三浦雄一郎さん、エベレスト登頂

三浦雄一郎さんが80歳でエベレストに登頂された。
素晴らしいことだと思うと同時に、無事の下山を祈らざるを得ない。山は登ることよりも下ることの方がはるかに難しいのだ。山岳事故の大半は登りよりも下りで起こっている。
日本人として初めて植村直己さんがエベレスト登頂に成功されたのは1970年。私が15歳の時だ。中学校のクラブ活動でワンダーフォーゲル部にいたので、こういう出来事には非常に関心があった。
しかしその時に私がもっと興味を抱いたのは、同じ時期に同じエベレストで、サウスコルの8000mからスキーで滑降した三浦雄一郎さんの方だった。
誰も歩いたことの無いウェスタンクウムの斜面を双眼鏡で確認しただけでスキー滑降。パラシュートを開いてブレーキにするも、転倒して何百メートルも滑落した。急斜面をゴムまりが落ちていくような映像は、今もかすかに記憶に残っている。
世界的に注目されたのは日本隊の登頂よりも、むしろ三浦さんのスキー滑降の方だった。転倒したことなどまったく問題にならず、三浦さんのアドベンチャースピリットは最大限の賛辞で評価されたと思う。
転倒して滑落しながら、三浦さんは『人生は夢だった』と思ったと著書に書かれている。この時、三浦さんは37歳だった。
そして80歳になられた今、まだ夢を追い続けられている。
私の部屋には『夢 いつまでも』と書かれた、三浦さんにいただいた色紙が飾ってある。私の大切な宝物だ。
私は私なりのレベルでまだ『夢』を追っている。しかしその『夢』は必死になって探したものではなく、自然に湧いて出てきたものだ。『夢』が自然に湧いて出てくる間は、前向きな気持ちで走り続けていられるだろうと思っている。
願わくば人生を終える時も『夢』を持ち続けていたいと思う。人生に満足して終わるよりも、やりたい事を残して終われる方が実は幸せなのではないかと感じている。

『Sydney !』

村上春樹シリーズ第二弾は『Sydney !』。タイトルからもわかる通り、2000年のシドニー・オリンピックの観戦記だ。
なぜかプロローグが有森裕子のアトランタでの走りから始まっている。有森はシドニー・オリンピックには出場していない。代表選考会の大阪国際女子マラソンに出場はしたが、序盤で早々とレースから脱落していた。すでに33歳で、彼女の活躍はほとんど誰も期待していなかっただろう(おそらく本音では本人も)。
これに続いて犬伏孝行の合宿風景が語られる。犬伏はマラソンの代表としてシドニーを走ったが、38kmあたりでリタイアしてゴールすらできなかった。私を含めて多くのマラソンファンが期待感を持っていたので、勝負になる前に脱落してしまったのにはかなりがっかりさせられた。
村上春樹氏自身はマラソン以外はオリンピックに対してさほど興味が無いようである。はっきりと公言もされている。しかし出版社からの依頼ということで、せっかくの機会なので行ってみようということになったらしい。
『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んだ直後だったので、この時ほどの新鮮さは感じなかったが、相変わらずの読ませる文章に引き込まれて行った(実際に書かれた年代では『Sydney !』の方が数年早いが)。
氏の基本姿勢としては『オリンピックがいかに退屈でつまらないか(マラソンを除いて)』というスタンスで文章が綴られている。特に開会式や閉会式はその最たるもので、開会式では氏はその退屈さに耐えかねて、入場行進の序盤で退場している。氏の感性から推測すると『そりゃそうだろうな』と納得してしまう。私だっておそらく同じように感じるだろう。
サッカーや野球、テニスなどはオリンピックには不要という意見も、まったく同意する(すでに野球は廃止が決まっているが)。
そしてエピローグでまた有森裕子と犬伏孝行が登場する。
有森裕子はオリンピック後の10月に行われたニューヨークシティマラソンに出場したらしい。本人の期待とは裏腹に、極めて不満な結果に終わったようだ。
この頃はすでにリクルートを退社して小出監督から離れており、そのあたりの影響もあったのかも知れない。いずれにしてもシドニー・オリンピックとは何の関係も無い出来事のようにしか思えない。
犬伏孝行は帰国後の記者会見などの様子。監督の総括のような話も述べられていたが、私はプロローグを読んだときに犬伏がこういう結果に終わった理由がわかったような気がした(『オマエなんかにわかるもんか!』と言われそうだが)。
犬伏は『とにかくオリンピックに行きたかった。種目は何でも良かった』と言っていたそうだ。つまり代表に選ばれた時点で彼の夢は実現してしまっていたわけである。もちろんメダルを目指すという気持ちもあったには違いないが、心の奥底にはほのかな満足感が漂ってしまっていたに違いない。このあたりは金メダルを取った高橋尚子とはまったくの正反対である。
こういう選手の失敗分析は、何を語られてもただの言い訳にしか聞こえない。
失敗した二人をプロローグとエピローグに持ってきたのは意図的なものであると氏は述べている。これがなければこの本の印象も随分違ったものになったに違いないと書かれているが、私の印象としてはこれらは不要である。むしろこれが無ければもっと好印象で読了できたのではないかと思うくらいだ。
普通のオリンピック観戦記には無いような視点での文章は非常に楽しかったが、プロローグとエピローグには違和感を感じた。それが私の印象である。もう一度読み返したいとは思わない。
さらに一緒に借りてきた『意味がなければスイングはない』を開いてみた。このタイトルは言うまでもなく、デューク・エリントンの名曲『スイングがなければ意味はない(It Don’t Mean a Thing (If it Ain’t Got That Swing))』のパロディ。タイトルからジャズ関連のエッセイかと思ったが、実際にはかなり広い範囲の音楽が選ばれており、ちょっとついて行けない感じ。ジャズ関連の章をいくつか読んだだけで、やめにした。
文章がちょっとくどい。氏の博識はよくわかるが、こっちはそんなレベルじゃないよという感じ。
こういうタイプの文章、どこかで出会ったことがあるような気がするなぁと思った。よく考えてみるとそれは、菊池成孔だった(と思う。図書館で借りたので手元に残っていない)。菊池成孔もかなりの博識だが、どうも好きになれない。音楽も(さほど多く聴いたわけではないが)、ハートよりも頭でやっているように感じられて、うまいとは思うがそれ以上でもそれ以下でもないという感じ。坂本龍一と同様に。
そんなこんなでここ1週間ほどは村上春樹マイブームと言った感じだったが、それもこれで終了と言ったところだ。幸か不幸か小説を読みたいという気持ちにはならなかった。

