故障?

クラブに入ってから3年少々。感覚的にはかなりハードな練習を続けてきたと感じているが、どういうわけか以前のようには故障をしない。
全盛期の頃は、秋の走り込みシーズンになるといつも右膝の痛みが出てきて、シーズン中はほぼ毎週、ハリに通っていた。しかし 40 台になると練習量の低下もあって、故障に悩まされるようなことはほとんど無くなった。
クラブに入る時は、クラブに入ってもまともな練習を持続できるだけの気持ちが維持できるかどうかが不安だったのだが、そこは予想外にモチベーションが続いている。月間 500km を越えることも何度かあったが、それでもほとんど故障らしい故障は無かった。
ところが先月のダイトレ全コース以降、右足アキレス腱の痛みが出てから、ずっと不安定な状態が続いている。
ダイトレ1週間後の駅伝では 4km を何とか走りきって、ひょっとしてこれで故障も吹っ飛んだかと思ったが、アキレス腱の痛みは無くなったものの、左足首の何とも言えない違和感がずっと続いている。特に痛みということではないのだが、しっかりと力が入らない。
おまけに古傷の股関節右側の違和感も出てきて、不調箇所を2カ所抱えている状態。
これまでに故障は何とも経験しているので、感覚的には一時的なものか、ある程度続きそうなものなのかというのがだいたいわかるのだが、どうも今回の故障は少し長引きそうな感じがする。
走り始めに違和感が強く、しばらくすると症状が治まり、そのまま走り続けるとまた違和感が出てくるという感じで、なかなか完全休養までは休めない。
今度の練習会は土曜日に競技場。ここでまた強い練習をやれば、さらに悪化させてしまうかも知れない。
できれば日曜日は久しぶりにトレイルへ行きたいという気持ちもある。
なかなか悩ましいところだ。

競技場変化走

今日は久しぶりの練習会。競技場で変化走だった。
左足アキレス腱と右股関節の違和感がこのところ続いており、負荷の高い走りをして大丈夫かどうか不安だった。暖まってくると違和感は無くなるのだが、後からより強い違和感が出てくる。
今日もアップの時は違和感があったが、次第に治まってきたので、ムリのないペースでできるところまでやるということにした。
1本目は 4’28″。まぁこんなものかなという感じで、3本目からは 4’14” が3本続いた。集団のほとんどは5本で終了したが、何とか先月と同じく 10 本を目指して続ける。
しかし7本目で 4’22” に落ちて、しかも脚の調子が全体的におかしくなってきたので、8本で終了にした。
今日は家まできっちり走って帰れたが、かなり目一杯状態で、もし 10 本までやっていたら、前回のように途中から歩いて帰ることになったと思う。
今の状態で途中 4’14” を3本できたことは少し安心というところだが、満足感があるような無いような微妙な練習会だった。

