三浦雄一郎さんが80歳でエベレストに登頂された。
素晴らしいことだと思うと同時に、無事の下山を祈らざるを得ない。山は登ることよりも下ることの方がはるかに難しいのだ。山岳事故の大半は登りよりも下りで起こっている。
日本人として初めて植村直己さんがエベレスト登頂に成功されたのは1970年。私が15歳の時だ。中学校のクラブ活動でワンダーフォーゲル部にいたので、こういう出来事には非常に関心があった。
しかしその時に私がもっと興味を抱いたのは、同じ時期に同じエベレストで、サウスコルの8000mからスキーで滑降した三浦雄一郎さんの方だった。
誰も歩いたことの無いウェスタンクウムの斜面を双眼鏡で確認しただけでスキー滑降。パラシュートを開いてブレーキにするも、転倒して何百メートルも滑落した。急斜面をゴムまりが落ちていくような映像は、今もかすかに記憶に残っている。
世界的に注目されたのは日本隊の登頂よりも、むしろ三浦さんのスキー滑降の方だった。転倒したことなどまったく問題にならず、三浦さんのアドベンチャースピリットは最大限の賛辞で評価されたと思う。
転倒して滑落しながら、三浦さんは『人生は夢だった』と思ったと著書に書かれている。この時、三浦さんは37歳だった。
そして80歳になられた今、まだ夢を追い続けられている。
私の部屋には『夢 いつまでも』と書かれた、三浦さんにいただいた色紙が飾ってある。私の大切な宝物だ。
私は私なりのレベルでまだ『夢』を追っている。しかしその『夢』は必死になって探したものではなく、自然に湧いて出てきたものだ。『夢』が自然に湧いて出てくる間は、前向きな気持ちで走り続けていられるだろうと思っている。
願わくば人生を終える時も『夢』を持ち続けていたいと思う。人生に満足して終わるよりも、やりたい事を残して終われる方が実は幸せなのではないかと感じている。
ナイター練習会
今日は久しぶりのナイター練習会だった。
競技場がナイター営業する時期に合わせて、ほぼ月2回のペースで水曜日の夜にナイター練習会が設定されている。なぜか昨年は行われなかったので、ほぼ2年ぶりだった。
ナイター練習会は時間の余裕があまりないので、だいたいメニューは1000mX5のインターバルになる。
日曜日に鯖街道を走ったばかりで水曜日にインターバルというのはあまりに無謀と思って、行くかやめるか迷ったが、とにかく行くだけ行ってみることにした。6月2日には久しぶりにロードのハーフマラソンにエントリーしているので、スピード練習的なものをやっておきたいという気持ちもあった。
ただ、体感的な疲れはもうほとんど感じなくなったとは言うものの、身体の芯には疲れがまだ残っているはずだ。あまりムリはしないようにしようと思った。何と言っても故障が一番恐い。
キロ4分弱が何人かいたので、普段ならちょうどいいグループになるのだが、今日はこのグループから大きく離されずに付いて行くくらいで行こうと思った。
1本目は予想外に3’59″でいけたが、それ以降は4’10″前後だった。体感的には余裕を持って走れたので、非常にいい刺激になったと思う。
こんな練習ができるのはやはりクラブに入っているからだ。ありがたいことだと思う。
鯖街道ウルトラマラソン
昨日は鯖街道ウルトラマラソンを走ってきた。初参加だった。
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予定通り土曜日は、クラブのベテランの人のテントに泊まらせてもらった。夕食は魚料理店へ行ったが、何と魚料理以外のメニューは何も無いという恐ろしい店!。野菜が好きなぼくとしてはかなりつらい食事だったが、なかなかの人気店のようで、ずいぶん混んでいた。
夜はあまり眠れなかったが、こういうのはいつもの事なので気にしないようにした。六甲縦走キャノンボールを経験したおかげで、一晩くらいは寝なくても走れるということはわかっている。
天気予報では午後から雨模様ということで、シューズをどうしようかと最後まで悩んだが、結局ランニングシューズを選択した。今回はできるだけ身軽に走ることを優先しようと思って、荷物は雨を想定したライトジャケットを腰に結んだだけで、飲み物や食べ物は一切持たなかった。念のためにポケットティッシュをタイツにはさんでおいた。
下はハーフタイツ。上はノースリーブのドライシャツの上に長袖シャツといういつものスタイル。ゴアテックスの帽子を飛ばないように襟にバンドで止めた。
