椎間板ヘルニア手術 その1

今日(11/26)、退院して家に帰ってきた。8泊9日の入院だった。
入院したのは先週水曜日の 11 月 18 日。自転車で出かけた。
退院後の帰りが自転車で大丈夫かどうか不安はあったが、車で行くわけにもいかず、公共交通機関などまったく不可能で(駅や停留所まで歩けない)、タクシーというのははなから選択肢に無かった。
病院までは自転車で 10 分程度。かつて鎖骨骨折して通っていた時は、片道 25 分ほどかけて歩いていた。
怪しげな天候だったが、案の定、走っている途中から雨が降り出してきた。しかし本降りとまではいかなかったので、そのまま病院まで走り続けた。
受け付けで手続きをしたら、部屋は二人部屋とのこと。自己負担の無い四人部屋を希望していたのだが、あいにく一杯らしい。1日 3,500 円の自己負担になるので、できれば勘弁してほしかったが、そこに入らないと翌日の手術が受けられないので致し方ない。四人部屋が空いたら換えてもらえるようお願いしておいた。
手術前の検査はすでに済ませてあるので、その日はほとんど説明だけ。
手術の翌日からリハビリが始まるとのことで、リハビリ担当の方が現状チェックのために来られた。軽い負荷を与えてチェックしてみると、左足はいくつかの動きで力が入りにくかったり、震えが出たりする。
翌日の手術は午前中で、朝から点滴が始まるので、点滴用の管の挿入を夕食前にされた。そして手術用の衣服に着替える。
はたして手術でどれだけ改善するか、不安は少なくない。あまり大きな期待は持ちすぎないようにして、手術後の生活パターンをいろいろと頭に思い描きながら、眠りに入った。
翌朝は6時半までは飲み物は可とのことで、6時過ぎにお茶を飲む。
そしてほどなく点滴が始まる。
そうこうしていたら、執刀していただく担当医と、上司と思われる医師(初診を受けた医師)が部屋に来られて、手術内容の最終確認をされた。
私の症状はほとんど左足だけなので、手術する箇所も左足に関係する部分のみにしようとのこと。多少とは言え、骨や靭帯を削ることになるので、必要以上の処置はしない方がいいだろうという判断だ。
10 時前に嫁が来てくれたので、雑談をして過ごす。さほど困難な手術ではないので、話す内容は他愛もないことだけ。
看護師のお迎えが来て、手術室に向かう。
手術室のドアのところで嫁と別れて、部屋の中に入る。鎖骨骨折の時に同じような状況は経験しているので、不安感はまったく無い。
手術はうつぶせの姿勢で行われるのだが、寝台に仰向けに寝る。そしてさらに部屋の奥へ移動して、麻酔薬の投入が始まったようだ。点滴が入っている場所に少しじーんとした感覚が走る。
覚えているのはそこまで・・・。

もうすぐ手術

覚悟を決めて手術を受けることにした。
予定日までに改善することをわずかながらも期待していたけれど、やはり状態は何も変わらなかった。
今となっては早々に決心しておいて良かったと思っている。
ただ、手術の結果がどうなるかは終わってみないとわからない。それに手術直後は良かったとしても、それがそのまま続くかどうかはわからない。
手術を受けるのは人生で2回目。最初は4年ほど前の鎖骨骨折の時で、全身麻酔だったけれど、骨折そのものは単純なものだったので、手術結果に対する不安はまったく無かった。手術を受けて、ある程度の時間が経てば、必ず治るということを信じ切っていた。
しかし今回はだいぶ様子が違う。
医者からも過大な期待はしないようにと釘を刺されているし、ネットで情報を調べても、わかったのは『個人差が大きくて、他人の経験は自分の参考にはならない』ということだけだった。
症状そのものはさほどひどくないので、内視鏡での手術になるらしい。
『症状そのものはさほどひどくない』ということが逆に不安要素で、期待しているほど良くはならないのではないかと思ってしまう。
いずれにしてもここまできたら医者を信じて手術に臨むしかない。

いよいよ手術か?

