山西哲郎氏(立正大学 社会福祉学部 子ども教育福祉学科 教授)は変わった人である。東京教育大学(現、筑波大学)で箱根駅伝を走り、指導者としても箱根駅伝に出場されたが、その後は陸上競技のメインストリームではなく、市民ランナーのカリスマのような存在としての活動を今も続けておられる。ランニングの『文化』としての質を高めようという氏のスタンスは、『陸上競技』をかなりのレベルまで実践された人としては珍しい部類に入ると思う。
氏はその著書『山西哲郎の走る世界』で、『登山の世界では文学として質の高い著作品がたくさん生まれているが、ランニングの世界では技術書、大会説明書、啓蒙書の領域を出ていない』と書かれている。この本が出版されたのは1991年だが、20年以上たった現在でもその状況はあまり変わっていないように思える。
登山家にして名文筆家という人はこれまでに何人も登場している。『山岳文学』という言葉もあるくらいで、文学のジャンルの一つとして世間一般に認知されていると言っても良いだろう。イタリアの登山家、ラインホルト・メスナーはその象徴のような人物で、超一流の登山家にして、文筆家としてのクオリティも一流である。彼の書いた著書は文学賞も得ている。記録としての価値だけではなく文章としても味わい深く、何度も読み返したくなるような緊張感のあふれる表現力は、ただただ素晴らしいとしか言いようが無い。
フランスのガストン・レビュファは、アルプスでのクライミングを主体とした『星と嵐』をはじめとして名著を何冊も残しているし、日本人でも松永敏郎さんや佐伯邦夫さんの文章は、その登山スタイルと同様に格調が高くて素晴らしいと思う。
1988年のカルガリー・オリンピックで、8000m峰14座登頂を果たしたメスナーとククチカに対して特別メダルの授与が決定されたが、メスナーは『登山はスポーツではない』という理由で受賞を拒否した(ククチカが受け取ったのは銀メダルだったそうだが、メスナーやククチカが銀メダルなら一体誰が金メダルに値するのか? メスナーはマラソンに例えてみればザトペックやアベベのような存在だろう)。
登山がスポーツか否かは各人それぞれの考え方や感性があり、用語の定義も人それぞれだと思うので、一般論として定義づけることはムリがあると思う。個人的には『スポーツ的な面もあれば、スポーツでない面もある』という曖昧な表現にならざるを得ない。ただ、時代の変遷から考えると、冒険から始まって、次第にスポーツ的要素のウェイトが高くなってきているようには思う(ただし日本では山は冒険というよりは信仰の対象だった)。
さてそのスポーツだが、残念ながら私は『一流スポーツ選手にして名文筆家』という人を、寡聞にして知らない。もちろんここで言う『一流スポーツ選手』というのはオリンピックでメダルを取るくらいのレベル、もしくは国内ではトップレベルの選手のことであって、趣味でスポーツを楽しんでいる人のことではない。
メスナーの味わい深い文章に較べると、スポーツ選手の著した回想録のようなものはおしなべて平板な感じで、すでにわかっている事実の表面的な再録でしかないようなものがほとんどだ。もちろん、君原選手がメキシコ・オリンピックのマラソンで、終盤便意に苦しんでいたというようなことは後になってから初めてわかることだが、だからと言ってその文章をわくわくしながら読めるかと言えばそうではない(『マラソンの青春』の文章を書いたのはおそらくゴーストライターだと思うが)。
ソウル・オリンピックの代表権がかかった1988年3月のびわ湖毎日マラソンで、すでに全盛期を過ぎていた瀬古利彦選手が、レースの終盤でかつては見せたことが無かったような苦悶の表情で走っていたことを、テレビカメラははっきりと捉えていた。この時の瀬古選手の気持ちはおそらく言葉でうまく表現することはできないだろう。
