2週続けて台風の週末となった。10 月末にこんなことになるとは、誰しも想定外のことだったと思う。
先週はさしものキャノンボールも日曜日は摩耶山ゴールとなったようで、今週は朽木のフェアリートレイル、そして横浜マラソンが開催中止に追い込まれた。
関西では3週連続の週末雨で、せっかくの秋の観光シーズンに観光地への打撃は少なくないように思う。
どうも今年は週末に天気が崩れることが多いように感じる。
5月に小辺路へ行ってからまたテント泊のチャンスをずっと窺っているのだけれど、私自身の都合もあって、週末の好天に恵まれたのはほぼ1ヶ月前の黒部五郎しかない。
明日(10/30)は随行の予定だったのだけれど、この講座は初心者向きのために行き先の降水確率が高いと延期になってしまう。運悪く来月に延期になってしまって、来月は心おきなく楽しめる週末が皆無になってしまった。月曜日に随行を控えていると日曜日はあまりムリはできない。
週末にどこへも行かないとストレスがたまるので、昨日は昼前から傘をさして伏見稲荷から東山トレイルコースを歩いて円山公園に下山した。雨でも伏見稲荷は外国人観光客で混雑していて、千本鳥居は通勤電車並みだったので横道に逃げて、山頂エリアは避けて早々にトレイルコースに入った。
今日は小雨の中、競技場での練習会に向かった。
予定のメニューは 5000m X 2 というものだったけれど、心拍数を上げて 5000m を走りきる自信が無かったので、一人で 1000m + 1000m の変化走を5本やった。
次第に雨脚が強くなってきて、薄いレインジャケットを着て走った。
このランナーはもちろん私ではなくて快足の若者。
今日はアドレナリンも上がらず、速い時でもキロ4分台終盤という走りで終わった。
12 月に、かつての勤務先の同僚との恒例の駅伝が決まったので、それに向けてちょっとスピード練習をやろうと思っている。やはりレースという目標が無いとモチベーションも上がらない。
月: 2017年10月
競技場練習会ビルドアップ
今日は久しぶりに練習会でトラックを走った。
この週末は今月唯一のフリーだったのだけれど、またもやの悪天。まさかこの天気で山でテント泊というわけにはいかない。
朝、出かける時はまだ雨は降っていなかったけれど、おそらくそのうちに降り出すだろうと思って、帽子とレインジャケットを用意して出た。
アップしているうちに小雨が降り出してきたので帽子をかぶって本練習のスタート。
予定のメニューは 12000m から 16000m のペース走もしくはビルドアップで、私は 12000m 行くつもり。
5000m くらいまではキロ5分半くらいのペース。それでも今となってはさほど余裕がある感じではない。
しかし徐々にリズムが出てきて、5000m からは徐々にペースアップして、9000m あたりからはキロ5分を切るペースになった。
雨が徐々に強くなってきて(と言ってもそれほど強い雨ではなかったけれど)、それに伴ってアドレナリンが出てきた。
おまけに他に走っていたグループがだんだん減ってきて、トラックが空いてきた。
10000m からはさらにギアチェンジして、最後の 1000m は4分 35 秒で終えた。
キロ4分台で走ったのはかなり久しぶり。こういう練習を毎週やればまだ 10km を 50 分を切って走れるかもと思うけれど、練習会と個人的な山行き、そして随行の仕事をうまくこなすのはなかなか難しい。
このところ山での行動力の低下をはっきりと感じるようになっているのだけれど、それが練習会や一人で走る時の量と質が落ちていることに起因していることははっきりしている。
その原因はレースに参加しなくなったから。本当に気持ちの強い人は自分の意志で限界まで追い込めるのだろうけれど、私にはそれはできない。
体力の維持のためにもたまには大会に参加した方がいいのだけれど、出たいという気持ちが湧いてくる大会が近くではなかなか見あたらないし、今さら遠方に出かける気にもならない。今年は台風の当たり年なのか、いくつかの大会が台風のせいで中止になったりしている。
昨年の UTMF が中途半端な終わり方になってしまったのもかなり影響していると思う。
実は今晩からキャノンボールなのだけれど、幸い今回はエントリーしなかった。悪天率の極めて高いキャノンボール大会だけれど、それにしても史上最悪ではないかと思う。それでも決行するようだ。
軽い気持ちでエントリーするには最近はあまりにも大会参加費が高くなってしまった(キャノンボールを除いて)。
剣尾山
