黒尾山

11/9(月)は講座で周山の黒尾山へ行ってきた。

京都駅からバスで1時間半近くかかる周山のバス停で集合した。

しばらく車道を歩く。

茅葺き屋根の民家。

紅葉したイチョウの木。

黒尾山への登山道に入る。ここから黒尾山までは今年の1月に歩いたが、あまり記憶が無い。

ようやく山道へ。

このあたりには「黒尾山」という山が三つあるらしい。そのうちのひとつはこの方向。

ヤマシャクヤクの花の残骸。花びらは白だが、枯れるとこんな色になるらしい。このあたりはヤマシャクヤクがたくさん咲いていたもよう。

山頂直前はなかなかの急登。これはうっすらと覚えている。

12時過ぎに黒尾山の山頂(509.3m)に到着して、ここで昼食にした。

一人で来た時は南へ進んだが、今日は東の周山城址に向かう。これも京都一周トレイルの京北ルートに設定されている。

山頂から急降下して、黒尾林道(と言ってももはや廃道に近い)を少し歩いてから登り返すと城跡が出てくる。

井戸の跡。

そして本丸の跡。明智光秀の築城として有名だが、実際にはもっと昔からあったらしい。

下山途中の展望場所から足元に周山の街並み。

真ん中やや左に天童山、その右の奥の方に桟敷ヶ岳、その手前の右が半国高山。このあたりは二年前に歩いた

街に戻ってきてから、明智光秀の黒坐像の「くろみつ大雄尊」のある慈眼寺(じげんじ)に寄り道。

「くろみつ大雄尊」を拝むには 300 円いります。

そして道の駅ウッディー京北にゴールした。

帰りのバスは京都市内に近くにつれて混雑がひどくなってきて、夕刻で交通量も増えて、京都駅まで1時間半以上かかった。お尻が痛くなった。

山上ヶ岳

11/7 の土曜日は天候が今ひとつだったが、翌日は良さそう。

しかし月曜日は随行が控えているのであまり長距離長時間で疲れが残るような山行は避けたい。

さりとて交野や生駒ではもはや楽しみを感じられないので、大峰の山上ヶ岳の行場巡りにでも行ってみようと思った。

大橋茶屋の登山口まで早朝なら2時間くらいで行けるので、おおむね昼くらいまでには下りてこられるだろう。

予定通り7時過ぎに駐車場に到着した。途中、母公堂の前の駐車スペースはすでに満杯で、登山準備をしている人たちがたくさんおられた。女性も見受けられたのでおそらく稲村ヶ岳だろう。

もうそろそろシーズンオフなので登山者は少ないのではないかと思っていたのでちょっと意外で、ひょっとしたら山上ヶ岳も人が多いかもと心配したが、駐車場に停まっていた車は数台程度だった。

準備を整えて、7時26分に清浄大橋から山道に入った。今日のルートは三年前の冬に初めて来た時と同じルートを辿る。

今日は行場巡りをする予定なのでポールは持ってきていない。

一ノ世茶屋跡にある祠の役行者像が盗まれてしまっているらしい。

出発して 30 分少々で一本松茶屋。

この道は山上ヶ岳へ登るメインストリートなのでしっかり整備されている。

お助け水は前日は雨だったはずだが水はわずかしか流れていなかった。晩秋なので水が枯れているのだろう。

何とここにあった役行者像も盗まれてしまっているとのこと。自分の家に置いているのだろうか。それともネットオークション?

8時42分、奥駆道の洞辻茶屋に出た。

もちろん営業はしていない。

しばらく行って陀羅助茶屋。

さすがに標高 1500m まで来ると風が冷たい。

ほんのわずかで松清茶屋。

この先に分岐があって、今日は左の行者道を行く。実は三年前に来た時もそちらに行っていた。

階段などがしっかりと設えられているので急登も不安無く登れるが、大昔はどんなふうだったのだろうか。行者が多くて意外と整備されていたのかも知れないが。

鎖もしっかりしている。

三年前に来た時は積雪でルートがよくわからず、この朽ちた階段を上がってきたのを覚えている。

ほどなく鐘掛岩。

見上げるとこんな感じ。

案内者無しで勝手に行くなと書かれている。

単なる登山道で、危険なので行くなという警告なら行ってしまうところだが、ここは修行の場で、行者にとっては神聖な場所なので、ここは警告に従っておこう。

しかし岩の麓をトラバースして上がると、岩の上の方に向かう整備された道が。

これを辿ると鐘掛岩の上に出られそうなので、行ってみることにした。

無事、鐘掛岩の上に到着した。

岩の上からの大天井ヶ岳。

二年前にはあの左の稜線から大天井ヶ岳に登って、さらに山上ヶ岳まで周回したが、その時はここは通っていない。

正面左に稲村ヶ岳。その右の突起は大日山。

絶景を堪能したら奥駆道に戻って、西の覗へ。

身を乗り出す気にはなれません。

さらに進んで、宿坊のある方に向かう。もちろん宿坊は営業していない。

石段を上がって行ったら大峰山寺の山門が見えてしまった。裏行場への分岐を見落としたもよう。

少し戻って、ひょっとしてここ?