もっと昔で言えば、東京オリンピックで円谷選手が競技場でヒートリー選手に抜かれたシーン。父親からの言いつけを守って、後ろを振り返らなかったから抜かれたというような論評もあるが、あの表情を見る限りは振り返っていたら逃げ切れていたとは到底思えない。もしそれだけの余裕があったのであれば、抜かれた後に抜き返したはずだ。
その後、円谷選手は、史上最も崇高な遺書と言われる文章を残して自殺したが、東京オリンピックでの走りを素晴らしい文章で表現できたかというと、それは疑わしい(この遺書に匹敵するレベルの文章を残したのは、北鎌尾根で遭難死した松濤明氏のそれであろう)。
やはり生の映像に勝る興奮は無いのだ。少なくとも競技スポーツの世界に於いては。
今でこそエベレストの頂上までテレビカメラが上がる時代になっているが、メスナーの全盛期の頃はテレビカメラはベースキャンプかせいぜい前進キャンプの途中までで、登頂の瞬間を映像で捉えるということはできなかった。登山者自身がハンディカメラで撮影するということはあったが、それもおおおむねわずか数分程度で、頂上からぐるっと周りを映したようなもので、とても映像作品と言えるクオリティのものではなかった。
それにメスナー自身も単独行が多かったので、テレビクルーの同行などは好まなかっただろう。
となると、やはり文章を読んで、そこから自分のイマジネーションを膨らませるという作業が必要になって、おかげで、陳腐な映像よりも楽しめるということになるのかも知れない。
スポーツ選手の著作で言えば、カール・ルイスの著書は出色の出来映えだと思うが、これらはジャーナリストのジェフリー・マークスの力が大きいだろう。選手自身が書いた作品よりも、スポーツジャーナリストのような人が選手のことを記した作品の方に良いものが多いように思う。ただ、メスナーの著書のような『文学作品』と呼べる内容かと言うと、ちょっと違う気はする。どちらかと言うと『伝記』というジャンルに近いように思える。
ブログが普及するようになってから、自分の文章をインターネットに公開する人が飛躍的に増えた。何らかの趣味を持っている人はたいがいそれがテーマになっている。もちろん、ランニングや登山をテーマにしているサイトも数え切れないくらいある。
さほど多くのサイトを見たわけではないのだが、漠然とした印象としては、ランナーよりも登山者の方に内容の質の高いサイトが多いように思える。ランナーのサイトはそのほとんどが単なる練習日誌とレースの結果報告で、それ以外は仲間との宴会や家族の話題などにとどまっている。残念ながら読ませる内容のあるサイトにはあまり出会わない(自分の事は棚に挙げておいて・・・)。
それに較べると登山者のサイトは単にコースの紹介だけでなく、季節の事やその山にまつわる話題などのプラスアルファがある。もちろんすべてという訳ではないけれど。私自身、多少の登山経験があるので、感情移入しやすいという面はあると思うが、スポーツ志向の人と登山を好む人のメンタリティの違いのようなものが何かあるのかも知れない。
私自身は29歳で初マラソンを走って市民ランナーデビューをしてから、かれこれ28年ほど走り続けている。本格的な陸上競技の経験は無く、55歳で地元のクラブに入るまではずっと一人で走ってきたので、ただのジョガーである。でも参加したレースの記録はずっと残しており、タイムや順位などの数字だけではなくて、簡単なコメントも残してきた。
しかし、レースを終えるといつも『何かもう少し中身のある文章を残しておきたい』と思いながらも、いざ書こうとすると結局通り一遍の『キツかった』とか『頑張った』とかいうような陳腐な言葉しか残せていない。
しかし少し考えてみればこれは当然のことかも知れない。登山は短かくても1日。ヒマラヤ遠征などになると何ヶ月にも及び、たとえ1日でも景色や天候の変化もあれば、行動中に得られる情報量もかなり多い。