剣尾山は北摂の山で、個人的には2年半ほど前に行ったことがある。
剣尾山はこのあたりでは有名な山なのだけれど、稜線を北西に少し行った所に横尾山という、剣尾山よりわずかに高い山がある。以前に剣尾山に行った時はこの山のことは気が付かず、予定のルートからも反対方向の場所だったので登らなかった。
今回はここにも立ち寄る予定だったので楽しみにしていたのだけれど、生憎の雨の一日となった。
天気予報では終日雨。しかし集合地の能勢電鉄山下駅からバスに乗って登山口の行者口で下りた時は、ほとんど止んでいた。
しばらくは車道の登りで、ユースホステルの前を通って、登山道に入る手前でトイレ休憩。小雨が降ってきたので傘を出した。
大日岩には大日如来坐像が彫られている。
行場の大岩。
西の覗き岩からは南の方が望める。
行者山(469m)は展望も何もないので通過。
やはり剣尾山は人気の山なのか、雨模様なのに早くも下山してくる人たちと何度かすれ違った。
山頂手前の月峯寺跡の広いスペースでちょっと早めの昼食にした。
山頂(784m)は予想通り風が吹いていた。展望はほとんど無し。
なだらかな稜線を横尾山に向かう。
剣尾山から 50 分ほどで横尾山(784.8m)に到着した。
ここからの下りはわりと急な場所があったりして雨で滑りやすかったけれど、3時過ぎに能勢の里に下り立った。
ここはかつてはフィールドアスレチックなどの施設があったようだけれど、今は閉園になっている模様。インターネットではまだ営業しているような情報が残っているけれど・・・。
少し歩いて能勢温泉のバス停にゴールした。
この程度の雨ですんで良かったというのが正直な印象でした。
嵐山界隈のち烏ガ岳
水曜日(10/11)は京都一周トレイル講座の随行で嵐山界隈を歩いた。
この講座は「ゆっくり歩く」というタイトルで、深草から東山、西山コースを 16 回に分けて歩く。私がこの講座を担当するようになって最初がこのコースだったので、前回でちょうど一周して、今回から2周目になる。
今回は嵐山の観光エリアで、山道はまったく無い。横道にそれて寄り道しながらの観光客気分だ。
もちろんこれだけで帰るのはもったいないので、前回同様、解散後に嵐山から烏ヶ岳の稜線を歩いてきた。
スタートは JR の嵯峨嵐山駅。トロッコ列車は運休日だった。
しかしこの界隈、好天のせいもあるのだろうけれど、平日でも観光客、特に外国人観光客で朝から混雑している。
竹林を歩いて、野宮神社。
お次は釈迦堂。
大文字の鳥居。
このあと、ようやく一周トレイルコースに合流して、前回の最終ポイントの鳥居本まで戻る。
それにしても今日は暑い。1ヶ月前の前回より暑いくらいだ。
ここからようやく今日のルートが始まる。
コース順に歩いて、二尊院。
そして常寂光寺。
小倉池。
昼食は前回と同じく、嵐山公園で。展望台からの保津川の眺め。
昼食後は公園内を桂川に向かって下る。
角倉了以像。
渡月橋。このあたりは人だらけ。
橋を渡って法輪寺へ。
渡月橋というのは元々は法輪寺にお参りするために造られたものらしい。
お寺の展望台から渡月橋を見下ろす。
2時過ぎに阪急嵐山駅で解散して、私は一周トレイルコースで松尾山の登りに入る。
一周トレイルコースから分かれて西の方に向かうと、静かで気持ちいい道になる。
嵐山山頂手前でこのコース唯一展望の得られる場所。比叡山は霞んで写真では見えない。
まずは嵐山(382m)。
3時過ぎに烏ヶ岳(398m)。
烏ヶ岳を下りたあたりで単独行の男性に出会った。このコースで人に出会うのは初めて。
さらに進んで林道への道の分岐で林道へ向けて下って行く男性を見かけた。
このあたりから道が荒れてきた。ここまで歩く人は少ないようで、急に蜘蛛の巣だらけになって。たまらず枯れ枝で蜘蛛の巣はらいをしながら歩いた。
しばらく登りが続く。山上ヶ峰は今日はパス。
このコースの核心部は保津川への急な下り。何カ所かロープが張られている。しばらく好天が続いているせいか、地面がかわいて滑りやすくて、何度かロープや木に助けられた。
トロッコ列車の線路をくぐって、川縁までの下りもコケで滑りやすくていやらしい。古いロープに頼る。
ここまで来たらあとは単調な車道歩き。
保津峡駅には4時 15 分に到着した。
ここのおかげで今日も満足して終えることができた。
音羽三山から高取山
先月、藤原京跡から宮滝へ行った時、高取山や竜在峠への道標に何度か出会って、次はぜひこれらをつなげてみたいと思った。
