UTMF から帰って病院で点滴を受けたのが 9 月 25 日のこと。
その後、体調不良が改善してきて、そろそろ普通の生活に戻れるかなと思っていた矢先に、強烈な腰痛に襲われた。
腰痛そのものは3日ほどでほとんど治まったものの、その後、椎間板ヘルニアが発覚して、先月末から薬漬けの日々を送っている。
UTMF の前日は当然、酒は口に入れていないので、何と 9 月 24 日からもう1ヶ月以上、酒抜きの生活を送っている。理由は薬との悪影響が無いようにということで。
1ヶ月以上も酒抜きというのは二十歳を過ぎてから初めてではないかと思う。若い頃は夕食で晩酌するという習慣は無かったけれど、少なくとも週に1回くらいは何らかの場で呑んでいたと思う。
ここ何十年かはビールが無いと夕食がノドを通らないという感じで、登山やトレランなどで車で遠方に出かけた時も、ビールのために、どんなに遅くなっても夕食は家に帰ってから食べるようにしている。ビール抜きの夕食はストレスになるので。
しかし今回の禁酒状態は、何故か呑まないことがほとんどストレスになっていない。
先月末はまだ体調不良だったので、禁酒と言うよりは呑みたいとも思わない状態だったが、この半月ほどはセキなどの症状もすっかり抜けて、ヘルニア以外の体調不良は無い。
1ヶ月以上も酒抜きの生活が続いていると、このままやめてしまえるのではないかと思えてくるし、酒をやめたら体調が良くなったという人の話を聞くこともしばしばあるので、これは酒をやめるちょうどいい機会かなと思ったりもしている。
ヘルニアの薬は、残念ながらあまり効果が感じられないので、いま手元にある分が無くなったらしばらく止めてみようと思っている。もし具合が悪くなったらまた病院へ行って処方してもらえばいいだけのことだ。
ただ、酒をやめるとは言っても買いだめしてあるビールや日本酒がまだ結構たくさんあるので、これらをこのままムダにするわけにはいかない。
おそらく、今の薬が無くなったら在庫の酒類の消費に取りかかることになるだろう。
さて、その後、在庫が無くなった、もしくは無くなりそうになった時に、そこで再度酒無しの生活に戻れるかどうか・・・・。
元々、ほぼ毎日呑んでいるとは言っても、それほど大酒飲みではない(と思っている)ので、その時にやはり元通りの生活の方がいいと思えば、ストレスを感じてまで酒無し生活に戻ろうというつもりはない。
もし酒無し生活になったとしても、仲間内での酒の席や宴会ではこれまで通りに酒を楽しむつもりだ。
薬漬けの日々
先月末に UTMF から帰って病院へ行って薬をもらって、その後、腰痛でまた病院へ行って薬をもらって、それからほぼ1ヶ月、毎日数種類の薬漬けの日々を送っている。
私は子供の頃からほとんどの薬で効果を感じたことが無い。医者でもらった風邪薬や、扁桃腺の腫れを抑える薬、胃腸薬など、薬を飲んだら症状が改善したと感じたことはほとんど無い。
そのために『薬なんか効かない』というイメージが染みついていて、よほどのことが無ければ医者や病院には行かない。どうせ行っても楽にならないし、それならわざわざ病人ばかりの場所に行くことは無いと思っている。
ただしすべてが効かないという訳ではなくて、花粉症の時にもらった抗アレルギー剤などはてきめんに効いたし、風邪で非常に高い熱が出て病院で解熱剤の座薬をもらった時も、良く効いた。ただし切れるとすぐに熱が上がるのだが。
後は扁桃腺が腫れた時に受けた点滴も良く効いた。
そこで今回、序盤は咳と胃腸薬、そして腰痛、のちにヘルニアの薬を処方してもらったが、胃腸の調子は改善されたものの、咳はなかなか治まらなかった。
そして一番問題のヘルニアの薬だが、はっきり言ってまったく効果が感じられない。
何種類かの薬をもらっているが、ヘルニアの症状を緩和させる『リリカ』という薬。かなり量を増やしたが、まったく効果が感じられない。
昨日は病院で腰の近くのトリガーポイントに注射をしてもらったが、これもまったく効果無し。
