釈迦ヶ岳、仏生岳

大峰の釈迦ヶ岳へは今年の4月に行った

この時は仏生岳まで足を延ばすつもりだったのだが、思いがけない残雪と厳しい斜面に阻まれて、逆の南の方に少し歩いてから戻って来た。

それが心残りだったので、快晴間違い無しの日曜日(11/10)に再度このコースに出かけてみることにした。

途中でカップ麺とおにぎり、コーヒーの朝食をとって、3時間以上かかって太尾登山口にやってきた。すでに正規の駐車場は満車で、手前の路肩のスペースに停めた。

準備を整えて8時前に出発した。

ここまで来る途中にも何カ所かクマの情報の看板が立っていた。でも今日は大丈夫。

「熊撃退スプレー カウンターアソールト・ストロンガー」。比良でクマに出会ったあと、ついに購入した。

本当に冷静に使えるかどうかはその場になってみないとわからないけれど、持っているというだけで安心感はずいぶんと違う。一度試してみたいという気持ちも少なからずあります。

急登を上がって稜線に出ると、大峰おなじみの光景が現れた。正面奥に釈迦ヶ岳。登山口の標高がすでに1300mほどあるので、登りは500m足らずくらいしかない。

ちょっとした出っぱりの古田の森。

まさに稜線漫歩そのもの。快適です。

かくし水は今日は流れていました。近くにテントが数張り。ここにテントを張ったら快適だろうなとは思うが、私は性格的にこういう場所でのんびり時間を過ごすということができない。

9時21分、出発して1時間25分ほどで釈迦ヶ岳山頂(1799.9m)に到着した。

山頂には10人くらいの登山者がいた。右のなだらかな山頂が仏生岳。真ん中奥が八経ヶ岳。

写真を撮ったら早々に仏生岳に向かう。いきなり古いロープの垂れた急な下り。前回敗退した箇所。滑りやすい急斜面をゆっくり下る。

前回は早々と敗退しておいて本当に良かったと思った。こんな場所にあんな装備(トレランシューズにチェーンスパイク)で突っ込んだら事故間違い無しである。

ヤセ尾根のなかなか厳しい道が続く。左側の高度感はかなりのもので、馬の背と書いてあったけれど須磨アルプスのそれとは比べものにならない。

大岩を鎖で強引に上がって空鉢岳(読み方不明)。後ろは釈迦ヶ岳。

なかなか荒々しい山容です。急斜面の細いトラバース道でちょっと緊張する。

水場は涸れていた。稜線直下なのでこんな場所に水場があるのが不思議だ。

このあたりに来ると道は穏やかになってきた。こんな道が続いてくれることを祈りながら足を進めた。それにしても釈迦ヶ岳から先は歩く人がかなり少ない感じ。おかげで静かで非常に気分がいい。

どうも奥駆道は孔雀岳のピークをトラバースしているもよう。一瞬、戻ってピークを経由していこうかと思ったけれど、どうせ同じ道を戻ってくるので帰りに立ち寄ることにしよう。

仏生岳もピークを経由していないようで、古い道標に従って山頂を目指す。

踏み跡があったのはこの少し上までで、そこから先はヤブを適当に上を目指して登った。

10時56分、仏生岳(1805.2m)に到着した。釈迦ヶ岳より少し高い。展望は無し。

ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。

下りも適当で、行きに出会った道標より少し先で奥駆道に下りてきた。

そして帰りは孔雀岳を目指す。道はまったく無いので適当に進む。

仏生岳から30分ほどで孔雀岳(1779m)に到着した。

山頂からの下りは踏み跡があった。奥駆道に合流した場所には標識が立っていた。何とこんなはっきりした標識を見落としていた。

さて、いよいよ最後のいやらしい箇所の登りに近づいてきた。

このあたりの残置ロープは古くて細くて頼りない。鎖はしっかりしているのだけれど。

12時37分、釈迦ヶ岳に戻ってきた。やれやれ、これで一安心。

山頂は人だらけなので早々に退散する。

せっかくの好天なのであまりあせって下ってしまうのももったいないので、古田の森でどら焼き休憩を取った。

午後2時ちょっと過ぎ、無事駐車場に戻ってきた。

さすがに好天の日曜日ということで登山者は多かった。しかし釈迦ヶ岳から仏生岳の間では出会ったのは単独行男性二人だけ。おかげで気持ちのいい山行を楽しむことができた。

三国山

三国(みくに、さんごく)という名前のついた山は全国にたくさんある。いずれもかつての国境に位置する山で、三つの国境になっているが、今では二つの県境になっていることが多い。