昨日、MRI を持って病院へ行ってきた。
専門医の見立てではヘルニアの症状はさほどひどいものではなく、発症して1ヶ月少々ならまだしばらくは様子見という時期だが、実際の不具合の程度はそれ以上に悪く、おまけに加齢の影響もあって脊柱管狭窄症も併発しているようなので、思い切って手術に踏み切った方がいいかも知れないとのことだった。
いずれにしても最終判断はご自分で、ということで。
いざ手術となると医者は立場上デメリットを強調するので、それを聞いていると気持ちが萎えてくるが、さほど大きな迷いも無く、手術に踏み切ることにした。
予定日は 19 日なので、できることならその間に症状が改善してドタキャンしたいと思うが、おそらくそれは期待薄だろう。
医者が強調したのは、手術が成功しても不具合が完全にゼロになって元に戻るということは期待しないようにということだった。手術のほんの少し後に再発するというケースもたまにはあるとのこと。
陸上クラブで私より5歳ほど上のベテランの方が、2年ほど前にヘルニアで一時期休養されていて、手術はせずに自然治癒で回復されたが、今は以前とまったく同じように練習もレースも参加されている。
身体のことは個人差が大きいので他人の経験を自分に当てはめることはできないので、自分がどうなるかはやってみないとわからない。
いずれにしても今の状態で先が見通せないままいたずらに月日が過ぎていくというのは耐え難いと思ったので、早めに思い切ることにした。
ランニングに関しては、元々 UTMF が終わったら大会参加は一区切りにしようと思っていたので、もしレースのような走りができなくなったとしても残念な気持ちはそれほどはない。むしろちょうどいい口実ができる、くらいの気持ちだ。
トレイルも大会への意欲はもうほとんど無いので(UTMF 再挑戦は微妙だが・・・)、これもかまわない。
ただ、登山教室の随行の仕事だけは何とか続けられるようにしたい。
そして、個人的な山歩きは続けて行きたいし、その体力維持のためのジョギングは続けられるようにしたい。
そこまで戻ってくれればそれで十分なのだが・・・。

1ヶ月半ぶりのビール

今日は1ヶ月半ぶりにビールを飲んだ。
昨日に続いて昼間の気温が上がったことと、薬が無くなったから。
ただ、期待したほどのおいしさではなかった。禁酒前と同じくらいか。
さて、懸案のヘルニアだが、残念ながら具合は良くない。腰痛が発症してから5週間ほどが経過したが、治癒に向かっているとは感じられない。
これまで通っていた病院はヘルニアの専門医はおらず、手術もできない規模なので、ヘルニアの専門医のいる別の病院へ行ってみた。ここは以前に鎖骨を骨折した時に手術とリハビリで通った病院なので、ある程度の安心感はあった。
医者の話では MRI を見てみないと何とも言えないが、これまでの経過から考えると手術になる可能性があるとのこと。
危険性は低いとは言え、場所が場所だけに手術は避けたいと思っていたが、このままではいつになったら元に戻るのかまったく見通しが立たない。
先のことを考えると手術もやむなしかと思うようになった。
今日、前の病院から MRI のデータをもらってきた。
診察の時に何度か見ているが、そんなにじっくりと見たわけではないし、所詮素人なので正確なことがわかるわけではない。
自分でじっくりと眺めてみたところ、思っていたほど軽傷ではないのではないかと感じてきた。
L4L5 間だけと思っていたが、L5 と仙骨の間も少し出ているように見えるし、L4L5 間は思っていたより大きく出ているように感じる。
明日、MRI のデータを持って病院へ行って、最終判断ということになると思う。