「通れません」と書いてあるが、やはりここでした。しかし・・・

またまた警告の表示。やはり事故が発生しているのだろうか。正規の修行においてもまれに事故が起こっているらしい。

私の場合、高齢の単独行なので、山での事故だけは絶対に避けなければならない。

今日はここを行くのが目的だったのだが、警告を無視して万が一でも事故を起こしたら取り返しがつかない。

大きな山の山頂直前で引き返さなければならないというようなわけでもないので、ここはムリはしないことにしておく。

薄い踏み跡を辿って本道に出て、ほどなく大峰山寺。

9時41分、山頂(1719.4m)の湧出岩に到着した。

湧出岩の手前で下りてくる人とすれ違ったが、山頂エリアは誰もいない。

稲村ヶ岳は頂上部に雲がかかっていた。

本当なら腰を下ろして少しゆっくりしたいところなのだが、生憎風が冷たくて寒い。

先に向かって、レンゲ辻への分岐を通過。

初めて眺める日本岩。

そのまま周回して宿坊のあたりで来た道に合流して、行者道ではない方で下る。

陀羅助茶屋の中でおにぎり休憩にして、来た道をひたすら下った。登ってくる人たちと何度がすれ違ったが、全部で 10 人少々くらいだっただろうか。

11時16分、女人結界門に戻ってきた。

駐車場の車は少し増えていた程度だった。

一番の目的だった裏行場には行けなかったが、これで良かったのだろうと思う。誰にも迷惑をかけずに済んだので。

ところで、洞川温泉は知名度のわりにはいつも閑散としていて、これで営業が成り立っているのだろうかと心配するような状況だったのだが、この日はこれまでになく観光客が多かった。

日帰り温泉に入って帰ろうと思っていたのだが、すぐそばの大きな観光駐車場が満車に近い状態で、これではきっと混んでいるだろう思って諦めた。

代わりに以前に一度行った下市温泉の「ごんたの湯」へ立ち寄った。

すいていてゆっくりできて良かった。

帰り道も時間が早かったのでさほどの渋滞に出会うこともなく、3時過ぎには家に帰り着くことができた。

堂満岳から蓬莱山、霊仙山

久しぶりに比良山系を歩きたいと思って 11/3(火)の文化の日に出かけてきた。

8時過ぎに比良駅に到着したが、準備に時間がかかって出発したのは8時半近くだった。

今日はまず堂満岳に登るのでイン谷口方面には行かずに昨年下った道で登山口に向かう。

このあたりから見る堂満岳はなかなか格好がいい(真ん中)。

30分足らずで登山口に到着して、ここでポールを出した。

ノタノホリ。比良にはこういう沼地や池がたくさんある。

写真を撮っていた単独行の男性を追い抜いて、斜面をトラバースしていく。このあたりで昨年クマに遭遇した。今日は熊スプレーを持っている。

しばらく沢をつめて、いよいよ急登が始まる。上部ではロープも出てくる。道に落ち葉がたくさん落ちていて滑りやすい。

10時35分、おおむね予定通りの出発から2時間少々で堂満岳の山頂(1057m)に到着した。

びわ湖の眺めは雄大だが鈴鹿などの遠方はかすんでいる。

誰もいないので岩に腰掛けてチョコレートを少しかじってから縦走路へ向かう。

少し北に向かってからヘアピンカーブで南下する。ショートカットして縦走路で出られる道があったように思ったが、はっきりした踏み跡が見つけられず、またヤブに突入するのは避けたいので、素直に本来の道を辿った。

ここから木戸峠まではずいぶん久しぶりだ。おそらく5年前に安曇川から和邇まで行った時以来。どんな道だったのかよく覚えていない。

南比良峠までは平坦だった。

少し登って下って荒川峠。

こんな道標がまだ残っている。

比良ロープウェイは私も何度も利用したが、2004 年に運行が廃止された。比良山スキー場はなかなか楽しかったが、八雲ヶ原が静かになって自然が戻ってきたのでこれで良かったのだろうと思う。

この頃からなぜか左足のアキレス腱の上部に痛みが出てきた。こんな所に痛みを感じるのは初めて。堂満岳の急登のせいかも知れないが、あれくらいの急登は最近でも何度も登っている。

先週は土曜日に山科から宇治まで 35km ほど歩き走りして、翌日曜日に陸上クラブの練習会でレペティション。月曜日一日休んだだけでまた山に来たので、少し疲れが残っていたのかも知れない。

12時少し前に烏谷山(からとやま、1076.5m)に到着。

北には武奈ヶ岳。

山頂でおにぎり休憩にしようと思っていたら、先客の単独行の女性がいたので先に進んだ。

少し下って眺めのいい場所があったので、そこで腰を下ろしておにぎり休憩にした。びわ湖バレイがすぐそこに見えるが、実はまだまだ遠い。

烏谷山を下って葛川越。「越」と名付けられているのでかつては東西に抜ける道があったそうだがもはや廃道で、廃道マニアが探索するくらい。

ひと登りして比良岳へ。比良岳のピークは縦走路からは少し西にはずれていて、私はまだピークを踏んだことが無い。こんな機会でも無ければ立ち寄ることもなさそうなので、踏み跡を辿ってピークまで行った。