日曜日(10/20)に講座で登ったのは滋賀県と福井県の境にある三国山(みくにやま)。かつての若狭、近江、越前の境に位置している。

ちょうどこの7月に行った高島トレイルのコースとほとんど重なっている。

JRのマキノ駅に集合して、バスで白谷温泉まで行った。ここから歩き始める。

しばらく車道を行って、その後、荒れた林道を歩く。

1時間半ほど歩いて黒河峠(ころことうげ)に着いて、ここから登山道に入る。

結構な登りだったことは覚えているけれど、こんな鎖場があったことはまったく記憶に無い。

稜線に上がると展望が開けてきた。正面左は伊吹山。その右は鈴鹿連峰。

センブリ。

12時15分、三国山(876.1m)に到着して、ここで昼食にした。

赤坂山を目指して、まずは明王の禿に向かう。電車からも見えていた。

明王の禿から赤坂山を望む。

午後1時40分、赤坂山(823.6m)に到着した。

赤坂山から若狭湾方面を望む。正面奥は天王山?

あとはマキノ高原に向けて下るだけ。それにしても今日は団体客が多い。

3時半頃、マキノ高原まで下りてきた。スキー場跡はオートキャンプ場になっている。

マキノ高原温泉さららに到着して、ここで解散した。

解散とは言ってもみんな一緒にここからバスでマキノ駅へ向かった。

雲母坂

水曜日(10/9)は講座で比叡山の雲母坂を登ってきた。

集合は叡電の修学院駅。しばらく車道を歩いて鷺宮神社へ。

曼殊院の前を通って雲母坂へ。

少し登ったところで今日初めて参加された人が早くも脱落。私が付き添って白川通りの手前まで送り届けて、再度本隊を追いかける。

水飲対陣跡の上の展望場所で追いついた。

この上の浄刹結界の碑の所で昼食。

この上にも展望場所がある。

いつもと同じく、千種忠顕の碑に立ち寄る。後醍醐天皇に仕えて、足利直義と戦ってこのあたりで戦死した。碑が建てられたのは大正時代。

その後、ケーブルの駅で解散した。

私はいつも通り八瀬まで歩いて下りるつもり。駅の裏からスキー場跡に向かって行こうと思ったところ、左の方に古い道が残っているのが目に入った。山肌をトラバースしていて、方向からしていつもの下山路に合流しそうな感じ。ただし草がかなり茂っていて、もうほとんど歩かれていない感じ。