地図を見ると、ちょうど音羽三山から高取山へ、竜在峠を通って稜線通しのルートが引けた。距離的にも1日でちょうどいい感じ。次の計画はあっさりと決まった。
さらにちょっと欲張って、音羽山の山頂に立っている宇陀方面への道が気になっていたので、この道で登ってこようと思った。
それなら舒明天皇陵、天王山古墳と、見所は盛りだくさん。
おっ、舒明天皇陵に行くなら朝倉富士と呼ばれる外鎌山(とかまやま)から南に下山すればいいではないか。
高取山の猿石から栢森に下りれば、明日香村でまだ訪れていない所にもいくつか寄れる。
祝日の9日はかなり暑くなりそうな天気予報だったので、完全夏装備でワクワク気分で出かけた。
近鉄の大和朝倉駅を8時 40 分に出発した。
駅前にさっそく案内の掲示板と道標。
道標に導かれて、よく整備された道で、駅から 20 分ほどで外鎌山の山頂(292.4m)に到着した。
西の方が開けていて、ちょうど真ん中あたりに耳成山。その後ろに二上山。左の畝傍山の後ろに大和葛城山。
さて、ここからの道ははっきりしない。かすかな踏み跡を辿ったら「朝倉」という道標に出会った。ちょっと方向が違うけれど、しばらくこの踏み跡を辿った。
しかしうれしくない方向にどんどん下りて行くので、通行止めの標識のあった方に向かうことにした。
案の定、ヤブに突入。gps で方向を見定めて強引に下ったところ、うまい具合に舒明天皇陵のすぐそばに下りてきた。
舒明天皇は皇極(斉明)天皇の夫で、天智天皇、天武天皇の父という重要人物なのだけれど、この時代の天皇の中ではかなり存在感が薄い。この時代の政治の実権は蘇我蝦夷が握っていたからというのが一般的な見方のようである。
ここからはしばらく車道を行く。分岐がわかりにくくて何度か行ったり来たりした。
音羽山へ向かう道への分岐を見送って少し行った所に天王山古墳がある。
崇峻天皇陵はここから南西に 1km ほどの場所に宮内庁治定の陵墓があるのだけれど、こちらが本当の墓ではないかという説が有力だとか。
さて、少し戻って音羽山へ向かう。
しばらく車道の登りで、どうも分岐を間違えたようだ。しかし地図を見るとこのまま行っても上で合流できそうなので、そのまま上がった。
地図によると車道が終わってから細い道がちょっとということなのだけれど、確かに道と覚しき踏み跡はあったものの、もう何年もほとんど人が通っていない感じ。
今さら戻るわけにもいかないので進んだ所、沢筋になって、足を滑らせて手をついたひょうしに地図を濡らしてしまった。地図はビニール袋に入れていたのだけれど、水たまりに浸かったので水が入ってしまった。
パソコンのプリンターで印刷したものなので、印刷がにじんであまり役に立たなくなってしまった。gps に地図が入っているので、致命的ではないのだけれど。
何とか本来の道に合流できたものの、踏み跡は非常に不明瞭で、gps のルートがなければとても進めないような道だ。
しばらくしたら白いテープ印が出てきた。
白テープを探しながら進んだけれど、いよいよ踏み跡すらわからなくなってしまった。
すぐ横の尾根筋が歩きやすそうだったのでそこに這い上がったところ、古い踏み跡が現れた。
gps のルートと少し離れた位置を並行して進んでいる感じで、そのまま道なりに進んだら音羽山から善法寺に下りる道の途中に出てきた。
ここを登り返して数分で音羽山の山頂(851.4m)に到着した。すでに 11 時過ぎ。ずいぶん時間がかかってしまった。
本当はこの奥から山頂に出たかったのだけれど、ジェルを補給して早々に南へ向かう。ここから竜在峠までは反対方向で以前に歩いた道。
10 分少々で経ヶ塚山(889m)。ここは随行で来るといつも昼食をとる場所。
熊ヶ岳の笹藪はきれいに整備されていた。
11 時 48 分に熊ヶ岳(904m)を通過。
12 時 3 分に大峠に到着した。音羽山からは思ったより早かった。
ここで今日初めて腰をおろして、おにぎり休憩にした。
10 分足らずで早々に腰を上げる。先を急いでいたせいか、竜門岳への分岐は気付かずに通過してしまった。
細峠にはちょうど午後1時に到着した。芭蕉の句碑がある。
ここからしばらく古い林道のような広い道を行って、右の山道に入る。しかし前回反対方向で通った時、この林道がどこから来ているのか気になったので、今日はこれを辿ってみることにした。方向的に竜在峠の近くに出られそうに思った。
しかしこれは大失敗だった。行けば行くほど竜在峠から離れる方向に向かった。この横は急斜面なので、強引にショートカットするわけにもいかない。あきらめて分岐まで戻って、竜在辻に出た。