禁酒の日々

UTMF から帰って病院で点滴を受けたのが 9 月 25 日のこと。
その後、体調不良が改善してきて、そろそろ普通の生活に戻れるかなと思っていた矢先に、強烈な腰痛に襲われた。
腰痛そのものは3日ほどでほとんど治まったものの、その後、椎間板ヘルニアが発覚して、先月末から薬漬けの日々を送っている。
UTMF の前日は当然、酒は口に入れていないので、何と 9 月 24 日からもう1ヶ月以上、酒抜きの生活を送っている。理由は薬との悪影響が無いようにということで。
1ヶ月以上も酒抜きというのは二十歳を過ぎてから初めてではないかと思う。若い頃は夕食で晩酌するという習慣は無かったけれど、少なくとも週に1回くらいは何らかの場で呑んでいたと思う。
ここ何十年かはビールが無いと夕食がノドを通らないという感じで、登山やトレランなどで車で遠方に出かけた時も、ビールのために、どんなに遅くなっても夕食は家に帰ってから食べるようにしている。ビール抜きの夕食はストレスになるので。
しかし今回の禁酒状態は、何故か呑まないことがほとんどストレスになっていない。
先月末はまだ体調不良だったので、禁酒と言うよりは呑みたいとも思わない状態だったが、この半月ほどはセキなどの症状もすっかり抜けて、ヘルニア以外の体調不良は無い。
1ヶ月以上も酒抜きの生活が続いていると、このままやめてしまえるのではないかと思えてくるし、酒をやめたら体調が良くなったという人の話を聞くこともしばしばあるので、これは酒をやめるちょうどいい機会かなと思ったりもしている。
ヘルニアの薬は、残念ながらあまり効果が感じられないので、いま手元にある分が無くなったらしばらく止めてみようと思っている。もし具合が悪くなったらまた病院へ行って処方してもらえばいいだけのことだ。
ただ、酒をやめるとは言っても買いだめしてあるビールや日本酒がまだ結構たくさんあるので、これらをこのままムダにするわけにはいかない。
おそらく、今の薬が無くなったら在庫の酒類の消費に取りかかることになるだろう。
さて、その後、在庫が無くなった、もしくは無くなりそうになった時に、そこで再度酒無しの生活に戻れるかどうか・・・・。
元々、ほぼ毎日呑んでいるとは言っても、それほど大酒飲みではない(と思っている)ので、その時にやはり元通りの生活の方がいいと思えば、ストレスを感じてまで酒無し生活に戻ろうというつもりはない。
もし酒無し生活になったとしても、仲間内での酒の席や宴会ではこれまで通りに酒を楽しむつもりだ。

薬漬けの日々

先月末に UTMF から帰って病院へ行って薬をもらって、その後、腰痛でまた病院へ行って薬をもらって、それからほぼ1ヶ月、毎日数種類の薬漬けの日々を送っている。
私は子供の頃からほとんどの薬で効果を感じたことが無い。医者でもらった風邪薬や、扁桃腺の腫れを抑える薬、胃腸薬など、薬を飲んだら症状が改善したと感じたことはほとんど無い。
そのために『薬なんか効かない』というイメージが染みついていて、よほどのことが無ければ医者や病院には行かない。どうせ行っても楽にならないし、それならわざわざ病人ばかりの場所に行くことは無いと思っている。
ただしすべてが効かないという訳ではなくて、花粉症の時にもらった抗アレルギー剤などはてきめんに効いたし、風邪で非常に高い熱が出て病院で解熱剤の座薬をもらった時も、良く効いた。ただし切れるとすぐに熱が上がるのだが。
後は扁桃腺が腫れた時に受けた点滴も良く効いた。
そこで今回、序盤は咳と胃腸薬、そして腰痛、のちにヘルニアの薬を処方してもらったが、胃腸の調子は改善されたものの、咳はなかなか治まらなかった。
そして一番問題のヘルニアの薬だが、はっきり言ってまったく効果が感じられない。
何種類かの薬をもらっているが、ヘルニアの症状を緩和させる『リリカ』という薬。かなり量を増やしたが、まったく効果が感じられない。
昨日は病院で腰の近くのトリガーポイントに注射をしてもらったが、これもまったく効果無し。
私は薬がほとんど効かないということを一層強く認識することになってしまった。
でも視点を変えて考えてみると、リリカはあくまでも症状を緩和させる対処療法の薬で、根本的な治癒につながるものではない。言ってみれば風邪で熱が出たときの解熱剤のようなものだ。
私の場合はリリカが効かないのでまだ十分に歩けない状態が続いているが、もし薬が効いて楽になったら、治ったと錯覚して動き回ったりしてしまうかも知れない。
これは本当は危険なことだ。
根本的な治癒ができる前に負荷をかけてしまうと、かえって症状を悪化させてしまいかねない。
もちろん骨折の時のように、骨がある程度つながったら完全に安静にしているよりは弱い刺激は与えた方が良いというケースもあるが、おそらくヘルニアはそうではないだろうと思う。
そう考えると、リリカが効かないというのもあながち悪いことばかりではないと思える。
せっかくたくさんもらったので(もちろんウン千円を払っているのだが)しばらくは飲み続けるつもりだが、効果が感じられなかったら徐々に減らして止めてしまおうかと思っている(リリカは突然止めるのは良くないらしい)。