鏑木セミナー

今日は鏑木毅さんのセミナーで京都へ行ってきた。セミナーとは言っても前半の講習部分はトレラン初心者限定ということで、私が参加したのは後半のトークショー。4時半開始だったので、五条坂の会場まで走って行った。
よく走っていた淀川河川敷の一部がずっと通行禁止になっているので、どうなっているのかと思っていたのだが、京都方面側は改修工事をやっていて、どうも9月の台風の被害が相当だったようだ。ここから樟葉方面も、以前は淀川側に茂っていたヤブがすっかり伐採されて、丸裸状態になっている。八幡方面までずっとそういう状態だった。
男山は紅葉がきれいだった。
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桂川河川敷の菜園はすでに復旧しているのか、被害の痕跡は見られなかった。
名神高速の下をくぐって、京都の市街に近づく。
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会場までの約 25km を2時間半ほどかけて走った。
鏑木さんのお話しを生でじっくりお聞きするのは初めてだが、これまで YouTube では何度も拝見しているので、初めてという感じはまったくしなかった。
内容は今年、鏑木さんが出場された2つの大きな大会の報告という感じで、一つ目はアメリカの Bighorn Mountain Wild and Scenic Trail Run 100mile。
優勝されたので快走だったのだろうと思っていたのだが、実は終盤に胃の調子が悪くなって、一時はかなり危ない状態だったとのこと。吐くものが無くなったら開き直って走れたとのことで、鏑木さんにとっては海外の 100 マイルの大きな大会における初優勝で、記念すべき大会だったようだ。
二つめは Grand Raid Reunion 100mile。おそらく鏑木さんにとってはこちらが今年最大のテーマだったと思うのだが、残念ながら 100 マイルレース初の途中リタイアになってしまった。
こちらはほぼリアルタイムの情報を見ていて、その後もいろんな情報を見ていたので、特に目新しいものは無かったが、ご本人の口から直接お話しを伺えるのはなかなか貴重な経験だった。
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それにしてもお忙しいようで、これでは自分のトレーニング時間がなかなか取れないのではないかと心配してしまう。特に、いろんな地方へ行かれることが多そうで、移動中はトレーニングは不可能だし、出張先ではそれほどまとまった練習時間は取れないと思う。
ゲストランナーとして走ればトレーニングの一部とすることもできるが、ゲストという立場では個人練習でギリギリまで追い込むような走りはできないだろう。
順位に対するこだわりはだんだん少なくなってきたというようなことをおっしゃっていたが、ひょっとしたら内心では年齢的な限界というものを感じられているのではないかという気もする。
45歳であれだけのパフォーマンスは本当に素晴らしいと思うが、鏑木さんにはもう一度、国内のメジャーレースでトップを争ってほしいと思う。

福岡国際マラソン

先日の福岡国際マラソンは、駅伝に行っていたので中継を見ることができなかったが、川内選手の走りを称える文章がたくさんあったので、どんな走りだったのか非常に興味があった。特に、宗猛の『彼こそマラソンのプロ』という発言は強く印象に残った。
『捜し物は YouTube』ということで検索したところ、20km 以降の後半全体がアップされていた。
解説の瀬古利彦が言っていたように、川内選手のメンタリティというのは常識でははかれない。あの苦悶の表情が演技とはとても思えないが、あのまま1時間くらい走り続けるというのも信じられない。モスクワの世界選手権でも中盤に苦しい表情で遅れ始めたが、結局最後まで大崩れせずに走り通した。
並み居る実業団選手が終盤、徐々に失速していくのに較べると、川内選手の粘りはちょっと異次元に映る。『実業団の選手には負けたくない』という意地があの粘りを生んでいるのだとは思うが、それにしてもマラソンは精神力の強さだけで走れるものではない。
確かに川内選手こそマラソンのプロと言えるのかも知れない。
しかし冷静に、客観的に見ると、記録的にはたかだか2時間9分台である。女子よりはマシとは言えるかも知れないが、男子もなかなか記録が上がらない。高岡の日本最高はもう10年以上前だ。
マラソンの記録はトラックのような単純比較はできないが、それにしても全体のレベルが往年に較べると落ちていることは間違い無い。川内選手の今回の記録にしても世界最高に較べると5分以上も遅いし、終盤粘ったとは言え、ケニアやエチオピアのトップ選手はあのあたりをキロ2分台で走る。
川内選手が東京マラソンで好記録を出して表舞台に登場した時、個人的には彼はこれくらいの記録が限界で、日本のトップまではいけないだろうと感じていた。この予想は、これまでで言えば半分当たって、半分ははずれた。
記録的には8分台の前半までは伸ばしたが7分台にはまだ届いていない。しかし順位で言えば日本のトップ(ダントツとは言えないにしても)まで上り詰めたと言ってもいいだろう。
横浜国際女子マラソンでは少し前までクロカンスキーの選手だった野尻あずさ選手が日本人トップになった。彼女も実業団を辞めて指導者をつけずに個人として戦っているし、川内選手はフルタイム勤務の公務員。今回の福岡は途中棄権になったが、藤原新選手も実業団を辞めて個人で戦っている。
川内選手はこの1ヶ月の走行距離は600kmに満たなかったそうで、これは私の普段の練習量ともあまり大きな差が無い数字だ(私は平均で月間450kmから500kmくらい)。
日本人は長い距離を走り込むことによって終盤まで粘れる脚を作ることによって、どうにか世界に近いレベルの走りができると感じているのだが、川内選手に関してはこれはまったく当てはまらないようだ。
むしろ頻繁にレースに出場することによって、距離よりも質の高い練習にウェイトを置くということになっていて、これはアフリカのランナーの練習パターンに近いと言えるだろう。
ただ、これまでの例で言えば、日本人選手でこういう練習方法を採用して、レースで良い結果を残したという話は川内選手以外では聞いたことが無い。
川内選手の身体が特別なのかどうかはわからないが、指導者が付かないことによって、結果的に自分に合った練習方法を見いだしているということは間違いなさそうで、自分で決めた練習方法だから、苦しくなった時も自己責任として頑張れるのかも知れない。
実業団の選手がそんなに甘えた練習をしているとは思えないが、結果としてフルタイム勤務の市民ランナーに負けている訳で、はやり何かが足りないのだろうと思う。
高校駅伝や箱根駅伝では毎年のように好記録やヒーローが登場するが、なぜかそこがピークで(高校駅伝で活躍した選手が箱根でも活躍するというのはよくあるが)、実業団に入るとあまり伸びずに終わってしまっている。
実業団ではどうしても駅伝のウェイトが高くなってしまうので、それがマラソンで大成できない障害になっているという話をよく聞くが、かつては宗兄弟にしても瀬古利彦にしても、駅伝もマラソンも両方やっていた。
根本的な要因は何か別のものがあるのではないかと思ってしまうのだ。

