阿弥陀ヶ峰から稲荷山

今日(5/18)はふと思いついて、午後からタオルとティッシュとポカリだけを持って、阿弥陀ヶ峰に向けて出かけた。

阿弥陀ヶ峰は豊国廟(豊臣秀吉の墓所)のあるところ。先日の京都一周トレイルの講座で京女の森を歩いた時、阿弥陀ヶ峰に向かっていると思われる道があるのに気がついた。これまでここは何度も歩いているけれど、初めて気付いた。

通常、豊国廟は麓でお金を払って(50円?)、500段ほどあるという石段を上がっていく。そういう有料の場所に別ルートでこっそり行ける道を見つけると、ついつい行ってみたくなる。

三輪山鞍馬山などではそういう道には立ち入り禁止の看板が立てられているけれど、ここにはそんな表示は無かったので、気楽な気分で行ってみることにした。

午後1時半に京阪の七条を出発した。前方に阿弥陀ヶ峰。

山門を越えて、ここを真っ直ぐ進むのが本当の参道。

右にそれてバスの駐車場の脇から山道に入る。

5分ほどで脇道に出会った。ここを左に入る。

ほどなく左に石段が見えたので、そちらに出た。

あっさりと豊国廟に到着。来たことがあるのか無いのか、はっきりした記憶が無い。

説明板のようなものはまったく無し。

30分もたたないうちに来てしまったので、取りあえず南に向かうことにした。

京女の森は自然林なので気持ちがいい。こういう所は走るに限る。


氷ノ山よりはるかにいい気分!!

京都一周トレイルコースを南下して、悲田院の展望場所に寄り道した。正面の一番高いのは清水山。その左の丘が阿弥陀ヶ峰(だと思う)。

ベンチに腰を下ろしてポカリを飲んで、しばし京都市内の眺望を楽しんだ。

さらに一周トレイルコースを辿ったが、四ツ辻へは向かわずに階段下の分岐を左に入った。ここはかつて東山マウンテンマラソンでゴールに向かって走ったコースなのだけれど、この先の記憶はもはやまったく無い。

しばらく林道を進んだら、伏見稲荷のエリアに入ってきた。

標識に従って稲荷山の山頂(233m)へ。何年か前に講座で来ていらい。

四ツ辻に出ると一気に観光客が増える。まぁでもここからの眺めはいつも素晴らしい。

混雑具合は土曜日にしてはまだマシな方かも。

そして伏見稲荷駅から電車で帰ってきた。ちょうど2時間のプチトレランでした。思いのほか気持ち良かった。

氷ノ山、鉢伏山

好天間違い無しの日曜日(5/12)は行き先をなかなか決めることができなかった。

実は12日は陸上クラブのマラニックのイベントで、これまでは随行などの用事が重ならない限りはほとんど毎回参加してきたけれど、集団走はしんどいのでもう止めることにした。

地図をいろいろ開いてみても日帰りエリアではなかなか新鮮なルートを見出すことができない。足を延ばして2000m以上となるとまだまだ雪が残っている。

ようやく思いついたのが氷ノ山。まだ行ったことが無い。ここなら早朝発で日帰り可能だ。

さっそくヤマレコで記録を探ってみたら、氷ノ山と鉢伏山を周回する20kmほどのコースがあった。これだと思った。

さっそくgpsにこのデータを入れて、朝3時に起きて車で出かけることにした。

何とシューズを忘れて枚方大橋から戻るという失態を演じてしまったけれど、このくらいのタイムロスで済んでよかった。高速まで行っていたら諦めて戻ってマラニックに行くしかない。

途中でおにぎりとカップ麺の朝食をとって、3時間弱で福定親水公園(読み方不明)に到着した。八重桜がまだ咲き誇っている。

準備をして、7時前に出発した。しばらくは氷ノ山国際スキー場に向かう車道を進む。

なだらかな登りで、自然とジョグになる。ほどなく氷ノ山国際スキー場のエリアへ。

さらに上がると東尾根登山口に着いた。

気持ちのいい登り。

しかしまだ朝7時台だというのに下ってくる人がわりといる。10人くらいの高校生の集団も下りてきた。

稜線に上がると東尾根休憩小屋。このすぐ先でまた高校生の集団が休憩していた。どうも何か行事が行われているようだ。

ヤマアジサイ? ← たぶんオオカメノキ?(5/22)

「一の谷休憩所」とあるけれどベンチとかは何も無い。いつの間にやら標高1000mを越えていた。


お次は神戸大学の小屋。ここにも集団。

この上あたりから雪が出てきた。今回はこういう箇所がいくつかあるという情報を得ていたので、シューズは Brooks のゴアテックスのタイプにした。

あたりが笹原になって、山頂の小屋が見えてきた。

北の方にはこのあと目指す鉢伏山。

それにしても人は多いし、目の前の風景はスキー場の人工物。あまり気分のいい山域ではない感じ。

「古生沼(こせぬま)」に立ち寄ってみたけれど、このとおり。

そして8時54分、出発してほぼ2時間で氷ノ山の山頂(1509.8m)に到着した。

ここでちょっと補給しようかと思っていたけれど、ここにも高校生の集団がいるので、写真を撮ったら早々に先に向かった。

少し下ってスペースのある場所で、今日初めてザックを下ろしてぼたもち休憩していたところ、あの高校生の集団のしゃべり声が近づいてきた。このままだとあの集団の後ろを歩くことになりそうなので、あわててぼたもちの残りを口に放り込んで、お茶も飲まずにリスタートした。

それにしてもべちゃくちゃとうるさい。若くて元気があるせいか、ちょっと足を速めたくらいではなかなか離れてくれない。本当にイライラする。

来し方を振り返って、少しのんびりしたいところだけれど、そうもいかない。先に行かせてしまった方がいいかも・・・。

実はこういうことだった。

せっかく少し離れたと思ったら、今度は小学生の集団。そして中高年グループと、少し立ち止まっているとまた後ろから声が聞こえてくる。

しばらく下るとフラットな部分が出てきたので、ここぞとばかりに走った。

氷ノ山越避難小屋。

このちょっと先が峠なので、高校生がここで下りてくれることを祈って先へ進む。こんな所も昔は伊勢道だった。私が歩いているコースは「ぶん廻し」という呼称がついているらしい。

しばらく登ると鉢伏山が近づいてきた。

ようやく静かになったと思ったら今度は前のグループに追いついてしまった。

最後尾にいた指導者と覚しき人は「どうぞ」と言ってくれるけれど、それだけ。前に10人以上いるというのに前に声をかけるでもない。あきれたけれど、それなりのスピードでは歩いてくれているので、あきらめて付いていく。

しばらく歩いたら小屋が現れて、彼らはここ一本取る(休憩のこと)ようだ。

曽爾高原を思い出すような光景。ここはススキではないけれど。

小代越には小学生の集団が見えるので、その手前の斜面でこの先の登りに備えておにぎり休憩にした。

高丸山(1070.2m)を登り切るとようやく鉢伏山が指呼の距離に近づく。

鉢伏山(1221.6m)には11時8分に到着した。氷ノ山から2時間15分だった。

ここも小学生の集団。それよりもがっかりしたのは、何とバイク!!。マウンテンバイクではなくてモトクロスバイク。こんな場所で排気ガスを吸わされるとは・・・。

眺望を楽しもうという気持ちは早々に失せて、写真を撮ったら下山にうつる。これは氷ノ山。

これは神鍋の方の山々。昔、神鍋高原のトレランレースであの稜線のあたりを走ったはず。

山頂の少し下にちょっとしたジャンクションピークがあったので、ちょっと立ち寄ってみる。神社かなにかがあったのではないかと思われるけれど、すでに崩壊している。しかし静かなのでここで桜餅休憩にした。