商店街の鯖街道起点を6時にスタートした。かなり前の方でスタートしたが、みんななかなかのペースで。どんどん抜かれていく。ぼくはベテランのお二人と相前後しながら行く。おおむねキロ5分半くらいのペース。これくらいがちょうどいいと思う。
しばらくしたら下見で走った道に合流した。ここからは徐々に登り気味になってくる。まだどんどん抜かれる感じ。しかし気にしない。
まずは最初の下根来のエイド。ポカリスウェットをもらう。エイドではできるだけ小まめに、お腹が空いていなくても固形物も少しは取るようにしようと思っているが、まだ朝食のおにぎりが胃に溜まっている感じ。
車道の傾斜がきつくなってくる。ベテランの一人の方が少し前の方に行かれるが、あえて追わないようにする。
少し行くと今度は上根来のエイド。こんどはバナナを一切れ補給。
そしてようやく山道への分岐に到着した。いつもこの先の山道が渋滞するらしい。ネットで写真を見ても、そういうシーンが多い。しかし今日はそんなことはまったく無い。ランナーはまばらで、自分のペースで行ける。ここでベテランの人の前に出る。
杉の枯れ葉でフカフカの山道をしばらく上がると一旦林道へ出る。ほどなくエイド。今度はオレンジをいただく。そしてまた山道へ。
眺めの良い峠を越えて一気に下り、ふたたび林道へ出る。しかしすぐにまた山道へ。しばらく下ってまた林道へ出て、これからずっと車道と思っていたら、また山道へ入る。今年はちょっとコースが変更されたそうだ。車道よりはこちらの方がいい。
平坦になって最後で小川を丸木橋で渡って、車道に出る。ここでエイド。
ここからは20kmほど延々と車道を走る。所々にちょっとしたアップダウンはあるが、おおむねやや下り気味。キロ5分台の前半で行けている。
ちょうど中間地点の標識があったが、3時間45分だった。このペースでいけば7時間台ということになるが、後半は峠が二カ所ある。7時間台はムリとしても、9時間以内にはゴールできる可能性が高そうだ。
エイドのたびにしっかりと補給する。半鯖と合流する三叉路を10時前に通過して、ここから峠へ登って、久多のエイドに到着。ここはおにぎりがある。梅をもらったが、そのままではのどを通らなさそうなので、お茶をもらって口の中でお茶漬けにして流し込んだ。
あと35kmとのこと。10時を過ぎており、この後のコース状況を考えるとうまくいって8時間半くらいだろうか。
しばらく石のゴロゴロする荒れた道を走ったり歩いたりして、八丁平への山道に入る。つづら折れを登っていたら、早くの半鯖のトップがやってきた。大変なスピードだ。
所々走りを交えた歩きで何とか峠まで登り切って、八丁平に入る。あたりを眺める余裕も無くひたすら前へ。
今回はさすがにコースミスもなく、つづら折れの下り山道へ入る。足先をひっかけて一度転倒したが、大事には至らず。
エイドではパンをポカリスウェットで流し込む。
大見のエイドを過ぎると杉峠までの最後の登り。この道はずっと昔は車道だった道なので、登山道のような急な登りは無い。しかしここまで来ると緩い登りもなかなか走り続けられない。道が荒れていて、足元の石か何かに躓いて、しばしばこけそうになる。
見覚えのあるキャンピングカーの廃車のあたりから雨がぽつぽつと落ちてきて、峠に近づくあたりで本降りになってきた。腰に巻き付けてきたライトジャケットがようやく出番を迎えた。
杉峠のエイドに到着した時は雨の風も強く、かなりの荒天になってきた。しかしジャケットと帽子のおかげでぼく自身はまったく問題無い。豆腐そうめんをいただいて、この後は車道のみ。しかししばらくは急な下りが続く。ここをいかに脚へのダメージを少なく走るかというのが重要なポイントだ。
このところ抜かれるのは半鯖の人たちだけだったが、全鯖の何人かに抜かれた。傾斜がゆるくなってきて、13時20分頃に鞍馬のエイドに到着した。雨は小降りになってきている。
あと13kmくらいだろうか。8時間半はちょっとムリという感じ。しかしここまで60km以上走ってきたわりにはまだしっかりと走れている。キロ5分前半くらいを維持している。急な下りで勢いよく抜いて行った全鯖の人が走ったり歩いたりしている。
信号を渡って右にまがったらまたエイドがあった。通りすぎそうになったが、呼び止められた。市原のエイドだ。ここでもらったきゅうりの梅ペースト添えはおいしかった。