ここからはしっかりした道で峠まではほんのわずかなのだけれど、なぜかもうちょっと山道らしい山道を行ったような気がして、変な踏み跡に入り込んでしまった。
おかげでまたヤブこぎを強いられて、細峠から竜在峠まで 40 分もかかってしまった。
時間的に猿石から栢森に出るのはムリかなと思った。行ったとしても行きたい場所をじっくり見る時間は無さそうだ。時間もさることながら、そんな体力は残っていないだろうと思う。
そんなことを考えながら、走れるところは走った。このあたりはトレランのためにあるようなフラットで障害物の少ない道で、少しでもタイムを稼ごうと思った。
入谷への道を見送って、芋ヶ峠に向かう。
このあとはしばらくとんでもない急斜面の下りだった。もし雨だったらとても歩けないだろう思った。写真ではそんな急斜面には見えないのだけれど。
竜在峠から 30 分少々で芋ヶ峠に出た。
さて、ここから本日最後の課題の高取山へ向かう。はたして道の状況がどうなのか少し不安だったので、しばらく進んで様子がわかってから腰をおろしてクリ饅頭休憩にした。
思ったより整備されている感じで、すぐ左側に林道が見え隠れしている。
ところが林道がすぐそばまで迫っている箇所を越えたあたりで、急に道が不明瞭になってきた。古い看板があるのだけれど、踏み跡らしきものが見あたらない。
あたりを見渡してみると所々に赤テープがあるのが見えた。
わりと短い間隔でテープがあったので、それを辿ることができたのだけれど、この先これではたまらんと思っていたところ、またもや林道に飛び出した。
要するにこの間は林道が本道なのだった。
この少し先で山道になってからはまた道標もしっかりしていた。
高取山はまだ少し先と思っていた頃、早くも石垣の残骸が出てきた。
高取城は本当に大きな城だったのだなと思った。
しばらく進むと吉野口門跡。
井戸の跡もいくつかある。
芋ヶ峠からほぼ1時間で高取山山頂(583.6m)に到着した。
右が大和葛城山。左が金剛山。もっと見晴らしが良かったような記憶があるのだけれど、それは国見櫓からの眺めだったかも。
こちらは大峰方面。
写真を撮ったら早々に下山。
猿石は明日香村から掘り出されたものがここに置かれたらしい。
車道になってからは走ったけれど、さすがに土佐町に入ると歩きにした。
午後4時 10 分、ゴールの壷阪山駅に到着した。
ぱっと時刻表を見たら次の電車は 30 分後くらいだったので、近くにあったタクシー会社の駐車場の陰でこっそり着替えた。
時計を見て、まだ少し時間があることを確認して、ビールの販売機でも探そうと思ったところ、阿部野橋行きの急行列車が入ってきた。
近鉄の時刻表は特急、急行、各停がそれぞれ分かれていて、たまたま特急の欄だけを見たのだった。
ホームが改札の反対側なので間に合うかどうかと迷ったけれど、身体はすでに反応して走り出していた。
幸か不幸か間に合ってしまって、またもや今日も極上ビールは見送りとなってしまった。
最後の明日香村は割愛となってしまったけれど、本当に行きたかった場所は音羽山の最後の登りを除いてすべて行けたので、十分満足の一日だった。
7時間 30 分、約 26km でした。今日は走ったパートもわりとあったので、トレランということにしておこうと思う。
塩屋から高取山
登山講座で、今月から6回かけて六甲全山縦走路を行くという企画が始まった。
全山縦走は 20 回くらいやっているけれど、すべて1日で行っているので、途中で下りたり途中から登ったりというのはやったことがない。それに全山縦走路を忠実に辿るということにはこだわらず、ショートカットできる場所はほとんどショートカットしているので、本来の全山縦走路で歩いたことの無い場所も少なくない。
そんなわけで、私自身も楽しみの企画が始まった。
今は六甲全山を歩く人はほとんど須磨浦公園からスタートするけれど、元来は塩屋がスタート地点になっている。私も個人的にやる時はだいたい塩屋を起点もしくは終点にしてきた。地形的にもそれが正しいはずだ。
私の場合は塩屋の方が JR の都合がいいという理由なのだけれど、全山縦走の大会がたくさん開催されるようになって、集合場所の都合で須磨浦公園がスタート地点として選ばれるようになったようだ。
今回の企画では元来のルートを辿ろうということで、塩屋駅からスタートした。
天気予報では未明まで雨で、その後は雨は治まるということだったのだけれど、生憎小雨の中のスタートとなった。
古い商店街を抜けて毘沙門天を目指す。
住宅街の急坂を上がって、全山縦走路に入る。
