稲村ヶ岳

先月の八経ガ岳が非常に快適だったので、年始も大峰に行こうと決めていた。
計画は観音峯登山口から観音峯、稲村ヶ岳、山上ヶ岳、余裕があれば大天井ヶ岳まで行って洞川に下ろうというもの。
ヤマレコを調べたら年末に軽いシューズでこのあたりを周回している記録があったので、これなら今回もトレランシューズで行けると判断した。ただしプチラッセルを想定して HOKA ではなくて Salomon のゴアテックスのシューズにした。
昨日、先月と同様に3時に起きて3時半発。高速は京阪奈道路を使った。
道路状況は非常にスムーズで、時間的には先月とほぼ同じなのに高速料金は激安。途中のコンビニで朝食のうどんを食べ、そしてコーヒーを飲んで、6時過ぎに観音峯登山口の駐車場に到着した。車は1台も停まっていなかった。

ウエアは先月とほぼ同じだが、下はフリースのパンツの下にタイツを履いて、6時半に出発した。
駐車場のそばにかかった橋を渡って登山道に入る。
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いきなりダイトレのような木道が始まる。ダイトレよりもひどくて、土が流れて障害物になっている状態。こういう木道を登山道でしばしば見かけるけれど、どうしてこんな作り方をするのかまったく理解できない。何年か経てば土が流れてこうなるのは作る前からわかるはずだ。
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気温は高めで、タイツが暑い。
来る途中で一時降っていた雨はおさまっているけれど、天気はいまひとつの感じ。大峰と言えば雨というくらい多雨の地域なので、雨が降っていないだけでもまだマシかも知れない。
夜が明けて展望台に到着したが、展望はまったく無し。
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標高 1,000m を越えると雪が増えてくる。
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雪の量は先月とさほど変わらないけれど、雪質はまったく違う。先月は新雪でやわらかくて、あまり滑らない雪質だったけれど、今日は何度か融雪と凍結を繰り返したような雪質で、堅くて滑りやすい。早々にチェーンスパイクの登場になるだろう。
7時 45 分に観音峯(1347.7m)に到着した。三角点があるけれど、ほんのちょっとしたでっぱり程度。
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またすぐに登りになり、8時 11 分に三ツ塚(1380m)に到着した。
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そろそろ寒くなってきたのでここで帽子をかぶってジャケットの上を羽織って、ついでにチェーンスパイクを装着した。
ここから法力峠までは下りが多かったので、スパイクの着用は正解だった。
出発して2時間少々で法力峠に到着。ここで稲村ヶ岳への一般路の洞川からの道と合流する。
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緩い上り勾配の道で、右側が谷になっている。部分的には鎖があったり、若干注意が必要な箇所もある。
ここで今日初めて二人パーティに出会った。
稲村ヶ岳山荘のある山上辻には9時半に到着した。出発してちょうど3時間だった。
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風が強くなってきたのでトイレの陰で雨具のパンツを履いて、黒豆パンを半分食べた。稲村ヶ岳への稜線はかなり風が強そうだ。
西風が強くて、道が稜線の西側になると横風がまともに吹き付ける。木の枝に付いた霧氷の氷が風で飛ばされてきて顔に当たって痛い。完全な冬山の雰囲気になってきた。
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道も思ったより険しくなってきた。稜線の東側に入って強風からは解放されたが、左側が切れた斜面のトラバースが続く。
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これはもう完全にアイゼン、ピッケルの世界だ。しかし稲村ヶ岳のピークはもうすぐそこ。
稲村ヶ岳(1726m)には 10 時過ぎに到着した。ちょうど若い男性が一人おられた。展望台がしつらえられていて、風情が無い。
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展望が無いので近くの樹氷。
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稲村ヶ岳は山上ヶ岳(1719m)より少し高いので、今日の最高標高点。
下りに備えてポールを出した。
ポールのおかげで下りは意外と楽だった。
山上辻に戻って、山上ヶ岳へ向かう。
標高差は少ないので淡々と行けるのではないかと思っていたが、登山道の左側(北側)が意外と切れていて、不安定な斜面のトラバースが続く。
ちょとしたルンゼ状の所では流れてきた雪でトレースも消えていたりする。おそらく今日はこれまで誰も歩いていない。
これはもう完全にアイゼン、ピッケルの世界だ。チェーンスパイクではツァッケが小さいので雪面にしっかり食い込んでくれない。おまけに腕の支えは細いトレランポール。滑落停止には使い物にならない。
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敗退という言葉が頭に浮かんだけれど、これまでに越えてきた所をまた引き返すのも楽ではない。
雪がかぶっているので谷側の足元がどこまで地面なのかはっきりせず、ぐっと体重を乗せると崩れるというようなことが何度かあって、そのたびに肝を冷やした。
何とか山上ヶ岳までは行って、そこからは最短距離で洞川へ下ろうと思った。
そうこうしていると斜面に氷が出てきた。何とか雪の部分をつないでキックステップで足元を固めながら慎重に通過した。
位置を確認すると山上辻から山上ヶ岳への中間点くらいだ。まだまだ先は長い。
そして小さなリッジを越えて右側に回り込んだ時、目の前に絶望的な斜面が現れた。
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この真ん中の氷の部分は今日の装備ではもはや通過不可能と思った。アイゼン、ピッケルの装備でも楽では無い。
覚悟を決めて戻るしかない。
この正月には関東だったかで凍った沢を滑落して男性が二人亡くなっている。同じ過ちをやるわけにはいかない。
とくかく慎重に、慎重に、一歩一歩足元を踏み固めて下った。下りは登りより難しい。
そろそろ危険地帯が終わろうかという頃、稲村ヶ岳の山頂で出会った男性がこちらに向かって来たので、敗退してきたと伝えた。
彼はアイゼンはまともなものを履いていたと思うが、ピッケルは持っていなかったように思う。ポールを両手に持っていた。無事に通過できただろうか。
稲村ヶ岳山荘でちょっと食べようと思って小さな休憩スペースに入ったら、親子のような二人が食事していたので、地図を確認しただけでそそくさと退散した。
法力峠で腰を下ろしてゆっくりしていたところ、何と観音峯の方向から単独行の男性が下りてきた。せっかく一人でゆっくりしていたのに・・・。
しかもすぐそばにザックを置いて、私が見ている地図をのぞき込んでくる。
この人、地図は持っていないの???
何やらスマホをいじっている。
どうも山上ヶ岳を越えて南の方へ向かうつもりらしい。
もう午後1時に近いというのにどういうつもりなのかと思ったけれど、荷物がわりと大きかったのでテント山行なのだろう。
ここからは来た道ではなく、洞川へ下ることにした。
何となくモヤモヤした気持ちを心の底でころがしながら、単調な道を下った。
母公堂へ下ると早く車道に出てしまうので、五代松鍾乳洞の方へ下る。
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五代松鍾乳洞は冬場は公開されていないらしい。
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午後1時半に登山道入り口に下り立った。
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洞川温泉は初めて来た。
正月だと言うのにこの閑散とした街並みは何??。みやげ物店もほとんど閉まっている。
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温泉街のはずれからはみたらい渓谷遊歩道を歩く。
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駐車場に戻ってきたのは午後2時半過ぎだった。
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大峰の冬は甘くは無かった。
久しぶりにかなり本気でビビッた。
これくらいのことは乗り越えないと山に行った意味が無いと思っていた時期もあったけれど、もうそういうのは卒業した。
ただ、私にとって魅力的な山の風景は、きれいな花の咲くお花畑ではなくて、岩と雪の世界だ。
今日のルートにしても、天気が良くて雪が少し緩んでいれば、何と言うこともない雪山ハイクの世界だ。
もう少しコンディションをきっちりと判断して、ぜひまた再訪したいと思う。