しばらく下ったら車道に出た。

しばらく車道、それから未舗装道に入って、ハチ高原スキー場のゲレンデを下る。


ここも麓には小学生の集団。

今回はヤマレコに登録されていた記録のgpsデータを入れてきたのだけれど、これから先のルートは本当にトリッキーだった。よくこんな道を見つけたなという感じ。相当何度も歩いている人に違い無い。googleのナビでもこれは出てこないだろう。

ゲレンデ下からはロッジの横の細い道に入る(左斜め下に延びている細い道)。


このあと、ゲレンデのコースや畑のそばの細い車道などをくねくねと通って、一旦市街地に出る。

しかしこの先もまた地元の人の生活道路のような細い道を辿って、親水公園に向かう車道に出た。

最後は車道をしばらく上がって、12時33分に駐車場に戻ってきた。20.5km、5時間40分だった。

こんなにポピュラーな山だとは知らなかった。

ただ、例え人が少なくて静かに歩けたとしても、また来たいとは思わない。あまりにも人工的景観が多すぎる。

比叡山トレイルレース試走

今月末、比叡山でトレランレースが開催される。

陸上クラブで今回初めて参加される方がおられて、試走に付き合ってほしいと頼まれた。S女史はかつて大阪国際女子マラソンに10回以上出場されて、国体の山岳競技にも出場された経歴の持ち主で、今でもフルマラソンで3時間半を切る走力を維持されている。昨冬にも京都一周トレイルコースを伏見稲荷から鞍馬まで一緒に走った

実は2年ほど前にも同じような状況で試走している

個人的にはこの2年ほどの間に練習の質も量もかなり落ちたので、はたして自分自身が走れるかどうか不安だったけれど、前回と同じルートを取って、本番50kmのうちの序盤の約30kmを行ってみることにした。

前回同様、叡電の修学院駅をスタートして、雲母坂を水飲対陣まで登って本来のコースに合流する。

爽やかな好天で走りやすい天候。

雲母坂も昨秋の台風の影響で倒木がたくさんあった。

水飲対陣で本来のコースの京都一周トレイルコースに合流して、しばらく南下する。

そして無動寺川に下りて、比叡アルプスを登る。

前回とほぼ同じ、2時間ほどで一本杉の展望台に到着して、ここでちょっと休憩した。ここでようやくびわ湖が望める。

ここからはしばらく東海自然歩道を辿って、延暦寺のエリアを少しかすめて大津の坂本へ下る。このあとの登り返しが大変なので憂鬱だけれど、そういうコース設定なので仕方無い。

比叡山高校のグラウンドのそばからケーブルの延暦寺駅に向けてひたすら登る。

1時間少々の登りでようやくケーブル延暦寺駅に到着した。

ここでおにぎり休憩にした。

人混みの延暦寺エリアを通り抜けて、また京都一周トレイルコースに合流。

そして青龍寺に向けてまた下る。このあたりから脚筋疲労を感じるようになってきた。距離的には25kmくらい。S女史が先行する。

お地蔵さんの所まで下って、横高山への登りにさしかかる。

S女史はほどなく見えなくなった。

黙々と足を進める。予定の大尾山まで行けるかどうか、不安を感じてきた。仰木峠から一周トレイルコースで戸寺へ下山というアイディアが頭をかすめる。

小一時間で横高山麓のお地蔵さんの所まで標高差約500mを何とか上がって、腰を下ろしてどら焼き休憩にした。

このあと、登りらしい登りは横高山までと水井山への登りだけ。いずれにしても標高差はほんの数十メートル程度なので、もう行くしかない。

少しでも歩く距離を少なくするために横高山のピーク(767m)はトラバースでカットして、下りはできるだけ走る。

ふと右の方に目をやると、何か林道のようなものを造ろうとしている。こんな場所にどうしてこんなものが必要なのだろうか。

水井山(793.9m)まで、以前に比べると随分木が少なくなって疎林になっている。

仰木峠からはさらに北に向かう。展望エリアも素通りで、しばらく進むと林道に出た。大会のコースマークのテープが随所に張られているので、それに従って林道をそのまま進む。

そろそろ林道から分かれて山道で大尾山に向かうあたりで、少し不安になって左のかすかな踏み跡に入った。

しかし少し進むとまた林道が近づいてきて、そこで山道に入るコース設定になっていた。

山道に入ってしばらく進むと大尾山(681.1m)に到着した。2時ちょっと前。おおむね前回と同じくらいのタイムだと思う。もっと遅れているかと思ったけれど、それほどでもなかった。

S女史はまだまだ余裕がありそうだったけれど、この先、コースは滋賀県側を行く。しかも電車の駅まではかなり遠い。適当なリタイアポイントがほとんど無いので、コースの下見は前回と同じくここでお終いとさせていただく。レースコースとしてはおおむね30kmくらい試走したが、実はここから先の20kmがかなり厳しいという話も聞いている。

ここから三千院までの下山路もなかなかの難路である。特に下部の沢筋は危険箇所がいくつかある。歩く人も少ないので、あまり整備されていない。

案の定、昨秋の台風の影響と思われる倒木が次々と出てきた。倒木と格闘しているうちに、道がまったくわからなくなってしまった。

あまり斜面を上がりすぎるとまずいので、沢筋に近づいてみたところ、対岸(右岸)に道らしきものが見えた。幸い、まだ水量がそれほどではなかったので、無事、トレースに戻ることができた。

しかしこの先もわかりにくくて滑りやすい所が何カ所かあって、苦労させられた。音無の滝を見に来た人影が見えた時はほっとした。

ゴールデンウィークの好天の日なので観光客が多く、人混みの中をそそくさとバス停に向かった。3時過ぎにバス停に到着して、すぐのバスで出町柳まで戻った。

いつもの百万遍の東山湯に向かったところ、何と金曜日が定休日とのこと!! 致し方なくスマホで近くに銭湯が無いか調べて、ここから数分の別の銭湯に行くことができた。学生街のせいか(京都大学)、以外と銭湯がいくつかある。

打ち上げは王将へ。混んでいたせいもあるけれど、店員の要領が悪くてなかなかビールが出てこなくてイライラさせられたけれど、お腹いっぱいになって帰ることができた。

後半は体力の低下をすごく感じたけれど、帰ってからgpsのデータを前回と比べたところ、実はほぼ同タイムだった。遅かったのは最後の下山で倒木に苦しめられた部分くらいで、横高山への登りも前回も同じくらいのペースだった。

とは言っても、この大会に自分が参加しようとは思わないし、参加しても完走はまずムリだと思う(制限11時間)。今日、大尾山まで7時間半くらいだったので、荷物を軽くしてレースモードで走ったとしても、おそらく12時間以上はかかるだろう。