『走ることについて語るときに僕の語ること』

唐突だが、私はかなりひねくれた性格である(と思っている)。
とにかく世間での流行やブームと言ったものにまったく関心が無く、むしろ反発すら感じてしまう。われながら『何もそこまで・・・』と思ってしまうのだが、持って生まれた性分は如何ともしがたい。
私は大阪在住だが、このところの大阪駅周辺の賑わいにはまったく関心が無いし、ディズニーランドやUSJ、東京スカイツリーなど、行ったことも無いし行きたいとも思わない。むしろそんな人混みには近づきたくないとすら思う。
そんなわけでここ何年かの、社会現象とも言えるくらいの村上春樹ブームには目を背けていた。
学生時代には粋がってドストエフスキーの全集を集めたりしたが、はっきり言ってただ字面を追っていただけだ。ジャズ喫茶での単なる時間つぶしでしかなかった。
その後はフィクションにはほとんど興味を感じなくなり、小説はもとより映画、ドラマなどもほとんど接することが無くなったまま今日に至っている。
村上春樹の作品ではなぜか『ノルウェイの森』を読んだが、正直言ってよくわからなかった。この作品のいったいどこがおもしろいのだろうかという感想しか持たなかった。ストーリーもまったく覚えていない。
その後の村上春樹ブームはまったく無視でやり過ごしてきたのだが、最近の新刊のブームのせいで、暇つぶしのネットサーフィンをやっていると至るところで村上春樹関連情報に行き当たる。
氏がマラソンランナーであることは漠然とは知っていたけれど、どのくらいのレベルなのか、どれくらい入れ込んでおられるか、ということはまったく知らなかったし、強いて言えば興味も無かった。
ところがたまたま最近見かけたコラムのようなもので氏がマラソンについて少し語っておられるのを読んで、反射的に『これはホンモノだ!』と感じた。運良く図書館で氏の『走ることについて語るときに僕の語ること』がすぐに借りられたので、さっそくひもといてみた。
あまりのおもしろさに魅了されて、ほとんど一気に読了した。そして読了するやいなや最初のページに戻って、2回目を読み始めた。氏はこの本を『エッセーではなくメモワール』と言っている。確かにいわゆるスポーツ・ノンフィクションではなく、あくまでも氏の個人的な心の動きを語ったものだ。
氏も言うように、作家でランナーという人はかなりめずらしいと思う(ここで言う『ランナー』というのは、客観的な走力は別として本人の気持ちは競技志向で取り組んでいる人のこと。気分転換にジョギングを楽しむだけの人のことではない)。私が知る限りでは他には灰谷健次郎(故人)くらいだろうか。
一般的なイメージとして、作家や音楽家。画家などの芸術家というのは不健康で退廃的な人たちという印象が強い。そうでなければ良い作品を産み出すことはできないとすら思われている。氏もこのことを認識されており、実際にそういう側面があることを肯定されている。
しかし氏の場合はマラソン(もしくはトライアスロン)を続けてきたことが作家としての成長のベースにあって、本当の心の底のドロドロしたものを掘り下げてそれを作品に仕上げていくためにはとてつもない体力が必要で、『不健康なイメージの作品を創り出すためには健康でなければならない』というふうに考えておられるようだ。そういうとらえ方は理屈としてはわかるような気がする。
この本で一番印象的だったのは、氏が自らの老いについて語っておられるところ。氏がこの文章を書かれたのは今の私とほぼ同じくらいの年齢の頃だ。
氏の場合は40台後半あたりから記録の低下が始まったらしい。私は記録の低下という意味ではもう30台後半から始まっているが、体感とのずれが生じるようになったのは50歳を過ぎてから。氏はちょうどこの本を書かれている頃がそういう時期にさしかかっていたように思われる。
一言で言えば『練習がレースの結果に結びつかない』ということ。レースにおいても、終盤に思いもよらないペースダウンに見舞われる。たとえ序盤をセーブしたとしても。
一流選手も引退前のレースはそんな感じだ。瀬古利彦、高橋尚子、有森裕子、高岡寿成・・・。それが『老い』というものなのだ。
ただ幸いなことに、氏や私はプロランナーではないので、どんなに衰えても引退する必要は無い。自分が納得できる限り、走り続けることができる。
調子に乗って、また図書館で『Sydney !』と『意味がなければスイングはない』を借りてきた。私は学生の頃からずっとジャズに親しんできたが、氏も20台の頃はジャズ・クラブのようなものを経営されていた。たぶんそんなことも氏の文章に共感を感じるベースにあるのかも知れない。
これらの感想はまた改めて。
しかし本業の小説を読んでみたいとはまだ思わないなぁ・・・。