新春早朝練習会

今日は恒例の新春早朝練習会で、まだ暗い中、山田池6時集合に向けて家を出た。
これに参加するのは2年ぶり。昨年はまだヘルニア手術から十分に癒えていなかった。
5年ほど前の初回は参加者がたった3名だったけれど、次第に定着してきたのか、今日は少し遅れてきた人を含めると 10 人ほど集まった。
体操も無しに6時過ぎにスタート。キロ6分くらいのペース。
散歩の人はすでにおられるけれど、こんな時間に一人で走っている人が何人かいるのにはちょっとびっくりした。まだ真っ暗だ。
足元がはっきりしないので、広い道が続く最も大回りのコースを行った。
予想通り、ペースは徐々に上がってきた。いつまで着いていけるか。
南側のエリアにちょっとした丘があって、日の出のタイミングでそこへ行こうということになった。
大回り約 3.1km のコースの4周目でこの丘の周りを周回して時間調整して、ちょうど日の出の7時 18 分くらいに丘の上に登った。
4周目に入るとペースは一段と上がって、緩い下りではキロ4分半くらいになった。今の私にとってはほとんどインターバルのようなペースだが、何とか日の出までは着いていこうと頑張った。
天気も良く、東側の京田辺のあたりから上る日の出は美しかった。
ここからスタート地点まで戻って、私はこのあと1周、何人かは2周行った。
8時頃に終了して、リーダーに御神酒をふるまってもらって、また家まで走って帰った。
家に帰ったのは8時半。約 25km の早朝ランだった。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
ここ2年ほどこだわってきた UTMF が不完全燃焼で終わり、おまけに今年は開催されないことになった。
ロードレースは2年前の篠山マラソンを 33km でリタイアしたのを最後に、ほとんど引退状態。
そうは言っても身体が動かないわけではないし、意欲を完全に失ったわけでもない。
登山のトレーニングのつもりで淀川でジョギングを始めたのは 29 歳の時。
いやになればいつでも辞めようという軽い気持ちで始めたのが良かったのか、思いがけずタイムが伸びて、その後3年くらいは山へはまったく行かずにランニングに集中した。
おかげでテレビの向こう側の世界だった別大マラソン(その当時は出場資格が2時間45分だった)にも3回出場できた。その後、出場資格が2時間40分になって出られなくなってしまったけれど、いつの間にやら半分市民マラソンみたいになってがっかりしている。
久しぶりに山へ行ったらやはりマラソンで体力がついたのか、そこそこのレベルの人達ともさほど見劣りしないくらいに歩けるようになっていた。
そこで、若い頃は手の届かない憧れでしかなかった岩登りや冬山の世界に入って行った。
そうは言ってもやはりメインはマラソン。マラソンのスケジュールの合間に山へ行くという感じだった。
夏はマラソンはオフシーズンなので、夏期休暇を利用して(さらに有給休暇をくっつけて)キリマンジャロやモンブラン、マッターホルンなどに出かけた。
しかし三十台の終盤になるとマラソンの力が落ちてきて、さらに結婚 10 年目にして子供を持って、嫁がフルタイムで働いているので家事育児を分担せざるを得ず、四十台になるとマラソンは続けてはいたものの、危険を伴う登山からは離れた。
49 歳までは何とかフルで3時間を切れていたけれど、50 歳を迎えてから坂道を転がるように走力が落ちた。今から考えれば男性更年期症状だったのかも知れないと思ったりしている。
四十代の後半あたりから山スキーに行っていたので(この頃もまだメインはマラソンだった)、そちらに軸足を移そうと思ったりもしたのだけれど、しばらくレースから離れているとまたもう一度思い切り走りたいという気持ちが頭をもたげてきた。
五十代半ばにしてスピード練習を再開してみたけれど、もはやサブスリーというような目標が非現実的になってしまっては、一人でそういう練習を続けることはできないと感じた。
ちょうどそんな時、地元の陸上クラブの案内を見つけた。
