玉置神社から熊野本宮大社

9/28(木)はまだ暗い中、朝5時過ぎに玉置神社を出発した。


それにしても蒸し暑い。9月末の標高 1000m とはとても思えない。普段なら8月末でももう少し爽やかなはずなのだが。

20分少々で一旦車道に出た。すでに薄明るくなっていた。

木々の隙間からご来光。

朽ちた林道で、道標が目に入っていたにもかかわらず変な方向に入って少しロストしてしまった。

大森山に向かってひたすら登る。幻想的な眺め。

出発して2時間ほどで大森山(1078m)に到着した。今回のコースの最高地点。

ここで腰を下ろしてソイジョイを補給した。

少し進んだら大きなヒキガエル(?)が。どうしてこんなところ(標高1000m)まで上がってきたのだろう。水場も見当たらないのに。

もう少し進むと大森山の三角点(1045.2m)。

大森山から1時間20分ほどかかって第七靡の五大尊岳(825m)に到着した。

ここからの下りはロープの張られているような斜面の連続で、危険というほどではないけれどペースが上がらない。

第六靡の金剛多和。

次に第五靡の大黒天神岳(573.9m)。

熊野川の大きな流れが見えてきた。

しばらく歩いて宝経塔。

このすぐ下の山在峠で車道を渡る。

第四靡の吹越山。

また車道を渡って、しばらく行って吹越峠。

思いのほか時間がかかっている。午後1時くらいには熊野本宮大社にゴールできるのではないかと思っていたが、どうもそれはムリそうだ。

足元に大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が見えた。できれば熊野川を渡ってあそこに行きたいのだが。

七越峰(262m)に着いた時はすでに1時前だった。

階段を戻らずにこのまま下の道に合流できる道があるのではないかと探してみたが見つからず、結局階段を戻ることになってしまった。

もう熊野川はすぐそこのはずなのだが予想外の山道で、アップダウンもある。

本宮大社まであと2.2kmという標識があって、2時過ぎのバスが危ないと感じてきた。

七越峰から40分ほどかかってようやく熊野川の河原に出た。

すでに1時半を過ぎていて、2時過ぎのバスまであと30分くらいしかない。

もはや川を歩いて渡るというような余裕はまったくなく、途中のバス停から乗るしかないかと思ったのだが、いざ橋を渡って車道に出たらバス停はなく、もう本宮大社前のバスターミナルまで行くしかないという状況になった。

酷暑のもと、ひたすら歩く。しばらく歩くと大斎原のバス停があったが、ここまで来たらもうターミナルまで行ってしまおう。

ターミナルにはちょうど午後2時に着いた。時刻表を見たら出発は2時23分で、実はこれ以外にも別のバス会社の便がいくつかあった。もうちょっとしっかり調べていたらもう少しゆっくりできたのだが、もはや本宮大社の石段を上まで上がる気力はなく、店で缶ビールを買ってベンチで一人乾杯した。

もう少し後の他社の便で、一部違う経路を走って予定の便よりも少し早く新宮に到着するというのがあったのだが、もう予定通りの便に乗ることにした。

熊野川沿いに本宮大社より下流を走るのは初めてで、雄大な眺めにずっと見惚れていた。

新宮駅には4時頃に到着した。駅で翌日の帰りの切符を買ってからホテルにチェックインして、まずはシャワー。自分でも自分の汗臭さにうんざりしていた。

きれいなTシャツに着替えて、ホテルのそばの小さな居酒屋に入った。

さすがにマグロの刺身はボリュームもあっておいしかった。

ビールと冷酒ですっかり満足して、ホテルに戻ったらいつの間にかベッドに横たわっていた。

玉置山

大峯奥駈道はわりと多くの部分を歩いているが、最南端の玉置山から熊野本宮大社まではまだ一度も歩いたことがない。アプローチが不便で、車を使っての周回ルートも考えにくいので、なかなか実行することができなかったのだが、久しぶりのテント泊で十津川村から入山して玉置山に登って、翌日に本宮大社まで行こうと思った。

