数日前、Cream のベーシストだった Jack Bruce が亡くなった。往年の大物ロックバンドのメンバーはほとんどがすでに誰か他界しているのだが、数少ないフルメンバーの残っていた Cream もついにメンバーが欠けることになってしまった。
これでもう二度とあのサウンドを聴くことはできないのかと思うと、非常に淋しくなる。
私がロックに興味を持ち始めたのは 1970 年あたりなので、Cream の現役時代は知らない。
深夜放送や FM の番組などでいろんなバンドを聞いて、初めての本格派ロックバンドとして Led Zeppelin のコンサートに行ったりした。
Cream を初めて聞いたのもおそらくラジオで、ライブ演奏の Crossroad にはぶったまげた。特に Jack Bruce のベースはまるでリード楽器のような自由奔放な演奏で、あんな弾き方をするベーシストはジャズの世界でもまだいなかったと思う。
私にとって史上最高で最強のロックバンドは Cream で、Eric Clapton にしても Cream 時代の演奏が一番好きだ。本人は Cream 時代はあまりいい思い出ではないようだが。
もう 10 年以上前くらいだと思うが、Jack Bruce の来日公演が予定されていて、当然のごとくチケットを買って楽しみにしていた。
メンバーはドラムに Simon Kirke、ギターに Char というトリオ構成で、これは Cream サウンドの再現に間違い無いと非常に楽しみにしていたのだが、直前になって Jack の体調不良でキャンセルになってしまった。
結局 Jack Bruce は一度も生で見ることができなかった。
10 年ほど前にロンドンで再結成コンサートが4日ほど行われて、スカパーで放映されたのを録画して何度も何度も見た。今もしばしば見ている。
世界ツアーでもやってくれないかと期待していたが、残念ながらそうはならなかった。
コードのルート音を中心にきっちりとしたビートをきざむベースの演奏から大きく脱却して、メロディラインを奏でてリード楽器(ロックではほとんどがギター)と絡むような演奏スタイルは、Jack Bruce がおそらく最初だと思う。
実はクラシックではバッハなどのバロックはこういう手法なのだが、Jack は元々クラシックのコントラバス奏者だったので、それがバックボーンになっていたのではないかと思う。
いずれにしても『巨星落つ』の感が強い。合掌・・・。
月: 2014年10月
第11回六甲縦走キャノンボールラン・復路編
ビヴィシートは思いのほか暖かかった。眠ってしまったら起きられなくなるのではないかと心配したが、寝入ることはなく、7時過ぎには起きて復路の準備を始めた。
持参した総菜パンとカロリーメイトを食べ、BCAA タブレットとヴァーム、気休めにとバッファリンを飲んだ。
定刻の8時に復路をスタートする。暑くなりそうだがウエアは往路のままで、上はノースリーブのドライメッシュシャツと長袖ジップシャツ、そして手袋。下は膝下までのスパッツとふくらはぎのストレッチストッキング。靴下は交換した。
スタート直後に狭い階段に入るので、極端な渋滞を避けるために少し前の方に並んだ。昨年は後ろからスタートしたので、ここでの渋滞がひどくて車道を大回りしたが、今年は階段をゆっくり上る。これくらいのペースがちょうど良い。
石段を登り切る頃にはすでに汗びっしょりという状態になっていた。今日の暑さはかなりのものになりそうだ。
高倉台の住宅街の歩道橋の登りは、昨年はジョグのリズムで上がったような記憶があるが、今日は走るだけの余裕が無い。ピーコックの自動販売機では早くもジュースか何かを買っている人が何人かいる。
400 段階段はちょうど往復で疲れている人がすぐ前にいたので、その人のペースでついて行く。道には前の人たちが落としたであろう汗のしずくが随所に残されている。昔はこの階段もジョグのリズムで上がりきったことなどを思い出しながら、何とか余裕を残して登り切った。
2カ所のショートカットはしっかりと利用して、須磨アルプスのエリアに入る。