ゾーンに入る

スポーツの世界では『ゾーンに入る』という言葉がよく使われる。ゾーンに入っている状態というのは競技の特性(チームスポーツか個人スポーツか、相まみえる競技か記録を争う競技か、など)や個人のメンタリティによって様々だとは思うが、基本的には自分のプレーやパフォーマンスに対する集中力が高まって、周囲にまどわされることなく没頭できている状態のことだろう。
こういう状態というのはスポーツに限らず、音楽や絵画、演劇などの芸術活動、さらに職人工芸的な作業においても生じると思う。ビジネスの世界でも緊張感あふれるような状況では、ゾーンに入ったような状態もあり得るだろう。
私もマラソンでは何度かそういう経験をしたことがある。
フルマラソンがきっちりと走れていた頃は、後半もあまりペースが落ちないのが自分のスタイルだった。それでもだいたいは30kmあたりから少しペースが落ちてくる。ここでのペースダウンを最小限度に抑えられると、35kmからまた盛り返してくる。
ラスト5kmを過ぎるとラストスパートモードに入って、さらに40kmを越えると全力を出し切ろうと踏ん張る。
肉体的には一番きつい状態だが、精神的には非常に充実していて、まるで頭の上の方にもう一人の自分がいて、そいつが走っている自分に対して『最後まで頑張れ!!』と励ましているような気持ちになるのだ。
こういう状態は42.195kmのフルマラソンでしか経験したことが無い。ハーフや30kmではここまで力を出し切るという感じにはならないし、逆に距離がもっと長いと力をセーブしてしまう。かと言って余力を残してゴールしているわけではないのだが。
私がフルマラソンにこだわってきた理由は、これが一番大きいと思う。この感覚をまた味わいたくて、何度もフルマラソンにチャレンジしているのだ。この感覚が味わえれば結果のタイムは大した問題ではない。
しかし残念ながら49歳の時の加古川マラソンを最後に、この感覚には出会えていない。50歳を過ぎてからのフルマラソンでは最後まできっちりと走り切れたことが無いし、トレイルのレースはロードとは感覚が随分違う。
これまでの経験で言うと、こういう感覚はリズムに乗って一定ペースで走れている状態でないと発現しないように思える。だからマラソンでも福知山のような、ラストで急な上り坂になるようなコースではたとえうまく走れていたとしても、おそらくこの感覚は得られないだろう。
また、トレイルで周回コースの場合は初めてだとコースがわからないので、なかなかラストに思い切ってスパートするということができない。ロードレースと違って距離も結構いい加減だし、アップダウンの具合もやはり実際に走ってみないとどんなものなのかはわからない。
トレイルでは、シングルトラックで緩いアップダウンが続くようなところを走っていると(こんな場所はあまり無いのだが)、非常に気持ち良くなることがある。ただこれは、ゾーンに入るというよりはランニングハイに近い感覚のように思う。
クラブに入ってからは、どちらかと言うとレースよりも練習会の時の方が充実感を感じて終われることが多いように思う。
いずれにしてもこのような快感はやはり、自分の限界に近いところまで追い込まないと感じられないはずで、いつまでそんな走りができるのかはわからない。もう最終章に近づいてきていることは間違い無いと思うが。
何とかもう一度マラソンでゾーンに入ってみたい。