そして下山後は新宮までバスで行って、まだ行ったことのない熊野速玉大社、そしてここはぜひ一度訪れたいと思っていた神倉神社のゴトビキ岩に行ってみようと思った。

登山口は十津川村の折立(おりたち)のバス停。日本で一番長い距離を走る路線バスと言われている大和八木から新宮へのバスで大和八木から約4時間。このバスも一度乗ってみたいと思っていた。

9/27(水)の朝、大和八木に電車で向かう途中、ふとザックの底に触れたら何と濡れている。調べてみたらフラスクの一つが漏れていたようだ。蓋はきっちりと閉めているので、どこかに穴があいていたのだろう。幸い、序盤で気づいたので大和八木のコンビニでスポーツドリンクを買うことができた。

このバス便は毎日3便が運行されているので、それなりの乗客がいるのだろう。JRの五条駅からも乗ることができるが、安全のために始発の大和八木から乗ることにした。

停留所には10人くらいの列ができていた。

五條バスターミナルまで1時間ほど走って、ここで10分ほどのトイレ休憩。その後、また1時間少々走って、谷瀬の吊り橋で20分ほどの休憩をとった。

9時15分に大和八木を出発して、ほぼ4時間で折立に到着した。バス停から少し行くと玉置山への車道の案内板が目に入った。

建物の陰で準備して、午後1時半過ぎに出発した。それにしても暑い。30度は優に超えていて、35度くらいあるのではないだろうか。

上で水が得られるかどうかわからないので2Lの水を余分に持っており、荷物が重いので最初からポールを出して歩いた。

30分ほど車道を進んで、登山道に入る。すでに汗びっしょり。

近畿自然歩道になっているがあまり歩かれていない感じ。道標は随所にあるので迷う心配は無い。

結構な登りがずっと続くので、適度に休憩をとって肩を休める。暑くてたまらない。

上の方で車道を横切る。

しばらく行ったらまた車道に出て、大きな駐車場があった。平日だが店が開いている。

この先に登山道の案内板があった。

午後4時20分、奥駈道に合流した。

しかし玉置山がどこなのかよくわからない。

どうも山頂の北側に出たようなので、南に向かう。

午後4時28分、玉置山の山頂(1076.8m)に到着した。

唯一、東方向の眺望。

写真を撮ったら早々に玉置神社に向かう。なかなかの急な下りが続く。

途中にある玉石社。役行者が財宝を埋めたとか。

本殿に到着。

この下に手水舎があった。できればこの近くにテント(シェルター )を張りたいが、まだ少し参拝客がおられるので時間潰しをする。スマホはつながったり切れたりと不安定。

薄暗くなって参拝客の気配がなくなってから石段の陰にシェルターを張った。

さすがに標高1000mであればそれなりに冷えるのではないかと思っていたが、そんなことはまったく無かった。

鏡山

9/17(日)は講座で琵琶湖湖東の鏡山へ行ってきた。

JR野洲駅に集合して、バスで三井アウトレットパークへ。

駐車場のそばを歩いてハイキング道に入る。

ハイキング道に入って20分ほどで鴨谷池。

次第に山道らしくなってきて、雲冠(観)寺跡へ。

小さな磨崖仏。

11時半頃に鏡山(竜王山)の山頂に到着した。

そばの展望台へ。

展望台から北東方面の眺め。手前のちょっとした山々は雪野山

三角点(384.5m)まで行って、ここで昼食にした。

三角点から南の方の眺め。阿星山などの稜線。

しばらく下って、星ヶ峰へ。

このあたりは星ヶ崎城の城跡。

石垣が少し残っている。

かがみの里の道の駅に下山して、ここで解散した。

嵐山

9/13(水)は京都一周トレイルの講座で嵐山界隈を歩いてきた。


✳︎GPSの電源入れ忘れのため序盤欠落

JRの保津峡駅に集合して、しばらく車道を歩く。

トロッコ保津峡駅に立ち寄る。昔はここが山陰線の保津峡駅だった。

橋から眺める保津川。

落合で河原に下りて、ここで昼食にした。

芭蕉の句碑。

「清滝や 波に散りこむ 青松葉」

車道を登って六丁峠へ。

