トムラウシ山

7/22(土)は好天で、百名山で人気のある山なので、朝からどんどん車がやってきた。

標高差が 1200m くらいあってそれなりに距離もあるので、9時間くらいを想定して朝の4時に出発した。何せ翌日に最大目標のニペソツを控えているのでできるだけ早く下山したい。

登山口で入山届けを記入してから入る。登山届けは記入項目がわりと少ないのでこれなら書いておこうという気になる。

20分くらいでトムラウシ温泉からの道が合流する。

出発して1時間足らずでカムイ天上に到着。特に何があるというわけでもないのだけれど、朝日がさしていた。

標高が 1500m くらいになって、ヨツバシオガマ。

このあといやになるくらい下って(標高差 100m くらい?)、沢を渡る。

このあとしばらく厳しい登りが続く。チシマノキンバイソウ。

このあと前常念の岩場のような大きな岩がゴロゴロした歩きにくい場所になった。

そして前トム平への最後の登り。

6時48分に前トム平に到着して、ここでおにぎり休憩にした。

トムラウシとご対面。

少し登ってから少し下ってトムラウシ公園へ。

ここは本当に桃源郷のような場所だった。

お花畑。エゾコザクラ?

清流が流れているが飲む気にはならない。

チングルマ。

イワブクロ。

何とシャクナゲ。何シャクナゲ?

コマクサ。

エゾノツガザクラ。

何とかフウロ?

ようやく山頂が近づいてきた。

8時27分、トムラウシ山の山頂(2141.2m)に到着した。

山頂からのパノラマ。気温が高いせいか霞んでいて遠方はあまり見えない。

下りも長いので大福を補給しておいた。

あとはひたすら下るだけ。登り返しもムリのないペースで終えて、山頂からノンストップで12時40分に下りてきた。

昨日行ったトムラウシ温泉の大雪荘で気持ちよく汗を流して、一旦南下してセブンイレブンで買い出ししてから然別湖のそばを通って幌加温泉に向かう。

幌加温泉の手前に廃線ファンに人気のタウシュベツ川橋梁の展望場所があったので立ち寄って行く。

この時期は徐々に糠平(ぬかびら)湖の水面下に沈んでいくのだが、まだ完全に出ていた。

橋のそばまで行くにはツアーに参加するか、前日までに進入路のカギをもらわなければならない。

ニペソツ山の幌加温泉ルートの登山口には6時半頃に着いた。地面がガタガタでほとんど整備されておらず、スペースの割には車が停められる場所はあまり多くない。簡易トイレが設置されていたが使えるのかどうかは確認しなかった。