同じところに戻るのはうれしくないので、ヤブ斜面で南の方に下った。

前方にテープが張られていたので何事か思ったら、スズメバチの巣があるとのこと。もう大丈夫だと思うけど念のためにテープは避けて通過した。

午後1時ちょっと前、木戸峠に到着した。

ここからはしばらくゲレンデ斜面を登る。左足アキレス腱が痛い。予定通り和邇駅まで行けるだろうか。

午後1時11分、びわ湖バレイのある打見山山頂(1108m)に到着した。

武奈ヶ岳。

そしてこれから向かう蓬莱山。

ここに来てから急に冷たい風を受けるようになったが、思いのほか観光客が多い。リフトは長い行列ができている。

ゲレンデ斜面を下って登って打見山から 20 分ほどで蓬莱山の山頂(1173.9m)へ。

これから向かう方向。ずっと奥には比叡山。

しばらく下って小女郎峠へ。

小女郎ヶ池は行ったことがあると思うが、はっきりした記憶が無いので立ち寄っておく。

誰もいないのでここで腰をおろしてようかん休憩にした。

左足の痛みが不安で、もしこれ以上ひどくなったら小女郎峠から蓬莱駅に下りようと思ったが、下りになると小康状態になった。これなら予定通り和邇駅まで行くしかない。

縦走路に戻って小女郎峠から少し登ったところにあるお地蔵さんにおまいり。

山岳会で一緒だった女性のもので、もう10年以上前になるけれど、ガンで亡くなられた。彼女を偲んで山岳会の仲間と設置したもの。酒好きだった彼女のために今日はビールを用意してきた。

さらに南へ向かってホッケ山。

そして午後2時44分に権現山(996m)に到着した。

昔は花折峠からここに登り上げることが多かったけれど、その頃の道はもう残っていないのではないだろうか。花折トンネルが開通してバスが峠を通らなくなったので、そんな道が残っているとは思えない。

遠くには愛宕山。昔はこのあたりは木が生い茂っていたように記憶している。

びわ湖の雄大な眺めもこれが最後。

写真を撮ったら霊仙山に向かって急坂を下る。15分ほどで林道に出会うが、残っている登山道を拾って下る。そして霊仙山に向かう。

午後3時21分、今日最後のピークの霊仙山(750.5m)。木の間からびわ湖がちらっと。

チョコレートを少しかじって、20分ほどの下りで車道に出た。

ここでポールと尻当てを片付けて、車道をスロージョグで下っていく。

栗原の集落に出て、バス停が無くなってしまったのかと思ったらまだありました。

湖西道路のそばの道の駅。

実はお腹が空いてきているのでコンビニに立ち寄りたい気分にかられるが、ここで休憩すると気持ちが切れてしまいそうなので先に進む。

午後4時45分、ようやく和邇駅に到着した。

すぐそばに平和堂があるのだが、もう涼しくてビールを飲みたいという気分でもないので、駅のそばの駐車場で装備の片付けだけをして、ジャケットとパンツを羽織って5時1分の電車に飛び乗った。

久しぶりの比良は期待通りの快適さだった。堂満岳は登りごたえがあったし、稜線は展望も素晴らしく、部分的には紅葉もしていて、非常に満足のいく一日だった。

ただ、5年前にやったようなことはもうできないということを身をもって感じた日でもあった。

笠捨山

10/25(日)は大峰奥駆道南部の笠捨山へ行ってきた。

大峰奥駆道は釈迦ヶ岳までの北半分はごく一部を除いてはほぼ全コース歩いているが、南部は奥守岳までしか歩いていない。

さすがにこれより南部は日帰りでは難しいと思っていたが(玉置山だけなら可能)、上葛川までなら3時間くらいで行けそうだ。それなら奥駆道南部で最難と思われる地蔵岳や笠捨山に行ける。

いつかは奥駆道全コースを踏破してみたいと思っているので、このあたりは一度は歩いておきたいと思っていた。

途中でカップ麺とおにぎり、コーヒーの朝食をとって、3時間少々で上葛川に到着した。事前の情報では葛川トンネルの手前に駐車スペースがあるとのことだったが、上葛川にもありそうだったので集落の方まで行ってみた。