このクラブはそれ以前からよく知っていた。マスターズの記録会などで誘いを受けることもあったが(その当時のクラブの会長さんの家がわりと近くだった)、とにかくレベルの高いクラブだったので、自分がいられるような場所ではないと思っていた。
しかしその案内には「初心者、女性歓迎」と書いてあったので、それならと思って思い切って行ってみることにした。
上級者はさすがのレベルだったけれど、私と同じくらいや少し下くらいのレベルの人もそれなりにはおられたので、あまり気負わずに入って行くことができた。
クラブの練習会は楽しかった。陸上競技場を走るのは記録会の時くらいしかなかったので、毎週のように競技場のトラックを走れるのは気持ち良かった。夏場のナイターも楽しみだった。
クラブに入ってからの3年間くらいは、自分でもこの歳になってよくこれだけ走れるなと思うくらい走った。
年間の走行距離は 5,000km を越えて、月間 500km を越えた月も何度かあった。三十代半ばの全盛期の走り込み期には月間 650km くらい走っていたけれど、まさか五十代半ばになってここまで走れるとは思わなかった。
しかしながら結果はいささか期待はずれだった。
最初の半年くらいでトラックの 5,000m で 19 分台、ハーフマラソンで1時間 29 分台まではいったものの、フルでは 50 歳を過ぎてからの凋落傾向に歯止めがかからず、もはや限界と考えざるを得なかった。
ちょうどそんな頃、登山教室の随行の仕事が舞い込んできた。長年所属している山岳会で一緒だった方が講師をされていた。
私が登山を始めたのは中学生の時で、年数で言えば相当なものだけれど、実は中身はそれほどではない。
それに山岳会で積極的に活動していた頃は日帰りで近場に行くのはクライミングばかりで、京阪神や奈良の山はあまり行ったことが無かった。
そんなわけで、随行の仕事で近場の山にいろいろ行けるのは自分にとっても新鮮で楽しかった。と言うか、今でも楽しい。
まさか趣味の登山でアルバイトができるようになるなんて、思ってもみなかった。私自身は他人を指導できるほどの技術や知識は無いので、講師やガイドのような仕事は勤まらないので、随行という立場は非常に都合が良かった。
近場の山の知識が増えたおかげで、それまでは生駒や六甲、京都一周トレイル、ダイトレのようなコースしか思い浮かばなかったトレイルのコースも、ヴァリエーションが増えて楽しくなった。
UTMF も久しぶりにワクワクするイベントだった。
マラソンを始めた頃は定期購読していたランナーズ誌も、大会の情報収集やエントリーがネットでできるようになってからは読まなくなって、第1回の頃は UTMF の事はまったく知らなかった。
ちょうどロードレースに対する意欲が減退してきている時期に UTMF に出会ったので、まさに渡りに舟という感じだった。
しかしそれももう終わってしまった。
2年ちょっと前の加古川マラソンを3時間 43 分くらいで走った時、久しぶりに最後までしっかり走れた満足感はあったものの、もう3時間半も切れないと思ったし、今さら3時間半を目標にマラソンの練習をやろうという気分にはなれなかった。
トレイルではビッグ大会でしばしば雨に遭って、ぬかるみで滑ってどろどろになったり、水たまりをスネまで水に浸かって走ることに対して、ばかばかしいとしか感じられなかった。
そんな中で充実感や満足感が感じられるのは自分で設定した山のロングコースを完走(完歩)した時だった。
かつてそこそこ山に行っていた頃はごく限られた対象の地域にしか行っていないので、今の自分にとって魅力的な山はまだ至る所に残っている。
今さらかつてはただのジョギングだった3時間半というようなタイムを目標にマラソンの練習をするよりも、未知の山に出かける方がよっぽど充実していると思う。
それに残された時間はもうそんなに多くはない。
ただ、自分で納得できるレベルの山行をやるためにはそれなりの体力を維持することが必要なので、たまには限界近くまで追い込むような走りもやらなければならない。
ということで、今年は軸足を山に移そうと思っている。
そんなわけでブログのタイトルを変更しました。