このあと少し緩い登りがあるが、この登りでまたリズムが良くなった。賀茂川のそばまできて、ゴールが近づいてきたことを実感する。
全鯖の二人組を追い越す。『ナイスランですね!!』なんておだてられてさらにペースが上がってしまう。
河川敷に下りていよいよ残り5km。8時間30分台で行けそう。ここまで来てまだキロ5分少々で走れていることに自分でびっくりする。このところはロードのフルでも最後はキロ6分台まで落ちるというのに。
最後の賀茂川のエイドでもしっかりと補給してラストスパートモードに入った。
しかしこのあたりからちょっと体調がおかしくなってきた。あとわずかということで緊張感が薄れてきたのだろうか。ちょうど昨年の福知山のラスト5kmあたりと同じような感覚で、頭が少しぼうっとして、油断するとふらふらと倒れてしまいそうな感じ。しかし福知山も何とか最後まで持ちこたえたので、今回も大丈夫と自分に言い聞かせる。
ラスト2kmあたりではペースを維持することもできなくなってきて、関係者の声援に応えることすら億劫になってきた。ついさっきまで快適なゴールをイメージしていたのに、そんなことはもうどうでも良い、ただただ早くゴールしたいというだけの気持ちになってきた。
ラスト1kmを過ぎたところで先ほど抜いた二人に抜き返された。気を遣ってくれたのか、無言で走り去って行った。その方がありがたい。
出町柳への橋の下で最後の声援をもらったが、反応する気力すらない。
すぐ後ろに一気に迫ってきている足音が聞こえたが、後ろは振り返らずに何とか前でゴールテープを切った。
8時間38分38秒。45位だった。
ゴール後はすぐそばの濡れた芝生に倒れ込んだ。親切なスタッフが荷物を持ってきてくれた。
次第に雨が強くなってきたので橋の下のブルーシートの所に移動して、缶ビールとサービスの豚汁で祝杯を挙げた。親切なスタッフが、ぼくの両手がふさがっているのを見て、完走証を荷物の所まで持ってきてくれた。ありがたいことだ。
ベテランのお二人はぼくから1時間ほど遅れてゴールされた。
エイドは充実していたし、スタッフも親切で、とてもあたたかい良い大会だと思う。しかしこのコースはぼくの好みとしてはどうも今ひとつというのが正直なところ。ロード区間が長すぎる。
自分が想定していたよりは良い結果で、ラストで苦しんだのもそれも楽しみのうちというところだが、一度経験しておけばそれでいいかなというのが本音だ。
スタッフの皆様、どうもありがとうございました。
鯖街道へ
明日はいよいよ鯖街道ウルトラマラソン。私は初参加だが、クラブのベテランで何度も参加されている人たちに合流させてもらう。
明朝6時のスタートなので前泊が必要になるが、小浜の会場近くの公園でテント泊。通称『パークホテル』とのこと。テントで寝るのは慣れているのでまったく問題無し!。と言うか、ホテルや旅館よりもこっちの方がいい。
調子は悪くない。左のアキレス腱にちょっと疲労性の痛みを感じることがあるが、このところよくある程度の軽いもので、走り出して温まればすぐに消える。
どうするか悩んだが、明日は完全に空身で行こうと思う。雨が降る可能性が高いので、ライトジャケットを腰に結びつけて行こう。
このところのトレイルレースではいつも荷物をすべてかついで走っていたので(荷物運搬料節約のため)、たまには身軽で走ってみたい。エイドも充実しているので大丈夫だろう。大きな荷物は主催者が運んでくれるし。
『Sydney !』
村上春樹シリーズ第二弾は『Sydney !』。タイトルからもわかる通り、2000年のシドニー・オリンピックの観戦記だ。
なぜかプロローグが有森裕子のアトランタでの走りから始まっている。有森はシドニー・オリンピックには出場していない。代表選考会の大阪国際女子マラソンに出場はしたが、序盤で早々とレースから脱落していた。すでに33歳で、彼女の活躍はほとんど誰も期待していなかっただろう(おそらく本音では本人も)。
これに続いて犬伏孝行の合宿風景が語られる。犬伏はマラソンの代表としてシドニーを走ったが、38kmあたりでリタイアしてゴールすらできなかった。私を含めて多くのマラソンファンが期待感を持っていたので、勝負になる前に脱落してしまったのにはかなりがっかりさせられた。