今度は下って、鳥居本へ。本来はここが愛宕山の登り口。

嵐山の界隈に入って、二尊院。

ハスの花の咲く小倉池と対岸に御髪神社。

外国人観光客がかなり戻ってきている。

亀山公園の展望台からの桂川。川縁には「星のや京都」。山腹には大悲閣。

平日にもかかわらずボートは繁盛していた。

渡月橋の人波はコロナ前にはまだ及ばないかなという感じ。

嵐山公園からの小倉山。右後ろは愛宕山。

その後、阪急嵐山駅で解散した。

甲山

9/4(月)は久しぶりの講座で西宮の甲(かぶと)山へ行ってきた。

集合は阪急の仁川駅。

強い日差しのもと、しばらく仁川沿いの車道を歩く。正面には甲山。

地すべり資料館は休館日でした。

道のそばには神呪寺(かんのうじ)への丁石。

甲山森林公園に入る。

江戸時代に大坂城を再築した時に石を切り出した跡が随所に残っている。

公園内の軽登山路を行く。正面に甲山。

ほどなく展望台へ。

展望台から大阪市街。後ろは生駒。右にうっすらと葛城山、金剛山。

この少し先の広場で昼食にして、午後は甲山へ向かう。

20分ほどの登りで山頂に到着した。

二等三角点があります(309.2m)。

神呪寺へ向けて下りようとしたところ、ハチの巣があるので行くなという表示。

致し方なく少し戻って山腹をトラバースして神呪寺へ。

本堂。

立派なお寺です。

あとは車道で阪急の甲陽園駅に向かうのだが、ちょっと寄り道して展望場所から甲山と神呪寺を望む。

神戸の山手によくある超高級住宅街を下る。

無事、甲陽園駅に到着して解散した。

武奈ヶ岳

8/29(火)に陸上クラブの仲間と比良の武奈ヶ岳に行ってきた。

西南陵を歩きたいと思ったのだが坊村へのバスは平日は走っていない。イン谷口へのバスも平日は運休なので、比良駅から歩いてワサビ峠経由で西南稜に向かうことにした。

8時20分に比良駅を出発した。

1時間20分ほど歩いて青ガレの取り付きで一服。

10時7分に金糞峠に出た。

沢筋を40分ほどで中峠。

11時13分にワサビ峠に出た。

少し登ったら西南稜が見えた。

昨年、講座で来た時は天気が悪くて展望はほとんど無かった。

琵琶湖が見えてきた。

京都の山も。真ん中奥に愛宕山。

好天の下、稜線万歩。

クリスマスツリーのような木がいっぱい。

山頂が見えた。

11時50分、武奈ヶ岳の山頂(1214.2m)に到着した。

伊吹山と右に霊仙、御池岳。

沖島と近江八幡の山々。

トリカブト。

スキー場跡から八雲ヶ原に下りてきた。

北比良峠からまた沖島と近江八幡の山々。

ダケ道を下りて正面谷に合流した。ここで水浴びをしてしばし休憩。

そして3時前に比良とぴあにゴールした。

最後は京都駅の居酒屋で打ち上げをして、満足の一日でした。

大台ヶ原

6月に大台ヶ原で松浦武四郎の碑にたどり着けなかったことがずっと心にひっかかっていた。

地図で見るとこの碑は車道からほんの200mくらいのところにあって、道はないけれどさほどヤブは濃くなさそうな気がするので、車道からたどり着けるのではないかと考えた。

このところずっと酷暑で日帰りエリアの低山にはとても行く気にならないので、今度は大台ヶ原を少し歩くつもりで行ってみようと思った。

8/21(月)の早朝に家を出た。

いつもの調子で途中で朝食を取って走って行ったのだが、何と大台ヶ原のドライブウエイが土砂崩れで通行止めになっている。おそらく先日通過した台風の影響だろう。

しかし幸いなことに通行止め箇所を迂回できるルートがあるようで、さらにトンネルを二つほど越えたところから狭い林道に入る指示が出ていた。

対向車が来たらとてもすれ違えないような道だったが、まだ早い時間なので下りてくる車はなかった。通行止め箇所を迂回して道が広くなってからも随所に土砂を取り除いたような箇所があった。

そんな条件の平日にもかかわらず、駐車場はそこそこの車が停まっていた。

準備を整えて9時20分に出発した。

しばらく車道を歩く。ウラジロモミ?