山田池練習会

今日は今年最後の練習会。
このところ練習会への参加頻度が一段と下がって、月に一度か二度くらいになってしまっている。おまけに練習の質まで落ちて、普通のジョグに毛が生えたくらいのレベル。
それでも行かないよりはマシと思って、山田池へ出かけた。
このところ練習会ではいつも単独走で、誰かと一緒に走ってペースを維持しようというような気持ちがもはや無いので、今日も勝手に一人で走り出した。
1周約 2.4km のコースを1周目は 14 分ちょっと。
ラップは気にせずに走っていたが、自然と1周あたり 10 秒から 15 秒くらいペースが上がっていて、最後の6周目はちょっと頑張って 12’25” で走り終えた。
ほんの2年ほど前までは1周 12’25” というペースは入りのアップか、ペースダウンしたラストのペースくらいだったが、もはやこのペースで周回を重ねることはできない。
ここ何年かは加齢のせいか、ペースアップしようと思っても身体がブレーキをかけてしまうような感覚をしばしば感じるようになっているけれど、最近は特にそれを強く感じる。
タイムを狙うのであればそこを乗り越えていかなければならないのだけれど、今はこれで十分という感じ。
これ以上やると走ることが苦痛になってしまいそうなので、そこまではやりたくない。
できるだけいつまでも楽しく走り続けたいと思っている。

