3/2(木)の昼のフェリーで仙台から名古屋に向かう。
ホテルでは朝風呂を楽しんでから朝食バイキングを食べて、9時頃に出発した。
時間があるので下道で仙台港まで2時間ほど。

翌朝(3/3)の朝10時半頃に予定通り名古屋港に着いて、高速に乗って昼過ぎに帰宅した。
「私は思い出よりもあこがれが好きだ」ガストン・レビュファ
3/1(水)は実質的に今回の遠征の最終日。昨日の刈田岳が予想以上に疲れたので昨日からあまり気力が無かった。
幸か不幸か予報通り山の方は雲が垂れ込めていたので栗駒山はやめて、中尊寺へ向かうことにした。
8時半の開門に合わせて参道そばの有料駐車場に入って、正面から入る。
塔頭がたくさんあって、まずは弁慶堂。
月見坂をさらに上がって、本坊表門。
門をくぐると正面に本堂。
金色堂は有料(800円)。中は撮影不可。
奥の建物は1965年に建てられた覆堂。金閣寺もびっくりの金ピカ!!。60年くらい前に解体修理されていて、国宝第一号。藤原清衡、基衡、秀衡の御神体化した遺体と泰衡の首級が納められている。
松尾芭蕉の碑。
松尾芭蕉が歌に読んだ束稲(たばしね)山。
山門に戻って、さらに少し下に弁慶の墓碑。
義経自害の地と言われている高館義経堂(たかだちぎけいどう)が近くにあるのだが、冬期拝観休止ということで入れなかった。
さて、今日は鳴子温泉のホテルに泊まる。昨年4月に仙台市内のホテルに泊まって歓楽街の居酒屋へ行ったのだが、仙台市内はもう行きたくないという気分なので、少し離れた場所の温泉に泊まって、翌日の昼のフェリーに直接向かうことにした。
ここから鳴子温泉までは2時間くらいかかるが、それでもまだまだ時間がある。鳴子温泉の近くにオニコウベスキー場というのがあるのでそこへ行ってみることにした。
もう午後2時なのでさすがにこれから滑る気にはならないので、山用に用意しておいた行動食を食べて時間をつぶして、それから鳴子温泉へ行って温泉街を散策することにした。
湯めぐり用の無料駐車場に車を停める。そばには源泉から煙が上がっている。
街中に硫黄の匂いが漂っていて、道端の溝からも湯気が出ている。温泉らしいいい雰囲気だと思うが、街は閑散としている。
奥州三名湯のひとつで古い歴史のある温泉地なのだが最近はさほど人気がないのだろうか。
JRの駅も温泉街のそばにあるので便は良さそう。ただし本数は少ない。
今宵の宿は「ますや」。
大江戸温泉物語のチェーンでアルコール飲み放題付きで1泊1万円少々。食事はバイキングで、まぁ値段相応のレベルでした。風呂は良かったと思います。
それにしてもこういうホテルで部屋で WiFi が使えないというのは初めてだった。
蔵王の樹氷の中をスキーで滑るのは長年の夢だった。
そんなわけで今年の初遠征は蔵王に向かうことにした。聞くところによると樹氷は2月が一番発達するらしい。
ということで昨年4月に東北遠征した時の帰路に乗った太平洋フェリーで今度は名古屋から仙台に向かうことにした。
名古屋港を2/20(月)の夜7時出港で、仙台着は翌日の午後4時半くらいの予定。舞鶴や敦賀から北海道へ行くのと同じくらいの時間がかかる。
このフェリーのレストランは内容のわりに高いということがわかっていたので、食事はすべて持ち込んだ。電子レンジがあるので温めることができる。
翌日は穏やかな好天だったので甲板に上がってみた。茨城沖くらい。
仙台到着後はまずガソリンスタンドで軽油を満タンにして、コンビニで食糧を調達してから仙台の南の方の村田町にある「道の駅 村田」を今宵の宿にした。
10/27(木)はいよいよ最終日。当初は半日程度の山にでもと考えていたが、昨日の羊蹄山でもう満足して、おまけに疲れも残っていたので、のんびりと過ごすことにした。
とは言ってもいざどうやって一日を過ごすかとなるとなかなか名案が浮かばない。
天気もいいのでまた支笏湖へ寄ってのんびり山を眺めたり湖畔を散歩したりしようかと思ったが、これではせいぜい半日しか過ごせないだろう。苫小牧はあまり惹かれる場所がなくて、またウトナイ湖の道の駅へ行っても時間を持て余しそう。