ランニングと四季

朝起きてすぐに走りに出るようにしたのは昨年末で、日の出が最も遅くなる時期だった。7時過ぎに家を出ると、東の空にちょうど顔を出したばかりの太陽を輪郭もくっきりと眺めることができた。しかし今は太陽はもうかなり高くまで上がっていて、まぶしくて直接見ることはできない。空気の冷たさもずいぶん和らいできて、春の兆しをはっきりと感じることができる。
ランニングに向いた季節が近づいてきたと言えるだろう。ほとんどの人は春が好きだ。暖かくなることをみんな嬉しく思うようである。しかし私はそうではない。決して寒いのが好きというわけではないが、とにかく暑いのが苦手なのだ。春の兆しを感じると、気持ちは一足飛びに夏の蒸し暑さに向かってしまう。またあの季節がやってくるのかと思うと、憂鬱な気分になってしまうのだ。
桜の時期もうっとうしい。満開の桜を美しいと思わない訳ではないが、普段走るコースには桜の木が随所にあって、至る所人だかりで昼間から宴会である。私は人混みも嫌いなのだ。目的も無く繁華街へ出かけるようなことは絶対に無い。
そうは言っても桜の時期は1週間から2週間程度なのであっと言う間に過ぎ去るが、昨今の長い残暑には本当に苦しめられる。
そういう意味では今頃の季節が一番好きではある。厳寒の時期は過ぎたが、春の暖かさにはまだ少し間があるという時期で、走っても軽く汗をかく程度でちょうど心地よい。
5月に入ると、走ると汗がしたたるほどの暑い日が現れるようになる。しかし里山のトレイルには絶好の季節だ。冬場は寒かった山もこの季節になると空気が穏やかで、樹々の間のそよ風が爽やかで気持ち良い。唯一の難点はイネ科の花粉症の症状が出ること。スギやヒノキは何ともないのだが・・・。
梅雨は嫌いではない。この頃の気温だと雨の中を走るのも悪くないし、土砂降りの中を走っていると、妙に気持ち良さを感じることさえある。
梅雨が明けるといよいよ本格的な夏となる。私の一番嫌いな季節の到来だ。特に蒸し暑いのが苦手で、トレイルに行ってもすぐにバテてしまう。最近はアルプスの3000m近くまで行っても、8月前半くらいなら『下界よりはマシ』という程度でしかない。昨年の8月初旬、七倉から水晶岳を目指して裏銀座の稜線に上がった時も、予想外の暑さに体力を消耗させられて、結局真砂で断念することになってしまった。その前に比良に行った時も、目標の3分の1くらいで早々に敗退してしまった。
9月は下界ではまだまだ残暑が厳しいが、2000mを越える山々は快適になる。しかし天気が荒れると危険な季節だ。好天をつかまえればアルプスランには最高のシーズンである。この時期になると残雪に出会うこともまず無いし、登山者もぐっと減って、人気ルートでも快適に走れるようになる。
10月に入ると3000m近い稜線ではそろそろ雪の便りがやってくるので、それなりの準備をして行かないとメディアを賑わせることになりかねない。しかし里山はまた絶好の季節だ。六甲や京都の北山、比良などは快適である。
下界のランニングが快適になるのはやはり11月になってからだろう。長い距離を走っても疲労感が少なくなってくる。マラソンのレースも11月の声を聞くと一気に増えてくる。
山スキーによく行っていた頃は雪の便りにわくわくしたものだが、陸上クラブに入ってからはとんと行かなくなってしまった。行きたい気持ちが無くなった訳ではないのだが、末端冷え性の症状がつらい。パウダースノーで絶好のコンディションというのは気温が冷え込んだ時なので、滑りには良いが手足は冷えて痛いのだ。
よく行っていた頃は暖冬で雪不足のシーズンが続いていたのに、行かなくなったら雪の多いシーズンが続いているというのは何とも皮肉なものだ。
日本ではマラソンシーズンは冬だ。昔はいつも四国や九州など、関西より西の方のレースばかりだったので、冬と言ってもさほど寒い思いをしたことは無かったのだが、最近は遠出するのがもったいないので近場のレースばかりである。おかげで非常に寒い日に出会うこともしばしばで、昔はレースではランパン、ランシャツと決まっていたのに、最近はロングTシャツとロングタイツなんてこともめずらしくない。まぁ、ムリして寒い格好をすると、体温を維持するために余分なエネルギーを消費するようなので、適度に暖かくした方が理にかなっているとは思うが。
今週末はまた六甲へ行こうと思っている。先月は寒くて、雪がしっかり残っている所もあったが、今週末はそういうことはないだろう。雪は少しは残っているかも知れないが。2週間後はいよいよ六甲縦走キャノンボールなので、今度は何とか8時間くらいで余裕をもって走り終えたいところだ。