今回の最大の失敗は、小石よけのスパッツを忘れたこと。往路でも途中から靴に入り込んだ小石が気になって、一度脱いで小石を出そうかと何度も思ったが、どうしても走れないほど大きなものは無かったので、何とか最後まで脱がずに走りきった。
このところ好天が続いているせいか、道が渇いていて小さな小石や砂などがさらさらと舞い上がりやすい。足を蹴った直後にカカトのあたりから小石が入るのがしばしば感じられて、特に風化した花崗岩の須磨アルプスのような場所ではそれが顕著だ。
靴の中が気になるが、どうせ脱いで小石を出してもすぐに同じような状態になるに違い無いので、走れないほどの大きな石でも入らない限りはがまんして行く。
妙法寺の住宅街では期待通りジュンマンエイドでコーラを2杯いただく。
大きな交差点はちょうど青信号だったので、ダッシュで何とか渡りきった。しかしそこ以外はスロージョグで、どんどん抜かれるばかりだ。車道では右股関節が痛い。
いつものショートカットで山道に入り、正式ルートに合流する。こういう登りになると周りとほぼ同じくらいのペースで、どちらかと言うと時々道を譲ってもらうようになる。
肉体的な疲労感は、スタートして4時間くらは徐々に疲労が蓄積してきて、その後はほとんど同じような状態がそのままずっと続く感じ。ペースは上げられないが、これくらいのペースならまだまだずっと歩き続けられる感じがする。
高取山の公園では水をたっぷり飲んだ。上に吹き出す水道だけなので、ボトルに補給することができない。
丸山の住宅街は須磨からだと迷うことは無い。安そうな自動販売機を探して、スポーツドリンクを買っておく。摩耶山くらいまでは今のもので行けそうだが、摩耶山の自動販売機は高そうな気がする。
水道局のエイドではおでんやフルーツポンチ、コーラ、お茶などをたっぷりいただいた。
この少し先で天然水をボトル満タンにして、いよいよ菊水山の登りにかかる。案の定、ハイカーの列に巻き込まれて先へ進むことができないが、止まってしまうほどの渋滞ではないので、まぁいいだろう。
しばらく行くとハイカー集団が道を譲ってくれて、また自分のペースで進めるようになった。六甲のハイカーはトレイルランナーに対して割と理解があるように感じる。このエリアは昔からそういうことをする人がめずらしくなかったせいもあるだろう。
菊水山はスタートから約3時間半で通過した。須磨スタートならおおむね3時間くらいなので、これくらいの遅れは想定内だ。
この先の走りやすいルートも、前のランナーがそこに入ってくれたおかげで間違わずにすんだ。昨年はここを見落として直進してしまった。距離的にはほとんど変わらないが、こちらのルートだとずっと緩い下りで行けるのだが、本道を行くと一度どんと下って、また登り返さなければならないのだ。
往路にあったエイドは復路では無かった。そして天王吊り橋を渡って鍋蓋の登りへ。
昨年は鍋蓋の登りでくたばってしまって、頂上手前の道ばたで腰を下ろしてしばらく休憩した。今回はそういうことにはならなさそうだ。
復路では大竜寺にはエイドは無く、次のエイドは市ヶ原。昨年食べそこねたおかゆをいただく。しかしスプーン数杯くらいなので、あまり食べた気がしない。
ここでは地元の女性演歌歌手が生でオリジナルのキャノンボールテーマソングを披露していた。ここで買えば CD が 100 円とのこと。
いよいよ復路最後にして最大の難関、摩耶山の登りに入る。約1時間の登りだ。自分はこういうパートは得意だと自分に言い聞かせて、止まらないように一歩一歩足を進める。
上部になるにつれて大きな石を大股で登るような箇所が多くなり、一段と足が疲れる。立ち止まって一息入れている人もしばしば見かけるが、何とか止まらずに歩き続ける。
最後のヘアピンのショートカットが見えた。これでようやく登りが終わる。広い道を少し行って、掬星台のエイドに入った。スタートからほぼ6時間だった。
昨年はカップラーメンを食べ損ねたが、今年は残り二つのうちの一つにありつけた。具無しのチキンラーメンだが、お腹が空いてきていたので本当にありがたい。ついでに小さなあんパンも二ついただいた。