私は薬がほとんど効かないということを一層強く認識することになってしまった。
でも視点を変えて考えてみると、リリカはあくまでも症状を緩和させる対処療法の薬で、根本的な治癒につながるものではない。言ってみれば風邪で熱が出たときの解熱剤のようなものだ。
私の場合はリリカが効かないのでまだ十分に歩けない状態が続いているが、もし薬が効いて楽になったら、治ったと錯覚して動き回ったりしてしまうかも知れない。
これは本当は危険なことだ。
根本的な治癒ができる前に負荷をかけてしまうと、かえって症状を悪化させてしまいかねない。
もちろん骨折の時のように、骨がある程度つながったら完全に安静にしているよりは弱い刺激は与えた方が良いというケースもあるが、おそらくヘルニアはそうではないだろうと思う。
そう考えると、リリカが効かないというのもあながち悪いことばかりではないと思える。
せっかくたくさんもらったので(もちろんウン千円を払っているのだが)しばらくは飲み続けるつもりだが、効果が感じられなかったら徐々に減らして止めてしまおうかと思っている(リリカは突然止めるのは良くないらしい)。
プロバイダ乗り換え
インターネット環境は長年にわたって eo を使ってきたのだが、この6月に NTT のフレッツ環境に乗り換えた。
春頃に NTT の代理店というところから電話がかかってきて、割引などを使うと eo よりもかなり安くなるらしい。最初は適当に相手していたのだが、詳しく聞くと悪い話ではなさそうだ。
ウチでは電話もテレビも eo にしていたので乗り換えるのはかなり面倒と思っていたのだが、乗り換えの際に発生する解約費用や初期費用はすべてキャッシュバックしてくれるとのこと。
eo に関してはずっとさほどの不満も無く使ってきていたのだが、昨年あたりはネット接続が不安定になることがしばしばあった。これは eo の dns サーバーが不正攻撃を受けて反応が遅くなって、その結果、我々のようなエンドユーザーがネットにスムーズにアクセスできなくなってしまうというもの。
根本原因は eo のトラブルではないのだが、2〜3時間にわたってそういう状態が続いたこともあって、乗り換えということは頭の隅には少しはあった。
そんなこともあったので、思い切って乗り換えの話に乗ることにしたのだ。
作業がスムーズに進むのかどうか若干不安だったが、実際には半日程度ですっと切り替えることができた。
不安だったのはプロバイダの回線品質。実質的にこれまでは eo しか使ったことが無かったので、他がどういう状況なのかはよくわからない。
切り替えてから、普段よく見るホームページや ftp でのアクセスなどを試してみたが、さほど違いはなさそうだ。ブロードバンドスピードテストの結果もほとんど同じようなもの。
これなら大丈夫と思って、速攻で eo を解約した。
その後、キャッシュバックも話どおりに受け取って、やれやれとは思ったのだが、実は困った現象が出てきていた。
私は仕事の関係で、リモートのファイルサーバーをマウントして大容量のファイルのやりとりをするようなことがしばしばあるのだが、こういう作業でのスピードが以前に比べると極端に遅いのだ。
幸い、フレッツに替えたおかげてプロバイダは同時に2つと接続することができるので、別のプロバイダを試してみることにした。
ただ、長期のしばりのあるものや初期費用がかかるようなところは試せない。まずはお試しができるということで interlink というところを申し込んでみた。
申し込んだらすぐにメールで完了の連絡が来て、簡単に接続することができた。
さっそく試してみたが、やはりここも同じような品質だった。普通にホームページを見たりメールをやったりする範囲では問題無いのだが、ファイルサーバーでの操作はダメだった。