ランニングと音楽

音楽を聴きながらランニングをする人は多い。
公園や河川敷のような場所だけではなく、街中を走っている人がイヤホンを着けているのを見ると危ないなと思うが、そういう人はわりとよく見かける。レースでもフルマラソンなどの長い距離になるとイヤホンを着けている人をしばしば見かける。
音楽は曲を適切に選ぶと気持ちを落ち着かせる効果や、逆にテンションを上げる効果もあったりして、スポーツのパフォーマンスにプラスになる場合は確かにあるようだ。試合前の選手がアップの時にイヤホンを着けている光景は、ランニングに限らずスポーツ全般において良く見かける。
中でも有名なのは、高橋尚子選手がシドニー・オリンピックの本番前に、イヤホンを着けて踊って、歌っている光景。日本人のトップアスリートにこんな選手がいるのかと、多くの人たちが驚いた
私は子供の頃から音楽が好きだが、ランニング中にイヤホンを着けたことはほとんど無かった。20年以上前に、ランナーのための音楽というようなタイトルのカセットテープが売り出されて、それをウォークマン(その頃はiPodのようなものはまだ無かった)に入れて聞きながら走った事が何度かあったが(もちろんレースではなくて練習)、ランに集中できないような気がしてほんの数回だけでやらなくなった。
それ以降はiPodシャッフルのような小型プレーヤーが登場しても走りながら音楽を聴きたいとは思わなかったが、昨年、とある文章に出会って、速攻で耳掛け型のMP3ウォークマンを購入した。
その文章の内容を簡単に言うと、『マラソンのような時間のかかる持久型スポーツの場合はエネルギー消費の効率が重要だが、実は人間は脳で非常に多くのカロリーを消費している。余計なことを考えないようにした方が脳での無駄なカロリー消費を抑えられるが、それには音楽を聴きながら走るのが良い』というものであった。
なかでも勉強や仕事、スポーツなどに集中している時に現れる『シータ波』の波長が効果的とのことで、さっそくネットでそういうタイプの音楽を何曲かダウンロードして試してみた。
私自身の感覚では、どちらが先かはわからないが、タイムが落ちてきてからランニング中につまらない事をくよくよ考えることが多くなったように思う。そこでこのような無駄な邪念を減らしたいと考えて試してみたのだが、結果的にはあまり効果が感じられなかった。
何故かと言うと、BGMのようなサウンドはいつの間にか音楽を聴かずに、いつものように頭の中を邪念が駆け巡っている状態になってしまうのだ。音楽そのものが自分の興味のタイプではないので(嫌いというわけではないが)、外の雑音と何ら変わらない音でしかなくなってしまっている。
そこで、シータ波にはこだわらずに好きなタイプの音楽を入れて聴くことにしてみた。確かにこちらの方が音楽を聴いている感じがするが、ランニングのために曲を選んでいるわけではないのでリズムは一定しないし、曲の調子も様々に変わる。普通のアルバムCDをそのまま入れているので当然のことだ。ただ、音楽に気持ちを向けるという意味ではこちらの方が私には良さそうだ。
レースで効果があるかどうか試してみようと思って、淀川市民マラソンでは初めてウォークマンを着けて走った。しかしレースになると、いくら好きな音楽ばかり入れたとは言ってもやはりペースの事が気になって、練習ジョグの時ほどは音楽に気持ちが向かない。でも、レース中にどうでも良いような邪念が頭を駆け巡るようなことはほとんど無かったように思う。ただ、終盤になって汗のせいかしばしばずれるようになって、これがかなり煩わしかった。
結果のタイムで言うと、昨シーズンの3レースに較べると10分ほど良いタイムで走れた。終盤はやはりペースダウンしたが、昨シーズンに較べるとはるかにマシだった。これなら今シーズンはそこそこ期待できるかなと感じさせる内容だった。
終盤のイヤホンのずれが気になったので、その後の福知山と加古川では着けなかったところ、その影響かどうかわからないが期待に反してタイムは落ちた。特に加古川はひどかった。それからは練習でもウォークマンを着けることはあまりなかった。イヤホンを着けて走ることに慣れていないので、出かける時にいつも忘れるのだ。
その後、練習の目的がロングトレイルになったために長い距離、長い時間を走る練習がメインになって、またイヤホンを着けて走る機会が多くなった。淀川河川敷のような単調なところを長く走る時は、音楽を聴いていると気がまぎれて楽に走れるように感じるが、トレイルの場合は注意力が散漫になりそうで、特に下りでは危ないような気がする。また、郊外の車の通る細い道では後ろから来る車に気が付きにくかったりするので、止めた方がいいように感じた。
加古川が終わってからはスピード練習のようなものをほとんどやっていないので、篠山ではあまりペースを意識せずに、体感にまかせて走ろうと思った。とは言ってもやはり、ある程度納得のできる結果はほしい。と言うことで、淀川市民マラソンの縁起を担いでイヤホンを着けて走ることにした。
今回はイヤホンのずれもほとんど無く、違和感を感じること無く最後まで走れたが、タイム的には加古川とほどんど同じで、予想最悪タイムを下回るくらいだった。
これまでの実績から言えば、ロードの単調なコースでのLSD的な練習の場合は気分転換の効果がありそうだが、フルマラソン程度のレースではさほど効果は期待できず(100kmなら効果があるかも知れないが、私は未経験)、トレイルではやめておいた方がいいというところだろうか。