ラーメンを食べていたら、そばにおられたハイカーの方が話しかけてこられた。気さくないい感じの方で、こちらも楽しくしゃべっていたのだが、あまり長居もしていられないのでそろそろリスタートしたい。
適当に話しを切り上げて、水道で水を補給して先へ向かった。30 分近く休憩してしまった。
車道部分はできるだけ走りたいのだが、ここまで来るともはや緩い下りでもスロージョグ、登りは早歩きが精一杯だ。昔、タイムトライアルの大会に出ていた頃はおそらく、このあたりはキロ5分かもう少し速いくらいで駆け抜けていたのだと思う。
次のエイドはすぐに現れた。お腹は一杯状態だったが、ピザまんがあるということでそれをいただいて、歩きながらほうばる。
登山道をしばらく上って車道に出ると、またまたエイド。小ぶりのハンバーガーをいただいてザックに入れて先へ進む。
おそらく最後のエイドであろう一軒茶屋で何かをいただいて(何か忘れた)、いよいよ長い東六甲縦走路に入る。おそらくゴールは18時半くらいになるだろう。
東六甲縦走路は緩いアップダウンの繰り返しが多く、なかなか高度が下がらない。下ったと思うとまた登りで、疲れた身には本当にイライラさせられる。
樹林帯に入るとそろそろ暗いので、サイドポケットに入れておいたハンドライトを取り出す。いつの間にか前後には誰もおらず、完全な単独走状態になっていた。しかしこういうのは好きだ。
東六甲縦走路では数人くらいに抜かれたが、みんなかなりのスピードで下って行って、それだけの走力があるのなら何故こんな位置で走っているのだろうと不思議に思った。
塩尾寺に近づくと少し急な部分がある。ハンドライトを持っているとこのような場所では不便だが、ヘッドランプは電池が切れかかっているので仕方ない。
ようやく車道に出て、ショートカットの階段を下って、さらにショートカットの山道を下った。この山道は急な上に足元が悪いので、要注意だ。ここまで来てつまらないケガはしたくない。タイムよりも安全第一で慎重に下りて、ようやく住宅街まで下りてきた。
前方にローソンのある交差点の明かりが見える。関係者が何人かいるようだ。何とか今回も完走できそうだが、やはりと言うべきか、3回目ともなると感動のようなものはほとんど無い。あるのは安堵感、それだけだ。
湯本台広場のゴールゲートをくぐった時は、スタートから10時間53分が経過していた。
千ガ峰
今日は登山教室の随行で兵庫県の千ガ峰(1005m)へ行ってきた。天気は良かったが、風が冷たくてやや寒い一日だった。
より大きな地図で 千ガ峰 を表示
このあたりの山域に来るのは私はまったくの初めて。
渋滞する中国自動車道を避けて、亀岡、篠山経由で登山口の多可町ハーモニーパークへ到着した。道路状況は順調だったが、さすがに遠くて歩き出したのは 10 時を過ぎていた。
いきなり急登が始まり、しばらく行くと雌滝、雄滝の滝が現れる。
↑雌滝
↑雄滝
途中、リーダーの解説などを交えながら、最後の急登を上がって2時間ほどで頂上に到着した。360 度の大展望だが、このあたりの山名はまったく知らない。
天気は良いが、風が冷たい。ここはこのあたりの最高峰で、独立峰のような地形なので、北からの冷たい風が吹きつける。
風下に避けて、カップラーメンで身体を温める。
下山は東側の市原へ。キャノンボールの後遺症で右足の腓骨のあたりが痛い。
かなり上部まで林道が上がってきているが、林道で下ると大回りしなければならないので、登山道でショートカットする。しかし林道が整備されたせいか登山道はわりと荒れている。
コケのついた岩がごろごろする登山道を下って、3時半頃にバスに合流した。
第11回六甲縦走キャノンボールラン・往路編
キャノンボールランにはあり得ないような好天で大会が終了した。
今回はいろいろと体調が悪く、走行中も何度か足の痛みが襲ってきたが、何とか無事完走することができた。
一番の不安要素だったのは左足首の痛み。志賀高原以来、かれこれ2ヶ月近く軽い痛みがずっと続いている。走れないほどではないのだが、ペースはキロ5分半くらいがせいぜいという感じで、ここ半月くらいはキロ6分も切れないような状態が続いていた。