村上春樹氏自身はマラソン以外はオリンピックに対してさほど興味が無いようである。はっきりと公言もされている。しかし出版社からの依頼ということで、せっかくの機会なので行ってみようということになったらしい。
『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んだ直後だったので、この時ほどの新鮮さは感じなかったが、相変わらずの読ませる文章に引き込まれて行った(実際に書かれた年代では『Sydney !』の方が数年早いが)。
氏の基本姿勢としては『オリンピックがいかに退屈でつまらないか(マラソンを除いて)』というスタンスで文章が綴られている。特に開会式や閉会式はその最たるもので、開会式では氏はその退屈さに耐えかねて、入場行進の序盤で退場している。氏の感性から推測すると『そりゃそうだろうな』と納得してしまう。私だっておそらく同じように感じるだろう。
サッカーや野球、テニスなどはオリンピックには不要という意見も、まったく同意する(すでに野球は廃止が決まっているが)。
そしてエピローグでまた有森裕子と犬伏孝行が登場する。
有森裕子はオリンピック後の10月に行われたニューヨークシティマラソンに出場したらしい。本人の期待とは裏腹に、極めて不満な結果に終わったようだ。
この頃はすでにリクルートを退社して小出監督から離れており、そのあたりの影響もあったのかも知れない。いずれにしてもシドニー・オリンピックとは何の関係も無い出来事のようにしか思えない。
犬伏孝行は帰国後の記者会見などの様子。監督の総括のような話も述べられていたが、私はプロローグを読んだときに犬伏がこういう結果に終わった理由がわかったような気がした(『オマエなんかにわかるもんか!』と言われそうだが)。
犬伏は『とにかくオリンピックに行きたかった。種目は何でも良かった』と言っていたそうだ。つまり代表に選ばれた時点で彼の夢は実現してしまっていたわけである。もちろんメダルを目指すという気持ちもあったには違いないが、心の奥底にはほのかな満足感が漂ってしまっていたに違いない。このあたりは金メダルを取った高橋尚子とはまったくの正反対である。
こういう選手の失敗分析は、何を語られてもただの言い訳にしか聞こえない。
失敗した二人をプロローグとエピローグに持ってきたのは意図的なものであると氏は述べている。これがなければこの本の印象も随分違ったものになったに違いないと書かれているが、私の印象としてはこれらは不要である。むしろこれが無ければもっと好印象で読了できたのではないかと思うくらいだ。
普通のオリンピック観戦記には無いような視点での文章は非常に楽しかったが、プロローグとエピローグには違和感を感じた。それが私の印象である。もう一度読み返したいとは思わない。
さらに一緒に借りてきた『意味がなければスイングはない』を開いてみた。このタイトルは言うまでもなく、デューク・エリントンの名曲『スイングがなければ意味はない(It Don’t Mean a Thing (If it Ain’t Got That Swing))』のパロディ。タイトルからジャズ関連のエッセイかと思ったが、実際にはかなり広い範囲の音楽が選ばれており、ちょっとついて行けない感じ。ジャズ関連の章をいくつか読んだだけで、やめにした。
文章がちょっとくどい。氏の博識はよくわかるが、こっちはそんなレベルじゃないよという感じ。
こういうタイプの文章、どこかで出会ったことがあるような気がするなぁと思った。よく考えてみるとそれは、菊池成孔だった(と思う。図書館で借りたので手元に残っていない)。菊池成孔もかなりの博識だが、どうも好きになれない。音楽も(さほど多く聴いたわけではないが)、ハートよりも頭でやっているように感じられて、うまいとは思うがそれ以上でもそれ以下でもないという感じ。坂本龍一と同様に。
そんなこんなでここ1週間ほどは村上春樹マイブームと言った感じだったが、それもこれで終了と言ったところだ。幸か不幸か小説を読みたいという気持ちにはならなかった。
山田池ジョグ
今日は山田池へ行った。
昨日の淀川ではそこそこのペースで上がることができたが、もう少し心拍数を上げた走りをやっておきたいと考えて、スピードよりも心拍数を意識して走った。
少なくとも140。できれば150くらいの走りにしたいと思ったが、おおむね予定通りの走りで、ペースも個人練習では久しぶりにトータルでキロ4’58″で行けた。