ネットで様々な評判を眺めてみたが、やはり月額 1,000 円未満のような格安プロバイダはどこも同じような品質のようだ。ファイルサーバー云々というようなコメントは見あたらないが、夜の混む時間帯になるとスピードが落ちるというようなことをしばしば見かける。それにこういうプロバイダはだいたいが最低2年くらいのしばりがある。
サポートの善し悪しが評価にかなり影響しているようだが、正直言って私はサポートなどは不要だ。もちろんトラブル対応などはしっかりしてもらわないと困るのだが。
もう少しランクが上と思われる ocn や so-net などを試してみたかったのだが、1ヶ月程度でも適価で試せるようなところが見あたらなかった。
そこで見つけたのが老舗の IIJ。
ここはインターネットが一般に普及するきっかけになったような会社で、太いバックボーンを持っている。
月額 2,000 円(税抜き)とやや高めだが、初期費用は不要で、最低1ヶ月から利用できる。
ということで、今度はここを試してみることにした。
ホームページの閲覧やメール程度であれば他と大差は感じないが、ファイルサーバーの操作では格段の差が出た。eo を使っていた頃と同じくらいの品質だった。
さすがに IIJ だと思った。値段だけのことはある。
こうなったらもう IIJ を使い続けるしかないのだが、結果的には乗り換えて安くなった分が IIJ への支払いで吹っ飛ぶことになってしまった。
現在契約している drive というプロバイダ(月額 700 円)は2年のしばりがあるので、トータルでは eo の時よりも高くなってしまった。ここは IIJ がトラブった時の保険と考えるしかない。
これなら乗り換える必要は無かったんじゃないかということになってしまうのだが、フレッツに乗り換えたおかげで同時に2セションが使えるようになったし、実はもう一つ大きなメリットがある。
私は基本的には原発再稼働反対派である。ただし地元の人たちの生活という側面はあるので、デモに参加してまで再稼働反対を訴えようとは思わない。地元が再稼働に賛成するのであれば致し方ないのではないかという考えだ。
そういう意味で、原発再稼働に熱心な関西電力の系列会社に金を払うということに対して大きな抵抗感があったのだが、これを解消できたというのは精神的なメリットは大きい。
実は eo 乗り換えということを考えたのはこういう側面も少なからずあった。
そんなわけで、IIJ に出会ったおかげで以前と同じくらいの快適さは取り戻すことができたので、費用の面で想定外のことがあったにしても、まぁ結果オーライではないかと思っている。
病院デイ
昨日は病院デイだった。
本当は登山教室の仕事が入っていたのだが、とても山を歩ける状態ではなく、致し方なく休ませていただくことにした。昨日の講座は私はオマケの立場だったので、抜けても何とかなるとのことで助かった。
まずは整形外科で予約しておいた MRI 検査。
検査結果の脊柱の像を見ると、医師に言われるまでもなく椎間板ヘルニアが認められた。おそらく L3 と L4 の間。
ただし手術が必要なほどのレベルではないとのことで、当面は薬で症状を抑えて様子を見るということになった。
腰痛の原因がはっきりとわかって、そういう意味では安心した。
身近でも、ヘルニアの腰痛で苦しんだけれど症状が治まった後はそれまでとまったく同じように活動されている人が何人かおられるので、それほど心配する必要は無いと思っている。
それにしてもこの状態で月曜日の登山教室をよく最後まで歩けたことだと我ながら感心した。この講座は随行が私しかいないので、もし随行者が途中で歩けなくなるなんてことになったら大変な迷惑をかけるところだった。
それと、腰痛が出たタイミングから考えると、もし風邪がなくて UTMF に出場していたら、トレイルの途中で腰痛が発生したかも知れないと思って、ちょっとぞっとした。
山の中であんな状態になったら、ヘリで救出してもらうくらいしか手が無い。