踏み跡がしっかり残っているかどうか不安はあったが、まだ時間もあるのでダメなら戻ってくればいいと思って突っ込んだ。

途中、倒木で行く手がふさがれている場所があったけれど、強引に乗り越えて、10分くらいでスキー場跡からの道に合流した。

ケーブル駅から20分くらいで峠まで来た。

先日、思いがけない苦労をさせられた場所はうまく回避して、3時前、ケーブル駅からほぼ1時間で八瀬駅に下り立った。

乗った電車は「ひえい」でした。

愛宕山

月曜日(10/7)は講座で京都の愛宕山へ行ってきた。

JR山陰線の保津峡駅に集合して、自治会バスで水尾へ。そこから裏参道で愛宕山を目指す。

急坂の住宅地を上がって、ようやく登山道に入る。登山道に入ってからもそれなりの登りが続く。登り一辺倒の道。

歩き出して1時間半ほどで水尾の分かれに到着した。ここで表参道と合流する。

ここからは階段が続いて、黒門へ。

愛宕神社の境内で昼食にした。

せっかくなので本殿にお参り。

時間があるので三角点(889.8m)に立ち寄った。正面に比叡山。ちなみに愛宕山の最高地点は愛宕神社の中で、標高 924m。

下山は表参道へ。水尾の分かれのちょっと上で東に向かう踏み跡に入る。

ケーブル愛宕駅跡。戦前には清滝からここまでケーブルがあった。ホテルや遊園地、山頂の北側にはスキー場もあったが、戦争の影響ですべて過去のものとなってしまった。

表参道を下る。かつてあった祠が昨秋の台風のせいで無残な姿に。

ようやく清滝まで下りてきた。このすぐ左側にケーブル山麓駅の跡がある。

このあと、清滝のバス停で解散となった。

私はいつもと同じく、一周トレイルのコースを辿って、JR保津峡駅に向かう。清滝川。

清滝から40分少々で保津峡駅に到着した。

好天に恵まれて、楽しい一日でした。

三草山

9/22 の日曜日は講座で北摂の三草山へ行ってきた。

三草山はかれこれ5年ほど前に講座で行ったが、この時はマイクロバスだった。今日は能勢電鉄の山下駅からバスで森上へ。ここが出発地。

バス停から少し歩いて岐尼(きね)神社へ。ここで準備を整える。実はここも3年ほど前に講座で来ていたけれど、まったく記憶が無い。

天気予報では降水確率が高い。何とか昼まではもってほしいと思っていたが、早々と降ってきた。

しかし幸い、さほど強くなることはなく、ようやく山道へ入る。

石のゴロゴロする歩きにくい道を上がって、稜線に出る。

歩き出して1時間45分くらいで三草山の山頂(564m)に到着した。

ちょっと早いけれどここで昼食。何となく前回よりは木が茂っている感じ。六甲の上部は雲がかかっていた。

先ほど稜線に出た場所まで戻って、今日は南側の不明瞭な道を下る。

うまい具合に車道に出て、里に向かう。

県道に出て、大歳(おおとし)神社。

時間があるので木喰仏(もくじきぶつ)に立ち寄る。

中はこんな感じ。

また車道を歩いて丹州街道に向かう。

旧街道に入って少し登ると峠。

峠を越えるとほどなくまた車道に出る。

あとは単調な車道を日生中央駅まで歩いた。

のんびりとした里山歩きの一日でした。

瓜生山

水曜日(9/11)は京都一周トレイルの講座で瓜生山を歩いてきた。先日、一人で歩いたばかりの道。

北白川の銀閣寺道そばに集合。今日も暑そう。

しばらく車道を歩いてバプテスト病院前へ。私はいつも朝鮮学校の校庭を抜けてショートカットしているけれど、本当はこれが京都一周トレイル東山コースの正式ルート。

大山祇神社。

登山道に入る。先日、缶コーラ片手に登った道。

茶山で休憩。東山三十六峰の一つ。

白幽子厳居跡。

瓜生山山頂(301m)に到着。

このあたりから空に雲がかかってゴロゴロと雷の音が聞こえだした。

雨の気配になってきたので、林道が上がってきている広いスペースの場所で昼食にした。食事中についに雨。

石鳥居。

そして雲母坂の水飲対陣跡へ。

今日の行程はここで一区切りにして、梅谷道を下る。

修学院離宮そばの住宅街に下山。

住宅街を歩いて修学院駅の方に向かう。音羽川を渡る。

白川通りのバス停のそばで解散して、私は叡電の修学院駅から電車で帰宅した。

それにしても異常に湿度が高くて不快な天候だった。

近江高島から釈迦岳、堂満岳

このところ酷暑がぶり返している。日曜日(9/8)も下界は最高気温 35 度の予報。

先週も暑さで京都一周トレイル東山コースを途中で断念したけれど、今週も同じようなパターンになりそう。

少しでも高い所へ行かないとたまらないけれど、標高 1000m くらいでは涼は得られない。