2年前と今回と、2回試走に付き合ったことになるけれど、それも来年はもうムリという感じ。最後の思い出ということにしておこうと思う。

兜岳、鎧岳、倶留尊山、古光山

今月は初旬に腰を痛めて個人山行にはまったく行っていない。予想以上に長引いたけれど随行の仕事では問題無いし、練習会でも 20km くらいは走れているので、1ヶ月ぶりに今年の締めの山行に行くことにした。
曽爾の鎧岳(よろいだけ)・兜岳(かぶとだけ)はその特異な山容で関西の山ヤで知らない人はいない。国の天然記念物にも指定されている。私ももう随分以前から興味は持っていたけれど、この二山だけのために行くというのはもったいないし、うまいルート設定が思いつかなくて、まだ未着手のエリアだった。
地図をつらつら眺めていると、青蓮寺川をはさんで対岸の古光山(こごやま)を周回するとほぼ1日コースが設定できそうだ。倶留尊山(くろそやま)まで足を延ばすと充実感がありそうだけれど、これはちょっと遠いかも。
ということでこのルートで計画したのだけれど、今月上旬の好天休日は腰痛のために諦めざるを得なかった。
腰の調子はまだ完治一歩手前という状態だけれど、何とか年内にはもう1回山へ行っておきたいと思って、30日に出かけることにした。

朝4時半過ぎに家を出て、途中でおにぎりとカップ麺、コーヒーの朝食をとって、7時過ぎにサンビレッジ曽爾奥香落オートキャンプ場に到着した。事前に調べたところではここの駐車場に停められるようだけれど、区画にしっかりと番号が割り振ってあって、ここに停めて大丈夫なのかどうか不安を感じたので、通行止めになっている手前の広いスペースに路上駐車した。
準備を整えて、7時18分に出発した。ウエアは上がモンベルの長袖アンダーとミズノのブレスサーモの長袖ジップシャツ。冷え込みはそれほどではなかったのでジャケットは着なかった。下は最近アマゾンで安く買ったチャイナブランドのサイクリング用パンツ。ウインドストッパー入りで内側起毛。なかなか暖かい。ただし生地がごわごわするのはやはり価格相応というところ(3600円くらい)。
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車が通行止めになっているのは道路が陥没している場所があるからで、歩行には問題無い。車道を15分足らずで登山口に到着した。
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道標が無ければここが登山口とはわからないだろう。
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沢筋の道は荒れて崩壊していて、際どい巻き道が設定されている。
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ほどなく沢を離れて山肌の急登になる。
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ぐいぐい上がって、8時3分に兜岳(920m)に到着した。出発してわずか45分だった。
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風が当たると寒いのでウィンドブレーカーを着用した。
縦走路から正面に鎧岳の雄姿が見える。あの壁を登る人はいるのだろうか。脆いかな。
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峰坂峠(むねさかとうげ)。
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登りはそれほどではなく、8時47分に鎧岳(893.6m)に到着。
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対岸に曽爾高原が広がる。
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その右には後半に行く予定の古光山。
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写真を撮ったら早々に来た道を戻る。ただし峰坂峠には戻らずにショートカット。
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山頂から40分ほどで車道に出た。
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緩い下りなのでここは走る。この道は東海自然歩道らしい。
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ショートカット道で青蓮寺川を渡って、車道で曽爾高原に向かう。
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当初の予定では曽爾高原には寄らずに後古光山(うしろこごやま)に向かうつもりだったけれど、前半戦が思いの外あっさりと終わってしまって、まだ10時前。せっかくここまで来ているので曽爾高原に寄ることにした。
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曽爾高原は30年以上前に職場の同僚と3人でテント泊で来たことがある。それ以来の再訪ということになるけれど、この光景は覚えている。
さて、ここまで来たらやはり倶留尊山まで行くしかないだろう。稜線に上がると西からの強風で寒い。東側にちょっと下りて酒饅頭休憩にした。
エネルギーを補給して、冷たい強風に立ち向かう。今度は曽爾高原側からの鎧岳。
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樹林帯に入ると強風はおさまった。標高が 1000m に近づくとようやく現れました。
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二本ボソから先は入山料がいるらしい。30年前はこんなものは無かったような・・・。でも登山道の整備は手間がかかるということはよくわかるので、払いますよ。帰りに。
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二本ボソ(980m)はすぐそこ。
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11時28分、倶留尊山(1037.3m)に到着した。標高が 1000m を越えるとやはりちょっと雰囲気が違う。
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写真を撮ったら早々に下山。入山料を払おうと思ってサイフを開いたところ、小銭が○百円しかない。おつりはもらえそうにないので、これで勘弁して下さい。
曽爾高原の全景。そして右奥はこれから行く古光山の山稜。
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またまたしばし強風にあおられて、樹林帯に下りて道標に導かれて後古光山に向かう。
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車道を渡る。道標には「ハイキングルート」と書かれている。残りの行程はほとんどおまけの気分。
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こういうのを称して「登山道が整備されている」というのかも知れないけれど、私はがっかりする。木道がハードル状態になっているよりはマシだけれど。
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いつものように今回もルート状況はあまり詳しく調べてこなかったのだけれど、後古光山に近づくと非常な急登になって、ロープが立て続けに現れてきた。
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鎧兜よりもはるかに急峻で、おまけ気分は吹っ飛んでしまった。
12時53分、ようやく後古光山(892m)に到着した。
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ここからの下り、そして古光山への登りもロープ斜面のオンパレード。私はこういう場所の古いロープは不安なので極力頼らないようにしているのだけれど、そんなことは言っていられない。ロープ無しではとても上り下りできないような箇所が何カ所もあった。
一つ一つの山はそれほどの大きさではないけれど、朝からすでにいくつかの山々を上り下りしてきているので、さすがに疲れが出てきた。
午後1時30分、古光山(952.4m)に着いた時はほっとした。
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しかしここからもいやらしいジャンクションピークがいくつかあって、南峰までは 20 分くらいかかった。
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さすがに南峰を過ぎると穏やかな山容になってきて、ようやくおにぎり休憩が取れた。鎧兜を眺める余裕も出てきた。
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午後2時8分、車道に下りてきた。そばの建物は斎場。
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あとはひたすら車道を走って車に戻るだけ。走ると暑いのでウィンドブレーカーを脱ぐ。
青蓮寺川そばの車道からの鎧兜の雄姿。
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オートキャンプ場までの登り返しはもちろん歩きで。最後で車道をショートカットするためにちょっとだけ東海自然歩道に入る。
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午後3時5分、無事車に戻ってきた。結果的には満足感の大きい一日になった。これで気分良く今年を終えられそうだ。

龍門岳から音羽三山

先月、大天井ヶ岳へ行った時、吉野から見た龍門岳が格好良かったので、また行ってみようと思っていた。
龍門岳は昨年に一度行っているのだけれど、この時は北側からピストンしたので、次は表玄関の南側から行ってみたいという気持ちはずっと持っていた。
しかしこのルートはアプローチが長い。最寄り駅は大和上市で、近鉄吉野線の吉野駅のわずか二つ手前。しかも登山口までは車道をしばらく行かなければならない。そんなわけでなかなか思い切れなかったのだけれど、先月吉野から眺めた光景がトリガーになって、日曜日(11/4)に行くことにした。
最近、アプローチの電車が長時間で朝が早い時は朝食は家で摂らずに、パンと牛乳、パックコーヒーなどを持って出て、電車の中で食べることにしている。少しでも長く睡眠時間を確保したいので。
で、朝6時前の電車に乗って大和上市に向かった。

