今日の目的地は熊野速玉大社。そしてそこから新宮駅に向かう。しかし途中で那智駅のそばを通るので、時間次第では那智駅で終わることもできる。
一応の目安として、熊野那智大社が10時。那智駅に12時をタイムリミットにしようと思った。これを過ぎていたら熊野速玉大社には向かわないつもり。
那智駅から熊野速玉大社までの道はほとんど下道で、おそらく紀伊田辺から滝尻王子までのような道程になると思うので、時間によっては割愛してもいいと思っている。
定番の棒ラーメンとコーヒーで朝食を済ませて、朝5時にヘッドランプで出発した。夜中に少し雨が降ったようで、地面がちょっと濡れていた。
まずは昨日確認しておいた大雲取越の登山口へ。
5時45分に休憩所を通過。なかなか厳しい登りだった。昨日ならたとえ時間があったとしてもかなりしんどかったと思う。案内にある通り、水道が設置されていた。
厳しい石畳の登りが続く。胴切坂はいつ終わるのか。この先で終わりかと思ったら道が曲がってさらに登るということが何度か繰り返された。
ずっと樹林帯で、御来光を拝むことはできなかった。
歩き出して2時間、ちょうど7時にようやく中辺路最高地点(と看板に書かれていたが、実は先にもっと高い地点があった。ここは標高870m)の越前峠に到着した。
登山口の小口が標高65mなので、標高差800mの登りだった。ここで腰を下ろしてソイジョイなどを補給した。
行程から考えると熊野那智大社10時は厳しそうだ。
今日、初めての下りの道。かなり稜線に近い場所なのだけれど、少し下ったらしっかりした流れの沢筋になった。
越前峠から10分ほどで迂回路への分岐に出た。
ここも西側に林道で大きく迂回しなければならない。初めのうちは「これが林道?」というような荒れた道だったけれど、ほどなく林道らしくなってきた。とは言ってももはや車は通っていない感じ。
迂回路に入ってから40分ほどで元の道の地蔵茶屋跡に到着。
車道に合流したせいか、何と自動販売機がある。よく見ると下町の自動販売機より少し安い。何でこんな場所にある自動販売機が安いの? ひょっとしたら新しい機械に置き換える方がコストがかかるのかもと思った。
しばらく車道を進む。中辺路ではルート上に 500m 間隔で標柱が設置されているが、ここに来てその標柱の形状が変わった。何となくこちらの方が古くからある感じ。
ようやく大雲取越の半分を少し過ぎたくらい。もうすでにほぼ3時間かかっているので、熊野那智大社10時はムリだろうと感じた。
登り基調の車道をしばらく進んでいたら、古道に入る道標が現れた。あれっ? どうも手前で古道に入る分岐を見過ごしていたようだ。
このあとまた石畳のしんどい登りがしばらく続いた。
9時11分、ようやく舟見峠まで来た。標高883mと表示されている。越前峠よりも高い。
ここから太平洋が見えるので舟見峠という名称が付けられたようだが、今は木が茂っていてほとんど見えない。
しかしこの少し先の舟見茶屋跡の休憩所からは太平洋の絶景を眺めることができた。もう熊野速玉大社は諦めようと思っていたので、ゆっくり眺望を楽しんだ。
熊野那智大社に向けて石畳の道を下る。
おそらくワラジで歩いていたであろう昔の人にとっては問題無かったのだろうけれど、現代のゴム底の靴にとってはコケの生えた石畳の下りは最悪である。
道を石畳で整備するのは本当に大変な労力だっただろうと思う。おそらく現代に道路を舗装工事するよりもはるかに大変だったと思う。
しかし現代人の自分勝手を言わせてもらえれば、土道のままにしておいてほしかった。
タイムリミットの10時をすでに過ぎた10時12分、ようやく大雲取越の山道を越えてきた。
熊野那智大社に近づいて来たら、何とも表現できない騒音が耳に入ってきた。エンジン音のような気もするけれど、ずっとほぼ一定の状態で聞こえてくる。
わかった!! 那智の滝の水が落ちる音だ。木が茂っているのでここからはまだ滝は見えないけれど、もうあと少し。
10時33分、熊野那智大社のエリアに下り立った。急な雰囲気の変化にちょっととまどった。
とにかくまずは那智の滝へ向かう。標識に従ってガンガン下る。こんなに下って大丈夫なのかちょっと不安になる。しかし滝はまだまだ下のよう。
10分ほど下ってようやく滝壺に到着した。
ここは5年前に初の100キロマラソンの時のスタート地点で一度だけ来たことがある。しかしその時はまだ夜明け前で暗かったので、轟音が聞こえるだけだった。
熊野那智大社は那智の滝がご神体と思っていたのでこのそばにあると思い込んでいたのだけれど、実はここは別宮の飛瀧神社。熊野那智大社はどこ?