集落の手前にちょっとしたスペースがあったので、そこに車を置いた。運良く、奥駆道に上がる道のすぐそばだった。

準備を整えて7時55分に出発した。

20分少々で稜線の奥駆道に出た。ここは古屋の辻。

さすがに奥駆道はしっかりしている。ほどなく木の階段の急登になった。

ガンガン上がると目の前に大きな岩が現れて、「貝吹之野」というらしい。

何箇所かの急登を経て9時30分、出発して1時間35分で香精山(こうしょうやま、1121.9m)に到着した。

少し進むと送電線の鉄塔があって、そこから正面に笠捨山が望めた。送電線の左が地蔵岳。

少し進んで檜之宿跡。

お次は拝み返し。

そして四阿之宿(あずまのやど)。

ここから少し北へ行って、東屋岳(1230m)のピークを踏んでおく。

いよいよ地蔵岳の岩場が始まった。

しばらく鎖場が続く。鎖は新しいものも多くてしっかりしているので慎重に行動すれば危険は無いが、千年前はどんな状態だったのだろうか。

小さなコブをいくつも越えて、槍ヶ岳の岩の北側を巻く。地蔵岳のピークはどこだったのかわからなかった。


岩の上にはとても行けそうにない。

鎖場は 30 分足らずくらいだったろうか。ようやく道が穏やかになってきた。私がこれまでに歩いた奥駆道の中では一番厳しい場所だったように思う。

また送電線の鉄塔に出会って、笠捨山がちょっと近づいた。

11時7分、葛川辻に到着した。ここで腰を下ろしておにぎり休憩にした。

11時39分、笠捨山(1352.7m)に到着した。

真ん中奥の突起は大普賢岳。左の端の方のピークが釈迦ヶ岳。釈迦ヶ岳の右に八経ヶ岳。

この先で奥駆道と分かれて蛇崩山(だぐえやま)へ向かう。

「難路」と書かれているが危険というわけではなくて道らしい道が無いということ。たまに古いテープが出てくるだだが、稜線は明瞭で下生えもほとんど無いので問題なく歩ける。

笠捨山から 45 分くらいで上葛川への分岐まで来た。

まずは蛇崩山に向かう。

分岐から 20 分少々で蛇崩山(1172m)に到着した。展望は無し。

ここで腰を下ろして豆餅休憩にした。

先ほどの分岐まで戻って、稜線を辿って上葛川に向かう。途中で振り返ると蛇崩山が立派。

このあと稜線をはずれて西側の斜面を下らなければならないのだが、このあたりからルートがよくわからなくなってきた。元々かすかな踏み跡程度しかなかったのだが、倒木が増えてきていちだんと先が不明瞭になってきた。

ちょっと不安になってきたころ、またかすかな踏み跡に出会った。これで一安心。

うまい具合に踏み跡は斜面を集落の方に下って行っている。今日は会心の一日だったと満足感にひたりながら下っていたら、分岐のようなものが出てきた。

方向としては左の方なのだが、右の方が踏み跡が若干明瞭な感じがしたのでそちらに行った。ところが下るにつれて本来の方向から次第に離れてきた。

ここの下は川を橋で渡らなければならない。こんなところの川べりに道などあろうはずがないので、橋からあまりに離れた場所に下りてしまうと川の中を辿らなければならなくなる。

このままではまずいと思ったが、分岐に戻るにはかなり下ってしまっていたので、斜面をトラバースして元の方向に戻ろうと思った。

斜面は結構急なので、何とか進めそうな場所を選んでトラバースする。

しばらく進むと鹿除けネットが見えた。こういうネットのそばには踏み跡があったりするのでそちらに向かってみたが、残念ながら踏み跡は無かった。それどころかヤブが一段と濃くなって、おまけにイバラまで出てきた。この期に及んで泣きたい気分。

下の方に集落が見えた。しっかりした道ならほんのすぐそこなのだが、この状態ではあとどれだけ時間がかかるのかまったく予想できない。

橋からは少し離れているが、もうこのまま川まで下るしかない。ただし問題は川のすぐそばの斜面。上からは死角になっていてその状態が見えないので、下っていったら崖だったというのは最悪パターンである。昨年の白髭岳と同じパターンにはまり込んだ。まったく学習効果が無い。

もはや登り返す気力は無く、地形図で崖マークが無いことを確認してから慎重に急斜面を下った。幸い、川にはさほどの苦労も無く降り立つことができた。

橋まではわずかのはずで、橋を渡ればあとは車道を少し行くだけなので、浅瀬の部分をじゃぶじゃぶと進んだ。

左岸の河原の部分を進んだら橋が見えた。やれやれ。

車道は緩い下りなのだが走る気分にはなれずにとぼとぼと歩く。

こういう集落の人たちはどういう生活をしておられるのだろうか。バス便は通ってはいるのだが。

午後3時12分、無事駐車スペースに戻ってきた。

せっかく十津川村まで来たので十津川温泉に入って帰ろうと思ったが、二ヶ所ある公衆浴場はいずれも満杯状態。混んでいる温泉に待ってまでは入りたくないので、R168沿いの大塔温泉夢乃湯に立ち寄った。

あまり温泉ぽくなくてカルキの匂いがぷんぷんしていたが、すいていてゆっくりできて、わりと安め(660円)だったのでまぁ良かった。

家に帰り着いたのは午後8時前だった。

私の若い頃は大峰はとにかく交通の便の悪い所という印象があって、大峰へ行くくらいならアルプスへ行った方がマシというイメージが強かった。京都から奈良へはひたすら下道を辿るしかなかったので、車でも非常に時間がかかったし、道も狭くて走りにくかった。

