先の日曜日、まだ体調は十分ではなく、天気も午前中は雨が残りそうだけれど、そういう状況だからこそというコースを用意していた。翌日は随行の仕事なのであまりムリはできないので、ちょうど実行のチャンスだと思った。
ダイトレの起点は屯鶴峯(どんづるぼう)の麓にある。ダイトレ全山をやった時はこのあたりは真夜中で、起点の石はわからず、屯鶴峯も例の奇岩をちょっと味わった程度で山頂への道はわからなかった。
そして二上山。ここもダイトレでは近くには何度も来ているけれど、山頂はダイトレのコースからはずれているのでまだ登っていない。
しかしもはやあのダイトレの木道には行きたくないので、この二カ所を目的にして、その後は遺跡めぐりにしようと計画した。
コースも短いし、雨が上がることを願って朝は遅めで、近鉄大阪線の関屋駅を出たのは9時 20 分を過ぎていた。まだ雨が残っているので雨具兼用のジャケットとパンツは着たまま。
前回も屯鶴峯までの道はよくわからなくてウロウロしたけれど、今回も似たようなものだった。ただ、手書きのテープが所々にあった。
近鉄南大阪線横の車道に合流したあたりで雨が止んだので、雨具の上下を脱いだ。
そして少し進むと道の脇にこんなものが。
危険なので登るなという立て札が立っていたけれど、そう言われると登りたくなる。
雨で濡れて滑りやすい急斜面を強引に這いずり上がって、実物にご対面した。
下りは慎重に、ちょっとした出っぱりに足を置いて踏ん張ったところ、雨で地面が緩んでいたのだろう、その出っぱりがもろくも崩れて、頭が下になってごろんと転がった。
落差は1メートルちょっとくらい。ごろんと転がったのでケガはまったく無く、ドロで何カ所か汚れたくらいで済んだ。
少し進むと屯鶴峯の入り口にさしかかって、そのすぐそばにダイトレ起点の石があった。
帰ってから気が付いたのだけれど、転倒した時にスマホが飛び出して、カメラのレンズの部分が汚れてしまっていた。
奇岩の光景もはっきり見えない。
小さなテープマークが所々にあって、それに導かれて山頂を目指す。
ちょっとしたピークに壊れた東屋か展望台のようなものがあって、この先は少し下っていた。標識が無いのがちょっと不思議だったけれど、おそらくこれが山頂だろうと思った。木が茂っているので周囲はあまり見通せない。スタートして1時間弱だった。
ここから引き返して、元の車道に戻った。
ところが家に帰ってから gps のトラックを確認すると、何と真のピークはもう少し先だった。
そんなことはまったく知らずに、二上山への山道に入っていった。
二上山は意外と遠い。送電線の鉄塔の所から初めてすっきりと望めた。
このあたりまではほとんど人に出会わずにいい雰囲気だったけれど、二上山が近づいてくると徐々にハイカーが現れてきた。
林道に合流してからの道がよくわからなかった。
登山道はいくつかあるのだけれど、どこも道標が設置されていない。適当に上を目指して、雌岳(473.9m)に到着した。
そして少し戻って馬の背から雄岳(517m)へ。
山頂を少し越えた所に大津皇子の墓があった。実際の墓はここではないという説もあるらしい。
馬の背まで戻ってしっかりした道を下る。眺めのいい場所でおにぎり休憩。
当初は平石峠から「近つ飛鳥風土記の丘」に下ろうと思っていたけれど、休憩の時に地図を眺めていたら、雄岳を先に登って、雌岳から岩屋峠へ下った方が良かったということに気が付いて、ほんのわずかというは言うものの岩屋峠へ登り返す気力が無くなってしまった。
と言うことで、竹内街道を目指して早々と下る。
鹿谷寺跡。
展望台から大阪方面を望む。
竹内街道に出て、しばらく車道を行く。
竹内街道から分かれて科長神社へ。
そして小野妹子の墓。
ショートカットしようとしたら道が無くなってしまって、ヤブをかきわけて車道に出て、二子塚古墳へ。
一部地面がむき出しで、発掘調査中なのだろうか。
そしてすぐ近くにある推古天皇陵。