ランニングと文学

山西哲郎氏(立正大学 社会福祉学部 子ども教育福祉学科 教授)は変わった人である。東京教育大学(現、筑波大学)で箱根駅伝を走り、指導者としても箱根駅伝に出場されたが、その後は陸上競技のメインストリームではなく、市民ランナーのカリスマのような存在としての活動を今も続けておられる。ランニングの『文化』としての質を高めようという氏のスタンスは、『陸上競技』をかなりのレベルまで実践された人としては珍しい部類に入ると思う。
氏はその著書『山西哲郎の走る世界』で、『登山の世界では文学として質の高い著作品がたくさん生まれているが、ランニングの世界では技術書、大会説明書、啓蒙書の領域を出ていない』と書かれている。この本が出版されたのは1991年だが、20年以上たった現在でもその状況はあまり変わっていないように思える。
登山家にして名文筆家という人はこれまでに何人も登場している。『山岳文学』という言葉もあるくらいで、文学のジャンルの一つとして世間一般に認知されていると言っても良いだろう。イタリアの登山家、ラインホルト・メスナーはその象徴のような人物で、超一流の登山家にして、文筆家としてのクオリティも一流である。彼の書いた著書は文学賞も得ている。記録としての価値だけではなく文章としても味わい深く、何度も読み返したくなるような緊張感のあふれる表現力は、ただただ素晴らしいとしか言いようが無い。
フランスのガストン・レビュファは、アルプスでのクライミングを主体とした『星と嵐』をはじめとして名著を何冊も残しているし、日本人でも松永敏郎さんや佐伯邦夫さんの文章は、その登山スタイルと同様に格調が高くて素晴らしいと思う。
1988年のカルガリー・オリンピックで、8000m峰14座登頂を果たしたメスナーとククチカに対して特別メダルの授与が決定されたが、メスナーは『登山はスポーツではない』という理由で受賞を拒否した(ククチカが受け取ったのは銀メダルだったそうだが、メスナーやククチカが銀メダルなら一体誰が金メダルに値するのか? メスナーはマラソンに例えてみればザトペックやアベベのような存在だろう)。
登山がスポーツか否かは各人それぞれの考え方や感性があり、用語の定義も人それぞれだと思うので、一般論として定義づけることはムリがあると思う。個人的には『スポーツ的な面もあれば、スポーツでない面もある』という曖昧な表現にならざるを得ない。ただ、時代の変遷から考えると、冒険から始まって、次第にスポーツ的要素のウェイトが高くなってきているようには思う(ただし日本では山は冒険というよりは信仰の対象だった)。
さてそのスポーツだが、残念ながら私は『一流スポーツ選手にして名文筆家』という人を、寡聞にして知らない。もちろんここで言う『一流スポーツ選手』というのはオリンピックでメダルを取るくらいのレベル、もしくは国内ではトップレベルの選手のことであって、趣味でスポーツを楽しんでいる人のことではない。
メスナーの味わい深い文章に較べると、スポーツ選手の著した回想録のようなものはおしなべて平板な感じで、すでにわかっている事実の表面的な再録でしかないようなものがほとんどだ。もちろん、君原選手がメキシコ・オリンピックのマラソンで、終盤便意に苦しんでいたというようなことは後になってから初めてわかることだが、だからと言ってその文章をわくわくしながら読めるかと言えばそうではない(『マラソンの青春』の文章を書いたのはおそらくゴーストライターだと思うが)。
ソウル・オリンピックの代表権がかかった1988年3月のびわ湖毎日マラソンで、すでに全盛期を過ぎていた瀬古利彦選手が、レースの終盤でかつては見せたことが無かったような苦悶の表情で走っていたことを、テレビカメラははっきりと捉えていた。この時の瀬古選手の気持ちはおそらく言葉でうまく表現することはできないだろう。
もっと昔で言えば、東京オリンピックで円谷選手が競技場でヒートリー選手に抜かれたシーン。父親からの言いつけを守って、後ろを振り返らなかったから抜かれたというような論評もあるが、あの表情を見る限りは振り返っていたら逃げ切れていたとは到底思えない。もしそれだけの余裕があったのであれば、抜かれた後に抜き返したはずだ。
その後、円谷選手は、史上最も崇高な遺書と言われる文章を残して自殺したが、東京オリンピックでの走りを素晴らしい文章で表現できたかというと、それは疑わしい(この遺書に匹敵するレベルの文章を残したのは、北鎌尾根で遭難死した松濤明氏のそれであろう)。
