平湯尾根から乗鞍岳

乗鞍岳はこれまで無雪期の登山の対象に考えたことは無かった。上部まで車道が通っているし、天候さえ見極めればおそらく一番簡単に登れる 3000m 峰だろう。
西側や南側には渋い登山道があるけれど、登山口までのアプローチが大変だったり、距離が長かったりと、そこまでして行きたいと思えるほどの魅力は感じられない。
先日の乗鞍スカイライン歩きは突然の行き先変更で行ったもので、予め計画していたプランではなかった。装備が不十分で 2800m で敗退となってしまったのだけれど、スカイラインの桔梗が原のあたりから北側の尾根に登山道が続いているのを見て、帰ってからちょっと調べてみた。
私が持っていた古い登山地図では平湯から沢沿いの破線ルートが記載されていたのだけれど、今は尾根伝いの道があって、しっかり整備されているらしい。さっそく新しい登山地図を購入した。
このルートなら早朝発で一日で乗鞍岳を往復できそうだ。標高差 1700m くらいで、それなりの充実感も得られそう。先日はピークまで行けなかった心残りもあるので、そのモヤモヤを解消するためにも早めに実行したい。それに観光シーズンになると山頂エリアは観光客でごった返しそうだ。
昨日(6/17)の日曜日は好天予報で絶好の機会だった。前日の土曜日の昼頃に家を出て、一路平湯へ向かった。