そこでふと思いついたのが白老(しらおい)の「ウポポイ」。今年の1月に一度訪れたが、この時は北海道に緊急事態宣言が発出されていて、おまけに厳冬期ということもあって、完全な状態ではなかった。入場には前日までの予約が必要で、博物館の見学も時間が指定されていたし、ホールは何もやっていなかった。
ここなら午後までゆっくり時間をつぶせるのではないかと思って、開館直後の9時過ぎに入場した。
早くもそこそこの入場者があった。まずホールでの催しものの入場整理券をもらってから博物館へ。1月に来た時は別料金で、おまけに入場時間も指定されていたが、今回は追加料金は不要で、すぐに入れた。
ショートムービーの映像などがたくさんあって、前回ゆっくりできなかった分をじっくりと見ながら歩き回った。
知里幸恵の自筆ノートも展示されていた。
ホールでの上演時間が近づいてきたので一旦出て、ホールでアイヌの踊りなどを見学した。
終わったら次の催しの整理券をもらって、再度博物館へ。
そしてまたまたホールでアニメを見てからレストランで昼食にした。阿寒湖や屈斜路湖のコタンで食べたような行者ニンニクがたっぷり入ったような雰囲気のメニューはなく、ジンギスカンなどの普通の北海道の料理ばかりだった。
目の前にはポロト湖。
このそばの広場でアイヌの踊りをやるということなので見学した。
以前から興味があったムックリの演奏もあった。★これはその時の映像ではありません。
その後、チセの一つに入ったらムックリを教えてくれるというところがあった。
ムックリを買ってしまいました。1100円なり。阿寒湖のコタンでは500円くらいで売っていたような記憶があるのだが、まぁケチるほどの金額でもない。
売店でコーヒーを買ってのんびりしたりして、朝の9時過ぎから夕方5時まで飽きることなく楽しんだ。
薄暗くなってきてからウポポイを発って、苫小牧での定番になった「なごみの湯」へ。
ここは入浴料はやや高め(870円)だが露天をはじめ浴槽がたくさんあって、もちろん水風呂もある。
コストパフォーマンスの良い食堂があって、いちばんのお気に入りは2階の休憩室にゆったりできるソファがたくさん並べられていること。テレビがあって無料 Wi-Fi も快適。夜11時まで営業しているので夜の10時半チェックインのフェリーの時間までゆっくり過ごせる。今年の1月にたまたま利用したのだが、この時が快適だったので7月にも立ち寄った。
フェリーは定刻の夜11時半に出航して、おだやかな海を進んで翌日の午後8時半に敦賀に到着した。
今回はあまり山をガツガツと登るつもりはなくて、半分観光で山は軽めにという予定だったのだが、最後に雪の羊蹄山に登れて満足感十分の旅となった。
10/23(日)のニセコは予報通り朝から本降りの雨だった。さすがにこの中を羊蹄山に向かう気にはなれない。明日も雨の予報で、どうやって二日間も過ごせばいいのだろうか。
しかし天気予報では東の太平洋に近い地域ではそれほどの雨ではないようなので、せっかくニセコまで来たけれど最後に行く予定だった登別の「知里幸恵銀のしずく記念館」へ先に行くのがいいのではないかと考えた。
ニセコからは 100km ほどあって昨日の遠距離移動がほぼ無駄になってしまうが、雨やどりの無駄な時間をここで過ごすよりはいいだろう。
登別に向かうにはこの1月に泊まった洞爺湖を通る。いつの間にか雨は止んでいた。ニセコでは降っているだろうけれど。
オロフレ峠を越えて、1月に滑ったサンライバスキー場の横を通って登別温泉に出るのだが、1月は冬期道路閉鎖で行けなかった倶多楽(くったら)湖に立ち寄ることにした。
途中の日和山展望台から大湯沼を見下ろす。
沼の側壁は上の方で噴煙が上がっている。
その後、道幅が狭くて離合できないような道になって、倶多楽湖に到着した。
ここは穏やかな湖だった。
そして開館時間ちょうどの9時半に「知里幸恵 銀のしずく記念館」に到着した。