それに対してロードレースなどは、特に一流選手になるとマラソンでも2時間少々で、しかも景色を眺めている余裕などあるはずも無い。トラックレースなら競技場の中をぐるぐると何度も回るだけ。これで深みのある文章を書けという方が無理な話だろう。
むしろ4時間以上かかって走るようなファンランのランナーの方が味のある文章を書けるのかも知れないが、そういうレベルの人ではいくら文章がうまくても、トップ選手の心境とはまったく異なったものにならざるを得ない。
そういう意味ではランナーのブログの内容が、自己満足と仲間内だけでの盛り上がりのレベルからなかなか脱却できないのは致し方の無いことかも知れない。
しかし、人並みはずれて運動オンチだった私が28年間も走り続けてこられたのは、ランニングという行為にそれだけの魅力があったからで、それを言葉で表現することは不可能ではないはずだ。もちろん、本当の楽しさはやはり自分で体感してみなければわからないものだが、山岳文学を楽しんでいる人がすべて登山者という訳ではないように、自分では走らない人たちが、文章によってランニングの魅力に惹かれるというようなことがあっても良いと思うのだ。ただ残念なことに、そういう事例にはまだ出会ったことが無いのだが。
1000km越え
今年になってからの走行距離が今日で1000kmを越えた。
1月が約550km、2月が450kmだった。昨年の総走行距離が約5300kmで、このところの車での年間走行距離よりも多い。20年以上前の全盛期でおそらく年間6000kmくらいだったと思うので、歳を考えるとよく走っていると思う。
我ながら驚くのは、これだけ走っても故障らしい故障がほとんど無いこと。たまに脚に違和感が出ることはあるが、少しの間、慎重にしていれば、それ以上ひどくなることが無い。
かつては秋の走り込みの時期になるといつも右膝に痛みが出てきて、シーズン中はずっとハリに通っていた。歩くのも痛いくらいの故障に見舞われたことも何度かある。ただ、そういう状態が何ヶ月も続くようなことは無かったけれど。
以前と違うのは、整体を学んだおかげで日常的に脚のマッサージをするようになったこと。それと、ストレッチタイツを常用していることだろうか。それから、質の高い練習やレース、長い距離を走って脚筋疲労が残っている時はアンメルツ(もしくは類似の薬)を塗っていることも多少の効果はあるように感じる。
ストレッチタイツはSKINSのような高価なものではなく、女性用の締め付けタイツをネットで買っている。おおむね1足1500円くらい。暑い季節は膝から上の太腿だけを締めるタイプを使う。これは疲労軽減の効果を感じる。
アンメルツはサロメチールやサロンパスと同じように、サルチル酸グリコールやメントールで皮膚に刺激を与えて血液循環が活発になるようにするもので、筋肉の疲労回復には効果があると思う。バンテリンのようなインドメタシンを配合したものは使わない。インドメタシンは痛みを生み出すホルモンの分泌を抑制するもので、こういうものは身体に害である。
マッサージも、整体を学んだおかげでいくつかの手技を覚えて、自分で手の届く範囲ではうまく筋肉をほぐせていると思う。ただ、スピードを求められるレースの直前はあまりゆるゆるにしないようにしている。力を発揮するためには筋肉の多少のハリは必要なのだ。
風呂上がりのストレッチはまったくやらなくなった。単に面倒というだけで、本当はやった方がいいと思う。ただ、柔軟性を上げるというようなことにはあまりこだわらなくても良いと思う。
そんなこんなでクラブに入って練習の質も量も増えてからも故障無く過ごせているが、肝心のタイムは残念ながら落ちる一方である。一番結果のほしいところで結果が得られていないというのが何とも悲しい。
山田池梅林
まぼろしのおんたけウルトラトレイル
7月のおんたけウルトラトレイル100kmが今年のメインイベントになるはずだった。
が、何と、すでに定員オーバーで締め切り!!!!