国道(R273)から少し入っただけなのだが携帯は圏外。ただしこのあたりは国道でもかなりの場所が圏外になっていた。

原始ヶ原

昨年、富良野岳から上ホロカメットクの稜線を歩いた時、麓の方に広大な平原が広がっているのが目に入った。

後から地図を調べてみたら「原始ヶ原」と呼ばれているエリアらしい。いいネーミングだと思う。一部分、散策路もあるようだ。

夜に苫小牧に到着して、翌日の行程としてはちょうど手頃だと思った。

7/21(金)の朝の5時にウトナイ湖の道の駅を出て、高速道路を使って7時半頃に登山口に着いた。

出発してからクマスプレーを忘れたことに気がついてあわてて取りに戻ったりして、結局7時50分くらいの出発になった。

地形図ではずっと沢沿いの道が記載されているのだが、どうも通れない模様。

20分ほど進んだら滝コースへの分岐の標識があった。

ほどなく沢筋に降りて、歩きにくい道を進む。

ワイヤーの張られた丸木橋が出てきた。

ワイヤーはわりと太くて、しっかりピンと張られていたので、見かけよりは安全に渡れた。

少し進むと対岸に錦糸の滝。

さらに進むと二段の滝。

鎖に助けられてへつっていく。

登山地図のコースタイムが距離に対して異常に長かったのでなぜだろうと思っていたのだが、こういうことだったのだ。とにかく歩きにくい。

またまた丸木橋。前回のものが不安無く渡れたので心配しなかった。

飛び石伝いに沢を渡ったら標識が現れた。

滝の名前と場所をしっかり把握していなかったので、勝竜の滝の方に向かってしまった。

勝竜の滝。

なかなかの迫力です。

実は先の道標の赤岩の滝というのが一番奥にある滝で、そちらを先に行っておくべきだったのだ。仕方なく少し引き返して赤岩の滝へ。

そしてまた勝竜の滝に戻って、原始ヶ原に向かう。

10分もかからずに原始ヶ原に出た。正面に富良野岳

原始ヶ原に出ると踏み跡がほとんど消えて、足元は湿原でじゅくじゅく。せっかく防水のシューズを持ってきているのにそうではない方のシューズで来てしまった。大失敗。

これは前富良野岳。

gpsにルートを入れてきているのでそれを頼りに湿原を進んだら標識に出会った。

登山地図には無いが地形図にはここから東の方に五反沼というところまで道が記載されている。

踏み跡すら見当たらないが少し進んでみたところ、あっと言う間に激しい笹藪に行く手を阻まれた。

どう見てもヤブから解放されそうには思えないので先に進むのは諦めて、先ほどの標識のそばでおにぎり休憩にした。

富良野岳への登山道の方向に進むと、標柱が現れた。松浦武四郎がこのあたりを通ったらしい。

そばに道標があるが道などはまったく無い。

ほどなく富良野岳への登山道に合流した。

登山道に合流して少し進んだら足元じゅくじゅくからようやく解放された。

天使の泉の冷たい水でのどを潤した。

12時半に駐車スペースに戻ってきた。

後片付けをして、車の中で行動食のパンを食べて、これからトムラウシの短縮ルート登山口に向かう。

道の駅ふらので鹿肉のハヤシライスを食べた。わりとおいしかった。

セブンイレブンで買い出しをしてからトムラウシ温泉の東大雪荘へ。

さらに奥の登山口に着いたのは6時半だった。

山奥なのでスマホは圏外だろうと思っていたら、ソーラーパネル が設置されていて、立派なトイレもあって。さすが百名山トムラウシの登山口という感じだった。

苫小牧へ

ここ3年、この時期は続けて北海道へ行っている。

北海道の山でどうしても登っておきたいと思っていたのが利尻山とニペソツ山で、利尻山は2年前に登頂を果たすことができたが、行程の都合でニペソツへは近づくことすらできず、昨年は行程と天候がうまく合わず、終盤にもう一度戻ってこようと思っていたら脚を痛めて登れなくなってしまった。

数日前の天気予報では北海道地方の天候はあまり芳しくなかったが、出発が近づくにつれて好天模様になってきた。

7/19(水)の夜のフェリーで敦賀から出港する。

2年前に初めてフェリーで北海道へ行った時はコロナが猛威を奮っていた頃で、船内ではもちろんマスク着用。時間潰しのイベントもまったく開催されていなかったが、今回は初めて船上ミニコンサートというのが行われた。

若い女性アーティストのアコーディコン演奏で、童謡などポピュラーな歌が 30 分ほど演奏されたが、演奏だけで歌は無し。中山うりの歌でも歌ってくれればおもしろかったのだけれど。

このルートでは津軽海峡を通る時に何とも言えない気分になる。すでに出港から十数時間経っていて、遠くへ来たという実感が感じられからである。飛行機だとこうはいかない。

特に津軽半島は昨秋に訪れたこともあって、その時の光景がありありと浮かんできた。

あれはおそらく小泊のあたり。

そして竜飛崎。

あのハゲたところは下北半島の仏ヶ浦のあたりだろうか。

そして大間崎。

予定通り夜の8時半に苫小牧に到着して、いつもと同じくマックスバリュで夜のビールと翌日の食料を買い出しして、ウトナイ湖の道の駅へ向かった。ここはいつも車中泊の車で混雑している。