さらに住宅街を抜けて用明天皇陵へ。
最後は聖徳太子の叡福寺。入山料を取られるのではないかと思ったが、無料だった。
聖徳太子は我々が子供の頃のような聖人扱いはされなくなってきているらしい。
一部では「実在の人物ではない」という説もあるそうだけれど、おおむね「厩戸皇子(うまやどのみこ。聖徳太子のこと)という人物は実在したが、様々な実績は太子自身の功績というよりはその当時の政治家たち(蘇我馬子など)との共同作業の結果」という評価が一般的になっているらしい。
また車道で上ノ太子駅を目指す。途中で住宅街の向こうに二上山が眺められた。
近鉄南大阪線の上ノ太子駅に到着したのは午後2時ちょっと前。おおむね期待通りの楽しいコースだった。
談山神社
キャノンボールのあと、寝込むほどではないけれど、少し体調を崩した。あの寒い夜にジャケットを着ずにいたのが災いしたのかも知れない。
せっかくの好天の前の日曜日も家で過ごして、まだすっきりとは回復していない。
このところ随行の仕事が入っていないのが幸いだったが、昨日は花の講座の下見で奈良の桜井市へ行ってきた。
明日香村にも近いエリアで、せっかくなので談山神社に行ってみた。こんな機会でも無ければ来ないだろうと思った。
1月に御破裂山へ行ったとき、談山神社へ下りようと思ったら通過だけでも参拝料がいるという表示があったので、その時は中には入らなかった。
私にしてはめずらしく、入山料 600 円を払って中に入る。
まずは正面の石段を上がって本殿へ。正面は桜門。
靴を脱いで拝殿に入る。
本で何度か見た「多武峯縁起絵巻」。展示されているのは室町時代のオリジナルを、江戸時代の絵師が模写したもの。有名な、蘇我入鹿の首が飛んでいるシーン。
十三重塔。16 世紀に再建されたものだが、木造の重塔としてはかなり古いもの。
権殿を回り込んで岩くらと龍神社。パワースポットだそうです。
この横から山道に入る。今日は御破裂山へは行かずに談山(かたらいやま。566m)へ。意外と標高がある。
元に戻って、権殿を石段下から拝む。
お次は神廊拝所。
中に入ると藤原鎌足像。
本殿の下をまわりこんで、縁結びの東殿。
さらにこの横から山の中に入って三天稲荷神社へ。
1時間足らずの神社散策だったけれど、なかなか楽しかった。
ここは元々はお寺で、藤原鎌足の長男で僧の定恵が鎌足の墓を摂津安威からここに移して建立したということになっている。
阿武山古墳は藤原鎌足の墓の可能性が極めて高いということになっているが、移したのであればなぜ阿武山古墳に遺体が残っているのかというのはちょっと不思議。
六甲縦走キャノンボールラン
六甲縦走キャノンボールランは今回で7回目の参加になる。毎年、春と秋の二回の開催で、初参加は2013年の3月だった。
これまで春秋それぞれ3回づつ参加していて、結果は須磨スタートゴールの春は2回完走、1回は序盤の転倒で膝を痛めて往路のみで終わった。宝塚スタートゴールの秋は3回とも完走している。
2年前の篠山マラソンを最後にロードレースから退いてしまった今、唯一参加したいと思えるのがこの大会だ。しかし今回はこれまでに比べるとワクワク感が乏しかった。
土曜日は気温が低くて寒かった。しかし動けば身体も暖まるだろうと思って、上はノースリーブのメッシュシャツに長袖ジップシャツ。下はヒザ下までのタイツにカーフサポーターにした。ウィンドブレーカーはザックにしまっておく。シューズはもちろん HOKA の Rapa Nui。
前回から始まった夜間片道クラスのせいか、参加者がずいぶん多い。前回はそれほど増えたとは感じなかったのだけれど。
定刻の9時より2分ほど早めにスタートになった。今回は後ろの方からのんびりスタートする。
階段を上りきる頃には身体も暖まってきた。
序盤に出てくるエイドは今回もアルコール類ばかりで、寒いのでパスする。
菊水山は0時 15 分に到着。
菊水、鍋蓋の登りは適度なペースの集団に入ったので、ほとんど疲れを感じずに行けた。