エリア全体を解説した看板をしみじみ眺めてみたら、熊野那智大社は何とこのエリアに下り立った所から少し横へ行った所だった。つまりこれまで下ってきた石段を登り返さなければならないということ。
大きく落胆したが、ここまで来て熊野那智大社にお詣りせずに先へ行くわけにはいかない。覚悟を決めて登り返す。
登り返しの途中でちょっと横道にそれて、人通りの無さそうな場所で補給休憩した。
滝から15分ほどかかって、ようやく熊野那智大社に到着した。ここまで無事に来られたことに感謝して、しっかりお詣りした。
そして表参道の階段を下る。もし最初に位置関係を把握して熊野那智大社に参拝してから滝に向かっていたら、表参道は通らずに終わってしまっていたので、登り返しも決して無駄では無かったということ。
そして大門坂の石の階段を下る。
久しぶりの王子跡で多富気(たふけ)王子社跡。
大門坂の入り口。ここから歩き始めて熊野那智大社まで行くのはなかなか大変だと思うが、大門坂を登っている人はたくさんいた。
ここを過ぎると道は何と言うことも無い普通の車道になる。
しばらく歩いて市野々王子。
ひたすら車道を進む。ずっと車道を歩いてきたせいか、このままずっと車道を行くのだといつの間にか思い込んでしまっていた。
「補蛇洛山寺・浜の宮王子」という標識を見つけてそちらに向かって、尼将軍供養塔まで行ったのだけれど、熊野古道の標識があったにも関わらず、元の車道に戻らなければならないと錯覚していて、ここまで登ってきた道を下まで戻った。
そして元の車道を少し先に進んでからミスに気がついた。しかし今さら戻る気にはなれない。なぜならこの道をこのまま進めばさほど遠くない場所でまた古道と合流できるのだ。
その古道の部分に何か見所でもあるのなら何が何でも戻らなければならないけれど、特にそういうものがあるわけでも無さそうなので、このまま先に進むことにした。このあと15分くらいでまた古道に合流した。
さらに広い車道を行く。これでも「世界遺産・熊野古道」の道ですか?
そして午後1時12分、最後の見所の補蛇洛(ふだらく)山寺に到着した。
すぐそばに浜の宮王子社跡。
那智駅はもう目と鼻の先だった。
すぐそばに道の駅(小さいけれど)や観光センターがあるので、紀伊田辺駅と同じような規模の駅かと思っていたら、実は無人駅でICカードも使えない。
列車の時刻も調べずに着いたのだが、ちょうど駅舎に入った時に乗りたい方向の列車が入ってきた。想定外の事態で、これに飛び乗っていいのかどうか判断できなかった。先の乗り換えなどを調べずに飛び乗るのは不安だったので、この列車は見送ることにした。
次の列車を調べてみたら1時間以上あと。しかし二つ先の紀伊勝浦駅で特急に乗り換えることができるので、これなら8時過ぎくらいには家に帰れそうだ。
駅の近くの酒屋の自動販売機でビールを買って、駅のそばの青空スペースに腰掛けて一人打ち上げをやった。
もうこれ以上先には進めない時間だったのでのんびり過ごせたけれど、もし自分で決めたタイムリミットより早い時刻に到着していたら非常に悩んだだろうと思う。
朝5時に出発したのですでに8時間以上、27kmほど歩いている。ここから先はほとんど下道歩きで、さらに14kmほど残っている。
もうすでに下道歩きはうんざりという気分だったので、本心はタイムリミットに間に合わなくて幸いという気持ちだった。巡礼者ではないので熊野三山へのこだわりはあまり無い。
3日間で85kmほど歩いた。熊野古道歩きはこれで一段落という感じ。熊野那智大社と熊野速玉大社の間はほとんど下道歩きなので、これのためにわざわざやってこようという気持ちにはなれない。
世界遺産の古道と言えども実は林道や車道部分はかなり多い。小辺路も10km以上車道が続くような場所もあった。
私の場合は山道を長く歩きたいというのが主目的なので、未舗装の林道ならまだしも車の走る舗装道路を延々と歩くというのはあまりうれしくない。
帰りの電車の車窓からは太平洋の海、そして美しい海岸線を楽しむことができた。
最初の目標地点までは行けなかったので、本当の意味での満足感は得られなかったけれど、この三日間に訪れたあちらこちらの光景を思い出しながら、心地良いまどろみの中に落ちていった。