トレイルランの事故でも支払われる山岳保険に入っているので、費用の面ではおそらく問題無いと思うが、大会の関係者に多大な迷惑をかけることになってしまう。そう考えると風邪で棄権したのはラッキーだったのかも知れない。
整形の診察が終わったら、長引く咳が気になるので、内科の診察を受けた。
レントゲン検査をしてもらったが、軽い気管支炎かなという感じとのことで、肺炎や結核などの兆候はまったく無いということでこちらも一安心となった。
それにしてもこれだけ続けて病院へ行くというのは前代未聞の出来事だった。できることならこれでお終いとなってほしいと願っている。
八幡山
昨日は登山教室の随行で近江八幡の八幡山へ行ってきた。
この講座は前任者が辞められたために今月から私が担当することになったもの。体調はかなり悪くて、最悪のためにピンチヒッターを用意しておいていただいたが、何とかそれだけは避けることができた。
腰痛はかなり良くなっていて、日常生活にはもうほとんど差し支えが無い。先週末の時点では、今日の随行はほとんど問題無いだろうと思っていた。
ところがこの何日か、時折左足がひどくだるくなることがあった。痛みではなく、痺れでもない。しかしいつの間にか消えているので、さほど心配はしていなかった。
今朝も起きた後にその症状が出た。でもそのうちに治まるだろうと考えていた。
しかし駅に向かって歩く途中、次第に症状が強くなってきた。だるさが強くなって、ゆっくりしか歩けない。
平日の通勤時間帯なので電車は座れず、京都駅から乗った東海道線でようやく腰を下ろすことができた。
座っている間は何ともなかったが、近江八幡駅で降りるとまた再発してきた。
まずはバスで日牟禮八幡宮へ。
みなさんがお参りをされる間は腰を下ろしておく。座っていると楽だ。
八幡山にはロープウェイがかかっているが、当然登山道を上る。できるだけ左足に負担をかけないようにして、段差は右足で上がるようにする。ただ、左足の不調は、力を入れると症状がひどくなるというものではない。単に左足の動作がしっかりしないためだ。
30分ほど耐えて展望台に到着。しばらく休憩ということでこれ幸いとベンチに腰掛ける。
ここからは東の鈴鹿方面が望める。
さらに瑞龍寺へ。
ここからはびわ湖越しに西の比叡山、そして比良山系が望める。
ここでもしばらくベンチに腰掛けられて助かった。
ここからは城跡めぐり。随所に石垣が残っているが、そういうものを眺めている余裕が無い。
三角点(271m)を経由して、北に延びる稜線を辿る。下界にほど近いほんの里山という程度の山なのだが、以外と山らしい雰囲気が味わえる。こちらの方は歩く人も少ないようだ。至る所に蜘蛛の巣が張っている。
ちょうど 12 時に 254m のジャンクションピークに到着して、ここで昼食。やれやれ。ここからは瑞龍寺が望める。
昼食で休んでいるうちに回復してくれないかと期待したが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。
昼食後はさらに北の 278m のピークまで足を延ばす。わずかだが急登があって、疲れた人がいてゆっくりなので助かった。
下山は少し戻ってヴォーリズ記念病院へ下りる。15 分程度で林道に出た。
車道に出たら足のだるさはかなりましになった。
八幡堀を歩いて、朝のスタート地点に戻った。
まだ午後2時だったが、今回はこの講座の初回なので、後は自由行動で解散ということになった。何とか最後まで歩けてほっとした。
これ幸いと早々に帰路に向かって、牧野駅前のスーパーで少し買い物をして帰ったが、スーパーから家までの 1km 少々が果てしなく遠かった。
金曜日も随行の予定があって、今度はもっとまともなコースだ。今回の随行で調子を上げようと思っていたが、それどころではないという風向きになってきた。
それにしても先月半ばからの不調の連鎖は一体いつになれば治まるだろうか。これだけ体調不良が続いたことは過去には記憶がない。
救急車デビュー