UTMF 2017

予想されたことではあるけれど、UTMF 2017 の開催見送りが発表された。
2012 年の第1回大会から 2014 年までは春の開催だったが、山地での夜間の冷え込みの厳しさなどから 2015 年から9月末の開催になった。
この時期は台風の影響などの天候に対する懸念が当初からあったけれど、はからずもそれがこの2年は的中してしまった。
天候は誰にも制御できないので結果論と言えば結果論ではあるけれど、想定内の結果ではあった。海外のトレランサイトでも「UTMF は春の開催に戻るだろう」というコメントは昨年から散見されていた。
個人的にはもう UTMF を目指すことは無いと思ってはいたけれど、いざこういう結果になると一抹の寂しさは感じざるを得ない。
今年の大会が消化不良で終わったあと、ポイント取得を目的にどこかの大会に参加しようかと思う気持ちもまったく無かったわけではないし、STY にエントリーしようかという考えも多少はあった。
何とか自分の気持ちに決着をつけようと少しあがいていた。
しかしこれでもうすっきりした。
2年後の UTMF を目指すなんてもはや考えられない。
マラソンで結果を出すという目標を失ってさまよっていた時、UTMF という思いがけない目標に出会えたことは幸せだった。
UTMF 2015 の参加権を得たときはかつて別大マラソン完走を目指していた頃の気持ちを思い出した。
ただ、気持ちは戻っても身体は思うように反応してくれなかった。
それでも大きな目標を持って過ごす日々はひと味違って充実していたし、UTMF という目標があったからこそ実現できた山行もいくつかあった。
夢を見させてくれた UTMF には感謝したいし、世界に誇れる大会として今後も続けてもらいたいと思う。

堂屋敷、六個山

昨日の随行は箕面の堂屋敷と六個山だった。
箕面の山並みは家の近くから見えていて、これまでも興味を持ったことはあったけれど、いざ地図を開けると標高も低くてゴルフ場や車道が多く、なかなか出かける機会がなかった。
東海自然歩道を走ろうと思って箕面からスタートしたのはもう 20 年くらい前のこと。おそらく箕面に来るのはそれ以来だと思う。

朝の9時半、阪急の箕面駅から出発した。快晴で絶好の登山日和。
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さすがに人気の観光地だけあって、先月の貴船と同様に朝から観光客が多い。しかし貴船と違うのは、こんな場所を走るジョガーが結構いること。
しばらく車道(と言っても車が走れるのは駅に近いあたりだけ)を歩いて、箕面の滝へ。
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個人的には滝よりもその右上にあった壁の方が気になった。
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この後もしばらく車道を歩いて、ようやく登山道に入った。このあたりは自然歩道が整備されているらしい。
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天上ヶ岳の山頂へは行かずに役行者の碑に向かう。
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役行者はここで昇天されたらしい。
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ややこしい道を辿ってちょうどお昼に堂屋敷(553.2m)に到着した。
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それにしてもこのあたりの道はややこしい。ポイントには標識が立っているけれど、一人ではとても来られない。
昼食後はほんのわずかで車道に出た。
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車道を 15 分ほど歩いてまた山道へ。
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大きなケヤキの木。
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なかなかいい雰囲気。
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と思ったらすぐ横がゴルフ場だった。高いネットが無いのでミスショットの玉が飛んでくるのではないかと心配してしまう。
よくわからない分岐を何度か通って、ひと登りして六個山(395m)に到着した。
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何故か三角点の表記は松尾山となっている。
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途中に開けた展望箇所があったけれど、山頂は木がちょっとじゃま。これは大阪市内方向。うっすらとアベノハルカスが見えていた。
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最後は車道を 30 分ほど歩いてまた箕面駅に戻った。
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日曜日なので寄り道は一切無しで、梅田の地下街も足早に通り抜けた。
これで今年の随行はおしまい。
何とか大きなトラブルも無く終えることができたので、ちょっとほっとしている。

瓜生山

一昨日(12/14)は京都一周トレイルの講座で瓜生山へ行ってきた。

集合は白川通り今出川の橋のあたり。先月の講座で歩いた大文字山がすぐそばに望めるけれど、火床は一周トレイルコースには含まれていない。
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一周トレイルのコースは個人的には何度も歩いているけれど、実はこのあたりの正規ルートは通ったことが無い。
大文字山山頂からは火床を経由して、下ってからは銀閣寺の雑踏を避けるために朝鮮学校の校庭を通過して志賀越道に抜けている。
なので天神宮神社というのは初めて。
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バプテスト病院から山へ入る所にある大山祇神社もいつもは沢沿いの道で通過しているが、この日は参拝。
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ここを越えてすぐの所から尾根筋に入る。近年の大雨で沢筋の道がずいぶん荒れているということで、一周トレイルの正規コースがこちらに変更になったそうだ。
個人的に来た時はだいたいいつも沢筋を詰めていたが。
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白幽子巌居之跡。
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清沢口石切場の跡。
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ひと登りで瓜生山の山頂(301m)に到着。山頂からの大文字山。
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ここから先はトレランの時はわりと快調に走れる道だが、そこを1時間ほど歩いて例の鳥居の所で昼食となった。
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朝はそれほど寒いとは思わなかったけれど、冷たい風が吹いて気温が下がってきた。赤飯おにぎりはちょっと堅かったけれど、あたたかいカップラーメンがおいしかった。
ここからほぼ直角に左に折れて、急な下りになる。
沢(音羽川)に木の橋がかかっていたけれど、こんな橋は記憶に無い。
雲母坂からの道に合流して(水飲対陣之跡碑)、一人の時もいつも一息入れる展望台から愛宕山などを眺める。
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この日はここから梅谷を下った。ここは数年前に東山マウンテンマラソンで走った記憶がある道だ。
修学院離宮のそばまで下りると、この日歩いた尾根筋が麓から望める。
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白川通りに出た所でこの日の行程は終了となった。
翌日に別の講座の予定があったので二回戦には行かず、高野川沿いを出町柳まで歩いて帰った。
朝も出町柳から歩いて集合場所まで行ったので、ちょうど一周して元に戻ってきた。