スタートは平湯スキー場で、問題は車をどこに置くかということ。平湯のキャンプ場は駐車料金 1000 円。むかし山スキーで金山岩に行った時はスキー場の駐車場に置いたのだけれど、ここにはレストランがあって、無雪期にはこの店の駐車場という雰囲気になっている。ちょっと停めにくい。
安房トンネルの入り口のそばにちょっとした駐車スペースがあるのだけれど、ちょっと落ち着かない感じ。
スキー場の横の車道を上がって行くと、平湯の大滝公園の駐車場があった。ありがたいことに、公園は閉鎖されているけれど駐車場は使用可とのこと。
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ここならスキー場までもすぐだし、駐車スペースはたっぷりあるので迷惑にはならないだろう。早めにすき焼き鍋で一人宴会して、7時過ぎにはシュラフに入った。
2時起床。おにぎりとカップ麺、コーヒーといういつもの朝食を摂って、2時55分に駐車場を出発した。
今回、新しいスマホのカメラを初めて夜間に使ったのだけれど、どういう訳か霧がかかったようなぼけた写真しか撮れなかった。
スキー場の麓の柵に入り口があることは前日に確認しておいた。
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※下山時の写真
ゲレンデの斜面を上がって行く(左側の緩い斜面)。
ゲレンデの最上部に着いた時、横の方でがさごそという音が聞こえた。びっくりしてそちらを見てみたら、放牧されている羊の群れだった。向こうも夜中にライトが近づいてきたのでびっくりしたのだろう。しかし暗闇で動物の群れに出会うというのは心臓に良くない。
さらに少し上がって、約1時間で登山道の入り口に到着した。これまでに標高差で 500m ほど上がった。
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※下山時の写真
この時期は4時前になると東の空が白んでくる。前方に金山岩。山スキーへ行った時はこの尾根をスキーで登った。
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イワカガミがいたるところに。白い花は何かわからん。
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ご来光は運悪く樹林帯だった。
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5時半に乗鞍権現社に到着した。
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展望が開けて剣ヶ峰が見えてきた。右端は四ッ岳。
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このあたりからルート上に残雪が出てきてルートがわかりにくい。しかもここは下りで、雪面もまだ堅い。とは言ってもここでチェーンスパイクを装着するのはちょっと面倒なので、何とかポールを支えにして下る。
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このあとまたルートが稜線上に出るあたりから風が強くなって、体感温度が一気に下がってきた。この先がどうなるかわからないので、風が当たらない場所で中綿ジャケットとライトジャケットを羽織った。今日持ってきた防寒具はこれがすべて。あとはペラペラのオーバーパンツのみ。
いよいよ展望の素晴らしい稜線歩きになった。振り返ると北アルプス。笠ガ岳から槍穂高連峰。風は治まっている。
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スカイラインに近づいたあたりにはキバナシャクナゲ(ハクサンシャクナゲ?)が随所に。
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ようやくスカイラインのすぐそばまでやってきた。しかし最後にちょっとした雪面を越えなければならない。
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斜面の左側がこの下どうなっているのかわからないので、念のためにチェーンスパイクを装着した。しかしチェーンスパイクは硬い雪面には良く効くけれど、軟雪にはあまり効果が無い。トレランシューズはキックステップができないので、慎重に上がった。
7時11分、出発して4時間15分でスカイラインに出た。緩い登りはスロージョグで、汗ばみながら畳平のバスターミナルに到着した。左の赤い三角屋根が先日テントを張った建物。すでにバスは何台か到着していて、登山者がたくさん登りだしている。
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ここのベンチでおはぎ休憩にして、ジャケットを2枚とも脱いだ。快晴無風の絶好のコンディション。
前回来たときにここから剣ヶ峰方面に斜めの道が上がっているのを見ていたのでそこを行こうと思ったのだけれど、実は道ではなくて、立ち入り禁止の看板が立っていた。前回ショートカットして這い上がった場所も今日は立ち入り禁止。やむなくV字に大回りすることになってしまった。
前回急な雪面をトラバースした場所は実はしっかりした道があって、今日はすっかり整備されている。ちょうど断念して引き返したあたりの斜面はなかなかの急傾斜で、ムリをしなくて良かったと思った。
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何カ所か残雪の斜面があったけれど、チェーンスパイクは着けずに進んだ。あと少し。
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8時48分、出発して6時間弱で剣ヶ峰(3025.7m)に到着した。山頂は 360 度の絶景。標識のバックは白山。
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北アルプス。
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左は八ガ岳。真ん中奥は南アルプス。その手前は中央アルプス。
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御岳。
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展望を楽しんだら早々に下山。雪面の下りはチェーンスパイクを装着した。しかし登りの登山者が多くて、すれ違いに時間がかかった。
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時間的には余裕があるので、富士見岳(右)と大黒岳(左、だいこくだけ)にも立ち寄って行く。
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富士見岳(2817m)と言うくらいなので富士山が見えるかと期待したけれど、残念ながらそれは叶わず。
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富士見岳と大黒岳の間のコルは前回携帯の電波を求めて来たところ。ここのベンチで腰を下ろしておにぎり休憩にした。
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大黒岳の山頂エリアにはミヤマキンバイとハクサンイチゲがいっぱい。
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山頂(2772m)には御来光遙拝所がある。
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イワウメ。
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その後はしばしスカイラインを歩いたり走ったり。
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この稜線を下る。手前の雪面の上部を越えて行く。10時35分にスカイラインを離れた。
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途中、花の写真をいくつか撮ったけれど、ほとんど名前はわからず。
午後1時ちょうどに登山口に下り立った。気分的にはもう下りてきた感じだけれど、これからのゲレンデ歩きは結構長い。何せ標高差でまだ 500m 下らなければならない。最後の消化試合に備えておはぎ休憩。
朝、羊の群れに出会ったゲレンデトップ。
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スキー場のコースはスキーで滑るとあっと言う間だけれど、チンタラ歩くと結構長い。ようやくゴールが見えてきた。
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駐車場に戻ったのは午後1時45分だった。行動時間10時間50分。距離は約 29km でした。
このあとは当然、ひらゆの森へ。わりと空いていて、これまであまり入ったことの無かった露天の奥の方のフロも堪能しました。
好天に恵まれて、温泉も空いていて、おまけに帰りの道も渋滞も無くスイスイで、会心の一日だった。