プロバイダ乗り換え

インターネット環境は長年にわたって eo を使ってきたのだが、この6月に NTT のフレッツ環境に乗り換えた。
春頃に NTT の代理店というところから電話がかかってきて、割引などを使うと eo よりもかなり安くなるらしい。最初は適当に相手していたのだが、詳しく聞くと悪い話ではなさそうだ。
ウチでは電話もテレビも eo にしていたので乗り換えるのはかなり面倒と思っていたのだが、乗り換えの際に発生する解約費用や初期費用はすべてキャッシュバックしてくれるとのこと。
eo に関してはずっとさほどの不満も無く使ってきていたのだが、昨年あたりはネット接続が不安定になることがしばしばあった。これは eo の dns サーバーが不正攻撃を受けて反応が遅くなって、その結果、我々のようなエンドユーザーがネットにスムーズにアクセスできなくなってしまうというもの。
根本原因は eo のトラブルではないのだが、2〜3時間にわたってそういう状態が続いたこともあって、乗り換えということは頭の隅には少しはあった。
そんなこともあったので、思い切って乗り換えの話に乗ることにしたのだ。
作業がスムーズに進むのかどうか若干不安だったが、実際には半日程度ですっと切り替えることができた。
不安だったのはプロバイダの回線品質。実質的にこれまでは eo しか使ったことが無かったので、他がどういう状況なのかはよくわからない。
切り替えてから、普段よく見るホームページや ftp でのアクセスなどを試してみたが、さほど違いはなさそうだ。ブロードバンドスピードテストの結果もほとんど同じようなもの。
これなら大丈夫と思って、速攻で eo を解約した。
その後、キャッシュバックも話どおりに受け取って、やれやれとは思ったのだが、実は困った現象が出てきていた。
私は仕事の関係で、リモートのファイルサーバーをマウントして大容量のファイルのやりとりをするようなことがしばしばあるのだが、こういう作業でのスピードが以前に比べると極端に遅いのだ。
幸い、フレッツに替えたおかげてプロバイダは同時に2つと接続することができるので、別のプロバイダを試してみることにした。
ただ、長期のしばりのあるものや初期費用がかかるようなところは試せない。まずはお試しができるということで interlink というところを申し込んでみた。
申し込んだらすぐにメールで完了の連絡が来て、簡単に接続することができた。
さっそく試してみたが、やはりここも同じような品質だった。普通にホームページを見たりメールをやったりする範囲では問題無いのだが、ファイルサーバーでの操作はダメだった。
ネットで様々な評判を眺めてみたが、やはり月額 1,000 円未満のような格安プロバイダはどこも同じような品質のようだ。ファイルサーバー云々というようなコメントは見あたらないが、夜の混む時間帯になるとスピードが落ちるというようなことをしばしば見かける。それにこういうプロバイダはだいたいが最低2年くらいのしばりがある。
サポートの善し悪しが評価にかなり影響しているようだが、正直言って私はサポートなどは不要だ。もちろんトラブル対応などはしっかりしてもらわないと困るのだが。
もう少しランクが上と思われる ocn や so-net などを試してみたかったのだが、1ヶ月程度でも適価で試せるようなところが見あたらなかった。
そこで見つけたのが老舗の IIJ。
ここはインターネットが一般に普及するきっかけになったような会社で、太いバックボーンを持っている。
月額 2,000 円(税抜き)とやや高めだが、初期費用は不要で、最低1ヶ月から利用できる。
ということで、今度はここを試してみることにした。
ホームページの閲覧やメール程度であれば他と大差は感じないが、ファイルサーバーの操作では格段の差が出た。eo を使っていた頃と同じくらいの品質だった。
さすがに IIJ だと思った。値段だけのことはある。
こうなったらもう IIJ を使い続けるしかないのだが、結果的には乗り換えて安くなった分が IIJ への支払いで吹っ飛ぶことになってしまった。
現在契約している drive というプロバイダ(月額 700 円)は2年のしばりがあるので、トータルでは eo の時よりも高くなってしまった。ここは IIJ がトラブった時の保険と考えるしかない。
これなら乗り換える必要は無かったんじゃないかということになってしまうのだが、フレッツに乗り換えたおかげで同時に2セションが使えるようになったし、実はもう一つ大きなメリットがある。
私は基本的には原発再稼働反対派である。ただし地元の人たちの生活という側面はあるので、デモに参加してまで再稼働反対を訴えようとは思わない。地元が再稼働に賛成するのであれば致し方ないのではないかという考えだ。
そういう意味で、原発再稼働に熱心な関西電力の系列会社に金を払うということに対して大きな抵抗感があったのだが、これを解消できたというのは精神的なメリットは大きい。
実は eo 乗り換えということを考えたのはこういう側面も少なからずあった。
そんなわけで、IIJ に出会ったおかげで以前と同じくらいの快適さは取り戻すことができたので、費用の面で想定外のことがあったにしても、まぁ結果オーライではないかと思っている。