20分ほど歩いて、このあたりだろうか。

本当はここに入るためにはレクチャーを受けなければならないのだけれど、わずか200mくらい先の碑を見るだけなのでお許しください。

地図では平坦に行けるはずなのだがどうも入る場所を間違えたようで、少し下っていく。

おまけに水の流れる沢に出た。

どうもこの対岸の上が正しい場所のようで、登れそうな場所を探して這い上がった。そうしたら地図で想定したような地形になった。

松浦武四郎の碑まではほんのわずかだった。

武四郎は遺言で、死んだら骨は大台ヶ原に埋めてほしいと言っていたのだが、お墓は東京に建てられて、分骨がここに埋められた。

これで今日の主目的は完了。5分もかからずに車道に出た。

車道を少し戻って川上辻へ。

ここから以前に日出ヶ岳から下りてきた道で日出ヶ岳に向かう。

帰ってからこの写真を見たら立入禁止の文字の下に、シカのワナが仕掛けられていると書いてあった。この時にしっかり読んでいたらたぶん入らなかっただろうと思うが、前回よりさらにわかりにくくなっていた踏み跡に入って行った。

巴岳。標高不明。

次第に傾斜が急になって、日出ヶ岳が近づいてきた。

突然開けて、山頂の展望台が現れた。

前回はここから入ったのだが、もし本当にシカのワナを仕掛けているのであれば、ここにもそういう表記がないと危ないんじゃないかと思うのだが。

10時45分に日出ヶ岳の山頂(1695.1m)に到着した。

6月に来た時は熊野灘が望めたのだが、今日は遠方は雲に隠れていた。

冷たい飲み物を補給して、大蛇グラの方に向かう。

以前に登山ツアーの補助役で大台ヶ原を歩いたことがあるのだが、この時は脱落者が出て、その方に付き添ってビジターセンターに一度下山してから大蛇グラに向かったので、この先の正木ヶ原のあたりはまだ歩いたことがない。

展望台を過ぎるとしばらく木道が続く。山を歩いている気がしない。

正木嶺はどこかわからないうちに通り過ぎて、日出ヶ岳から30分ほどで正木ヶ原へ。

ほんの数十年前は鬱蒼とした森だったのだが、台風やらシカの食害などで、今はこんな姿になってしまった。

ほどなく尾鷲辻へ。

なぜか神武天皇の像。

このあたりは牛石ヶ原。

ほどなく大蛇グラへの分岐に到着。

大蛇グラでは運良く誰もいなかった。やっぱりビビる。

横の大岩壁。

分岐に戻ったら誰もいなかったのでおにぎり休憩にした。

それからシオカラ谷に向かってどんどん下る。標高差で150mくらい?

一瞬、渡渉? と思ったが、吊り橋がありました。ツアーで来た時に歩いているのだがもうすっかり失念していた。

そのあと100mくらい登り返して、午後1時過ぎに駐車場に戻ってきた。

幸か不幸かずっと曇りだったので強い日差しを浴びることはなかったが、そんなに涼しいというほどではなかった。

心残りだった武四郎の碑を訪れることができたので満足の一日でした。

アポイ岳、様似

7/30(日)はいよいよ今回最後の山で、アポイ岳に向かう。

休日は混雑するとのことで、暑い季節でもあるので早朝に出発することにした。

朝の5時に登山口を出た。登山届けによると数人の先行者がいた。しばらくは林道。

登山道に入ったら一合目の標柱が現れた。これは最後まであった。

1時間ほどで五合目の避難小屋に到着した。

太平洋が見えていたけれど写真ではわからない。

キンロバイ? キジムシロ?