鍋蓋から下りて、大竜寺でようやくまともなエイドに出会えた。ここで一口おにぎりと豚汁をいただく。
さらに市ヶ原でも予想外のエイドが。ここでも小さなおにぎりと具入りスープをいただいた。おいしかった。
摩耶山の登りはほとんど前後に誰もいない時間帯が続いた。
スタートして5時間 20 分ほどでようやく掬星台に到着した。相変わらずここのカレーはおいしい。
エイドを出たとたん、寒さで震えがきた。しかしここからもおおむね登り基調なので、そのうちに暖かくなるだろうと期待してそのまま進んだ。
しばらくすると震えは収まったものの、かなり寒い。これまでのキャノンボールで最も低温だったと思う。風が無いのが幸いだ。
このあとのエイドも酒やコーラだけだったのでパス。
寒いが、東六甲縦走路に入れば多少はマシになるだろうと思ってそのまま進む。
一軒茶屋あたりのおそらくこの日の最高標高点あたりでは手がかじかんでなかなかうまくシャッターが押せなかった。
摩耶山あたりまではおおむね想定通りの展開で、いつもなら掬星台まで来れば山場は越えたと感じるのに、今日は何故か気分がまったく盛り上がらない。むしろ意欲が落ちていく感じだ。
ロングレースではこういうことは必ず一度はあるので、そこをしのげばまた復活してくると期待しているのだが、なかなか復活の兆しが見えない。
東六甲縦走路で下りに入ると一段とモチベーションが落ちてきて、もう片道で終わってしまおうかという気分になってきた。
そろそろ夜が明けてきて、宝塚の街が望める。
9時間1分で塩尾寺下の折り返し地点に到着した。タイムはそれほど悪くはないが、気持ちはもうほとんど切れている。
もうこのまま帰ってしまおうという気分だったけれど、とにかく持ってきたおにぎりを食べて一服した。
一息ついたらやはりこのまま帰るわけにはいかないという気持ちが出てきた。
ウィンドブレーカーを羽織って、急な階段を須磨に向かって上りだした。
しかしその気持ちは5分ともたかった。はやりもう緊張感は失ってしまっていたし、身体が進むことを拒んだ。
結局、急な階段をまた下ることになった。
広場で身なりを整えて、宝塚の駅に向かって下った。片道コースに参加する人達がたくさん登ってきた。陸上クラブの知り合いにも出会った。
2年前のこの大会で転倒の影響で片道で終わった時、キャノンボールはもう卒業と思った。しかしエントリーの時期になるとなぜか見過ごすことができなかった。
おそらくこの大会が気に入っていたのだと思う。
しかし実際のところは「大会」というものに対する意欲がなくなってきていたのだと思う。
マラソンで納得のいく走りができなくなってからも何度も大会に参加したけれど、完走しても満足感のようなものはまったく無く、ただ「やれやれ」と感じるだけになっていた。
今回のキャノンボールも、これまでなら感じていたような楽しさを覚える局面がまったく無かった。ただ義務感だけで足を進めていたようなものだった。
六甲全山往復というのはそんな気持ちでできるほど楽なものではない。
もう潮時だと悟った。
このところ自分で計画した山行きの楽しさが一段と増しているのも大きな要因の一つに違い無い。
UTMF と同様に、キャノンボールにも感謝している。こんなに身近でこれほどの満足感の味わえる大会は他には無かった。
ランナーとしての参加はもう無いと思うけれど、機会があれば私設エイドをやってみたいという気持ちは前から持っている。
けんこう堂やチンタ、ロールアウト他、ボランティアでこの大会の運営に携わっていただいている皆さま、本当にありがとうございました。
芳山
先週の日曜日(3/19)は随行で奈良の芳山(ほやま)へ行ってきた。若草山の東の方にある山で、名前を聞くのも初めてだった。
スタート地点は忍辱山。奈良駅からバスで 30 分ほどで、円成寺の近く。
円成寺の端をかすめて東海自然歩道に入る。