京都一周トレイル・奥比叡

水曜日(6/13)は京都一周トレイル講座の随行で奥比叡を歩いてきた。
ほぼ1年前と同じルートを同じように歩いた。

昨年同様、前回下った道を登り返す。
出町柳から乗った叡電はたまたまこれだった。
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八瀬駅を8時20分頃スタートした。
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唯一の展望場所からは京都市内が見渡せたけれど、愛宕山の山頂は雲がかかっている。
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約1時間でスキー場跡に出た。
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予定通り9時半にケーブル駅に到着した。
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ケーブル駅そばの展望場所からの眺望は素晴らしかった。六甲まで見えている。
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歩き出して、つつじヶ丘からは琵琶湖が望めた。
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浄土院にお参り。
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そして釈迦堂。
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みろく石仏に寄り道。
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ついでに相輪塔。
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こんな倒木が。2月に来た時は無かったような・・・。
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ササユリ。シカによる食害で激減しているらしい。
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昼食は峰道レストランの展望台で。
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ここからの展望は素晴らしかった。琵琶湖、三上山、そして鈴鹿山系。 
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昼食後はまず玉体杉。
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ここからの京都市内の眺めも素晴らしくて、今度は愛宕山も山頂まで見えていた。
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今回は一周トレイルコースは横高山の手前で終了して横川に向かう。
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2時前に横川のバスターミナルに到着して解散となった。
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私は前回同様、横高山の登り口まで戻って大原側へ下山する。
最後の方で沢を渡るあたりは随分荒れていた。ちょっとびっくりしたけれど、先月トレイルレースが行われたコースなのでそれなりに整備はされていた。
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横川を出て50分ほどで登山口のバス停に到着した。
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運悪くちょっと前にバスが行ったばかりのようで、30分近く待たされることになってしまった。交通量の多い道なので車道を歩く気にはならなかった。

天ヶ岳

昨日(5/20)は登山講座で京都北山の天ヶ岳へ行ってきた。
天ヶ岳は私にとっては忘れることのできない山である。
中学二年生になった時、ワンダーフォーゲル部に入部した。その当時、ワンダーフォーゲル部には私の学年は一人しか部員がおらず、顧問だった理科の先生が授業でもしばしば「ワンダーフォーゲル部へ」と勧誘されていた。
スポーツ音痴だった私は野球やサッカー、テニスなどにはまったく興味が無かったけれど、山歩きならできるかもと思ったのかも知れない。初めてのトレーニングで腹筋運動をやって、翌日大変な筋肉痛に襲われたことを今でもはっきり覚えている。
そして初めてテント山行に行くことになった。上級生をリーダーにして、いつの間にか増えた同学年の二人と共に、四人で北山に向かった。
テント、まだシュラフを持っていなかったので毛布、そしてガソリンコンロ(往年の名器のホエーブス)を担いで、雲ヶ畑から直谷(すぐだに)をつめて、その後、芹生(せりょう)を越えて雲取山。そして百井から天ヶ岳を経由して大原に下った二泊三日の山旅だった。
体力の無かった私はバテバテで、腰を下ろすと睡魔に襲われてウトウトしてしまうという有様だったけれど、私の登山キャリアの第一歩だった。
今なら軽装で一日で行ってしまえるくらいのコースだけれど、その当時の中学生としてはなかなかの冒険だった。