実はこの1月もすぐ近くを通っていたのだが、その頃は知里幸恵のことは知らなかった。
入館料を支払っていったん入ったのだが、係の方がこの建物の横にある「知里森舎の森」を解説しながら案内して下さるとのことだったので、まずはそこを散策した。
本来の植生を何とか維持しようとされているのだが、温暖化の影響で樹木が異常に成長したりして、近年は維持に苦労されているとのことだった。
記念館そのものは小さな建物だが、知里幸恵の自筆の手紙や日記などがたくさん展示されてあって、内容は充実していた。
知里幸恵は生まれつき心臓が弱くて、19歳で死んだのもその要因は僧帽弁狭窄症で、親からの遺伝性とのこと。「結婚できないと言われた」と書かれているのが何とも切なかった。
記念館のすぐそばには登別川が流れている。
アイヌ名では「ヌプル・ペッ」と呼ばれていた。これは「(水色の)濃い川」という意味で、上流に温泉があるためにそこから濁った水が流れ込んでいた。今は上流に温泉施設がたくさんできているために濁ってはいない。「のぼりべつ」という地名はこの名前から来ている。
記念館で1時間ほど過ごしてから近くの「知里真志保の碑」へ。知里幸恵の弟で、アイヌ出身で東京大学に入って博士号まで取ったという秀才。知里幸恵と同じく金田一京助に招かれた。
それから少し離れた富浦墓地にある「金成マツの碑、知里幸恵の墓」へ。
知里幸恵は最初は金田一京助によって東京に埋葬されていたが、1975年にこちらに改葬された。
金成マツは知里幸恵の叔母にあたる人で(母親の姉)、知里幸恵が金田一京助に招かれて東京へ出る前までは旭川で一緒に暮らしていた。金成マツの碑が十字架になっているのは彼女がクリスチャンだったからだろう。宣教師のジョン・バチェラーの元で布教活動をしていた。ちなみに知里幸恵もクリスチャンだった。
まだ昼頃。とりあえずアヨロ海岸に行って時間潰しをする。
車の中で北海道の山のガイドブックを眺めていたら、室蘭岳というのが目に入った。半日あれば登って下りられるくらいの山で、登山口までここからなら1時間もかからない。これは行くしかないだろう。
山麓公園の駐車場を出発したのは午後1時半過ぎだった。地図は用意してきていないのでガイドブックをザックに入れておいた。
だんパラスキー場の横を行く。
10分少々で白鳥ヒュッテ。
なかなかのガッツリした登りが続く。
室蘭の街が見下ろせるようになってきた。
ダケカンバの美しい森。しかしこのあたりからあられのような小雨がパラパラ降り出してきた。
次第にあられが強くなってきて、致し方なく雨具の上下を羽織った。しかし案の定、少ししたら止んで虹が見えた。
山頂のほんの少し手前に三角点(911.1m)。
午後2時42分、山頂に到着した。登山口から1時間と数分だった。
誰もいなかったのでのんびり自撮りしてから下った。
室蘭の湾のあたりがすっきり見える。1月に行った測量山や地球岬などのあたりも見えているのだが、どれがどこだかはよくわからない。
午後3時40分、登山口に戻ってきた。
温泉は登別駅を越えてしばらく行ったところの「虎杖浜(こじょうはま)温泉ホテル」へ。
ホテルの温泉で、露天や水風呂、もちろんせっけんシャンプーもあって600円という良心的な価格だった。
明日は樽前山へ向かおうと思う。このあたりは道の駅が無いのでどこか大きな駐車スペースでもないかと注意しながら走ったが見当たらず、結局ガタガタ未舗装路をしばらく走って七合目登山口まで来てしまった。この駐車場は非常に混雑すると書かれていたが、さすがに日曜日の夜8時には他には一台も停まっていなかった。夜中には星がたくさん出ていたが強風が吹き荒れていた。時々車が揺れた。
北海道では連日山の予定。まずは北海道駒ヶ岳。
10/22(土)は朝から快晴だった。北海道の山でこんな好天は本当に久しぶりだ。
ガタガタの未舗装林道を走って登山口の駐車場に着いて、7時前に歩き出した。
槍ヶ岳のようなピークが見えているが、活火山なので山頂までは行けない。
広い一本道を淡々と登る。