特に登り坂では調子が悪いため、ここしばらく山田池へは行っていない。
はたしてそのような状態でトレイルが走れるのだろうかと思ってはいたが、こういううじうじした故障状態の時に開き直ってレースをやると、結果的に故障が治ってしまうということがこれまでも何度かあったので、今回もそれを期待してとにかくスタートを切ることにした。
夜間に住宅街を集団で走ることを避けるためか、スタート地点がこれまでの湯本台広場ではなく、少し登った塩尾寺下の広場になった。
今回は荷物預かりが宝塚のホテルの一室になっていたが、私は完走できるかどうかわからない状態だったので、荷物をすべて背負って走ることにした。
前回はスタートからずっとポールを使ったが、今回は必要性を感じてから出すことにする。
宝塚からスタート地点まで、後半は結構急な登山道を上がる。やはり左足首の調子は良くない。昨年と較べるとかなり気温が高い。夜はちょうど良さそうだが、明日はかなり暑くなりそうだ。
定刻の午後9時に百数十名が一斉にスタートする。とは言ってもスタート直後から階段で、みんなのんびりしたものだ。
今回の参加賞は、願い事をして三回結び、切れると願いが叶うと言う言われのあるお守りの『ボンフィンテープ 』
私はこれを不調の左足首に2本巻いている。はたして御利益があるか?
登山道に入ってしばらく急登を登って、フラットになってから前に付いて走っていたところ、何と集団ロスト!!。幸い、ロスタイムは2分くらいだった。
左足首に痛みはひどくはならないが、痛みの感じからしてこのレースが終わると大きなダメージが残りそうな雰囲気。しかしもう行くしかない。
次第に集団がばらけてきて、ちょうどいいくらいのペースで前に付いて走っていたところ、突然前の二人が止まってトップに出さされてしまった。その前はまったく見えない。
夜中の登山道、特に東六甲縦走路のような樹林帯は暗いので、前に人がいるとかなり気分的に楽なのだが、仕方ない。しかし数分もしたら前に追いついた。
だいぶドライブウェイに近づいてきた頃、例の『走らんかい!!』の垂れ幕が登場。そしてカトーさんの『エロ本エイド』が現れた。たまたま居合わせた4人ほどで写真を撮ってもらって、先へ進む。
スタートして1時間37分でドライブウェイに出た。湯本台広場からスタートした時はおおむね2時間くらいなので、ペース的にはいつもより若干速いくらい。しかし体感的にはムリをしている感じはまったく無い。
いつの間にやら左足首の痛みはまったく無くなっていた。ボンフィンテープのおかげ?
記念碑台のエイドをコーラをいただく。いつもなら夜間のエイドでは暖かいものがほしくなるのだが、今日は暑い。
3時間10分ほどで掬星台に到着。ここではコンソメスープとチョコレートの小さなケーキをいただく。カレーもやっていたが、結構いいリズムでここまで来られているので、あまりのんびりせずに先へ行こうと思った。
天狗道を慎重に下って、市ヶ原から大竜寺へ。大竜寺の手前の車道の登りで前方に不気味な人のようなものが??? 近づいてみると、キャノンボール名物男の『ちくびまん』の等身大写真がライトアップされている!!。そばに誰もいなかったので、かなり不気味だった。
そして大竜寺のエイドへ到着。何か暖かいものをいただいた記憶があるのだが、何だったか忘れた。
いよいよ鍋蓋、菊水のダブルパンチが始まる。体力を消耗するパートだが、ムリをしないように自分のリズムでじっくり登る。このあたりまで来ると参加者はまばらになって、真っ暗な山道を一人きりで行く時間帯が多くなる。しかし私自身はその方が自分のリズムで歩けるので好きだ。
天王吊り橋を越えると思いがけないエイドが。コンソメスープを少しいただく。
スタートして4時間5分ほどで菊水山へ到着。前回は4時間50分ほどかかっているので、かなりいいペースだ。エイドで止まっている時間が短いせいもあるだろう。
鵯越のエイドでもコーラをいただいて、何気に鬼門の丸山住宅街へ。ここは宝塚から来ると道が本当にわかりにくい。たまたま近くに一人いたので、チラチラと気にしながら進む。おかげで迷わずにクリアできた。
しかし車道の下りでは右股関節の痛みが出た。