上北山村や十津川村などはまだまだ遠いけれど、昔に比べると車道が整備されて広くなって、部分的に高速をうまく使うと日帰りできるエリアになってしまった。大台ヶ原もしかり。

あまり激しく山肌を削ったりするのは控えてほしいけれど、道路が整備されることのメリットは少なくないと言わざるをえない。

笹間ヶ岳

10/18(日)は講座で湖南アルプスの笹間ヶ岳へ行ってきた。湖南アルプスは7月にもこの講座で堂山へ行ったばかり。

JR石山駅に集合してバスで「アルプス登山口」へ。

しばらく車道を歩いてから山道に入る。バス停そばの道は新名神の工事で道が変わっている。

前日は終日雨だったので、岩場はかなり濡れていて滑りやすい。

矢筈ヶ岳への分岐。この道は数年前に一人で歩いた。

上りきると平坦地になって、所々池塘がある。実は沢筋に堰堤があって、すでに埋もれてしまっているのだが、このあたりはその堰堤の上の土砂が溜まっていた場所。

この先の池塘のそばで早めの昼食にした。

しばらく山道を辿ると車道に出た。

このすぐ先の展望場所からの琵琶湖と比叡山。

またすぐ山道に入ってしばらくで笹間ヶ岳(432.9m)に到着した。

山頂の岩の上から琵琶湖と比叡山。

一気に下ってまた車道に出る。

すぐにまた山道に入って、今度は南の方の展望。左奥に鷲峰山。

集落そばまで下りてきた。

足下にセンブリ。

午後3時前、関津のバス停に到着した。

前日は雨で気温も低かったが、この日は穏やかな天候で歩きやすかった。

松尾山

10/14 は京都一周トレイルの講座で嵐山の松尾山へ行ってきた。

集合は阪急の嵐山駅。

時間に余裕があるので大堰川の疎水のあたりを散策する。これは保津川下りの船を引き上げる場所。

疎水のそばを歩く

少し車道を歩いてから一周トレイルの山道に入る。

しばらくしっかり登って展望場所へ。

展望場所から北を望む。左に愛宕山。

松尾山(275.6m)で早めの昼食にした。

西芳寺に向けて松尾大社の裏山を歩く。このあたりは秦氏のものと思われる古墳がたくさん残っている。

最後の展望場所から南東方向を望む。遠方は鷲峰山など宇治田原あたりの山々。

最後は一気に下って西芳寺の林道へ。

あとは車道で苔寺のバスターミナルへ。

まだ時間があるので松尾大社まで歩くことにする。

摂社の月読神社。

午後2時前に松尾大社に到着して、ここで解散した。

このあと、神社の裏から山へ入れる道が無いか探ってみたが、残念ながら見当たらなかった。

嵐山のあたりは日本人の観光客がかなり戻ってきているという話も聞いていたけれど、この日はそれほどではなかった。

ただしこの日はトレイルルート上ではこれまでになく多くのハイカーと出会った。

能郷白山

岐阜の能郷白山は関西の山ヤには人気のある山だが、私はこれまで行ったことが無い。

場所が中途半端で、前泊するほど遠くはないけれど日帰りにはちょっと遠いと感じていたのだが、高速も延びて十分日帰りできるということがわかった。

北の温見峠(ぬくみとうげ)からだと2時間もあれば登れるらしいが、これではあまりに物足らない。

南の能郷谷ルートだと標高差が 1200m ほどあって、通常登り4時間くらいらしいので、ここを往復することにした。

10/11 の日曜日、途中でカップ麺とおにぎり、コーヒーの朝食を取って、2時間半ほどで能郷根尾まで来たのだが、またもや google のナビで変な所に追い込まれて、とんでもない狭い荒れた林道をウロウロさせられてしまった。

何とか正しい場所に着いて、駐車スペースを出発したのは8時5分だった。すでに1台停まっていた。

しばらく舗装された林道を歩く。横の沢から水が流れ出している場所が出てくるが、最初の関門は沢側を飛び石伝いに越えた。ポールがあって助かった。

道端にツリフネソウ。

舗装道路が終わった。

と思ったら、舗装道路の残骸が現れた。

出発して1時間足らずで登山口に到着。

すぐに橋を渡る。

尾根に取り付いて急登を上がる。ロープが垂れている場所もいくつか出てきた。

20分ほどヒイコラ上がると少しなだらかになってきた。まだまだ先は長い。

標高 1000m あたりに突然ガードレールの残骸が。

最初歩いた林道は昔はここよりもっと先まであったようだが、もはやどこが道路だったのかまったくわからない。おそらく林業ではなくて、堰堤を作るための作業路だったのだろうと思う。

それにしても地形図の道は山間部ではまったくあてにならない。記載されている山道が現地に行くとまったく消滅していたなんてことはこれまでに何度もあった。

こういうのは遭難事故につながることなので、もう少し責任を持って管理してほしいと思う。すべて国土地理院で調査するのは不可能だと思うので、各種山岳団体などに情報を求めればいいのではないだろうか。