*これは翌朝に撮ったもの

釈迦岳

7/16(日)は陸上クラブの仲間と比良の釈迦岳へ行ってきた。

このところ体力の低下でみんなと一緒に走るのはしんどいのでずっと避けていたのだけれど、19日からの北海道遠征を控えて今の体力がどの程度なのか確認しておきたいという気持ちもあって、みなさんの計画に同行することにした。

湖西線の北小松を9時に出発した。

17分ほどで楊梅の滝へ。

まずは雌滝。

お次は雄滝に寄り道。こちらは立派です。

このあと山道になって、出発してから1時間足らずで涼峠。

早々に少しエネルギー補給して、涼峠から30分ほどで寒風峠に到着した。

ここからは稜線だが意外と道がわかりにくい。まずはヤケ山。

琵琶湖が見えてきた。

ガッツリ登って11時半にヤケオ山に到着した。

さらに雄大な琵琶湖の眺めが広がっていた。

12時過ぎに釈迦岳(1060.1m)に到着した。

最後に神爾の滝に立ち寄る。

もっとしょぼい滝だったような記憶あったのだが、思いのほか立派な滝でした。

水につかって、中には頭からしぶきをかぶっているような人も何人かおられたけれど、私は濡れるのはあまり好きではないので近づくだけでした。

車道に出てからはジョグで比良とぴあへ向かう。

午後2時15分、比良とぴあにゴールした。

温泉のあとはビールとちょっとしたつまみでリフレッシュして、送迎バスで比良駅まで送ってもらった。

駅前から釈迦岳を振り返る。

登りはまぁまぁ歩けたけれど、平坦なところや下りはペースアップできなかった。

入院の影響はそれほどではなさそうなのでそれだけは安心材料でした。

京都一周トレイル・高雄

7/12(水)は京都一周トレイルの講座で高雄を歩いてきた。

栂ノ尾のバス停に集合して、しばらく車道を歩く。

清滝川の青紅葉。秋にはこのあたりはとんでもない人混みになるが、こういう景色もなかなかいい。

高雄のホテルを抜けて錦雲峡へ。

しばらく左岸を歩いてから石橋で右岸に渡る。

川岸から少し離れて車道に合流。

しばらく車道を歩いて、ケーブル清滝川駅跡で昼食にした。

ここは愛宕山表参道の入り口でもある。

川沿いの小道に下りるとまずは与謝野晶子の歌碑。

「ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝夜の明けやすき」

つづいて芭蕉の句碑。

「清滝や 波に散り込む 青松葉」

しばらく右岸を歩いて、落合からは一周トレイルコースをはずれてJR保津峡駅に向かう。

展望場所から保津川と書物岩(左の岩壁)を望む。

水尾へ向かう車道をしばらく歩いてJR保津峡駅にゴールして解散した。

ブルンネル腺腫

私は60歳を過ぎてから何度か胃カメラの検診を受けている。

2年ほど前に受けた時に十二指腸にちょっとした腫瘍が見つかったのだが、医者の見立ててではガンではないだろうということでそのままにしておいた。

この春に検査を受けたところその腫瘍はそのままで、強いて言えば若干大きくなっているような感じもあった。

医者の勧めによって大学病院で精密検査を受けたところ、ブルンネル腺腫という腫瘍のようだがまだガン化はしていないとのこと。ただしこのまま置いておくと将来的にガン化する可能性は否定できない。

急いで何か対処しなければならないような状態ではないのでしばらく様子見でも問題無いが、今の大きさなら内視鏡の手術で切除できるがあまり大きくなると開腹しなければならないとのことだった。

