ランニングと文学

山西哲郎氏(立正大学 社会福祉学部 子ども教育福祉学科 教授)は変わった人である。東京教育大学(現、筑波大学)で箱根駅伝を走り、指導者としても箱根駅伝に出場されたが、その後は陸上競技のメインストリームではなく、市民ランナーのカリスマのような存在としての活動を今も続けておられる。ランニングの『文化』としての質を高めようという氏のスタンスは、『陸上競技』をかなりのレベルまで実践された人としては珍しい部類に入ると思う。
氏はその著書『山西哲郎の走る世界』で、『登山の世界では文学として質の高い著作品がたくさん生まれているが、ランニングの世界では技術書、大会説明書、啓蒙書の領域を出ていない』と書かれている。この本が出版されたのは1991年だが、20年以上たった現在でもその状況はあまり変わっていないように思える。
登山家にして名文筆家という人はこれまでに何人も登場している。『山岳文学』という言葉もあるくらいで、文学のジャンルの一つとして世間一般に認知されていると言っても良いだろう。イタリアの登山家、ラインホルト・メスナーはその象徴のような人物で、超一流の登山家にして、文筆家としてのクオリティも一流である。彼の書いた著書は文学賞も得ている。記録としての価値だけではなく文章としても味わい深く、何度も読み返したくなるような緊張感のあふれる表現力は、ただただ素晴らしいとしか言いようが無い。
フランスのガストン・レビュファは、アルプスでのクライミングを主体とした『星と嵐』をはじめとして名著を何冊も残しているし、日本人でも松永敏郎さんや佐伯邦夫さんの文章は、その登山スタイルと同様に格調が高くて素晴らしいと思う。
1988年のカルガリー・オリンピックで、8000m峰14座登頂を果たしたメスナーとククチカに対して特別メダルの授与が決定されたが、メスナーは『登山はスポーツではない』という理由で受賞を拒否した(ククチカが受け取ったのは銀メダルだったそうだが、メスナーやククチカが銀メダルなら一体誰が金メダルに値するのか? メスナーはマラソンに例えてみればザトペックやアベベのような存在だろう)。
登山がスポーツか否かは各人それぞれの考え方や感性があり、用語の定義も人それぞれだと思うので、一般論として定義づけることはムリがあると思う。個人的には『スポーツ的な面もあれば、スポーツでない面もある』という曖昧な表現にならざるを得ない。ただ、時代の変遷から考えると、冒険から始まって、次第にスポーツ的要素のウェイトが高くなってきているようには思う(ただし日本では山は冒険というよりは信仰の対象だった)。
さてそのスポーツだが、残念ながら私は『一流スポーツ選手にして名文筆家』という人を、寡聞にして知らない。もちろんここで言う『一流スポーツ選手』というのはオリンピックでメダルを取るくらいのレベル、もしくは国内ではトップレベルの選手のことであって、趣味でスポーツを楽しんでいる人のことではない。
メスナーの味わい深い文章に較べると、スポーツ選手の著した回想録のようなものはおしなべて平板な感じで、すでにわかっている事実の表面的な再録でしかないようなものがほとんどだ。もちろん、君原選手がメキシコ・オリンピックのマラソンで、終盤便意に苦しんでいたというようなことは後になってから初めてわかることだが、だからと言ってその文章をわくわくしながら読めるかと言えばそうではない(『マラソンの青春』の文章を書いたのはおそらくゴーストライターだと思うが)。
ソウル・オリンピックの代表権がかかった1988年3月のびわ湖毎日マラソンで、すでに全盛期を過ぎていた瀬古利彦選手が、レースの終盤でかつては見せたことが無かったような苦悶の表情で走っていたことを、テレビカメラははっきりと捉えていた。この時の瀬古選手の気持ちはおそらく言葉でうまく表現することはできないだろう。
もっと昔で言えば、東京オリンピックで円谷選手が競技場でヒートリー選手に抜かれたシーン。父親からの言いつけを守って、後ろを振り返らなかったから抜かれたというような論評もあるが、あの表情を見る限りは振り返っていたら逃げ切れていたとは到底思えない。もしそれだけの余裕があったのであれば、抜かれた後に抜き返したはずだ。
その後、円谷選手は、史上最も崇高な遺書と言われる文章を残して自殺したが、東京オリンピックでの走りを素晴らしい文章で表現できたかというと、それは疑わしい(この遺書に匹敵するレベルの文章を残したのは、北鎌尾根で遭難死した松濤明氏のそれであろう)。
やはり生の映像に勝る興奮は無いのだ。少なくとも競技スポーツの世界に於いては。