少し登って毘沙門天。
ここから山道に入る。
私は塩屋駅を出てすぐ右(東)に行って山道に入るルートを辿るのだけれど、その道との合流点。
1時間弱で旗振茶屋に到着。展望はあまり無い。
鉄拐山(234m)の山頂はたぶん初めてだと思う。いつもトラバースルートを行っている。
高倉山(212.2m)の三角点は縦走路のわずか右にあった。
おらが茶屋もいつもスロープを行くので通らない。ただしここは 25 年くらい前に参加したタイムトライアルの大会の時は通過した記憶が残っている。
高倉台の住宅街を越えて、400 段階段を上がって、栂尾山(274m)で昼食にした。ここもトラバースルートを行くことが多い。
横尾山頂(342m)はいつも通る。
ここからは須磨アルプスのエリアなのだけれど、幸い雨はほぼ上がっている。
馬の背を慎重に通過。
そして東山(253m)。
妙法寺の住宅街を歩く。ここもいつもショートカットルートを行くのだけれど、今日は正規ルートを辿る。昔の大会の時は正規ルートを行ったはずだけれど、もはや記憶がまったく無い。
高取山への山道に入る手前の公園で一服。
ここから須磨アルプスを見ることができた。
50 分ほどで高取山の展望テラスに到着した。天候が回復してきて素晴らしい眺めだ。
7月に随行で高取山へ登ったときのルートを下る。
1時間足らずで長田神社に到着して、ここで解散となった。
いつもは駆け抜けるところをじっくりと楽しみながら歩けるので、これはこれで楽しいと思った。
黒部五郎岳復路
寝た感じがほとんどしないまま、3時頃にシュラフを出た。温度計を見たら0度と5度の間くらいだった。
棒ラーメンとコーヒーで朝食を済ませて、中綿ジャケットとダウンパンツの上に雨具の上下を羽織ってテントの外に出た。さすがにこれだけ着込むと寒くない。歩き出して暖まってきてから脱ごうと思う。
ヘッドランプを着けて4時半頃にテント場を出発した。満天の星空で、目がいい人なら天の川が見えるのではないかと思えるほど。オリオン座がはっきりわかる。カールの道ははっきりしていて迷う心配は無い。
30 分もしたら空がかなり白んできた。
東がほぼ後ろにならるので、ご来光を気にしながら振り返り振り返り進む。
身体がかなり暖まったところで中綿ジャケットとダウンパンツを脱いだ。
かなり明るくなってきたけれど、ご来光はまだ。黒部五郎カールはやはり太古氷河だったのだなと思わせる。
水たまりは凍っていて、道には霜柱。
6時過ぎ、三俣蓮華の山頂あたりからようやくご来光が現れた。
今頃は残雪が一番少ない季節だけれど、まだ雪の残っているところがある。
稜線に上がると西側が見える。雲海の向こうには白山。1ヶ月前に歩いた別山から御前峰、大汝峰の稜線が望める。
北ノ俣の手前では久しぶりに雷鳥に出会った。
写真を撮っていたら横の方から別の雷鳥の鳴き声が。笹藪に2羽いて、つがいだろうか。
北ノ俣に到着したら、もう絶景とはお別れだ。真ん中、やや右の奥にある山は大天井のよう。
飛越トンネルへの道に下ると、足元には有峰湖。
うんざりする下りを4時間ほど歩いて、ようやく駐車場が見えた。
午後1時 10 分、ようやく飛越トンネルに戻ってきた。
帰りは例のナビで出たルートを辿ってみようと思う。スマホのナビ機能を使うのは初めてだ。
しばらく走って、分岐で行きと違う方向に向かった。神岡より東に出る道なのだけれど、2車線の立派な道が続く。国土地理院の地図も google map も行きの道よりもこの道の方が細く表記されているのだけれど、実態はまったく反対だ。
スマホのナビも親切で、こんなサービスがタダで使えるならカーナビを買う人はいなくなるんじゃないだろうか。私は今の車にはカーナビは付けていないのだけれど。ただ、圏外になるとどうなるのかはわからない。
県道で峠を越えてからしばらく道が細くてつづら折れになっている部分があったけれど、行きに2時間かかったところを 20 以上早く帰ることができた。
唯一の欠点は、途中に温泉がまったく無かったこと。なので、高山で高速に乗る少し手前で以前から標識の立っている温泉に向かうことにした。
ここは広い道に「次の信号を右折して1分」という大きな看板が立っていて、これまでも何度か寄ろうとしたことがあるのだけれど、何故か道路沿いに見あたらなくて高速に入ってしまうということが何度かあった。今日はもう二日フロに入っていないので、高速に入る直前に車を停めて、またスマホで調べてみたところ、実際はここから数百メートルくらい離れた場所にあった。