それなら少しでも楽なうちにすっきりしてしまおうと思って、先週、手術を受けて切除してもらった。

入院したのは枚方市駅から淀川の方に少し行ったところにある関西医大附属病院。

あてがわれた部屋は9階で、休憩室の窓からは走り慣れた河川敷公園が見下ろせる。

6/28(水)に入院して翌日の昼過ぎに手術。点滴のための管を入れる注射を4回も失敗されて、5回目にようやく薬が流れるようになった。

4月の精密検査の時と同様に鎮静剤がよく効いて、知らないうちに手術は終わっていた。

幸いお腹の痛みなどはまったく無く、おかげでその後はとてつもなく退屈な時間になった。

手術後2日間は点滴のみで、薬の袋をぶら下げている台があるので移動のたびにこれを引き連れて歩かなくてはならない。

追加料金のいらない四人部屋だがベッド毎にテレビがあって、朝の6時から夜の10時まで WiFi も使えるので、それなりに時間潰しはできるけれど、ずっと座っているとお尻も痛くなるし、それ以上に気分的に耐えられなくなってくる。

YouTube でたまたま沢木耕太郎の「深夜特急」のテレビドラマ版の全編がアップされているのを見つけて、約5時間の長編を一気に楽しむことができたのが唯一の収穫だった。特に香港やパキスタンのシーンは昔が思い出されて懐かしかった。

点滴が取れたら6階にあるテラスに出てぼんやりしたり、狭いテラスをぶらぶら歩き回ったりして時間を潰した。

予定通り7/4(火)の朝に退院して、家まで1時間ほどかけてのんびり歩いて帰ってきた。

運動はムリしなければ大丈夫とのことだったので今朝(7/5)はいつもの 30 分コース(5km弱)を走ったが、1週間ぶりで気分良かった。

十二指腸にキズがあるのでしばらく食事内容に制約があるが、1週間ぶりに通常パターンの生活に戻れてほっとした。

甲府から帰宅

6/24(土)はもう家に帰るだけ。身延線で静岡に出て、あとは新幹線で切符を買っている。

甲府駅のホームからは甲府城が見える。

ホームに電車がやってきた。特急の指定席を買っている。

席に座っていたら後からやってきた男性が席の確認をしてきた。何と同じ席の切符が発行されている。

その男性が車掌に問い合わせて、別の席に座られることになった。こんなこともあるのかとちょっとびっくりした。

ひょっとしたら富士山が眺められるかもと思って富士山側の席をとったが、残念ながらちらりとも見えなかった。地形的に晴れていても見えなかったのかも知れない。今回は富士山は一度も眺めることができなかった。

そして静岡駅で新幹線に乗り換え。

自動改札機に切符を入れたところ、有効期限が切れているという表示で止められてしまった。えっと思って特急券を見てみたら何と昨日の日付になっている。

昨日の朝に甲府駅のみどりの窓口で特急券だけ購入したのだが、窓口の人が間違って昨日の切符を発行したようだった。今朝、甲府駅に入る時は改札機に乗車券だけを入れるようにという表記があったので、特急券は手に持ったまま入った。

今朝、同じ席の切符が発行されていたのはこれが原因だったのだ。

駅員に伝えたら甲府駅に問い合わせて、私が購入したときに記入した用紙は間違いなく今日の日付になっていたことを確認して、今日の特急券を再発行してくれて事なきを得た。

やれやれということで缶ビールを買って新幹線に乗り込んだ。

御坂峠、天上山、甲府

6/23(金)はいよいよ太宰治ゆかりの地探訪の実質最終日。

まずはレンタカーで御坂峠に向かう。

できれば公共交通機関を利用したかったのだが、御坂峠へのバスは河口湖から1日1便のみ。しかもその運行時刻は信じられないもので、午前中に河口湖を出て御坂峠の天下茶屋まで行って、即刻折り返すというもの。つまりバスで来たら御坂峠で時間を使うことができないし、滞在したらその日には帰ることができない。しかも天下茶屋は宿泊はできない。富士急はいったいどう考えているのだろうか。

河口湖へ向かう R137 の途中から旧道に入る。この道は太宰が天下茶屋に滞在した頃には甲府からバスが走っていて、老婆と乗り合わせた時のことが「富嶽百景」で述べられている。

