日出ヶ岳、斎宮歴史博物館、松浦武四郎記念館

松浦武四郎のことを知ったのはほんの2年前くらいだったと思う。北海道へ行くようになってからのことだ。

松浦武四郎は幕末から明治にかけて活躍した人で、その当時まだ細部が知られていなかった北海道(その当時は蝦夷)を何度も訪れて、樺太や千島列島にも足跡を残して、アイヌと交流しながら詳細な地図を作り上げた。

明治政府からの依頼を受けて蝦夷と呼ばれていた地に「北海道」という名称を付けた。ただし武四郎が候補に挙げたときは「北加伊道」という字をあてていた。

関連本を読んだり、YouTube にアップされている映像をいくつか見たりして、松阪市にある記念館には一度訪れてみたいと思っていた。

武四郎は晩年に何度か大台ヶ原へ行っている。大台ヶ原に武四郎の碑があることを知ったので、まず大台ヶ原へ行ってこの碑を訪ねて、それから松阪の記念館に行こうと思った。ついでに記念館からさほど遠くないところにある斎宮歴史博物館にも行ってみよう。

6/10(土)の朝5時半に家を出た。天気予報では午前中はまぁまぁだが午後からの降水確率が高くなっている。雨の多い大台ヶ原だが午前中はもってくれることを期待しよう。

途中で朝食のパンを食べて、3時間ほどで大台ヶ原に到着した。

まずは車の中でコーヒーを飲んでから軽装で出発した。武四郎の碑までは30分もあれば行けるだろう。

大台教会のそばを通って行くので教会の看板のところに入る。

すぐに大台教会があった。明かりが見えるので誰か住んでいるのだろう。

1年のうち半分くらいは閉ざされた場所なのだけれど、どういう人たちがここに来るのだろうか。教会とは言うもののキリスト教の教会ではないようで、いわゆる新興宗教の一種のようなものだろうか。

このそばを通って少し行くとゲートがあって、管理人がいた。何と、この先は保護エリアなので入るには許可が必要で、そのためにはお金を払ってレクチャーを受けなければならないとのこと。

いきなりのハプニングでがっくりきたが、そういうルールになっているのであれば仕方ない。とりあえずは戻るしかない。

とにかく今日は諦めるしかないのだが、このまま収穫無しでここを離れるわけにはいかないので、日出ヶ岳だけでも行っておくことにした。

ビジターセンターの横からハイキング道に入る。

25分くらいで展望台に出た。展望台からの熊野灘。

その後、階段を5分ほど登って山頂の展望台へ。

ビジターセンターから30分ほどで日出ヶ岳の山頂(1695.1m)に到着した。ここは3年ぶりくらい。

今度は山頂からの熊野灘。

台高山脈の山々。

西に目を向けると大峰山脈。右に山上ヶ岳。その左の突起が大普賢岳。さらにその左の小さな突起が行者還岳。さらに弥山、八経ヶ岳、そして釈迦ヶ岳。

1時間ほどで日出ヶ岳を往復して、お次は三重に向かう。経路の都合でまずは斎宮歴史博物館へ。途中で昼食を取ったので3時間以上かかった。

斎宮というのは飛鳥時代から南北朝時代くらいまであったもので、天皇の代わりに伊勢神宮に仕える斎王と呼ばれる女性が暮らした施設で、この近くの広大なエリアで様々なものが発掘された。

ちょうど15分ほどのビデオ上映があるとのことで、まずはそれを観賞。

展示室は二つあって、なかなか充実していた。

入場料360円にしては立派な展示だった。

さらにこのあと、2種類あるうちのもう一つのビデオを鑑賞した。

本当ならこのあとそばにある斎宮跡を訪ねたかったのだが、すでに午後3時でこの広大なエリアを歩いていると武四郎記念館が閉まってしまうので、斎宮跡はまたあらためて来ることにして武四郎記念館に向かった。

武四郎記念館までは30分くらいだった。

ここも入場料は360円。

展示室に入ると武四郎が晩年に自宅に作った一畳敷の原寸大模型が展示されていた。

それにしても武四郎の筆まめさには驚かされる。特にスケッチが非常に巧妙で、こんな精細な絵が短時間でよく書けるものだと感心する。武四郎の時代にはそろそろ写真機が登場していたと思うが、一般人が使えるようなものではなかったのだろうと思う。

武四郎よりは少し後の時代になるが、イザベラ・バードも精巧な絵をたくさん残していた。

このパネルは唯一残っている武四郎の写真で、首から下げている飾り物の複製品が展示されていた。

展示室は1カ所のみで、斎宮歴史博物館よりは小ぶりだった。土曜日なので混雑しているのではないかと懸念していたが、実際には見学客は入った時に他に一人おられただけで、私の後には誰も来なかった。どうも一般的な知名度はあまり高くないようだ。

この近くに武四郎が生まれた家が残っているとのことだったが、もう時間も無いのでそこには立ち寄らなかった。

大台ヶ原の武四郎の碑を見ることができなかったのが心残りではあるけれど、武四郎の碑は北海道だけでも10箇所以上あるし、いずれにしても後世の人が建てたもので、観光目的で建てられたようなものも少なくないと思うので、あまり無理してまで訪れるほどのものでもないような気もする。