しかし先月は前半に2週連続で台高へ行ったり、終盤に白馬へ行ったりしたせいで、長距離ドライブはあまり気が進まない。

となると、選択肢は比良しかない。

さて、比良のどこへ?、と考えたが名案が浮かばず、取りあえず近江高島から入って、縦走路で和迩を目指すことにした。

この天候ではとても和迩まではムリと思うが、このルートなら東側に下山できるルートはたくさんある。

3年半ほど前に安曇川から和迩まで行っているけれど、高島からは久しぶりだ。

ということで、近江高島に向かった。

道中はおおむね曇りで、比良の稜線は雲がかかっていた。雨さえ降っていなければこの方がありがたいと思っていたが、幸か不幸か高島に到着した時は快晴だった。

準備を整えて、7時35分に高島を出発した。

しばらく車道を走る。あっと言う間に汗びっしょり。

長谷寺(はせでら)。天武天皇の時代に藤原不比等が建てたと伝えられている。

ここからリトル比良の登山道になる。賽の河原。

白坂。以前に講座で来た時は寄り道したけれど、今日はそういう余裕は無い。

このあと、今日もアブの攻撃を受ける。今日はハッカスプレーを持ってきている。多少は効果がありそう。アブは局所性があるようで、ある場所に密集している感じ。

8時42分、出発して1時間少々で岳山(だけやま、565m)に到着した。

山頂には石造観音三尊。

それにしても暑い。和迩なんて到底ムリ。

9時47分、岩阿沙利山(いわじゃりやま、686.2m)。

車道を渡る。

10時36分、出発して3時間で寒風峠を通過。早くも下山の誘惑にかられる。

ここから釈迦岳までの登りはなかなか厳しいので、峠を過ぎた所で腰を下ろしておにぎり休憩にする。

和迩・高島間の縦走は少なくとも2回はやっているけれど、いずれももうずっと昔のこと。

多分20年くらい前のことだったと思う。久しぶりに高島から和迩へ歩こうと思って出かけた。

その頃は体力には結構自信があったので、「行けて当然」というくらいの軽い気持ちで出かけた。いつ頃の季節だったのかはまったく記憶に無いけれど、少なくとも暑い時期ではなかったと思う。

序盤は快調に進んだものの、釈迦岳の登りになってから急激に体力を消耗して、しばしば立ち休みしなければ登り続けられないくらいの状態になってしまって、結局、釈迦岳からイン谷に下ることになってしまった。

その時の敗北感は今もはっきりと覚えているので、この先の登りには身構えてしまう。

寒風峠は標高約 600m。釈迦岳までたかだか標高差で 450m くらいなのだけれど、ロープがたれているような急登が続く。足元も滑りやすくて気が抜けない。

途中、曇って風が心地よいような時もあったけれど、長くは続かなかった。

まずはひと登りしてヤケ山(700mくらい)へ。

前方に見えているのが釈迦岳かと思ったが、実は手前のヤケオ山だった。

琵琶湖の対岸。真ん中やや左の突起が伊吹山。

急登をヒイコラ上りきって、ようやくヤケオ山(970mくらい)。

そして12時3分、ようやく釈迦岳(1060.1m)に到着した。

ジェルを補給しながら先を急ぐ。登り切った後の平坦地はわりと足が楽になるのだけれど、今日は暑さのせいか疲労感は大きいまま。

何とかびわ湖バレイまでは行きたいと思っていたけれど、最後に堂満岳を踏んで比良駅へ下りることにした。

30分ほどで北比良峠に到着。

遠方に武奈ヶ岳。真ん中、いちばん奥。

このあと、間違えてダケ道を下りそうになってしまった。そのまま下ってしまいたい誘惑にかられたが、何とか踏みとどまって縦走路に戻った。

金糞峠の手前でどら焼き休憩を取って、1時17分、金糞峠。

このあと、堂満岳への分岐を見落として縦走路を進んでしまった。元に戻るのはシャクなので、シャクナゲのヤブを強引にかき分けて本来の道に戻って、1時47分、堂満岳(1057m)に到着した。

最後の眺望を楽しむ。左端は沖島。

沢に合流した所で冷たい水をがぶ飲み。

その後、右岸の道を快調に下る。その時、ヤブでゴソゴソっという音。シカかと思ったら、目の前数メートルの所を黒い物体が斜面を駆け上がって行った。

クマ〜!!。

あまり大きくはなかったし(体調1m未満?)、目を合わせることもなかったので、恐怖感は感じなかったけれど、ひょっとしたら小熊かもと思った。もし小熊だったら親熊がそばにいるはずなので、子連れのクマというのはもっとも危険。

しばし様子をうかがって、他にいる気配が無いことを確認してから先に進んだ。

琵琶湖湖北のマキノ町では通学路にクマが出てきたりしているので、ここにいてもまったく不思議では無いけれど、関西の身近な山で実際にクマに出会ったのは50年近い登山経歴の中でも初めてのこと。