先週の金曜日、河口湖から帰ってきて病院へ行って点滴を受けて、週末をおとなしく過ごしたせいで、日曜日には体調もかなり回復していた。これなら月曜日からはほとんど通常の生活に戻れるだろうと感じていた。
なぜか夕方あたりから腰痛が出てきたのだが、こういうことはまれにあって、数日で自然と治まるので、それほど深くは考えなかった。
ところがその腰痛が、時間と共に次第に強くなってきた。夕食後に風呂に入る時は湯船に入るのに手すりにつかまらないとうまく動けないくらいになって、これはちょっとまずいと思って早々にフトンに入った。
しかし横になっても痛みは強くなる一方。
原因らしきものは思い当たらないのだが、強いて言えば木曜日と金曜日に新幹線とバスに長時間乗ったことくらい。
ひょっとしたら大腰筋の拘縮による腰痛かもと思って、大腰筋のストレッチをやってみたら、多少は効果があったように感じた。しかしこの時にはすでにそういう動きをするのもかなりの苦痛だった。
月曜日の朝はさらに悪化していて、フトンから起き上がるのも何かにつかまらないとダメで、階段の手すりにつかまって何とか下に下りた。
家人が心配して病院へ行こうと言ったが、病院はつい先日に行ったばかりというような訳のわからない理由で行く気にならず、様子を見ることにした。
低周波治療器を当てて改善を祈ったが、症状はさらにひどくなる一方。ほんのわずかな動きでも腰に強い痛みが走って、上体を起こすことすらままならない。
もうダメと諦めて、少し離れた場所にあった携帯を死にものぐるいで取って、家人に帰ってきてくれるように連絡した。
さて問題は、どうやって病院へ行くかだ。
タクシーを呼んでも部屋からタクシーまでの移動は自分では到底不可能で、誰かの肩を借りて動けるというような生やさしい状況ではない。
病院に問い合わせてみたが、救急車しかないだろうとのこと。
たかが腰痛ごときで救急車なんて!!、と思ったが、もはやそれしか選択肢が無い。
119 番してみたら来てくれるとのことなので、おとなしく救急車のお世話になることにした。
電話したらほんの数分でサイレンを鳴らして来てくれた。
その時は二階の部屋にいたので、どうやって下ろすのだろうと少し不安だった。持ち上げられるとかなりの激痛が走りそうだ。
救急隊員は3人だった。
まず一人の人が症状を簡単にチェックして、腰が動かせないということを確認した模様。
そこで運搬する前に腰を固定するために、空気圧で固めるようなものを巻いてくれた。
当然、それを巻くためには一旦腰を上げなければならないので、この時は痛いだろうと覚悟していたが、ほとんど痛みもなくすっと持ち上げてくれた。さすがと感心した。
腰を固めたら身体をやわらかいシートのようなものに乗せて、狭い急な階段を3人でスムーズに運んでくれた。
救急車は、付き添いで乗ったことはあるが、自分が客(?)になるのは初めてだ。
つい先日来たばかりの病院に、今度は救急車で搬入されることになってしまった。
病院に着いたら病院のベッドに乗せ換えてもらうのだが、救急隊員の作業のスムーズさには本当に感心した。
こんなサービスをタダで受けて申し訳ないという気持ちだった。
診断結果は今回も特に骨などに問題は無いということで、よくある原因不明の腰痛でしょうとのこと。
痛みのひどい周辺に痛み止めの注射をうってもらって、さらに座薬の鎮痛剤を入れてもらい、帰りは何とかタクシーで自力で帰ってくることができた。
痛み止めを打って朝よりはマシになっているとは言え、まだまだ十分に痛い。
一番困ったのは、風邪の症状がまだ残っていて、セキが出ること。これが激痛なのだ。
ノドの奥に痰がからんでいるので、できることなら深いセキをして痰を切りたいのだが、そんなことできるはずもなく、いつまでもノドの奥がゴロゴロしたままセキを繰り返すことになる。
そんな苦痛が2日ほど続いたが、水曜日にはかなり改善してきた。
まだ姿勢によっては腰の痛みは出るけれど、自転車でちょっと外出して買い物をするくらいはできるようになった。