しばらくなだらかな道を辿って、東海自然歩道から分かれて南へ向かって、誓多林(せたりん)に出る。
奈良らしい雰囲気の畑の広がる車道をしばらく西に向かって、トイレのある休憩エリアで昼食。
昼食後は山道に入って、石仏へ。建てられたのは 1000 年以上前とか。
ここではたくさんの人が休憩していた。
その後、ひと登りして芳山(517.6m)に到着。
南下して車道に出て、ちょっと東へ戻って石切峠の茶屋へ。
残念ながら茶屋は開いていなかった。
西へ向かってほどなく石切峠。
春日山石窟仏は金網で覆われていた。
首切地蔵。
お次は朝日観音。鎌倉時代の作品とか。
さらに夕日観音。
観光エリアに入ってきて、浮見堂。
シカもたくさんいます。
このあたりで解散して、私は人混みの三条通を西へ向かう。
目的の開化天皇陵は入り口がなかなか見つからず、結局ぐるっと一周、さらに途中で何カ所も細い道を入りながら引き返すということを繰り返して、ようやく南側の入り口に到達した。
古墳や遺跡などは興味を持つようになってきたけれど、まだお寺は神社までは成長していないので、自分で行くならこういう人混みエリアよりは明日香村や桜井あたりの方がいい。
でも好天に恵まれて楽しい一日でした。
阿武山古墳
この三連休の自由時間は土曜日の午後しかなかった。
幸い、天気は良さそうだったので、先月の古墳めぐりで到達できなかった高槻の阿武山古墳を目指すことにした。
家を出たのは午後1時 36 分。今回は枚方の古墳は省略して淀川へ。
枚方大橋を渡って高槻に入って、芥川を遡る。
先月は JR の線路を越えるために摂津富田まで行かされたけれど、地図を細かく見たら川の左岸は線路をくぐれそうだったのでそちらへ行ってみたところ、期待通りに線路を越えられた。
今城塚古墳はパスするつもりだったけれど、このあたりではここしか無いトイレを借用するために立ち寄った。
1時間くらいで来られると思っていたけれど、もう3時だ。13km くらいあったので仕方無い。
このすぐ先の闘鶏山古墳(つげやまこふん)に向かうが、入り口がわからない。
地図では南と東に入り口があるようで、まずは東側に行ってみる。
ため池越しに古墳らしい地形が望めるが、北端まで行っても入り口が無い。
仕方無く南側に回ってみたが、ちょうど名神高速が走っている。だいぶ西へ行ってからようやく北側に出ることができて、そこからまた東へ向かった。
古墳のすぐそばに闘鶏野神社があった。
古墳はすぐそばに見えるけれど、フェンスで囲ってあって立ち入り禁止の看板が出ている。
阿武山古墳に向かいつつ闘鶏山古墳の西側に沿うように進んだが、結局入り口らしきものは見つけることができなかった。
あきらめて住宅街を阿武山古墳に向かう。なかなかの登り坂だ。新興住宅街という感じだけれど、こんな所に住んだら歳をとったら大変だと思う。
地図で見た階段でショートカットする。
部分的に登山道でショートカットして、京大の地震観測所のそばでようやく道標に出会った。
このあと阿武山への登山道を少し上がると、阿武山古墳があった。
闘鶏山古墳でうろうろさせられたせいもあって、今城塚古墳から1時間近くもかかってしまった。
この古墳は盛土が無く、標高約 220m の尾根に溝を掘って墓域にしている。
この下には藤原鎌足かも知れないミイラが今も眠っている。
時間があれば阿武山山頂まで行こうと思っていたけれど、すでにもう4時近い。今日は山が目的ではないので、ここで下りることにする。
木が無ければ絶景なのだけれど・・・。
これから今日最後の目的の継体天皇陵を目指す。
考古学的には今城塚古墳が継体天皇の墓という説が有力だけれど、宮内庁は太田茶臼山古墳を継体天皇陵と治定している。
宮内庁が管理しているので中には入れない。
あとはしばらく車道を走って川に出て、来た道を引き返す。
枚方大橋を渡って河川敷に下り立ったあたりから何故か調子が上がってきて、自然とキロ5分半くらのペースになっていた。