天王山

6/5(月)は講座で天王山へ行ってきた。天王山はつい先日、個人的に行ったばかり。

JR長岡京駅に集合して、バスで奥海印寺まで行った。

少し住宅街を歩いて、西代里山公園。

しばらく川沿いを進むが、住宅街の近くにしては景観が楽しめる。

公園から15分ほどで西山古道に入る。

通行止めのテープが張られているのに少し進むと西山古道は通行可と表示されている。

しばらく沢沿いを歩く。左側が切れ落ちているような箇所もいくつかあった。

1時間ほど歩いて車道に出る手前で昼食にした。

先日、釈迦岳から下りてきたところに出た。

あとは先日と同じルートで少し車道を歩いてからハイキング道に入る。

一旦車道に出てから天王山へのハイキング道へ。

ササユリが一輪だけ咲いていた。

細い道で天王山の山頂に向かう。

午後1時半に天王山の山頂(270m)に到着した。

実は城跡です。

展望場所から京都の南の方を望む。

さらに下って、石清水八幡宮のあたり。

先日と同じく、稲荷大明神のところに下りてきた。

2時半にJR山崎駅に到着して解散した。

堂満岳

5/21(日)は講座で比良の堂満岳へ行ってきた。講座での堂満岳は7年ぶり

湖西線の比良駅に集合して、バスでイン谷口まで行った。

正面谷を詰める。大山口を通過。

いよいよ青ガレへ。

青ガレの取り付きから 40 分ほどで金糞峠に到着した。

時間があるので少し八雲ヶ原方面に下って芦生杉を眺めに行く。

そしてこのそばで早めの昼食にした。

昼食後は縦走路に戻って堂満岳に向かう。そして縦走路から分かれて堂満岳への道へ入る。

ドウダンツツジ。

シロヤシオ。

イワカガミも残っていた。

振り返るとコヤマノ岳。

12時過ぎに堂満岳の山頂(1057m)に到着した。

山頂から琵琶湖方面。気温が高いせいか遠方は霞んでいる。

日曜日のせいか山頂は大変な混雑だった。

展望を楽しんだらイン谷口に向かって下る。

だいぶ下りてきたところでヒトリシズカ。

ノタノホリでゆっくりした。

3時前にイン谷口のバス停に戻って、バスで比良駅に向かった。

比良駅のホームからは堂満岳が正面に聳えていた。

奥比叡

5/10(水)は京都一周トレイルの講座で奥比叡を歩いてきた。

いつものように叡電の八瀬駅からケーブル比叡まで歩いて上がった。展望場所から先日歩いた西山の山並み。

このところ体力の低下が著しいので不安を感じていたが、おおむねこれまでと同じくらいの1時間20分ほどでケーブル比叡駅に到着した。

10時20分くらいに出発。

スキー場跡を見上げる。

ヤマツツジが満開。

見晴らし広場から京都北山の山々と右奥には比良山系。

しばらく歩いて最澄の御廟のある浄土院へ。

クリンソウ。

峰道レストランの広場で昼食にした。

ここにある伝教大師(最澄)の像。

ここからの琵琶湖東岸の眺め。

北に目を向けると蓬莱山と打見山。

昼食後はまずは玉体杉。

ほどなくせりあい地蔵へ。

ここで一周トレイルルートからはずれて2時過ぎに横川(よかわ)へゴールして解散した。

白尾山

4/16(日)は講座で京都の美山の白尾山へ行ってきた。

JR日吉駅からバスで美山のかやぶきの里へ。

集落の中を少し歩く。

何とシャクナゲが咲いていた。

山道に入ったが荒れていてなかなか厳しい。

沢筋で、おまけに前日が雨で濡れているのでヒルがいる。しばしば足元などを注意しながら登って、12時頃に稜線に出た。

稜線に出るとイワカガミがたくさん。ただし花はまだ一部。

12時45分に白尾山の山頂(748.6m)に到着して、ここで昼食にした。

山頂から長老ヶ岳を望む。

こちらは愛宕山方面。

下山は青谷川の方へ向かう。ミツバツツジがたくさん咲き誇っていた。

沢筋に入るとまたまた大荒れ。

倒木で荒れた道に時間がかかって、大内の集落に出たのは午後3時だった。

無事、大内のバス停にゴールしたが、予定していたバスはすでに行ってしまっていて、1時間後のバスで帰路についた。

雲母坂

4/12(水)は京都一周トレイルの講座で比叡山の雲母坂を登ってきた。

叡電の修学院駅に集合して、しばらく住宅街を行く。生憎の雨。

鷺森神社でお参り。

そして雲母坂の登山道に入る。

登り始めてしばらくしたら体調不良の方が出て、私はその方に付き添ってこの登山口まで一旦下りて、再度登り返して本隊を追いかけた。

何とか水飲対陣跡の手前で追いついた。

このすぐ上の展望場所から岩倉方面を見下ろす。

いつも通り、この少し上の浄刹結界跡で昼食にした。

さらにこの上の展望場所から京都市街を望む。

千種忠顕の碑に寄り道。