高取山を越えて、妙法寺へのショートカットも問題無く進み、西神戸高速道路を越える階段をヒーコラ言いながら登る。
真夜中なのでさすがにジュンマンエイドはまだ開店していない。
須磨アルプスへの登りは短いが以外とこたえる。馬の背では一瞬進む方向がわからなくなってしまったが、たまたますぐ後ろの人が指示してくれたので、問題無くクリアできた。
須磨アルプスの核心部からの登りもいつもキツい。後ろに人がいなかったので、自分のペースで行けて良かった。
その後のショートカットもしっかりと見つけて、400段階段を下りて、高倉台の住宅街を抜けると、あと一息という感じ。まだ5時前なので5時半くらいには着けるだろう。なかなかペースだ。昨年はこのあたりではもう結構明るくなっていたはずだ。
鉄拐山のあたりで後ろの人に道を譲ろうとしたら、『あなたが頼りなんです!!』とか言われて致し方なく先導役を続ける。
旗振茶屋のあたりではヘッドランプがだいぶ暗くなってきた。これからしばらく石段を下らなければならないので、サイドポケットに入れておいたハンドライトを出す。
右膝が痛い。
まだ暗い5時18分に須磨に到着した。昨年よりスタート地点が上部だったとは言え、ほぼ1時間短いタイムだった。
復路スタートの8時まではまだ時間があるので、ビヴィシートにくるまって横になった。
開き直り
キャノンボールランのスタートがいよいよ明日の夜に迫ってきた。
体調はぜんぜん良くない。
左足首の痛みはむしろ悪化傾向で、普通の歩きでも痛みの出ることがあるほど。日曜日の登山のダメージが以外と大きかったようだ。
想定外は、先週の喘息アレルギーの後遺症か、それ以降ずっとノドの調子が悪い。少し咳き込んだり、痰がたまったりする。まるで風邪のような症状だが、風邪ではない。
そんなわけで、今週はまったく走っていない。
しかしまったく走れないというほどひどい状態ではないので、とにかく行けるところまでは行ってみようと思う。同じ大会を二度続けての棄権というのは何としても避けたい。
この大会は草レースなので、途中でリタイアしても自力で帰らなければならない。しかし六甲は随所に公共交通機関があるので、いつリタイアしても大丈夫なように、荷物をすべて背負って走ろうと思う。
昨春に初参加した時も完走する自信が無かったので荷物を全部持って走ったので、これくらいは何とかなると思う。
前回はひどい天候だったので、それに棄権を後押しされた部分もあるが、今回は天気は悪くなさそうだ。
多少の痛みくらいで治まってくれれば楽しい大会になるのだが・・・。
蛇谷ヶ峰
今日は登山教室の随行で比良山系の蛇谷ヶ峰(901.7m)へ行ってきた。秋晴れの快適な一日だった。
より大きな地図で 蛇谷ヶ峰 を表示
貸し切りバスで京都を出て、朽木の桑野橋から林道に入る。
昨日、レースのサポートでずっと木陰にいたら結構寒かったので、樹林帯では気温が低いだろうと思って長袖のオーロンシャツの上に長袖スポーツシャツにしたが、歩いているとかなり暑くなってきた。
途中、対岸の白倉山がくっきりと望める。
快晴の日曜日だと言うのにほとんど誰にも出会わない。このあたりは公共交通機関が不便なせいだろうか。
林道を歩いているうちは何ともなかったが、登山道の登りに入ると左足首の痛みが出てきた。この程度の歩きなら何とかなるが、今週末はキャノンボールなので、何とかそれまでに故障を治したいと思っているのだが、回復の兆しはまったく見られない。
最後尾を歩いているので、変な歩き方でもできるだけ足首への負担が少なくなるようにしながら登った。
10 時過ぎに登り始めて、12 時前には蛇谷名物の反射板のところまで来た。
少し下ってから少し登り返して、12 時過ぎに蛇谷ヶ峰に到着。
南方には武奈ガ岳や釣瓶岳、堂満岳などが望める。
東はリトル比良、そしてもちろんびわ湖も。
下山はグリーンパークの温浴施設の所に降りてきた。
日曜日のコースは初心者向けということで危険な箇所も無く、距離も短めなので、安心してのんびりと楽しむことができた。
レースサポート
今日は京都で開催されたトレイルレースのサポートに行ってきた。ボランティアではなく、それなりのギャラをもらってのアルバイト。