シラタマノキ。
30分ほどで早くも九合目。
出発して40分ほどで最終地点の馬の背(892m)に到着した。さすがに活火山の様相だが噴煙などは見えない。
本当の山頂の剣ヶ峰(1131m)はまだまだ先。
右に目を向けると双耳峰の砂原岳(1112.2m)。
反対側は足元に大沼公園。
こんな好天の日に1時間足らずの登りで下山してしまうのは忍びないが、周遊コースなどもまったく無いので下りるしかない。
8時10分には駐車場まで下りてきてしまった。わずか1時間15分くらいで、昨日の函館山往復と同じくらいだった。
このあとはニセコに向かう予定なのだが、天気予報ではニセコ地域は翌日から天気が悪い。しかし山岳気象の予報を見ると羊蹄山はそれほど悪くない予報が出ているので、予定通り向かうことにする。
駒ヶ岳の麓を走り抜けて、森地区の道の駅の展望台から駒ヶ岳を振り返る。
長万部を経由してニセコ手前の黄金温泉へ。ここはぜひ行きたいと思っていた。
ほぼ浸かるだけのようなシンプルな温泉で、洗い場は二人分しかないのだが、せっけんシャンプーが備えられていた。
露天からはニセコの山々が目の前に眺められて、ぬるめのお湯でゆったりすることができた。
これはニセコアンヌプリ。
羊蹄山は山頂部は雲に覆われていた。
そしてここで提供されていた野菜カレーのランチをいただいた。500円なり。この温泉とカレーで合計1000円はコストパフォーマンス最高。
ニセコではまずはコインランドリーで洗濯。使い方がよくわからずに300円ほどムダ金を使ってしまった。
その後、道の駅で時間潰し。これまでここへは雪の季節にしか来たことがなかったので、あまりの混雑にびっくりした。
コンビニで食料を買って、ニセコ大橋そばのいつものトイレ付き駐車場へ。
明日は羊蹄山の予定だが雨予報。明日、明後日と雨予報なので、最悪2日間ニセコ沈殿かも。何をして過ごそう。
10/21(金)は午後のフェリーで大間埼から函館へ渡る。時間はたっぷりあるので途中でできるだ時間つぶししていく。
とりあえずかわうち湖の写真。
お次は仏ヶ浦。聞いたことのない場所だけれど何となく観光地っぽいので立ち寄ってみることにする。駐車場は海岸よりはかなり高いところだった。
最初は土道で、その後は長い階段。
10分ほど下りて海岸まで下ったら思いがけない光景が目の前に広がっていた。
東尋坊とはタイプが違うがかなりの迫力。桟橋の突端まで行ってみた。
ビデオを撮りながら、もしいま大きな波が襲ってきたらどうしようかと不安を感じた。
駐車場まで戻って、しばらく海岸沿いに走っていたらちょうど願掛岩が見えるところに駐車スペースがあった。
男女が抱き合っているように見えるということで信仰の対象になっていた。
さらに進んで津軽海峡文化館アルサスで時間潰し。
ここから仏ヶ浦を海から眺める遊覧船が出ているもよう。館内をざっと見学して、ちょっとしたお土産を買った。
10時前に大間埼に到着した。平日にもかかわらず駐車場にはたくさんの車が停まっていた。
北海道はもっと間近に見えるのではないかと思っていたが、意外と遠かった。
大間に来たのならマグロを食べるしかないだろう。お昼は駐車場のそばの店でマグロ丼2500円なりを味わった。
おいしかった。襟裳岬のしょぼい海鮮丼とは大違いだった。
フェリーターミナルへナビで向かっていたら何と一通行にぶち当たった。こんなことは初めて。無料のナビなので仕方ないのかも。結構ウロウロさせられた。
それにしても北海道のフェリーは高い。わずか1時間半少々の乗船で 15,000 円くらい。利尻や礼文も車で乗ると舞鶴・小樽間の半額以上の金額になる。
4日間を過ごした青森を離れて、ついに函館が見えてきた。
函館に到着したのは4時前なので際どい時間なのだが、予定通り函館山に向かうことにする。
登山口の駐車場に向かおうとしたら登山口に入る少し手前で通行規制のために入れなかった。どうしようかと思ったら、すぐ近くの神社の参道のそばにちょっとしたスペースがあって、1台停まっていた。駐車スペースではないのだが、ここに置いてしまおう。