ケーブル駅の手前の展望場所から京都市街を望む。京都タワーが見えていたが写真ではわからない。

午後2時前にケーブル駅に到着して、ここで解散した。

国城山

4/3(月)は講座で高野山の北の国城(くにぎ)山へ行ってきた。

集合は南海電車高野線の紀伊清水駅。

ここから高野参詣道の黒河(くろこ)道に入る。黒河道は数年前に歩いた。

まずは定福寺(じょうふくじ)に参拝。

この先で一旦、山道に入る。

岩掛観音の展望所から金剛山を望む。

しばらく登って鉢状弘法井戸。

このあとしばらく車道を歩いて明神ヶ田和へ。ここで国城山への道は黒河道から分かれる。

国城山頂の少し下に大きな桜の木。

昼前に国城山頂(552m)に到着した。

少し下りて国城神社の境内で昼食にした。

拝殿の下にも桜がたくさん。

和泉山脈を眺めながら山道を下る。真正面は南葛城山のあたり。

また車道に出て、和泉葛城山方面を望む。川は紀ノ川。

道端に大きなハナモモの木。

学文路(かむろ)駅の手前で人魚のミイラの苅萱堂(かるかやどう)へ寄り道。

前回来た時は中に入って人魚のミイラの写真を見ることができたのだが、今回は入れなかった。

このお寺の話ではありませんが、こんなニュースを見かけました。

2時半頃に学文路駅に到着して解散した。

霊仙山

3/19(日)は講座で比良山系最南端の霊仙山へ行ってきた。霊仙山は何度も登っているが、いつも権現山からの下山途中だったので、今回登ったルートはまったく知らなかった。私の手元の登山地図にも記載されていない。

JR堅田駅からバスで還来(もどろき)神社まで行った。

しばらく車道を歩いて、比良比叡トレイルの標識に従って林道に入る。

この道は比叡山北方稜線から繋がっているのだが、私が以前に比叡山北方稜線へ行った時はこんなルートは無かったと思う。ただし道そのものはあったのだろう。

しばらく林道を行く。

黄色のテープが随所に貼られている。

テープに従って林道から分かれて登山道に入る。しかしこの分岐はわかりにくい。うっかり林道をそのまま進んでしまいそう。

しばらく登山道を上がると未舗装の林道に出た。

また少し林道を歩いて、最後の登りに差しかかる。

12時前に霊仙山の山頂(750.5m)に到着して、ここで昼食にした。

山頂からの琵琶湖、遠方に鈴鹿山系。左端の方には伊吹山。

下山はまずは北に向かってズコノバンで朽ちた林道に出る。

30分足らずでしっかりした林道に合流した。

ほどなく舗装路になって、栗原の集落の手前から琵琶湖方面を望む。真ん中に三上山。

栗原の集落から霊仙山を振り返る。

車道を延々と1時間以上歩いて、午後3時15分に和迩駅にゴールした。

沢ノ池

3/8(水)は京都一周トレイルの講座で栂ノ尾から沢ノ池を経て鷹峯まで歩いてきた。

栂ノ尾に集合して、まずは福ヶ谷林道に向かって車道を行く。

そして福ヶ谷林道を行く。

30分ほどで登山道に入る。

アセビ。

展望場所から嵯峨野方面。ちょっと銀色に光っているのは桂川。

12時過ぎに沢ノ池に到着して、ここで昼食にした。

以前の道は一部崩壊で歩けなくなっているので東海自然歩道の迂回路を行く。

上の水(かみのみず)峠から本来のルートに戻る。

しばらくちょっとしたアップダウンを経て京見山荘へ。避難小屋程度の小屋で、何のための小屋なのかよくわからない。

「はせがわ」へ寄り道してトイレ休憩。

展望場所からの京都市街地。霞んでいてよく見えない。

ほどなく京見峠そばの車道に合流した。

そのあとは前回と同じルートで鷹峯にゴールした。

伊勢山、峰相山

3/5(日)は講座で姫路北方の伊勢山、峰相山を歩いてきた。

JR姫路駅に集合してバスで緑台へ。

公園の散策路を行く。

そして伊勢山へ。

ポピュラーな散策路のようだが実は岩場っぽいところがたくさんある。

展望が開けると瀬戸内海が見える。

木の向こうには書写山

公園に入ってから1時間少々で伊勢山(352.8m)に到着した。

少し下って神座の窟(しんざのいわや)へ。

中に入れます。

お次は空木(うとろぎ)城跡に向かって一気に下る。

神座の窟から20分ほどで空木城跡に到着して、ここで昼食にした。

神座の窟まで戻ってから南へ向かう。

こもれびの森展望広場で一休み。

霞んで見えにくいが瀬戸内海方向。

正面の峰相(みねあい)山に向かって開けた尾根を少し下る。

午後2時50分に峰相山(244m)に到着した。

あとはバス停に向かってひたすら下る。太陽公園の白鳥城。

30分少々で下まで下りてきた。ここは高校野球で有名な東洋大姫路高校の野球グラウンド。

姫路駅行きのバス停はすぐそばで、予定の便にギリギリで間に合った。