与えられた任務は貴船口のやや上の滑りやすい急な下り箇所の手前で、ランナーに注意を促すというもの。
10 時に貴船口駅に集合ということだったので、せっかくの好天なので出町から鯖街道を北上してジョグで行った。
賀茂川はカモが岸辺に上がって散歩していた。
左足首に痛みは相変わらずだが、幸い次第に痛みも薄れてくれた。しかし市原のあたりで突然、右股関節に痛みが出て、少し歩きに。しばらく歩いてからスロージョグを再開したところ、少ししたら痛みは消えてくれた。
私の担当箇所は私一人だけなので、ランナーがやってくるとしばらくはそこを離れることができない。しかもスタートから 30km ほどの場所なので、トップと下位との時間差はかなり開いていることが想定される。
トップランナーが通過したのは 11 時 15 分くらいだったが、その前におにぎりを一つ食べておいた。
トップの数人くらいはかなり開いていて、一人通過して数分してようやく次のランナーが来るという感じ。
私もコースを少し歩いてみたのだが、そんなに危ない箇所には見えない。
やはり速いランナーは技術も高いようで、最初のうちはみんな特に問題無く通過していったが、トップから1時間くらい経過してくると、徐々に足を滑らせる人が散見されるようになってきた。
ちょっと見ている限りではそこまで滑りやすそうには見えないのだが、少し上で足を滑らせて腕を痛めた人が出て、様子を見ようと上に上がろうとした。そこで認識が一変した。
たくさんのランナーが通過したせいで路面が非常に滑りやすくなっており、登りでも注意しないと滑ってしまうほどの状態になっていた。
腕を痛めた人は少し休んだらましになったということで、そのまま自力で下りて行かれたが、その後を下る時は滑らないように恐る恐るという感じだった。
注意ポイントも当初はちょっとした段差があって、スピードを緩めて慎重に行けばさほど問題は無いという感じだったのが、大勢の通過で角が削れて足を止める場所が無く、おまけに路面もつるつるの状態になってしまっていた。
トレイルレースを開催すると路面が非常に荒れるということで、自然保護団体などからはしばしば非難されているのだが、なるほどこれなら非難されても仕方ないということを目の当たりにすることになった。
4時近くになるとさすがにランナーもまばらになってきたので、隙を見て、もらったおにぎりをほうばった。
最終ランナーが通過したのは 4 時 15 分くらいで、私も係の人たちと一緒に下山した。
しかし好天で本当に良かった。もし雨や雨上がりなどだったらいったいどうなったことだろう。例の志賀高原のコースほどひどくはなかったが、トレイルの初心者のような感じのランナーも少なくなかったので、事故が発生しても不思議ではない状態だった。
何とか無事に任務を終えて、京阪の特急でウォークマンを聴きながらのんびりしていたところ、何と京橋まで止まらない列車だった。最後でがっかりさせられることになってしまった。
Over the Rainbow
花粉症の症状は二日ほどでかなり治まってきたが、それと引き替えに気管支喘息の症状が出てきた。
元々気管が少し弱いようで、子供の頃は医者にもらった湿布薬を胸に貼って、ぜいぜい言いながら寝ていることがしばしばあった。
しかし大きくなるにつれて発症頻度は減って、大人になってからは数年に1回程度でしか現れなかった。このところは 10 年くらい出ていなかったように思う。
子供の頃はどうだったのかは記憶にないのだが、大人になってからの発症は、寝ている時に次第に息苦しくなって目が覚めるというパターンだった。ところが今回は、昨日の昼間から調子が悪くなってきて、夜はあまり眠れなかった。
だいたいは数時間程度で症状が治まるのだが、今朝はまだ具合が悪かったので、近所を一回り散歩した。
台風一過の晴天とはいかないのだが、西の空に大きくてきれいな虹が広がっていた。こんな立派な虹を見たのは久しぶりだ。
喘息の症状もかなり治まってきたので、夕方は穂谷川沿いにスロージョグに出かけた。
すると今度は北東の空にまた大きな虹が!!