やはり生の映像に勝る興奮は無いのだ。少なくとも競技スポーツの世界に於いては。
今でこそエベレストの頂上までテレビカメラが上がる時代になっているが、メスナーの全盛期の頃はテレビカメラはベースキャンプかせいぜい前進キャンプの途中までで、登頂の瞬間を映像で捉えるということはできなかった。登山者自身がハンディカメラで撮影するということはあったが、それもおおおむねわずか数分程度で、頂上からぐるっと周りを映したようなもので、とても映像作品と言えるクオリティのものではなかった。
それにメスナー自身も単独行が多かったので、テレビクルーの同行などは好まなかっただろう。
となると、やはり文章を読んで、そこから自分のイマジネーションを膨らませるという作業が必要になって、おかげで、陳腐な映像よりも楽しめるということになるのかも知れない。
スポーツ選手の著作で言えば、カール・ルイスの著書は出色の出来映えだと思うが、これらはジャーナリストのジェフリー・マークスの力が大きいだろう。選手自身が書いた作品よりも、スポーツジャーナリストのような人が選手のことを記した作品の方に良いものが多いように思う。ただ、メスナーの著書のような『文学作品』と呼べる内容かと言うと、ちょっと違う気はする。どちらかと言うと『伝記』というジャンルに近いように思える。
ブログが普及するようになってから、自分の文章をインターネットに公開する人が飛躍的に増えた。何らかの趣味を持っている人はたいがいそれがテーマになっている。もちろん、ランニングや登山をテーマにしているサイトも数え切れないくらいある。
さほど多くのサイトを見たわけではないのだが、漠然とした印象としては、ランナーよりも登山者の方に内容の質の高いサイトが多いように思える。ランナーのサイトはそのほとんどが単なる練習日誌とレースの結果報告で、それ以外は仲間との宴会や家族の話題などにとどまっている。残念ながら読ませる内容のあるサイトにはあまり出会わない(自分の事は棚に挙げておいて・・・)。
それに較べると登山者のサイトは単にコースの紹介だけでなく、季節の事やその山にまつわる話題などのプラスアルファがある。もちろんすべてという訳ではないけれど。私自身、多少の登山経験があるので、感情移入しやすいという面はあると思うが、スポーツ志向の人と登山を好む人のメンタリティの違いのようなものが何かあるのかも知れない。
私自身は29歳で初マラソンを走って市民ランナーデビューをしてから、かれこれ28年ほど走り続けている。本格的な陸上競技の経験は無く、55歳で地元のクラブに入るまではずっと一人で走ってきたので、ただのジョガーである。でも参加したレースの記録はずっと残しており、タイムや順位などの数字だけではなくて、簡単なコメントも残してきた。
しかし、レースを終えるといつも『何かもう少し中身のある文章を残しておきたい』と思いながらも、いざ書こうとすると結局通り一遍の『キツかった』とか『頑張った』とかいうような陳腐な言葉しか残せていない。
しかし少し考えてみればこれは当然のことかも知れない。登山は短かくても1日。ヒマラヤ遠征などになると何ヶ月にも及び、たとえ1日でも景色や天候の変化もあれば、行動中に得られる情報量もかなり多い。
それに対してロードレースなどは、特に一流選手になるとマラソンでも2時間少々で、しかも景色を眺めている余裕などあるはずも無い。トラックレースなら競技場の中をぐるぐると何度も回るだけ。これで深みのある文章を書けという方が無理な話だろう。
むしろ4時間以上かかって走るようなファンランのランナーの方が味のある文章を書けるのかも知れないが、そういうレベルの人ではいくら文章がうまくても、トップ選手の心境とはまったく異なったものにならざるを得ない。
そういう意味ではランナーのブログの内容が、自己満足と仲間内だけでの盛り上がりのレベルからなかなか脱却できないのは致し方の無いことかも知れない。
しかし、人並みはずれて運動オンチだった私が28年間も走り続けてこられたのは、ランニングという行為にそれだけの魅力があったからで、それを言葉で表現することは不可能ではないはずだ。もちろん、本当の楽しさはやはり自分で体感してみなければわからないものだが、山岳文学を楽しんでいる人がすべて登山者という訳ではないように、自分では走らない人たちが、文章によってランニングの魅力に惹かれるというようなことがあっても良いと思うのだ。ただ残念なことに、そういう事例にはまだ出会ったことが無いのだが。