2時間半ほどかかってようやく大和上市駅に到着した。ここからは大台ヶ原へ行くバスが出ている模様。
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バス停のベンチで準備をして、8時35分に駅を出発した。朝方は冷えると天気予報で言っていたのに思いのほか暖かい。
R168 ではなくほとんど旧道を走って、国道から分かれて北に向かった。正面に龍門岳(だと思う)。
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今回もいつもと同様、ガイドブックなどで詳しく調べることはせずに、地形図の道からルートを決めてきた。つい先週、奥明日香で地形図の道で痛い目に遭ったというのに、何度やっても懲りていない。
桜井へ向かう車道の途中から尾根筋で龍門岳に向かうルートを予定してきたのだけれど、吉野山口神社には立ち寄って行きたいと思っていたのでその方向へ向かったのだけれど、神社の場所がよくわからない。
たまたまおられた地元の方に尋ねたところ、神社は思っていたよりずいぶん東の方だったが、もう二度と来ないかも知れないのでそちらに向かうことにした。今日のコースはもともと時間の余裕がある。
まずは菅生寺(すぎょうじ)。菅原道真が生まれ育ったという言い伝えがあって、寺の名前はそこから来ているとか。
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さらに東に向かって、ようやく吉野山口神社にたどり着いた。
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ここには二つの神社があって、まずは吉野山口神社。
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そして高鉾神社。
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近くにあった案内版によると、ここから龍門岳に向かう登山路があるらしい。確かに地形図をよく見ると沢筋に道が伸びているけれど、途中で途切れている。しかしここは近畿自然歩道だそうで、道標もしっかりしているので、この道で龍門岳を目指すことにした。
緩い登りの車道を行く。
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神社から10分ほどでジャリ道になった。
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さらに10分ほどで龍門の滝。
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すぐ上に龍門寺塔跡。奈良時代の建立。
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いよいよ沢沿いの山道に入る。沢から離れて山肌を行くようになるとかなり傾斜がきつくなった。10時55分、上市から2時間20分で龍門岳(904.1m)に到着した。
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一等三角点があるけれど展望はまったく無し。
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ここから先は昨年歩いた道なので、気分的には随分楽になった。
ほどなく送電線の鉄塔が現れた。こういう人工物にはがっかりさせられるけれど、おかげで格好の展望台になっていることが多い。鉄塔のちょうど向こうがこれから向かう熊ヶ岳。
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快適に下って三津峠。
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ここからは道があやしくなることを記憶している。特にちょっとしたピークのトラバース道は昨年にも増して不明瞭になっていた。
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ここは稜線でピークを越えるルートもあるようで、もしまた来るのなら次回はそちらにした方が安全かも。
龍門岳からほぼ1時間、12時前に大峠に到着した。ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。
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10分足らずの休憩で早々に熊ヶ岳に向かう。大峠から20分くらいで熊ヶ岳(904m)に到着。龍門岳とほぼ同じ標高。
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そして経ヶ塚山(889m)へ。ここは木の間からわずかに東の宇陀方面が望める。
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ここから音羽山(851.4m)まではほんの10分程度。
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下山は展望台経由。大和葛城山、金剛山はいまひとつはっきり見えなかった。
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善法寺のお葉つきイチョウはまだ実は付いていなかった。
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おおむね予定通り、1時45分に下居(おりい)の車道に下りてきた。観音寺は善法寺のこと。
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さて、今日はこれまで素通りしてきたこのあたりの遺跡などをいくつか寄り道するつもり。
まずは崇峻天皇陵。考古学的には天王山古墳が本当の陵墓の可能性が高いと言われている。崇峻天皇は蘇我馬子の手先の東漢直駒 (やまとのあやのあたいこま)に暗殺された。
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次はメスリ山古墳へ行こうと思ったのだけれど、場所がよくわからない。取りあえず丘陵の南側に大きな鳥居が見えたので行ってみたら八阪神社という神社だった。
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ちょうど鳥居の脇からヤブに入っている踏み跡があったので行ってみた。何となく墳墓という感じがしたけれどそれらしき案内板は見あたらなかった。北側に下ったけれど、たぶんこれがメスリ山古墳だと思う。
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住宅街に入って、上之宮遺跡。聖徳太子の上宮(かみつみや)跡の可能性もあるとか。
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艸墓古墳(カラト古墳)(くさはかこふん)はどこ? あたりをうろうろしてようやく入り口を見つけた。
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やっと見つけたとよろこんだら・・・。
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本当は吉備池廃寺跡にも行きたかったのだけれど、これで気力を失った。
桜井駅にはちょうど3時に到着した。
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念願の南からの龍門岳と桜井の遺跡のいくつかも訪れることができて、ほぼ満足のいく一日だった。

大天井ヶ岳

日曜日(10/14)は大峰の大天井ヶ岳へ行ってきた。
実は大天井ヶ岳はほんの2ヶ月前に行っている。それなのにまた何故かと言うと・・・。
私が関西エリアで今一番行きたいのは吉野から高野山へ行く「弘法大師の道」。弘法大師が高野山を開く時に吉野から辿ったのではないかと言われている道で、全長約 55km。ただし史料として残っているのは「吉野より南に1日、西に2日。高野へ」ということくらいで、本当にこの道を辿ったのかどうかはまったくわからない。
しかし地形的に見るとこのルートはきれいに稜線を辿っており、谷筋を辿るということはまずあり得ないので、詳細はわからないにしても妥当なルートではないかと思う。
この道は長らく忘れ去れたような状態だったのだけれど、奈良県も絡んでこの道を再生しようと、ここ何年か毎年5月あたりにトレランのレースが開催されている。よくこんなルートでレースを開催するなぁという感じだけれど、一般登山者があまり歩かないような道だからレースが開催できるということかも。
レース前日は吉野の宿坊に泊まって、朝6時に金峯山寺をスタート。途中でいくつかの関門があって、ゴールのリミットは午後8時。トップ選手は7時間半くらいでゴールするようで、参加選手のレベルに若干の違いはあるけれど、おそらくハセツネよりも厳しい。
このルートはずっと稜線を辿るので途中で自然の水を得られる場所が無い。そういう意味ではこのレースに参加するのがもっとも安全に辿れる方法なのだけれど(途中にエイドポイントがあるので)、もはや今の私にはそれだけの体力も気力も無い。
個人的にやるとしたらテント泊の1泊2日ということになるだろうが、それも決して楽ではない。小辺路のようにはいかない。
いずれにしてもいきなり本番というわけにはいかないので、2ヶ月前の大天井ヶ岳もこのルートの一部下見が主たる目的だった。
地図を見ているとどうしても道の不明瞭な部分が気になるのだけれど、実は序盤の吉野から大天井ヶ岳までも重要ポイントである。道は大峰奥駆道なのでしっかりしているけれど、ルート上で最も標高の低い吉野から最も高い大天井ヶ岳まで、標高差で 1000m 以上登らなければならない。距離も 15km 近くある。
青根ヶ峰から吉野は一度下ったことがあるけれど、登ったことは無い。
そこでこの部分を肌で感じるべく、出かけることにした。