森林限界を越えてきた。いつの間にか今日の先頭になっている模様。

上るにつれてガスってきて、展望はほとんど無くなった。

お花畑への分岐。帰りはお花畑をまわるつもり。

こういう山にはあまり似つかわしくない九合目の表記。

どういうわけかこの先でまた樹林帯になって、7時ちょうどにアポイ岳の山頂(810m)に到着した。

下山はお花畑の方をまわる。イブキジャコウソウ。

幌満お花畑。花はほとんど無し。

シラカンバの林を抜ける。

往路でちょっとした突起があったのをやり過ごしてきたのだが、帰りはそこに立ち寄ってみることにした。

ここが馬の背だった。

9時15分に登山口に下りてきた。

水分以外は無補給で歩いてきたので後片付けをしてから車の中でおにぎりなどを食べて、時間潰しにそばのジオパークビジターセンターへ入った。

ビデオを見たりして時間をつぶしてから、中でもらった様似(さまに)の観光パンフレットにのっていた観光スポットを訪ねてみることにした。

まずは日高耶馬溪へ。

明治、大正、昭和の3つのトンネルが並んでいる。上の写真の真ん中が明治、その右の大正は半分だけ写っている。

それから幌満川のダムに向かう。離合不可能な狭い未舗装路が続く。

途中に神社。上までは上がらず。

近くに「かんらん岩の露頭」。

未舗装路を20分以上走ってようやく幌満川第3発電所ダムに到着した。

こんなところにこんな大きなダム湖があるとは。

さて、来た道を海岸の国道まで戻って、そのそばにある和助地蔵。

開けて中をのぞくと、

このお地蔵さんは斎藤和助さん。昔は日高耶馬溪を越えるためには様似山道という山道を越えなければならなかったのだが、その山道の整備に尽力した人とのこと。

様似山道はハイキング道として残されているようで、一度歩いてみたい。

お次は冬島の穴岩。

「冬島」というのは元はアイヌ語とのこと。

そして昨年訪れたエンルム岬へ。

階段を上る。

アポイ岳は霞んでいて見えない。

最後に観音山へ。

先ほどのエンルム岬。

足元にはソビラ岩。

そして親子岩。

そばにはアイヌのチャシ跡。

様似観光を堪能して今宵の宿の浦河のビジネスホテルに入った。

今回は最後まで車中泊のつもりだったのだがあまりの暑さにうんざりして、このあたりでは標高の高い適当な車中泊場所が見当たらないので、急遽ビジネスホテルを予約した。

こんなところでも(失礼!)つぼ八は繁盛していた。

白雲岳、松田岳

7/28(土)は白雲岳に向かう。

ここ、銀泉台は標高が高い(約 1500m)ので夜はぐっすり眠ることができた。

登山届けに記入して、5時45分に出発した。

しばらく林道を行く。

10分ほどで山道に入る。

ほんの数分で見晴台へ。

ほどなくチングルマの群生。

ウコンウツギ。

雪渓を渡る。

奥の平を行く。

エゾコザクラ。

コマクサ平へ。

咲いています。

群生というにはちょっとさびしい感じだが。

左に見えるのは小泉岳だろうか。

イワブクロ。

(エゾ)マルバシモツケ?

(エゾ)ウサギギク。

イワギキョウ。

チシマノキンバイソウ。

エゾツツジ。

7時40分に赤岳に到着した。2078.5m の三角点は右の岩塔のあたりにあるのだと思う。

赤岳は一応山頂ということになっているのだが、実際の地形はこの先もやや上り勾配になる。

分岐で少し横に入って、小泉岳(2158m)へ。

少し下って白雲岳への分岐に着いた。

ひと登りしたら白雲岳の山頂が見えた。

エゾコザクラ。

山頂直下の岩のゴロゴロした斜面でうっかりルートをはずしてしまって、手を使って岩の上を進むことになってしまった。

8時45分、白雲岳の山頂(2230.1m)に到着した。北海道では3番目の標高の山。

正面には旭岳

山頂からのパノラマ。

山頂で出会ったのは一人だけ。入れ違いで下山されたのでのんびりおにぎり休憩にした。

さて、今日の本当の目標はこの先にある。いつだったかこのあたりの地図を眺めていたら、旭岳の東の方に松田岳という山があることに気がついた。これはやはり一度ご挨拶しておかなければならないだろう。