昨年はエントリー開始が3月で、記録を見る限りでは定員より参加者数が少なかったので、今月始めにエントリー受け付けが開始されたのを知った時も、まだあせる必要は無いと思っていた。
ところがところが、実はエントリー開始からほんの数日で一杯になってしまっていたようで、エントリー開始を知った時もすでに締め切りを過ぎていたのかも知れない。
すでに締め切りということを知った直後はショックで、あわてて代わりのレースを探したりしてみたが、落ち着いてくると『まぁ、いいか』という気持ちになってきた。今さらどうしようもないし・・・。この歳になるとこういうレベルの大会は年々ハードルが高くなるので、1年1年が勝負になる。できるなら早いうちにトライしておきたいのだが。
このところのランニング大会のエントリー料金の高騰に伴って、ロングトレイルの料金も非常に高くなっている。来年のUTMFは3万円以上するらしい。そんな中ではおんたけウルトラトレイル100kmの1万円は他に較べると割安かも知れない。鯖街道も1万円だった。
私が今、本当に一番やりたいことは、実はレースではなくて、日本アルプスなどの高山の日帰り登山である。例えば水晶岳日帰りや、槍穂高日帰り縦走、南アルプス聖岳から光岳への日帰り周回などだ。
これらはすべて自分のスケジュールと天候で好きな時にできるので、レースのように悪天でも強行というようなことをやる必要が無い。それに何と言ってもかかる費用は自分の交通費と若干の食料費だけだ。レースに1万円以上もかけるくらいなら、そのお金をこちらの交通費に回した方がよほど意味がある。
とは言っても、はやり自分の限界を打ち破るためにはレースという環境を完全に捨てるわけにはいかない。私のようにメンタルの弱い人間は、自分一人の意志力だけではどうしても限界を超えることができないのだ。そのためにはやはりたまにはレースで限界にチャレンジしなければならない。
日本アルプスまで出かけるとなると、もはやトレイルランニングというよりは登山の範疇だ。危険に対するリスクヘッジも、生駒や六甲に出かけるのとはレベルが違う。そのためにはやはりより強靱な体力と精神力を備えておく必要があるのだ。私がレースに出場するのはそのためと言っても過言ではない。
ただ、正直なところいくらロングトレイルとは言っても、レースに1万円以上の参加費を払う気にはなれない。参加費に1万円払ったのは、30年近いランニング歴の中でも今年の鯖街道が初めてのことだ。
ロードレースでも、レースの運営に大きなコストがかかっていることはわかる。参加費が高くなってからは、参加賞のTシャツなどの品質がアップしているのも事実だ。イベントとして盛り上げる仕掛けがいろいろとなされていることもわかる。
しかし、私個人の意見で言えば、そんなことはどうでも良いのだ。はっきり言って参加賞なんか無くてもかまわない。と言うか、そんなものいらないからもっと参加費を安くしてくれと言いたいくらいだ。
ランニングは始めた頃は、レースの参加費はフルマラソンでもおおむね3000円前後くらいだった。ちなみに昨日のマラニックは4000円で、ゴール後は温泉の入浴券と親子どんぶりのサービスが付いていた。ちょっとした参加賞(小さなデイパックと椎茸)。途中のエイドではおかゆのサービスもあった。地域のトライアスロンクラブの主催なので、いくら何でも赤字を出してまではやらないはずだ。手作りの雰囲気が漂うあたたかい大会で、私は大好きである。ただ、初心者にはお勧めできないが。
参加費高騰のきっかけは東京マラソンだと思っている。参加費1万円と聞いたときはいったい誰がマラソンにこんな金を払うのかと思ったが、フタを開けてみれば大人気で、その後の都市マラソンはすべて1万円が基本である。おかげですでにあった地方の大会やハーフマラソンまで、あれよあれよと高騰するようになってしまった。