5時3分の始発電車に乗って、吉野に到着したのは8時前だった。電車を降りたのはほんの数人程度。
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駅前のベンチで準備を整えて、8時13分に出発した。
ロープウェイ駅を過ぎて階段を上がった所に鳥居があって、そばに「近道」という案内が出ていた。青根ヶ峰から下った時はほとんど車道をそのまま下ったように記憶している。
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その案内の方に行ったところ、ほとんど車道をショートカットして、12分くらいでロープウェイの上の駅まで来た。
そのまま進んでまずは黒門。
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そして銅製の鳥居。
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メインストリートはまだ朝が早いせいか、閑散としている。いずれにしても吉野に観光客が訪れるのはほとんど桜のシーズンだけのようだ。
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今日はあまり寄り道はせずに行くつもりだけれど、金峯山寺の蔵王堂は寄っておく。
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しばらく進むと Kobo Trail のテープマーク。
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金峰神社はパス。
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この先から登山道になって、青根ヶ峰から下った時に休憩した東屋のある所。
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高城山もパスして、前回、青根ヶ峰から下りてきた所。昔はここが女人結界だった。
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前回、青根ヶ峰に登った所を過ぎて、そこから先は初めてのルートになる。少し車道を行くと右の山道に案内表示が出ていた。
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少し登って、また下って、結局先ほどの車道に出た。しばらく車道を進むと、左に道標が。ここから四寸岩山(しすんいわやま)への登りになる。
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四寸岩山の山頂に近づいた頃、エンジン音が聞こえてきた。何と、登山道を整備されている方がおられた。こんなところまで草刈り機を運んでこられたのだろうか。
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このすぐ横が四寸岩山の山頂(1235.9m)だったので、ここから左に入った。10時51分。出発から2時間40分だった。展望はまったく無し。
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山頂から少し下りた所でまた登山道を整備されている方がおられた。「ありがとうございます」とお礼を言って通り過ぎた。
やや下り気味に進むと足摺宿。なぜか管理者は滋賀県の方。
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このあたり、登山道の右側は杉の植林で、左側は自然林(ブナ?)という対照的な風景。
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標高で 1050m くらいまで下った頃、また車道に合流した。
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すぐにまた登山道になって、結構な急登もあったりして、二蔵宿。ここは中にはストーブもあって、きれいに管理されている。ここも管理者は滋賀県の方。
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そしてここに分岐があった。まっすぐ道なりが山上ヶ岳で、大天井ヶ岳は右に上がることになっている。奥駆道はずっと一本道と思っていたので、あわてて地図で確認したところ、道なりに進むと大天井ヶ岳をトラバースして五番関に出るようだ。そう言えば五番関にそんな道標があったような気がする。
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次第に登りの傾斜が急になってきて、木を切り出すレールが出てきた。先日、大天井ヶ岳の山頂直下にあったものに違いない。
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トリカブト? ピンボケ。
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山頂に近づくと道も厳しくなってきて、滑りやすい岩肌に古いロープが垂れ下がっているような場所が何カ所かあった。
12時28分、出発から4時間15分で大天井ヶ岳の山頂(1439m)に到着した。ここも展望は無し。
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大天井ヶ岳は知名度では山上ヶ岳や八経ガ岳などには劣るけれど、登りごたえのある立派な山だ。
今日、初めて腰を下ろしておにぎり休憩にしたとたん、10人くらいのパーティがやってきた。そそくさと下山に移る。
実は12時までに到着したら小南峠を経由して北側に周回しようかと思っていたのだけれど、思ったよりも距離があったので来た道を戻ることにする。
下山開始から40分くらいで車道のところまで戻ってきた。さてこれからどうするか? 登山道だとまた四寸岩山までまた標高差で 200m ほど登り返さなければならない。部分的には急坂もあったのを覚えている。地図を見ると車道は若干大回りにはなるけれど、ほぼ同じくらいの標高で青根ヶ峰まで続いている。
かなり迷ったけれど、もう消化試合なので車道を走ることにした。所々にススキ。
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ちょうど四寸岩山の下あたりにワゴン車があって、登山道の整備をされていたと思われる二人がおられた。横の斜面には階段が設置されていて、ここから登ってこられたようだ。車は滋賀県ナンバーだった。
今日、初めての展望らしい展望。水墨画のような幻想的な光景だ。どれかが高野山。
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振り返ると、山頂に雲がかかっているのがおそらく大天井ヶ岳。右の三角が山上ヶ岳?
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行きに登山道に入った箇所まで、車道に出てから40分ほどで戻ってきた。登りは山道で1時間20分くらいだったので、もし山道を下っていたら1時間10分くらいはかかったと思う。良かった良かった。
ちょうどここの後ろに掘っ立て小屋があって、そこがトロッコレールの起点だった。
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下りは登山道部分以外はほとんど走って、花矢倉展望台にはちょっと寄り道。
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手前は吉野の集落。奥は金剛葛城山系。二上山は見えにくい。
別の場所からは北に龍門岳。
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メインストリートはそれなりの観光客もおられたので早歩きくらいで通過して、午後3時16分に駅に戻ってきた。車道を走ったせいで大天井ヶ岳からの下りは2時間半ちょっとくらいで、トータル約30km、ほぼ7時間だった。
駅のホームには「青の交響曲」が停まっていた。もちろん私は普通の急行で阿部野橋へ。
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さて、2ヶ月前と今日の下見を踏まえて、本番をどうするか・・・。一番感じたのは、重荷を背負っての縦走は避けたいということ。途中に給水ポイントがあればいいけれど、水をたくさん背負っての歩きは今の私には難しい。
妥当な手段はかつてダイトレ全コースを行ったやり方だろうか。終電前の電車でスタート地点に着いて、夜を徹して走る(歩く?)というもの。
しかしダイトレをやったのはもう5年前のこと。その頃の経験はもはや参考にはならない。いや、そんな経験に頼ってはいけない。
ただ、ここ2年ほどテント山行を何度かやった経験から考えると、重荷を背負うよりは軽装で走り(歩き)続けるスタイルの方が自分には適しているとは感じている。
大天井ヶ岳までは夜間行動でも問題無いので、6月くらいの、4時を過ぎると薄ら明るくなってくる季節であれば、弘法大師の道に入る頃は少し明るくなっているだろう。
やるとするなら来年というのが妥当なところだけれど、果無山脈を敗退した時と同じように、思い立つと我慢できなくなるところがある。ダイトレも11月後半という夜の長い時期に行っている。
さて、どうするべきか・・・。