秋の夕暮れはつるべ落としなのでヘッドランプを確認して、午後4時ちょっと過ぎに出発した。しばらく車道を上がって、旧登山道という標識に従って登山道に入る。
ほどなく1合目。
木の階段があったりして、何度か車道を渡る。函館山は山頂まで車で行けるが、今はバスとタクシーだけのようだ。
出発してから30分ほどで5合目。
5合目から10分ほどで山頂エリアまで来た。
展望台まで来てあまりの人だらけにびっくり。夜景を見に来る人たちなのだろうか。
午後4時50分。函館山の山頂は標高 334m で、332.6m の三角点があるのだが、どこかわからず。
夜景というにはまだまだ明るい。
人込みをかき分けて写真を何枚か撮って、早々に下山に移る。早く下りないと暗くなってしまう。
やはりあっと言う間に暗くなってきた。ヘッドランプを出すかどうか迷いながらも足元に注意して下り続けた。
午後5時23分、何とか無事下山できた。
フロは花の湯へ。今回初めてスーパー銭湯的な温泉で、露天や水風呂も味わえた。ただし480円という料金のせいかせっけんシャンプーは無し。持参した旅行セットの石けんが残り少なくなってきた。
となりのマックスバリューで買い物してから道の駅「なないろ・ななえ」まで走った。ここは昨日の道の駅とは真逆でかなり混雑していた。
✳︎翌朝に撮ったもの。
二日間にわたる太宰治追憶ツアーが終わって、10/20(木)は長年の憧れの場所であった恐山に向かう。
時間はたっぷりあるのでコンビニでコーヒーを飲んだり、道の駅で休憩したりしながら向かっていると、駐車場の少し手前で太鼓橋を発見。傷みが激しくて渡れない。流れる川が三途川。
橋のたもとには奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんねおう)の像。
外に出ると硫黄の匂いがただよっていた。
駐車場は平日の午前中にもかかわらずすでに多くの車が停められていた。
総門のそばに六地蔵。
入山料500円を支払って総門から中に入る。
総門をくぐると正面に山門が見える。
なぜか恐山菩提寺の本堂は山門の手前の左側にある。
山門をくぐる。
参道のそばに無料の温泉(薬師の湯)がある。帰りに入ろう。女湯は参道の反対側。
いよいよ写真などで何度も見た光景が目の前に現れてきた。何とも言えない異様な雰囲気。死者が蘇ってくると考えられたのもわかるような気がする。
参道を進むと地蔵院。
ここの左側から核心部のエリアに入る。
恐山で見かける風車は、このあたりは火山性ガスが漂っていてローソクや線香などの火の気は危険なので、そのかわりに据えられているらしい。
いきなり硫黄臭の漂うただならぬ雰囲気。
まずは奥の院に向かう。階段を上がると不動明王。
少し戻ったところからの全景。
元の道に戻って、できるだけ大回りに歩く。
八葉地蔵菩薩。
歩いていたら足元からボコボコと噴火音が。石に触れてみたら少し暖かかった。
このあと水が流れているところでは手をつけてみたが、いずれもただの水だった。
血の池地獄。何年か前の写真では別府温泉の血の池地獄のような赤い色だった。
そして宇曽利湖(うそりこ。地形図では宇曽利山湖と記載されている)の極楽浜へ。
宇曽利湖は山の中の小さな湖なのだが意外と波が立っていた。
東日本大震災供養塔。
展望台に上がると五智如来。
ここからの宇曽利湖の眺め。
岩の割れ目から煙が上がっていたのだが、写真には映らなかった。
1時間ほどかけてぐるっと回って元に戻ってきた。
さて、温泉へ。小さめの浴槽が二つあったが、一方はかなり高温だった。ただ、水は自由に出せるのでたまたまそうなっていたのかも知れない。
普通の銭湯ではないので洗い場などは無く、ただお湯につかるだけ。しかしいかにも温泉という感じの白濁した濃厚なお湯で、浸かっているだけでも気持ち良かった。
もう12時を過ぎているので駐車場のそばにあった店で昼食でもと思ったが、メニューがまったく張り出されていないのでやめた。