何よりも心配だったのは、来週の月曜日に登山教室の随行があること。
この講座は今月から新たに担当することになったものなので、いくら何でも初回にピンチヒッターを頼むということだけは避けたかった。
幸い、超初心者向け講座なので、ほとんどハイキングのようなものだ。
それにしても先月末からの一連の出来事は一体何だったんだろうという感じ。UTMF が終わったということも何か夢の中の出来事だったような感覚だ。
ここまで体調の悪いことが続くと、残念とか悔しいとかいう気持ちすら感じなくなってしまう。
UTMF
UTMF は予想だにしない結末となった。
いくつかの結果は想定していた。
・序盤の関門につかまる。
・後半の関門につかまる。
・関門はクリアしているが、疲れて棄権。
・故障などで棄権。
・完走。
しかし実際の結果はこのいずれでもなく、体調不良のためにスタートラインに立つことすらできないというものだった。
10日以上前から体調が悪かった。最初はノドの調子が悪くてセキが出るくらいだったので、数日もすれば治まるだろうと軽く考えていた。時期的に、こういうタイミングで一度体調が落ちるのは悪くないとすら思っていた。
ところがそういう希望的観測が一変したのは前の日曜日。なぜか突然、お腹の具合が悪くなったのだ。しかしこの時も、こういうことはたまにあることなので1日もすれば元に戻るので、大したことはないと思っていた。
ところがその症状はまったく治まる気配が無く、おまけに食欲がまったく無くなってしまった。
レース直前でしっかりと食べておかなければならない時期に、逆にほとんど食べられずに体重がどんどん下がるという事態に陥ってしまったのだ。
さすがにここまでくると不安になったが、それでも棄権することは考えなかった。
連休だったので十分に休養を取ることはできたが、病院へ行くことはできなかった。たっぷり寝ても回復の兆しは無かった。
出かける前日の夜は体重が 48.5kg まで落ちていた。
しかし何とかギリギリで復調してくれることを信じて、木曜日には河口湖に向かった。
昼過ぎの新幹線で新富士駅まで行く。
ここからバスで河口湖へ行くのだが、バスの乗客は私を含めて二人だけ。途中で乗り降りした人もほんの数人程度で、おそらく休日しか採算の取れない路線なのだろうと思った。
天気は小雨で、富士山は山麓の一部しか見えない。
天気が悪くなるのは予想通りだった。
UTMF はこれまでの3回はいずれも好天に恵まれてきたので、そろそろ悪天になるだろうと思っていたのと、私がこういうビッグ大会に参加すると、たいてい雨になるというジンクスがあるので、最初から好天は期待していなかった。
2時間ほどバスに揺られて午後7時前に河口湖駅に到着した。
今日の宿は駅前のビジネスホテルだが、部屋はベッド7つのドミトリー。ホテルを探した時に、ここしか空いていなかった。
どうも外国人バックパッカー御用達という感じのホテルのようで、聞こえてくるのは中国語ばかりだ。ただし中国人なのか、香港やシンガポールから来ているのかはわからない。いずれにしてもみんな UTMF の参加者だ。
相変わらず食欲は無いが、近くのコンビニで肉まんを買ってきて部屋で食べた。1個で十分という感じだったが、無理矢理3個詰め込んだ。しかしこれが良くなかった。
体調も悪いので早々にベッドで横になったが、腹がもたれて不快なことこの上ない。
いつまでたっても胃のものが消化されずに溜まっているという感じで、次第に何度もトイレへ行くはめに陥ってしまった。
多少の体調不良なら、トレイルのような強度の低い運動であれば動いているうちに体調が回復してくるということはままあるので、とにかくスタートだけはと思っていたが、いよいよそれも危ういと考えざるを得なくなってきた。
この状態でスタートしたら山道でぶったおれかねないと思った。
ロードレースではないので、参加者の責任としてそれだけは避けなければならない。