八経ヶ岳、弥山

昨日はおそらく今年最後になるであろう、個人山行に行ける日だった。
久しぶりに雪山に入ってみたいと思った。このところヤブこぎや丘陵歩きなどが続いているので、もう少し山らしい山に行きたいという気持ちもあった。
大山や氷ノ山を調べてはみたけれど、日本海側は天気が悪そうだ。北がダメなら南へ行くしかない。
個人的には奈良の南部の山はほとんど行ったことが無い。
昔は大峰や大台などは高速道路が通じていなくて、距離のわりには時間がすごくかかった(という印象があったが、それが現実だったと思う)。それくらいなら白山や岐阜の山へ行った方がいいだろうという考えで、奈良の南部へ向かったことはまったく無かった。それに大峰は多雨で、沢登りがメインという感じなので、私の趣味には合わなかった。
しかしここ何年かは随行の仕事で奈良方面へ行く機会が何度もあって、高速をうまく使えば昔よりははるかに短い時間で奈良の山に近づけることがわかってきた。
と言うことで、個人的に未踏の近畿最高峰の八経ヶ岳を調べてみた。
行者還トンネルそばからのルートが一般的のようだが、これではあまりに短すぎる。そこで天川村の川合からのルートを調べたところ、そこそこの距離があって、弥山を含めた周回ルートが取れるので、もうこれしかないだろうと思った。
当初、土曜日の午後に出かけて麓で車中泊にして早朝発を考えたが、朝早く家を出て日帰りもできそうだった。それにそこまでするほどのロングルートでもなさそうに感じた。
とは言っても天川村まで2時間以上はかかりそうなので、3時起床で3時半出発。朝食は途中のコンビニというプランにした。