あの看板は一体何なのだろうと思いながら駐車場に車を停めたところ、「玄関近道」という矢印が見えたのでそちらへ行ったら結果的には余計な大回りをさせられるはめになってしまった。
玄関を入ると受付が2階にあって、フロは別の階段でまた1階に下りるという変な造り。びっくりしたのは入浴料 1050 円!! 私にとっては日帰り入浴の史上最高値だ。
そのフロはと言うと、露天はあり得ないぬるさ、浴槽の低い部分に滑り止めのようなブツブツがあるのだけれど、これが所々尖っていて足が痛い。そのくせ他の部分では滑りやすいところがあったりする。
お腹が空いているので何か食べるつもりだったのだけれど、ここでこれ以上お金を使いたくないという気分になって、自動販売機でジュースを買っただけで出た。ひらゆの森の倍以上の値段で中身の質は半分以下だ。
次にこのルートを走る時は高山市内に銭湯を探してこようと思う。
帰りの道は、行楽シーズンの好天だったので車が多いのではないかと思っていたのだけれど、日曜日の夕方にこれだけスムーズに走れるのはめずらしいというくらいスイスイ走れて、8時過ぎには家に帰り着くことができた。
歩いた距離と時間の割には身体は疲れていた。荷物が重かったせいかも知れない。アルプスのテント泊は小辺路のようなハイキングルートとは随分違うということを体感した。
昔はもっと重い荷物でアルプスの縦走を何度もやったけれど、その頃はそんなに長い距離は歩いていない。飛越トンネルから避難小屋までもテント泊装備にスキーを担いで兼用靴で登ったけれど、1日でそれだけしか歩いていない。
このところアルプスは軽装での日帰りしかやっていなかったので、地図を見た時の感覚がそういう風になってしまっているのだろう。
アルプスでのファストパッキングスタイルは今の自分の体力ではもう難しいと感じた。今回のは結果的には「普通の登山」だ。別にスタイルの名称にこだわる必要はないのだけれど。
次からは今回の経験を基準にしてルート設定しようと思う。
黒部五郎岳
予定通り5時半に駐車場を出発した。しばらくは樹林帯でまだ薄暗いので、ヘッドランプを着けて出た。
登山口は駐車場のすぐそばで、いきなりの急登が始まる。急登は嫌いではないけれど、朝イチというのはちょっとこたえる。
今回の足元はトレッキングシューズ。北ノ俣避難小屋までは道がドロ沼状態になっている箇所が続くので、トレランシューズだと悲惨なことになる。
30 分も歩くと水たまりが出てきたので早々にスパッツを着けて、ポールも出した。
1時間 20 分ほどで打保からの神岡新道に合流した。神岡新道は昔は本道だったのだけれど、飛越トンネルからの道ができてから歩く人が激減して整備もほとんどされていないらしい。
ドロ沼のところには所々テープが張られている。おそらくミズバショウの保護のための通行禁止措置だと思う。
昔、ゴールデンウィークに山スキーのためにここを歩いた時は、踏まずには進めないほどミズバショウが群生していた。
水たまりは思ったほどはひどくなくて、中に染み込むほど濡れることはなく、2時間 10 分ほどで寺地山(1996m)に到着した。
展望も何も無いので通過して、しばらく進むと前方に北ノ俣が見えてきた。
避難小屋は昔は道の横に見えていたのだけれど、今は木が茂って見えない。一瞬、先に進みかけたのだけれど、この先、水が補給できるのは黒部五郎小屋まで無いので、小屋の水場に寄って行くことにした。
来し方を振り返る。手前の出っぱりが寺地山。奥の左の方が白山。
出発から4時間 20 分ほどで稜線に出た。正面の奥が水晶岳。その手前に雲ノ平。紅葉はまだという感じだ。
出発から4時間半で北ノ俣岳(2661.3m)に到着した。右の方に槍ガ岳。
北の方には薬師岳。薬師の左肩に剱が見える。
正面が黒部五郎岳。右に笠ガ岳。
のんびりしている訳にはいかないので、先に進む。
赤木岳はピーク下を通過。
中俣乗越まで来たけれど、黒部五郎はなかなか近づいてくれない。
ここでロキソニンを投入して、ようやく黒部五郎の肩に到着した。
ほとんどの人たちはここにザックを置いてピストンするのだけれど、私は稜線ルートを行くつもりなのでザックは担いだままで登る。
12 時 45 分、出発から7時間 15 分かかってようやく黒部五郎岳(2839.7m)の山頂に到着した。
カールを見下ろして、正面真ん中が鷲羽岳。黒部源流と雲ノ平が見渡せる。
こちらは奥が槍穂高連峰で、その手前は左から三俣蓮華と双六。さらに手前はこれから辿る稜線ルート。