その後、天ヶ岳には何度か登っているけれど、今日の予定のしゃくなげ尾根は初めてだ。
バスで小出石まで行って、しばらく車道を歩く。
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いよいよしゃくなげ尾根へ。
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なかなかの急登が続く。
稜線に上がると気持ちのいい道が続く。1ヶ月前ならシャクナゲ満開という感じ。
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どういうわけかたった一輪だけ、まだ開ききる前?
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鉄塔のある展望台からは鈴鹿山脈が望める。
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ルートからちょっとはずれた小高い場所で昼食。
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もうすぐで天ヶ岳という所で突然林道が。
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前回天ヶ岳に来たのはもう 10 年くらい前だろうか。所属している山岳会で亡くなられた二名の方(いずれも遭難ではなく病気)の追悼登山で訪れたのだけれど、その時はこんな道は無かった。
山頂(788m)はこの林道のすぐそばだった。
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下山は大原へ。途中、木々の向こうに鈴鹿北部が望めたけれど、写真ではわからない。
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モチツツジ。
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林道まで下りてきた。
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そして寂光院のそば。
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一応ここで解散して、大原のバス停からバスで帰ってきた。
それにしても天ヶ岳そばの林道にはがっかりした。百井峠の車道からはわずかな距離なので、こういう道が出来ていても不思議ではないのだけれど、まだこのあたりは林業が活きているということなのだろうか。
廃れていく峠道もあれば新たな林道が出来る所もある。北山のような山の道は登山者の都合ではなくて生活者の都合で出来たり廃れたりするのだろう。

雲母坂

水曜日(5/9)は京都一周トレイルの講座で比叡山の雲母坂(きららざか)を登ってきた。

京福電鉄の修学院駅に集合して、まずは鷺森(さぎのもり)神社へ。
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創建は千年以上前だそうだが、創建当時は別の場所だったらしい。
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次は曼殊院(まんしゅいん)へ向かう。正面にこれから登る比叡山が望める。
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曼殊院は外から眺めるだけ。
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いよいよ雲母坂へ。今日のルートは上り一辺倒で、この講座の中では一番キツイ。
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このあたりにはかつて雲母寺という寺があったそうだけれど、正確な場所などはわかっていない。
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1時間20分少々かかってようやく前回終点の水飲対陣跡に到着した。
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展望場所から愛宕山など。
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浄刹結界跡で昼食。
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午後もずっと登りで、千種忠顕の碑。この碑が建てられたのは大正で、それほど古いものではない。
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今日のゴールはケーブル比叡駅なのだけれど、時間があったのでちょっと寄り道した。
昔のスキー場跡。私が初めてスキーを体験したのはたぶんここだったと思う。
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それからケーブル比叡駅に着いて、展望場所に寄り道。展望場所は2カ所あって、南の方からは生駒方面が望める。
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今日のゴールはここ。
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皆さんはケーブルで下山されたけれど、私はいつも通り山道で下る。ただし一人だけ歩いて下りたいという方がいらっしゃったので一緒に下った。
登山地図には載っていない道で、歩く人は少ない。滑りやすい急斜面を下って、回峰行の道に合流。
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この道も下の方に浄刹結界跡がある。
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その後、ケーブル八瀬駅を通過して、京福の八瀬比叡山口から家に向かった。思いのほか寒い日だった。

ほだ火・・・

昨秋から登山講座で六甲全山縦走路を歩いている。つい先日も歩いたばかりだ。
昨年も個人的な全山縦走は2回やっていて、決して六甲から気持ちが離れたわけではないのだけれど、キャノンボールを卒業したと決めたのがきっかけになったのか、自分の中では随分遠のいた気持ちになっていた。
しかし講座で分割してのんびり歩いていると、また無性に夜間ランがやりたくなってきた。702 の深夜カレーもまた食べたいという気持ちがふつふつと湧いてきた。
3年前の篠山マラソンを 33km でリタイアしてからはロードレースをまた走りたいという気持ちになったことは一度も無いし、トレイルも今はレースに出たいという気持ちはまったく無い。
しかしどうもキャノンボールだけは別物のようで、まだ未練が残っているのかも知れない。
昨秋の大会はエントリーしなかったのだけれど、この3月の大会の案内を見たら勢いでエントリーしてしまった。
とは言っても今回は往復ではなくて夜間の片道。
昨年3月の大会は往復でエントリーしたけれど結局片道でリタイアしてしまって敗北感しか残らなかったので、今度は最初から片道で行こうと思う。
何と言っても六甲全山縦走は夜間が素晴らしい。
昨年は寒さにやられたので、今年は暖かくして走ろうと思う。