いよいよクマスプレーを本気で考えなければ。

ノタノホリ。

そして車道に出た。

普通はここからまた登山道に戻ってイン谷口の方向へ向かうのだけれど、今日はこのまま車道を下ってみる。

緩い下りで十分に走れる道なのだけれど、暑くてとても走る気にならない。

もう駅まであとわずかという所で振り返ってみる。正面中央が堂満岳。右端が釈迦岳。

最後だけ電車の時間調整のために走って、午後3時23分、比良駅に到着した。

十分満足しました。

笹間ヶ岳

今年は8月は登山講座が休講になった。昨夏が猛暑だったので、熱中症の危険回避のためだろうか。

2ヶ月ぶりの講座で 9/2 に琵琶湖の湖南アルプスの笹間ヶ岳へ行ってきた。個人的に笹間ヶ岳へ行ったのはもう5年半も前のこと。

スタートはバス停のアルプス登山口。暑い。

しばらく車道を歩いて、ようやく登山道へ。

しばらくして沢筋を登るが、見かけほど涼しくはない。下界よりはマシという程度。

小さな池のある平らな場所に出ると、サギソウ。

この少し先の広場で昼食にした。ここにも池があって、ヒツジグサ。写真ではよく見えない。

またしばらく登ると車道に出た。

また登山道に入って少し行って、笹間ヶ岳の山頂(432.9m)に到着した。

山頂には大きな岩がある。ハシゴもあるけれど・・・。

岩に上がると展望が広がっている。正面は比叡山。

東海自然歩道の道を下る。

ちょうどバスが行ったばかりで待ち時間があるので、日陰の無いバス停を避けて神社の参道で時間つぶしをした。

昨日も暑かったけれど、今日はさらに暑い日だった。

白馬岳

週末の天気予報は今ひとつだったけれど、直前になって日曜日(8/25)の白馬地域は晴れ間も期待できそうになってきた。

と言うことで、このところ続けて敗退している白馬岳へ向かうことにした。

何度目の白馬岳かよく覚えていないのだけれど、初めて登ったのは高校1年生の時。中学校のワンダーフォーゲルクラブの夏山にOB面して連れていってもらった。蓮華温泉に下山して、露天風呂に入ったのを記憶している。

今回は白馬岳だけではもの足らないので、白馬三山を縦走して猿倉へ戻ってくるという計画にした。

土曜日の昼前に家を出て、420km ほど走って猿倉に到着した。

暗くなってから一時本降りの雨になったが、夜中にトイレに出た時は雨は止んでいた、ただし星はほとんど見えなかった。

朝2時に起きて、カップ麺とおにぎり、コーヒーで朝食を済ませて、2時52分に駐車場を出発した。星はチラホラ。

猿倉荘の前を通って少し登山道を上がって、林道に合流して少し行くと小日向山(おびなたやま)からの道に出会う。ここに下りてくる予定。

歩き出して1時間足らずで白馬尻小屋に到着。

小屋の前にあった案内板によると、大雪渓は下部は雪渓に入らずに右岸の秋道を行くとのこと。3年前に来た時もそうだった。

できれば夜が明けてから大雪渓のエリアに入りたかったのだけれど(3年前に暗闇の大雪渓で敗退しているので)、夜明けまではまだ1時間以上ありそう。

マーキングに注意しながら歩きにくいザレ道を登る。そうしたら何と雨。致し方なくジャケットを羽織って、ザックカバーをつけた。

白馬尻から25分ほど登ったら、雪渓にロープが張られている場所に出た。

これより上には行くなという印だと思う。しかしロープの先は雪渓が崩れている。ロープ伝いには進めない。

悩んだ末、少し下で雪渓を渡ることにした。チェーンスパイクを着ける。

雪渓を渡ってモレーンに這い上がって、そこから上に向かった。5時頃になってようやく辺りが見渡せるようになってきた。

ようやくまたマークを発見して、ザレた斜面を上がる。まだ上に小雪渓があるのでチェーンスパイクは履いたまま。

雨が止んで暑くなってきたのでジャケットを脱いだ。ふと振り返ったら戸隠連山の向こうから御来光。

天候も回復してきて、気分は上々。

しかし好天は長くは続かなかった。ほどなくまた雨。ジャケットを羽織る。

危うく違う沢に入り込んでしまいそうになったけれど、すぐに戻った。

雪渓を眺めると、どうも雪渓上にもルートがある模様。しかしそれも間も無く終わりなので、そのまま土道を行く。

ミヤマトリカブト。

雨は少しで止んだけれど、風が出てきたのでジャケットは着たまま進む。

岩室跡。

このあたりから下山者とすれ違うようになってきた。小雪渓はもう雪は無さそう。

シナノキンバイ。

6時41分、ようやく白馬頂上宿舎に到着した。

風が強くて寒い。雨具のパンツも履く。上は薄いジップシャツの上に雨具のジャケットだけなので寒い。薄い中綿ジャケットは持ってきているけれど、もうすぐ山頂なのでこのまま進む。