まぼろしのおんたけウルトラトレイル

7月のおんたけウルトラトレイル100kmが今年のメインイベントになるはずだった。
が、何と、すでに定員オーバーで締め切り!!!!
昨年はエントリー開始が3月で、記録を見る限りでは定員より参加者数が少なかったので、今月始めにエントリー受け付けが開始されたのを知った時も、まだあせる必要は無いと思っていた。
ところがところが、実はエントリー開始からほんの数日で一杯になってしまっていたようで、エントリー開始を知った時もすでに締め切りを過ぎていたのかも知れない。
すでに締め切りということを知った直後はショックで、あわてて代わりのレースを探したりしてみたが、落ち着いてくると『まぁ、いいか』という気持ちになってきた。今さらどうしようもないし・・・。この歳になるとこういうレベルの大会は年々ハードルが高くなるので、1年1年が勝負になる。できるなら早いうちにトライしておきたいのだが。
このところのランニング大会のエントリー料金の高騰に伴って、ロングトレイルの料金も非常に高くなっている。来年のUTMFは3万円以上するらしい。そんな中ではおんたけウルトラトレイル100kmの1万円は他に較べると割安かも知れない。鯖街道も1万円だった。
私が今、本当に一番やりたいことは、実はレースではなくて、日本アルプスなどの高山の日帰り登山である。例えば水晶岳日帰りや、槍穂高日帰り縦走、南アルプス聖岳から光岳への日帰り周回などだ。
これらはすべて自分のスケジュールと天候で好きな時にできるので、レースのように悪天でも強行というようなことをやる必要が無い。それに何と言ってもかかる費用は自分の交通費と若干の食料費だけだ。レースに1万円以上もかけるくらいなら、そのお金をこちらの交通費に回した方がよほど意味がある。
とは言っても、はやり自分の限界を打ち破るためにはレースという環境を完全に捨てるわけにはいかない。私のようにメンタルの弱い人間は、自分一人の意志力だけではどうしても限界を超えることができないのだ。そのためにはやはりたまにはレースで限界にチャレンジしなければならない。
日本アルプスまで出かけるとなると、もはやトレイルランニングというよりは登山の範疇だ。危険に対するリスクヘッジも、生駒や六甲に出かけるのとはレベルが違う。そのためにはやはりより強靱な体力と精神力を備えておく必要があるのだ。私がレースに出場するのはそのためと言っても過言ではない。
ただ、正直なところいくらロングトレイルとは言っても、レースに1万円以上の参加費を払う気にはなれない。参加費に1万円払ったのは、30年近いランニング歴の中でも今年の鯖街道が初めてのことだ。
ロードレースでも、レースの運営に大きなコストがかかっていることはわかる。参加費が高くなってからは、参加賞のTシャツなどの品質がアップしているのも事実だ。イベントとして盛り上げる仕掛けがいろいろとなされていることもわかる。
しかし、私個人の意見で言えば、そんなことはどうでも良いのだ。はっきり言って参加賞なんか無くてもかまわない。と言うか、そんなものいらないからもっと参加費を安くしてくれと言いたいくらいだ。
ランニングは始めた頃は、レースの参加費はフルマラソンでもおおむね3000円前後くらいだった。ちなみに昨日のマラニックは4000円で、ゴール後は温泉の入浴券と親子どんぶりのサービスが付いていた。ちょっとした参加賞(小さなデイパックと椎茸)。途中のエイドではおかゆのサービスもあった。地域のトライアスロンクラブの主催なので、いくら何でも赤字を出してまではやらないはずだ。手作りの雰囲気が漂うあたたかい大会で、私は大好きである。ただ、初心者にはお勧めできないが。
参加費高騰のきっかけは東京マラソンだと思っている。参加費1万円と聞いたときはいったい誰がマラソンにこんな金を払うのかと思ったが、フタを開けてみれば大人気で、その後の都市マラソンはすべて1万円が基本である。おかげですでにあった地方の大会やハーフマラソンまで、あれよあれよと高騰するようになってしまった。
レース参加の意義を書いているつもりがいつのまにか参加費高騰のグチになってしまったが、こう高くなると練習のためにレース参加というのも気楽にはできない。川内優輝選手のようなわけにはいかないのだ。
大会参加は地元のローカルな大会だけにして、夏場に山へ行く方にコストをかける方がいいかなと思い直したりしている。