ホタル

子供の頃は、京都の賀茂川でホタルが見られた。何度か見に行ったのを覚えている。
しかしその後の高度成長期に伴う自然環境の悪化でいつの間にかまったく見なくなってしまったが、特に昆虫ファンというわけでもないので、それほど気に留めたことも無かった。
今やホタルは郊外の水質の良い川にでも行かなければ見られないものと思っていた。
ところが先日、花の講座で山田池公園へ行った時、近くにいた人が(知らない人)「山田池にホタルがいる」という話をされているのを小耳にはさんで、帰宅後にさっそく調べてみたところ、確かに山田池公園にホタルがいるようだった。
しかもちょうど今頃がシーズンらしい。
となると、行ってみるしかないではないか。
さっそく昨日の夜9時頃、自転車で出かけた。
いるならおそらくここだろうと思っていた場所に近づくと、さっそく1匹飛んでいるのに出会った(正しくはホタルは「匹」ではなくて「頭」で数えるらしいけれど、何となく違和感があるので・・・)。
さらに進んで核心部と思える場所に近づくと、たくさん飛んでいるではないか!! 100 匹とまでは言えないにしても、数十匹くらいは飛んでいる。
他にも見に来ている人が何人かいたけれど、ほんの2〜3人程度。
岩に寄りかかってしばし見とれた。
一応デジカメを持ってきていたのでビデオ撮影をしてみたけれど、数年前の2〜3万円程度のシロモノでは写るわけもなかった。
ほとんどは水の流れの上あたりを飛んでいるけれど、道の方まで出てくるのもたまにいて、地面に止まったのをすぐそばで眺めた。とは言っても暗闇なのではっきりした形状はわからない。
思わず持って帰りたい衝動に駆られたけれど、入れるものも無いし、そんなことをしたらすぐに死んでしまうのは目に見えているので、そのまま飛び去るのを眺めていた。
15 分くらい眺めていただろうか。そろそろ帰ろうとしたところ、ちょうど若者数人の集団がやってきた。グッドタイミングだった。
今、町の近くでホタルが見られるところは、大半が養殖したものを放っているらしいけれど、ここ山田池公園は水質を改善して、ホタルのエサになるカワニナを放ったりして、ホタルそのものは自然繁殖になっているらしい。
何かすごく豊かな気持ちになって、ワクワク気分で帰ってきた。