ウサギギク(?)。

稜線に出たら一段と風が強くなった。しかも眺望はまったく無し。もう白馬三山縦走は止めようという気分。

白馬山荘は通過。

7時16分、白馬岳山頂(2932.2m)に到着した。

写真を撮ったら早々に退散。白馬山荘に入って少し休憩した。ちょっと総菜パンをかじったけれど、あまり食欲が無い。

寒さは中綿ジャケットを羽織れば何とかなりそうに思うけれど、何せ眺望がまったく無い。こんな条件での稜線縦走は耐寒訓練にしかならない。往路を下山という判断に迷いは無かった。この稜線は何度か歩いているのでこだわりは無い。

稜線をはずれると風はマシになった。コオニユリ(クルマユリ?)。

チシマギキョウ。

ハクサンフウロ。

上から眺める大雪渓。暑くなってきたので雨具を脱いだ。

チェーンスパイクを履いて大雪渓に下りる。

しばらく下ったら、朝に迷った場所に出た。

写真ではよく見えないけれど、この真ん中あたりに向こう岸から手前に向かってロープが張られている。私はこの写真の左の下あたりを対岸にトラバースしたのだけれど、実はこの右側の斜面にマークが続いていた。

10時3分、ようやく白馬尻小屋まで戻って来た。

ここで腰を下ろしておにぎり休憩にした。林道終点まではあと少し。

エゾアジサイ。

サンカヨウ(?) ← 多分違う(8/28)。

長走沢(ながしりさわ)。

10時50分、猿倉荘に戻って来た。

まだ昼前。とは言っても3時前に出発しているので8時間歩いた。満足とは言えないけれど、標高差1700mを往復したのでまぁそれなり。

荷物を整理したら、一度行きたいと思っていた「おびなたの湯」に向かう。

小さな露天風呂だけれど、なかなかいいお湯でした。

馬ノ鞍峰

昨日(8/12)、何処へ行くかは元々気持ちは決まっていた。二週連続の台高山脈。 

前登志夫氏の「吉野紀行」を読んでから後南朝の歴史、特に自天王に興味が惹かれて、先週の白鬚岳の後も自天王ゆかりの金剛寺に寄るつもりだった。

実はほんのすぐそばまで来ていたのだけれど、金剛寺の場所を錯覚していて、本来の場所の反対側を眺めて見あたらず、諦めて帰ってしまった。

そして三之公(さんのこ)のかくし平もぜひ訪れてみたいと思っていた。

そのためだけにわざわざ川上村の山奥まで行くわけにはいかないので、馬ノ鞍峰を目指す。馬ノ鞍峰だけではもの足らないと思うので、さらに足を延ばして池小屋山までピストンしようと思った。

そして下山後は入ノ波(しおのは)温泉。そして金剛寺にも立ち寄る。

こんな欲張りな計画を立てて、朝3時半に家を出た。

先週と同様に途中でカップ麺とおにぎり、そしてコンビニコーヒーで休憩を取って、三之公林道の終点を目指す。

入ノ波温泉までは先週走っているので気分的には余裕がある。しかしその先、三之公林道に入ると道は険しくなってきた。が、どういうわけか結構車が道路脇に停まっている。河原でキャンプしている人たちがいる。