稜線ルートは登山地図では破線ルートになっている(一般路ではないという意味)。展望がいいはずのルートがどうしてそういう設定になっているのか不思議だったのだけれど、歩き出してその理由がわかった。
岩がゴロゴロしていて非常に歩きにくい部分が多いのだ。まったくペースが上がらない。まるで北八ツの大岳のよう。
展望を楽しむ余裕は無い。登山地図には「濃霧時は稜線ルートがいい」と書かれているけれど、少なくとも下山に関しては違うと思う。
天候が良かったのでルートをはずすことはなかったけれど、先がわかりにくい部分はしばしばあった。ペンキマークが見えていたので問題無かったけれど、濃霧であればルートを見失う可能性が高いだろう。
カールを見下ろすと適当に下れそうに見える箇所が何度かあって、そこを下ってしまおうかという誘惑にかられたけれど、ラインがすべて見えているわけではないし、斜面を上から見下ろすと崖が見えないので、結局登り返すなんてことにもなりかねない。
仮にうまく下りられたとしても時間的には 10 分か 15 分程度の違いにしかならないと思うので、ぐっと我慢して正規ルートを歩き続けた。
下り出して1時間 15 分ほどで、ようやく足元に黒部五郎小屋が見えた。
ここから小屋まで 10 分ほどで、早々に三俣山荘に向かった。
ここから三俣山荘まではさらっと行けると思っていたのだが、いきなり結構な登りになった。どうもしばらく続きそうで、立ち止まって地図を開けてみたところ、何とこれから標高差 300m の登り!!
コースタイムでは三俣山荘まで2時間で、目的の雲ノ平まではまだ5時間以上かかる。
今、2時半。これから先、コースタイムをそれほど短縮できるとは思えない。三俣山荘のテン場までなら行けそうだけれど、そうすると翌日は雲ノ平をさらっと通過しなければならない。
と言うか、そんなことをして翌日飛越トンネルまで戻れるだろうか。
今回の最大の目的は雲ノ平でのテント泊なので、それができないのであれば考え直した方がいいと思った。
今回はここで引き返すことにした。ここでテント泊して、明日はカール経由で戻る。
北アルプスでのテント泊は本当に久しぶり。20 年ぶりくらいだろうか。
キャンプ料金 1000 円にはびっくりした。世の中の全体的な物価はそれほど上がっていないのだけれど、学費とマラソン大会参加費の高騰に近いレベルに感じる。
テントを張って、まだまだ明るいけれど早々に夕食にした。身体は結構疲れているけれど、目標を断念したせいか、ビールは期待したほどにはおいしくなかった。
明るさが残っているうちはテントの中は結構暖かかったけれど、日が陰ってくると一気に気温が下がってきた。昨夜もあまり寝ていないので、寒さしのぎに早めにシュラフに入った。
中綿ジャケットとダウンパンツのおかげで身体は寒くないのだけれど、末端冷え症の足の指先の冷えがひどくなってきた。
ビールと日本酒のおかげでちょうどいいくらいのほろ酔い状態なのだけれど、足先の冷えのせいでなかなか寝付けない。
何時間も寝返りを繰り返すばかりで、次第に酔いが醒めてきて、ますます目がさえてくるという悪循環に陥ってしまった。
北アルプス最後の楽園をめざして
5月にテント泊で熊野古道小辺路に行って以来、またテント泊で行く機会を窺っていた。しかし私の都合と週末の好天がなかなかかみ合わず、計画は増える一方だけれど、実現のチャンスはなかなか訪れてくれなかった。
しかしようやく先週末、絶好の好天予報にチャンス到来となり、あたためていた計画を実行に移すことになった。
もう何十年も前から行きたいと思っていた雲ノ平。北アルプスの最奥部とも言える場所で、「北アルプス最後の楽園」と呼ばれたりもしている。
岩登りや山スキーをやっていた頃にはほとんど考えることも無かったけれど、2年前に水晶岳へ行った時に上から眺めて、いつかぜひあそこでテント泊をしたいと思った。
小辺路の後に次の行き先を考えたとき、真っ先に浮かんだのが雲ノ平だった。
一番近いのは折立から太郎平小屋を越えて薬師沢を経由するルート。しかし折立というのがなかなかの難点で、家から遠くて、さらに有峰林道が夜間通行止めというのがネックになる。
次善の案は、飛越トンネルからのルート。歩く距離は長くなるけれど、登山口までの距離は約 350km。時間は自分の都合のいいように設定できる。
まだ行ったことの無い黒部五郎岳を経由して、雲ノ平から薬師沢を周回すれば、一粒で二度おいしいコースになる。ただしかなりの歩行距離になるのだけれど。
いつもの通り、コースの詳細も登山地図のコースタイムもあまりしっかりとは調べずに、漠然としたイメージだけで実行に移した。