レース参加の意義を書いているつもりがいつのまにか参加費高騰のグチになってしまったが、こう高くなると練習のためにレース参加というのも気楽にはできない。川内優輝選手のようなわけにはいかないのだ。
大会参加は地元のローカルな大会だけにして、夏場に山へ行く方にコストをかける方がいいかなと思い直したりしている。
続・徳川家康追跡マラニック
今日は予定通り、続・徳川家康追跡マラニックに参加してきた。
道が荒れていたり、雪がかなり残っていたりとかで、土壇場でコースが大きく変更になった。以前のルートをGPSに入れてきたが、ほとんど役に立たない。
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本来はJR三山木駅から木津川を渡って、すぐに山間部へ入って行くのだが、この道が荒れているとのことで、木津川のサイクリングロード、そして木津からは結構車の通る車道を加茂まで、延々と17km余り走らされてしまった。仕方ないとは言え、『こんなところを走るために来たんじゃない!!』とぼやきたくなる。
加茂で木津川を渡ってR163を横切ると、ようやく郊外の道になってきた。今回はしっかり走ろうと思ってそれなりのペースでスタートしたのだが、ロードではわりとまともに走っているつもりでも、どちらかと言うと抜かれることが多かったが、登りに入るとがぜん抜くことが多くなり、気分も乗ってきた。
和束のエイドは飲み物しかなかったのでパス。ここからマラニックらしい道になってきた。童仙房へは何とか走れるくらいの傾斜の登りがずっと続く。途中で二人に抜かれたが、前も後ろも誰も見えない。童仙房の茶畑のあたりは登りがきつくて少し歩いたが、ほどなく東海自然歩道に出る。しかしここから童仙傍まではまだ2.9kmもあるらしい。
しかし間もなく車道に出て、それも下りぎみだったので、口に入れていた塩飴をはき出しておかゆのエイドに入った。お腹が空いてきていたのでおいしかった。『おかわりどうぞ』と言われたが、ここでゆっくりすると走り出すのがつらくなるので、早々に出発する。
童仙房はかつて東海自然歩道を走った時に、そのエキゾチックな名称に強く惹かれたところで、まるで桃源郷のような所だ。京都と奈良の間だが、このあたりだけ別の時間が流れているような、そんな異次元の空間という感じが今もする。
ここからは東海自然歩道をR163まで下る。しかし序盤はちょっとした登りが何度かあって、この登りで先行者を数人抜いた。下りは走れるくらいの傾斜だが、キロ6分を少し切るくらいのペースしか出ない。一気に下るので、ここで頑張るとダメージが大きい。一人抜かれたが、この人はR163に出てから抜き返した。
R163に出てからは少し行ってまた田舎道に入る。ここがなかなかの難所だった。アップダウンの連続で、しかもルートがよくわからないのでどこまで行けば終わるのかまったくわからない。でもこのあたりで数人抜くことができた。まだまだ脚は余裕がある。
ようやくゴールの島ヶ原温泉への近道に入ったが、最後を締めるべくパワーバージェルを補給する。しかしその甘みがまだ舌に残っているうちに、ゴールにたどり着いた。総距離48.7km、5時間40分の旅だった。
終盤は登りもしっかり走れて気持ち良かったが、距離も時間も大したことはないので、あまりよろこんではいけない。しかしこのところのロングトレイルの練習成果は出ているようには感じる。
これで六甲往復ができるとは思えないが、少しずつその目標に近づいているとは感じる。しかしあと1ヶ月しかないのだが。
山田池30kmジョグ
明日は50kmのマラニックを控えているが、今日は山田池で30kmジョグをやってきた。
昔ならこんなことは考えられなかったが、このところは『別に・・・』という感じ。もちろん明日がシビアなタイムレースではないからということもあるが。10月のマラニックの前日はクラブの4時間走で43kmほど走ったし、多分大丈夫だろう。