今でこそエベレストの頂上までテレビカメラが上がる時代になっているが、メスナーの全盛期の頃はテレビカメラはベースキャンプかせいぜい前進キャンプの途中までで、登頂の瞬間を映像で捉えるということはできなかった。登山者自身がハンディカメラで撮影するということはあったが、それもおおおむねわずか数分程度で、頂上からぐるっと周りを映したようなもので、とても映像作品と言えるクオリティのものではなかった。
それにメスナー自身も単独行が多かったので、テレビクルーの同行などは好まなかっただろう。
となると、やはり文章を読んで、そこから自分のイマジネーションを膨らませるという作業が必要になって、おかげで、陳腐な映像よりも楽しめるということになるのかも知れない。
スポーツ選手の著作で言えば、カール・ルイスの著書は出色の出来映えだと思うが、これらはジャーナリストのジェフリー・マークスの力が大きいだろう。選手自身が書いた作品よりも、スポーツジャーナリストのような人が選手のことを記した作品の方に良いものが多いように思う。ただ、メスナーの著書のような『文学作品』と呼べる内容かと言うと、ちょっと違う気はする。どちらかと言うと『伝記』というジャンルに近いように思える。
ブログが普及するようになってから、自分の文章をインターネットに公開する人が飛躍的に増えた。何らかの趣味を持っている人はたいがいそれがテーマになっている。もちろん、ランニングや登山をテーマにしているサイトも数え切れないくらいある。
さほど多くのサイトを見たわけではないのだが、漠然とした印象としては、ランナーよりも登山者の方に内容の質の高いサイトが多いように思える。ランナーのサイトはそのほとんどが単なる練習日誌とレースの結果報告で、それ以外は仲間との宴会や家族の話題などにとどまっている。残念ながら読ませる内容のあるサイトにはあまり出会わない(自分の事は棚に挙げておいて・・・)。
それに較べると登山者のサイトは単にコースの紹介だけでなく、季節の事やその山にまつわる話題などのプラスアルファがある。もちろんすべてという訳ではないけれど。私自身、多少の登山経験があるので、感情移入しやすいという面はあると思うが、スポーツ志向の人と登山を好む人のメンタリティの違いのようなものが何かあるのかも知れない。
私自身は29歳で初マラソンを走って市民ランナーデビューをしてから、かれこれ28年ほど走り続けている。本格的な陸上競技の経験は無く、55歳で地元のクラブに入るまではずっと一人で走ってきたので、ただのジョガーである。でも参加したレースの記録はずっと残しており、タイムや順位などの数字だけではなくて、簡単なコメントも残してきた。
しかし、レースを終えるといつも『何かもう少し中身のある文章を残しておきたい』と思いながらも、いざ書こうとすると結局通り一遍の『キツかった』とか『頑張った』とかいうような陳腐な言葉しか残せていない。
しかし少し考えてみればこれは当然のことかも知れない。登山は短かくても1日。ヒマラヤ遠征などになると何ヶ月にも及び、たとえ1日でも景色や天候の変化もあれば、行動中に得られる情報量もかなり多い。
それに対してロードレースなどは、特に一流選手になるとマラソンでも2時間少々で、しかも景色を眺めている余裕などあるはずも無い。トラックレースなら競技場の中をぐるぐると何度も回るだけ。これで深みのある文章を書けという方が無理な話だろう。
むしろ4時間以上かかって走るようなファンランのランナーの方が味のある文章を書けるのかも知れないが、そういうレベルの人ではいくら文章がうまくても、トップ選手の心境とはまったく異なったものにならざるを得ない。
そういう意味ではランナーのブログの内容が、自己満足と仲間内だけでの盛り上がりのレベルからなかなか脱却できないのは致し方の無いことかも知れない。
しかし、人並みはずれて運動オンチだった私が28年間も走り続けてこられたのは、ランニングという行為にそれだけの魅力があったからで、それを言葉で表現することは不可能ではないはずだ。もちろん、本当の楽しさはやはり自分で体感してみなければわからないものだが、山岳文学を楽しんでいる人がすべて登山者という訳ではないように、自分では走らない人たちが、文章によってランニングの魅力に惹かれるというようなことがあっても良いと思うのだ。ただ残念なことに、そういう事例にはまだ出会ったことが無いのだが。

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