また急登が出てくる。短時間で標高がかせげるので効率がいい。「お迎えブナ」。

そのすぐ上に「ももすり石」。腿のこと? いずれにしても何か歴史的な謂れのあるようなものには見えない。

1/6 から 30 分近くかかってようやく 2/6。まだあと 3.5km もある。意外と時間がかかりそう。

山頂につながる東側の稜線が近づいてきた。

振り返ると左に能郷谷、右は徳山湖。能郷谷のずっと向こうには岐阜の平野が見えていた。

頂上稜線に上がって 4/6。3/6 は見落としたよう。

頂上稜線はなだらかで、しばらく緩い下りが続く。あまり下りたくないのだが・・・。

山頂はガスがかかって見えない。

山頂まであと 500m 少々。

最後の登りを越えて、たぶんあれが山頂への分岐。

まずは山頂へ。

11時21分、能郷白山の山頂(1617.4m)に到着した。出発してから3時間16分だった。

やはり山頂エリアはハイカーが多い。ほとんどは温見峠からの人たちだろう。展望も無いので早々に引き返して奥の院へ向かう。

ここにも休憩している人たちが何人かいた。それにしても味気ない祠。

ここの貼り紙を読むと、山頂の看板と自分を撮影した写真を見せると、麓のうすずみ温泉が割引料金(850 円-> 500 円)になるとのこと。

ということで、山頂におられた方にシャッターを押していただきました。ワキにぶら下げているのは熊除けスプレー。

残念ながら展望は無し。

上部にはリンドウがたくさんあったが、まだほとんどが蕾。一輪だけちょっとだけ開いていた。

山頂から少し下った所で腰を下ろしておにぎり休憩にして、上から2時間少々で登山口まで下りてきた。

下の林道は舗装部分は走った。

午後2時4分、駐車スペースに戻ってきた。出発からほぼ6時間だった。

後片付けをしたら「うすずみ温泉」へ。この近くに「うすずみ桜」という桜の名所がある。

露天はもちろん、ジャグジーや水風呂もあって良かったけれど、コロナ対策で元々それほど多くない洗い場が一つおきに制限されていて、少し待たなければならなかった。仕方のないことだけれど、コロナ後に行った温泉でこういうのは初めて出会った。休憩室のソファなどはどこでもそういう制限をしているけれど。

そろそろ 1000m 超だと寒いかもと思って暖かい用意をして行ったが、この日はかなり暑くなって、急登もあって汗かきまくりだった。

予想外に帰り道は渋滞も無く、6時過ぎには家に帰り着くことができた。

箕作山

10/5 は講座で滋賀県の箕作山(みつくりやま)へ行ってきた。ここは三年前にも別の講座で歩いた。

近江鉄道の太郎坊宮前駅に集合したが、JRが人身事故で大きく乱れて、予定の電車に乗れない人が出た。

間に合った人たちだけで先発してもらう。これは駅から見た太郎坊。

私は遅れた人たちと後から追いかける。長い石段の始まり。

本殿手前の夫婦岩。

展望台から南の方を望む。なだらかな山並みは二月に行った十二坊

すぐそばに本殿。

少し戻ってハイキング道に入る。

まずは太郎坊山へ。山頂から琵琶湖方面を望む。遠方は比叡山。

その後、箕作山(372m)に到着して、ここで昼食にした。

東南の尾根を下って車道に下りる。

そして延命公園へ。古墳があります。

展望台から鈴鹿方面。遠方は見えない。

街まで下りてきて太郎坊を振り返る。

新八日市駅にゴールした。歴史のある古い駅舎らしい。

この講座は半年ぶりの再開だったが、新しい方も何名かおられて楽しいスタートを切れた。

蝶ヶ岳、常念岳 2日目

どういうわけかなかなか寝付けなかった。

夜中には風が強くなってきて、結露のしずくが顔に降りかかってくる。便宜上「テント」と書いてはいるけれど、実際はシングルウォールのシェルター。モンベルでは「これはテントではありません」と表記している。

おまけに雨まで降り出してきた。これは想定外。一気に意気消沈して、これでは往路を下山するしかないと諦め気分になった。

朝はうすら明るくなってから起きるつもりだったが、どうにも寝付けないので、4時前には起きて棒ラーメンとコーヒーの朝食にした。

そうこうするうちに雨は止んだようだ。ひょっとしたらそれほどの雨ではなかったのかも知れない。風も収まって、おだやかな天気になってきた模様。

少し明るくなってから出発の準備を始めた。ご来光が拝めそうな感じ。

5 時 25 分、テント場を出発した。槍穂高は昨日よりははっきり見えている。

ヒュッテのそばのピークでご来光を待ち受ける人たち。

まだ日の出まで少し時間がありそうなので先に進む。

そして 5 時 38 分、雲海の向こうから美しいご来光。

朝日を浴びる槍穂高連峰。

横尾へ下りる分岐を越えて少し登って蝶槍。

ここからはしばらく下る。標高差 200m くらい下って樹林帯に入って、ここが最低鞍部かと思ったら、このあとも標高差 100m くらいのアップダウンが3回もあった。蝶・常念ってこんなにきつい稜線だったのか・・・。中学生の集団でこんな道をよく歩いたものだと思った。