予定通り3時半過ぎに家を出発。葛城のコンビニで総菜パンとコーヒーの朝食を摂って、2回ほどルートミスをしながらも6時過ぎに天川村役場に到着した。
駐車場に着いた時、そろそろ出発しようとしているかのようなパーティのヘッドランプがいくつか見えた。
どういう装備にするかは随分迷った。何と言っても 2,000m 近い山で、しかも 12 月。山上の冷え方がイメージできない。
ここはやはり安全第一でゴールデンウィークの北アルプスくらいの装備を考えたけれど、ほんの3日ほど前に同一ルートを行かれた記録がヤマレコに上がっていて、その写真を見ると、これならトレランシューズでも行けると思った。
結局、上は長袖クロロファイバー下着に薄手のフリース。下は以前に山スキーで愛用していたフリースのパンツ。シューズは HOKA にした。ただし手袋は厚めのものにして、耳までかぶる帽子を忍ばせた。そして念のためにチェーンスパイクとポールも持った。
6時 25 分、まだ暗い中、ハンドライトを持って駐車場を出発した。
登山口への分岐はすぐにわかった。
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細い車道を少し歩くとまた道標が現れた(帰路の写真)。弥山まで7時間と書かれている。
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登山道に入るといきなり階段の急登が待ち受けていた(帰路の写真)。
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しかし急登は望むところだ。短時間で標高が稼げるし、身体も暖まる。
薄ら明るくはなってきたけれど、樹林帯はまだまだライトがいる。
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出発して1時間で林道に出た。
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しばらく林道でも行けるようだが、若干距離が長そうなので、登山道に入った。
8時に栃尾辻の避難小屋に到着。中は真っ暗でとても入る気がしない。
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ここでジェルを補給して、ジャケットの上を羽織って帽子をかぶった。
ここからひと登りしたら、待望の光景が現れた。
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これが見たくて遠路はるばるやってきたのだ。しかし標高が 1,500m を越えるとさすがに空気が冷たい。
ここからしばらくは傾斜が緩くてなかなか標高が上がらず、いささかうんざりさせられた。
栃尾辻から1時間少々かかってようやく八経ヶ岳と弥山への分岐の高崎横手に着いた。標高で 1,750m くらい。
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雪も次第に増えてはきたけれど、潜るほどではない。トレランシューズで問題無い。
突然、倒木がたくさん出てきた。台風のしわざだろうか?
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若い男性二人が休憩しているのに出会った。「足、寒くないですか?」と聞かれたが「大丈夫ですよ」と応えた。まったく問題無い。ひょっとしたら駐車場で見かけたヘッドランプの主だろうか。
残念ながら日射しは無い。しかしそれがいかにも冬山らしい雰囲気を醸し出している。
明星の森。
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10 時前に稜線に出た。
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明星ヶ岳へは少しだけ八経ヶ岳と反対方向へ登ることになる。せっかくここまで来ているのだから、と思ったのだが、いかんせん眺望はまったく無い。もし頂上が見えていたら行ったと思うのだが、今ひとつ意欲が湧いてこなくて、早々に八経ヶ岳を目指すことにした。
曇りには曇りなりの良さがある。風があるとつらいけれど、幸いほとんど無風状態。
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明星ヶ岳への分岐からほんの 10 分ほどであっけなく八経ヶ岳のピーク(1,914.9m)に到着した。出発してから3時間 45 分くらいだった。
運良く、若い人がおられたので、シャッターを押してもらった。
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写真を撮ったら早々に弥山に向かう。
エビのしっぽが発達している。
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これは立ち枯れ?
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何人かの登山者とすれ違って、15 分ほどで弥山の小屋に到着した。
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弥山の山頂(1895m)へは寄っておく。
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狼平への途中で、今日始めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。おにぎりは冷たくて堅かったが、あたたかいお茶がおいしい。昔、山スキーによく行っていた頃は、冬山ではおにぎりは食べにくいので避けていたのだが、そんなこともすっかり忘れてしまっていた。
狼平へは延々と階段が続く。ダイトレの木道と違って、これなら歩きやすい。
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狼平の避難小屋はなかなか立派。すぐそばに沢も流れているし、これなら快適だろう。
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若干の登りで、高崎横手に戻ってきた。あとは往路を下るのみ。
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栃尾辻まではきれいな霧氷がたくさんあった。
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役場の駐車場には午後1時 45 分に戻ってきた。
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帰路は葛城の吉野屋で牛丼を食べて、第2京阪の交野南 IC までは2時間くらいで帰ってこられたけれど、そこからの下道は日曜日夕方の渋滞に巻き込まれて、スーパーに寄って帰ったのは5時過ぎだった。
それでも、この時期に 2,000m 近い山で冬山気分が味わえて、日帰りができるというのがわかったのは収穫だった。さすがにこれくらいの山になると京阪神の冬山とは随分雰囲気が違う。
ただ、冬山から離れる最大の要因になった末端の冷え症。昨日も厚めの手袋(とは言っても冬山にしては薄手だが)でも冷えて、一度素手になって冷えるとそのあとなかなか暖かさが戻らないという症状は以前のままだった。
山スキーの時は必ず下に薄いアンダー手袋をして、よほどの晴れでなければ素手にはならないという習慣も忘れてしまっていた。と言うか、そこまで冷えることを想定していなかった。
この冬はこういう山行きを何度かやってみようかという気になっている。