談山神社

キャノンボールのあと、寝込むほどではないけれど、少し体調を崩した。あの寒い夜にジャケットを着ずにいたのが災いしたのかも知れない。
せっかくの好天の前の日曜日も家で過ごして、まだすっきりとは回復していない。
このところ随行の仕事が入っていないのが幸いだったが、昨日は花の講座の下見で奈良の桜井市へ行ってきた。
明日香村にも近いエリアで、せっかくなので談山神社に行ってみた。こんな機会でも無ければ来ないだろうと思った。
1月に御破裂山へ行ったとき、談山神社へ下りようと思ったら通過だけでも参拝料がいるという表示があったので、その時は中には入らなかった。
私にしてはめずらしく、入山料 600 円を払って中に入る。
まずは正面の石段を上がって本殿へ。正面は桜門。
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靴を脱いで拝殿に入る。
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本で何度か見た「多武峯縁起絵巻」。展示されているのは室町時代のオリジナルを、江戸時代の絵師が模写したもの。有名な、蘇我入鹿の首が飛んでいるシーン。
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十三重塔。16 世紀に再建されたものだが、木造の重塔としてはかなり古いもの。
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権殿を回り込んで岩くらと龍神社。パワースポットだそうです。
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この横から山道に入る。今日は御破裂山へは行かずに談山(かたらいやま。566m)へ。意外と標高がある。
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元に戻って、権殿を石段下から拝む。
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お次は神廊拝所。
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中に入ると藤原鎌足像。
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本殿の下をまわりこんで、縁結びの東殿。
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さらにこの横から山の中に入って三天稲荷神社へ。
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1時間足らずの神社散策だったけれど、なかなか楽しかった。
ここは元々はお寺で、藤原鎌足の長男で僧の定恵が鎌足の墓を摂津安威からここに移して建立したということになっている。
阿武山古墳は藤原鎌足の墓の可能性が極めて高いということになっているが、移したのであればなぜ阿武山古墳に遺体が残っているのかというのはちょっと不思議。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
ここ2年ほどこだわってきた UTMF が不完全燃焼で終わり、おまけに今年は開催されないことになった。
ロードレースは2年前の篠山マラソンを 33km でリタイアしたのを最後に、ほとんど引退状態。
そうは言っても身体が動かないわけではないし、意欲を完全に失ったわけでもない。
登山のトレーニングのつもりで淀川でジョギングを始めたのは 29 歳の時。
いやになればいつでも辞めようという軽い気持ちで始めたのが良かったのか、思いがけずタイムが伸びて、その後3年くらいは山へはまったく行かずにランニングに集中した。
おかげでテレビの向こう側の世界だった別大マラソン(その当時は出場資格が2時間45分だった)にも3回出場できた。その後、出場資格が2時間40分になって出られなくなってしまったけれど、いつの間にやら半分市民マラソンみたいになってがっかりしている。
久しぶりに山へ行ったらやはりマラソンで体力がついたのか、そこそこのレベルの人達ともさほど見劣りしないくらいに歩けるようになっていた。
そこで、若い頃は手の届かない憧れでしかなかった岩登りや冬山の世界に入って行った。
そうは言ってもやはりメインはマラソン。マラソンのスケジュールの合間に山へ行くという感じだった。
夏はマラソンはオフシーズンなので、夏期休暇を利用して(さらに有給休暇をくっつけて)キリマンジャロやモンブラン、マッターホルンなどに出かけた。
しかし三十台の終盤になるとマラソンの力が落ちてきて、さらに結婚 10 年目にして子供を持って、嫁がフルタイムで働いているので家事育児を分担せざるを得ず、四十台になるとマラソンは続けてはいたものの、危険を伴う登山からは離れた。