甲府から1時間ほどで御坂峠へ着いた。

10時前で、まだ天下茶屋は開いていなかった。

本当の御坂峠へ向かう山道を少し登ると太宰の碑が見つかった。

「富士には

月見草が

よく似合ふ」

残念ながら富士山はまったく見えず。

お次は 30 分足らずで河口湖へ。河口湖は 2016 年の UTMF 以来。ただしその時、滞在した場所からは少し離れているけれど。

天上山にある太宰の碑を見ることが目的で、時間によってはロープウェイで上がってもいいと思っていたのだが、とんでもない混雑ぶり。

大半が中国人の観光客の模様。レンタカーが最短でも6時間だったので時間があるので歩いて登ることにする。

細い登り坂があったのでチラッと見てみたらハイキングコースの案内板があった。

少し登ると眼下に河口湖。あの橋は 35 年くらい前に河口湖のマラソン大会で走って渡ったことを覚えている。

道はしっかり整備されている。

麓から 20 分くらい登ったところで前方に何やら気になるものが目に入って、まさかと思ったら目的の太宰の碑だった。

「惚れたが

  悪いか」

太宰の作品の中で私がもっとも好きなのは「お伽草子」で、中でも「カチカチ山」がお気に入りだ。その最後の方の出てくる有名なセリフ。人気のある「人間失格」や「斜陽」、「走れメロス」などはあまり好きではない。

それにしてもこの碑は天上山の公園にあるものとばかり思っていたのだが、もし歩いて登らなかったら出会うことができなかったし、麓とロープウェイの山上駅の中間くらいの場所にあるので上から下るにしてもそこそこ歩かなければならない。おまけに案内板のようなものはまったく見かけなかった。

今回の旅の目的で大きなものの二つだった御坂峠の碑と天上山の碑が見られて、安堵感と満足感にひたりながら登り続けた。

20分足らずでロープウェイの山上駅が見えた。

公園にはこんな看板が。

このあたりは大変な混雑で、観光客のほとんどは中国人のよう。

やぐらは閉鎖されていた。

公園から数分で天上山の山頂(1139.9m)に着いた。標高 1000m を超える山だが登山口が 800m くらいはあるので登りは大したことはない。

展望は無いので早々に下山する。

レンタカーの利用時間を1時間以上残して、午後1時半頃に甲府に戻ってきた。途中で「天下茶屋営業中」という看板が目に入った。

駅のそばのモスバーガーでハンバーガーを食べて、甲府市内を巡る後半戦へ。

まずは太宰治僑居(きょうきょ)跡へ。

字の読み方がわからなくてあとからスマホで調べた。

ここで過ごしたのは8ヶ月間くらいとのこと。

結婚するまでのあいだ下宿していた寿館という家のそばにある清運寺。

太宰のパネルが置かれていた。ちょっと不気味。

なぜか加藤清正を祀った清正公堂がある。

寿館はこのあたりと思われるが、昔の建物は戦災で焼けてしまっている。

よく通ったという銭湯の喜久之湯。

このあたりをよく散歩したという御崎神社。

どう見てもお寺にしか見えないのだがやっぱり神社なのです。

最後に湯村温泉へ。

20分くらい歩いてようやく湯村温泉へ。兵庫県の湯村温泉とは関係ありません。

そして太宰がよく行った「明治」に到着。

少し戻ったところにある資料室は閉まっていた。

駅まで帰るのに 30 分くらいかかった。

これで今回の旅は完了した。明日は帰るのみである。

吉祥寺、三鷹

私は学生時代、吉祥寺で三年間過ごした。しかしその後 40 年くらい訪れたことがなかった。卒業後も出張などで東京へは何度も行ったが、吉祥寺は都心から西に少し離れているので、足を延ばす機会がなかった。