時間はたっぷりあるので釜臥山(かまふせやま)展望台へ寄り道する。
途中の恐山展望台からの宇曽利湖。
その先のむつ湾展望台からのむつ湾。
そして釜臥山展望台に到着。
恐山から宇曽利湖の対岸の山の上に何かの施設があるのが見えていたのだが、それがこの展望台だった。
展望台からのむつ湾。すごい強風だった。
そばにレーダー施設があるが立ち入ることはできない。
さて、そろそろお腹が空いてきた。今日もコンビニランチでは味気ないのでネットで探してむつ市郊外の食堂へ行くことにした。
こんな店が今もあるのかと驚くような昭和の食堂で、高齢の女性が一人で切り盛りしていた。4人も入ればいっぱいになるくらいの店で、入った時にはいかにも地元の人という感じの男性が一人焼きそばを食べていた。
迷ったあげく肉うどんを注文した。関西人なら肉うどんと言えば牛肉を思い浮かべると思うのだが、入っていた肉は豚肉だった。ただ、量はしっかり入っていたし、味も悪くなかった。これで400円なら満足です。
その後、念のために燃料を補給して、コンビニで食料を調達した。
今夜はかわうち湖の道の駅の予定。あえて寄り道したい場所も無いのでのんびり走っていたら「ふれあい温泉かわうち」という温泉があった。恐山温泉では浸かっただけだが、特に汗をかくようなこともやっていないので、もういいかと思っていたのだが、時間つぶしにちょうどいいと思って入った。
ここも地元の人のための温泉というシンプルな温泉で380円なり。もちろんせっけんシャンプーは無し。ここで会話されている人たちの言葉は津軽と違ってごく一般的な日本語だった。
道の駅は定休日だった。どうせ買い物などはしないので問題ない。トイレさえ開いていればそれでいいのだ。
夜を過ごす車は他には一台も無かった。
今回も車で来ているのだが、津軽鉄道にはぜひ乗りたいと思っていた。
10/19(水)は朝から津軽鉄道に乗って五所川原まで往復してから龍飛崎に向かう。
芦野公園駅のそばの駐車場に車を置いた。駅舎は今までに見たどの駅舎よりも鄙びた感じ。芦野公園はそれなりに大きい立派な公園なのだが。
横にある旧駅舎はカフェが営業されているのだが、生憎水曜日は定休日。どちらが旧なのかよくわからない感じ。
津軽鉄道の駅にはすべてこのような手書き風のおしゃれな看板が設置されている。
電車を待っているうちに雨が降り出してきた。そして高校生が二人やってきた。
津軽鉄道は冬場はストーブ列車が有名だが、今の季節はまだストーブは置かれていない。通学の高校生が何人か乗っていた。
その後、高校生がどんどん乗ってきて、いつの間にやらほぼ満員状態になった。
五所川原の少し手前に農業高校があって、ここで多くの生徒が下車していったが、最後の五所川原駅まで乗っている高校生もたくさんいた。
五所川原は元陸上選手の福士加代子の出身地でもある。
外は本降りの雨。しかも風も強くなってきた。傘をさして閑散とした駅前の通りを西に向かう。目指すは岩木川にかかる乾橋。
乾橋は「津軽」で、太宰が五所川原を訪れた時に知人の娘さんに案内されて訪れた場所。
駅から 15 分くらい歩いただろうか。もう足元はびしょびしょ。
河川敷に下りてのんびりできるような天候ではないので、写真を撮ったら早々に引き返す。
駅前通りもシャッター街。まだ午前9時前という時間のせいもあるのだろうが。
次の電車まではまだ1時間以上あるのだが、とてもこの雨のなか外を出歩く気にはならない。コンビニでコーヒーでもと思ったが、あいにく駅の近くにはコンビニが無い。仕方なくまた雨の中を数分歩いてコンビニへ行って、コーヒーを買って傘をさしながら寒い外で飲んだ。
帰路の電車の乗客はほんの数人程度。バスガイドならぬ電車ガイドの女性がおられて、沿線の案内をしてくれた。これはなかなか楽しかった。意図的か少し津軽弁を交えた口調で。ただし昨日の風呂で聞いた言葉とはずいぶん違った。
中では津軽鉄道グッズの販売も行われて、必死の営業努力が感じられた。
あれがぼんじゅ山脈?