病院デイ

昨日は病院デイだった。
本当は登山教室の仕事が入っていたのだが、とても山を歩ける状態ではなく、致し方なく休ませていただくことにした。昨日の講座は私はオマケの立場だったので、抜けても何とかなるとのことで助かった。
まずは整形外科で予約しておいた MRI 検査。
検査結果の脊柱の像を見ると、医師に言われるまでもなく椎間板ヘルニアが認められた。おそらく L3 と L4 の間。
ただし手術が必要なほどのレベルではないとのことで、当面は薬で症状を抑えて様子を見るということになった。
腰痛の原因がはっきりとわかって、そういう意味では安心した。
身近でも、ヘルニアの腰痛で苦しんだけれど症状が治まった後はそれまでとまったく同じように活動されている人が何人かおられるので、それほど心配する必要は無いと思っている。
それにしてもこの状態で月曜日の登山教室をよく最後まで歩けたことだと我ながら感心した。この講座は随行が私しかいないので、もし随行者が途中で歩けなくなるなんてことになったら大変な迷惑をかけるところだった。
それと、腰痛が出たタイミングから考えると、もし風邪がなくて UTMF に出場していたら、トレイルの途中で腰痛が発生したかも知れないと思って、ちょっとぞっとした。
山の中であんな状態になったら、ヘリで救出してもらうくらいしか手が無い。
トレイルランの事故でも支払われる山岳保険に入っているので、費用の面ではおそらく問題無いと思うが、大会の関係者に多大な迷惑をかけることになってしまう。そう考えると風邪で棄権したのはラッキーだったのかも知れない。
整形の診察が終わったら、長引く咳が気になるので、内科の診察を受けた。
レントゲン検査をしてもらったが、軽い気管支炎かなという感じとのことで、肺炎や結核などの兆候はまったく無いということでこちらも一安心となった。
それにしてもこれだけ続けて病院へ行くというのは前代未聞の出来事だった。できることならこれでお終いとなってほしいと願っている。