今日の目的地は三鷹だが吉祥寺はたった一駅手前なので、この機会に懐かしの街を訪ねてみることにした。

6/22(木)は新宿のカプセルホテルを出て吉祥寺へ。JRの新宿駅はすっかり様変わりしていて、どういう構造になっているのかさっぱりわからなかった。

ここも駅の構造はすっかり変わってしまっていたが、駅前のアーケード街のサンロードはそのままの名称で残っていた。、

学生時代の通学では住宅街を歩いていたが、そちらに行くと曲がる場所がわからなくなってしまうので、バス通りの五日市街道に出ることにした。

五日市街道に出る手前にあったスーパーの西友がまだ残っていたのはちょっとびっくりした。

五日市街道を西に向かう。

住んでいたアパートは細い道を少し右に入ったところにある。曲がり角にあったセブンイレブンがローソンに変わっていたが、曲がる場所はすぐにわかった。

住んでいた頃は大家さんの大きな家が道路に面していて、アパートはその裏側に建てられていたのだが、今は道路に面したところに小さなマンションのようなものが建っていて、裏は民家になっていた。

アパートの裏側に銭湯があったのだが、さすがにその銭湯は無くなっていた。

駅に戻るのは住宅街を歩いた。15分ほど歩いて駅に戻ったのだが、その頃、週に3回くらいは通ったジャズ喫茶がどうなっているか行ってみようと思った。

この店は歓楽街の細い道のどこかにあって、もはや場所の記憶は無い。それに残っているかどうかもわからない。

ヨドバシカメラがあって、その裏のあたりの細い道を歩いていたら、何と発見!! 「MEG」が残っていました。

しかし昔のようにジャズを前面に出したような表記は無く、ジャズ喫茶というのはもはや絶滅危惧種になっているらしい。

満足して三鷹へ向かった。

まずは線路沿いに西に向かって跨線橋へ。残っているのかどうか心配だったがまだありました。

階段のそばに朽ちた案内板。

三鷹は太宰の作家生活で一番長く過ごした地で、ゆかりの場所もたくさんあって、おそらく観光資源として利用しているのであろうが、随所にこういう案内板が設置されている。

散策ルートのパンフレットに従って、「中鉢家跡」、「うなぎ若松屋跡」、「田辺肉店離れ跡」を通って「野川家跡」へ。

ここは二階に山崎富栄さんが下宿していた場所で、晩年の太宰はそこを仕事場所にしていた。入水の時もこの部屋に遺書などを置いてここから玉川上水に向かった。

そしてすぐ近くには「千草跡」。

ここの二階も一時期、仕事場所にしていた。

そして玉川上水沿いの「風の散歩道」に出る。

上水側はこのように木が茂っているのだが、一カ所だけ流れが見える場所があった。

今はこの程度の流れだが、その当時は人食い川と言われるほど水量が多かったらしい。

しばらく行くと上水と反対側の道路のそばに銘板。

もう少し進むとようやく「玉鹿石(ぎょっかせき)」が見つかった。

このあたりに二人で川に入った痕跡が残っていたらしい。

さて、上水沿いの道から分かれて「みたか井心(せいしん)亭」へ。

ここは三鷹市が所有する文化施設だが、ここの庭には太宰の家にあった百日紅の木が移植されている。

家はこの向いあたりにあったそうだが、案内板などは見つからず。

今度は井の頭公園のそばを通ってまた玉川上水の新橋へ。

昭和23年6月14日に太宰の行方不明が報じられて、6月19日にこの新橋の下で紐に結ばれた二人の遺体が発見された。

井の頭公園の方に戻って公園のベンチで一休みしてからまずは太宰家が通った銭湯の「連雀湯跡」の前を通って禅林寺へ。

案内板に従って墓地に入ったらすぐに見つかった。

19日が桜桃忌だったせいだろう、立派なお花がたくさん供えられていた。私は手ぶらでした。

ちょうど向かいには森鴎外のお墓がある。

散策マップに従って駅の方に戻る。

桜井浜江さんの記念ギャラリーの前を通って、朝に通った時はまだ開館前だった「太宰治文学サロン」へ。

小さなスペースに太宰関連の書物がたくさん置かれていた。椅子と小さなテーブルがいくつか用意されていて、そこでじっくり読むこともできる。飲み物も売っている。入場無料。