今時珍しい硬い紙の切符を記念にもらって芦野公園駅で下車した。ようやく雨が止んだ。
次は今回のハイライトの一つの小泊(こどまり)へ向かう。時間に余裕が無いので十三湖は通過した。
左から太宰治、幼少の頃の津島修治(太宰治の本名)、修治を世話していた頃のタケ。
そして写真で何度も見た二人の再会の場面の銅像。
「津軽」のラストシーン。太宰の長女の津島園子さんが書かれたもの。
200円払って記念館に入る。ショートムービーや15分程度のビデオを楽しんだ。タケさんご本人がしゃべっておられる音声を聞くことができたが、やはり昨日の銭湯で聞いた会話は地元の津軽弁だったのかもと思った。字幕無しにはとても理解できない言葉だった。
充実した内容で、これなら500円くらいでも納得できる施設だった。
お次は龍飛崎へ向かうが、途中の眺瞰台に立ち寄った。
展望台の上からは北海道が間近に見える。
午後1時前にようやく龍飛崎に到着した。
まずは灯台のある岬の先端へ行った。雨は止んでいたが風が強い。
そばには灯台。
そろそろ昼食にしておきたいところだが、駐車場にあった食堂はどうも入る気がしない。夏に襟裳岬で食べた食堂がよろしくなかったのが頭に残っていて、この先にどこか店があることを期待して素通りした。
海岸線に下りてまた太宰の文学碑へ。
「津軽」で龍飛崎を訪れた時の文章が記されている。
そばには太宰たちが泊まった旅館跡。ここにもいくつかの展示物があり、無料で見学できた。
その後、車で行ける終点まで行った。「鶏小屋に頭を突っ込んだ。」と書かれていたのはこのあたりのことだろうか。
車道の終点。
次に向かったのは義経(ぎけい)寺。太宰たちも訪れている。
義経は実は平泉では死んでおらず、北上してモンゴルまで行ったという寓話があるのは昔から知っていたが、実際にそのいわれのある社寺がいくつか存在しているということはわりと最近まで知らなかった。実は北海道の日高にも義経(よしつね)神社があって、二風谷のアイヌコタンへ行った時にすぐそばを通っていた。義経がアイヌにいろいろなことを教えたという伝説があって、ずいぶん昔からアイヌから敬われていた。イザベラ・バードが明治初期に訪れた時にもアイヌに案内されて訪れている。
ただし学術的にはこの説はほぼ否定されている。
こちらの義経寺は今もしっかり管理されているようで、私が訪れた時も本堂の中から何人かの女性の話し声が聞こえてきた。
どこか適当なところで食事を思っていたがコンビニすらまったく現れず、すでに2時を過ぎている。
たまたま海岸沿いの広い道に出たところにコンビニがあったので、ここで巻きずしを買って食べた。
次は蟹田の観覧山へ。ここにも太宰の文学碑がある。
「正義と微笑」に書かれている「かれは人を喜ばせるのが何よりも好きであった」という文章で、井伏鱒二氏が選んで佐藤春夫氏が筆をとったもの。
蟹田港を見下ろす。
さて、このあとどうするか。青森市内でも行きたい場所が何カ所かあるが時間的にかなりタイト。青森近代文学館は5時までで、ナビによると到着予定は4時過ぎ。とにかく向かってみる。
何とか4時15分くらいに到着できたが建物の正面が工事をしていて入口の場所がわからず、建物の反対側まで行ってまた戻ってくることになった。
太宰のコーナーは一部だったが自筆の手紙などが展示されており、行った価値はあった。
次に太宰の学生時代の下宿跡にも行きたかったが、近くにタダで駐車できそうな場所が無い。碑が建っているだけのようなので今回はあきらめて、学生時代にしばしば訪れていた合浦公園に向かった。
すでに薄暗くなった公園を少しだけ散歩して、浅虫温泉に向かう。ここも太宰がしばしば訪れたところ。今宵の予定の浅虫の道の駅に温泉が併設されているので、そこに行った。
道の駅にある温泉とは思えない貧弱な施設で、せっけんシャンプーは無し。ひどいのは洗い場が狭い上に内向きにカーブしていて、並ぶと隣の人と触れてしまうくらい。平日なので空いていたので何とかなったが、休日ならとても利用できない。安かった(360円)けれど二度と行きたくない。
