走から2時間弱で遠軽に到着した。

この駅は一種のスィッチバックで、ここから進行方向が反対向きになって南へ向かう。シートを反対向きに変えた。

12時前に旭川に到着した。旭川駅に来るのは3年ぶり

乗り継ぎ時間が1時間半ほどあるので時間潰しに旭川市博物館に行ってみる。駅のそばの忠別川沿いにはクロカンコースが設置されている。

クリスタル橋から忠別川を見下ろす。

駅から10分ほどで博物館へ。

入館料350円の小ぢんまりした博物館だが、内容は充実していた。アイヌ関連の資料が豊富で、パンフレットをたくさんもらってきた。

駅のそばのイオンのフードコートで昼食を取って、午後の特急で稚内に向かう。この路線は3年前の夏に利尻島へ向かった時に乗ったが、その頃は車窓にはさほど興味が無くて、サロベツ原野を眺めたくらいだった。それよりも主目的の利尻山のことで頭がいっぱいだった。

しばらく走ると塩狩峠にさしかかる。

塩狩峠は明治42年に起こった鉄道事故を元にした三浦綾子の小説「塩狩峠」で有名。

名寄駅から札幌に向かった列車の最後尾の客車が塩狩峠への上りで連結がはずれて坂を下ってしまって、たまたまこの客車に乗り合わせた鉄道会社の職員の長野政雄氏がブレーキを操作して止めようとしたが、列車から転落して下敷きになって、その後に列車が止まって乗客は無事だった。

長野氏の転落が事故だったのか故意だったのか真実はわからないが、自らの命をかけて乗客を守ったという美談が小説の筋になっている。

転落事故は史実だが小説の恋話は三浦綾子の創作。

音威子府(おといねっぷ)を過ぎてしばらく進むと左側に天塩川が望める。

お次はサロベツ原野。残念ながら今回も利尻山は見えず。

そして3年前の夏にサロベツ原野を自転車で走った時に下車した豊富駅。

ほぼ4時間かかってようやく稚内駅に到着した。本当は一つ手前の南稚内駅の方が飲食店は多いしホテルにも近いのだが、翌日のバスの情報収集などのために終着の稚内駅まで乗った。何となく終着まで乗りたかったという気持ちもあった。

バスの乗り場を確認して外に出ると、さすがに寒い。

海に近い道をしばらく南へ歩いて、海鮮料理の店で海鮮丼とビールで夕食。北海道へきたら一度は海鮮丼を食べたい。

さらに南へ10分ほど歩いて今宵のホテルに到着した。ここは3年前の夏にも二泊したホテルで、その時の印象が良かったので今回も選択した。値段も安い。