何冊かの本を手に取ってパラパラとめくってみて、クリアファイルとコースターを買って出た。

ちょうど昼時で、ずっと歩き回って疲れてきたので、近くのファミレスで昼食にした。旅行クーポンが使えた。

それから駅前のビルに入っている三鷹市美術ギャラリーへ。ちょうど今、太宰関連の展示をやっている。

太宰が住んでいた家の間取りが再現されていた。6畳、4畳半、3畳という小さな借家で、作家という職業にもかかわらず蔵書などはほとんど無かったらしい。

愛用したマントもかけられていた。たぶん本物ではないと思う。

ここも入場は無料だったが「太宰治 三鷹とともに」という、5年前の太宰没後 70 年の記念行事の時に発行された冊子を 1000 円で購入した。なかなか充実した内容だった。

旅行クーポンがまだ 1000 円ほど残っていて、これは東京でしか使えないので、駅のそばのカフェでコーヒーにケーキとしゃれこんだ。

東京の訪問予定地はすべて訪れたので、このあとは中央線で甲府へ向かう。特急で急いで行っても中途半端に時間が余るだけなので普通列車で行った。

甲府に着いたのは4時半くらい。今日は天気予報では雨模様とのことだったが三鷹では幸い、時々パラパラときたくらいで傘はささずにすんだが、甲府は本降りになっていた。

明日は河口湖方面にレンタカーで行く予定なのでレンタカーを予約しておいた。

駅のそばに大きな武田信玄像。

そして駅の反対側のビジネスホテルにチェックイン。

今度は山梨県の旅行クーポンがもらえたので、夕食はクーポンの使える「ほうとう」の店に入った。

ほうとうは別府大分毎日マラソンで別府へ行った時に「ほうちょうだんご汁」というのを食べたのが印象に残っているのだが、一昨年の秋に行った時には昔の店は無くなっていた。

この店のほうとうも具だくさんのボリュームたっぷりで、昼食のラーメン、餃子とケーキがまだ胃袋に残っている状態だったので最後は意地で完食した。

下曽我、江ノ島、東京

6/21(水)は熱海からまず国府津(こうず)へ行って、ここで御殿場線に乗り換えて一駅の下曽我へ。

下曽我は梅林が有名だそうだがもちろん今は梅の季節ではない。それよりも目的は「斜陽」の元になった日記を提供した太田静子さんが暮らしておられた雄山荘という別荘の跡を訪ねること。

太宰のファンだった文学好きの静子さんが太宰に手紙を送って、その後、太宰から「日記を書くといい」というアドバイスを受けて日記をつけていた。

そしていつの間にやら二人は恋愛関係になる。その頃、太宰はすでに結婚して子供もいた。

昭和 22 年に太宰はここ雄山荘を訪れて日記を受け取る。そしてその時をきっかけに静子さんは太宰の子を身ごもることになる。

そのあと太宰はその日記を持って伊豆の安田屋旅館にこもって「斜陽」を書き上げた。

雄山荘は十数年前に火災で消失しており、建物は残っていない。

簡単な地図を頼りに城前(じょうぜん)寺の前と思われる細い道に入る。

地図によるとこのあたりと思われるのだが案内板も何も無い。

細い道を辿って行ったら城前寺の前に出た。

曾我兄弟の仇討ちという有名な話があるそうだが私は知らない。この寺は曾我家の菩提寺だそうで、しばらく歩いていたら供養塔が現れた。

本数の少ない電車の時間に合わせて駅に戻る。戻る途中で出会った保育園の園児たち(おそらく)。こんなところにこれだけ小さな子供たちが住んでいるのを見てちょっとびっくりした。ひょっとしたら小田原あたりの通勤エリアなのかも。

後から考えるとどうも私の見た雄山荘跡は場所が違っていたのかも知れないと思った。ただ、歩いた経路を考えると城前寺へ行く途中で前を通っているはずなのだが案内板らしきものは目に入らなかった。ちょっと心残りではあるが、いずれにしてももう建物は残っていないので、わざわざ再訪するほどのことでも無いだろう。