そして何と、フロントガラスに雨粒が落ちてきた。まさか・・・。台風の影響? そう言えば前日の天気予報で近畿南部に雨マークが出ていたような気がする。

ほぼ3時間かかってようやく三之公林道終点に到着した。運転にも疲れて、さらに雨。正直、これで池小屋山を辞めるいい口実ができたと思った。



念のためにと持ってきたザックカバーをつけて、ライトジャケットを羽織って6時47分に出発した。

まずは上の写真の左にある階段を上がって、登山道に入る。

さっそく木の橋が出てきた。雨で濡れているので滑る。このあと10箇所以上の橋があったが、帰りは下りになるので心配だ。

少し歩くと暑くなってきた。樹林帯なので雨はそれほど強くは当たらない。中から濡れるか外から濡れるかの違いだけなので、ライトジャケットを脱いだ。

池木屋山には行かないので時間的には余裕がある。明神滝に立ち寄る。なかなか立派な滝。

結構しょっぱい箇所が続けて出てくる。雨で足元が滑るので緊張を強いられる。まさかこんなに厳しいとは・・・。今日もポールは持ってきていない。

出発して1時間10分ほどでかくし平の入り口に到着。

この道標の矢印がどこを指しているのか良くわからず、対岸にある細いトレースに向かった。しかしほどなく消滅。戻る時に、来た道がよくわからず、沢に下りる時に苦労した。

8時14分、出発して1時間半で三之公行宮跡に到着した。

右に建っている標柱の文言は、「文安五年(1448)、尊義王(小倉宮皇子)は、神璽を奉って自天王と忠義王を連れ、都から三之公へ潜居された。尊義王は、川上郷民の助けを借りて、吉野朝復興を画策したが病で倒れられた。尊義王が北朝方を避け、八幡平から移り住んだ御所の跡である。」

さらに進んで沢を対岸に渡ると「尊義親王御墓」の標識。あたりを見渡してみたけれどそれらしいものは見あたらない。帰りにじっくり探そうと思って先に進む。

このあと、稜線までの斜面はなかなか急で、おまけに雨で滑りやすくて苦労した。下りが思いやられる。これまでもずっと、杖になるような木がないかと探していたけれど、体重がかけられそうなものが見つけられなかったが、稜線に出る少し手前でようやくいいものを発見。ちょっと一安心した。

8時40分、稜線に出た。

台風の影響か、南側から強い風が雨粒を伴って吹き付ける。寒いのでまたライトジャケットを羽織る。

ヒメシャラ。

急登を上がって、9時10分、馬ノ鞍峰(1177.7m)に到着した。

寒いので写真だけ撮って滞在1分で帰路についた。

ちょっと様子が変と思ったらロストしていた。トラバースでルートに戻った。

急斜面の下りは杖に助けられた。これが無かったらかなり苦労したと思う。ひょっとしたら危なかったかも。

10時に「尊義親王御墓」の標識まで下りてきて、再度じっくりと探してみたけれど、結局見つけることができなかった。帰ってからガイドブックで調べたところ、西側の斜面を少し上がっていかなければならないようだった。そんな標識は無かった。

そのあと沢筋でまたプチロストしたけれど、先週の教訓でテープマークのある所まで戻った。

何か足がかゆいと思ったらカーフサポートに血がついている。ヒルにやられていた。ヒルが多いというのは聞いていたのでカーフサポートの下にはヒザ下までのストッキングを履いていたけれど、ほんのちょっと素肌が出ているヒザのちょっと下あたりがやられていた。

かくし平でおにぎり休憩にしようかと思っていたけれど、小さなアブやヒルがうるさいので、もう一気に下山してしまおう。

滑りやすい木の橋も杖のおかげで何とか渡ることができた。これからはポールは必ず持つようにしようと思う。

途中、沢筋に岩場を懸垂で下りている人がいるのが見えた。この沢は沢登りをやる人がいるというのは聞いていた。しかし何でまたこんな雨の日に?

11時前、無事戻ってくることができた。もう1台、車が停まっていた。おそらくあの沢屋さん。何と品川ナンバーだった。

着替えのためにカーフサポートを脱いだところ、何と2箇所にヒルがついていた。実は帰ってから汚れ物を洗濯したところ、洗濯機にヒルがへばりついていた。

さて、一息ついたら入之波温泉へ。

こんな場所の温泉に来る人がどれくらいいるのだろうかと思っていたが、実は車の置き場に困るくらいの人で、相当な人気湯のようだった。

お湯は有馬の金の湯のような茶色。温度はぬるめ。中の雰囲気もいかにもひなびた秘湯という感じで、人気があるのがわかるような気がした。

そして、今日最後の目的地の金剛寺へ向かう。

今回はすぐに場所はわかった。車を停めた場所のすぐ横に石の階段があって、それを上がると本堂への石段が続く。

ここを上がると本堂。

ここはかの役行者の開基と伝えられている。

裏手には自天親王神社。

生前の自天王を偲ぶ「御朝拝式」という儀式が毎年2月5日に行われている。五百数十年にわたってただの一度も途切れることなく続けられている。

私はただの観光資源と化した「○○祭り」とやらにはまったく興味を感じないけれど、こういうのは一度見てみたいと思う。

自天王の墓は石段をしばらく上がった場所にあるそうだけれど、入り口が閉じられていて行くことができなかった。ただし宮内庁は上北山村の瀧川寺を陵としている。

見損ねた箇所がいくつかあるけれど、それなりに満足のいく一日でした。再訪するかどうかは????