最後のジャンクションピークからの常念岳。あと1時間くらいだろうか。

ここから後は岩のゴロゴロする歩きにくい道が続く。昔の記憶は皆無だ。

アップダウンの繰り返しがボディブローのように効いてきてきついが、ここで立ち止まるとずるずると落ちてしまいそうなので何とか歩き続ける。登山地図のコースタイムが距離の割には長いと感じていたが、こういうことかと納得した。

急な斜面をぐいっと上がったら目の前に山頂が見えた。

8 時 35 分、常念岳の山頂(2857m)に到着した。山頂は写真待ちの行列。

40 年ほど前に友人と二人で登った槍ヶ岳の北鎌尾根。私の登山歴の中で5本の指に入る思い出の山行だった。

乗鞍岳(右)と御嶽(左)。

大天井岳(左)と燕岳(真ん中手前)。

南アルプスも。

富士山も見えていた(下の方)。

山頂直下にイワギキョウ。

ひとしきり展望を楽しんだら、前常念の方に下る。槍もこれが見納めかな?

少し下ったところでおにぎり休憩にした。

そしてしばらく下って前常念岳(2661.9m)。

少し下ったところに岩小屋がある。避難小屋のようにしつらえられていて、中に入ることができる。しかし水が無いので非常時のみという感じ。

ここからしばらくは大きな岩がゴロゴロした非常に歩きにくい道(?)が続く。危険ということではないが、万が一、足を踏み外して岩の間に足を落としたりしたら大怪我になりかねない。安全第一で慎重に下る。

もう 30 年以上も前に一度ここを下ったことがあるのだが、その頃はまだ一般路にはなっていなかった。それにしてもこんなに歩きにくい道だったとは・・・。

後から考えるとひどい場所はそれほど長くはなかった。次第に普通のアルプスの稜線のような道になって標高 2350m くらいで突然樹林帯に入った。

その後、一度だけ腰を下ろして数分休憩して、急斜面をジグザグに下りていった。

今回のシューズはサロモンのゴアテックストレランシューズを履いてきた。このシューズはソールが滑りやすいのだけれど、HOKA に比べると造りがしっかりしているので、荷物が重いことを考慮してこれを選択した。

やはりと言うべきか、急斜面や段差などで何度も足を滑らせて、大腿四頭筋の脚筋疲労を感じるようになってきた。

このシューズももう数年履いているので、今回でお終いにしよう。

ようやく昨日通った分岐まで下りてきた。登山指導所がすぐそこに見えている。

それにしてもこの下山ルートはなかなか厳しい道だった。標高差も 1500m くらいある。登ってくる人にもわりと出会ったが、ここを登るのは厳しいと思う。

先の分岐の道標のそばに看板があって、このルートは長くて厳しいので体力に自信のない人は行かないようにと注意書きされていた。例年、疲労による救出事故が発生しているらしい。そりゃあそうだろうと思う。ちなみに手元の登山地図のコースタイムでは登り7時間、下り5時間半となっている。

12 時 33 分、無事、駐車場に戻ってきた。駐車場にはまだかなりの車が停まっていた。

荷物を整理して、穂高温泉の「しゃくなげの湯」に向かう。ここは初めて。お湯は中房温泉から引いているらしい。

露天や水風呂はもちろん、洗い場もたくさんあって、いい温泉だった。

さすがに四連休の最終日ともなれば渋滞間違い無しだろうと覚悟はしていたが、普通の渋滞だけではなく事故渋滞にも出会って、5時間で来た道を帰るのに7時間以上かかった。

今回の目的は久しぶりのアルプス稜線でのテント泊。そしてご来光を眺めて、展望を楽しむことだった。そのすべてを味わうことができて、満足のいく山行だった。

さらに、このコースを歩いている人たちのマナーの良さはうれしかった。白山とは随分違う。このルートを選んだのは正解だったと思った。

蝶ヶ岳、常念岳 1日目

天候に恵まれた四連休だったが、残念ながら二日目の日曜日に随行の仕事が入っていたので、出かけることができるのは後半の二日間しかなかった。

7月はほぼ月末まで梅雨で、8月も週末の天候は今ひとつだった。

たまにはテント泊もやりたいと思っていたが、なかなかチャンスが無かった。

そんな中、先の連休は後半の二日間もそこそこの好天が期待できそうだったので、ぜひどこかへと思って数日前から行き先を探っていた。

人気エリアはかなり混雑しそうで、それなりに楽しめて人もあまり多くなさそうな場所というのはなかなか思いつかない。

久しぶりに比良でのテント泊というのも考えたけれど、どうも今ひとつ気持ちが盛り上がらない。

大峰や台高、鈴鹿などは適当な周回コースを見出すことができなかった。

八ヶ岳も考えてみたけれど、混雑しそうな気がする。

散々迷ったあげく、出発二日前にようやく蝶ヶ岳から常念岳の周回コースに決めた。上高地は混雑間違い無しなので、東側の三股から周回することにした。ここならそれほどの大混雑にはならないのではないかと思った。