国府津からまた東海道線に乗って藤沢へ。藤沢から江ノ電に乗り換えて江ノ島の少し先の腰越に向かう。

江ノ電は平日にもかかわらずずいぶん混雑していた。大半が観光客と思われる。

腰越駅からまずは小動(こゆるぎ)神社を参拝して、それから海岸に回り込んだ。

小動神社は前の断崖の上にあって、この海辺の海岸あたりで昭和5年、太宰 21 歳の時に銀座のカフェの女給だった田辺あつみ(田部シメ子)と薬物心中をはかった。

太宰は一命を取りとめたがあつみは死去した。

このころ太宰は青森の芸者だった小山初代と一緒になる予定で、あつみは他の男性と同居していた。しかも太宰とあつみは知り合ってまだほんのわずかの日しか経っていなかった。

太宰の実家(津島家)はあと始末に大変な苦労をされた模様。

この時に太宰が収容された病院が google map にまだ記載されていたのでそちらに向かってみたが、どうもすでに取り壊されたような様子。

腰越の一つ鎌倉寄りの鎌倉高校前駅から藤沢に戻った。観光客のほとんどは中国人のよう。

さて、久しぶりの東京へ。何かよくわからない経路で1時間足らずで新宿に着いて、山手線に乗り換えて巣鴨へ。やってきたのは染井霊園。

あのソメイヨシノはこのあたりの植木職人たちが開発したのでソメイの名前が付いている。

この霊園には著名人のお墓がたくさんあるのだが、私の目的は松浦武四郎。

武四郎は遺言で、自分が死んだら一畳敷を壊してその木で遺体を焼いて、遺骨は大台ヶ原に播いてほしいと言っていたのだが、一畳敷は文化的価値が高くて壊すのはもったいないということで保存されることになり、遺骨は一部が大台ヶ原に置かれて、ここ染井霊園にお墓が建てられた。

お次は今回の旅の最大の目的の一つの本郷の永泉寺に向かう。地下鉄を乗り継いで江戸川橋で降りて、駅からは 10 分足らずくらいだった。

染井霊園の武四郎は案内板が設置されていたがここはそういうものは一切無く、狭い墓地をうろうろ歩いてようやく見つけた。

太宰と玉川上水に入水した山崎富栄さんの眠っているお墓。6/19 が有名な太宰の桜桃忌で、6/13 はあまり有名ではない白百合忌だったせいか、きれいなお花が供えられていた。

富栄さんは享年が記載されていない。

お墓が見つかるかどうか不安だったので手ぶらでやってきたが、ほんの少し坂を下ったところにコンビニがあったのでそこで小さな缶ビールを買ってきて、墓石にかけてお参りした。

富栄さんは特に文壇からひどい誹謗中傷を受けて、太宰を殺した殺人犯のような汚名をきせられてきたが、そんなことは決して無いと思う。晩年の作品は富栄さんの助力無しには生まれなかったということは彼女の残した日記を読めば明らかだ。

またまた地下鉄を乗り継いで末広町へ。場所の関係で前後してしまったがここには松浦武四郎が暮らした家の跡がある。

おおきな楠のふもとに銘板が建てられている。

さて、最後に銀座のバー、ルパンへ。Lupin の看板はもっと赤色だったのだけれど・・・。

何と言っても有名なのがこの写真。一度ビルが建て替えられているけれど店の作りはほとんど昔のままだそうです。何と、黒電話が現役で働いていました。

ビール小瓶とマティーニ、ウインナーで 5000 円弱。安くはないけれど銀座だし、明瞭会計です。

カウンターと他には数席くらいの小さな店で、平日の6時くらいに入ったけれどすでに7割くらいは席が埋まっていました。

店を出てもまだ明るい。

今宵の宿は新宿へ。

久しぶりのカプセルホテル。ソフトドリンクやごはん、つけもの、味噌汁が食べ放題。夜はアルコールも提供されていて、非常にコストパフォーマンスが高かった。それにカプセルホテルだと大きな風呂に入れるのがいい。

満足の一日でした。