近くのコンビニで買い物をしてから道の駅の駐車場に戻った。
5時半過ぎにフェリーを下船して一路弘前へ向かう。
1時間ほど走ったあたりのコンビニで朝食のパンと飲み物を買って、車中で食べた。
青森郷土文学館が開くのが9時なのであまり早く行っても仕方がない。
雨が降ったり止んだり。
コンビニでコーヒー休憩をして、9時前に観光駐車場に駐車した。
運良く今日は郷土文学館の入館料がタダだった。まぁ払っても100円なのだけれど。
1時間足らずの見学でお次は太宰治の下宿跡へ、10時に一番乗りで入る。ここはタダ。
カルチモン自殺をはかったのもここの部屋。
実は道路工事の影響で本来の場所から少し移設されているらしい。タダにしてはずいぶん充実していた。
見学している間に強い雨が降ってきた。走って車に戻った。
次は金木の斜陽館へ。ナビに裏側に案内されてしまったがすぐに見つかった。正面が少し工事しているもよう。
600円払って入る。すごい豪邸。一体何部屋あるのか。
私はこういう所で自分の土産などは買わない主義なのだが、ついついコースターを買ってしまった。
お次は疎開先の家へ。入口が小さい割には入場料が500円もするので一度はやめておこうと思ったのだが、もう二度と来ることもないだろうと思って入っておくことにした。
ちょうど斜陽館の裏側で離れのような場所になる。戦争末期に激しい爆撃から逃れるために家族連れでここに疎開した。「故郷」で病床の母親に対面したのはここ。
ここでもクリアファイルを買ってしまったが、やはりこの入場料は高すぎ。
斜陽館の向かいにある土産物店で500円のラーメンを食べて、幼少の頃にタケに連れられて来たという雲祥寺へ。すぐにわかった。
思ったよりも早めにスケジュールがこなせているので予定通り藤の滝へ向かう。途中から非常に細い道になって不安になってきた。戻れる場所があるだろうか。
ナビが到着地点と言った場所にはそれらしいものは見当たらず、別のナビで確認したら実はもっと先だった。
この道をさらに進むのは不安だったが、ここまで来て到達できずに帰るわけにはいかない。
材木が積まれていてここなら切り返しができるという場所があった。何と、ちょうどそこが藤の滝だった。朽ちた看板が置かれていた。ここを入ると滝の上に出る。
その当時はこんな辺鄙な場所に茶店を開くほどの客がやってきたのかと思うと信じられない気持ちだ。バスが走るような広い道があったとも思えないし、長い距離を歩くしかなかったはずだ。
「魚服記」では滝壺のそばに茶店を開いたと書かれているが、滝を下から眺められる場所は無さそうだった。
朽ちた柵から滝を覗き込む。
次は鹿の子滝。またこんな道だったらいやだなと思ったが、幸いこちらはしっかりした道だった。滝の音は聞こえるものの木が茂っていて滝が見えない。
ガードレールの隙間にかすかなふみ跡あったので沢筋に下ってみたら滝の上だった。
道路からは少しだけ滝の見える場所があった。
そして川倉賽の河原地蔵尊へ。ここは太宰治とは関係なし。
もうひとつの恐山とか言われているらしい。
訪れている人は他には誰もおらず、本堂は入れなさそうな感じだった。
お地蔵さんも思ったより閑散としていた。
「いたこ」はここが本家らしい。
最後に芦野公園へ。ここには太宰の文学碑と像がある。
これは「葉」の冒頭に引用されているポール・ヴェルレーヌの詩。
そばには大きな銅像。太宰治はマント姿が有名。
金木は津軽三味線発祥の地でもあるらしい。
そろそろ夕暮れ時のいい時間になってきたので、地元の人たち御用達というような雰囲気の温泉へ行った。道中で岩木山がかすかに望めたが、今回、岩木山が見えたのはこの時だけだった。
入浴料 320 円で、せっけんシャンプーは無し。他の人たちの会話がまったく理解できなかった。何語なのかすらもわからない。テレビでたまに聞くような津軽弁ともずいぶん違う。これが本場の津軽弁なのだろうか。
スーパーで食材を買って、芦野公園の駐車場に戻ってナベで一人宴会にした。