49 歳までは何とかフルで3時間を切れていたけれど、50 歳を迎えてから坂道を転がるように走力が落ちた。今から考えれば男性更年期症状だったのかも知れないと思ったりしている。
四十代の後半あたりから山スキーに行っていたので(この頃もまだメインはマラソンだった)、そちらに軸足を移そうと思ったりもしたのだけれど、しばらくレースから離れているとまたもう一度思い切り走りたいという気持ちが頭をもたげてきた。
五十代半ばにしてスピード練習を再開してみたけれど、もはやサブスリーというような目標が非現実的になってしまっては、一人でそういう練習を続けることはできないと感じた。
ちょうどそんな時、地元の陸上クラブの案内を見つけた。
このクラブはそれ以前からよく知っていた。マスターズの記録会などで誘いを受けることもあったが(その当時のクラブの会長さんの家がわりと近くだった)、とにかくレベルの高いクラブだったので、自分がいられるような場所ではないと思っていた。
しかしその案内には「初心者、女性歓迎」と書いてあったので、それならと思って思い切って行ってみることにした。
上級者はさすがのレベルだったけれど、私と同じくらいや少し下くらいのレベルの人もそれなりにはおられたので、あまり気負わずに入って行くことができた。
クラブの練習会は楽しかった。陸上競技場を走るのは記録会の時くらいしかなかったので、毎週のように競技場のトラックを走れるのは気持ち良かった。夏場のナイターも楽しみだった。
クラブに入ってからの3年間くらいは、自分でもこの歳になってよくこれだけ走れるなと思うくらい走った。
年間の走行距離は 5,000km を越えて、月間 500km を越えた月も何度かあった。三十代半ばの全盛期の走り込み期には月間 650km くらい走っていたけれど、まさか五十代半ばになってここまで走れるとは思わなかった。
しかしながら結果はいささか期待はずれだった。
最初の半年くらいでトラックの 5,000m で 19 分台、ハーフマラソンで1時間 29 分台まではいったものの、フルでは 50 歳を過ぎてからの凋落傾向に歯止めがかからず、もはや限界と考えざるを得なかった。
ちょうどそんな頃、登山教室の随行の仕事が舞い込んできた。長年所属している山岳会で一緒だった方が講師をされていた。
私が登山を始めたのは中学生の時で、年数で言えば相当なものだけれど、実は中身はそれほどではない。
それに山岳会で積極的に活動していた頃は日帰りで近場に行くのはクライミングばかりで、京阪神や奈良の山はあまり行ったことが無かった。
そんなわけで、随行の仕事で近場の山にいろいろ行けるのは自分にとっても新鮮で楽しかった。と言うか、今でも楽しい。
まさか趣味の登山でアルバイトができるようになるなんて、思ってもみなかった。私自身は他人を指導できるほどの技術や知識は無いので、講師やガイドのような仕事は勤まらないので、随行という立場は非常に都合が良かった。
近場の山の知識が増えたおかげで、それまでは生駒や六甲、京都一周トレイル、ダイトレのようなコースしか思い浮かばなかったトレイルのコースも、ヴァリエーションが増えて楽しくなった。
UTMF も久しぶりにワクワクするイベントだった。
マラソンを始めた頃は定期購読していたランナーズ誌も、大会の情報収集やエントリーがネットでできるようになってからは読まなくなって、第1回の頃は UTMF の事はまったく知らなかった。
ちょうどロードレースに対する意欲が減退してきている時期に UTMF に出会ったので、まさに渡りに舟という感じだった。
しかしそれももう終わってしまった。
2年ちょっと前の加古川マラソンを3時間 43 分くらいで走った時、久しぶりに最後までしっかり走れた満足感はあったものの、もう3時間半も切れないと思ったし、今さら3時間半を目標にマラソンの練習をやろうという気分にはなれなかった。
トレイルではビッグ大会でしばしば雨に遭って、ぬかるみで滑ってどろどろになったり、水たまりをスネまで水に浸かって走ることに対して、ばかばかしいとしか感じられなかった。
そんな中で充実感や満足感が感じられるのは自分で設定した山のロングコースを完走(完歩)した時だった。
かつてそこそこ山に行っていた頃はごく限られた対象の地域にしか行っていないので、今の自分にとって魅力的な山はまだ至る所に残っている。
今さらかつてはただのジョギングだった3時間半というようなタイムを目標にマラソンの練習をするよりも、未知の山に出かける方がよっぽど充実していると思う。
それに残された時間はもうそんなに多くはない。
ただ、自分で納得できるレベルの山行をやるためにはそれなりの体力を維持することが必要なので、たまには限界近くまで追い込むような走りもやらなければならない。
ということで、今年は軸足を山に移そうと思っている。
そんなわけでブログのタイトルを変更しました。