高岳

昨日の登山講座は北摂の高岳(たかだけ)だった。この近くの山々はいくつか登っているけれど、高岳はまったくの初見参だった。

能勢電鉄の山下駅に集合して、森上のバス停で下車。この路線バスはかつてマラソンをガンガン走っていた頃、毎年 11 月に開催される一庫(ひとくら)ダムマラソンのために5年ほど続けて乗っていた。
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そう言えば剣尾山から妙見山を周回したのは昨年の3月だった。
9時半頃にバス停を出発。今日も朝はけっこう冷え込んでいるけれど、天気が良くて暖かくなりそうな気配だ。
少し車道を歩いて岐尼(きね)神社の境内で朝のご挨拶。
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今日もしばらく車道を行く。歩道が右になったり左になったり、無くなったり、車に気を遣う。
南の方にはちょうど2年前の今日訪れた三草山が見える。麓の棚田もちらっと。
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大原神社でトイレ休憩を取って、ようやくコンクリートの山道に入る。
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出発から2時間近くで林道と交差して、不明瞭な踏み跡を強引に稜線を目指す。
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このあとの稜線の登りは滑りやすい急登で、結構緊張する場面もあった。一人ならあまり気にせずにガンガン行くけれど、随行の時は自分のペースでは行けないし、失態を犯すわけにはいかない。
高岳の頂上(720m)に着いたのはちょうど 12 時過ぎだった。
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ここで昼食。
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山頂を少し越えた鉄塔のあたりからは南や西がよく見える。これは南方。ずっと向こうは六甲。
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下りも落ち葉が滑りやすく、足元の石や枯れ木などが見えにくくて歩きにくかった。
しかし小一時間で猪名川不動尊に到着。
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行場の滝はなかなか立派だった。
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しばらく林道を下って猪名川変電所。こんな大きな変電所は初めて見た。
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杉生(すぎお)のバス停がよくわからず、一つ先の大島小学校前のバス停まで歩いて、本日の行程は終了となった。
今日も梅田に出ることになったので、先日人混みに圧倒されて敗退したグランフロントのノースフェースにもう一度行ってみた。
金曜日の夕方なのでかなりの人混みではあったけれどまだ帰宅ラッシュの時間ではなくて、さすがに土曜の夕方よりはマシで今日は行き先もわかっているので、疲労感無く店に到着できた。
目的のゴアテックスの帽子が見つかったので、1,000 円の割引券を有効利用することができた。
ついでに地下街のチケットショップで年賀状を購入。いつも1枚 50 円で買っていたけれど、チケットショップの戦場なのか、1枚 45 円で売っていた。販売ノルマを課せられた郵便局員が売りに来るのだろうか。
北摂のこのあたりの目立った山はほぼ登り尽くした感じではあるけれど、剣尾山の少し西にあって、剣尾山より若干標高の高い横尾山がまだ残っている。北摂最後の課題だ。

明神山

上高地の明神岳なら知っているけれど・・・。
昨日(12/3)は登山教室で播州の明神山へ行ってきた。今回も登るのはもちろん、山名を聞くのも初めての山。
先月行った七種山の近くで、かつて何度も行った雪彦山も近い。

朝から快晴で気温は低かったけれど、昼間はかなり暖かくなるだろうと思った。
自宅から2時間ほどかけて姫路へ。さらにここからバスで 40 分ほど北へ向かう。
下車予定の停留所は松ノ木北だったが、ここは道幅が狭くてバスが停車していると後ろに車が詰まってしまうということで、運転手さんの依頼で一つ先の終点の前之庄まで行った。
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出発は 10 時ちょっと過ぎ。ここからさらに車道を 3.5km ほど歩く。
しばらく歩くと前方に明神山が望めた。なかなかピラミダルな山容だ。「播州富士」とも言われるらしい。このあたりは標高は大したことがないけれど(数百メートル程度)こういう山容の山が点在している。
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「夢やかた」から登山道に入る。
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明神山へはAコース、Bコース、Cコースの3つがあって、我々はCコース(最も東寄り)を上がって、Aコース(最も西寄り)を下る。
登山道に入るといきなり急登が始まる。後半には岩場が出てくるらしい。
稜線に上がると木の間から七種山方面が見えてくる。真ん中の尖っているのは七種薬師か?
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岩場にさしかかって、開けた場所から山頂(ひょっとしたら手前かも)が見える。暖かいというよりは暑い。
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傾斜は一段ときつくなる一方で、前衛峰とも言える地蔵岳に12時過ぎに到着。まだ七合目。
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ここからほんの少し下って、最後の急登を這い上がって12時40分に明神山の山頂(668m)に到着した。他に数人の登山者がおられた。
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360度の絶景で、東西南北のそれぞれに案内板が設置されている。
これは七種山方面。
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下りのAコースはCコースほど急ではないけれど、それでも岩場が随所に出てくる。
Bコースとの分岐点でひと休み。
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岩場にはロープが設置されている。
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マンモスの背は下りなのでロープに頼る。
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朝来た登山口には3時過ぎくらいに下りてきた。
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その後はまた同じ車道をバス停まで歩いて、行きと同じ経路で帰ってきた。
標高の割には登り応えのある山で、天候にも恵まれてなかなか楽しかった。七種山もそうだったけれど、なかなか侮れない山域だ。
しかし何と言っても交通の便が悪いし、それぞれの山が独立していて長い縦走ルートが設定できない。
再訪となるといささかハードルが高い感じがする。