と言うことで先ほどの分岐に戻って大雪山系の主稜線を辿る。

しばらく緩い下りで、雪渓を二度渡る。こういう場所ではトレランシューズは歩きにくい。チェーンスパイクは持ってきているけれど、そこまでするのは面倒だ。

しかし大雪の稜線歩きは本当に気持ちがいい。

10時10分に北海岳(2149m)に到着。

山頂から御鉢平のパノラマ。

(エゾ)イワツメクサ。

やや下り気味に稜線を辿って、10時20分に松田岳の山頂(2136m)に到着した。

こんな山、ほとんど誰も気にしないのだろう。標柱には山名は無かった。おそらく壊れてなくなったのだろうと思う。

旭岳がさらに近づいた。

御鉢平の眺めがなかなかワイルドだ。

これで目標を達成したので、あとは淡々と下るだけ。

白雲岳への分岐でパンを少し補給して、あとはノンストップで午後1時40分に銀泉台に下りてきた。

温泉は層雲峡の黒岳の湯へ行った。

google map で調べてセブンイレブンへ行ったら何と閉店していた。これは困ったと思ったらさすがは北海道、近くにセイコーマートがあったので助かった。

とにかく夜は涼しいところで過ごしたいと思って、銀泉台へ行く時に通った三国峠の駐車場に向かうことにした。ここなら標高 1000m くらいはあるし、トイレもある。

さらに展望が素晴らしかった。ニペソツがど〜ん。そして足元には樹海が広がっていた。

羅臼岳

7/26(水)は天気も良さそうなので羅臼岳へ向かうことにした。

登山口の岩尾別温泉に7時頃に到着した。すでに駐車場は満車状態だったが、運良く旅館の前に1台分だけ空きがあった。

準備を整えて7時18分に出発した。

旅館の横を行くとほどなく木下小屋。

ここの横にある登山届けに記入して山道に入る。すでにかなりの人数が入山しているもよう。

30分ほど急なジグザグを上るとおだやかで歩きやすい道になった。

さらに上ると背後にオホーツク海が開けてきた。

登山道のそばにある弥三吉(やさきち)水。

さらに上がって銀冷水。

googleレンズによると「タカネトウウチソウ」。

道が沢筋になった。上の方に見える峠は稜線だろうか。

背後はオホーツク海。

エゾツツジ。

イワギキョウ。

かわいい小鳥が道のそばにとまっていた。近づいても逃げない。googleレンズによると「ギンザンマシコ」とのこと。

色違いの仲間?

10時過ぎに稜線の羅臼平に到着した。

3時間足らずで標高差 1200m ほど登ってきた。

実は当初はテント泊で羅臼岳から硫黄岳へ縦走しようと思っていたのだが、ニペソツの疲れが予想以上に大きかったので羅臼岳だけの日帰りにした。

羅臼岳まではまだひと頑張りいりそうだ。

岩清水の水場はわからず。

最後の岩場はなかなか厳しかった。

10時50分、羅臼岳の山頂(1660m)に到着した。

山頂から羅臼湖が見えた。

ここでおにぎり休憩にした。

山頂からのパノラマ。

羅臼平でようかんを補給してからあとは淡々と下って、午後2時前に登山口に下りてきた。

車の中は大変な蒸し風呂状態で、ガスボンベやバッテリーがあったので危なかった。

一旦、エアコンをかけて車を冷やして、着替えてから前の温泉に行った。ここは「地の涯(ちのはて)」という名称。

おそらく高いだろうとは予想していたが、やはり 1000 円だった。これまでの温泉はほとんど 500 円から 600 円。上士幌の道の駅では 65 歳以上は 350 円だったので、ここはずば抜けて高かった。

いいお湯だったが露天はちょっと熱くてあまり長くはつかっていられなかった。

結構疲れたので明日も休養日にする。一度、根室半島の納沙布岬に行ってみたいと思っていたので、そちらに向かうことにする。

まずは知床峠を越えて羅臼に向かう。知床峠では初めて羅臼岳を望むことができた。

昨年も食事をした羅臼の道の駅でサーモン丼を食べた。脂がのっていておいしかった。

国後島を眺めながらデザートのソフトクリームを楽しんだ。

根室までは遠いので標津町の先の「道の駅おだいとう」を今宵の宿にすることにした。

北海道へ来てからこちらも酷暑なのだが、これまではおおむね山間部で過ごしてきたのでひどい暑さに苦しめられることは無かったのだが、この日の夜は完全に熱帯夜だった。

ここは海のすぐそばなので海抜ゼロメートル。網戸をして窓を開けても入ってくる空気は温風で、充電式の小型ファンを入れっぱなしにして横になったが、ほとんどまともに寝られなかった。さすがにエンジンをかけてエアコンをつけっぱなしというのは憚られた。