ここで偶然、陸上クラブの会長さんに出会った。
堤防からはちょうど阿武山古墳のあたりを望むことができた。
ズームアップしているので汚いけれど、左の方にある鉄塔の向こう側の山の稜線あたりが阿武山古墳。
家に帰り着いたのはちょうど午後6時だった。約 36.4km でした。
山上ヶ岳
日曜日は雪の大峰シリーズ第三弾で、山上ヶ岳へ行ってきた。大峰三度目にしてようやく好天が期待できる条件だった。
正月に敗退した経験から、今回はトレッキングシューズ、そして新たにアマゾンで購入した中国製の 10 本爪アイゼンで出動した。
しかし気温は思ったより高めに感じたので、前日に用意しておいた山スキー用のジャケットはやめていつもの雨具にして、ピッケルもやめて山スキー用の折りたたみ式ピックの付いたストックを右手に持って、左は普通の山スキー用ストックにした。
これまで通り、途中のコンビニで朝食とコーヒーをとって、またしても道を間違えたりして(毎回、違う所で間違える)、洞川温泉を越えて奥に向かった。
母公堂(ははこどう)から先は冬は通行止めということになっているらしいが、実際には轍があって、結構車が入っている。
この奥にも駐車場があるのだけれど、ムリに入って面倒なことになっても困るので、母公堂の前の駐車場に停めることにした。ここからなら歩いてもそれほど大した距離ではない。
歩き出したのは6時 50 分だった。
前の二回とは違ってすでにすっかり明るくなっている。
しばらく車道を行くが、路肩に車が何台か止まっている。洞川温泉の手前でも路肩に多くの車が止まっていたけれど、どうも釣り客のようだ。
20 分少々で清浄大橋に着いた。
ここにも大きな駐車場があった。1日 1,000 円の有料だが、誰もいなかった。車は2台ほど停まっていて、先ほど車道で横を走って行ったと思われるワゴンが深雪にスタックしていたが、お手伝いをしている時間は無いのでさっさと通り過ぎた。
さて、山上ヶ岳はおそらく日本で唯一残っていると思われる女人禁制の山。ここから先は女性は入れない。
しばらく木の階段が続く。
そろそろ雪が出てきた。
出発してちょうど1時間で一本松茶屋。
この中でアイゼンを着けようと思っていたら、中で二人パーティがアイゼンを着けていたので、そのまま素通りした。
いよいよ完全に雪道になってきたので、道ばたでアイゼンを着けた。初めてのアイゼンで、バンドの締め方は練習してきたつもりだったのだけれど、いざ本番になると忘れてしまっていた。
樹林帯で展望はほとんど無いけれど、空は快晴だ。
大きな岩につららがかかって、岩陰に小さなお地蔵さん。
せっかくの好天で気持ちいいのだが、どうもアイゼンの具合が良くない。締め方が正しくないのか、ずれてきている感じだ。
ずれている箇所に木の枝をはさんだりしてみたけれど、すぐに取れてしまった。
冬用のプラブーツで履いていたような本格的なアイゼンではないので、あまり信用できない。チェーンスパイクよりはマシという程度だ。おそらくこの程度の山が使用できる限界だろう。2000m を越えるような山では使えない。
歩き出して2時間ちょっとで洞辻茶屋に出た。
振り返ると、左に大天井ヶ岳、右は小天井ヶ岳。
洞辻茶屋の建物を抜けると右側に仁王像。目つきが恐かった。
この先の分岐で左に入ったが、少し登るとロープが張ってあった。しかしその先にもトレースがあったので、そのまま登ったのだが、急斜面の木の階段は朽ちていておまけに雪がかぶっている。トレースも消えた。
ストックのピックを使って強引に這い上がったが、どうもここは行ってはいけない箇所だったようだ。
ここを過ぎると、またしっかりしたトレースに合流した。
いよいよ大峰山寺のエリアへ。
お寺の建物と、おそらく山上ヶ岳のピークであろう山容が見えた。
山門をくぐる。
少し行くと開けた地形になっていて、山頂は右側のようだ。
10 時ちょうどに山頂(1719.4m)に到着した。