中学三年生の時、初めて登った北アルプスの山が常念岳と蝶ヶ岳だった。

学校のワンダーフォーゲルクラブの夏山で、東側の一ノ沢から登って常念小屋に泊まって、翌日、常念岳から蝶ヶ岳、そして徳沢に下山して宿泊した。前年の白山はずっと雨だったけれど、この時は好天だった。ご来光を見たのを覚えている。確か雲海もこの時に初めて見たような気がする。

そんな懐かしい記憶を思い出しながら出発の準備をした。

21 日の早朝に家を出て、途中で朝食を取りながら三股の駐車場に向かった。

林道に入ってしばらく進むと、駐車場まではまだかなり距離がある場所から路肩駐車の車が出てきた。まさかこれ、駐車場からはみ出した車? まだ駐車場までは 4km くらいある。

路肩駐車はよくこれほどきっちりと停めたものだと感心するくらいずらっと並んでいた。

下山する人もいるはずなのでどこかに空きスペースがあるはずと期待して進んだが、最終の三股駐車場まで見事に車がびっしりと停められていた。

一瞬、行き先を変えるべきか悩んだ。まさかここまで人が多いとは思ってもみなかった。とにかくまずは少し戻って再度スペースを探すしかない。

1km 以上戻ったいちばん下の駐車スペースで周囲をうかがっていたところ、一台の車が出て行った。ここから登山口まで車道を歩くのはたまらないが、もはやここしか停める場所が無い。

覚悟を決めてここに車を停めて出発の準備をしていたところ、3台ほどの車が上から降りてきた。空きスペースができたことは間違いない。しかしそれがどこかはわからない。

もう一度戻ってみるかどうか迷った。一度はもうここから歩いて行こう思ったが、はやり諦めきれずに上に行ってみることにした。

先ほどは無かった路肩のスペースが見つかったが、念のために登山口の駐車場まで行ってみた。そして中を回ったところ、空きスペースを発見!! 歓喜した。もし下の駐車スペースから歩いて上がってきてここに空きスペースがあったらひどく落胆して登る気力が失せてしまうと懸念していた。

もう 11 時前なので、次々と登山者が下りてきている。ほどなく目の前に2台のスペースができた。戻ってきて本当に良かった。

10 時 55 分に出発した。駐車場の奥から登山道に入る。

未舗装の林道を 10 分ほど歩いて登山指導所へ。ここで計画書を記入して提出する。

降りてくる予定の常念岳からの道を見送って、力水で気合を入れる。冷たくておいしい。

斜面は結構急で、木の階段が次から次から出てくる。

もう昼なので下山者が多い。昨今は「登山道では登り優先」というルールはもはや有名無実化していて、街中の自転車ルールと同じような状態になっているのだが、ここで出会う登山者は大半がこのルールを守ってくれている。

中には私が登るのを止まって待ってくれている人の横をすり抜けて下りてくるような不届き者もいなかったわけではないが、多くの下山者とのすれ違いがそれほどストレスを感じずにやり過ごすことができた。

「ゴジラみたいな木」。

出発して1時間半ほどで「まめうち平」。

ここを過ぎたあたりから先行者に追いつくようになってきた。抜いたり抜かれたりはわずらわしいので、ここでおにぎり休憩にした。

このところ脚力の低下を痛感していて、昨年 11 月の中辺路以来のテント泊なのでしっかり登りきれるかどうか不安があったのだが、ここまでは何とかおにぎり休憩以外はノンストップで歩き続けている。

ようやく大滝山への稜線に出た。

午後 2 時 17 分、出発して 3 時間 20 分ほどで蝶ヶ岳ヒュッテのテント場に到着した。

下での車の多さから登山者の混雑ぶりは覚悟していたとは言うものの、それにしてもここまで混んでいるとは・・・。下での路肩駐車並みにテントがびっしりと建てられていて、苦労してようやくギリギリのスペースを確保した。

その後もテント客が何人もやってきて、「よくこんな場所に張れるなぁ」と感心するような場所にもテントが張られていった。

最近はテントも軽量化が進んでいて、昔よくあったような大きなテントはまったく見かけなくて、パーティーで来てもテントは一人ずつ。複数人で同一テントというのは夫婦かカップルくらいのようだ。

おかげで夜遅くまでべちゃくちゃしゃべっているようなテントはまったく無くて、夜の8時にもなれば聞こえてくるのは寝息だけという状態だった。

テントを張り終えたらそばの 2677m 地点まで行った。

地形図では「蝶ヶ岳」という単独のピークは無くて、このあたりのいくつかのピークの総称になっている。ここがその中の最高峰。

槍穂高は上部がガスに覆われている。

テント場では携帯は圏外だったけれど、ここまで来ると通話可能になった。