明日と明後日は軽いジョグだけにするつもり。
どうも日曜日は天気が悪くなりそうだ。
淀川ジョグ
このところ暑い日が続いたので木陰の無い淀川は避けていたが、今日はわりと風があって、夕方は暑さもおさまってきていたので、淀川へ向かった。週末の鯖街道ウルトラは途中に20kmほどのフラット(やや下りぎみ)な車道があるので、平坦なロードをリズミカルに走ることもやっておきたかった。
前半は思ったほどペースが上がらなかったが、折り返してからは意識して少しペースアップして、後半はおおむねキロ5分少々くらいで気持ち良く走りきることができた。
それにしても鯖街道に対しては緊張感も無く、どうしたことか期待感もほとんど出てこない。おんたけウルトラが走れなくなったので、ある意味では今年のメインイベントになるであろう大会なのだが。六甲縦走キャノンボールの時とはまったく正反対の精神状態だ。
考えられる要因は二つで、一つ目は『ペースミスやアクシデントが無ければ完走はできるだろう』と感じていること。もう一つは先月の試走でコース状況がおおむねわかっており、その時の印象でこのコースに対する期待感があまり無いこと(要するにあまり好印象ではないということ)。
おそらく大会の雰囲気は素晴らしいのだろうと思う。キャノンボールの往路の時のように、期待していたエイドが無いというようなことは絶対に無いはずだ。手ぶらでスタートしようかと思っているくらいなのだ。
モチベーションを上げるのが難しい状態になってしまっているが、こういう時はその結果がプラスに出るかマイナスに出るか、どちらかの極端になる可能性が高い。気楽にスタートして好結果になるかも知れないし、気持ちが乗らずに悲惨な結果になるかも知れない。
もちろん、好結果になることを願っているのだが・・・。
『走ることについて語るときに僕の語ること』
唐突だが、私はかなりひねくれた性格である(と思っている)。
とにかく世間での流行やブームと言ったものにまったく関心が無く、むしろ反発すら感じてしまう。われながら『何もそこまで・・・』と思ってしまうのだが、持って生まれた性分は如何ともしがたい。
私は大阪在住だが、このところの大阪駅周辺の賑わいにはまったく関心が無いし、ディズニーランドやUSJ、東京スカイツリーなど、行ったことも無いし行きたいとも思わない。むしろそんな人混みには近づきたくないとすら思う。
そんなわけでここ何年かの、社会現象とも言えるくらいの村上春樹ブームには目を背けていた。
学生時代には粋がってドストエフスキーの全集を集めたりしたが、はっきり言ってただ字面を追っていただけだ。ジャズ喫茶での単なる時間つぶしでしかなかった。
その後はフィクションにはほとんど興味を感じなくなり、小説はもとより映画、ドラマなどもほとんど接することが無くなったまま今日に至っている。
村上春樹の作品ではなぜか『ノルウェイの森』を読んだが、正直言ってよくわからなかった。この作品のいったいどこがおもしろいのだろうかという感想しか持たなかった。ストーリーもまったく覚えていない。
その後の村上春樹ブームはまったく無視でやり過ごしてきたのだが、最近の新刊のブームのせいで、暇つぶしのネットサーフィンをやっていると至るところで村上春樹関連情報に行き当たる。
氏がマラソンランナーであることは漠然とは知っていたけれど、どのくらいのレベルなのか、どれくらい入れ込んでおられるか、ということはまったく知らなかったし、強いて言えば興味も無かった。
ところがたまたま最近見かけたコラムのようなもので氏がマラソンについて少し語っておられるのを読んで、反射的に『これはホンモノだ!』と感じた。運良く図書館で氏の『走ることについて語るときに僕の語ること』がすぐに借りられたので、さっそくひもといてみた。
あまりのおもしろさに魅了されて、ほとんど一気に読了した。そして読了するやいなや最初のページに戻って、2回目を読み始めた。氏はこの本を『エッセーではなくメモワール』と言っている。確かにいわゆるスポーツ・ノンフィクションではなく、あくまでも氏の個人的な心の動きを語ったものだ。
氏も言うように、作家でランナーという人はかなりめずらしいと思う(ここで言う『ランナー』というのは、客観的な走力は別として本人の気持ちは競技志向で取り組んでいる人のこと。気分転換にジョギングを楽しむだけの人のことではない)。私が知る限りでは他には灰谷健次郎(故人)くらいだろうか。