このところはジョグでもあまりスローペースになりすぎないようにしている。クラブで、キロ6分より遅いペースで4〜5時間走るような練習をやる人がいて、それなりの結果を出しているので、そういうのもアリかなと思った時期もあったが、あまりスローペースに身体が慣れてしまうと少しのペースアップがすごきキツく感じるような気がして、このところはジョグでもキロ6分より遅くはならないようにしている。朝は別として。
そんなわけで、今日は平均でキロ5分38秒。これならまぁまぁというところだ。このところかなり長い距離を毎週のように走るようにしているので、30kmという距離に対する感覚がずいぶん違ってきた。これくらいのペースなら以前よりも楽に走れるようになったように感じる。
明日は少し速めのペースにチャレンジしてみようかと思っている。
淀川ペース走
このところ目標レースをトレイルに置いていることもあって、個人練習はいつも山田池へ行っていたが、今日は気分転換に久しぶりに淀川へ行ってきた。出かける時に少し風があったので淀川は寒いかもと思ったが、走り出したらそれほどでもなかったので淀川へ向かった。
せっかくフラットなコースなので、少しペースを上げて走ってみようと思った。ただ、このところの体感ではキロ4分台は結構しんどい。しかしゆっくりペースで入ると上げるのがさらに苦しくなるので、あえて最初からある程度のスピードで出た。
河川敷の往復コースに入ってからは何とかキロ4分台のペースになって、折り返してからはキロ4分半くらいになることもあった。心拍数は150台の半ばくらいで、そこそこ追い込めている。トータルで何とかギリギリのキロ4分58秒というところで、個人練習では久しぶりのペース走になった。
しかし篠山はこれくらいが限界スピードという感じもする。
マラニック
今度の日曜日は続・徳川家康追跡マラニックというマラニックの大会。
京和トライアスロンクラブの大会は私のお気に入りで、これまでに何度も参加している。レースというよりはお楽しみの大会で、途中で軽食のサービスがあったり、ゴールは常に温泉や銭湯のある所で、たっぷり一日楽しめる。参加費も安い。と言うか、最近のロードレースの参加費の高騰が異常だ。都市型マラソンに1万円なんてとても払う気にならない。
しかしながらコースはいずれもかなりハードで、アップダウンの多い林道や田舎道をたっぷり走らされる。時にはケモノ路のような所もある。コースミスなど日常茶飯事で、『道を間違えたらその分余分に楽しめたと思え』というような大会なのだ。
今回のコースは初参加。ネットでコースのGPSデータを見つけたのだが、案内によると今回は一部コースが変わるらしい。『大変難儀な道と言われています』とのこと。望むところだ!!
山田池練習会
今日の練習会は山田池。朝はさすがに身体がだるく、一瞬休もうかと思ったが、何とかふとんから出ることができた。
脚筋の疲れはあるが、六甲の後のような筋肉痛はあまり無い。しかしそこそこまともに走っているつもりでもキロ5分半くらい。何とか8周と思ってスタートしたが、結局6周で終わりにした。
帰りの穂谷川沿いの道はキロ6分半くらいのペースで、昨日の帰りもこのくらいでは走っていたので、疲れても粘る力は少しついてきたのかなという気はする。
生駒山往復
今日は予定通り、生駒山を往復してきた。
7時45分頃に家を出かけたが、かなり寒い。ウエアはジャージの上下にアンダーはユニクロのヒートテック。帽子兼ネックウォーマーをかぶって、今日はウォークマンも装着。イヤフォンと本体が一体になったタイプで、コンパクトなのは良いのだが、どうも耳にしっくりこなくて、すぐにずれてくるのがわずらわしい。淀川市民マラソンでこれをつけて走ったが、だんだんとずれてくるようになってわずらわしかったので、それ以降はレースでは使っていない。しかしランニングのような単調なスポーツには音楽の効用は小さくないようで、これも練習の一つと考えて今日は付けることにした。
幸い日射しがあるので、10分もしたら身体は温まってきた。