カメの子駅伝

今日は恒例のカメの子駅伝。かつての職場の同僚たちとのチームの駅伝で、参加大会は市民駅伝、駅伝カーニバルからカメの子駅伝と変遷していいたが、もう20年以上続いている。
このところずっと左足のアキレス腱に違和感があったのだが、先週のダイトレの後からそれが少し悪化した。それまでは痛みまではいかなかったのだが、ダイトレ二日後くらいからジョグでも痛みが出るようになって、今週はこれまで20kmくらいしか走っていない。
今朝は冷え込んだが、次第に気温も上がって、絶好の駅伝日和になった。アップの時は若干の違和感があったが、痛みというほどのことはなかったので、アップでも少しスピードを上げてみた。久しぶりにランパン、ランシャツで走ることにする。
1区間 4km を4人でつなぐ。今回は私は3区。1区が 14 分台の快走を見せてくれたが、私はアキレス腱の不安もあるのでムリしすぎないように注意してスタートした。
スタートして少しするとしばらく登りになる。昨年はここを頑張りすぎて潰れてしまったので、今日は慎重に上る。しかし最後の方では息が上がってきたので、開き直って大きく息をする。
折り返しは8’09″くらいだった。期待よりは遅かったが、気を取り直して復路に向かう。
少し胸に痛みを感じて、これはムリをし過ぎかと思ったが、ここでスピードを緩める訳にはいかない。
参加者の少ないレースなので、誰にも抜かれていないが、抜いたのもこれまで一人だけ。しかし離れていた前が少しずつ見えてくるとまた力が入ってくる。
最後の坂をギリギリのペースで登り切って、左に曲がると下り勾配のラストだ。ちらっとストップウォッチを見ると15分台。
中継点手前で一人抜いて、16’26” でアンカーにつないだ。
あと15秒くらい速いタイムを期待したのだが、走りの内容は良かったと思う。こんな距離を目一杯で走るのは本当に久しぶりで、かなり不安を感じていたのだが、気持ち良く走りきることができた。
終わってからはいつも通りのビールタイム。昨年は苦かったが、今年はおいしかった。