相馬選手の遺骨見つかる

4年前にマッターホルンで遭難されたトレイルランナーの相馬剛さん遺骨が見つかったと報道された
温暖化の影響で氷河が後退したおかげで遺骨と荷物の一部が発見されたらしい。DNA 鑑定の結果、相馬剛さんと確認されたもよう。
ご家族の方は一安心されているだろう。
普通、ヨーロッパアルプスで氷河に落ちた遺体が見つかることはほとんど無い。まれに何十年か後になって、氷河に流されて下流の方で見つかることがあるくらいだ。
私も初めてヨーロッパアルプスへ行った時、ミディの氷河をパートナーとロープに繋がったまま滑落したことがある。傾斜が緩んできたせいもあって運良く止めることができたけれど、もう少し流されていたらクレバスに滑落していた。
山の遭難では遺体が出てこないことが少なくない。遺体が出てこないとすぐには死亡と判断できないので、失踪扱いになる。何年か経過して(7年?)、ようやく死亡扱いにできるのだけれど、それまでは生命保険も出ないし、遺産相続もできない。それなのに捜索費用はどんどん嵩んでくる。
もちろん、海や川での事故も同じだ。
いちおう自分で自分を戒めてはいるのだけれど・・・。

生駒縦走

先の三連休は中日に随行の仕事が入っていたので遠出は出来なかった。幸か不幸か天気も今ひとつだった。
連休3日目の月曜日(9/17)は特に用事が無かったのでどこかへ行こうとは思っていたけれど、なかなかうまいアイディアが思い浮かばなかった。
天気が今ひとつということもあったけれど、懸案は台風21号の影響。日帰りエリアの山はおそらくどこへ行ってもそれなりの影響を受けているだろう。電車を乗り継いで行って、倒木に阻まれてすごすご帰ってくるというのは避けたい。
そこで、このところ長い距離を走るということをほとんどやっていないので、走れるパートの多いコースで手頃なところということで、久しぶりに生駒の縦走をやってみようと思った。これなら家からスタートできるし、王寺まで行けば 40km 以上になる。トレイルもそれなりにあるので、そこそこの満足感は得られそうだ。
と言うか、はたしてきっちりと走りきれるだろうか? 頭の片隅にそんな不安を感じながら、7時25分に家を出発した。

まずは図書館に寄って、今日が返還期限の本を返しておく。
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穂谷川にはヒガンバナが。
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肉のランクを偽装していたステーキレストランの「恒(つね)づね」。私は行ったことはありません。
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国見山への山道に入ったところ、さっそくこれ。
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斜面を適当に這いずり上がって、国見山(284m)へ。
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白旗池のそばの道は通行禁止。実際はそれほど荒れてはいなかったけれど。
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家から1時間半ほどかかってようやく交野山(341m)。
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傍示に抜ける道もこんな感じ。
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くろんど園地に入ろうとしたら立ち入り禁止とのこと。
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祝日なので工事の人がいないことを祈って突入。広い道はほとんど問題無く休憩所へ。ここでジェルを補給。
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ゴルフ場もそれなりの被害があったと思うけれど、さすがにこういう民間の施設は復旧工事が早い。
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ほしだ園地の道はそれほど荒れていなくて、飯盛霊園を越えてむろいけ園地に向かう。ここから先は久しぶりだ。
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いつもなら釣り客が何人かいる堂尾池も今日はひっそり。
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車道を渡ってむろいけ園地に入ろうとしたらまたもや立ち入り禁止。
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恐る恐る入ってみたらそれなりの数のハイカーに出会った。出発して3時間半を過ぎているので、池のそばでおにぎり休憩にした。
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阪奈道路へ出る道も通行止め。荒れてはいたけれどそれほど大したことは無かった。
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ようやく生駒山の取り付きまで来た。距離的には半分を過ぎている。
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いつもの山道に入ろうとしたらここも通行止め。
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1箇所、沢筋の橋が壊れていた。
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天気のせいか台風のせいかわからないけれど、ハイカーは少ない。生駒ボウルダーを走るランナーの方が多いくらい。
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それほどの問題も無く生駒山頂への最後の登りにさしかかったところ、またもや通行止め。
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それほど問題は無いと思いながら登っていたところ、車道に出る直前で土砂崩れの跡。
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しかしここもこの斜面を登っている足跡がちょっとあって、登りなので特に問題は無かった。下りだったらちょっといやらしいかも。
5時間15分くらいかかってようやく山頂遊園地に到着した。遊園地はちょっと改装されたような感じ。三角点(642m)はどこ?
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自動販売機でコーラを買って、ぼたもち休憩にした。小雨がパラパラ。
車道脇の展望台から矢田丘陵を望む。
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滑りやすい道を慎重に下って、暗峠(くらがりとうげ)。
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鳴川峠を通過。
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この先で出会った人が、十三峠からは車道を行った方がいいと教えてくれた。本来は車道は歩行禁止なのだけれど、登山道は随分荒れているらしい。
そして十三峠へ。
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アドバイスに従って車道を行くと、前から来るハイカーとすれ違った。そしてもう少し進むと車が通行止め。
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そのまま車道を進むと改修工事をやっていた。工事の方が「ハイカーは登山道を歩いている」と言われたので登山道に入ったところ、確かに何人かのハイカーに出会った。しかしさらに進むと雑草が激しく茂っていて、とてもそのまま進めるような状況ではない。
ちょうど車道のすぐそばに出た所で車道に出た。工事区間も終わっていて作業する人はいない。
どうもこのあたりの車通行止めは昨秋の台風の影響のようで、その頃から登山道があまり歩かれなくなっているのかも知れない。「登山道が荒れている」というのは倒木ではなくて、生い茂った雑草が原因だったようだ。
高安山への分岐に到着。車道はここまで通行止めになっていた。
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高安山方面に向かって、高安山手前で左に折れて信貴山に向かう。
やはりそれなりの倒木はあったけれど、何とか無事、信貴山(437m)に到着した。
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展望場所からの金剛山地。
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参道を下る。
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最後は車道を王寺に向かって下る。途中から眺める矢田丘陵南部。右のすそ野のあたりに法隆寺。
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3時55分にようやく王寺にゴールした。
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約45km、8時間半でした。

大天井ヶ岳、山上ヶ岳

23日から26日まで随行で穂高周回の予定だったのだけれど、台風直撃で中止となってしまった。しかし台風は24日に通過したので土日の週末は大丈夫のはず。
天気予報では台風が過ぎても台風一過の快晴とはならないとのことだったので遠出は避けて、さりとて近場の 1000m 程度の山ではおそらく暑さが厳しいので、近すぎず遠すぎずの適当な場所ということで大峰を選択した。
吉野から高野山へ至る「弘法大師の道」というのが以前から気になっていて、そのコースで「Kobo Trail」というトレランレースがここ何年か5月に開催されている。このコースはその大半が登山地図には記載されていない不明瞭な道で、しかもずっと稜線を辿るので水場がまったく無い。
弘法大師が高野山を開く時、吉野から辿ったルートがこれではないかと推測されているのだけれど、正確な記録はまったく残っていない。
約 55km のコースで、もはやレースに参加しようという気にはならないけれど、今の自分では一気に駆け抜けるのはまずムリ。テントを担いで1泊2日なら何とか行けるかもと思うけれど、水場のことを考えるとなかなか思い切ることができない。
とは言っても少しくらいはどんなコースなのか味わってみたいという気持ちはあって、序盤にこのコースの一部を辿るルート設定にした。