一般的なイメージとして、作家や音楽家。画家などの芸術家というのは不健康で退廃的な人たちという印象が強い。そうでなければ良い作品を産み出すことはできないとすら思われている。氏もこのことを認識されており、実際にそういう側面があることを肯定されている。
しかし氏の場合はマラソン(もしくはトライアスロン)を続けてきたことが作家としての成長のベースにあって、本当の心の底のドロドロしたものを掘り下げてそれを作品に仕上げていくためにはとてつもない体力が必要で、『不健康なイメージの作品を創り出すためには健康でなければならない』というふうに考えておられるようだ。そういうとらえ方は理屈としてはわかるような気がする。
この本で一番印象的だったのは、氏が自らの老いについて語っておられるところ。氏がこの文章を書かれたのは今の私とほぼ同じくらいの年齢の頃だ。
氏の場合は40台後半あたりから記録の低下が始まったらしい。私は記録の低下という意味ではもう30台後半から始まっているが、体感とのずれが生じるようになったのは50歳を過ぎてから。氏はちょうどこの本を書かれている頃がそういう時期にさしかかっていたように思われる。
一言で言えば『練習がレースの結果に結びつかない』ということ。レースにおいても、終盤に思いもよらないペースダウンに見舞われる。たとえ序盤をセーブしたとしても。
一流選手も引退前のレースはそんな感じだ。瀬古利彦、高橋尚子、有森裕子、高岡寿成・・・。それが『老い』というものなのだ。
ただ幸いなことに、氏や私はプロランナーではないので、どんなに衰えても引退する必要は無い。自分が納得できる限り、走り続けることができる。
調子に乗って、また図書館で『Sydney !』と『意味がなければスイングはない』を借りてきた。私は学生の頃からずっとジャズに親しんできたが、氏も20台の頃はジャズ・クラブのようなものを経営されていた。たぶんそんなことも氏の文章に共感を感じるベースにあるのかも知れない。
これらの感想はまた改めて。
しかし本業の小説を読んでみたいとはまだ思わないなぁ・・・。
ほしだ園地・交野山マラニック
昨日はクラブのイベントでほしだ園地・交野山マラニックへ行った。これで3週連続で同じような所へ。
より大きな地図で マラニック2013 を表示
最後はスパバレイに下りてくるので、ここに自転車を置いて河内森まで走って行く。仲間と二人で走っていたら、スピードランナーが後ろから追いついてきた。三人で集合地へ。
コースはいつもと同じでほしだ園地に入って星のブランコを渡って、きさいちカントリークラブを横切ってくろんど園地経由で交野山へ。
ここ2年は不安定な天候で一時小雨に降られたりしていたが、今年は暑いくらいの好天。たっぷり汗をかいて、気持ち良く温泉に突入した。
運良く昨日は母の日ということで、大人の女性は無料とのこと。父の日には男性が無料になるのだろうか。
競技場インターバル
今日は小雨の中、競技場でインターバル。
気持ちは進まないが、今の季節は競技場ならインターバルしかない。
1本目の途中で、以前に1本すら走りきれなかった時のような身体のしびれを少し感じて、『今日もダメか・・・』と思ったが、以前が単独走だったのに対して今日は数人のグループだったので、何とか持ちこたえて3’54″で走り切れた。
しかしあと4本走り切れる自信は無かった。
このところインターバルをやるとどうしても『5本やりきる』ということにとらわれて、そういうペースにしてしまっている。本当に追い込むところまでの走りができていないので、本来のインターバル練習になっていないのだ。
今日は何とかこの壁を乗り越えたいと考えていた。
2本目は4分以上かかったのではと思ったが、ギリギリの3’59″だった。
3本目になると少し身体が慣れてきたのか、気持ちに若干の余裕が出てきた。タイムはまたまた3’59″。
4本目も3’59″で、ラストは思い切ってペースアップしたつもりだったが、またもや3’59″。
ギリギリではあるけれど5本とも4分を切れた満足感と、ラストでペースアップできなかった不満の入り交じった複雑な心境だったが、とにかくも一人では絶対にできない練習ができたということは間違いのないところだ。
今日の練習は90点ということにしておこう。