何度かトイレへ行くうちに、今回は棄権しか無いと判断した。
翌日は朝食は食べずに会場に向かった。雨は本降り状態だった。
駅から会場まで無料のシャトルバスが運行されているので、それを利用して会場に行った。
まだまだ早い時間帯だったので、人は少なかった。
ビデオ映像で何度も見たゲートやステージが準備されていたが、実物は思ったよりも随分小さかった。
帰りのバスの時間のことを考えて、参加賞をもらったら早々に会場を後にした。
天気も天気なので、後ろ髪を引かれるような気持ちはほとんど無かった。
一日に数本しかないバスにちょうど合う時間だったので、行きと同じルートで午後3時頃には家に帰り着いた。
帰ってからさっそく病院へ行った。こういう内科的な要因で病院へ行くのは本当に久しぶりで、10 年に一度あるかどうかというくらいのことだ。
ノロウィルスの検査や血液検査など、いろいろと調べてもらったが、特に治療が必要なようなものは無く、おそらく単なる風邪だろうとのこと。安心したやらがっかりしたやら、複雑な心境だった。
まだ最初の関門時刻にも至らない時間帯に、まさか病院で点滴を受けているなんて夢にも思わなかった。
携帯には関門時刻延長の知らせが何度か入った。スタート時には小雨程度になっていたようだが、やはり全般的に雨模様で、直前で2カ所のコース変更があったとか。
山のパートを避けて麓の道を迂回するような変更がなされたらしい。
アップダウンが減って全体の難易度は下がることになるが、悪コンディションを考えると今回はこれまでになく厳しい大会になったようだ(実は現時点ではまだ行われているのだが)。
正直、この結果をどう受け止めていいのかまだ自分でも気持ちが定まっていない。
どんな結果になっても大きな大会参加はこれで一区切りにして、トレイルは自分でコース設定をして楽しむ方向にしようと思っていた。
トレイルをそういう方向で行くということは変わることはないのだが、UTMF に関してはあまりにも消化不良だ。
来年からエントリーのポイントが上がるのだが、私はここ2年続けておんたけウルトラトレイルを走っているので、これですでにポイントはクリアしている。つまりこの先大会に参加しなくても来年もエントリーの資格はあるのだ。
UTMF の借りは UTMF でしか返せない。
おそらく他の大会に参加することは当面無いと思うが、来年の UTMF にはエントリーすることになるだろう。
残された道はそれしかないと思っている。
龍王山
昨日の登山教室は奈良の龍王山だった。
コースもやや短めで、標高も 585m と低め。天気も良く、気楽な山歩きが楽しめた一日だった。
JR 柳本駅に集合して、まずは車道をトレイルセンターへ。
トレイルセンターは立派な作りのまだ新しい建物で、観光情報のパンフレットなどが無料でいただける。お茶や水もタダ!!。
しばらくゆっくりして、長岳寺を経由して登山道に入る。道の両側にはカキの木がたくさんあって、まだ青いものから熟したものまで、たくさんの実をつけている。
渋柿じゃないかと思って、熟した実を取って少しかじってみたが、少し甘みのあるカキだった。しかし家にある富有柿ほどの甘みは無かった。
所々急な部分もあるが、おおむね不安無く歩ける道で、樹林帯なので日射しも遮られていて快調に進む。
もう少しかなと思っていたら、突然車道に飛び出した。山頂直下まで車で行けるようだ。
また登山道を少し登ってちょうど 12 時に山頂(585m)に到着した。
西側のダイトレや生駒の眺めがすばらしい。もちろん奈良盆地も一望できる。
木の枝の隙間からは愛宕山も望むことができた。
昼食後は龍王城跡の山城めぐり。
まずは柳本龍王社
また車道に戻って。
しばらく下って山辺の道に合流して、崇神天皇陵へ。
ほとんどの方はここで帰ってしまわれたが、残った数人で黒塚古墳も散策。
古墳の上から龍王山を眺める。
ここからも愛宕山を望むことができた。
日射しが照りつけるとまだまだ暑さは厳しかったが、風は爽やかで、快適な秋の一日を過ごすことができた。