救急車デビュー

先週の金曜日、河口湖から帰ってきて病院へ行って点滴を受けて、週末をおとなしく過ごしたせいで、日曜日には体調もかなり回復していた。これなら月曜日からはほとんど通常の生活に戻れるだろうと感じていた。
なぜか夕方あたりから腰痛が出てきたのだが、こういうことはまれにあって、数日で自然と治まるので、それほど深くは考えなかった。
ところがその腰痛が、時間と共に次第に強くなってきた。夕食後に風呂に入る時は湯船に入るのに手すりにつかまらないとうまく動けないくらいになって、これはちょっとまずいと思って早々にフトンに入った。
しかし横になっても痛みは強くなる一方。
原因らしきものは思い当たらないのだが、強いて言えば木曜日と金曜日に新幹線とバスに長時間乗ったことくらい。
ひょっとしたら大腰筋の拘縮による腰痛かもと思って、大腰筋のストレッチをやってみたら、多少は効果があったように感じた。しかしこの時にはすでにそういう動きをするのもかなりの苦痛だった。
月曜日の朝はさらに悪化していて、フトンから起き上がるのも何かにつかまらないとダメで、階段の手すりにつかまって何とか下に下りた。
家人が心配して病院へ行こうと言ったが、病院はつい先日に行ったばかりというような訳のわからない理由で行く気にならず、様子を見ることにした。
低周波治療器を当てて改善を祈ったが、症状はさらにひどくなる一方。ほんのわずかな動きでも腰に強い痛みが走って、上体を起こすことすらままならない。
もうダメと諦めて、少し離れた場所にあった携帯を死にものぐるいで取って、家人に帰ってきてくれるように連絡した。
さて問題は、どうやって病院へ行くかだ。
タクシーを呼んでも部屋からタクシーまでの移動は自分では到底不可能で、誰かの肩を借りて動けるというような生やさしい状況ではない。
病院に問い合わせてみたが、救急車しかないだろうとのこと。
たかが腰痛ごときで救急車なんて!!、と思ったが、もはやそれしか選択肢が無い。
119 番してみたら来てくれるとのことなので、おとなしく救急車のお世話になることにした。
電話したらほんの数分でサイレンを鳴らして来てくれた。
その時は二階の部屋にいたので、どうやって下ろすのだろうと少し不安だった。持ち上げられるとかなりの激痛が走りそうだ。
救急隊員は3人だった。
まず一人の人が症状を簡単にチェックして、腰が動かせないということを確認した模様。
そこで運搬する前に腰を固定するために、空気圧で固めるようなものを巻いてくれた。
当然、それを巻くためには一旦腰を上げなければならないので、この時は痛いだろうと覚悟していたが、ほとんど痛みもなくすっと持ち上げてくれた。さすがと感心した。
腰を固めたら身体をやわらかいシートのようなものに乗せて、狭い急な階段を3人でスムーズに運んでくれた。
救急車は、付き添いで乗ったことはあるが、自分が客(?)になるのは初めてだ。
つい先日来たばかりの病院に、今度は救急車で搬入されることになってしまった。
病院に着いたら病院のベッドに乗せ換えてもらうのだが、救急隊員の作業のスムーズさには本当に感心した。
こんなサービスをタダで受けて申し訳ないという気持ちだった。
診断結果は今回も特に骨などに問題は無いということで、よくある原因不明の腰痛でしょうとのこと。
痛みのひどい周辺に痛み止めの注射をうってもらって、さらに座薬の鎮痛剤を入れてもらい、帰りは何とかタクシーで自力で帰ってくることができた。
痛み止めを打って朝よりはマシになっているとは言え、まだまだ十分に痛い。
一番困ったのは、風邪の症状がまだ残っていて、セキが出ること。これが激痛なのだ。
ノドの奥に痰がからんでいるので、できることなら深いセキをして痰を切りたいのだが、そんなことできるはずもなく、いつまでもノドの奥がゴロゴロしたままセキを繰り返すことになる。
そんな苦痛が2日ほど続いたが、水曜日にはかなり改善してきた。
まだ姿勢によっては腰の痛みは出るけれど、自転車でちょっと外出して買い物をするくらいはできるようになった。
何よりも心配だったのは、来週の月曜日に登山教室の随行があること。
この講座は今月から新たに担当することになったものなので、いくら何でも初回にピンチヒッターを頼むということだけは避けたかった。
幸い、超初心者向け講座なので、ほとんどハイキングのようなものだ。
それにしても先月末からの一連の出来事は一体何だったんだろうという感じ。UTMF が終わったということも何か夢の中の出来事だったような感覚だ。
ここまで体調の悪いことが続くと、残念とか悔しいとかいう気持ちすら感じなくなってしまう。