さて、小辺路の後に新調した装備がいくつかある。
ザックは、1泊2日以上の連泊や寒い季節で荷物が多くなっても対応できるように、「macpac AMP Race 40」という 40L のものを購入した。
少し古いモデルをかなり安く入手した。
それから「KLYMIT INERTIA-O zone」というエアマット。
小辺路のために山と道の軽量マットを購入したのだけれど、マットをザックの外にくくりつけるというのがどうも前からあまり好きではなくて、全身用サイズなので嵩が高く、小辺路のような軽い道ですら木の枝や岩角などに当たることが何度かあったので、アルプスの岩稜などではそういうことが事故につながりかねないと感じて、パンクのリスクを覚悟の上で、小さくたためるエアマットを新調した。
このマットは見ての通り、シュラフの中に入れるように造られている。実際に使った感じで言えば、上を向いて寝られる人にとっては寝心地はいいと思う。私は横を向いて寝るタイプなので、腰の骨が地面に当たるように感じることが少しあったけれど、収納サイズの小ささのメリットは非常に大きい。
前から持っている OMM のザックは背中のパッド代わりに半身サイズの樹脂マットが入っているので、これを取り出して持って行けば、パンクの時でも上半身だけはカバーできる。
山と道のマットはネットのオークションに出品したら、予想外のいい値段で売れた。
寒い季節に非常に重要なのがシュラフ。いくら何でも今頃のアルプスのテント泊にあのペラペラシュラフで行く訳にはいかない。
10 日ほど前にたまたまネットでナンガのダウンシュラフがわりと安く買えるのを見つけて、「ダウンバッグ350STD」というモデルを注文した。
取り寄せということだったので多少の日にちがかかることはわかっていたのだけれど、何と1ヶ月くらいかかるとの返事。しかしその時はまだいつ使いたいか確定的ではなかったので、値段を考えて待つことにした。
多分1ヶ月もかからずに入るだろうと思ってはいたけれど、さすがに今回には間に合わなかった。
致し方なく、30 年以上前に買った Moncler のダウンシュラフに復活してもらうことにした。重さ約 1.5kg で、注文したナンガのシュラフと比べると重さ、大きさとも倍くらいだけれど、40L ザックのおかげでこれを入れても容量的には大丈夫だった。
荷物の重さは、胸の前で持つ水分と行動食を除いて 8kg くらいだった。全部でも 10kg 弱ということで、まぁ妥当な重さに収まった。
金曜日は夕食を早めに済ませて、6時半頃に家を出た。
このところ京滋バイパスが部分的に渋滞していることが多いので出発前にチェックしておいたのだけれど、久御山淀の IC に入るといきなり「彦根ー八日市間 事故通行止」という表示!!
どうしようもないので、八日市の少し手前の PA に入って、道路情報のラジオを聞きながら、八日市 IC で高速を下りて彦根 iC で乗り直したら料金はどうなるのだろうとスマホで調べて、それを覚悟でまた走り出した。
ところが今度も運良く八日市 IC に近づいたあたりで通行止めが解除されて、目的の飛騨清見までスムーズに走ることができた。
しかしまたまたハプニング。飛騨清見 IC に到着すると、ここから無料区間で高山まで行ける道が通行止めになっている!! そんな案内はどこにも無かったし、なぜ通行止めなのかもわからない。
致し方なく下道に下りて、またスマホで道路を調べたところ、ここから飛騨古川に抜ける道があるようで、そちらに入った。これは走りやすいいい道で、結果的には高山経由よりも早かったかもと思えるくらいだった。
実は出発前に高山から飛越トンネルへの道をネットのナビで調べたところ、これまでに使っていた R41、神岡経由ではないルートが表示されていた。高山の少し北から県道に入るルートなのだけれど、どんな道なのかさっぱりわからないし、行きは夜に走ることになるので、あえてこれまでに走ったことのある道で行くことにした。
神岡からの県道は狭くて急な上りヘアピンカーブが続く。夜にここを走るのは初めてだ。山之村に入ると道が広くなるのだけれど、ここを走るのは本当に疲れる。
飛越トンネルそばの駐車場には 12 時過ぎに到着した。車は 10 台くらい停まっていた。
スマホは圏外なのでバッテリー節約のために電源を切って、缶ビールを飲んでからシュラフに入った。
翌朝は明るくなってから歩き出そうと思って、起床は4時半ということにした。満天の星空で、気分は上々。