朝5時前に家を出て、ノンストップ約2時間で洞川の母公堂(ははこどう)前の駐車場に到着した。ここは昨年3月に山上ヶ岳へ行った時に利用した所。
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母公堂は役行者が、大峰で修行している自分を心配して追いかけてくる母親のために建てたと言われているもので、母親がこれ以上、山に近づくと危険なので結界門を設置して、それから大峰の女人禁制が始まったとか。
7時5分に駐車場を出発して、車道を一旦温泉街に戻って、スロージョグで小南峠(こみなみとうげ)へ向かう。
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今回のルートで唯一不安なのが、小南トンネル脇から稜線へ乗り上げる所。地図には道は無く、はっきりした情報も得られなかった。しかし Kobo Trail では洞川温泉を出発して小南峠で稜線に合流するコースもあるので、何らかの標識が残っているのではないかと期待していた。
と思っていたところ、さっそく道ばたに残骸が出てきた。
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そしてトンネル手前には期待通りの標識が。
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おそらく Kobo Trail のために造られた道で、それ以外の時はほとんど誰も通っていないだろう。踏み跡も不明瞭で、所々に残るテープマークが唯一の目印。
わずか3分ほどで小南峠に出た。ちょうど8時。
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道は不明瞭で、杉の枯れ枝がたくさん落ちていて、傾斜は緩いけれど足元が悪くて走れない。ただし稜線を辿るので大きくロストする心配は無さそう。
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最初のピークの高山(1169.6m)。展望はまったく無し。「弘法大師の道」という標識が随所に設置されている。
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小天井ヶ岳(1170m)には9時4分、出発してほぼ2時間で到着した。このあたりまで来ると足元の杉の枯れ枝はほとんど無くなっていた。
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大天井ヶ岳が近づいてきて、ようやく奥駆道の稜線が眺められるようになってきた。
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山頂直下でも木材搬出のためのレールが設置されている。
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大天井ヶ岳(おおてんじょうがだけ、1439m)には9時43分に到着した。ここも展望は無し。
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少し下って奥駆道に合流した。ここまでが Kobo Trail のコースの逆走。よくこんな道でレースをやるなぁという感じ。おそらくレースの時以外は歩く人は非常にまれだろうと思う。行くならレースが開催されている今のうちだ。今ならコースマークが随所に残っているけれど、これが無くなったら一段と道が荒れて、相当困難になるだろう。
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ここからはガンガン下る。ここで今日初めて登ってくる二人パーティに出会った。
女人結界門の五番関に到着。ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。
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ここからの道は所々鎖場などがあるけれど、なかなか気持ち良くて楽しい道だった。
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たまには南の方の展望も。
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もちろんこんな箇所も。
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法螺貝の音が聞こえてきて、11時22分に洞辻茶屋に到着した。
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修行の集団がたくさんいて、運悪く数人グループの後になってしまったが、次の休憩所で止まってくれたので先に出ることができた。
前回来たのは積雪期だったので修行者には逢わなかったので知らなかったのだけれど、このあたりでは山中で人に出会うと「おまいり〜」と挨拶するようだ。
朝からずっとほとんど人に会わずに歩いてきたので、突然別世界に入り込んだ気分。
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有名な「西の覗」にも寄っておく。
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ここから身を乗り出します。体験料 500 円なり。
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こんなロープで大丈夫なのか?
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ようやく山門へ。
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あとちょっと思ったらとんでもない障害物。前日の台風のせい?
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本堂の広場に到着。
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お花畑には花は無し。
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最高点の湧出岩(ゆうしゅついわ、1719.4m)。12時5分。出発してちょうど5時間だった。
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目の前に稲村ヶ岳。後ろは弥山や八経ヶ岳あたり。
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レンゲ辻方面への道がよくわからなくて少しウロウロしたけれど、ようやく分岐を発見。
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ここからの下りはなかなかの道で、岩場や階段などがたくさん出てきた。昨年の正月に来た時にはレンゲ辻の手前で敗退したけれど、あそこで戻って正解だったと思った。積雪期にトレランシューズ、スパイク、ポールで歩けるような道ではない。
一気に下ってレンゲ辻へ。ここも女人結界門。ここで腰を下ろしてどら焼き休憩にした。
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これで今回興味のあったコースはほぼ終了。あとは消化試合という感じ。で、これまでに歩いたことのある稲村小屋経由で母公堂に下りようと思っていたのだけれど、いざ歩き出すとなかなかの登りで、どうも気持ちが切れてしまった感じ。レンゲ辻から直接下る道もあるので、そちらに気持ちが揺らいだ。
実は今回、やりたかったことがもう一つある。それは、洞川温泉にはもう何度も来ているのだけれど、温泉にはまだ一度も入っていない。今回はぜひ温泉に入って帰りたいと思っていた。
レンゲ辻から沢筋を下ると終盤がずっと車道になるので、ずっと山道の稲村小屋コースを考えていたのだけれど、早く下って早く温泉に行きたいという気持ちが大きくなって、踵を返して沢筋を下ることにした。
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しかしこの道もなかなかの難路だった。鎖場が随所にあって、しかも前日の台風のことを途中で思い出して、もしどこかが崩れていて下れなくなったらどうしようという不安の念が頭に広がってきた。
流れを何度も渡りながら下っていくのだけれど、下れば下るほど水量が多くなって、ルート取りを間違うと困ったことになる。テープマークが所々にあるけれど、元々そこにあったのか、流されてそこに来てしまっているのかわからない。
最後の方ではムリに石を飛んで転倒するよりも足が濡れるくらいの方がマシと思ってジャブジャブと渡った。こういう時はトレランシューズはいい。登山靴やトレッキングシューズではなかなかここまでは思い切れない。
レンゲ辻から約50分、ようやく車道まで下りてくることができた。
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車道は当然走る。数分で清浄大橋に来て、ここの女人結界門にちょっと寄り道。
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母公堂には午後2時ちょっと前に戻ってきた。これなら温泉でゆっくりできる。
これまで来た時はすべて冬だったので、休日でも温泉街は閑散としていて、これで営業が成り立っているんだろうかと心配になるくらいだったけれど、今日は結構な数の観光客で賑わっていた。何となく温泉は冬場の方が気持ちいいんじゃないかと思っているのだけれど、どうも世間ではそういうわけでも無さそうだ。
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温泉そのものは可も無く不可も無くという感じで600円は妥当なところ。洞川は大峰講の宿場としての歴史は古いけれど、温泉が掘られたのはまだ30数年前くらいのことらしい。昔から温泉が湧いていたというのではなくて、観光資源として掘削して温泉を掘り当てたというのが実情のようだ。
帰りの道もスムーズで、6時前には家に帰り着くことができた。昔は大峰は交通の便が悪くて、大峰へ行くくらいなら白山にでも行った方がコストパフォーマンスがいいという感じだったけれど、高速道路のおかげで随分便利になった。

天童山、飯森山、桟敷ヶ岳、魚谷山

好天の約束された土曜日(6/2)、予定の半分も行けずに終わってしまった城丹国境のルートを完成させるべく、京都駅6時50分のバスで周山に向かった。
天童山、飯森山もかつて憧れたエリアなのだけれど、私が中学生の頃は周山というのは地の果てくらい遠い場所だった。廃村八丁や大悲山と同様に、訪れる機会も無いまま北山からは足が遠のいてしまった。
R162もその当時とは比べものにならないくらい整備されて、京都駅との間で1日10本くらいのバスが運行されている。そうは言ってもバスに1時間半近く乗っていなければならないので、気楽に行ける場所ではない。