UTMF

UTMF は予想だにしない結末となった。
いくつかの結果は想定していた。
・序盤の関門につかまる。
・後半の関門につかまる。
・関門はクリアしているが、疲れて棄権。
・故障などで棄権。
・完走。
しかし実際の結果はこのいずれでもなく、体調不良のためにスタートラインに立つことすらできないというものだった。
10日以上前から体調が悪かった。最初はノドの調子が悪くてセキが出るくらいだったので、数日もすれば治まるだろうと軽く考えていた。時期的に、こういうタイミングで一度体調が落ちるのは悪くないとすら思っていた。
ところがそういう希望的観測が一変したのは前の日曜日。なぜか突然、お腹の具合が悪くなったのだ。しかしこの時も、こういうことはたまにあることなので1日もすれば元に戻るので、大したことはないと思っていた。
ところがその症状はまったく治まる気配が無く、おまけに食欲がまったく無くなってしまった。
レース直前でしっかりと食べておかなければならない時期に、逆にほとんど食べられずに体重がどんどん下がるという事態に陥ってしまったのだ。
さすがにここまでくると不安になったが、それでも棄権することは考えなかった。
連休だったので十分に休養を取ることはできたが、病院へ行くことはできなかった。たっぷり寝ても回復の兆しは無かった。
出かける前日の夜は体重が 48.5kg まで落ちていた。
しかし何とかギリギリで復調してくれることを信じて、木曜日には河口湖に向かった。
昼過ぎの新幹線で新富士駅まで行く。
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ここからバスで河口湖へ行くのだが、バスの乗客は私を含めて二人だけ。途中で乗り降りした人もほんの数人程度で、おそらく休日しか採算の取れない路線なのだろうと思った。
天気は小雨で、富士山は山麓の一部しか見えない。
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天気が悪くなるのは予想通りだった。
UTMF はこれまでの3回はいずれも好天に恵まれてきたので、そろそろ悪天になるだろうと思っていたのと、私がこういうビッグ大会に参加すると、たいてい雨になるというジンクスがあるので、最初から好天は期待していなかった。
2時間ほどバスに揺られて午後7時前に河口湖駅に到着した。
今日の宿は駅前のビジネスホテルだが、部屋はベッド7つのドミトリー。ホテルを探した時に、ここしか空いていなかった。
どうも外国人バックパッカー御用達という感じのホテルのようで、聞こえてくるのは中国語ばかりだ。ただし中国人なのか、香港やシンガポールから来ているのかはわからない。いずれにしてもみんな UTMF の参加者だ。
相変わらず食欲は無いが、近くのコンビニで肉まんを買ってきて部屋で食べた。1個で十分という感じだったが、無理矢理3個詰め込んだ。しかしこれが良くなかった。
体調も悪いので早々にベッドで横になったが、腹がもたれて不快なことこの上ない。
いつまでたっても胃のものが消化されずに溜まっているという感じで、次第に何度もトイレへ行くはめに陥ってしまった。
多少の体調不良なら、トレイルのような強度の低い運動であれば動いているうちに体調が回復してくるということはままあるので、とにかくスタートだけはと思っていたが、いよいよそれも危ういと考えざるを得なくなってきた。
この状態でスタートしたら山道でぶったおれかねないと思った。
ロードレースではないので、参加者の責任としてそれだけは避けなければならない。
何度かトイレへ行くうちに、今回は棄権しか無いと判断した。
翌日は朝食は食べずに会場に向かった。雨は本降り状態だった。
駅から会場まで無料のシャトルバスが運行されているので、それを利用して会場に行った。
まだまだ早い時間帯だったので、人は少なかった。
ビデオ映像で何度も見たゲートやステージが準備されていたが、実物は思ったよりも随分小さかった。
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帰りのバスの時間のことを考えて、参加賞をもらったら早々に会場を後にした。
天気も天気なので、後ろ髪を引かれるような気持ちはほとんど無かった。
一日に数本しかないバスにちょうど合う時間だったので、行きと同じルートで午後3時頃には家に帰り着いた。
帰ってからさっそく病院へ行った。こういう内科的な要因で病院へ行くのは本当に久しぶりで、10 年に一度あるかどうかというくらいのことだ。
ノロウィルスの検査や血液検査など、いろいろと調べてもらったが、特に治療が必要なようなものは無く、おそらく単なる風邪だろうとのこと。安心したやらがっかりしたやら、複雑な心境だった。
まだ最初の関門時刻にも至らない時間帯に、まさか病院で点滴を受けているなんて夢にも思わなかった。
携帯には関門時刻延長の知らせが何度か入った。スタート時には小雨程度になっていたようだが、やはり全般的に雨模様で、直前で2カ所のコース変更があったとか。
山のパートを避けて麓の道を迂回するような変更がなされたらしい。
アップダウンが減って全体の難易度は下がることになるが、悪コンディションを考えると今回はこれまでになく厳しい大会になったようだ(実は現時点ではまだ行われているのだが)。
正直、この結果をどう受け止めていいのかまだ自分でも気持ちが定まっていない。
どんな結果になっても大きな大会参加はこれで一区切りにして、トレイルは自分でコース設定をして楽しむ方向にしようと思っていた。
トレイルをそういう方向で行くということは変わることはないのだが、UTMF に関してはあまりにも消化不良だ。
来年からエントリーのポイントが上がるのだが、私はここ2年続けておんたけウルトラトレイルを走っているので、これですでにポイントはクリアしている。つまりこの先大会に参加しなくても来年もエントリーの資格はあるのだ。
UTMF の借りは UTMF でしか返せない。
おそらく他の大会に参加することは当面無いと思うが、来年の UTMF にはエントリーすることになるだろう。
残された道はそれしかないと思っている。