UTMF へ

いよいよ UTMF 2016 のスタートが金曜日に迫ってきた。
こういうビッグレースに緊張感を持って参加するのは、おそらくこれが最後になるだろうと思っている。
昨年は直前で体調を崩してスタートすらできなかったので、今年は練習不足にもかかわらず直前にはムリをしないことにした。おかげで体調は悪くない。
唯一の不安と言えばこのところ違和感のある右足の股関節くらい。走れなくなるほどの痛みが出ることはないけれど、長時間になるとどうなるかわからない。
私がビッグレースに参加するとしばしば天候が悪くなるというジンクスは今年も引き継いでいるようで、金曜日の山梨県の降水確率は 80%。
台風 16 号の影響もあって、早々と2カ所のコース変更が発表された。
序盤の竜ヶ岳がカットされて麓の車道を迂回することに。この影響で標高差 500m ほどの登りが無くなる代わりに距離が 1km ほど増えることになった。
終盤の杓子山からの下りはコース変更で距離も標高差も若干増えることになった。
序盤の変更は私にとっては若干のプラス材料かも知れない。
今回は装備を極力減らすことにした。
昨年はいつも使っているザックでは荷物が入りきらないので、事前に少し大きめのザックを購入したが、今年は使うザックをまず決めて(Ultimate Direction PB Adventure Vest 11L)、それに入る分だけを持って行くということにした。
昨年は必携になっていた保温用のウエアが今年は「特に勧める」ということになったので、不必要と思われるものは思い切って割愛することにした。
持参する食料はジェルや粉末だけにして、固形物はエイドに頼る。
戦略は序盤からある程度突っ込むこと。
こどもの国の関門(約100km、22時間20分)までが私にとっては厳しいので、ここがゴールくらいのペースで押していかなければならない。
その先まで考えてペース配分している余裕は無い。
明日は昨年よりは早めに出て、夕方には河口湖に着く予定。
昨年は、序盤の関門閉鎖時刻の延長を知らせる携帯メールを病院のベッドの上で点滴を受けている時にもらって寂しい思いをしたけれど、今年はそれだけは避けられるだろうと思っている。
とにかく、スタート地点に立って、ゲートをくぐること。それが果たせればこの1年間の悔しさが半分は晴らせると思っている。

同窓会

私は「同窓会」というのはあまり好きではなくて、学校の同窓会はこれまでほとんど参加したことが無い。
しかし同窓会好きという人もそこそこはいるようで、10 年近く前に中学校の同窓会に初めて参加した時は、いつも参加しているのであろうと思われる人たちがグループになっていて、その輪に入れなくて孤立していた。
昨日はかつて勤めていた会社のあるプロジェクトに関わったメンバーの同窓会で、京都へ行ってきた。
もちろん今は影も形も無くなってしまった古い製品の開発にたずさわったメンバーで、ちょうどバブリーな時代で予算もふんだんにあり、会社全体も毎年売り上げがどんどん伸びていた頃のプロジェクトなので、私自身も楽しかった思い出しか無い。
この同窓会はもう 10 年くらい毎年やっていて、最初の頃は毎回参加していたけれど、ここ2〜3年はちょっと疎遠になっていた。たぶんたまたま日程の都合が悪かったのだと思う。
今回はかつてお世話になった方が来られるということで、それならと久しぶりに参加することにした。
総勢 12 名くらいで、中には数年ぶりに顔を合わせたような人もいたけれど、こういう繋がりは単に同じクラスだったというのとは違う感覚があって、何の違和感も無く昔の宴会のような雰囲気になった。
私と同年代や年上の人たちは次第に来なくなってきて、大半のメンバーは私より 10 歳くらい年下でまだほとんどみんなが在職中なので、彼らの職場の話題にはついていけない。
たまたま席がお世話になった方の隣だったので、ほとんど終始その方とのプライベートな話題の会話で終わってしまったけれど、なかなか楽しい時間を過ごすことができた。
すでに会社に勤めていた期間よりも辞めてからの方が長くなってしまったけれど、それでもこういう時間が過ごせるのはいいことなのだろうと思った。
昔は宴会というものがきらいで、特に忘年会などは苦痛でしかなかった。芸をさせられるようなことは無かったけれど。
今はもう義理の宴会というものは一切無いし、たまに文化センターの歓送迎会に誘われるくらいで、自分の参加したい時だけ参加できるので、たまにはそういう場も悪くないなと感じている。