前回生駒の歩道橋手前までを往復した時はかなりプレッシャーがあったが、今回はその時に較べると気分的にはかなり楽で、前回より足取りも軽い。
前回より少し早めに交野山に到着したが、岩の上は風が冷たいのでアメを口に入れて早々に出発する。
所々雪が残っている。風は無いが、気温は1度くらい。前回休憩したくろんど園地の休憩所はスルーして、ゴルフ場を下ってほしだ園地に入る。この登りでパワーバージェルを補給。
登りはあまりムリをせずに積極的に歩きにしたが、なかなか調子は良さそうだ。前回より少し早めの3時間少々で生駒の歩道橋までたどりついた。前回にここまで来た時ははたして無事に帰れるかかなり不安だったが、今日はそういう気分はまったく無く、歩道橋を渡って生駒への道へ行く。
生駒への道を進んで行ったら、予想以上の雪が出てきた。登りはいいが、帰りは注意が必要だ。それに寒い。時折雪がちらついている。
ショートカットを上がると、今日は生駒山頂へ向かう。このあたりの道は完全に雪。下りに不安を感じるが、ここまで来たら行くしかない。遊園地は休業中だが、中は通れるようになっている。ここまで約4時間、31km。一番高いと思われる所の店の前の庇の下でパンを食べる。それにしても手が冷たい。六甲では少し厚めの手袋をしていたが、今日は100円ショップの手袋だ。
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※自宅近くは割愛
雪道の下りは思ったほどではなかった。早く少しでも暖かい所に降りたいという気持ちで足を運んだが、結構まともに走っているつもりなのに下りでキロ6分程度のスピードしか出ていない。そろそろ足も疲れてきた。
歩道橋まで降りてきたら寒さはずいぶんマシになった。ここまで来たら後は前回一度走っているので、気分的には楽だ。とは言ってもまだあと24kmほどあるけれど。
急な下りで足をひっかけてこけそうになってあせったが、何とか踏みとどまって、急な動きで左腕に少し痛みを感じながらも室池まで戻ってきた。前回はここで大福を食べたが、今日はバードウォッチングか何かの団体がいるので、スルーする。田原台の手前の池で腰を下ろしてよもぎモチを食べる。
残りの登りは飯盛霊園からほしだ園地とゴルフ場、そしてくろんど園地の登りだ。まずは飯盛霊園。霊園内に入った時は思わず歩いてしまったが、早歩き程度の走りに切り替えたところ、これがうまくいって、山道に入るまではこのままスロージョグで行けた。
ほしだ園地の急坂を下って、今度はゴルフ場の車道。ここも結構傾斜があって、距離もある。あまり前を見ないようにして、足下だけに気持ちを集中して何とか登り切った。そしてくろんど園地の休憩所では腰を下ろしてパワーバージェルを補給する。最後の登りの手前に補給しておいた方が良いと思ったからだ。
おかげでこの登りも最後までジョグで行けて、もうあとはほとんど下りのみ。ただ、ここまで来ると気持ちの緩みが出てくるので、そこだけは注意しなければならない。走れる所は極力走るようにして、しかも少しでも速くを心がけた。いつの間にか走行距離が50kmを越えていた。こんな距離を走るのは一体何年ぶりだろうか。
津田のサイエンスヒルズに出る手前は、早く帰りたいという気持ちと共に、もっとトレイルを走っていたいという気持ちが入り交じって、トレイルの楽しさを再確認した。
津田のアルプラを越えるといよいよあと5kmほど。何とか最後まできっちりと走りきれるように、気持ちを切らさないようにした。
家の裏の駐車場まで戻ってきた時は、少し熱いものが胸の奥に湧いてきた。たかが練習、されど練習で、やはり練習でも自分が考えたことがきっちりとやり切れると、それなりの満足感がある。
今日は最後まで脚筋がしっかりしていた。トレーニングの成果もあるが、補給や音楽など、様々なものが合わさった結果だと思う。
六甲往復は到底ムリと思っていたが、まったく不可能ではないという気持ちもほんの少し湧いてきた。