何か良いことがあるだろうかと期待しているのだが、左足首の不調はまだそのままだ。
花粉症
ここ二日ほど、突然の花粉症に襲われている。9月後半に一時期涼しくなった後に、このところ昼間の気温が高くて好天の日が続いたために、雑草が春と勘違いしたのではないかと思っている。
私の花粉症はイネ科に対する反応で、スギやヒノキには反応しない。時期的にはゴールデンウィークあたりに暖かくなってからの1ヶ月くらいで、かつては医者へ行って抗アレルギー剤や鼻のスプレーなどをもらってこないと耐えられないくらいだったが、ここ数年は徐々に症状が軽減されてきて、市販薬を少し服用するくらいでしのいでいる。
イネ科の雑草は川辺などがもっとも繁殖するエリアで、淀川の河川敷などは最悪である。土曜日の午後に淀川を走っていた時に少し違和感を感じたのだが、まさか今頃花粉症とは思わなかった。
昨日の競技場での練習会は、左足首の不調のためにキロ6分程度のジョグしかやらなかったのだが、気温が上がるにつれてくしゃみを連発するようになり、帰ってからはティッシュの手放せない最悪状態だった。こんなにひどい症状は久しぶりだ。
夜も鼻や喉の不快感でなかなか寝付けなかったが、夜中から時々雨が降り出したせいか、今日は昨日ほどはひどくない。
台風も心配だが、通過後の好天で気温が上がると花粉の飛散が非常に多くなるので、それだけは勘弁してほしいと思う。この時期なので長く続くことは無いと思うが。
西方ヶ岳・蠑螺ヶ岳
今日は登山教室の随行で敦賀の西方ヶ岳(さいほうがだけ 764m)と蠑螺ヶ岳(さざえがだけ 685m)を縦走してきた。敦賀湾と若狭湾の間の半島で、北端には敦賀原発、西側には三浜原発のある原発銀座だ。
より大きな地図で 西方ガ岳、蠑螺ヶ岳 を表示
貸し切りバスで京都駅を7時半に出発したが、歩き始めたのは 10 時。標高は 1000m にもまったく満たない山だが、海抜ゼロメートルから上り下りするので、見た目よりも歩き甲斐のあるルートだ。
それにしても暑い。もう少し涼しくなるのではないかと思っていたが、まったくの無風で、しかも結構な急登だ。
所々にある展望台で休憩しながら登って行くと、リンドウがたくさん出てきた。
さらに進むとブナ林に。
こんな海のすぐそばにこんな林が広がっているなんて不思議な感じがする。
12 時半頃に西方ガ岳に到着。
山頂には避難小屋がある。そのあたりで昼食。
三角点は少し離れた所だが、展望はまったく無し。
山頂から少し離れた展望岩から蠑螺ヶ岳を望む。
1時過ぎに蠑螺ヶ岳へ向けて出発。途中、オウム岩に寄り道してまた展望を楽しむ。
三浜原発の全貌が見える。
2時過ぎに蠑螺ヶ岳に到着。
この後も所々で眺望を楽しみながら、4時過ぎに敦賀原発のすぐ南側に下山した。
すぐにバスに乗って、登り口のすぐそばにあった常宮神社(じょうぐうじんじゃ)に寄って行く。
ここには国宝の朝鮮鐘(ちょうせんしょう)があるそうだが、現在は一般公開はされていないとのこと。朝鮮から持ち帰ったものだそうで、韓国人からの返還要求が増加している関係のようだ。
遠路はるばる出かけたわりには距離もしっかり歩けて、なかなか満足の山行だった。しかし自分の意志でまた来るかと言うと、それはないだろうという感じ。また随行で来るようなことがあればうれしいと思うが。