山頂は展望があまり無いので、少し下りた開けたプラトーで腰を下ろした。
正面は八経ヶ岳と弥山、右が稲村ヶ岳。
単独行の方が一人、休んでおられたが、おそらく一人で静かな方がいいだろうと思って(私ならそうなので)、少し離れた場所でおにぎり休憩にした。
10 分ほどで腰を上げて、当初の予定だった大普賢岳の方へ向かおうとした。
が、まったくのノートレース。
無雪期でもそこそこの距離があるのに、まさか一人ラッセルで進む気にはならない。
と言うことで、あっさりと戻ることにした。
行きにパスした西の覗に寄ってみる。
どれくらいの崖なのかわからないくらい落ち込んでいる。
行きに登った間違った箇所は正しいルートを下った。しかしここも部分的には雪の不安定な箇所もあって、おもちゃのようなアイゼンではあぶない斜面だった。
そうしたら下から上がっている単独の人に出会った。一本松茶屋で出会った二人パーティと思ったのはたまたま一緒になっただけだったのだろうか。
さらに洞辻茶屋の手前でももう一人に出会った。
結果的に、この日に山上ヶ岳を登ったのは私を含めてたったの四人だったようだ。こんな快晴の日曜日にこんなに登山者が少ないとは思わなかった。
大普賢岳を止めたので、かわりに大天井ヶ岳へ向かってみようかと思った。しかしここもノートレース。
少し進んでみたけれど、思い湿雪でスネまでもぐるので、これはムリだと思った。
登山口には 12 時 15 分に下りてきた。
また車道を歩いて、12 時 35 分に母公堂に戻った。
山上ヶ岳なら冬でも天気が良ければかなりの登山者がいるのではないかと思っていたけれど、予想外に静かな登山が楽しめた。登山者が少ないおかげで大普賢岳へは行けなかったけれど、快適な山行だった。
鍋尻山
3/10(金)は鈴鹿の霊仙山の南にある鍋尻山(なべしりやま)へ行ってきた。今回も名前を聞くのも初めての山だった。
古い登山地図では河内風穴のそばから登山道が出ているが、もう少し先の山女原(あけんばら)までタクシーで行った。すでに人は住んでいないらしい。
小雨の中で出発の準備。
いきなり急斜面をぐいぐい上がる。どうも最近の登山講座はこういうパターンが多いようだ。
途中の大きな杉の木のたもとには小さなお地蔵さん。
いよいよ雪が多くなってきて、トレースの無い急な斜面を這いずり上がる。
少しなだらかになった所で見えたのは鍋尻山の山頂か?
昼過ぎに鍋尻山(838m)に到着した。
今日のコースは下山が長い。
昼食後、南側の保月を目指して下るが、かなりの積雪(数十センチ)で足元がずぶずぶ沈んで苦労させられた。
40 分くらいで無事、保月に下り立った。
あとは多賀大社を目指して林道をひたすら進む。序盤は除雪されていない。
地蔵峠には立派な杉と祠。
このあと少し林道をショートカットして、除雪された箇所に出た。
杉峠にはご神木。
午後4時にようやく調宮神社(ととのみやじんじゃ)まで下りてきた。
ここからはひたすら車道で多賀大社を目指す。
途中で山の彼方に鍋尻山を望むことができた。
ちょうど鍋を逆さにしたような山容なのでそう呼ばれるようになったらしいが、まさにそういう眺めだった。
左右の山の間の遠方に見えるのだけれど、写真では雲の白さとかぶってよく見えない。
多賀大社駅に到着したのは4時 45 分くらいだった。
山幸橋から鷹峯
昨日は京都一周トレイルの講座で山幸橋から氷室を経て鷹峯まで歩いてきた。
地下鉄北山駅から登山口の山幸橋まではタクシーに分乗して、すぐに登山道に入る。
天気は良いけれど気温は低い。
盗人谷(ぬすっとだに)に沿って進む。
大きな倒木。
1時間少々登ってようやく峠に到着した。
ここから十三石山方向に少し登った場所に展望台があるらしい。
なかなかの急登だったけれど、行った甲斐があって展望は素晴らしかった。正面は比叡山。
峠に戻ってほどなく氷室の集落へ。
私が通っていた中学はここ氷室が校区で、同級生に氷室から通っている男子がいたが、どうやって通っていたのかは思い出せない。