「ウッディー京北」という道の駅の前の停留所でバスを降りて、準備を整えて出発したのは8時22分だった。
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まずは縄野坂を目指す。わざわざ足を運ぶほどの大した峠ではないのだけれど、今回は「北山の峠」に紹介されている峠道もできるだけ訪れてみようと思っている。
R162を数分行った所から未舗装道路が出ている。多分ここだろう。
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ゆるい登り坂をわずか3分くらいで峠の頂へ到着。
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ここから古い山道が出ている。
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しかしこの道もほどなく消えてしまった。2014年版の登山地図には実線ルートで表記されているのだけれど、これまで道標のようなものはまったく無し。
右側の斜面の下に車道が見えたので、ヤブを適当に下った。
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しばらく車道を行って、茶呑峠への林道に入る。
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最初は前回のルートに繋げるべく、河原(こほろ)峠への山道に入るつもりだったのだけれど、その道が見あたらない。分岐のあたりに古い赤テープがあったけれど、登山道は無い。
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この道も例の登山地図には実線ルートで記載されているのだけれど、ヤブこぎはもうあまりやりたくないので、このまま林道をつめて茶呑峠へ向かうことにした。
林道は分岐が何カ所かあったけれど、gps のおかげで変な方向に迷い込むことも無く、9時34分に茶呑峠に到着した。
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ここからようやく登山道らしい登山道になる。城丹国境(山城と丹波の国境)の稜線に上がるまではなかなかの急登で、先日の半国高山周辺もそうだったけれど、道はほぼ真っ直ぐ直登している。と言っても踏み跡程度なので、ジグザグに登ろうと思えば行けなくも無い。
城丹国境に上がると傾斜は緩くなる。残念ながら展望はほとんど無し。
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10時1分、天童山(775m)に到着した。茶呑峠からここまでは京都一周トレイルの京北コースになっている。
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反射板のある場所でようやく展望が開けた。南西方向だけれどどこが見えているのかさっぱりわからない。
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このあたりは自然林で気持ちいい。何よりも誰にも会わなくて静かなのがいい。
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10時26分、飯森山(791m)に到着。ジェルを補給した。
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飯森山から少し下った所が大谷峠。ただし道標などはまったく無し。この峠は昔は多くの通行人で賑わったらしい。
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2本の送電線鉄塔を越えるといつの間にかナベクロ峠ではなく祖父谷峠の方に向かっていた。しかし祖父谷峠は最初から寄り道するつもりだったので、そのまま送電線巡視路を下って、11時22分、祖父谷峠に到着した。出発してからちょうど3時間だった。
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ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。それから少し北側にある首無しのお地蔵さんへ。
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送電線巡視路を登り返して桟敷ヶ岳へ向かう。ナベクロ峠はどこだったのかわからずに通過。
12時1分に桟敷ヶ岳(895.7m)に到着した。ここを訪れるのは一体何十年ぶりだろうか。中学生の時に何度か来たのは覚えているけれど、高校時代に来たかどうか、はっきりした記憶が無い。それ以降はまったく来ていない。
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さすがに時間も時間なので、ここでは10人くらいのパーティがランチタイムを楽しんでいた。
さて、ここからは祖父谷への最短路で下りたいのだけれど、山頂には道標がまったく無く、どこが道なのかさっぱりわからない。この道も例の登山地図には実線ルートで記載されているのだけれど。
東向きに適当に下ったら踏み跡が出てきたのでそのまま少し下ったところ、ずいぶん南へ向かっている道のようだったので、予定の方向に向かってヤブ斜面を強引にトラバースした。
急な斜面を慎重にトラバースして、おそらくこれがその道だろうと思われる沢に出たのだけれど、とんでもなく荒れている。
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しかしこれを下りるしか無いので強引に下って行ったら、杉の植林が出てきた。そして無事、祖父谷の林道に下り立った。
次は狼峠の方へ向かうのだけれど、おそらく橋があったであろう箇所が完全に崩壊している。
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崩壊している斜面の上の方がおそらく道だろうと思われたので、少し上流を飛び石伝いに渡って、かつては林道だったのだろうと思われる道に出た。
狼峠はどこかわからないうちに通り過ぎて、山道に入った。
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13時19分、魚谷(いおだに)峠に到着したが、峠の標識がまったく無い。
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すぐそばまで林道が来ていて、そこに標識が立っていた。
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13時半に魚谷(いおだに)山(816m)に到着した。ここで腰を下ろしてどら焼き休憩。
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柳谷峠もそれと気付かないうちに通り過ぎてしまって、細ヶ谷の沢筋を下る。
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昔、北山荘のあった場所にはこんな案内板があった。
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その頃は北山荘はこのあたりでは一番立派な山小屋で(もちろん北山の山小屋は営業小屋ではなくて泊まるだけの掘っ立て小屋なのだけれど)、ここに泊まることだけを目的にして何人かで訪れたことが何度かある。
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ほどなく直谷(すぐだに)の林道に出た。ここに林道が出来たのはもう随分昔のことだけれど、林道が出来てから訪れるのは初めてだ。
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緩い下りなのでジョグで行く。そして今回この道を選んだ最大の目的がここ、麗杉荘(れいざんそう)。
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中学、高校時代に一番思い出深い山小屋がこの麗杉荘で、ここに泊まることだけを目的にして友人と何度も来た。もはや崩壊寸前という感じで、カギがかかっていて中には入れなかった。
その当時は今西錦司氏のレリーフがすぐそばにあったのだけれど、別の場所に移されているらしい。登山地図では北山荘跡の近くに記載があるのだけれど、気が付かなかった。
※訂正
「今西錦司」氏ではなくて「森本次男」氏でした。
さらに下ると、その当時もかなり古びていた直谷山荘はすでに崩壊して残骸のみ。
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このまま雲ヶ畑に出るとバス便が不便なので、樋ノ水谷をつめる。沢の合流地点あたりはかなり崩れていて道がどうなっているのか不安だったけれど、しっかり橋が設置されていた。この道は初めてだ。
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右岸の斜面に大崩壊の跡。
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こんな看板が現れた。
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こういうのを見るとついつい行ってみたくなるのだが、実はこの方向は間違いで、結局戻ってここを右に行くのが正解だった。
14時47分に樋ノ水峠に到着した。
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ここから先は何度か歩いた道。緩い下りで路面もきれいなので、当然走る。
二ノ瀬ユリに合流してからも走り続けて、途中でハイカーに何度か追いついた時以外はずっと走り続けて、15時19分に京福の線路横の富士神社に到着した。
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駅まで行くと着替える場所が無いので、ここの境内の影で着替えてから二ノ瀬の駅に向かった。
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直谷の林道は中学2年の時に初めてテント山行した時に雲ヶ畑から歩いた道で(もちろん当時は林道ではなく沢筋の山道だった)、決して忘れることのないルートなのだけれど、谷の様相はすっかり変わり果ててしまった。もちろん林道になっていなかったとしても当時の映像的な記憶などまったく残っていないのだけれど。写真も無いし。
私の登山の原点になったルート、そして懐かしの麗杉荘と桟敷ヶ岳、今回ようやく訪れることができた天童山と飯森山。新鮮さと郷愁の入り交じった何とも言えない印象深い山行だった。