今日も競技場練習会
今日の練習会も競技場だった。
練習メニューは 12000m のビルドアップ。今日は先週と違って疲れは無いので、久しぶりに本気モードで練習しようと思った。
キロ5分くらいでスタートして、できれば4分半くらいまで上げられればと思ったが、先週の感触からするとちょっと厳しいかも知れないと感じていた。
スタートしたタイミングのせいで、たまたま少し速めのグループのすぐ後ろになってしまった。私と走力の合いそうなグループは少し後ろで、中途半端な位置になってしまってどうしようと迷ったが、やはり今日は強気にと思って前のグループに合流することにした。
最初の 1000m は 4’41″。体感よりは速いが、このペースを維持できるだろうかと不安になる。それにみんなはビルドアップしていくかも知れない。
しかしその後ペースは上がらず、おおむね 1000m を 4’45” 前後のペースで周回を重ねた。
先週のキロ5分ペースに較べると疲れが無い分まだ若干の余裕がある感じだが、それでも心拍数は 160 くらいに上がってきた。
5000m から先頭が変わって、少しペースが上がった。ビルドアップモードに突入か。
6000m までの 1000m は 4’33″。こんなペースで走るのは記録会の 3000m や 1000m を除いては久しぶりだ。
その後は 4’30” を少し切るくらいのペースになって、心拍数は 170 まで上がってきた。まるでインターバルだ。
このペースで 12000m はまずムリと感じたのでどうしようかと迷ったが、せっかくの練習会なのでペースを落として距離を伸ばすよりは何とか 10000m までこのペースを維持しようと考えた。
最後の 1000m は 4’27” で、46 分少々で 10000m を終了した。
以前に比べると心拍数と体感的なキツさが少しずれてきている感じがする。以前なら心拍数 170 ならもう限界という感じだったが、今日はそこまで追い込んだ感じではない。
通常は年齢が上がると徐々に最大心拍数が下がってくるので、それとは反対の感覚だ。
しかしスピードに関してははやり明らかに落ちてきた。以前なら心拍数 170 と言えばキロ4分かそれ以上くらいのペースで、キロ4分半ならせいぜい 160 くらいだったと思う。
UTMF は私くらいのレベルの者にとっては前半の関門時刻が厳しいので、168km を考えて走ると序盤の関門で引っかかってしまうだろう。
とにかく序盤は思い切ったペースで突っ込むしかないので、もはやロングの練習よりもスピードに慣れる練習で脚筋に強い刺激を与えておくようにしたい。
競技場練習会
昨日は久しぶりに練習会に参加した。
土曜日の京都一周トレイルは不完全燃焼とは言うものの 40km ほどは走って(歩いて?)いるので、それなりの疲労感はあった。
しかし大きな負荷がかけられる最後の週末なので視点を変えて、疲労が残っている状態で練習会に参加することでしっかりと走るという取り組みをやることにした。
朝はやはり身体がだるく、一瞬やめようかと思った。予報通り天気も良くない。
しかし何とか自分に鞭を打って、競技場に向かった。脚が重い。
練習が始まるあたりから雨が降り出してきたが、気になるほどではなかった。
予定のメニューは 12000m のビルドアップだが、私は特にはっきりとしたメニューは設定せず、自分にとってそれほど楽ではないというくらいの体感で 10000m くらいいければと思った。
キロ5分のグループの後について行ったが、徐々に離されてきた。できればそのグループに入りたいのだが、昨日の体調ではムリと感じた。
時々ペースをチェックするが、おおむねキロ5分くらい。終盤はキロ5分10秒くらいになって、約51分で 10000m を終了した。
UTMF まではすべての練習会に参加して、スピード練習(というほどのレベルではないけれど)に取り組もうと思った。