コースから少し離れて氷室跡へ。ちらほらと雪が舞ってきた。
このコースは個人的には何度も通っているけれど、氷室跡に来るのは初めてだ。ただの穴ぼこ・・・。
ここで昼食をとって、あとは車道でほぼ下り。
まずは氷室神社へ。ここもこれまでは前を通過するだけで、中を訪れたことは無かった。
かなり由緒のある神社のようだ。冷蔵庫の無い時代、氷を長期間保存しておけるというのは貴重な場所だったに違い無い。
そこそこ車が通る車道を行く。
京見峠を少し越えたあたりで京都市内が眺められる。
峠の茶屋はもう営業していない。
車道から分かれて長坂道へ入る。ここも舗装道路だけれど、あまり車は走っていないようで、そこそこの風情は残っている。
首無し地蔵。
千束の坂の下に出て、坂は土道で上がる。
坂を上がったところに然林房(ねんりんぼう)。このあたりの出身の人間だけれど、もはや記憶に無い。
この少し先の鷹峯のバス停で解散となった。
私はこのあと賀茂川に出て、出町柳まで歩いて帰った。
播磨アルプス
土曜日は快晴の元、播磨アルプスを縦走してきた。
トレランでも良く行かれるコースなのでどんなところなのかはおおむね知っていたけれど、行くのは初めてだった。
「○○アルプス」と呼ばれる山域はたくさんある。日帰り圏でこれまでに行っただけでも、湖南アルプス、比叡アルプス、六甲アルプス、須磨アルプス、多紀アルプスなど。
いずれも岩場のアップダウンのあるエリアで、アルプスのミニチュア版ではある。
播磨アルプスは家からはいささか遠くて交通費がかかるわりには距離が短くて、近くに継続できる適当な山域も見あたらないので、トレランで行く機会は無かったが、この日も何人かのトレイルランナーに出会った。
JR 曽根駅を出発して、しばらく車道を東へ行って、北山神社の鳥居の横から山道に入る。
少し登ると主峰の高御位山(299.8m、たかみくらやま)がはっきり見えてきた。山肌が禿げているのは森林火災の跡らしい。
南方は瀬戸内海だけれど、遠くは霞んであまりはっきり見えなかった。
岩場のなかなかの急登をぐいぐい登って、11 時過ぎに高御位山に到着した。快晴の土曜日なので、たくさんの登山者で賑わっている。
ここで早めの昼食をとって、稜線を西に向かう。
方向が北へ向かったあたりで高御位山を振り返る。
さらに進むと前方にこれから向かう桶居山(おけすけやま)。
花崗岩の急登を上がって山頂(264m)に到着。
下山の途中でちょっとした岩場に寄り道した。
さらに下ると遠方に姫路城が見えたが(この写真ではちょっとムリ?)、姫路駅から見た真っ白い様相とは随分違った。
車道に出て、縦走終了。
このあと車道を御着駅まで歩いて解散となった。
猪背山
先月末の 28 日は随行で湖南の猪背山(いのせやま)へ行ってきた。
今回も山名を聞くのも初めての山。どこにあるのかなかなかわからなかった。
京阪、近鉄、JR東海道線、JR草津線、信楽高原鉄道、バスを乗り継いで、家から3時間かかってようやく登山口の宮尻に到着した。すでに 11 時を過ぎている。
しばらく車道を歩いてから林道に入って、送電線の巡視路に入る。
いきなりかなりの急登が続く。
30 分ほど登って鉄塔に出た所で早々と昼食。
ここはなかなか眺めのいい場所で、鷲峰山が望めたけれど、写真を撮るのを忘れた。
道はいささか不明瞭で、ヤブ斜面を適当に這い上がる。
干支の年だけ登山者が増えるという猪背山(553m)に到着した。展望は無し。
不明瞭な踏み跡を辿って、車道に出た。
この後はバス停に向かってひたすら車道を歩く。
春日大社の子分の春日神社。建物にはシカの彫り物がいくつかあった。
富川磨崖仏(耳だれ不動)。
イワナやアマゴが放流されている信楽川。
大滝もあります。
午後4時半頃に大石小学校バス停に到着して、ここからバスで石山駅に出た。
交通の便が悪く、陸の孤島のようなエリアだった。